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 城戸誠治は部屋中を隈無く見て歩いた。

「まあまあだな」

 工業高校を卒業し、札幌のボウリング掘削会社に四三年。再雇用制度を目一杯使った城戸は会社を退職した。妻に先立たれ、することもない。けちな性分の城戸は手厚い体験移住を示す自治体に冷やかし半分で参加する。旅行者気分で体験移住荒らしをやっていた。

「でも、こないだの中標津よりは狭いな。まあ道東みたいに土地があまってるわけじゃないしこんなもんか」

 リビングの窓から庭を眺めた。

 蘭越は尻別川が東西に貫流し、田園風景がとてもきれいだ。夕方、収穫間近の田んぼでは老夫婦と若い娘が作業する。

「おい。じいさん。何、撮ってる」

 その田園風景に一眼レフを向ける城戸は若い男・村木一郎に肩をつかまれた。

「なんだ」

 城戸は首をまわして村木を睨んだ。

「じいさん。カメラ見せてよ」

「なんでだ? プライバシーだぞ」

「プライバシー? 盗撮はプライバシーと言わないよ」

「盗撮なんてしてない」

 畦道で小競り合いをする男、二人。しばらくして、白い軽自動車がそこに止まった。あの若い娘・越 のぞみが運転席から顔を出す。

「おじいちゃん。もうやめてくれない。ここ二、三日私の顔ばっか撮ってるでしょ」

「のぞみちゃんの言うとおりだよ。じいさん。盗撮なんかやめて山とか川を撮ればいいじゃない」

 城戸は顔を横に振った。 

「誰だ。お前なんか撮ってない」

「えっ。嘘でしょ。ものほんの田んぼマニア? 村木君。この人盗撮じじいじゃないの?」

 村木とのぞみは顔を合わせた。

「だったら見せなよじいさん。カメラ」

 城戸は畦道の脇に停めたランクルに向かって歩き出した。首から下げたカメラがぶらぶらと揺れる。

「おい。じいさん逃げるのか」

「村木君。もういいよ。あの人体験移住の人でしょ。どうせもういなくなるし」

 バタン。扉がしまると、甲高い音を上げてエンジンを始動させたランクルはゆっくりと動き出した。

 のぞみはフロントガラス越しに離れていくランクルを見つめた。

「やっぱ、捕まえた方がよかったんじゃない。のぞみちゃん」村木は運転席の扉に寄り掛かった。

 

 

かっぱのじいさん

 

 家族用の移住住宅。

 食卓に上がるご飯と塩の薄化粧をした切り身ジャケからは湯気がのぼる。笑顔を浮かべながら会話をかわす家族の声。そこに住む家族の朝は微笑ましい。

 田口純夫は半年前東京からに蘭越に引っ越してきた。妻・愛実と次男の樹と共に。

 東京では田口は大手コンビニ本社の流通事業部に属し、出世のスピードも同期入社と比べて早かった。まさに順風満帆。一方で喘息持ちの樹の病状はよくならない。

 田口はまわりの反対、愛実、愛実の親たちの猛反対を押し切って蘭越にやって来た。中学受験を控える長男の悟を自分の親に預けて。

「純夫さん。今日は遅くなるの?」

「定時で帰れるよ」

 椅子から立ち上がった田口は緩く巻いたネクタイを絞める。 

「お父さん。ちょっと待ってよ」 樹は茶碗の飯をかきこむ。

「まだいかないよ。ゆっくりと食べな」

 田口は洗面台へ向かった。

 田口の勤め先は地元役場。食品流通に携わってきた実績が評価され、参与として迎えられた。ちなみに、給与もそこそこだ。「おい。歯磨き粉がないぞ」

「逆さまにしてしぼったらまだあるでしょ」と愛実の声がキッチンから聞こえた。鏡にうつる田口、歯ブラシから飛び散った白い液体が鏡に付着。シンクでは勢いよく出る水が金属の桶に溜まる。

 

   尻別川。

 田口たち家族は釣りを楽しむ。長男・悟の姿もあった。また、そこからちょっと離れた対岸の下流側には村木とのぞみがいる。 

 

   ライフジャケット姿の兄弟がはしゃぐうしろで昼食を準備する田口と愛実。

「もっと、シートをピシッと張って」

「はいはい。お母様」

「ねえ聞いて、昨日うちのお母さんに悟がこっち来てること言ったらすごい怒ってた」

「聞きたくねえな。そんな話」と田口はボソッと呟いた。

「えっ。何? 話、聞いてる?」「聞いてる。聞いてる。お母さんも九月の連休ぐらい見逃してくれてもいいよな。夏休み合宿で勉強漬けだったんだし。会ったらまた怒られるよ」

「だいじょぶよ。怒らないように言っといたから」

 じゃれあう兄弟。愛実はちらちらと川の方に目を向ける

「あぶないよ。気をつけて」

「わかったよ」

 返事をした兄弟は石から石へと飛び移る遊びをはじめた。

 すると、悟が石のぬめりで足を滑らせて川へ落ちた。

「お兄ちゃん」樹が叫んだ。

 とっさに樹がさしのべた手に悟は捕まることができず、その手をすり抜け下流に流されて行った。

 田口と愛実が慌てて駆け付けた頃には完全に手が届かない。

「足は下流に向けろ。頭を守れ」田口の声が響いた。

「そんな事言わなくていいから早く助けてよ」

「どうやって」

「パパ、お兄ちゃんが」

 もうライフジャケットしか確認出来なかった。

 

   村木とのぞみは釣りをしていた。

「早くえさつけてよ。いっちゃん」

「また俺、苦手なんだよな」

「えっ。あれ人じゃね?」

 上流側を指差すのぞみ。そこからは赤いライフジャケットだけがプカプカ浮いてるように見える。

「のぞみちゃん。まさか」

「人だって絶対。男の子じゃん」

「あっ。そうだね」

「そうだねじゃないよ。泳いで助けなよ」

 悟の姿がどんどん大きくなる。

「どうやって泳ぐんだよ?」

「フェリーグライドで」

「なんだよそれ?」

「ああもういいよ」

 のぞみは自分のリュックを漁りはじめた。

「のぞみちゃん。スローバックみたいのないの? やばいよ。やばいよ。もう来るよ」

「あるわけないでしょ。……あった」

 のぞみはそこから自撮り棒を取り出して、川へ延ばした。

「のぞみちゃん。ぜんぜん延びないじゃん。足りないよ」

 悟が村木とのぞみのそばを通過した

「あー」

 二人は悟を目で追った。

「いっちゃん。車出して。緩やかな場所で捕まえるよ」

 のぞみは車へ向かった。

「おう」

 村木は深く頷いた。

「その前に竿をしまわなきゃ。シマノの高いやつだから」

「いっちゃん早くして。そんなものいいから。折るよ」

 村木は一旦手にした釣竿をおもむろに置いた。

 流されて行く悟の表情はどこか楽しそうだった。

 

   林道の傍を流れる川。川のほとりにある背の低い木に結ばれたハンモック。ハンモックは蚊帳で覆われている。その中にはランニング姿の城戸がいた。川のせせらぎを聞きながらハンモックに寝そべってコンビニ人間を読む。

 しばらく経って、林道に車が止まった。城戸は扉の音に反応して、車の方を見た。

「あっ。じいさん」

 村木と城戸の目が合った。

「何してんだこの前のアベック」

 のぞみは村木の前に出た。

「こども、流れてきませんでしたか?」

「ごとも? 今時そんなもん流れてくるわけないだろ」

 三人は上流部に目を向けた。

「赤いのは見えるが、こどもかどうかはわからんな」

 蚊帳から出た城戸はその木に掛けたカメラを手に取った。

「どれどれ」

 城戸はモニターを見つめた。ズームで大きくなった悟の姿。 

「ガキだな。笑ってらあ」

 城戸はおもむろにランニングと半ズボンを脱いだ。ブリーフ一丁だ。 

「川は四〇年振りになるか」

「おい。だいじょぶかよ。じいさん」

「いっちゃんより心強いよ」

「すいません」

 だんだんと悟が近づいてくる。「さあ、行きますか」

 クロックスを脱いだ城戸は川のなかに入った。

「二次災害だいじょぶかな?」

「いっちゃん。うるさい」

 城戸は腰ほどに水が浸かった場所から泳ぎはじめた。ぽっこりお腹を下にして城戸の体が水に浮く。城戸は上流に対し自分の体を斜めにして泳いだ。

「おお、すげえ。まっすぐに泳いでる」

「フェリーグライド。マジ感激。いっちゃん。あれがフェリーグライドだよ」

「あれがうわさの」

 悟に近づいた城戸はスピードを上げた。本数の少ない髪がぴったりと額にひっつく。

「がんばれじいさん」

 村木たちは声を揃えた。

 そして、城戸はライフジャケットを掴んだ。険しい表情の城戸は悟をビートバンがわりにして、村木たちの方向に近づいた。「がきを引っ張り上げてくれ」

 城戸は叫んだ。

「いっちゃん。早く行きなよ。呼ばれてる」

「一緒にいこ」

「早くいきな。もうセックスしてあげないよ」

「わかったよ」

 村木は靴を脱いでズボンを膝まであげてから川に入った。

「アベックのにいちゃん、早く来い。体力限界」

 村木はジャボジャボと川を歩く。

「早く」

 ライフジャケットに手をかけた村木は細い腕で精一杯の力で悟を引っ張り上げる。腕の血管がくっきり見える。

「よいっしょ」

 村木は悟を引き上げた。勢い余ってしりもちをついた。

「よかった。防水スマホで」

「にいちゃん。上まであげてから休め」

 悟は城戸らの肩を借りて岸に上がった。

「はい。ウォータースライダー終わり」

 城戸は悟に目を合わせた。

「すいませんでした」

「そんなに元気だったらだいじょぶだ。次は日本海まで行くか」「冗談はやめましょうよ」

 城戸は手を叩いて笑った。

「冗談冗談マイケルジョーダンだな。まあ、にいちゃんも頑張ったよ。そのほそっこい腕で」

「うん。うん」とのぞみはうなづいた。

「お父さんは体、だいじょぶですか?」

「俺もじいさんからずいぶんと格が上がったな。お父さんが最上級か」

「あのときはすいませんでした」「嬢ちゃん。じいさんなめんなよ。プールとパークで鍛えたこの体」

「パークってなに?」

 村木はのぞみの耳元で呟いた。「パークゴルフでしょ」

 林道に一台の車が止まった。

 

   診療所。

 駐車場にはランクルが停まる。 待ち合い室の椅子、城戸と村木らが腰掛ける。診療室からは医師の声と田口と愛実の平謝り。そして、扉が開いた。

「どうもすいません」

 その平謝りはまだ続いた。顔をあげた城戸ら。

「幸い、打ったところ軽い打ち身で、低体温症もありません」

「そう、よかったな。坊主」

 城戸が目を合わせると悟は笑った。

 

いいものは漠然としている

 

 目覚ましが鳴った。

 スマホの液晶には

 5:45と表示。

「のぞみちゃん鳴ったよ」

 村木とのぞみが横になるパイプベッド。のぞみがゆっくりと体を起こした。

「もう一回寝れるかな?」

「なわけないでしょ。早く行きなよ」と村木がしゃがれた声で言った。

「はいはい」

 村木は再び眠りについた。

 それから、数時間経ち。再び、目覚ましが鳴った。

「もうこんな時間か」

 目覚ましをとめた村木は洗面台に向かった。身支度を整えた村木はPCを開き、スカイプ画面を出す。数一〇秒後、画面に男性の顔が表示された。

「おはようございます」

 イヤホン型マイクを耳に掛けた村木は画面にお辞儀をした。

「おはよう」

 農協の研修生・のぞみと同棲する村木の仕事はウェブデザイナー。主に札幌の飲食業社がクライアント。

「公式ページ、リニューアルしてから反応いいよ。閲覧者数も伸びてるし」

「そうですか。ありがとうございます」

「そっち行ってから調子いいんじゃない。えーと、室蘭じゃなくて。鈴蘭でもない」

「鈴木蘭々でもないですよ。毎回このやり取りですね」

「ああ、蘭越だ。蘭越町」

「調子いいです。ここに来て三ヶ月。色々と面白いですよ。こっちは」

「なんにも無いのに?」

「なんにもないぶん、人が面白いですよ。こないだもかっぱみたいなじいさんが川でこどもを助けたんですよ」

「それは面白いけど、何かと不便でしょ。山と川しかない。あっ海もあるんだっけ」

「いいんですよ。それが。キャンバスは白紙にしとくと、時々とんでもない絵になるんですよね」

「うーん。わかんない。

髙橋 伸次

髙橋 伸次

まあ、充実してるのかな。何ヵ月か前の煮詰まった君よりずっといいか」

 村木は網戸の窓に目を向けた。網戸越し、ランクルが通り過ぎた。

 

鮭フレークオニギリの思ひ出

 

 キッチンから夕陽が差し込む、移住体験住宅。

 呼び鈴が鳴る。

 寝そべってテレビを眺める城戸。

 城戸はリビングの壁についたモニターで来客者をチェックした。

「あいつか」

 城戸はおもむろに玄関扉をあけた。

「こんばんは」

 田口が小箱を脇に抱え立っていた。

「なんだ?」

「こないだのお礼です」

 田口は小箱を差し出した。受け取った城戸は小箱の包装紙に目が留まった。

「それ、551か?」 

「そうです。あの肉まんです」

「いや、食ったことはねえんだけど、テレビで何回もやってたからいつかは食いてえなと思ってた」「よかったです。妻の実家があっちなもんでいつもネット注文してます」

「そういえばおっかちゃん、今日見かけてねえな。札幌にでもお出掛けか?」

「これよう、蒸すのか? チンか? どっちだ」

「蒸した方がうまいです。湿らせてラップでチンは邪道です。蒸した方がうまいですよ」

「かびてそうな蒸し器があっから、がっちり洗って蒸してみるわ」

 城戸は玄関扉をあけた。

「なんだ? 度々と。今、豚まん食ってる」と口をもぐもぐさせながら言った。

「大変です。樹が発作をおこしました」

「はっ? 吸入器はだめなのか」「効きません」

「だったら診療所つれてけよ」

「それがですね……ビックマンのファンタグレープ割りを一杯」「バカ。飲酒運転でつかまっちまえ」

 樹をのせたランクルは診療所に向かう。

「辛いか? 坊主」

「発作なんで……城戸さん」 

 後部座席の樹は田口ね膝を枕にして横になっていた。フーフーゼーゼーと異常な呼吸をする。 

「かっぱのじいちゃん。だいじょぶだよ」

「だいじょぶじゃねえな。じきに着く、寝てろ。寝なきゃ蒸し器に突っ込むぞ」

 診療所。

 ベッドには樹。

「ステロイド注射をうちました。今日はこのままにして様子を見ましょう。動かすとあれなんで」

 当番の若い女性医師は病室を後にした。

「城戸さん。樹の着替えをタクシーで取りに行くのでここにいてもらえないでしょうか?」

「バカかお前。お前がいてやれ」

 城戸は立ち上がった。

「鍵は? ないならバールで開けるぞ」

「ありますあります」

 立ち上がった田口はポケットを探った。ベッドで眠る樹の口はゴニョゴニョと動く。

 それから三日後。

 城戸は玄関扉を開けた。

「はい」

 白石環が立っていた。城戸は緊張の面持ちで環を見つめた。

「ストーカーご苦労様です」

「冗談きついぞ。環」

「はい。これ、明日かえるんでしょ」

 環は巾着からアルミホイルに包んだおにぎりを取り出した。おにぎり二つは入っているであろう大きさ。

「なんだ、おにぎりか」

 受け取った城戸は嬉しい気持ちが悟られないように横を向いた。「新米の試験刈り、明日から刈り入れなの」

「新米はうまいよな」

「ストーカーも疲れると思って持ってきた」

「おい。よせよ。たまたま田園風景を撮ってたらお前が飛び込んで来た。ただそれだけだ」

「三日も?」

「三日もだ」

「三〇年も偶然?」

「三〇年前……ああ、現場がニセコでいるのかなと、けつわってないのかなと。確認だろ確認、ただの確認」

 城戸の浅黒い頬が紅潮していった。

「じゃあ、後悔してないんだ。私と別れた事」

「今更何言ってんだよ。俺はじじいで、お前はおばあちゃんだ。互いにくしゃくしゃになっちまったな」

「おぼえてる? 駅の近くの喫茶店」

「四十年以上前じゃん。札幌五輪の年の夏だっけな」

「そうそう」

「びっくりしたよ。俺の地方出張に会社辞めて、会ったら会ったでいきなりお見合い結婚しましただもんな」

「放っておくから」

「そうだな」

「……もう帰らなきゃ」

「そうか」

 

   次の朝。

 セイコーマート駐車場。

 ランクルが停まる。ランクル車内、おにぎりを頬張る城戸。

「鮭フレークかよ」

 城戸はコーヒーを口にする。

「このコーヒーまずいな。セブンイレブンで買えば良かった」

 助手席には菓子箱と樹の書いた手紙。

「さあ、行くか」

 ランクルが動き始めた。

 ランクルは学校、役場、村木の家を通って郊外へ出た。

 コンバインが田んぼを進む。公道のランクルはコンバインを追い越した。

                                             《了》

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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最終更新日 : 2017-02-26 23:51:27

この本の内容は以上です。


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