閉じる


試し読みできます

真夜中の女神

 

取扱店の少ないタール1㎜の細くて長いメンソールのタバコを頼まれた時に買って届ける事、月に数回発行される恐い大人達を特集した雑誌を発売日に調達して届ける事、一月の休日の内の数回は"大蛇"の愛車を洗車する事など、肩揉み以外にも役目が増えた"小鳥"は、

「 すっかり"大蛇"さんの若い衆だなぁ・・」

"大蛇"宅に寄り集まる客人達にまで知られる存在になっていた。

そんな"小鳥"に"大蛇"は自らが保有する時計や水晶のアクセサリーを譲り与え、それを喜んで身に付ける"小鳥"は更に賢明に尽くす日々を送るだけだった。
 
しかしそんな時、

「 甲府駅からちょっと南に行ったトコに"影"っていう良い店があるだわ、イヒヒィ・・」

"山野"という男は実に絶妙なタイミングで連絡をして来るものである。

だいぶ間が空いていた事で懐かしさすら感じた"小鳥"は、その店に興味が沸いた事も手伝ってその誘いを受けると、

「 今日はコレだな・・」

最上級のジャージに着替えて意気揚々に繰り出した。

ほぼ満席の店内で何とかトイレ脇のボックスに座ると女の子が二人付き、

「 イヒヒィ~、久しぶりじゃんねぇ? 今日はちゃんと持ってるから大丈夫だっちことぉ、イヒヒヒィ~」

"小鳥"の不安に先手を打つ"山野"は流石である。

「 おつかれっす 」

「 おぉ、おつかれぇ、イヒヒィ~」

"小鳥"の隣に座る女が ドリンクおねだりの機を探り、

「 ねぇ?」

と言えば、左手の平で"山野"に誘導して、

" いやしき仲にも礼儀あり "

不安定な割り勘を心配する場であっても、主導権は先輩である"山野"に委ねる。

「 イヒヒヒィ~、なんでぇ飲みたいだけぇ?」

小さな小さな世界の片隅で、

" Yes "

と言ったらお気に入り。

" No "

と言ったらラフランス。

何の意味も無い様な会話のキャッチボールの末に"山野"が下した判決は、

「 飲めし 」

良好なスタートを切る事に成功した隣の女は距離をぐっと縮めて座り直し、"山野"も横の女と二人だけで盛り上がる。

それなりに楽しい時間が流れた。

まだ終わりそうもない雰囲気の中、息継ぎでもするかの様にカウンターに視線を回す"小鳥"。

( ん?)

するとそこには不思議な光景があった。
 
こちらに背を向ける形で飲んでいるスーツ姿の中年男の右横には、映える赤のワンピースを着た女が付いていて、それはそれで別段不思議な事では無い。しかしその中年男の右手は、

( ん?なるほどお尻をスリスリねぇ・・ ってオイッ!)

その女のケツをまるで舐め回す様にさすっているではないか。

大胆なその手に悪びれた様子は無く、その女からも抵抗の兆しすら感じられず、そんな事態はこの店内、カウンターの中にいる金髪坊主の女以外なら誰からも見えるはずである。

・・・
 
どれくらいの放心だったのか、

「 ねぇ、ちょっとぉ~」

隣の女がせっついて来る。

「 ん?」

「 ワタシじゃつまらないの?」

「 い、いやいや・・」

まだまだじっと見守りたい衝動を抑えて隣の女に視線を戻す。

「 ねぇ、もう一杯いただい 「 どうぞどうぞ 」

思わずいやしき仲の礼儀から外れてドリンクのおかわりを認める。

すっと席を立った隣の女がカウンターに入って行くのを見送りつつ、その目は中年スーツの右手に吸い寄せられる。

相変わらずの光景に、

( 何なんだ一体・・)

とその時、カウンターからドリンクを持って戻ろうとする隣の女に中年スーツが手招きをした。

それに気付いた隣の女は歩み寄り、

( あっ!)

両手に花ならぬ両手に尻。

中年スーツの左手はそのケツをもいやらしく撫でる。

角度を変えた時に見えた顔は決して美男子ではない。

( 何でだよ!)

憤りを覚えた"小鳥"は視線を外してグラスを一気に飲み干し、そしてタバコに手を伸ばした。

隣の女が戻り、横から火を差し出す。

「 あのさぁ・・」

「 なぁに?」

「 あのおっさんは一体なんでぇ?」

「 えっ?」

「 さっきから女の子のケツを触ってさ「 しっ!」

ボックスからはみ出しそうな"小鳥"の言葉を、隣の女は人差し指でさえぎり、

「 あの人はね・・」

顔を近付け小さな声でささやいた。
 

「 この店のオーナーなの・・」

「 えっ、そうなの?」

「 それでカウンターにいるのがここのママ 」

「 ふぅ~ん・・ って事はさぁ、ママはあの人の女?」

「・・・」

「 "小鳥"ぃ、あれはおまん"大元"さんだわ、イヒヒィ~」

突然会話に参加して来た"山野"はどうやら中年男を知っているらしく、更なる説明を続ける。

「 あの人はなぁ、ここらじゃ有名な不良だわ・・ 昔は石和の街中を派手な車で走ってなぁ、俺らの憧れだった・・」

「 へぇ、すごい人っすかぁ 」

「 "小鳥"ぃ、周りのテーブルをよく見てみろ・・ ありゃぁ大体があの人の若い衆だ、イヒヒィ~」

そう言われて見渡せば、派手な服装をしたイカツイ男が目立ち、"小鳥"の声が届いていたのかどうか、

( ん? 恐えぇなぁ・・)

一人の男がじっとこちらを見ている事に気付いた。

要するに、この店のオーナーは一見素人に扮して女のケツを触ったりしているが、その周りでは若い衆が万全の体制で備えている訳である。

( ははぁ、暗黙の了解ってやつか・・)

良い女を横に座らせて好きにして、何に臆する事もなく酒を悠々と飲む姿に、

( かっけぇなぁ・・)

これ程の若い衆を抱える源は、金か組織力か人望か、はたまた恐怖か信仰か、表面には見えない何かがあるのだろう。"小鳥"が同じ事をしたら、すけべと罵られ、つまみ出されてもおかしくはない。

世の中にはまるで同じ事をしても許される人とそうでない人がいるという疑念を何となく抱えていた"小鳥"の中で、さっきまでの憤りは憧れに一変していた。

それからと言うもの、

「 "大元"さんとこで飲みましょう 」

憧れの人を近く語っては勝手に満足感を得る始末で、この店で飲みたいが為に"山野"との酒を不問にした。
 
"大蛇"の肩揉みを終えた"小鳥"がクラブ"影"に到着する。

思えばだいぶ通い詰めている。

「 おぉ、遅かったじゃん!おっちゃん、へぇ酔っぱらったったじゃんねぇ、キャハハハ 」

合流を待つ"山野"はひとりでは心細かったのか、"キビヤマ"と二人でトイレ脇のボックスに座って飲んでいた。

( いつもこの席だな・・)

とどうでも良い様な事を考えながら席に合流する。
 
「 ほぃじゃ、かんぱい 」

「 おぅい、おっぱぁい 」

「 これ、"キビ"ぃ~」

"キビヤマ"の加勢によって盛り上る中、

( ん?)

"小鳥"が不意に感じた細たる異変。

水割りを持つ手を一瞬止めて両足をやや広げ、太ももに肘をついて両手を前に組み、その真偽を確かめようとすると、

「 なんでぇ、"小鳥"はへぇ酔っただけぇ~?」

敏感なる観察力が付いて回るこの手の席で、確かにふわりとしたほろ酔いの心地良さが急に嘔吐を司る不快に変わる事は何度もあったが、この指摘は的を外している。

「 いや、大丈夫っす 」

「 ほうけ、ほぃじゃまぁ飲めし 」

「 うぃっす 」

俄かに感じた何かは過ぎた様に隠れ、屈んだ体制から上半身を起こしてタバコに火を付ける。そして煙を吸い込むと、

( ん?)

" ツッタカタ~、ツッタカタ~、ツッタカツッタカツッタカタ~・・"

遠くの方から俄かに近付いて来るあのマーチ。

授業中に先生に手を上げてトイレに行く断わりを得る事に恥じらいを覚え、終業のチャイムが鳴るまで冷や汗を垂らしながら堪えた学生時代の窮地が"小鳥"の記憶に蘇る。

( 帰ろうかな? 踏ん張れるかな? いや無理だろな? どうだろうな?)

「 ねぇ大丈夫?」

「 んん、うん 」

こんな時、飛び交う言葉すらも助長するのは何故だろう。

「 うん 」

と返しただけなのに、心の中では、

( うん、こ!)

などと唱えてしまう。

肛門筋という最後の砦が踏ん張れるかどうかの自問自答も、たぶん無理だろうという弱気が前に出る。

( 急用があるっつって店を出て漏らすか? いや、あの感触は簡便・・ べん?)

"大蛇"宅から帰宅する途中で漏らしたあの日の不快感を思い出してしまうと、

( 此処でするしかねぇか・・)

店外へ出るのを諦めるのは早かった。

りんごが木から落ちる様に偉大なる人類は口から入れたものをケツから出す。

( 恥ずかしい事じゃない・・)

かわいい声した娘でも、綺麗な顔した娘でも、スタイリッシュな娘でも、皆変わらないのである。

とその時、

( ん?)

険しい顔で伏せ目勝ちに冷や汗をかいている"小鳥"を囲む周りは、どうやら酔い潰れる間際の最終ショーと思い込んでいるらしく、

「 ちっと寝かせておけし・・」

「 "専務(大蛇)"に呼び出されて疲れてるだわ・・」

そんな言葉が聞こえて来る。

たかだかではあるが、人生とは万事こういう事なのかも知れない。

他人を計る物差しなどは基準の尺度は計り手で、精度は甚だデタラメなのである。だからこそ、計られる側はそれを逆手に取り、時に自分を演出したり装飾したりと知恵を絞りもする。

周りが悪酔いを疑っているならば、

( ゲロっぽく誤魔化せる!)

それを上手く利用しない手は無かった。
 
「 ちょっとトイレっ 」

隣の女に断ってフラッと立ち上がる。

「 大丈夫けぇ?」

"山野"の言葉を背中で受けながら、すぐ傍の扉に手を伸ばし、そして極めてゆっくりと扉を閉めた。

見送る側には悪酔いの予感があるとしても、見送られた側の"小鳥"は腹痛の悪寒である。何も告げずに入ったトイレで音姫的な効果を狙って水を流すと、この音が消えるまでがいわゆる勝負となっていた。
 
力んだ拍子に先発する屁の音が響くのは避けたい所で、そっと力を肛門に入れて、

「 スゥ~~、プピッ 」

無事にほぼ無音の屁を出し終える。

「 ふぅ~~」

一刻も早く済ませて席に戻れば、まだまだ小便とも解釈される。

「 んふっ!」

( ? )

「 んふっ!」

( ? )

しかし肝心のアイツがスカッと出ず、

( まずい )

小便っぽく済ます事に無理が生じる。

何度も力んでいる内にチロチロと出たのはとても小分けで、

( まだまだ掛かる・・)

長期戦の予感に、

( もう少し、もう少し様子を見てから入れば良かった・・)

人生に付き物と言われるまさかに、トイレに入るタイミングを悔やんでみても後の祭りで、小便ぶる事を諦めた"小鳥"はゲロっぽく帰還する事を決意した。

( これならば多少の時間は心配ない・・ むしろ周りはそう思い込んでいる・・)

肛門にぐっと力を込める。

( ここは何としても出して・・)

「 んふっ!・・ンンンフッ!」

( よしよし・・ もうちょっと・・)

何とかコルク栓の様なゾーンを放り出すと、その上で暴れていた悪寒の原因ビチビチゾーンのお出ましとなった。

ここまで来ればゴールは近く、

( そぉ~っと、そぉ~~っと・・)

所要時間を少しでも短縮する為に、音を立てない様に注意して踏ん張りながらのトイレットペーパー巻き取りを試みる。

しかし、

「 帰るまでが遠足です 」

小学生の頃、先生がよく言っていた言葉の意味をここからまざまざと痛感する事になった。
 
突然の腹痛による排便を何とか済ませて、いよいよお尻の割れ目に人類の偉大なる発明のひとつとも言えるトイレットペーパーを宛てがおうとしたその時、

" コンコンッ "

( ビクッ!)

今宵二度目のまさかである。

予想もしなかったノック。

当然の事ながらドリンクをねだる事を生業にしている女達は放尿の頻度が高く、"小鳥"の事情に合わせてトイレを我慢するはずもない。それは冷静に考えれば何の特別でも無いのだが、後の立ち振る舞いばかりを気にしていた"小鳥"にとっては構えの無い所に球が飛んで来た様な状況だった。

そんな状況で"小鳥"が取った行動は、

「・・・」

そう、フリーズである。

何故かしら微々たる音も立ててはならぬかの様に無音の個室を演出してしまうと、扉の向こうでも一瞬耳を澄ませるかの様な間があり、

" コンコンッ "

( うおっ!)

再びのノック。

「 お客さぁ~ん、大丈夫ですかぁ? わ・た・し・もトイレに入りたいんですけどぉ~」

" コンコンッ、コンコンッ "

「・・・」

すぐに拭いて出れば良いものをテンパルとはこういう事で、何故か無音にこだわる"小鳥"は、右手にトイレットペーパーを持ったまま微動だにせず、すこぶる長くも思える束の間、お尻を拭く事をためらい中腰で固まっていた。

いくらノックしても返事が無い状況に、

「 ママぁ~、お客さんの返事が無いんですけどぉ~、ワタシもう漏れちゃいますぅ~」

三度目のまさかだった。

( うっそ!)

向こう人が取った行動による大ピンチ。

このままではトイレの中で泥酔していると誤解されて、今にもママによって解錠されてしまいそうな流れに、

( まずい!今はまだ丸出し・・)

ゲロっぽく帰還する事も諦めるしかなかった。

取り敢えず向こうからの強制解錠だけは避けねばならず、

「 もう出るよ!」

" コンコンッ "

健在を知らせる返事とノックをしてすぐに、

" カランコロンッ、カランコロンッ "

軽快にトイレットペーパーを巻取る音を響かせながら、

( オワッタ・・)

散々練った作戦も散々な結果となれば取り繕うものは何も無く、思わぬ便所襲来者に憤りを感じながらお尻を拭く。

すると、

(?)

" カランコロンッ "

(?)

" カランコロンッ "

(?)

" カランコロンッ "

(?)

四度目のまさかである。

いつもならば多くても三度目辺りにはケリが着く作業が長引く。

( くそっ・・)

「 お客さぁ~~ん、早くぅ~~ 漏れちゃいますぅ~」

向こう人も声の調子から相当な所まで来ている様で、

( 彼女を救えるのは俺しかいない・・)

訳のわからぬ使命感に、

" カランコロン、カランコロン・・"

「 よしっ 」

ようやくだった。

しぶとい悪寒の要素を完全に切り離し、まさかの連鎖もいよいよ決着の時と思われた。
 
パンツを上げてジャージを戻し、クルリと振り向いて左手を水洗レバーに伸ばす。

「 なんでぇ、うんこだっただけ?」

扉の向こうからは、こんな声がすでに聞こえて来る様である。

まぁしかし、今更男たるもの潔く、哀愁と悪臭が漂う個室に別れを告げるべくして水洗レバーを引き上げる。そして右手でドアレバーを握り締め、汚物が流れ去ったらすぐにでも開け放とうと構えた。

すると、

" ブクッ・・ ブクブクッ・・ "
 
渦を巻いて吸い込まれて行くはずの水流は、変な音を出したかと思うと上に上にと浮上して来て、

( マジで?)

五度目のまさかに問い掛けるも答えは貰えず、再びレバーを引き上げていた。

(・・・)

するとそこには何やら先人達の汚物までが登場し、しかも水かさは更に上がり、このままではもう便器から溢れる事は間違い無い状況に見えた。

( 便器も吐くんだね・・)

" ガチャッ "

力無く開けた扉の外には、漏らさずに済んだという安心感と、ここまで堪えたという達成感が入り混じった様な微笑を浮かべて、ようやくの開放を向かえる女の姿があった。

それが横をスゥッっとすり抜けてすぐに、

「 きゃぁ~~~~」

崩れた微笑が見える様だった。

トイレに入れなかった女が取り乱すと店内は騒然となり、野次馬と化した客達の視線が一斉にトイレに向けられる。

そんな状況に順序立てての説明も謝罪も出来る状態では無くなってしまった"小鳥"は、放心して座り込むとその行く末を見守るだけだった。
 
飛び交う音もぼんやりと遠い感覚の中、二の腕を露わにした薄いドレスをまとい、涼しげに表情を整えたひとりの女性が小刻みに動き惑う店内を背景にしてまるでスローに際立つ。

"小鳥"がこの騒動の発起人である事も忘れて見惚れていたその女性は、いつもカウンターの中にいる金髪坊主のママだった。

ママは誰しもが遠巻きの傍観をするばかりで近付こうとしないトイレに進むと、ためらいも無く便器に近付き、するとどこにあったのかその手にはスッポンを持っていて、それを滑らかに沈めた。

( あぁ・・)
 
取り乱していた女がトイレに入り、事の収束を知らせる。

( なんで女なのに金髪で坊主なんだよ・・)

こんな印象しか抱いていなかったはずのママが、

( なんて美しいんだ・・)

何一つ変わらない見た目がまるで違う価値観を抱かせる。

「 すいません、腹の調子が悪いんで今日は先に帰ります・・」

「 大丈夫けぇ?気を付けて帰れし・・」

途中棄権した帰り道、

( "大元"さんがママを任せる訳だよなぁ・・)

あのワンシーンで毅然とした姿を見せたママは、まるで真夜中に正体を見せたかの様に神々しく、普段隣席で酒をねだる女とは明らかに別だった。
 
 

試し読みできます

限り

 

大人の仲間入りとされる大きな節目である二十歳の誕生日をただの一日として過ごしてから数日後、かつて栃木で出会った"イズミ"から連絡が来た。

「 もしもぉ~し"小鳥"かぁ?」

「 あっ、おひさしぶりっす 」

「 おぉ、元気にしてっかぁ?」

「 はい、なんとか・・」

「 そっかぁ・・ あのよぉ~ 仕事でそっちに行くんだけど積み込みは明日の朝でさぁ、たまにはお前と酒でも飲もうかと思って電話したんだけど、今夜空いてっかぁ?」

「 はい、8時以降なら大丈夫っす 」

「 そっかぁ、そしたらそっち着いたら電話すっからよぉ、トラック止めるトコまで迎えに来てくれるか?」

「 はい、じゃっまた後で、失礼します、はい・・」
 
不発に終わった二十歳の誕生日を反動にして、浮き足立って迎えたその夜。

「 どぅも、おひさしぶりっす 」

「 おぉ、なんだお前、ずいぶんと良いもん食ってるみてぇだなぁ 」

「 へっ?そうっすか?」

「 おぉ、だいぶぽっちゃりしてんぞぉ 」

「 ははっ、すいません 」

"イズミ"と栃木で出会った頃は栄養が不足していた時で、その後、夏場の青果で再会した時も多少ウェイトを戻してはいたものの大量の汗を流した衰弱期だった。

それがこの所、"大蛇"宅での豪華な料理と夜な夜な詰め込む酒やら何やらで体重は98kgにまで増えていて、そんな"小鳥"を久々に見る"イズミ"にはその変化が真っ先に気になったのだろう。

普段着がスウェットやジャージになると不思議とデブ化が加速する事や、トラックの乗降にも息が切れる事、排便の量も回数も日に日に増える事、時折鏡の前で悩む事などを会話にしながら、

「 近くで飲みたい 」

という"イズミ"の意向に沿って山梨市に向かった"小鳥"は、知らないながらも酒場の雰囲気を探して車を走らせた。

すると、

「 あそこはどうだぁ?」

隣に座る"イズミ"が指差す方向に、

" スナック ゆりこ "

紫色のネオンサインが淋しく夜に浮いているのが見えた。

「 了解っす!」

扉を開けて店内に入る。

気だるい感じが漂うママと偶然遊びに来ていた様な真面目そうな女がカウンターに座っているだけで客らしき姿は無く、盛り上がりそうもない雰囲気ばかりが漂っている。

「 "イズミ"さん、此処で大丈夫っすかぁ?」

「 おぉ、俺は何処でもいいんだよ、まぁ飲むべぇ 」

二人は小さなボックス席に腰を下ろした。

すると真面目そうな女が酒を用意して"小鳥"の隣に座り、

( なんだコイツ・・)

悪気も無く空気を読めない人はどこにでもいるものである。

「 あのさぁ、こっちじゃなくて・・」

"イズミ"を不機嫌にさせてしまう事を恐れた"小鳥"が慌てて女の肩を叩いて移動を促す。

「 いや、いいよいいよ 」

しかし"イズミ"はそれを止め、結局女は"小鳥"の隣に落ち着いた。

「 名前は何て言うの?」

「 "ミミ"です 」

「 あぁ、そう・・」

やや気まずく始まった再会の宴。

「 カカシ(商運)で上手くやってんのかぁ?」

「 はい、何とか・・」

「 そっかぁ 」

・・・

最近の報告も尽きてしまうと場は静まり、

( やっぱりな・・)

会話を盛り上げる気配も無い"ミミ"を横にして、入る時に感じた嫌な予感がまんまと的中してしまった事に焦る"小鳥"は、

( 何かねぇか・・)

このまま盛り下がる事を回避する為に高速に思考を働かせていた。
 
( そうだ!)

ここで思い出したのは、ケラケラ笑いながら場を明るくして、いつのまにかのスキンシップを成し遂げていた"キビヤマ"の姿。

( "イズミ"さんも喜んでくれるに違いない・・)

この配置を逆手に取ってあの日の"キビヤマ"を真似れば、今更の席替えよりも遥かに盛り上がる様に思えた。
 
「 あのさぁ、実は俺、女の子の歳がわかっちゃうんだよねぇ 」

「 えぇ~、本当ですかぁ?」

「 嘘だと思ってるでしょ?」

「 だって嘘っぽぃもん・・」

「 わははははぁ~、じゃぁ当てちゃってもいいけ?」

「 いいよ、言ってみて 」

いきなり摩り替わった話題に、注目はしているものの"イズミ"にはまだ笑顔が見えない。

( 何とか三人が盛り上がる方向へ・・)

「 それじゃぁさ、当てたら店が終わった後付き合ってよ 」

「 えっ?」

「 それくらい約束してもよくね? 当たったらの話だし 」

「 そうだよ、当たらなきゃいい話だべ?」

ここで"イズミ"が会話に加わり、

「 う、うん・・ わかった 」

二人の男に押されては、"ミミ"も受け入れざるを得なかったのだろう。

酒も程よく入った"小鳥"は普段よりも大胆な気分に任せ、

「 いいけぇ~、実はおっちゃんは乳首を触れば歳がわかっちまうんだ 」

「・・・」

固まる"ミミ"を見て"イズミ"が鼻で笑う。

あの日の"小鳥"がそうであった様に"イズミ"もある訳がないと思っているに違いない。

「 大丈夫大丈夫、ちょっと触ればすぐわかるから・・」

"小鳥"が隣に座る"ミミ"の肩に手を廻す。

その指先が上着の袂に延びた辺りで"ミミ"は両手でその手を押さえ付けた。

「 駄目け?」

「・・・」

「 ちょっとだからマジで・・」

嫌とは言わせられない緊張感が伝わったのかどうか、その手に絶対的な抵抗は無く、次の瞬間には"ミミ"の両手を潜り抜けた"小鳥"の指先は胸元へと飛び込んでいた。

"イズミ"の視界から隠れた世界で、"小鳥"の先端がブラジャーを捕える。

( あと少し・・)

そしてようやく辿り着いたふくらみの頂点で浮き輪の空気注入口の様な突起を、

" ちょんちょん "

すると、

「 むふん・・」

恥ずかしそうに目を細める"ミミ"。そしてその光景に釘付けになっている"イズミ"。

"小鳥"は両者を視界に捉えながら、

「 わかっつ! 26!」

その途端、

「 あのぉ、違うんですけど・・」

"ミミ"は目をぱっちりと開き、寸前の表情が嘘の様な正気を見せた。

「・・・」

とその時、

「 ぎゃはははぁ~」

"イズミ"は大きな笑い声を上げていた。

酔いの当てずっぽうは見事に外れたが、スキンシップの効力は凄まじく、その後の三人はだいぶ打ち解けてしばらく盛り上がり、そして明日を気にした"イズミ"に従っての去り際、

「 ほいじゃぁ、外で待ってるから終わったら電話してぇ 」

"小鳥"は歳を言い外しておきながら、約束を果たして貰おうとするボケをかまして店を出た。

二人になった車の中では、

「 明日は早いからよ・・」

トラックで寝ると言う"イズミ"に、

「 今日はお誘いありがとうございました、マジで嬉しかったです、けど変な酒になってすみません 」

"小鳥"は改まってお礼を伝えた。

「 楽しかったよ、お前も元気そうで安心したし、まぁ色々あんだろうけど、がんばれなぁ・・」

「 はい 」

「 ところで最近"もぐら"から連絡来てるかぁ?」

「 いや、最近はまったく無いっすね 」

「 そっかぁ・・」

「 何かあったすか?」

「 いや、別になんもねぇけどな・・」

その時、"小鳥"の携帯が音を立てた。

「 ちっとすみません 」

急ぎ早に携帯を耳に当てると、

「 もしもし、今終わったけど・・」

まさかの"ミミ"である。

「 あらっ、ちっと待って・・」

携帯を太ももに伏せて、

「 "イズミ"さん・・」

「 どうした?」

「 さっきの女っす 」

期待せずに書き残して来た携帯番号のメモがまさかのご利益となり、

「 戻れ~~」

「 はい!」「 もしもし? すぐに迎えに行くから待ってて 」

終わりそうだった夜が吹き返した。
 
"ミミ"を乗せ、一宮インター沿いのモーテルへと向かう。

早朝積み込みの"イズミ"を気遣った"小鳥"が、

「 ホテルでいい?」

と単刀直入に聞いた時、

「 うん・・」

"ミミ"は抵抗を見せる事も無く、すんなりと返事をしたのである。

程無くしてモーテルの一室に到着してからは、おもむろに上がり込む"小鳥"に対して"イズミ"は早かった。

素早くベッドまで行ったかと思うとくるりとこちらへ戻り、"ミミ"の手を取り"小鳥"に一言、

「 おまえ、あっちに行ってろよ 」

( へっ?)

あっちと言われて思い当たるのは風呂場しかない。

「 オレ、風呂場っすか?」

「 おぉ、服脱いで風呂でも入って待ってろ~、終わったら交代すっからぁ~」

「 はい・・」

急いで服を脱いで風呂場に身を収めた"小鳥"は、始めこそ照明のパターンが色々と切り替わる事に興奮していたが、それに飽きてからはお湯でも張ろうかと湯舟に歩み寄った。

( ん?)

壁が微妙におかしい事に気付く。

10センチ角程のタイル張りの壁のちょうど目線の辺りの1マスだけがやたらと透明感を放っているのである。

そして、そこに近寄ってみると、

「 うっ!」

その透明感を放っていた1マスは本当に透明で、覗き穴的な機能になっている。

一瞬ではあるが、そこからプリっとしたケツが見えた様な気がしてすぐに目を逸らす。

栃木で出会った時の事を思い返しながら、

( "イズミ"さんのケツ・・)

「 見れる?」

大切な恩人の一人に対しての振る舞いがどうあるべきか、素っ裸の状態で腕組みをして悩んだ結果、

「 そこにケツがあったから・・」

ある登山家の言葉を都合良く思い出すと、

( 女の扱いを"イズミ"さんは体を張って教えてくれているに違いない・・ 俺にはきっと見届ける義務がある・・)

"小鳥"は壁の向こう側を覗き込んでいた。
 
例えばこんな言葉がある。

" 男は船で女は港 "

同一の種ながらも凹凸を頼りに性別を分けている我々は女方に受身の表現を宛がい易いが、"小鳥"が覗く向こうでも、まさに"イズミ"が"ミミ"に身を覆い被せ、主導的な感じを存分に醸し出している所だった。
 
鳥肌を立てながら見つめる向こう側。

すっかり裸の"イズミ"に対して仰向けになっている"ミミ"は未だ服を着けたままで、それに加えて"ミミ"の両足は頑なに閉じている様にも見える。

一体どんなささやきが交わされているのか。

" クネクネ・・ "

" クネクネ・・ "

(?)

待たせる人と待つ人、大抵待つ人がその時間を長く感じてしまうものである。

" クネクネ・・ "

" クネクネ・・ "

( イライラ・・)

鳥肌の"小鳥"は一旦くるりと振り返り、

「 う~~~、何やってんだよ 」

両腕をさすりながら小声で呟く。

服を着たくとも外へは出られない状況で、ふと股間を見下ろせば、

( そういえば俺・・)

完全体とは言えない自分が無性に愛おしくなる。

" びよぉ~~ん、びよんびよぉん "

長めの皮で遊び出してからしばらく、

「 はぁ~~」

( やはり見届けよう・・)

気を取り直す。

それまでにどの位の時が経っていただろうか、

" ガチャッ!"

不意に扉が開き、

「 んほっ!」

思わず声を上げて股間を隠し、

「 もう終わったすか?」

「 ばぁか、アイツがなかなか許さなくて、よくよく聞いたら最初はお前がいいんだってよ、そんなのどうでもいいべっつったけど俺も無理やりって訳にはいかねぇからよ、チェンジッ!」

「 へっ?」

「 いいから、とっとと頼むわ、ほれっ 」

「 はっ、はい!」

風呂場を飛び出て小走りで向かう途中、

( "イズミ"さんも絶対覗く・・)

覗いてしまった"小鳥"には"イズミ"の行動が予想出来た。

おとなしく"ミミ"の要望に従った"イズミ"に対して、

( 意外と優しいんだな・・)

と感じながら"ミミ"の耳元に近付く。

「 おぃっ、何で嫌とかいっちまってんの? 俺の兄貴分なんだから俺が先っつったら気分悪くすんだろ?」

風呂場に声は届かない。

しかし、あからさまな会話の動きを見抜かれては困る。もぞもぞと攻める様なカモフラージュをしながらの問い掛けに対し、仰向けの"ミミ"は静かに言った。

「 あの人は・・」

「 ん?」

「 あの人とは・・」

「 うん 」

「 絶対いや!」

血の気がさぁっと引いて行く言葉に、

( 何で来たのさぁ~~)

"小鳥"は心の中で叫んでいた。
 
そしてこの時、

( コイツはやったらマズイ・・)

"小鳥"は瞬時に悟っていた。
 
"イズミ"が語った昔話の中には、

「 ジュントロの売人をしていた頃なぁ、商売もんに手を出したらそいつを口から流し込まれちまってなぁ、そん時はさすがに死ぬかと思ったよ・・」

こんな話があったのを覚えていた。

そんな世界の住人がご機嫌斜めになれば想像の及ばない荒技を繰り出して来る可能性は大であり、

「 おぃお前さん、兄貴と今夜はひとつ、どうにかならんかね?」

「 あの人とも?」

「 あぁ・・」

どうにかして 「 うん 」と言わせたい"小鳥"は極力穏やかに尋ねた。

すると、それが功を奏したのか返って来た答えは、

「 無理!」

「・・・」

これは"ミミ"の人徳なのか、この状況で臆せずの自己主張は"小鳥"のツボをくすぐり、不思議と怒りは込み上げなかった。

しかし、今の一番は"イズミ"であり、今後の展開次第では"ミミ"が犯罪の被害者になる可能性もはらんでいる。

「 わかった、そしたらいいかい? 兄貴には俺からうまく説明するから、お前さんは黙って服を直して帰る準備だ、OK?」

「 えっ? しないの?」

「 出来る訳ないでしょ!ったく・・」

少し気だるそうに起き上がり、バスルームへと歩き出す。もちろん演技は始まっていた。

「 "イズミ"さん、すいませんっ、俺も行ったっすけど無理でした・・」

「 何でよ? アイツはお前が先っつって 「 いや実は、飲んだ勢いで来ちまったらしいんですけど、途中で覚めて、そしたら急に恐くなったっつって、今なんかもう泣く寸前で・・」

「 それで時間掛かってたのか?」

「 はい、それで時間ももったいねぇし、ここで無理して問題になるのもどうかと・・」

「 そいつはそうだな 」

「 埋め合わせは必ずしますんで、今日はおとなしくお願いします 」

「 ばぁか、余計な事は考えなくていいわ、いいか? お前も断られてるんだからな? 」

「 あっ、そうっすね?」

「 早く服を着ろ、俺は明日早いんだよぉ 」

苦笑いの"イズミ"に一安心のその直後、"小鳥"の股間を見た"イズミ"は高笑いをして、結果として機嫌を損ねずにやり過ごす事が出来た。

しかし、この夜からしばらくして、

「 "イズミ"がなぁ、ヒトを殺しちまってなぁ・・」

「 えっ?」

耳を疑う知らせが届く事になった。
 
「 あっ・・」

ろくな声にもならない"小鳥"に、

「 まだわからねぇけど、落ち着いたら連絡すっからよ・・」

"とんぼのおやじ"はそう告げると電話を切った。
 
"イズミ"の意識には、その日常には、人を殺す予定も感情も全く無かっただろう。

"小鳥"が聞かされたのは、"イズミ"の運転する大型トラックが国道を走っていた時、後輪部分に自転車に乗った女性が巻き込まれたという内容。

あの日、"ミミ"のいたづらに耐えたのは事件を回避する為だったはず。

( それなのに人を殺してしまうのか?)

ここに来て、人生に対する疑念が更に色濃くなる。
 
この事件が起因したのかどうか、"とんぼのおやじ"が持病の心臓病が急に悪化して集中治療室に入ってしまったのはすぐの事だった。そして、その連絡を受けた"赤鬼"と"大蛇"が揃って飛んで行ったと聞いた"小鳥"が事態の深刻さを感じて落ち着かない日々を過ごしている内に、栃木を拠点にする二州連合の他の男達についても悪い知らせが続け様に届いた。

"三日月"が親指を切断してしまい、トラックには当分乗れない状態になった事、そして、"もぐら"が突如行方をくらました事、である。

やがて帰還して二州連合として活躍する事を目標に据えていた"小鳥"にとって、この一連の知らせは大きな不安材料となった。

( 戻る場所が無くなっちまう・・)

動揺が続く。

"とんぼのおやじ"だけでなく、その周りを固めていた男達が誰一人として健在しない事は母体の壊滅であり、そうなると"小鳥"は無所属になってしまう。

山梨での暮らしは栃木帰還があっての事。そもそも山梨県で働きたいと願っていた訳ではないのである。

( これから一体どうなっちまうズラか・・)

遠く離れた土地にいる"小鳥"は、ただただ日々の仕事をこなしながら事の報告を待つしかなかった。
 
そんな中、カカシ商運に数匹のシベリアンハスキーの子犬が持ち込まれたという情報が"小鳥"の耳に届いた。

何処かの誰かが"赤鬼"に飼い主探しを依頼したとの事で、

「 あのぉ、一匹譲ってもらってもいいっすか?」

「 おぉ、持ってけぇ 」

"赤鬼"はひとつ返事でそれを承諾して、"小鳥"は六畳一間で子犬との数奇な共同生活を始めた。
 
"じゃじゃ丸"と名付け、コンビニ弁当を一緒に食い、出掛けている間は六畳の空間に置き去りにするしかなくても、帰宅すれば"じゃじゃ丸"はしっぽを振って飛び付いて来て、その生活は順調に思えた。

しかし、そもそも自分の世話もやっとの飼い主である。上手く行くはずは無かった。

あっという間に飛び回る様になった"じゃじゃ丸"はあちらこちらに排泄をする様になり、

( これはさすがに・・)

"小鳥"は"じゃじゃ丸"がそわそわとし始めると急いで担いで新聞紙へと運び、

「 "じゃじゃ丸"! トイレはここねぇ~」

「 違う違う! "じゃじゃ丸"っ!トイレはここね~」

躾を試みたが、はじめは優しかった口調も徐々に荒々しくなって行き、

「 コラッ、おまえは何回言ったらわかるんだよ! たくっ!」

最終的には伝わらないもどかしさにオシリを叩く様になっていた。

そしてある朝の事、薄暗く目覚めた布団から薄目に"じゃじゃ丸"を探していると畳の上にむくっとしたものを見つけ、

( ま~たうんこしてやがる・・)

もさっと起き上がり、ティッシュをかき取り歩み寄ったのだが、

( ん?、ゲロか?)

良く見ればそれはやきそばのような塊で、更には何箇所にも及んでいて、

( ん~~、やきそばを食ってないのにやきそばを吐く、これは事件だ・・)

その話題を得意げに語り散らしていると、

「 "小鳥"~、それは虫だっちこと!ちゃんと虫下し飲ましてやらんきゃダメさよぉ~」

"つぼみ"から鋭く突っ込まれる事になった。

「 えっ?」

聞けば動物病院と密接に関わりながら予防接種やらも受けさせなければ狂犬病の恐れもあるという事で、

( めんどくせぇなぁ・・)

犬らしく生きる"じゃじゃ丸"にとってはまさに数奇だが、ここで"小鳥"は飼い主を続けて行く事に嫌気が差してしまった。

カカシ商運にひょっこりと現われた新入りの"草川"という男が、"アヤカ"という女を連れて、

「 "じゃじゃ丸"を貸してくれないっすか?」

と訪ねて来たのはその夜の事。

この二人は以前から"小鳥"宅にちょくちょくと遊びに来ていて、その度に"じゃじゃ丸"をかわいがっていた。

( 俺とここで暮らすより・・)

そう思った"小鳥"は、

「 "草川"ちゃん、"じゃじゃ丸"さぁ・・」

「 うん・・」

「 持ってっていいよ 」

と声を掛けた。

「 えっ?本当にいいの?」

「 うん 」

「 "アヤカ"、どうする?」

"アヤカ"は目を輝かせて首を縦に振り、そして"じゃじゃ丸"を抱き抱えた。

"じゃじゃ丸"が"アヤカ"の頬を嬉しそうに嘗め回す。

( 決まったな・・)

それを見た"小鳥"は、これで"じゃじゃ丸"は幸せになれると確信を持った。

すると、

「 "小鳥"さん、あの・・」

ここでモジモジとし出した"草川"。

「 何だい?」

「 三万貸してください・・」

( なんだ? "じゃじゃ丸"を借りに来たんじゃねぇのか?)

それは突然の金借りの申し出だったが、

「 いいよ、ちっと待ってて 」

"小鳥"は気前良く三万円を手渡し、満面の笑みを浮かべる"草川"と"アヤカ"、そして"アヤカ"に抱き抱えられた"じゃじゃ丸"を見送ったのである。
 
"とんぼのおやじ"が絶対安静の意識不明の中、プリン食いたさに病院の自販機を破壊したと聞いたのは、それから数日後の事だった。

「 ほんだけ元気があれば大丈夫ら 」

と"大蛇"は笑い、それを見て"小鳥"も、これでひとまずは安心だと胸を撫で下ろし、その翌日は、心なしか浮かれた気分でトラックを走らせ、富士吉田の街中に入った。

記録的な大雪となった一度目の冬は、交通に支障の少ない場所にトラックを停める事を一にした配達スタイルだった為、雪に翻弄されながらガムシャラに歩くその距離は長かった。

それが二度目を迎えるとどうなるか?

連日の得意先なら所要時間も検討が付き、

( 大丈夫だろう・・)

除雪で幅を狭くした路地でも、その真ん中にハザードを付けてトラックを停めたまま、ササッと小包の配達を済ませる。

一軒一軒最寄の駐車スペースに停車しての配達ではカロリーの消費量とタイムロスが大きくなる。何度と無く繰り返して覚えたのは、倫理や法律から逸脱していても取り締まりを受けなければグレーとしてまかり通る、要領の良さと主張する手抜きである。
 
とある信用組合に貴重品の封書を届ける業務はほんの数十秒。

スムーズに済ませ、例の如く道の真ん中に停めたままのトラックに足早に戻ると、その前方には黒塗りのセダンが向き合う形で停まっていて、瞬時に奥のアパートへ入ろうとしているのがわかった。

ここで"小鳥"は、

「 カカシの制服を着てれば本職も道を空けるからよ~」

"とんぼのおやじ"がかつて言っていた台詞を思い出した。

( なるほど!"おやじ"が言っていたのはこんな時の事だな・・ どうやら試す時が来たようだ・・)

最早スリムでもない体でゆっくりとそのセダンへと近付くとフィルムの貼られた窓へと顔を近付けた。

ウィ~ンと窓が下がり、中から見えたのはいかにもな感じの男二人。

( 間違いない!)

おそらくこの時、この男達に闘争心は無く、雪の中がんばる運転手さんにむしろ優しく接しようと思っていたのかもしれない。そうであれば近寄る"小鳥"に期待したのはおそらく謝罪で、にこやかに挨拶してトラックをバックして奥の駐車場ですれ違えば何の問題も無かったはずだった。

しかし"小鳥"は、その開かれた窓の隙間から相手を睨み付けるとくるっと背中を見せ、謝罪とは掛け離れた挑発をしていた。

制服の背中に描かれた社名と犬の絵を必死に見せ付けながら、

( よしよし、これで黙ってバックして道を譲るに違いない、俺は前進あるのみ、さて、車に戻って次の配達先だ・・)

ふてぶてしく、ゆっくりとトラックへ戻る"小鳥"の背中を、セダンの男たちはどんな気持ちで眺めていたのだろうか?

尺もいっぱいにトラックへ乗り込むと、

(・・・)
 
目の前の黒いセダンは一向にさがる素振りを見せず、しかも男達は険しい顔で睨み付けていて、

( はて?)

俄かに嫌な予感も込み上げるが、"とんぼのおやじ"に間違いがあるとは思えない。

( ん~ よく見えてなかったのか?)

上着を引っ張り背中に間違い無くロゴが付いている事を確認する。

するとその時、何やら怒鳴り声が聞こえた。

"小鳥"が視線を前に戻すと、運転席の男は窓から顔を出して口を大きく動かしている。その表情は何ともイライラとするもので、"小鳥"はドアを開けて再び雪の路地に降り立つと、運転席のシートを倒してその後ろに積んである道具袋を引っ張り出した。

( 新入りだと思って舐めやがって・・)

道具袋の中からタイヤ交換用のレンチを手にしてセダンへと向かう。

すると、

「 てめぇ!事務所に来いや~~」

( えっ?この先のアパートがそうなのか? 此処で騒ぎがでかくなれば応援部隊も駆け付けたりして?、やばい・・)

相手の視界にまだ映って無い事を良い事に秘密の道具をそっとしまい、今までの一連の行動が無かったかの様にトラックを走らせた。もちろんバックに。

すれ違い様に睨み付ける粘着質な男達を何とか見送って大通りへと出た後は、

( 何故だ?)

そこからの配達は、もはや心の抜けた所作だった。

( 制服に間違いは無い、トラックにもカカシの行燈は付いている、なのに相手は道を開けなかった・・)

物事には道理というものが付いて回るが、何かしら相手を黙らせるキーを持っていれば道理を無視してせいせいと振舞える。

カカシ商運所属というキーを持っていたはずの"小鳥"にはこの事態が納得出来ず、この日の内にこの話をカカシ商運の事務所に持ち込んだ。

事務所のソファに座ると、

「 ほぃで話ってのはなんだぁ~?」

「 はぁ・・」

対面に座る"大蛇"が口を開く。

"赤鬼"は少し離れたデスクに座り、灰皿に火のついたタバコを置きながら更に新しいたばこをくわえて煙をくゆらせている。吸っているタバコを忘れて次のタバコを吸い始めるのは"赤鬼"の得意技で今更驚く事ではない。

「 まさかおまん!辞めるなんてこくじゃねぇらなぁ?」

「 いや、それはないっす、ただ・・」

"小鳥"はこの日の出来事を話した。

"とんぼのおやじ"にかつて聞いた事がその通りに行かなかった事、歴代が築いたカカシ商運の伝統を自分が止めてしまった事、そしてその理由が自分の迫力の無さによる物だったのかどうか。

一通り話し終えて謝罪でもしようかと改めて顔を上げると、

「 おまん、よく無事にけぇれたなぁ、がっはははは・・」

「 まったくなぁ、このオバカッチョ!」

真面目に聞いていたはずの二人からは揃ってバカ笑いが飛び出した。

「 へっ?」

お説教でも始まるかと思っていただけに、まさに意外な展開だった。

「 あのなぁ、あっちは郡内ずら? 国中のこっちとは違うさよぉ~」

「 あっちは○○系でなぁ、おまんが一生懸命アピールしたって通じる訳がねぇら 」

「 は?はい・・」

「 それに良く考えてみろぉ~、悪いのはどっちでぇ?」

「 自分っす・・」

「 ほぉズラぁ? そんで無事に帰ってこれただから、よっぽど運がいいさょぉ~」

「 たぶんあれズラ? コイツがあんまり馬鹿っぽくて向うも相手にすんのが嫌になったズラぁ、がはははは・・」

結局、笑い話に落ち着いたこの日、

( 俺が恐れて崇めるこの会社も、絶対的な力など無いのだ・・)

"小鳥"はそんな思いを抱える事になった。

戸惑い手探りの時期を過ぎて知らぬ事を一つずつ知り進めている時、そこに身を置く人には熱が入る。時に恋を熱病と言う事もあるがそれと何ら変わりは無い。そしてその全てが見えてしまったと思うと人はそこに興味が持てなくなる。すなわち熱が冷めるという事である。そこで留まらず新たな可能性を求めて進む時、別れは生まれるものである。

まさにこの時、カカシ商運に限りを見た"小鳥"は、その局面にいた事になる。
 
 

試し読みできます

苛立ち

 

小刻みな苛々を抱える日が続いている。

周囲は何処と無く、そんな"小鳥"に対して素っ気無い。それが次なる苛々になる連鎖は、このまま終わりが無い様な気にさせる。

「 もしもし・・ "キビ"ちゃんっすか? 飲みに行こうかと思って電話したんすけど・・」

"小鳥"が自ら飲みの誘いを掛ける事は珍しい。

「 どうしたでぇ"小鳥"ぃ、元気無いじゃん・・ 何かあっただけ?」

「 いゃ、なんだか"キビ"ちゃんと飲みてぇって思って・・」

「 おぉ、じゃぁ石和でうまいもんでも食うけ?」

「 はい、はい・・ それじゃ 」

・・・
 
"キビヤマ"が案内してくれた場所は割烹料理屋。

「 あの・・ 高いんじゃないっすか?」

純和風で尚且つ会計が跳ね上がりそうな店を前に"小鳥"が戸惑いを見せる。

「 んっ? 此処け?」

「 はい・・」

「 大丈夫だっち事ぉ、俺っちの知り合いの店だから気にしないで飲むじゃん!今日は俺がおごるさねぇ 」

沖縄なまりで甲州弁を繰り出し、いつもと変わらぬ笑顔を向ける"キビヤマ"。

「 すいません、ありがとうございます 」

"小鳥"は"キビヤマ"を先頭にして暖簾をくぐった。

店内は入って左にカウンター、右に座敷が延びていて、二人組みの女性が座敷に居るのを見たのかどうか、"キビヤマ"はカウンターに座った。

「 マスター、お久しぶりっしゅ!」

「 おぉ"キビ"ぃ、珍しいじゃんかぁ、店はまだやってんのかぁ?」

何だか可愛らしい挨拶で始まったやりとり。

そこから察するに"キビヤマ"はこの辺りで飲み屋をやっていた様で、"小鳥"はそこに多少の興味を持ちながら二人の会話をしばらく聞いていた。

「 乾杯 」

「 かんぱい 」

ビールで乾杯を済ますと"キビヤマ"は何やらつまみを注文し、マスターが板場に付いて下を向く。

「 "小鳥"ぃ、あのマスターは昔やくざだったさね、一回どっかに逃げただけど戻ってからは此処で商売してて、俺は散々世話になったさね 」

"小鳥"にそっと擦り寄った"キビヤマ"が静かにささやく。

「 なんで逃げたっすか?」

小さな疑問をぶつけてみたが"キビヤマ"は首をかしげるだけで、

「 はいよ!」

つまみを運ぶマスターが近寄って来た事でこの話題は流れた。

そして、

「 "キビ"ちゃん、実は俺、"とんぼのおやじ"に言われた事を・・」

"小鳥"は富士吉田での出来事を話した。

「 ふむふむ、それでどうしたで・・」

「 バックしました・・」

「 ぎゃははははぁ~ おまんはホントおもしろいじゃんねぇ~~」

「・・・」

"小鳥"には笑いのツボが掴めない。

しかし、その話は又もや馬鹿笑いを稼ぎ、

( 間違い無ぇ・・)

自分事の悲劇は、他人にとっては喜劇なのだと身に染みて思った。

ビールを手に取り、

( まぁいいか・・)

一気に飲み干す。

アルコールの作用で徐々に軽やかになって行く流れの中、ふと目をやったガラス戸の冷蔵庫には、15センチ程の金色の缶に入った日本酒が並んでいるのが見えた。

「 あぁ!母さんが好きな酒だぁ!」

マスターに告げて取り出す。

「 どれどれ・・」

この偶然によって、

( 母さん・・)

山梨まで飛んで来てくれたあの日、数枚の一万円札を包み渡してくれた正月、リミッターが振り切れる度に救ってくれた母親が間近に思い浮かび、それから何本も空にして揺れ心地に佇んだ。

「 ちょっと"キビ"ちゃん~、さっきから無視してさぁ・・」

( ん?)

その声は入った時から座敷に座っていた二人組みの女の一人だった。

「 おぉ!"ゆり"~、久しぶりじゃん、いつ来たで?」

「 最初からいたってこん!ねぇマスターっ!」

「・・・」

ギロッと目を開いたマスターは一瞬動きを止めたが、再び板場で下を向いた。

「 ぎゃははぁ~ 知らなかったさねぇ~ 元気けぇ?」

"キビヤマ"は座敷に滑り込み、

「 "小鳥"ぃ、こっちに来ぉし~」

「 はっ、はい 」

四人はテーブルをひとつにして飲み出す事になった。
 
「 "小鳥"ぃ、"ゆり"は俺の元カノさねぇ~」

「 きゃあ~」

「 えっ? マジっすかぁ?」

"ゆり"なる女の顔をまじまじと見つめる。

( うぅ、綺麗じゃん・・)

"小鳥"は20代の後半に差し掛かった風な"ゆり"に、大人の魅力とまだ消えぬ若々しさを感じていた。

( 手当たり次第に手を付けて・・)

まるで"キビヤマ"が美人を総取りしている様な錯覚。

酔いも手伝うと無性に女が欲しくなっていた。
 
同じテーブルに綺麗な女性が居るのだから思わぬ方向転換も仕方がない。

盛り上がる会話の中でもう一人の女が"ゆり"の姉だとわかる。

( 金を払っても、このキャスティングはなかなかあるものではない・・)

何処と無く似ている二人の女を眺めながら飲む酒は美味かった。

ゲラゲラと笑いが溢れるテーブルで飽きる事無く時間が流れる。

酒を取りに行ったりトイレに立ったりしている内に、何時しか"キビヤマ"の隣には元カノの"ゆり"が座り、"小鳥"の横には"ゆり姉"、ひとつのテーブルが二つに分かれる。

「 歳はいくつでぇ?」

「 女性に歳は聞かないもんでしょ?」

「 いいからいいから、とっても綺麗だよぉ~」

「 ねぇ、酔っ払ってるでしょ?」

「 はぁ? 俺には酒は効きませんって、で、いくつ?」

「 ひみつ・・」

「 ぷはぁ~~」

どれ位飲んだ後か、空き瓶や空き缶が並んだテーブル越しにどちらからともなく見つめ合った四人。姉妹の目配せが瞬間で決着を果たすと、"キビヤマ"はさっと"小鳥"の横に来て耳打ちをした。

「 いいけぇ"小鳥"、俺は今から"ゆり"と一緒に帰るから、おまんは姉ちゃんに一緒に送ってもらえし・・」

「 えっ? 方向一緒っすか?」

「 いいから、おまんひとりじゃ心配だから、俺からもお願いするから大丈夫だっちことぉ、きゃはははぁ~」

テーブル全員にしっかりと届く耳打ちの声に異論を唱える者は無く、結局"小鳥"は"キビヤマ"に促されるままに"ゆり姉"とタクシーに乗ってその場を後にした。
 
後部座席にもたれる。

乗り込む時から腕を組んで寄り添う"ゆり姉"はやたらと近く、右肘の辺りには、

" ポヨンポヨン・・ "

タクシーの振動に合わせて柔らかい感触が伝わって来る。

だいぶ酔ったと思っていたが不思議と気持ち悪さは無く、ポカポカと火照る体はその柔らかい感触によって心地良さを感じるばかりだった。

「 運転手さん、山梨市駅を過ぎて立体を越すと、右手にクスリ屋があるんで、そこの駐車場で止めてください・・」

「 はい・・」

タクシーが山梨市まで続く笛吹川沿いの道に入る。

" ポヨン・・ ポヨンポヨン・・ ポヨ~~ン・・ "

舗装も悪くアップダウンも多いくねくね道は右に左に横揺れを生み出し、時にすぅっと離れてはギュゥっと戻るポヨンはボヨヨンになり、"小鳥"のダランもポキンになる始末。しらふなら動揺する事態を確かに飲んだ大量の日本酒は全てをなるがままにさせ、"小鳥"は揺れに任せて密着を繰り返すだけだった。

すると、右腕に絡んだ"ゆり姉"のその手の先は、なんと"小鳥"の股間を撫で始め、
 
( あらぁ、そこ行っちゃうのねぇ~)

などと思ってみても、ここも相変わらずのなるがまま。しかしそんな中で、ついさっきまでのダランだけは、ポキン改めポッキンポッキンになっている。いきなりズボンを内側から押し上げて来るこの神秘。"ゆり姉"とて、今更それが何かくらい知っているはずである。会話はしていても真横で感じる柔肌と股間をくすぐる指先が"小鳥"の意識を奪う。

" ピ~~ "

「 はい、着きましたよ~」

「 はいっ、それじゃ此処で、どうもっす・・」

料金を見て財布を出そうと身を起こすと、一瞬早く手を出した"ゆり姉"から運転手は札を受け取り、

「 いいんすか?」

「 うん 」

「 あの、降りるんすか?」

「 うん 」

「 あら 」

精算を済ませた二人は、

「 タクシー降りちゃってぇ~、ギャハハァ~~」

「 ちゃんとウチまで送る・・」

ベッタリとくっついて、アパートへ向かって歩き出していた。
 
夜の闇が窓際からだんだんと薄くなると、その白みに映し出される事から逃れる様に"ゆり姉"は下着を戻し、髪を掻き撫で整え始めた。

「 帰るのかい?」

「 うん・・」

夢中で解いた生地の胸元を戻しながら答えるシルエットは消耗を果たした今にもはっきりと色気を伝え、手を伸ばせば届く距離にありながら、"小鳥"はその仕草に見惚れていた。
 
「 じゃぁ、帰るね・・」

「 あ、あぁ、送って行くょ 」

とは言ったものの、やはり酒は効いていた。

全身はだるく、うすらと涙が潤み、目を閉じれば瞬時に落ちる限界ライン。

「 いいの、独りがいいわ・・ じゃぁね 」

あわよくばこのまま眠りたいという伏せたる正直に、

「 あぁ、本当に?でもどうやって帰るの?」

「 何とかなるわ・・」

「 そんな、泊まって行きなよ 」

「 ふっ・・ 駄目、旦那が起きる前に帰らなきゃ・・」

「 へっ?」

( 旦那?)

ゲラゲラと笑い合えたひと時に一人の女性を見ていたが、旦那と口にするからには誰かの奥さんという事になる。

特に深くも考えぬまま辿り着いた明朝に、"小鳥"はしばしの放心となっていた。

と、その言葉を最後に"ゆり姉"が部屋を後にする。

( 結婚してたなんて・・)

さっきまでが嘘の様に"小鳥"は眠りを忘れていた。

そしてふと、唯一聞き出していた年齢を冷静に数える。

( 36歳、オレ二十歳・・ 16コ上・・)

結婚している方が自然だった。

夜の酒場で偶然会った男に一夜を捧げた年上の人妻に、

( 家庭で待つ旦那がいながらでも、こんな夜を過ごすのかい?)

そんな疑問を抱いた途端、"小鳥"の中である記憶が鮮明に蘇る。
 
「 お母さんが二十歳の時に生まれたのよぉ、3700グラムもあってねぇ・・」

それは幼き頃に母親から自分が誕生した時の話を聞かされているワンシーン。

今思えば、父親と母親が何をどうして母体に宿り、どこを介して出て来たのか、あの頃気にする事はなかった。両親を父と母として捉えながらも男と女としては捉えていなかった。

"小鳥"は小学生の時には、すでにこんな経験をしていた。

「 あのね、擦るとね、白いのが出るんだよ・・」

「 えっ? "博士"・・ それって、しょんべん?」

"博士"とは同級生のあだ名である。

彼は何故か性に対して豊富な知識を持っていた為、男子生徒から人気を獲得してこう呼ばれていた。

「 ちがうちがうぅ~ "小鳥"くん、今日帰ったら擦ってみるといいよ、そしたら僕の言ってる事がわかるから・・」

半信半疑で帰ったその日、

「 ただいまぁ~」

「・・・」

共働きでヒト気の途絶えたアパートで、ランドセルを投げ置き、制服を脱ぎ散らし、パンツを下ろして座り込むと、

「 擦ればいいって言ってたなぁ・・」

にょろんとしなだれたオチンをおもむろに掴み、聞いた通りに擦ってみた。

するとどうだろう、たまに寝起きに見掛けた現象が自分の手によって起こる。

そして確かに何かが起きそうな予感に、

「 "博士"・・」

いつ頃にそれが出て来るかという詳しくは聞いておらず、ただただ出口の見えないトンネルを進んでいる様な感覚で上に下にと加減も知らずに擦り続けるとどうなるか?

生まれてからこれといって刺激を与えて来なかったオチンには、力んだ右手の握り込みに耐える準備は出来ていなかったのだろう。だんだんと痛みを伴って来て、

「 "博士"、痛いよ・・」

( もしかして、からかわれたのか?)

そんな疑惑も立ち込めると、半ばやけくそで擦る速度を上げていた。

そして、

( これ以上は無理だ・・)

握る力を緩め、いい加減に手を離そうとしたその時、

( ん? むむっ?)

何かが確かに駆け上がって来る初めての心地に、

( んん?・・ うっ、ぅぉおおお~)

" ぶるっ・・ "

「 ぅあっ!」

瞬間の身震い。

そして、

「 何じゃこりゃ!」

・・・

確かに、白い何かが飛び出していた。

何の備えもしていなかった為、その白い液体の一部は屈み込んでいた顔面に付着し、残りはカーペットに染み込んで、

「 "博士"、本当に出たよ・・」

"博士"に対する半信半疑が、白日の下に、白汁と共に、潔白の事実と証明された瞬間だった。

その日を起源に、中学、高校と成長するにつれ、独りの時間を好む場面は増えて行ったのだが、思えば"小鳥"は、自分ばかりが魅惑の摩擦を行っていると思い込んでいた。決して見られてはいけない様な、音を潜め、痕跡を隠し、女体と交わる行為を夢見た日々。

しかし、いざ16歳年上の女性と勢い付いた末に快楽に染まった一夜を過ぎてから思う事は、

( 母さんも・・ やってたんだな・・)

今までそこに結び付かなかった事が不思議だが、ここに来てはっきりと母親も一人の女性なのだと認めざるを得ず、40歳になる母親がおそらく今でも現役だと思えば、この日の出来事はとても落ち込むものに変わっていた。

( 俺・・ 母さんを抱いたのか?)

結局"小鳥"は一睡も出来ないまま、ギラつく瞳で仕事へと向かったのだった。
 
( そうさ、あの時だって・・ )

育ち盛りに拠り所だったのは冷蔵庫で、ドアポケットには作り置きの麦茶とチョコレートやゼリーなどのちょっとしたお菓子、一番下の冷凍庫を引き開ければ噛み砕いてすする棒状のアイスがあった。それを食い尽くしてしまった時はチーズや漬物なんかもつまみ食いして、そしてそれすらも無くなってしまいうといよいよ氷にまで手を出し、何にしても覗かない日は無かった。
 
その日はたまたま母親が家にいた。

冷蔵庫には手軽に食えそうな物が見つからず、それでも諦め切れずにドアポケットを眺めていると、

( たまごか・・)

フライパンに油を敷いて目玉焼きぐらいは作れていたのだが、

「 食ったら食いっぱなし、飲んだら飲みっぱなし・・ はぁ、アンタは何でだらしが無いのかねぇ・・」

台所を汚せば何かと小言が飛んで来るのを予想して諦め、その一段下の確率としては非常に低いポケットを覗く事に。

すると、

( むむ? チョコか・・)

片手に隠れる程のまばゆい紙の箱を見つけて手にすると、何やらエキサイティングなそのデザインからして、父親が持ち帰ったパチンコの景品の様に思えた。

「 おかぁさ~~ん 」

「 はぁい?」

「 ねぇ、コレ食ってい~~い?」

「 どれ~~?」

その箱を手に、茶の間でテレビを見ている母親の元へと近付くと、

" ギョッ!"

母親は目玉を丸く大きく広げて、

「 それは食べ物じゃないの! し、しし・・ しまっときなさい!」

「 えっ? チョコでしょ?」

「 違うわよ!」

「 じゃぁ何?」

「 お、お父さんのだから!怒られるわよ、しまっときなさい!」

( 本当はチョコなんだ・・酒が入ってるやつ・・)

母親の視界から外れた冷蔵庫の前で、その箱を開けて中身を少しだけ取り出してみると、中身のひとつひとつがパッケージされて繋がっている手触りはグミの様だった。やはり母親の言う通りだったとそっとしまって戻した遠い昔。

しかし、自分の母親を女性として認識してしまった今には、すでに決着を果たしたはずのあの時が、全く違った形でむせ返して来る。

あの、ギョッとしてヒステリックに傾いた母親のリアクション然り、冷蔵庫のドアポケットに入っていたエキサイティングな箱の正体は、

「 コンドームやないかぁ~~~い!」

眠らずに走るこの時に、いきなり繋がった点だった。

親は親以外の何者でも無かった時には、そこに性なる道具が姿を見せたとして、疑いの及んだ範囲は子供には内緒の食い物辺りまで。

( きっとコレは、俺が寝た後にこっそりと食うんだよ、早く大人になりてぇなぁ・・)

そう思っていた頃が懐かしくもある反面、どこか虚しくもなる。

「 はぁ・・」

異物の侵入を食い止めるフィルターとでも言おうか、心に流れ込む感覚を清らかにしていた何かが外れた様である。

( これが大人になるという事だろうか?)

親もまた先行的に歩を進めてはいるが、漏れなく人間として性欲にまみれながら、その欲を隠し潜めながら、親としての体裁を繕い、どこかで演じていたのだと気付く。

「 ほら9時よ、もう寝なさい・・」

眠気の来ない夜にすら、

「 子供だから・・」

「 良い子はみんな・・」

「 お化けが来るわよ・・」

早寝こそ優良児だと言わんばかりの躾をされて来た記憶に、

" ピキッ "

亀裂が入り、

「 今夜はやるのよ!」

そんなシーンが取って代わる。

それを仕方が無い事として無抵抗に受け入れるか不潔や不浄と抵抗するかは、そこに気付く時の立ち位置が大きく作用するのだろう。

この時の"小鳥"には何故か受け入れ難く、自分がこの世に誕生するには決して抜きには出来なかった親の抜き差しを想像してしまう思考を必死で振り払っていた。
 
"キビヤマ"にすがった夜が結果として母親を女性として認識する事に繋がってしまった"小鳥"は、この日から今度は種を別にした苛立ちがまとわり着く事になった。

そしてその苛立ちは次なる苛立ちへと、全く以って予測の及ばない偶然の下に奇妙な連鎖を見せた。

カカシ商運からの帰り道で、"小鳥"がとあるアパートの前を通り掛かると、

( ん? あれは・・)

"草川"とその彼女である"アヤカ"が同じ年頃の誰かと立ち話をしているのが見えた。

「 "草川"ちゃぁん!」

車を停めて声を掛ける。

「 あっ、"小鳥"さん・・」

一瞬、二人の目が泳いだ様にも見えたが、そこに意識は向けずに、

「 "草川"ちゃん、おつかれ~ "じゃじゃ丸"はどこ?」

おそらく近くにいるであろう"じゃじゃ丸"を探す。

「 えっ? あ、あの・・」

「 ん? 一緒じゃないの?」

「 いゃ、実は・・」

「 ん?」

「 "小鳥"さんから譲ってもらったまでは良かったんだけど、俺ら、自分たちの飯もギリギリなのに、"じゃじゃ丸"の分ともなると更に厳しいって事に気付いて・・」

「 そっかぁ、それで誰かにあげちゃったのかい?」

「 ううん、万力公園に逃がしたんすよね 」

「 はっ? 万力って、あの万力?」

「 うん、"小鳥"さんに返すのもどうかなって二人で話して、それで結局、あそこなら野良犬がけっこういるから"じゃじゃ丸"も生きて行けるかなって・・」

「 へぇ、そっかぁ、何だか逆に迷惑掛けちゃったみたいだね・・」

「 いや、それは無いんすけど・・」

「 あっ! それとさぁ・・ こないだ貸した金 「 あぁ!それなら、今月の給料出たら、すぐに返しますから 」

「 うん、そしたら俺は帰るからさ・・ っじゃ!」

・・・

笑顔でその場を去り、"小鳥"は急いで万力公園へと向かった。

「 くっそ、意味わかんねぇし・・ 俺のトコより幸せになるって思ったのに・・」

当時は確かに、至る所を汚し、餌をもらう時以外は寄り付かなくなってしまった"じゃじゃ丸"を心のどこかで拒んでいた。しかし"じゃじゃ丸"には幸せになって欲しいと願っていたし、そうなるで違いないと思ったからこそ"草川"に譲ったのである。

( アイツら捨てただけじゃねぇか・・)

その願いが全く違う現実に行き着いた事を知ってしまった"小鳥"は、その感情をぶつける様に、

" キュルキュル~ キュルキュルキュル~ "

交差点でタイヤの音を鳴らしていた。
 
山梨市に位置する万力公園は、笛吹川の河川敷に沿って細長く続く緑豊かな所である。栗の木などが生い茂る中に設けられた遊歩道では散歩やジョギングが楽しめ、その敷地内のアスレチックや噴水、釣堀や図書館、小動物の飼育場などは幅広い年齢層の人達が寄り集まる市民の憩いの場である。

はたして人々にとっては快適な空間も、

( 犬が暮らせる場所なのか?)

まだまだ小さかった"じゃじゃ丸"を浮かべると、

( もしかしたらどっかで倒れてるんじゃ・・)

悪い予感に急かされる。

"小鳥"は荒々しく駐車場に車を停めると、すっかりと暗闇をまとった公園へと踏み込んだ。

昼間に訪れれば視界も良好なこの場所も、日が沈んでしまえばただ薄気味悪く、これが肝試しだったなら絶好のステージにもなる程である。
 
生い茂る草むらに目を凝らし、思い当たっては、

「 "じゃじゃ丸"~~」

と声を掛ける。

そこから物音なり泣き声なりを待ち、何も無ければ次のめぼしを付けてを繰り返した。

吐く息は白く、悲惨な再会の可能性をゼロには出来ない。

もしもこの場で生き繋いでいるならば、

( もう一度、"じゃじゃ丸"と暮らそう・・)

"小鳥"は今までの反省からこんな気持ちになっていた。

森の一角を抜けて釣堀のほとりに差し掛かる。

" カサカサッ "

( ん?)

生簀を囲む様に繋がる低木の茂みから草木が触れ合う音が聞こえ、ゆっくりとその音の方へと近付き、暗闇に薄く差し込む外灯の光の中に目をこらすと、そこには眼球を発色させた"じゃじゃ丸"がいた。

「 "じゃじゃ丸"~ おいで・・ "じゃじゃ"ぁ~ ほらおいで・・」

「 クゥ~~ン・・」

喉を鳴らして返すものの近付いては来ない。

顔はこちらに向けていても、ぴんと伸ばした前足と少し浮かした後ろ足からいつでも駆け出せる様にしているのを見て取る。

「 "じゃじゃ"~~ ごめんよ・・ おいでよ、ほらっ・・」

中腰で両手を伸ばして見せてから、そのままの時間がしばらく流れた。

一瞬"じゃじゃ丸"が視線を逸らし、その見つめた先に目を向ける。

( こんなにいるのか・・)

そこには身を屈めてこちらをじっと見つめる数匹の犬達がいた。

「 ペットとして飼われていた犬が野良犬として生き繋ぎ群れを成している・・」

前々から聞いてはいた噂が真実だったと裏付けられる中で、

( 今なら間に合う・・)

そう思った"小鳥"が踏み出そうとしたその時、一瞬早く、"じゃじゃ丸"は群れへと駆け出していた。

「 そっかぁ・・」

"じゃじゃ丸"が人になつく生き方を捨てた事を知った"小鳥"は、"草川"に譲った自分のズルさに打ちのめされながら、

( "じゃじゃ丸"に捨てられちまった・・)

捨て犬の群れを見送る事しか出来なかった。
 
四足の小さな命に放棄の贖罪を成せぬまま日常に戻った"小鳥"に、

「 "草川"がバックレたってよ・・」

こんな情報が入ったのは、給料日から二日程経ってからだった。
 
給料日当日の連絡は無く、がっついて催促するのもどうかと様子を見ていたのだが、

( まさか!)

慌てて電話を掛けるも繋がらず、折り返しも無ければ訪問も無い。

いよいよ返済する気は無いのだと悟ると、予てから付きまとっていた苛立ちが急に乱れて脈打つのがわかった。

( 舐めやがって・・)

確か、前にもこんな事があった。

( そういえば、アイツも3万だったっけ・・)

福島を離れる事を必死で止めてくれた"りんご"が、苛立つ今に急浮上する。

携帯に残るアドレスに迷いも無く掛けるとコールは留守電に切り替わり、今までならばここで止まる衝動もこの日ばかりは収まりがつかず、"桜"に電話して自宅の番号を聞き出した。

「 はい、もしもし・・」

おそらくの母親に対し、

「 あの、すみませんが、"りんご"さんのお宅でしょうか?」

「 はい、そうですけど・・」

「 すみません、"黒井(小鳥)"と申しますが"りんご"さんをお願いできますか?」

「 はい、少々お待ちください・・」

( いたのか・・)

勢いで掛けた電話が取り次がれた流れに、いささか冷静も戻りつつあった。

しかし、しばらくして"小鳥"の耳に届いたのは、

「 もしもし、あの、た、只今留守にしておりまして・・」

さっきの母親らしき女性の声。

不自然な口調で留守だと言われた途端、一度は落ち着いたかに見えた苛立ちが瞬間にして湧き上がる。

「 おぉ、こんな事は言いたくはねぇがなぁ、俺はお宅の娘に金を貸したんだよ! 前々から何度も連絡をしてるんだけどよぉ、このまま電話に出ねえってんなら、すぐにでもさらいに行くからな!わかってんのかコノヤロー!」

「 あわわ、わわ・・」

震えて声にならない母親が見える様である。

「 いいかぁ! 今そこに、"りんご"はいるのかいねぇのか!どっちだぁ!」

「 お、おり、おります 「 だったらすぐに出せコノヤロー!」

「 は、はい~」

かすかなささやき声がしばらく続き、

「 もしっ・・ もしも、んっっく、もしもし・・」

電話に出た"りんご"は泣いていた。

そして母親のすすり泣きまで聞こえて来ると、

( なんだ? なんて心地が悪いんだ・・)

「 おぃ、泣いてちゃわかんねぇだろ? 元気でやってんのか?」

「 んん・・ んぐっ うん、ううううぅぅぅ~ ごめんなさい、ごめんなさい・・ ご、んごっ・・ うぅぅ~」

愛情だ友情だと熱く語り過ごした過去とのギャップは余りにも大きく、

「 へぇ、いいわ!3万はくれてやるし連絡もしねえよ、じゃぁな・・」

どこか白けてしまった"小鳥"は、静かに電話を切り、そして"りんご"のアドレスを消去した。
 
( 裏切られた・・)

この時"小鳥"は、被害者意識を強く抱いた。
 
付属的で装備的で道具的でしかない金を取り立てようとしたが故に友情は壊れ、そしてその金すらも放棄する形で戻らないものにした。

一体何がしたかったのかすらわからない。

困っている人を助けたはずの自分が損をして終わり、おまけに悪人に仕立て上げられているかの様な心地悪さ。

見返りを求めた訳じゃない。

( 俺が悪いのか?俺が悪いのか?俺が悪いのか?)

ただただそれを繰り返す。
 
 

試し読みできます

軟弱

 

少なからず他人に合わせて汗水垂らす。そんな心と体に負荷を掛けて掴み込む金の正しい使い方とは一体どんなものか?

それが定まらない"小鳥"は又もやパチンコ屋に通う様になった。
 
パチンコが感情を巧みに操り金と時間を浪費する依存へと誘い込む事はよくわかっている。

しかし、"草川"や"りんご"との繋がりが不本意な形で切れてしまった衝撃によって、

( パチンコをしている方がマシ・・)

そんな気分になってしまったのである。
 

( まったく俺ってヤツは何てついてないんだろうねぇ・・ アンラッキーの申し子じゃねえの?)

そんな事態も覚悟の上。しかし負けはやはり気分をしょんぼりとさせる。

" トゥルル、トゥルル・・"

携帯が鳴り出し通知を見る。

掛けて来たのは"キビヤマ"。

 

「 おつかれっす、この前はどうもでした 」

「 おぉ"小鳥"ぃ、元気け?」

(?)

普段の"キビヤマ"からは想像が付かない程にテンションが低い。

「 "キビ"ちゃん、何かあったっすか?」

「 おぉ、めちゃくちゃあったさね、グスンッ・・」

「 えっ? "キビ"ちゃん泣いてるっすか?」

「 おぉ、泣いてるさね・・」

「 何があったっすか?」

 

「 この前、女と喧嘩したさね・・」

「 女っつぅと彼女っすか?」

「 おぉ、頭に来たさね、マジで・・」

「 "キビ"ちゃん、もしかして別れたっすか?」

「 いや、別れたっちゅぅか、別れさせられたさね、マジで・・」

(?)

「 どういう事っすか?」
 
「 実はあんまり頭に来すぎて殴ったさね 」

「 あらっ!」

「 ほぅしたら置屋のお父ちゃんが激怒して、ケツ持ちの"あんこう"さんが出て来たっち事ぉ・・ そいでさっきボコボコに締められたさね、マジで・・」

「 "キビ"ちゃん?」

「 んん?」

「 彼女と喧嘩したのに、なんで知らんヤツが出て来てそうなるっすか?」

「 あぁ、女の顔を殴っちまったから、アザんなって商売にならんっちゅうて、マジで・・」

「 へぇ・・」

"キビヤマ"の彼女が石和で芸者をやっている事は知っている。初めて一緒に酒を飲んだ夜に聞いていた為その内容に驚きはない。しかし、今日の"キビヤマ"は何かと語尾に「 マジで 」を付ける。

「 そんなつもりは無かったけど、結果的に殴ってたさね、マジで・・」

「 ほぃで、彼女の怪我はひどいっすか?」

「 んん、右目んトコが青く腫れてたさね、マジで・・」

「 そいで、"キビ"ちゃんを締めた"あんこう"ってのは何者っすか?」

「 元々俺らが昔っから世話になってた人で、本人は違うだけんど、その人の周りは不良ばっかさね、たぶんマジで・・」

「 おほんっ! まぁいいっすけど大丈夫っすか?」

「 "小鳥"ぃ、駄目さねマジで、殴られたトコ痛いぃ~」

「 んふふふふふ~、おほんっ! そりゃぁ自業自得っすよ、ふふふふふふふ~」

変な語尾の連発に耐え切れず、抑えていた笑いが零れる。

「 "小鳥"、笑い事じゃ無いっち事ぉ、おっちゃんマジでヤバイさね、マジで・・」

「 いやすいません、笑うつもりじゃないんすけど、何だかおもしろくてすいません、んふふふふ~」

「 あの買ったばっかの軽あるら?」

「 あぁ、はい 」

タイヤを盗まれた後の4tトラック抜擢を機にして、"キビヤマ"は軽の新車に乗り換えていた。

「 アレも取られてローンだけ残ったさね、そぃで家も追い出されて行くトコ無いさね、マジで・・」

「 マジっすか? そしたら困るじゃないっすかぁ!」

「 おぉ、マジ困ってるだよ 」

「 そしたら今から迎えに行きますから、しばらく此処で暮らせばいいっすよ 」

思わずこんな言葉が口から出る。

「 ほんとけ? グスンッ・・ マジ助かるさね・・」

「 今何処っすか?」

・・・

"キビヤマ"を迎えに行くと、その顔面は青や赤や紫の色々に至る所がいびつに腫れ上がっていて、

「 あははははぁ~~」

そんな姿を見てしまった"小鳥"は、明らかに自分よりも不幸な目に遭った"キビヤマ"を腹の底から高らかに笑い、それに対して"キビヤマ"は、怒る事もなく釣られて一緒に笑った。

「 ほぃじゃ行きますか 」

「 悪いじゃんねぇ・・」

「 あははははっ 」

「 ほんなに笑っちょし、きゃはははっ 」

・・・

こうして二人は突然にも共同生活をする事になった。
 
「 ほいじゃ、行ってきます 」

「 おぉ、いってらぁ~」

" トントントン・・ "

「 ふぁ~~~あ~」

"キビヤマ"に見送られて鉄製の階段を駆け下りる"小鳥"は明らかに寝不足だった。

4tトラックに乗る"キビヤマ"は、午後積みの荷物を夜中に降ろし、明け方帰って来るとそのままその日はオフになるというシフトを繰り返していた為、"小鳥"の眠りが絶頂の時に帰宅すると暗くてはおぼつかないのか電気をパチッと点けたりして、

" プシュッ "

" ゲフッ "

光と音を振り撒くのである。
 
"大蛇"に一応の報告をすると、

「 やめとけぇ、アイツはだらしがねぇぞぉ~」

などと言われたが、

「 沖縄ではこうさね・・」

「 福島ではこうっすよ・・」

「 俺はこうさね・・」

「 俺ならこうっすよ・・」

" ブゥ~~ "

" ブリッ プスゥ・・ "

「 あはははは~」

「 ぎゃはははは~」

一人っ子で生まれ育った"小鳥"は、兄弟と過ごしている様なその暮らしをそれなりに楽しんでいた。
 
笑いを求める様に少しばかり急いで帰宅する。

今夜は"キビヤマ"が家にいるはず。

玄関の鍵はかけられておらず、部屋に入ると風呂場からほわんほわんとした音がする。

"キビヤマ"が出て来るのを待つ様に取合えず六畳間に座り込む。

すると不意に聞こえた音は、

「 うえっ~、がぁ~~っぺっ!」

歯磨きでもしての嗚咽は仕方無い。

しかし、

" プシュンッ! ジュルジュルゥ~~~ プシュンッ! ズルゥッ ズルゥゥッ ズッ~ "

( うわっ! 鼻かんでるし・・)
 
まるで緑色のスライムでも出ている様なこの音には、正直、家主として許し難い気持ちが込み上げた。

"小鳥"には風呂場で鼻をかむ習慣が無い。

とは言っても、それを本人に伝える事は出来ず、この時から"小鳥"は、まるで異物が引っかかっている排水口の様に、流れはするがすっきりしない生活を送る事になった。

思い起こせば、"じゃじゃ丸"を見放した男である。

( 俺の家なのに・・)

( 意外とずうずうしいなぁ・・)

ひとつ気に入らなければ何故かしら全てが気に入らなくなってしまう不思議によって"キビヤマ"に対して無愛想が強くなる。

すると"キビヤマ"は、そんな"小鳥"との時間を拒むかの様に外出しては夜中に酔って帰って来る事が多くなった。

二人が揃って休みとなる日曜日は、昼間から飲みに行く訳にはいかなかったのだろう。"キビヤマ"は口数も極めて少なく雑魚寝でごろごろ時間を潰し、その態度に苛立つ"小鳥"は独りを求める様にパチンコ屋へと出掛けた。

( なんで俺が気を使って部屋を空けなきゃならんでぇ、別に行きたくもねぇに・・)

解消されないストレスは日に日に溜まるばかりだった。

家賃も払わずに飲みにばかり出掛けている"キビヤマ"が憎らしく思えて来る。

そして、とうとう六畳間では言い争いが始まっていた。
 
「 あのさぁ、アパートとか探してるの?」

「 おぉ、ムッチャ探してるさねぇ 」

「・・・」

「・・・」

「 探してる割には、だいぶ此処に居るよね?」

「・・」

「 俺もはじめは家賃もいらないって言ったけどさぁ、ずっとこのままだと正直困るんだよね 」

「 おぉ、もうすぐ出て行くから大丈夫だっちこと 」

「 いつ?」

「 えっ?」
 
「 此処って俺の家なんだよね? なのにゆっくり眠れねぇし、休みの日にくつろいでもいられねぇし、いい加減疲れんだよね 」

「 そんなこん言ってもしゃぁねえじゃん! 見つからんだから 」

「 探してねぇだろ?」

「 探してるさね 」

「 ウソ言ってんじゃねぇよ 」

「 ウソってなんだぁ? 俺っちだってちゃんと探してるわ!」

「 うっせぇよ! 家賃も払わねぇでテメェ勝手に暮らしてるじゃねぇぞコノヤロー 」

「 コノヤローってなんで? おまんより俺のほうが年上だわ!」

「 関係ねぇよ! テメェのほうが後から入ってんだからよ! 黙ってりゃ良い気になりやがって、やんのかコノヤロー!」

「・・・」

「 だいたい早く出て行こうって奴が金も貯めねぇで飲み歩って、夜中にでかい音出してずうずうしく暮らせる訳ねぇだろ! 甘い顔してりゃ調子付きやがって! 俺はなめられるのが大っ嫌いなんだよ!」

「・・・」

「 出て行けや!」

「 わかったからそんな怒っちょし、ねっ? 俺が悪かったっちことぉ 」

「 うるせぇよ、今すぐ出て行けよ 」

「 いや今すぐは無理だけど・・」

「 ダメだ!テメェの顔なんざ見たくもねぇから、さっさと出て行けバカヤロー」

「 いやマジで悪かった!謝るからスグは勘弁して!今月から家賃は半分払うし、なるべく早くなんとかするから頼むさね、マジで・・」

「・・・」

後先など考える事も無く、感情に素直に身を任せた結果の一幕。

暴言を吐き出す姿は、"キビヤマ"にはどう映っていたのだろうか?

それからの日々、"キビヤマ"は異常に気を使って下手に振舞う様になり、こうも極端に態度を改められるのならば、

( 何で最初からそうしねぇんだよ・・)

などと思ったりもした。

結局、その後間も無くして"キビヤマ"はアパートを出て行き、

( 俺が悪いのかい?)

またしても良かれと思ってやった事が仇となってしまった"小鳥"は、

「 もう友達なんていらねぇや・・」

静かに呟いた。
 
そんな事があってからは、"大蛇"やその取り巻きに対しては徹底した礼儀を見せるも、仕事のラインで関わる所にそれなりの気遣いを見せるも、プライベートでは攻撃的に世界を睨み、知らない人間には威嚇的な脱力で対した。

壊れてしまう出会いに嫌気が差したと言えば聞こえは良い。しかし、軟弱に揺れる心は実の所、対人への振る舞いの正解がわからずに、

( 近付けばまた・・)

深手を恐れていた。
 
"キビヤマ"を追い出してしまった報告に"大蛇"は大口を開けて笑う。

それが何だか優しく慰められている様で、食事を摘まむ箸の動きも肩を揉み込む手の動きも無意識にもスローに。

「 おぉ、明日は上阿原の"BBB"に行くから、朝から並んで整理券を貰っといてくれよ・・」

と言う"大蛇"。

"BBB"とはパチンコ店の名称で、

「 "大蛇"さん、最近あっこの店は、だいぶ出してるだよねぇ・・」

"ワニ"という客人が数日前の夜に話題に出し、"小鳥"もその場に居合わせていた。

高級車に乗ってやって来る"ワニ"の職業はパチプロである。身に付けた時計もブレスレッドもネックレスも金色に輝いていて、そんな男の台詞は何となく信用性が高かったのだろう。

「 ほうけ、久しぶりに行ってみるかぁ・・」

こんな相槌を打っていた"大蛇"は意外にも本気だった訳である。

"つぼみ"がすかさず口を挟む。

「 "BBB"じゃ"小鳥"のアパートからより、此処から向かった方が近いらぁ?」

「 はぁ・・」

「 だったら今日は泊まってけし、整理券貰うじゃ早く起きんきゃならんだから、此処で寝てれば起こしてやるから・・」

「 いや泊まるっつぅのはちょっと・・」

"つぼみ"はいつも台所に立ちながら缶ビールを飲み、一通りの家事が済めばテーブルにその場を移して、

「 "小鳥"も飲めし~」

よくこんな声を掛ける。

いつもなら断りの文言を駆使して退散する場面。

「 何でぇ、嫌っちゅうこんけ?」

「 いえ、そういう訳じゃないっす、ご迷惑かと・・」

「 ほんなこんありっかねぇじゃん、ねぇ?」

"つぼみ"の投げ掛けに"大蛇"は、

「 おまんはなぁ、うちの息子みてぇなもんだぁ、そんな気を使う必要はねぇだわ!」

と言い、

「 ほれぇ、"専務(大蛇)"もこう言ってるだからぁ、今日は泊まってけし 」

「 は、はい、そしたらお言葉に甘えて・・」

この日はそれが出来なかったのかしなかったのか、

「 よし!そしたら"小鳥"も酒を飲めしぃ、いっつも私ひとりでつまらんだから、今日は付き合ってもらうからねぇ 」

"大蛇"は風呂から出てしばらくすると二階の寝室へと消え、一階のリビングに残った"小鳥"は"つぼみ"の酒に付き合う事に。

そして・・・

ふと、リビングで毛布の掛かる自分に気付いた時、"つぼみ"は台所に立ってまな板に音を刻み、"大蛇"は犬と戯れながら、どっかりと座り込んでいた。

慌てて体を起こし、

「 あっ、すいません、おはようございます 」

「 おっ、やっと起きただけ?」

「 はい、すみません 」

「 どうで? ゆっくり眠れたけ?」

「 はい 」

自分がどの様にして眠りに就いたのか記憶は無い。

台所に立つ"つぼみ"は、

「 せっかくゆっくり付き合ってもらおうかと思ってたに、気付いたら居眠りこいてかなわんじゃんねぇ~」

と笑いながら言う。

「 はは、すいません 」

「 覚えちゃいんら?」

「 そうっすね、ちっと覚えてないっす 」

朗らかに迎える休日の朝。

それは確かに、ひとつの家族が織り成す光景の様にも見えた。
 
11時を過ぎる頃には、"BBB"の店内は出玉が通路にずらっと並び、どの島も空き台を探す客でごった返していた。

この来店で確かな手応えを掴んだ"大蛇"はそれから毎週パチンコ通いをする様になり、それに伴い"小鳥"は週末のお泊りがお馴染みになった。

"大蛇"夫婦は、甥や姪、その交際者なども招く様になり、

「 "小鳥"ぃ、うちの"コノミ"と結婚しろぉ~」

"大蛇"は唯一彼氏のいない姪のひとりを"小鳥"に薦めた。

「 いや、そんなもったいない、"コノミ"さんにも選ぶ権利がありますから、ハハ・・」

にこやかに謙遜を見せて受け流す。

高校を卒業したばかりの彼女はまだ若く、そして何よりタイプではない。

"小鳥"という生き物はストライクゾーンがとても狭く、ゾーンに入らない異性に対しては徹底した拒絶も辞さない男であり、時として人はそれを硬派と呼び、また時として照れ屋さんとも呼んだが、まぁ要するに、

( "コノミ"さんのお姉さんが全然いいのに・・)

といった感じで、まぁ、それはどうでも良い事である。

ここで着目すべきは、息子を姪っ子と結婚させようとする親はいないという事である。つまりは息子みたいな存在は所詮は息子ではないという事で、このワンシーンは無意識にもそれをはっきりと証明していたのである。
 
開店前から店の前に並び、整理券をもらって朝一の入店をして、小走りに台を争奪する週末は、勝負中の昼食と勝負後の夕食は外食で済ます事が専らで、その後は"大蛇"宅に戻って"大蛇"の肩を揉みほぐし、

「 おぉ、けぇっていいぞぉ 」

と言われたら帰宅する。
 
この同行は序盤こそ収支はプラスだった。

しかし、"大蛇"と"つぼみ"が勝負を続けている限り、

「 お先に失礼します 」

という訳にはいかず、時間を潰す様に勝負を重ねていると次第に"小鳥"の勢いは陰りを見せた。
 
パチンコ遊戯とは、ハンドルを握りながらお金を流している様なものである。

当たらなければ玉は出ない。

気付けば余剰金は底を尽き、"小鳥"は食費はおろか、アパートの家賃や光熱費に当てる金まで使い込んでしまう様になった。

それでも同行を続けなければならない関係は果たして親子か?
 
そんな状態では自然と暗くもなる。

「 "小鳥"は今日も負けただけぇ?」

笑いを零すだけの"大蛇"。

実の親子なら金銭の授受があってもおかしくはない場面は、やはり赤の他人同士のやり取りとして過ぎて行った。

いつもの様にシャワーを浴びようと蛇口をひねると、

( ん?)

( んん?)

「 あれぇ~ 遅いなぁ・・」

・・・

いつまでも水でしかないシャワー。

火を起こそうとガスコンロをひねれば、

" カチッ・・・ "

" チッチッチッチッ・・ "

" カチッカチッカチッ・・ "

" し~~ん・・"

そしてようやく、ガスが止められた事に思い当たる。

大当たりさえすれば快適な暮らしが出来るのに、それをそうとしないパチンコ台が憎らしくもなる。

"小鳥"は追い詰められていた。

数千円の金を投じて大当たりを引けないとなれば、叩くなどは序の口で台枠にキックをお見舞いする。隣で打っていた客はいつの間にか離れ、店員が島端で見て見ぬ振りをする中、怒りに身を任せて二度三度。

そして、

" スタンッ スタンッ・・"

雪駄を鳴らして荒々しく次の台を探す。
 
何と無く覗いたある一島で一人の客が目に止まった。
 
短髪の角々した髪型に筆で書き下ろした様な口ひげ、上下揃いのジャージは何とも柄が悪い。

歩を進めて近付くとだいぶ荒れている様子のその男は明らかに"大蛇"だった。

しばしの傍観を決め込むと、

「 や~ねぇ~ 」

「 店員さんは何をしてるのかしらねぇ 」

取り巻きのささやきが聞こえる。

( 俺もこんな風に見られてるのか・・)

" ドカンッ "

" ドカンッ "

" ドカンッ、ドッカンッ!"

荒れる"大蛇"。

咄嗟に"小鳥"は、便乗して一緒に台を蹴り始めた。
 
何故にそのような行動に出たのか?

"大蛇"に向けられた冷たい眼差しを知り、当人には届かないささやきを耳にした時、体はすでに動いていた。

しかしすぐに、

「 おぉ! へぇ、いいわ!」

何を思ったか"大蛇"は"小鳥"を止め、

「 はいっ 」

まばらに取り巻いていた傍観者達が何事も無かったかの様にそそくさと散り散りになる中、

「 やっちゃいられなぁ~、けえるぞぉ!」

"大蛇"はそう吐き捨てた。
 
これを機にしてパチンコ通いは幕を閉じる事になったのだが、"大蛇"が何故にそれ程の怒りを見せたのか本人が語る事は無かった。

ただ事実、結果的に破滅に向かう同行から解放され、"小鳥"は内心ほっとしていた。
 
 

試し読みできます

悪戯

 

春の色合が辺りを染め始める。

「 あのなぁ! "兄貴(赤鬼)"と話したけんど、ここを今度から一宮支社にするってなってなぁ・・」

"大蛇"にそう言われたのは一月程前の事。

「 えっ? 一宮支社っすか?」

「 おぉ、あっちは本社でこっちは支社だわ、 ほいでおまんは一宮支社になったから今度からトラックはこっちに止めろし 」

「 えっ? ほいだらあれっすか? あっちにはもう、行かなくていいって事っすかぁ?」

「 おぉ、今度からはこっから通うってこんだわ 」

「 は、はい 」

「 嫌け?」

「 いや、全然いいっす 」

「 ほぉズラ 」

「 あのぉ、他には誰がこっちになったすか?」

「 ん? 俺とおまんの二人だわ 」

「 は、はい 」

「 "つぼみ"は経理と飯の支度があるから本社に通うけんどなぁ・・」

「 はい 」

・・・

"小鳥"はいきなりにも一宮支社所属となった。

山梨市から通うのは大変だという理由で、"大蛇"の命令的なアドバイスの下、着々と引っ越しの話は進み、国道20号線沿いのアパートに移った。そのアパートから"大蛇"宅までは車で五分足らずである。

「 これからは食事代を給料から引いとくからねぇ 」

と何かの折に"つぼみ"は言い、一宮支社に所属して初となる給料からはしっかりと2万円が差し引かれていた。

今日は、おおよそチンピラ風の社員達によってお祝いを兼ねた酒盛りが行われ、一宮支社の一員として招く側の"小鳥"は、庭に用意された座敷に100キロ近いガタイで献身的に酒や食い物を運び、会場を整えた。

すでに辺りは暗くなり始めている。

居残り組は家の中に場所を移し、ひとり残った"小鳥"は後片付けに精を出す。
 
外の片づけを終え、玄関口に集めた洗い物を台所に運び込む。

「 "小鳥"も座って飲めしぃ~ 」

"つぼみ"から声が掛かり、

「 はい 」

一通りの役目を済ませた"小鳥"は、普段は広く感じるリビングが狭く感じられる中、隙間を見付けてあぐらをかいた。
 
笑い声や会話が四方八方に飛び交う中、何処からともなく酒が手渡され、ようやく"小鳥"の宴が始まる。

時間の経過と共にだんだんと人数は減りつつも、それでも賑やかに宴は続き、しかし次の瞬間、"小鳥"が再び感覚に捉えたものは辺り一面の暗闇だった。

( ? )

瞬間移動でもしたかの様についさっきまでの賑やかな宴は何処にも無く、しかも体は仰向けになっていて、ふかふかの毛布が掛けられているのがわかった。

( 一体どうして・・)

憂さを晴らすかの様に酒を何度も一気に流し込んだ為、いつの間にか眠ってしまったのである。

体は火照り、

( 何だか気持ちが良いなぁ・・)

暗闇にいざなわれて再び瞼が重く下がろうとするその途中、

「 ふわぁ~~」

( んん?)

欠伸をしながら気付いた事は、

( ぼ、ぼぼ、勃起してる・・)

一体いつから勃起などしていたのか、それでも、

( まっ、いぃかぁ・・)

考えてみれば、暗闇の中ではとかく気にする必要も無い。
 
とその時、

( ん?)

毛布とは思えぬ何かが、

" モゾモゾッ"

( んん?)
 
何とも不思議な感覚は、どうやら女体の様だ。

( ん~、たしか・・)

ふかふかの毛布の感覚に紛れた柔らかな正体が誰なのか、それを探そうとする思考が動き出す。

誰かがピザの様な手軽さで女体を調達したのか?

( 無い )

とすれば、集いの中にいた女性が組織の幹部宅で雑魚寝をしているのか?

( いるはずがない・・)

そもそも集いの中にいた女性は、

( えっ?)

"つぼみ"しかいなかった。

( 何という事だ!)

まずい状況である事はすぐに理解出来た。

普段から、

「 医者に止められている・・」

と言って酒を飲まず、週末の宴でも賑やかなリビングを残して退散している"大蛇"は、今宵も早々に二階へと消えて就寝したに違い無い。

( もしもこの場面を見られたら・・)

裏切りと取られても何らおかしくはない。

" バサッ "

"小鳥"は発作的に物凄い勢いで毛布を跳ね飛ばすと、そのまま玄関を飛び出していた。

自宅へと戻り、

( 何故・・)

と考える。

しかしどう考えてみても偶然だったとは思えず、

( ずっと狙っていたのか?)

そんな疑いが強まると、時に本当の母親の様に見ていた"つぼみ"に対して許し難さが芽生えた。

そして、まるで神聖なものを汚された様なその衝撃は、その後の部屋住み生活に大きな影響を及ぼした。
 
"大蛇"が相変わらず"小鳥"を呼び付ける事で、

( ばれてない・・)

あの夜が知られていない事に安堵する反面、

( 今までの母親感は嘘だったんだ・・)

"つぼみ"に対しては、ただただ嫌悪感が増すばかりだった。

"大蛇"の入浴中は、時折"つぼみ"の瞳にプライドを傷付けられた女性の執念か怨念か、ざわっとする何かが垣間見える様になり、それは"小鳥"にとって恐怖に近く、会話も質素に拒絶感は露わになった。
 
その変化を"つぼみ"が受け流していたのは何だったのか。

( 密室で完全な二人きりになれば又何をされるかわからない・・)

そんな不安が付きまとうと、"小鳥"は"大蛇"が社用や何やらで夜に家を空ける時、帰るまで"つぼみ"と一緒に待つ留守番の役目を徹底して断る様になった。

全てに Yes しか唱えて来なかった"小鳥"が突然にも No を唱えた事は、"大蛇"からすれば謀反だったのだろう。今まで献身的に築いて来たものが一気に崩れる様はまるでドミノの様だった。

"大蛇"は"小鳥"を呼び付けなくなり、その代わりとしてかどうか、仕事を終えて敷地に戻ると、他のカカシ商運の男達の車が止まっている情景を度々目にする様になった。

これは"大蛇"宅にて宴会か夕食会か、それらしき集いが開かれている事を暗に示すもので、お呼びの掛かっていない"小鳥"は、理不尽とも思える仕打ちから沸く寂しさを、"つぼみ"に会わなくて済むという安心感で隠していた。
 
そんな状態を修復する絶好の機会。

"小鳥"は久しぶりに"大蛇"に呼ばれ、一緒に食卓を囲む事になった。

テレビに向かって独り言を数少なに放つ"大蛇"から、かつての様な気の抜けた笑い声は出ない。つぼみ"が台所で奏でる音がはっきりと伝わるリビングで、終始うつむき気味の"小鳥"。

違和感が漂う中で以前と変わぬ流れが終盤まで来た時、肩を揉まれる"大蛇"は短髪の頭を撫でながら"小鳥"に語り掛けた。

「 あのなぁ! どうにも体の具合が悪くてかなわんと思ってただけんどぉ、医者に行ったらしばらく入院しろとこかれただぁ 」

「 えっ? やばいすか?」

「 おぉ、吸っちゃいかんって言われてたタバコもじょうぶ吸っちまってたらぁ 」

「 はい 」

「 ほいでなぁ、どんくらいになるかわからんけどなぁ、俺が入院してる間、"つぼみ"の事をよろしく頼むわ 」

「 えっ 」

「 だからなぁ、俺が留守の間は"つぼみ"一人じゃ淋しいだろうからな、ここで飯を食って、泊まるなり何なり、守ってやって欲しいだわ 」

「 いや、それは・・」

「 あぁっ!」

「 いや、"専務(大蛇)"の留守にそんな事は出来ないっす 」

「 何だおまんっ! 俺が頼んでるっちゅうに言う事聞けんだかぁ!」

「 はい 」

「 あぁっ!」

「 すんません 」

「 いいじゃんけぇ、"小鳥"が嫌っちゅうじゃしょうが無いさよぉ 」

"つぼみ"が意味深とも取れる言葉を挟む。

「 すいません、自分は"専務(大蛇)"の留守に此処に上がり込む訳には行きません 」

・・・

"小鳥"は台所から突き上げる様に向けられる"つぼみ"の視線を浴びながら、"大蛇"との交渉を不成立に終わらせた。

間も無くして"大蛇"が入院すると、"小鳥"にとって一宮支社はただのトラック置き場になり、時折、犬の散歩をしている"つぼみ"に遭遇しようものなら足早に敷地を後にする様になっていた。

"大蛇"宅で手作りの夕食にあり付けなくなった"小鳥"を知ってか知らずか、北部運輸で先輩と慕う"三田葵"が、

「 彼氏に作る弁当のおかずが余るから・・」

そう言って使い捨ての容器に詰めた簡単な昼食を持って来てくれる様になったのは、ちょうどこの頃の事である。
 
奇遇な事に、"小鳥"が新しく住み出したアパートはパチンコ店のすぐ隣で、"大蛇"の入院を機にプライベートが完全にフリーになった"小鳥"は、このパチンコ店に通い詰める様になった。

ガヤつく店内に身を置くと気が紛れ、勝ちへの執着は無かった。すると収支は小さく波を打ちながら横ばいを続け、連日の遊戯を可能にした。

休日は朝から並び、途中抜けては昼間から酒を飲み、時にはビール缶を片手に遊戯する。小学生に上がる前から親に連れられパチンコ店に出入りしていた"小鳥"には、景品交換所に併設された食堂で大人達が食事がてらに酒をあおっていた記憶があり、その記憶に基づく限りは許されるはずの行いだった。数人の店員が島端から耳打ちをしながら凝視していても、とかく注意を受ける事では無いと構え、店員が目を逸らすまで睨み続ける事もしばしばだった。
 
もしも人相が悪いと評価されるのならば、この時期の功績はかなり大きな物と言えるだろう。

とは言っても、"小鳥"が常に負の感情に染まっていた訳ではない。それなりの楽しみも見つけていた。

パチンコで大当たりすると、銀色に輝く玉が下皿から出て来る。それをプラスチックのドル箱に移し、やがてドル箱がいっぱいになると次の箱が欲しくなる。

そんな時、

" ポチッ "

各台毎に付いている呼び出しボタンを押すと何処からともなく店員がやって来て、左肩辺りから空き箱を差し出し、それを受け取ると玉でいっぱいになったドル箱をすっと持ち上げてイスの後ろに重ねてくれる。

( この店は若くてかわいい女性店員が多いなぁ・・)

最初こそそんな印象に過ぎなかったが、180センチを超える大柄な"小鳥"は、イスから上に伸びる座高もそれなりである。小柄な女の子が後ろから箱を掴みに掛かれば、

" ぽにょんっ "

( ん?)

" ぽにょんぽにょんっ "

( んふっ)

胸の方から当たって来る。

敢えてそれを目当てに変な体勢を繰り出す客を見付けようものなら、

( このスケベヤロ~)

自分を棚に上げて心の中で罵っていたが、"小鳥"も又、それを目当てにしている一人になっていたのである。
 
「 あのなぁ、今度の休みにダンプを洗っておいてくれよ 」

程無くして退院となった"大蛇"からの連絡。

親子の様な一時を過ごす事は完全に無くなり、退院してからは食事制限が厳しくなったのだろう。たまに見掛ける姿は以前と比べれば明らかに痩せ、まだまだ恰幅は良い方でも、活きが悪いと言うか弱弱しく、その姿は人間など健康を致命的に損なえば過去を巻き返す事も未来に輝く事も出来なくなってしまう現実を晒している。

「 はぁ・・」

思えば一宮のこのアパートに引っ越してから、物事が上手く行っていない気もする。
 
この世の中には時に科学をもってしても説明のつかない体験談が多く存在するものだが、築何十年と経過する賃貸物件にはいわく付きと呼ばれるものが存在する。

妙に安かったり奇妙に内装が補修されているなど、違和感を感じて入居してみれば案の定、

「 心霊体験や不幸体験に見舞われた・・」

などの話は耳にする事も少なくない。
 
"小鳥"がこのアパートに決めた理由のひとつは、風呂と便所が別だった事で、以前暮らしていた山梨市のアパートの様に濡れた便座にヒヤリとする心配が無い事だった。ユニットバスはアパートの外装とは不釣合いだったが、

( リフォームをしたのだろう・・)

気にしてはいなかった。

しかしあの日、

「 ふんふんふぅ~ん・・」

鼻歌を響かせながら思う存分にシャワーのお湯を弾かせていると、まだ越してから間も無いにもかかわらず、

" ぶくっ・・ぶくぶくっ・・ "

( ん?)

シャワーの排水が詰まり、

「 あれっ?」

排水溝の奥へと指を突っ込み掻き混ぜて引き上げてみると、何と指先には長い髪の毛の塊が絡み付いていた。
 
それから数日が過ぎ、

「 たまには気分を変えて・・」

入浴をしようとバスタブを綺麗に掃除した時も、その排水が詰まるというアクシデントに見舞われた。

( よく詰まる風呂だなぁ・・)

丸く落ち込んだバスタブの排水溝に指を差し込めば、その先には又もや長い髪の毛の塊が絡み付いて来て、

( ん?またこれか・・)

何事も無かったかの様に詰りを解消していたが、"小鳥"の髪の毛はそこまで長くは無い。

仮に入居前の清掃に不備があったとして、最初の使用時にそれを発見出来なかったのは何故か?

むしろ突然現れたかの様なあの感じは異常だったのではないだろうか?

ようやくここでこのアパートに疑惑を抱く。

とは言え、現実として受け止めたくはないものである。その疑惑の解消法は、

( ある訳ねぇか・・)

無理やりにでも気のせいにして忘れる事だった。
 
休日。

久しぶりに"大蛇"のダンプを洗いながら物思いにふける"小鳥"。

時の経過は様々な変化をもたらすもので、

「 はぁ・・」

取り巻く環境は、いつの間にか溜息が出てしまうものになった。栃木の二州連合からは一連の騒動以来連絡が無い。

" 故郷に錦 "

今がそこに通じているかどうか、再び迷いが出る。

( 何処へ向かっているのだろう・・)

思考を負が占拠する。
 
とその時、

「 おぅ、元気でやってっかぁ?」

「 あっ・・ お、おつかれさまです 」

"とんぼのおやじ"がダンプのフロントから突然にも姿を現した。

優しく映る久方ぶりの姿。

「 は、はい、 なんとか・・」

「 無事に退院したからよぉ、今日はその挨拶だ・・」

「 あっ、そうっすかぁ・・」

"大蛇"宅へ入っていった"とんぼのおやじ"が再び姿を見せたは、"小鳥"がちょうど車体の水滴を拭き終わる頃。

「 ほんじゃぁ、今日はこのまま帰るからよぉ 」

「 はいっ 」

「 一宮に越したんだってなぁ 」

「 はいっ 」

「 一宮支社だって?」

「 はいっ 」

「 すっかり"専務(大蛇)"の若い衆だなぁ 」

「 はぁ・・」

「 休みのたんびに此処で車洗ってんのかぁ?」

「 いえ、たまに頼まれた時だけっす 」

「 ほぉか・・ じゃぁなぁ 」

「 はいっ 」

シルバーのベンツにゆっくりと乗り込んだ"とんぼのおやじ"が窓を降ろす。

「 近々また連絡すっからよぉ・・」

「 はいっ 」
 
見送る"小鳥"の中で、命を掛けたつもりで選択して来たこれまでの道程が蘇る。

ファミレスで初めて"とんぼのおやじ"と会った時から今日に至るまで、関わり合う至る所で感じたやくざ感。それをどこかで恐れも誇るもして来たが、今になってふと思う。

( 俺はただのトラック屋なんだ・・)

どこぞの誰べえが何がしである事に付随したとしても、自分自身は何者でもない。

いつの間にか、すっかり勘違いしていた事に気付く。そして、部屋住みと称されるこの暮らしは、もう以前の様には戻らないだろうと思った。
 
「 "三田(葵)"さぁ~ん 」

これから富士吉田へ向かうという朝の頃合に、出発前の一踏ん張りを北部運輸の便所で済ませた"小鳥"が叫ぶ。

( 腹が痛てぇ・・)

を得意とする"小鳥"は、一日に幾度も便意が来るにも関わらず、普段から出先での急な腹痛を過剰に意識する余り、家を出る前には必ずトイレで踏ん張っていて、度重なるこの行為が良いものではなかったのだろう、排便の時に大量の出血をする様になり、便器一面を赤く染める事もザラになっていた。

「 何でぇ、嬉しそうな顔してどうしたで?」

「 ちっと見て欲しいもんがあるっすけど・・」

「 えっ? 便所け?」

「 すんません、最近血が出るっすけど、ちっと見てもらってもいいっすか?」

「 あははっ、何で朝から"小鳥"のうんこを見んきゃならんでぇ?」

「 腹は痛いっすけど出て来るのは血ばっかなんで大丈夫っす 」

「 どれぇ、どうせ痔ズラ~」

・・・

そう言って軽やかに便器を覗き込んだ"三田(葵)"は、

「 バカッ!何でこんなんなるまで黙ってたでぇ? すぐに病院行けし!」

「 いや大丈夫っす 」

「 駄目だっちことぉ! ちょっと所長ぉ~」

「 いやいや、マジで大丈夫っすから、やばかったらとっくに病院行ってますし 」

「 マジけぇ?」

「 はい 」

「 嘘じゃないらね?」

「 はい 」

「 ほんじゃ良いけど、何かあったらすぐに電話しろし?」

「 はい、どもっす 」

・・・

"三田(葵)"のリアクションは、とても"小鳥"を癒すものだった。

「 何かあったらすぐに・・」

その台詞を何度も思い出す度に、トラックのルームミラーにはにやけた顔が映り込む。
 
 


読者登録

k.kさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について