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子供らと生きて。(あとがき)

祖母のこの日記を見て、つじつまが合わない部分がたくさんあります。
確かにこの日記を書いたのは祖母が60歳後半頃で、忘れてしまった事もたくさんあるでしょう。

しかし、この日記の中では肝心の祖父との再会した話が書かれていません。
文中で「頭がバカになった」っと書かれていますが、忘れてしまうような事ではありません。
祖父は祖母と結婚するためにキリスト教に改宗して実家を勘当させられてしまったほど、
祖母を愛した人です。

私の母が言うには、家族で山の防空壕にいる時に、丸こげになった祖父が登ってきたそうです。
自分の名字を叫びながら、家族を探しに帰ってきたのです。
顔は丸こげになっててわからなかったそうですが、その声と指輪でわかったらしいです。
「水、水をくれ〜」と叫んでいたそうです。
当時の人達も、ピカドンを浴びた人が水を飲むとすぐに死んでしまう事は知ってたみたいで、
その最後に引導を渡した(水を与えた)のは祖母だったのです。

私の母はまだ2歳の子供だったので、
この話も人づてに聞いた話だと思います。

本当の話はいまだにわかりません。
しかし、私が子供の頃に祖父の骨を取り出し、墓石に収めた記憶があります。
骨は放射能を浴びているので、取り出すには数十年かかるそうです。
「ここにおじいちゃんが眠っているのよ」
そう言われつづけて、墓石じゃない所の石にいつも線香をあげていました。

つまり、たしかに祖父は帰ってきたのです。
もしくは家族の誰かが見つけたはずなのです。

でも、祖母の日記には祖父の事は書かれていません。あんなに愛していたはずなのに・・・
きっと、愛するがゆえに、祖父が丸焦げになった記憶を全て忘れているのでしょう。

私にとって原爆がどうだとか、戦争がどうだとか、はるかに遠すぎて何の意見も言えません。
ただ、子が親を殺し、親が子を簡単に殺してしまう時代に、
昔の人がこんなにも子供を愛して大切に育てていた事を知ってもらえたらと思っています。

祖母が2歳の娘を毎日必死に抱えてくれたおかげで
私の命はあります。

















この本の内容は以上です。


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