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いちにち

 

 

 

 太陽が昇り、澄み渡った空気が一晩かけて作りあげた氷柱を融かしていきます。せっかく作った作品を誰も見ないうちに壊してしまうのはもったいないと思います。でも、もしかしたら芸術っていうのはそういう儚いもののことを言うのかもしれません。

 

 わたしがそんなことを考えながら、月極駐車場の屋根の一点を見つめていると、青年が車のドアを開けて出てきました。今日も寒そうに歯をガタガタさせ、首にはマフラーを巻いています。若いのにだらしがないなとわたしは思いました。

 

 青年は車のトランクを開け、何かを取り出すと再び車の中に入っていきます。この青年、いつもエンジンをかけたまましばらく車から出ようとしないのです。

 

 たくさんの人が黒いコートと黒い靴、黒い手袋に黒いマフラーを身にまとい寒さに耐えながら道を歩いている。でも、そんな中青年は彼らの輪に入っていくつもりはないらしく、車の中で音楽を聴いたりテレビを見たりしています。

 

 わたしはそんな青年を不思議に思います。彼の身にまとう服はいつも華やかで他の人とは違う。彼の行動は、どこか落ち着きがなく他の人とは違う。そして、多くの人が互いに無視を決め込んで歩く道で、ただ一人彼だけがわたしに挨拶をして通り過ぎる。

 

 今日も青年はわたしの前でお辞儀をし、楽しそうに去っていきます。何が楽しいのかまったくもってわかりませんが、彼はいつもニコニコ……いや、ニヤニヤしながら通りを歩いていきます。わたしは挨拶されるたびに気持ちが悪いと思いますが、今となっては彼も立派な友達と言えます。なにしろ、毎日毎日同じこの道で顔を合わせて挨拶をかわすのですから。そんな彼とわたしがまったくの他人なわけがありません。せっかく友達になるなら、もう少しまともで普通の人が良かったなと思うけど、友達の少ない私には贅沢な望みです。

 

 

 

 

 

 陽がわたしの真上に来た頃、氷柱は幻だったかのようにすっかりきれいになくなっていました。

 

 近くにある建物から、お昼の時間を知らせるチャイムが聞こえてきます。このチャイムが鳴ると、その建物の中にいる人たちはお昼ご飯を食べるために建物の外に出かけていきます。今朝の青年もその中の一人です。

 

 多くの人が23人のグループを作り、近くの食堂に向かって歩いていく中、青年は一人、小さな袋を片手に自分の車の方へと向かっていきます。

 

 彼には友達がいないのでしょうか。わたしにだってお昼を一緒に食べる友達くらいはいるというのに。彼は他の誰とも仲良くしようとしないのです。

 

 彼は車に乗り込むとエンジンをかけ、小さな袋からパンを取り出して次々に口に運んでいきます。青年は、一人でお昼を食べているのに何やら楽しそうに笑っています。テレビで面白い場面を見ているのでしょうか。そんな彼を見てわたしは気持ち悪いと思います。

 

 わたしならきっと他の誰かを誘って一緒に食堂にご飯を食べに行くでしょう。そのほうがいろんな話をして相手の笑顔を見ながら幸せな気持ちでお昼ご飯が食べられるから。そのほうが絶対に良いに決まっている、とわたしは思います。

 

 青年がパンを2つ食べ終えたところで、腕を頭の後ろに持っていきくつろぎ始めました。わたしはそんな彼をしばらく観察することにしました。

 

 5分経過したとき、彼はニヤつき始めました。またテレビで面白い場面がやってきたのでしょう。そんな彼を見ていると本当に気持ちが悪いと思います。

 

 その後もたまに気味の悪い笑みを浮かべながら数分が過ぎていきます。お昼に食堂に出かけていったグループが、建物に戻っていく時間になっても青年はテレビにくぎ付けです。

 

 あたりに人がいなくなってきた頃にようやく、青年のそれはそれは重いのであろう腰があがります。青年は車から降りると駐車場の管理人のおばあちゃんに挨拶をしてから、こっちに向かって歩いてきました。

 

 正直来ないでほしい。そう思いました。それでも、この道を通らなければ青年の行きたい建物にはたどり着かないのだからしょうがない、とわたしは渋々自分を納得させます。

 

 青年がわたしに向かってニヤッ―――ニコッとしているつもりなのだろう―――として建物に向かって歩いていきます。

 

 建物からチャイムの音が響いてきました。お昼の終わりを告げるチャイムです。毎日毎日、青年やその他の人たちは建物から発せられるチャイムに従い行動しています。お腹が空いた時、チャイムの時間まで待たないといけないなんて苦しいだろうな、とわたしは思いました。

 

 やがて、陽は大小さまざまな建物の陰に隠れていき、空がほんのり赤く染められた頃、再び建物の中からチャイムの音が聞こえてきます。

 

 すると、十数える間もなくたくさんの人たちが建物の中から出てきました。みんな一様に、黒いコートと黒い靴、黒い手袋に黒いマフラーを身にまとっています。彼らはみんな黒が好きなのでしょうか。

 

 さらに不思議なことに、この時間の彼らはグループを作らずにみんな一人で外へ出てきます。昼間一緒にいた人は友達じゃなかったのでしょうか。それとも、彼らは時間帯によって友達になったり友達じゃなくなったりするのでしょうか。

 

 そんな中、オレンジの服にこげ茶色のズボン、白いマフラーの人が一人こちらに向かって歩いてきます。

 

 わたしには彼が誰なのか一目でわかります。他の人と違う服、落ち着きのない動作、気持ち悪い顔。いつも一人でお昼を食べている青年です。彼の顔は気持ち悪いけれど、彼が他の人たちと同じ顔になってしまったら嫌だな、とわたしは思います。

 

 わたしは、自分のしっぽが黒でなく白で良かったなと思いながら、青年と同じように家に向かって歩くことにしました。

 

 

 


この本の内容は以上です。


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