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プロローグ

 

( トラックは降りよう・・)

"小鳥"こと"黒井小鳥"は、二十歳も半ばを過ぎている。

 

家出をして生まれ故郷の福島県を飛び出したのは18歳の時。それからある男に世話して貰い、山梨県でトラックの運転手をしている。

山梨県で暮らす様になってから、仕事を通じて知り合った人達と交流をして来たものの、結局"小鳥"には妥当な立ち振る舞いというものがわからなかった。

" 本音と建前 "

という言葉は耳にして育っていても、本音を隠して平然と振舞い続ける器用さを持ち合わせてはいなかった。

最初は孤独から逃れる様に出会いの全てを大切にしようと心掛けていたものだが、いつしか嫌ったはずの孤独に逃げ込む様になり、そして故郷を飛び出した当時の熱い思いすらも薄れて半ば投げやりにもなっていた。

そんな時、

「 彼氏に作るお弁当の残り物を詰めただけなんだけど・・」

時折、手作りのお弁当を持って来てくれる女性が現れた。

その女性の名前は"三田葵"。

歳は"小鳥"よりも一回り上の会社の先輩で、あれこれと気に掛けてくれる"葵"の存在はいつしか"小鳥"にとって心地良い安らぎとなり、色々あったが二人は同棲生活を送るまで行き着いた。

トラック屋とも呼ばれるこの職業に就く事は"小鳥"の強い憧れだったが、

( この人を幸せにする・・)

結婚を意識する様になってからは、絶えず付きまとう事故のリスクは大きな気掛かりに変わり、こんな思考を抱えている。

 

"葵"との生活は、

「 ただいまぁ 」

と言えば、

「 おかえりなさい 」

と返って来て、そこに帰る事の楽しみを生み出した。

台所に立つ姿に見とれ、作りたての料理に温もりを感じ、テレビはただの飾りの様に変わった。眠る事も忘れ、新聞配達の音で朝に気付く事も多く、"小鳥"はそんな暮らしがずっと続いて行くと思っている。

「 "小鳥"はまだ若いから・・・」

"葵"が時折こんな事を言っても、特に気にする事も無い。

 

カカシ商運というトラック会社に勤める"小鳥"と"葵"は北部運輸に下請けとして配属されていて、二人とも2tトラックに乗って集配業務をしている為、夜は一緒に過ごす。

仕事上では先輩と後輩を演じて交際を秘密にしている二人は、ふいにボロが出て慌てて距離を取り繕った日などは帰宅後その話題で盛り上がり、たまに些細な口論から険悪になっても、ひとつの布団で寄り添い眠る頃には、

「 さっきはごめんね・・」

「 うん・・」

仲直りは早い。

色恋の熱が上昇した時の常である。

 

そんな中で、"葵"が言った言葉。


「 今度の日曜日にウチ(実家)に一緒に行ってほしいの・・」

 

約束の日曜日。

石積みの階段を数段登り切り、大きな庭を眺める様に南を向く玄関で"小鳥"が立ち止まると、"葵"が背中をそっと押す。

振り返って帰る事も最早出来ず、引き戸をそっと開けて、

「 こんにちわ、お、お邪魔します・・」

精一杯の礼儀を声にする。

「 はいはい、あっこれはこれは、ささっ、どうぞお上がりください 」

"葵"の母親は優しく出迎え、茶の間に"葵"と並んで座った"小鳥"にお茶菓子を運び終えるとテーブルを挟んで向かい合った。

"葵"が"小鳥"を会社の後輩として紹介し、今に至るまでを大まかに説明する。

( 前の彼氏と別れた事は聞いたのだろうか?)

( 俺と一緒に暮らしているのだから、それはそれなりに・・)

( 俺は何故ここにいるのだろうか?)

どう振舞うべきか戸惑う自分を隠す様に目の前のお菓子を黙々と食べ続ける"小鳥"。

「 おかわり食べる?」

"葵"の母親が優しく笑い掛けた時、

" ガラガラッ・・ カシャッ "

玄関の方から人が入って来る音がした。

「 あら、お父さんだわ 」

"葵"の母親がさっと立ち上がって襖の向こうに消えて間も無く、その襖から現れたのはやはり"葵"の父親。

「 あ、あのぉ・・ "葵"さんと結婚します!」 

"小鳥"は初対面のその第一声に、こんな言葉を口にしていた。

帰りの車中。

「 うちのお父さんって、昔気質で頑固だから誰を連れて行っても、「 出て行け~ 」って怒鳴って終わりだったのに、"小鳥"には全然違かったから驚いちゃった・・」

自分の父親の予想外な反応に喜びを見せる"葵"。ハンドルを握る"小鳥"は、

( 今まで何人と付き合って来たんだ?)

こんな思考を抱えていた。

 

アパートの駐車場に車を止めて、先に玄関に向かって鍵を開けようとした時、

「 ねぇ、なんか怒ってるの?」

 

背中で感じる"葵"の不機嫌。

「 べつに・・」

とだけ答えて部屋に入る。

( 一体、何人と付き合ったのだろうか・・)

6畳の茶の間であぐらをかき、車の中から続く思考と向き合う。

玄関を入ってすぐ横の台所に立った"葵"がまな板に刻む包丁の音をいつもより強くしても、"小鳥"がそれを気に留める事は無い。

 

やがてテーブルには出来上がってしまった料理が並んだ。

「 乾杯・・」

いつもならそう言って始まる夕飯にその言葉は無く、

" カツンッ "

"葵"は自分のビール缶を"小鳥"のビール缶に当てて鳴らすだけ。何とも気まずい状況である。

 

すかさず立ち上がって"葵"の後ろに座り込み、

「 "小鳥"・・ どうしたの?」

驚く"葵"を静かにそっと抱き寄せる。

「 ごめん・・」

そして、

( たった今、この人はここにいるんだ・・)

"小鳥"は、柔らかな温もりを肌で確かめながら、穏やかに戻るべく自分に何度も言い聞かせた。

 

数日後。

 

先に帰った"葵"は、台所の小窓に影を揺らして夕飯の支度をしていた。

「 ただいま・・」

"小鳥"が少し遅れて帰宅する。

「 おかえり~」

手を止めた"葵"が"小鳥"の上着を預かると、ちょうどその時ポケットの中で携帯が鳴り出した。

「 はいっ 」

慌てて取り出した携帯を"小鳥"に渡す。

 

途中だった夕飯の支度に取り掛かろうと台所に戻り、

(・・・)

動きを止める。

( "小鳥"の気持ちが変わってしまったら・・)

真っ直ぐに求愛してくる"小鳥"を信じようとしていても、先に老いて行くどうにもならない年の差を気にしていた"葵"にとって、このタイミングで鳴り出した携帯は大きな不安を感じてしまうものだった。

 

"小鳥"は、電話を終えるとすぐに、

「 ちょっと出掛けて来る 」

そう言って玄関を出て行ってしまった。

 

夕飯の仕度を止めた"葵"は、茶の間に一人座り込む。

 

見送る時に平静を装い、引き止めてどこに行くのか尋ねる言葉を出せなかった。

一緒に暮らし始めた頃、

「 ねぇ、何が食べたい?」

"葵"は"小鳥"に聞いた事がある。

「 手作りの料理がいいなぁ 」

「 えっ それだけ?」  

「 しばらく食ってなかったから・・」

「 それじゃぁ洋食と和食だったらどっちがいい?」 

「 和食かなぁ・・ あっ!味噌汁が飲みたいなぁ・・」

大好きなビールに手も付けず、そんなやり取りをふと思い出す。

 

そして、

( 誰と一緒にいるのだろう・・)

次第に不安が大きくなって行く中で、"葵"はテーブルの上で眺めるばかりの携帯を掛ける事が出来ず、今までの会話を思い出して心当たりを探す。

しかし、

(・・・)

「 自分の事ばっかり・・」

浮かんで来るのは失恋の悲しみを吐き出す自分ばかり。

( 一体どんな気持ちで・・)

"小鳥"の事を何一つ聞こうとはしていなかったと気付く。

( "小鳥"が帰って来たらたくさん聞いてあげなきゃ・・ 今まで聞いてあげられなかった分・・)

 

"葵"の目に力が戻る。


静まり返った外に車の排気音が響いた。振り向くと台所の小窓にはヘッドライトの明かりが差し込んでいる。


車のドアが閉まる音がして、

( 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・・)

近付く足音。"小鳥"だ。

「 おかえりなさい 」

「 ただいま 」

「 どうかした?」

「 あぁ、ちょっと、ごめんね・・」

「 うん 」

どこで何をしていたのか、その後の言葉を待つが、それが無い。

( どうして? こんな時間まで待っていたのに!)

急いで料理を用意しながらも胸の中に込み上げる感情に、

( ちがう・・ ちがう・・)

しかしとうとう、その感情を押える事は出来なかった。

( たくさん聞いてあげるはずだったのに・・)

描いていたものとはあまりにも掛け離れた現実がそこにはあった。

 

"小鳥"に電話を掛けて来た相手は"大蛇"という男で、"小鳥"が勤務するカカシ商運の専務である。

その妻である”つぼみ”もカカシ商運に事務員として勤務していて、二人は家出中の身で入社して来た"小鳥"を、

「 息子みてぇなもんだ・・」

と言って何かとかわいがってくれていた。

最近では色々とあって一緒に過ごす事も無くなっているが、記憶の限り、こんなタイミングで呼ばれる時は決まって肩もみのリクエストで、久々の連絡はやはりそれであった。

"大蛇"には持病があり、人並みよりは勝る"小鳥"の指圧で血行を良くしてから眠りに着くのを一時は日課の様にしていた為、どうしても具合が悪い時、こうして"小鳥"を頼るのである。

「 おまん何してるだぁ? どうせ暇ずら~ ちっと肩を揉んでくれよ・・」

甲州弁丸出しにして"小鳥"を呼び付ける"大蛇"は、電話をしてから着くまでの時間をそれとなく計る。

その事を知っていた"小鳥"は、

( 取り敢えず行かなければ・・)

変に遅ければ"葵"との関係がばれてしまうと思い、慌ててアパートを飛び出したのである。

キッチンで洗い物をする"つぼみ"が上機嫌に見える中、

( 早く寝てくれ・・)

そんな願いを内に秘めてみても、百キロはあるであろう"大蛇"の肩は、押し返される親指が弓の様にしなる程で、開放の合図を貰うまでには時間をたっぷりと消費していた。

「 おぉ!へぇいいぞ 」

「 はい、それじゃぁ失礼します!」

「 おぉ、気を付けて帰れ 」

「 ありがとうございます 」

急いで車に乗り込みアクセルを深く踏み込んだのも空しく、アパートへ戻った"小鳥"は泣きじゃくる"葵"を呆然と見つめていた。

 

御坂峠のトンネルを抜けると、下り坂の左手には猿山公園が在り、それを通り越した先には河口湖が広がっている。

その湖周辺から鳴沢村と富士吉田市までに渡る "郡内 1"と呼ばれるエリアは、雪深くターミナルからも遠いなどリスクの大きな配達先のひとつだが、そういったエリアは下請けに任される仕組みで"小鳥"はこのエリアの担当とされている。

湖畔沿いの料亭や卸問屋への配達から始まる"小鳥"のトラックは、生きたうなぎから精密機械、時には木組みの機械まで混載で、荷受先のほとんどが到着時間にうるさく、冬場の配達は雪に邪魔されて特に苦労が多い。

何とか2度の冬を乗り越えて来たが、改めて配達に向かうトラックから通り過ぎる山肌を眺めると、その所々には深まり行く秋をせかす様に枯れ葉が目立ち、

( また今年も・・)

そう意識した時、"小鳥"は最初の冬に起きたある出来事を思い出していた。

富士吉田市は勿論、甲府市でも記録的な大雪となったその年、まだまだ不慣れだった"小鳥"は配達を午前中に終わらせる事など程遠い状態で、昼休みもろくに取れずに慌てる毎日だった。

配達の後は集荷といって大月市や都留市の工場を何軒か回り、そこから発送される荷物を集めて甲府市にある北部運輸のターミナルまで持ち帰る訳だが、定期便と呼ばれる大型トラックがターミナルを出発する時間までに間に合わせる事は、この時の"小鳥"にとっては至難の業だった。

ただでさえ道に迷い、地図を広げて調べるロスタイムが業務を圧迫している状況の中で、その日は止む気配も無く降り積もるばかりの大雪にも邪魔され、

「 もしもし、あの、このままだとどうしても間に合いそうに無いんですけど・・」

"小鳥"は泣きの電話を掛けていた。

ターミナルでその電話を受けた北部運輸社員は、

「 今どの辺でぇ?」

と現在地と残りの業務を確認し、

「 そしたら今日は、大月の工場の集荷は断って置くから、都留インターから高速に乗って戻って来てぇ 」

普段は使う事を許さない高速道路を使って戻る様にと指示を出した。

( これで間に合う・・)

ちょうど都留インターの手前まで来ていた"小鳥"は、ほっとしてたばこに火を付けながら高速道路に乗り込んだ。

しかししばらくして、

「 あれ?」

だんだんと寂しくなる景色の中で見つけたものは、東京方面と書かれた標識。

あり得ない話の様だが、"小鳥"は大月のジャンクションで降雪の視界に標識を見落とし分岐を間違えて逆方向に走っていたのである。

( 大型はもう他の荷を積み終わって俺の到着を待っているはず・・)

ハンドルを握る手に力が入ったものの、いきなりの逆送は出来ず、心ばかりがアタフタとしたその時、携帯が鳴った。

「 もしもし・・」 

「 もしもし、今どのへん?」

もうじき着くであろう予測の北部社員の穏やかな問い掛けに、

「 え~と、あと少しで上の原です 」

「・・・」

「 すみません、大月で分岐を間違えました 」

「 はぁ? おまんはどこに向かってんだよ!そっちは反対ヅラ~!」

北部運輸社員の角を立てた甲州弁に"小鳥"の感情は一気に噴き上がり、負けじと罵声を浴びせ返そうとしたその時、一瞬早く受話器の向こうからキレる女性の声が耳に届いた。

「 県外から出て来てねぇ!まだ右も左もわからんボコにほんな言い方しんくたっていいらぁ!ほれで事故でも起こしたらどうするでぇ!」

「 ん?」

そしてすぐに、それが"葵"だとわかると、

( 俺の為に・・)

"小鳥"の熱は瞬間で奪われていた。

さすがの北部運輸社員も"葵"のこの行動は驚きだったらしく、

「 取り敢えず気を付けて戻って下さい 」

と丁寧に取り繕って電話を切った。

そして甲府に向かって走り直した道中、"小鳥"は"葵"の行動が嬉しくて人知れず涙を流したのだった。

そんな出来事から始まっていたとも思える今に、

( 俺に何が出来るだろうか・・)

あの夜以来ぎくしゃくしてしまっている"葵"との関係を取り戻すべく、誠意を示す手段を考える。

 

今では地図を広げる事も滅多に無くなった"小鳥"は、富士吉田から最終の集荷地となる大月までのルートに都留を通る県道139号線の他にも山道がある事を発見していた。

この山道は地元の人だけが知っている様な抜け道で車の通りも少なく、その道中には昼寝をするのに絶好の膨らみがある。

集荷までの時間調整に利用する事が多かった"小鳥"は、この日もコンビニに立ち寄って買い物を済ませるとその山道へと入ったのだが、それがいつもと違ったのは配達を過去に見ないハイペースで終わらせた事と、その膨らみに辿り着いてもいつもの様に昼寝をするでもマンガの本を読むでも無かった事だった。

いきなり上着を脱いで助手席に投げると、コンビニの袋から油性の黒マジックを取り出し、そのマジックにカッターの刃を立て、

「 何だよ!硬くて切れねぇや・・」

結局は腕力に任せてマジックを二つに折り、次に携帯用の裁縫セットを取り出して、その中から針を一本右手に摘むと、それを黒いインクに浸して掬い上げた。

針先に滴る黒い滴を確認して、

" ズブッ "

自らの左上腕に針を躊躇無く刺し、

" ズブッ "

" ズブッ "

" ・・・ "

滲み出した血液をティッシュで叩き拭いては又針を刺し、何度も何度も繰り返して行くうちに、やがてそこに浮かび上がったのは『 葵 』という文字。

「 どうして何も言ってくれないの?」

「 どうして連絡もしてくれないの?」

「 ワタシがどんな気持ちで待っていたかわかるの?」

「 そのうちワタシなんかより若い子が良くなるって!」

・・・

涙ながらに訴えた"葵"の言葉を思い出しながら、"小鳥"は痛みも忘れて自らの肉体に誓いの証を刻み込んだのである。

 

その後、針を刺した左上腕は上着の生地が触れるだけでも痛む程だったが、"小鳥"は、あの夜以来必要最小限の会話はするものの笑顔を見せる事の無い"葵"には告げず、一人の胸にしまってその時を待っていた。

そしてこの日、いよいよ二人は曇天の停滞の様に晴れにも雨にもならぬ混沌とした状態から次に向かって動き出す事に。

いつもの様にシャワーを浴びた"小鳥"が脱衣所で着替えを済ませてテーブルに着くと、

" プシュッ "

缶ビールの栓を開ける音で食事が始まり、

" カツンッ "

相変わらずの空気の中で、"小鳥"は"葵"の料理を残さず食べ終えた。

「 ご馳走様・・」

そう言って空いた皿を台所に運び、

「 ねえ・・」

"葵"の後ろに屈み込む。

「 どうしたの?」

「 俺は今まで、"専務(大蛇)"に色々と世話になって来たんだ・・ この前急に出て行った夜は、"専務(大蛇)"に呼ばれて肩を揉んでた・・」

「 えっ?どうして言ってくれなかったの?」

「 なんかさぁ、"イーちゃん (葵)" よりも"専務(大蛇)"を取るみたいで・・」

「 同じ会社の上司なんだから仕方ないじゃない? 誰もそこにヤキモチは焼かないわよ 」

"葵"はやや驚きながらも、久々の笑顔を見せる。

「 "イーちゃん (葵)" とこうなる前はさぁ、"専務(大蛇)"だけが唯一俺を・・」 

"小鳥"はここで、山梨に来た経緯や自分にとって"大蛇"が救いだった事を打ち明けた。

「 今までごめんね、 "小鳥"の事何も聞いてあげられなくて・・」

"葵"がとても穏やかに変わり、

「 あのさぁ、見て欲しいものがあるんだ・・」

「 なぁに?」

ここで"小鳥"は座ったままゆっくりと上着を脱ぐと、

「 俺、色々と考えてみたんだけど指輪を買う金なんか無いし、だけどさ、これなら他所で服は脱げないからさ、安心して欲しい・・」

そう言って左肩をそっと向けた。

「 こんな俺を好きになってくれてありがとうね・・」

途端に"葵"の表情は崩れ、その目から涙が零れる。

この前によく似た情景の中、違っていたのは"葵"の体が細く震えていた事だった。

 

 


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家出

 

両親の元を飛び出した18歳の夏。

"小鳥"は東京の大学に進学して一人暮らしをしている同い年の友人を頼って上京した。

その後、その生活が長く続く事は無く、手持ちの金が減って行く中で、

二州連合
もぐら
TEL 〇〇〇-〇〇〇〇-〇〇〇〇

「 もしもし・・」

"もぐら"という男に連絡をしていた。

「 わかった、俺が面倒みてやっからよぉ~」

事情を聞いた"もぐら"は迷いの間合いも無く待ち合わせ場所を指定し、

「 明日そこまで来れるか?」

「 はい 」

そして"小鳥"は、身を寄せた友人の元を離れた。
 
待ち合わせ場所に黒塗りの10tトラックでやって来た"もぐら"は、その助手席に"小鳥"を乗せると、

「 まぁ、今日はウチに泊まれ 」

そう言って走り出し、やがて栃木県内のだだっ広い敷地でトラックを止めた。

「 ここは車庫として借りてるんだ・・」

トラックを降りた"もぐら"が笑顔を向けて歩き出す。

その後ろに続いて少し歩いた所に見えたのは、決して大きいとは言えぬ平屋のアパート。

"もぐら"がその玄関扉を開く。

「 おう、帰ったぞぉ~ 」
 
すると、

「 おかえりなさい 、いらっしゃい、どうぞ 」

奥から現れたのは"もぐら"と同年代と思われる女性。

「 おぉ、これはウチのかみさんだぁ・・」

と紹介され、

「 すいません、おじゃまします・・」

"小鳥"は一礼して玄関に入った。

「 狭い家だけど、ゆっくりしてってね・・」

奥さんはそう言うと奥へと消えて行き、それが台所で夕飯の仕度をしている途中である事を伝える。

「 まぁ上がってゆっくりしろ・・」

「 はい・・」

"小鳥"は玄関からすぐの茶の間に上がって正座をした。

別の部屋へと姿を隠した"もぐら"が部屋着に着替えて戻り、

「 疲れたか?」

「 いえ、大丈夫です 」

「 明日の朝は早いからな、今日はゆっくり休めや・・ パジャマはあんのか?」

「 いいえ・・」

「 お~~ぃ! コイツに俺のパジャマ貸してやれぇ 」

「 はぁい 」

台所から返事をする奥さんに躊躇は無い。

「 お前、酒は飲むか? 」

「 いえ、大丈夫っす・・」

"もぐら"と軽い会話をしている間にテーブルには料理が並び、"小鳥"は"もぐら"一家に混じって夕飯を囲む事になった。

腕の中に赤ん坊を抱えた奥さんと、その横に並んで座る3,4歳程の男の子と小学生位の男の子。"もぐら"一家は五人家族だという事がわかる。幼子達はそれぞれに食う事に夢中で、テーブルに突然加わっている"小鳥"に対して萎縮も興味も特に示す事は無い。
 
"小鳥"はやはりこの情景が珍しく無い事なのだと思いながら、気の利いた会話も出来ずに茶碗一杯の白米を最小限のおかずで腹に詰めた。

「 どうも、ごちそうさまでした・・」

「 もういいの?」

と気遣う奥さんに、

「 はい、おいしかったです・・」

と答えてそっと箸を置く。
 
するとすぐに、

「 おい、先に風呂に入っちまえ・・」

"もぐら"に言われ、"小鳥"はこの一家の一番風呂に入る事になった。

自分の後に家族五人が入るのだと考えると湯船に浸かるのは気が引けて、シャワーで体を洗い流すと足早に風呂場から出る。その時すでに脱衣所にはパジャマが用意されていた。

「 お風呂ありがとうございました、あとコレ、お借りします 」

「 おぅ・・ そっちの部屋で寝ちまっていいぞ、朝は起してやるからよ 」

茶の間から見える隣の部屋には布団もすでに用意されていて、

「 はい、ありがとうございます、おやすみなさい 」

そっと襖を閉めて布団に入った"小鳥"は、感謝とは別の所で枕の心地が気にもなったが、計画も無く進む人生はシューティングゲームの様で思っていた以上に体力は奪われていたのだろう。寝息を立てるまでは早かった。
 
翌日。

家を出たのは朝の5時。

「 これが終わったら "おやじ"に会わせっからな・・」

黒塗りの10tトラックを運転する"もぐら"は、広い国道に出た辺りで助手席に座る"小鳥"にこんな声を掛けたが、

( この人の"おやじ"に会ってどうするんだろう?)

正直な所、"小鳥"はこんな疑問を抱いていた。
 
"もぐら"とは、まだ福島にいた頃、選果場で知り合った。

農協が果実の出荷シーズンにだけ募集するアルバイトに参加していた"小鳥"は、女性は果実の箱詰め、男性は力仕事に割り振られる中、

「 "高木"くん! 次は向こうの大型に積み込んでください 」

「 はい 」

ただ一人、金色に染まった髪の毛を振り乱し発送の積み込みに汗を流していた。

「 受験に落ちて、働きもせずフラフラしている・・」

アパートの大家から悪評を立てられ、世間が急に冷たくなった様にも感じていたこの頃、"小鳥"は自分の行き先が分からずにいた。

遡れば、親戚で集まった正月には"小鳥"の受験が話題になり、

「 いよいよだな?」

「 もちろん福島大学だよな?」

「 学部はどこに決めたんだ?」

「 センター試験はどうだ?」

こんな類の言葉が飛び交っていたものである。

年上の従兄弟達は進学にしろ就職にしろそれぞれが志望する形を果たしていて、母親は、

「 "小鳥"なら大丈夫・・」

自分の息子を、自分達の家系を信じたかったのだろう。

この時の"小鳥"は確かに黒色の短髪で、悪評の類などは耳に届かず、

「 経済学部に行け 」

と言い残して他界した祖父の言葉に従って福島大学の経済学部一本に狙いを定め、親に分割払いで買い与えて貰った高い教材と徹夜で向き合いながら受験勉強に取り組んでいた。

試験当日、会場で出会った中学時代の同級生の女子からは、

「 "黒井(小鳥)"くん、どうしてここにいるの?」

そんな声を掛けられたりもしたが、試験問題には全力を尽くす事が出来た。

そして待ちに待った発表の日。

結果は見事に『 不合格 』。

・・・

「 社会に出たら嫌でも働き続けなければいけないの・・ 一年浪人して大学で思う存分遊びなさい 」

落ち込む"小鳥"を気遣う様に母親はこう言ってくれたが、それには何より金が掛かり、親の負担はわかり切った事。

( そこまでして行くべきか?)

この時の"小鳥"に、共働きで働き続けて来た親に更なる苦労を掛けてまで、大学に行きたいという熱意は沸いて来なかった。

しかしである。

( 死んだじいちゃんが守ってくれる・・)

そんな気持ちで臨んだ受験に落ちる想定をしていなかった"小鳥"にとって、進むはずの道が突然消えてしまってからの毎日は、受験勉強から開放されたというよりも、それを剥奪されてしまった様な空虚になる。

そんな状態からの脱出の手段として、

( 今まで出来なかった事でもやってみるか・・)

ただそれだけだった。

ブリーチを髪に付け、ラップを巻き、しばらく待って洗い流した数十分が本当に"小鳥"を変えてしまったのかどうか、その姿を見た母親は泣いていた。

夕飯を済ませた後に父親の晩酌に並ぶ母親は、その時ばかりは明るく振舞っていたが、酔った父親が先に就寝してしまうと茶の間を悲しく染め、その空間は"小鳥"にとって苦痛になった。

そして、入学シーズンを過ぎて世間がまるで新しく動き出す頃に、"小鳥"はパチンコ屋に入り浸る様になる。
 
軍艦マーチが流れるホールでくわえタバコでふて腐れて足を組めば気分は大人になった様だった。勝った時には友達を飯に誘い、カラオケボックスやゲームセンターで過ごした後には明け方まで街を徘徊し、夏の虫の様にネオンに惹かれて群がっては、ただの広場に、ビルのバルコニーに、居場所がある様な錯覚。金が掛かるのは申し訳ないと親を思いやったはずの心はどこかへ隠れ、パチンコの金を無心し続けた末にいつしか家族の団らんは崩壊していた。

ちょうどチーマーという言葉が騒がれ始め、腰で履くチノパンとネルシャツやカットソー、そんな十代の流行と金髪で固めたナリの"小鳥"は同じ色で見られていた様である。

かじられるスネも砕けた母親は、

「 そんなにお金が欲しいなら働きなさい!」

とヒステリックに傾き、朝も昼も夜も無く眠りたいだけ眠り、遊びたいだけ遊ぶ事で日々を消化する"小鳥"に労働で対価を得る事を言い勧める様になる。

遊ぶ事に何より金が必要になってしまった"小鳥"は、いつまでも" プー " だの " パー " だの言われてのさばっている訳にも行かなくなり、しぶしぶアルバイトをする事に。

しかし、最初に勤めたコンビニは、それを聞きつけた仲間がモヒカンやギラつく目で立ち読みをして"小鳥"の開放を待っていたり、カラッと揚げたカラアゲの摘み食いがバレたりすると居辛くなって退職してしまい、その後は人目を避けた新聞配達をするものの、街を彷徨う途中で"小鳥"が朝方の配達に向かえば仲間達が悪乗りで同行して、それはちょっとしたパレードの様に目立ち過ぎて恥ずかしくもなり、しかも稼げる金は微々たるもので貰う傍から消えてしまうと長続きはしなかった。

そんな"小鳥"に、母親は自らが勤める選果場で短期のバイトを繋いだ。

しかし呼び名は"高木"。それは母親が用意した偽名。

トラックをどこに何台頼むか、どこの市場にどれくらいの荷を出すか決めていた"小鳥"の母親に対して、"小鳥"の役割はベルトコンベアーとローラーをセットして箱詰めされた果実をトラックの箱の中まで送る事。

トラックの箱の中で流れ着くダンボールを順に積み上げて行く運転手との共同作業は、実に微妙なタイミングが要求されるもので、しかも一度始まれば止める事は興ざめの空気を生む為難しく、息が切れても腕が上がらなくても歯を食いしばって踏ん張るしか無い。

それでも終わった後に運転手からジュースを貰ったりすると、

( がんばって良かった・・)

達成感も大きく、嫌になる事は無かった。

そんな中で、

「 あの姉ちゃんはよぉ、俺らん中じゃけっこう恐れられてんだぁ・・ あのヒトを怒らせたらいけねえんだ 」

「 へぇ、そうなんすかぁ 」

母親を姉ちゃんと呼びながらも一目置いている風の運転手は、"小鳥"との積み込みのペースが心地良かったらしく、次の日もその次の日もやって来ては、

「 ほれっ、おかげで早く市場に出れるよ・・」

必ず積み込み後に缶ジュースを買って来ては、汗が引けるまでのひとときを“小鳥“と一緒に過ごす様になった。
 
"小鳥"としても、この運転手とのひとときは自然に笑顔になっていた。

いよいよ今日が最後だと言う日、この運転手は、

「 なんか困った事があった時は電話よこせ 」

と"小鳥"に名刺を渡して、

「 兄ちゃん、ありがとうな 」

そう言って去っていったのだが、"小鳥"に名刺を渡したこの男が"もぐら"で、"小鳥"はこの時人生で初めて受け取った一枚の名刺を家出の際にバックのポケットに入れていたのである。
 
荷降しを終えてから見知らぬ風景の中をしばらく走り、昨日とは別の砂利敷きの駐車場へとトラックを乗り入れた"もぐら"は、

「 これから"おやじ"のトコに行くからな 」

そう言って違うマスに止まっていた黒塗りのセダンに乗り換えると、今度はその助手席に"小鳥"を乗せて再び走り出した。

着いた先はファミレス。

「 着いたぞ、降りろ 」

「 はい 」

先に降りた"もぐら"がどこかへ向かって手を挙げる。

(?)

"もぐら"の目線の先にはいかつい男が二人立っている。
 
「 コイツが"小鳥"だ 」

歩み寄りながら声を出した"もぐら"が何処と無く得意気に見える中、 

「 "小鳥"です 」

その後ろから挨拶をする。

「 オラぁ"三日月"だぁ、よろしくなぁ 」

片方の男がやたらとデカい声で陽気な挨拶をしたかと思うと、それに続いて、

「 オレは"イズミ"だぁ 」

と、もう片方の小柄で筋肉質の男がささくれた声を出した。

その後、男達は駐車場でたむろをして砕けた会話を続け、"小鳥"は愛想笑いをしながら、かろうじてその場に加わっていた。

( いつまで此処にいるんだろう・・)

そう思い始めた時、3人の男達は突然横一列に並び揃って姿勢を正し、と同時に男達の前にフルスモークのシルバーのベンツがゆっくりと滑り込んだ。
 
「 おつかれっす!!」

男達がベンツに向かって声を揃える。

運転席の窓が降り、

「 おぉ 」

不気味に擦り切れた声が届く。

ベンツは再びゆっくりと動き出し、

「 "小鳥"ぃ あれがうちの"おやじ"だ! ちゃんと挨拶しろよ 」

その隙を突く様に"もぐら"が言う。

「 は、はい 」

かろうじて返事をするだけの"小鳥"。

隣接するマスに他の車が無い所でベンツは止まり、そこから"おやじ"と呼ばれる男が降りて来る。

( あれがおやじ?)

"小鳥"の目は釘付けになった。

やや出っ張ったお腹を揺らしながらこちらに向かってのけぞり歩いて来る姿は、黒々としたパンチパーマと色白な顔に付いた細目が人相を悪く仕立てていて、セカンドバッグを抱える腕には金の時計が光り、決してそこらのお父さんでは無い。

「 "おやじ"!コイツが"小鳥"です! ほれっ 」

"もぐら"に紹介されて、

「 はじめまして、"小鳥"です 」

と慌てて挨拶をする。

「 おぅ、まぁ中に入るべかぁ~」

"おやじ"と呼ばれる男は先頭に立って店の入り口へと進み、

「 いらっしゃいませ、何名様ですか? 」

即座に歩み寄って来た店員を置き去りにして、昼時をだいぶ過ぎて閑散とする店内を進んで行く。

後ろから続いた"もぐら"が黙ったまま右手を広げて5人である事を伝え、

「 空いているお席へどうぞぉ・・」

一同は一番奥のテーブルに座った。

オーダーしたコーヒーがテーブルに置かれ、

「 んで?お前は何歳だ?」

「 18です 」

「 "もぐら"、お前も物好きだなぁ 」 

"おやじ"と呼ばれる男が穏やかな表情を見せる。

「 "おやじ"!コイツけっこう根性ありますから、なんとか面倒見てやってください 」

"三日月"と"イズミ"が見守る中、"もぐら"が真剣に頼み込む。
 
すると、

「 いいかぁ、5択やるから決めろ・・ やくざ、板前、まぐろ船、臓器売買、トラック屋・・ お前が生きてく為に金を作るならどれだ?」

"おやじ"と呼ばれる男は、さっきまでの表情を瞬間で消して"小鳥"にこう言い放った。

「 はぁ・・」

口の粘膜が渇く程の緊張感の中、

( 自分のこの先が、ここで決まる・・)

硬く握ったコブシを両足の上に押し当て、視線をテーブルの上に落とす"小鳥"。額には汗が滲み、

( やくざ・・ 板前・・ まぐろ船・・ 臓器売買・・ トラック屋・・)

沈黙の時間がしばらく流れた。

東京に出て板橋区役所前を最寄り駅にしている友人の部屋に転がり込んだ後、間も無くして彼に半同棲する彼女が居る事を知ると、

( 自分が居ついた所で迷惑なだけ・・)

そして、そんな気持ちに追い討ちを掛ける様に、ある晩、中国人の経営するラーメン屋で50円の替え玉を頼むのに悩んでいる自分に気付き、

( 手持ちの金が尽きればそこで終わる・・)

その現実に震える事になった。

歌手になろうとギターを担いで東京に出た所で夢追いながら暮らしを繋ぐには一つも二つも足りず、

「 歌手になろうとしたら、カスになっちまった・・」

そんな名台詞を生み出してみても腹の足しにはならず、その後、

( 地元に泣いて帰りたくはない・・)

そんな思いで"もぐら"にすがった訳だが、ここでこんな選択に迫られる事になろうとは想像していなかった。

( はぁ、どうすりゃいいんだよ・・)

そう思った時、"小鳥"は何故か福島を出る間際に熱唱していた自作の歌を思い出した。
 
 
~ ありがとう ~


ひさしぶりに ドアをひらいたんだ・・・
重く閉ざされてる 僕の家のドアを・・・

ひとつの部屋だけ 明りが灯っていたよ
母さんがうつむいて 涙を浮かべていた

思えば 今までの僕は 甘えてばかりだったよ  だから
この唄を 送りたい あなたに

ありがとう 手を差し延べて 僕を見つめて
そらさず立ち上がらせ 歩ませてくれて


「 今月から 東京へひとり行くよ 
 戸惑ってる意味が 見つからないから 」

「 もうお前には 帰る場所はないから・・」 
 厳しい言葉こそ愛の深さと知った・・

例えば 今ここで 夢を捨てたら死を選ぶだろう  だから
この唄を 送りたい みんなに

待っていておくれ 先を見せられない この僕が
光を手に入れて 照らし示せる その日まで

ありがとう 人生の限られた時間を
こんな僕の為に 費やしてくれて

ありがとう

ありがとう
 
 
福島を去る間際、未来を掴む事を誓って作った歌である。
 
その歌が"小鳥"を導いたのかどうか、

「 トラック屋でお願いします 」

「 おぉ、 "もぐら"!こいつ腹減ってんべ?ここは出るぞ、あそこに連れてけ 」

"おやじ"と呼ばれる男は柔らかい表情に戻って"もぐら"に指示を出し、

「 ヘィ 」

一同はファミレスを出て、行き着けだと言う中華レストランに向かう事に。
 
「 これを持っとけ 」

「 はい 」

中華レストランの小さな円卓で、"おやじ"が差し出した人生で2枚目となる名刺。
 
二州連合 〇〇支部長
とんぼ
TEL 〇〇〇-〇〇〇〇-〇〇〇〇

「 これは今は使えねぇけどな・・」

金文字が並ぶ名刺には何やら大紋の様なものも記されている。

セリフの意味はわからないが、

「 ありがとうございます 」

両手でそれを受け取る。

とそこに、ジョッキのビールが運ばれて来る。

「 お前も飲め 」 

と"もぐら"に言われ、

「 まぁ、乾杯 」

"おやじ"に合わせてジョッキを掲げ、

「 い、いただきます 」

"小鳥"もビールを喉に流し込んだ。

そして、

「 何でもいいから頼め、それから今日からしばらく"三日月"のトコへ泊まれ 」

口の周りに泡を付けた"おやじ"が出した最初の命令に、

「 はい 」

中華レストランで囲んだテーブルは一転して和やかで、ここに来るまでのアレコレを"もぐら"が語れば、それを聞きながら男達は笑い、結局酒を飲んでいない"もぐら"が一番賑やかだった。

店を出て、"もぐら"の車に乗って"三日月"の住処へ。

「 おい、着いたぞ!」

見つめる先には二階建てのボロアパート。

「 あの、今日はありがとうございました・・」

"小鳥"は心からの感謝を"もぐら"に伝えた。

「 おぉ、俺はたぶんしばらく会えねぇけど、"おやじ"がちゃんと面倒みてくれっから、しっかりがんばんだぞ!」

「 はい!」

"もぐら"を見送り、錆びた階段を上がって行く"三日月"の後に続く。

「 まぁ、あがれ 」

階段を上り切ってすぐの扉が開かれる。

「 お邪魔します 」

横に流しが置かれた玄関を上がって進んだ奥には襖で仕切られた畳部屋が2つあり、

「 俺は明日早くに出ちまうから、あとは好きにしてろ 」

ぶっきらぼうな振る舞いも悪い感じの無い"三日月"は、布団を"小鳥"に与えてから隣の部屋へと消えて行き、しばらくすると襖の向こうからイビキの音を伝えて来た。

それを聞きながら布団の中で目をつむる"小鳥"は思うのだった。

( 何の得にもなりゃしないのに、こんな俺を拾ってくれて飯まで食わせてくれる人達がいるんだなぁ・・ 福島にいたら知る事は出来なかったろうなぁ・・)

翌朝。
 
そこに"三日月"の姿は無い。
 
"小鳥"は布団をたたみ部屋の隅に寄せ、カーテンを開けて窓の外を眺めた。

夕べは気付かなかったが目の前はスーパーや周りの商店共用の広い駐車場になっている。

(!)

見覚えのあるシルバーのベンツ。そして、ちょうどそこから降りる途中の"おやじ"の姿。

( どうしたら良いんだ?)

取り敢えず急いで台所に行って顔を洗い、風呂場の鏡で寝癖を整え部屋に戻る。

" コツンッ コツンッ・・"

階段を上がって来る足音が聞こえ、

" ガチャッ "

ドアノブが回る。
 
その音と同時に、

「 おはようございます!」

"小鳥"は正座をして頭を下げた。

「 おぉ、起きてたかぁ 」 

擦り切れた声を出しながら入って来た"おやじ"が、太った体を揺らしながらゆっくりと座る。
 
そして、

「 フーッ 」

とタバコのフィルターに息をぶつけてから火を付け、煙を揺らして話し始める。

「 今、お前の働ける場所探してッから、それが決まるまでここにいろ・・ あと履歴書とハンコが必要になるから用意しとけぇ・・ そんぐらいの金は持ってるか?」

" コクリ "

「 明後日また来るから、それまで好きにしてろや、そこにビデオもあるしな・・」

「 "おやじ"!ありがとうございます 」

「 おぉ 」

"おやじ"は擦り切れた声と煙を残して部屋を出て行った。

大型トラックで長距離を走るこの男達は各地のトラックターミナルやスタンドで湯を浴び、車内で寝泊りしながら荷降しと積み込みを繰り返して全国を回っていたのだが、その男達を仕切っていたのがこの"とんぼのおやじ"だった。

家出中の"小鳥"に飯や寝床に加え、生活の糧となる職の世話までしてくれたのは、偶然か必然か、政治家でも警察官でも無く、こんな男達だったのである。

その後、2度目に訪れた"とんぼのおやじ"に履歴書を預けてからは、これと言って連絡は無く、朝起きるとカーテンを開け、テレビ台に並べられたビデオを端から順にデッキに差し込んでトラック野郎を主人公にした映画を鑑賞し、夜になればカーテンを閉めて布団に潜る生活が続いた。
 
初めは暇潰しのつもりだったビデオ鑑賞も、

「 好きな時にジュースが飲めて、たばこも吸えるなんて最高だよなぁ 」
 
鏡面素材で輝くパーツ、ボディを彩る電飾、運転しながら語り合う無線、気の荒い男達。働く格好に決まりは無く、始めと終わりに記しのいらない職業に憧れは強く増して行き、いつの間にかブラウン管に釘付けになる程夢中になった。

そんな最中、福島を離れる時に見送ってくれた友人の一人である"小熊"という男が心配して電話を掛けて来たのだが、"小鳥"が缶詰状態と伝えたのを監禁状態と勘違いして、翌日には"桜"と"りんご"という女子二人を連れて遠路はるばる栃木まで駆け付けるという出来事が起きた。

窓から見えるスーパーを伝え、それを目印にした"小熊"から、

「 もしもし、着いたよ!」

と連絡が来るも見当たらず、実はこのスーパーはこの町に幾つもあり、再会を果たすまでのちょっとした手間となる。しかし、缶詰状態とは監禁状態ではない。外に出た"小鳥"は近くの建物や標識を伝え、ようやく福島ナンバーの白い車体は"小鳥"の前へとやって来た。

「 早く逃げるべ! 迎えに来たんだ 」

「 だいじょうぶ?」

「 痩せたねぇ・・」

すっかり痩せこけた体と着続けて色あせた服装の"小鳥"は、

「 まぁ、落ち着けよ・・」

鼻息を荒くする3人を落ち着かせ、

「 今、就職先を探してもらってるんだ、それが決まればいつでも会えるよ 」

二州連合の男達に世話して貰っている今を改めて説明して誤解を解いた。

久々の四人で地べたに座り込んで話し込む再会はあっという間に過ぎて行き、辺りが薄暗くなった頃、

「 "小熊"、明日も仕事だろ?」

帰る時間を気にしたのは"小鳥"。

"小熊"は山奥の作業場で車の解体をする父親の元で働いていて、遊びに行った時に部品をバラしたりスクラップにしたりする作業を手伝った事がある"小鳥"は、その大変さを知っていた。長距離運転をして帰る"小熊"に寝不足で明日の仕事をさせるのは申し訳ない。

しかし、

「 ねぇ、唄ってよ・・」

とこの時になって"りんご"が言い出し、

「 ギターは預けてあるからさ・・」

"小鳥"が3人を見送るべくして立ち上がるも、

「 持って来たよ 」

今度は"小熊"が車の中からフォークギターを抱え出して来る始末。

「 なんだよ・・」

結局"小鳥"は3人をアパートの中へと招き入れた。

急遽始まってしまった小さな小さな即席のコンサートは、楽譜は記憶の片隅で、コード進行を間違える度に笑いが零れ、

( あの頃こそ楽しかったんだ・・)

そんな感覚が身に沁みる。

「 今日は本当にありがとうな、俺はまだ帰らないけど帰れるようにがんばるから、そん時はまた頼むよ・・ じゃぁ最後に・・」

Cコードをジャランと鳴らして場を締める。ひっそりと暗く静まる部屋で敢えて電気は点けず、そこに表情を隠す様にして唄い出す。
 
 
~ 離れても ~

二人が それぞれの 道へと 進んで行く

そんな時が もうすぐやって 来るんだね


考え方が違うから 求めてる今(もの)も違うけど

人生を捨てないで 追い続けて いこうぜ


小さな頃から 離れない俺たち

同じ 夢見てた日も あったよね


ここに 居たいけど 僕の居場所は無いから

つくる事出来るまで 強く生きて行くんだ


離れても・・・



僕が 選んだ 道には たどり着く・・

そんな 場所は 存在 するのかな?


誰かに笑われて 後ろ指さされても

這い上がる その術がそこにあるような 気がするんだ


小さな頃から 離れない 俺たち

同じ 夢見てた日も あったよね


戻って 来たときは 僕を迎えておくれよ?

その日を 待ちわびて 僕は生きて行くんだ


離れても・・・
 
 
うつむいたままの"小熊"の黒い影を見つめながら、上ずる声を必死に抑えて静かに歌い切った時、

( いつか必ず・・)

一人歩きを一人立ちと勘違いしたまま、"小鳥"は心に誓っていた。
 
「 そこにあるカップめん食っていいがらよ~」

"三日月"が少ないやり取りの中で残していった言葉に"小鳥"は素直に甘えた。

部屋の片隅に大量に積み上げられた山から1つ取り、

「 すんません、いただきます 」

お湯を注いで待つ事3分。

日課となったビデオ鑑賞の準備を始めると、ちょうどその時電話が鳴る。

「 もしもし 」

「 おぅ、職が決まったからよ 」

「 え、あっ、ありがとうございます 」

急にも就職決定を告げた"おやじ"は午後になって部屋を訪れ、

「 明日の朝8時に国立府中のインターで待ってろ 」

こんな命令を出した。

( くにたちってどこだろう?)

と思った"小鳥"を見透かす様に、

「 場所はわかるか?」

「 いえ、すみません 」

すると"おやじ"は地図を書いて"小鳥"に渡し、

「 あそこに止まってるグランツに乗って来い、これがカギだ、あと荷物は全部持って来い・・」

窓からスーパーの駐車場に停めてある黒いグロリアを指差す。

"おやじ"が去ってからは、

( これで此処ともお別れだな・・)

この部屋最後のビデオ鑑賞を早々に切り上げた"小鳥"は、寝たかどうかも曖昧に、AM3:30、アパートのボロ階段を降りた。

緊張と期待を抱えてエンジンをかけ、ポケットから取り出した地図をなぞってからヘッドライトを点ける。

( よし、行くか )

黒い車体の感覚を確かめる様にゆっくりとアクセルを踏み込む。

車線が2本になる国道まで出た時、ハンドルを固く握っていた両手は高級車に乗っているという優越感も手伝って片手に変わっていた。
 
AM7:50分。

「 すみません!」

ガソリンスタンドに飛び込んだ"小鳥"。

「 やばいんです!"おやじ"と8:00に待ち合わせなんです 」

青ざめた顔をしてガソリンスタンドの茶髪の兄ちゃんにすがる様に迫る。

「 国立府中で待ち合わせしてるんです、道に迷ってしまって、8:00までに行かないとヤバいんです 」

言葉を足して事情を伝え直す"小鳥"に、

「 あの~、すぐそこですけど?」

茶髪の兄ちゃんは冷ややかに答え、その言葉を聞いて何とか持ち直した"小鳥"は、

「 ありがとうございます 」

深々と頭を下げて急いでガソリンスタンドを出た。

教えられた標識を右に曲がると目印のコンビニが見えて、

( 助かった・・)

"小鳥"がそのコンビニの駐車場に入ってすぐ、後を追う様に入って来たタクシーから降りて来たのは"おやじ"で、まさに間一髪、急いで車から降りて駆け寄る。

「 おはようございます 」

「 おぅ 」

歩き出した"おやじ"の乗車をエスコートして運転席に戻ると、すでにどっぷりと構えた"おやじ"が人差し指で合図を出している。

「 はい 」

"小鳥"は休む間も無く、中央高速へと乗り込んだ。
 
八王子を過ぎた辺りで、それまでずっと黙っていた"おやじ"が口を開く。

「 "小鳥"ぃ・・」

「 はい!」

「 いろいろと当たってみたが、18のお前をいきなり使うってのはなかなか難しくてなぁ、栃木では無理だったが、山梨でお前を面倒見るって言ってくれてなぁ、そこは俺が今でも世話になってるトコだから、二十歳を過ぎるまではそこで奉公して、大型の免許を取ったら戻って来い 」

「 はい 」

得体の知れない自分に生きる道を与えてくれた"おやじ"に対して躊躇する間合いは無い。

「 そこの制服着てれば、本職も道を開けるからよ・・」
 
思い出した様に呟く"おやじ"。

( ? )

「 は、はい 」

言葉の意味はわからない。
 
しかし、その追求よりも、

( 俺のトラック・・ 缶コーヒーを飲みながらたばこをふかして・・)

気持ちはそんな現実に早く出会いたいと焦る。
 
「 おぅ、次のパーキングに入れ・・」

「 はい 」

談合坂パーキングで食事を済ませ、二人は勝沼インターで中央高速を降りた。

生まれて初めて山梨県を訪れた"小鳥"は、漠然と思い描いていた都会のイメージを探して車を走らせながら辺りを伺うが、その視界にはブドウ園とその看板、そして軽トラックが目立つ。
 
いずれ街に辿り着くだろうと思うも、その光景は更に色濃くなるばかりで、

「 次の信号を左に曲がれ 」 

「 はい 」

どんどんと細くなって行く道に、

( どこまで進んで行くのだろう・・)

そんな不安を抱き始める。

「 止まれ!」

「 はい 」

車から降りた"おやじ"は通り沿いの敷地へと歩き出し、"小鳥"はそれを追う様にハンドルを右に切った。

敷地の真ん中には鉄骨組みの作業場があり、その奥には何台かのトラックが並んでいるのが見える。

その何台か並ぶトラックの前を指差す"おやじ"に従い車を停めて外へと出ると、すでに"おやじ"は敷地の南端に向かって歩いていて、その先には入る時には気付かなかったが事務所らしき建物が見えた。

"小鳥"が急いで"おやじ"の後ろに追い付いた時、"おやじ"の手が事務所の扉を開ける。

「 "オヤジ"お久しぶりです 」

( "オヤジ"?なんだ?)

"おやじ"の背中から覗いた先に、真っ赤な顔をしたいかつい男が机に肘をついて座っている。

「 おぅ 」

タバコをくわえたその男が白い目玉で"小鳥"を見る。

その視線に気付いた"おやじ"は、まるであの日の"もぐら"の様に、

「 "小鳥"、これからお前が世話になるカカシ商運の"赤鬼"社長だ、自己紹介しろ 」

と促し、

「 はい、"小鳥"と言います、よろしくお願いします 」

「 おぅ!」

「 それと、コチラは専務の奥さんの"つぼみ"さんだ 」

「 よろしくお願いします 」

パーテーションの陰でエプロンをつけたままペンを動かしていた女性が、ペコリと頭を下げる"小鳥"に同じ様に頭を下げる。

「 じゃぁ"オヤジ"、俺は帰りますのでコイツをよろしくお願いします。"つぼみ"さん、どうもお邪魔しました 」

・・・

"とんぼのおやじ"を見送った後、"小鳥"は事務所に入る勇気が出なかった。
 
道と敷地の境界にある自動販売機の前に立ち、

( 良く出来てるなぁ・・)

特に興味も無いのに、今此処にいる自分にどうにか意味を持たせたくて、何度も何度も模造のジュースを眺める。

"赤鬼"の出現によっていきなり小さくなった様に見えた"とんぼのおやじ"があっさりと居なくなってしまうと、何をしたら良いのかがわからない。幼い頃に友達の輪に入る勇気が出ずに声が掛かるまでじっと待っていた日に帰った様である。

日が沈み始める。

さすがに寒さが気になるが、

「 全部持って来い 」

そう言われて持って来た荷物は事務所の外にそっと置いてあるバッグひとつ、その中に防寒着は無い。

( 中に入るか・・ どうしようか・・ 何て言えば・・)

いきがっていた頃の横柄な態度は最早無い。

するとその時、

" ヒュルルル~ "

眩しい光に照らされたかと思うと、黒いダンプが排気の音を奏でて敷地に飛び込んで来た。

そして敷地に納まったダンプからは太った男が降りて来て、

「 おまん、そんなとこでなぁにしてるだぁ?」

とずぶとい声を出す。

「 こ、"小鳥"と言います・・ "とんぼのおやじ"の紹介で今日からコチラでお世話になる事になりまして・・」

「 おぉ、"とんぼ"の言ってたヤツかぁ、寒いだろ?中に入れ 」

気持ちが良いくらいにでかい声に連られて事務所に入ると、その男はソファにド~ンと座り込み、

「 今日はえらかったなぁ~~」 

短髪の頭を撫でながら現場を語り始めた。

"赤鬼"と"つぼみ"は聞いてるのかどうか相槌を打つ訳でも無い。

入り口に立つ"小鳥"がそれをでじっと見つめていると、

「 おまん、どっから来ただ?」

「 福島です 」

「 ほうけぇ、ふくしまかぁ・・ ふくしまってぇ~ なまってっぺ?」

取って付けた様な福島なまりに、

「 へへ・・」

"小鳥"が思わず苦笑いを浮かべる。

「 ガハハハハァ~」

その男はでかい声を出して笑い出し、"赤鬼"と"つぼみ"も釣られて笑った。

「 兄貴、コイツは今日からどこで暮らすだぁ?」

とその男が言い、

「 "イタチ"のとこがベッドが空いてるから、取り敢えずあそこでいいらぁ 」

と"赤鬼"が答える。

「 おぃ、 アイツは二日に一回しか帰ってこんから今日はいねえけど、来たら挨拶しろしぃ 」

とその男が言い、

「 はい 」

と"小鳥"が答える。

「 それとなぁ、俺は専務やってる"大蛇"だ・・ よろしくたのむっぺぇ~~」

「 あっ、ふふっ・・ よろしくお願いします 」

「 寝床がどこかわかるか?」

「 いえ 」

「 ほいだら案内してやるから付いてこぉ 」

「 はいっ 」

「 おぃ"つぼみ"ぃ、布団は用意してあるだか?」

「 ちゃんと準備して、へぇ敷いてあるっつこん 」

・・・

案内された場所は敷地の奥にひっそりと建つ断熱性の乏しい六畳間のプレハブ。

引き戸を開けると左にパイプベッド、右に二段ベッドがあり、左のパイプベッドは"イタチ"のねぐらだと言う事で、"小鳥"は既に布団の敷かれた右の二段ベッドの一階を宛がわれた。

事務所に戻ると今度は"赤鬼"に連れられて、敷地から道を挟んだ目の前にある二階建ての一軒家を案内された。

「 昼食と夕食はここで食え・・ それと風呂は8時までにここで済ませろ・・」

「 はい」

そこは"赤鬼"の両親が暮らす実家で、"小鳥"は奉公の名の下に"赤鬼"家族に混じりながらの生活を送る事に。
 
事実上、カカシ商運の社員になった"小鳥"ではあったが、一週間が経っても朝から晩まで事務所の外で突っ立っているだけで、通り沿いの自販機と事務所の間にある車庫が定位置に成りつつあった。

朝は7:45に外へ出て"赤鬼(社長)"を出迎える。

「 おはようございます 」

「 おぅ 」

そのまま事務所に入ってしまう"赤鬼"から仕事を与えられる事は無い。

トラックが非番で会社に出勤して来る男達の中に初めて見る顔を見つけては、

「 "小鳥"といいます、よろしくお願いします 」

欠かさず挨拶に行くも会話に繋がる事は無く、車庫に戻ってはまた突っ立つ。

唯一ツナギを着た男だけは"小鳥"と同じ様に暗くなるまで外にいると気付いたものの、そのツナギを着た男は他の男達と言葉を交わしながら車体をいじったり何かしら作業をしていて、

( 俺とは明らかに違う・・)

まるで必要とされていない"小鳥"は、男達が輪になって缶コーヒーを片手に笑い声を飛ばしていても、そこに飛び込んで行く勇気は出ない。
 
昼になると、非番の男達はこぞって"赤鬼"の実家に向かい、それに付いて行けば、台所で待つ"つぼみ"から茶碗によそった白米を受け取る事が出来た。

居間のテーブルにはおかずが並び、それを囲んで箸を伸ばすのだが、最後に白米を受け取る"小鳥"が向かう頃は、すでに非番の男達によって隙間無く囲まれていて、"小鳥"は男達の背中を見て白米を流し込むだけである。

先に食い始めている男達が席を立てば、残ったおかずに手を伸ばせるチャンスもあったろうが、

「 おかわり 」

などと連呼されている内に"小鳥"の茶碗は空になっていて、

( 何も仕事をしていない・・)

静かに席を立つしかなかった。

「 ごちそうさまでした 」

弱っている時程に心は悟られたくはないもので、台所から眺める"つぼみ"に目を合わせる事無く茶碗を返すと逃げる様に外に出て作業場の中に身を隠すのだが、黒い油にまみれて並ぶ機械や工具を黙って眺めているだけのとてつもなく長く感じる昼休みは、ある意味"小鳥"が学生時代から反発してでも強く求めて手にしようとしていた自由であっても、それは干渉もされず興味も持たれないという不自由でしかなかった。
 
夕飯は"つぼみ"が用意して行くおかずをおばあさんがよそってくれる白米で食えたが、

「 いつもごくろうさんねぇ 」

とおばあさんに言われても、晩酌をしながらじっと見つめるおじいさんの視線は痛い。

昼間に散歩しているおじいさんには、ただ突っ立っているだけの姿を何度も目撃されていて、ただ飯を食っている事を咎められている様に感じてしまう。

昼も夜も気の抜けない実家の居間で、そこに居合わす"赤鬼"はほとんど会話をしないが、"イタチ"が加わる日には親子の会話が盛り上り、そんな時の"小鳥"は箸を動かすペースが更に早くなる。

飯の後の風呂をを出てからは、着替えを十分に持ち合わせていない為洗濯をしなければならず、脱いだ下着と靴下を持って作業場の裏にある洗濯機へと向かう。

洗濯機のちょうど隣には鉄格子の檻があり、

「 ワンッ!ワンワンッ!ワォ~~ン・・ ウゥ~~~ッワンッ!」

そこで飼われているハスキー犬に威嚇する様に吠えられもしたが、それも初めの内だけで、いつの間にか反応もされなくなった。

"赤鬼"は夕食を終えるとセカンドバッグを小脇に抱えてベンツで出掛けて行き、それを横目に見送りながら洗濯物を干し終わると、ようやく張り詰めた一日は終わりとなる。

そんな中で、二日に一度戻って来る"イタチ"とは仕事以外の時間をプレハブで共に過ごす事になるのだが、実家からホロ酔いで戻って来る"イタチ"がごちゃごちゃと独り言を言いながら布団に入る様子を見ていた"小鳥"は、

( "社長(赤鬼)"はベンツ、"専務(大蛇)"はセルシオ、"イタチ(次男)"さんは軽トラ・・)

"赤鬼"が社長を務めるこの会社で、次男でありながら肩書きも無く、敷地内のプレハブを寝床にする"イタチ"の中にモヤモヤとした何かがあるのを感じる様になっていた。

 

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事情

 

すぐにでも始まると思っていたデコトラ暮らしがその気配すら見せない中、カカシ商運の一員にも成り切れない"小鳥"が相変わらず朝から自販機横に突っ立っていると、

「 おまんはぁ、なぁにをやってるでぇ 」

この日珍しく事務所にいた"大蛇"が近付いて来た。

「 いや、何もしてません 」

正直に答えた"小鳥"に、

「 毎日そうしてるだかぁ?」

"大蛇"は呆れた様な驚いた様な表情を見せ、

「 はぁ・・」

"小鳥"は自分でも情けなくなって目を伏せた。

すると"大蛇"は、

「 今"兄貴(赤鬼)"がおまんの仕事探してるからなぁ、もぉちっと待ってろぉ 」

と言い、

「 えっ?は、はい 」

ほったらかしにされているとばかり思い込んでいた"小鳥"は、

( ちゃんと探してくれていたんだ・・)

嬉しい驚きを覚えた。

「 まぁでも、それまでの間は色々と覚えとけぇ、おぃっ"キツネ"!」

"大蛇"に呼ばれて現れたのはあのツナギを着た男。

( この人は"キツネ"っていうのか・・)

ここでその名を知る事に。

自己紹介はすでに済ませていたものの、

「 "小鳥"と言います、よろしくお願いします 」

と言った時、このツナギの男は、

「 おぅ、よろしく・・」

と言っただけだった。
 
「 コイツになぁ、色々と教えてやれぇ 」

と"大蛇"から言われ、

「 はい・・」

と返事をする"キツネ"。

「 お願いします 」

"小鳥"は大きな声を出して頭を下げた。

"キツネ"は特に反応も示さず作業場に向かって歩き出す。この機を逃す訳にはいかない。

" スタスタスタ・・ "
 
"小鳥"がそれを追い掛ける。脳裏には入園式の時の幼い記憶が蘇る。

小さな椅子が並ぶその中で、ガヤつく同年に対して溶け込めず、心細くてどうしようも無い中でただただ泣きじゃくっていた"小鳥"は、後ろを振り向いては必死に母親の姿を探していた。そして後ろに並ぶ保護者達からようやくその姿を見つけた時、

( お母さん、泣いてる・・)

ハンカチを目頭に当てながらボロボロと涙を流している母親の姿は強烈で、"小鳥"は瞬間的に涙を止めていた。

( こんな俺を見たら母さんはやっぱり泣いちまうな・・)

黙々と車両の整備をする"キツネ"に張り付いた"小鳥"は、わからない事は尋ねながら、その作業を何となくも手伝った。

不思議な程早くやって来た夕方。

「 "小鳥"~、ちょっと来いや 」 

"大蛇"に呼ばれる。

「 あのなぁ、そこの道を行くと裏山に抜けるからな、"セル"を散歩させて来い!」

「 は、はい 」

"セル"とは敷地で飼われているハスキー犬の名前である。

事務所からの視線に照れながら、"セル"に首輪を着けて敷地を出る。
 
手綱を引いたり引かれたりしながらの山中で、

( 今日はなんて良い日なんだ・・)

その心情はまるで変わっていた。

この日を境にして、"小鳥"の存在はようやくカカシ商運に組み入れられる様になった。

"キツネ"が出社すると、

「 おはようございます 」

「 おぉ・・」

特に指示が無い中で"キツネ"に張り付き、そして夕方には、

「 おぅ、そろそろ行ってこぉ~」

"キツネ"から合図が掛かると、

「 はい 」

"セル"の散歩に行く。

"小鳥"がこの役割を自分のものにした事でカカシ商運の男達も会話をしてくれる様になり、"小鳥"にとってカカシ商運は徐々に居心地の悪い所では無くなって行った。そして、そのきっかけをくれた"大蛇"には並々ならぬ感謝の気持ちを抱く様になった訳である。
 
事務所で座談をするのが専らだった非番の男達とは対照的に、"キツネ"は一日中外にいて、敷地では車の整備や修理、少し離れた解体場では事故車や故障車のスクラップ作業を黙々と行い油と埃にまみれるばかりである。

そんな"キツネ"と行動を共にする"小鳥"は、

( きっと"キツネ"さんは・・)

今の境遇に不満を抱いているだろうと思う時がある。しかし、"キツネ"は愚痴のひとつもこぼす事は無い。

( よく黙ってやってられるよなぁ・・)

その姿には関心するばかりである。
 
そんな中、

( おっ!こんな所に・・)

"小鳥"は、少しずつ広がる行動範囲に小さな商店を見つけ、夕食後の洗濯の合間にそこでお菓子を買って食べるという楽しみを持った。そして、それと平行して少しずつ周囲の様子が見えて来ると、気付けば昼飯のおかずにも箸を伸ばせる様になっていた。
 
"キツネ"と揃って事務所に呼ばれる。
 
「 いいかぁ、これから金型を積み込んでなぁ、明日の朝、千葉まで飛べ!」

"小鳥"にとって初めてとなる運送の指令に、

「 はい 」

いち早く返事をしたのは"キツネ"。
 
しかし"赤鬼"は、

「 運転を見てやれ・・ おまんは運転するじゃないよぉ~」

何やら意味深な事を言う。

( どういう事だ?あぁ、なるほど・・ 俺に運転を覚えさせる為に・・)

"小鳥"は新人教育の一環なのだと解釈して浅く浅く聞き流す。

「 じゃぁ、行くけ?」

「 はい、よろしくお願いします 」

初の4tトラックを走らせる"小鳥"の横に乗った"キツネ"は、

「 早い・・」

「 遅い・・」

「 甘い・・」

「 ヤバイ・・」

ギヤの入れ方やハンドルの切り方を穏やかに鋭く指摘して、

「 ちっと待ってろ・・」

目的地に到着してからは素早くトラックから降りて、

「 オーライ・・ オーライ・・」

機敏にバックの誘導まで行い、まるで教官と助手の両方を務めた。

( 先輩なのに・・)

いささかの感動を覚える。

そんな"キツネ"の協力の下、積み込みは無事に終わり、

「 じゃぁ、明日の朝4時にここで・・」

出発の約束をしてこの日の仕事を終える。
 
翌朝。

初めてトラックに乗った興奮と喜び、そして千葉まで行くという緊張が思考を占拠した"小鳥"の夜は浅く短く過ぎて行き、約束の時間よりだいぶ早めに部屋を出て、まだ暗い中でトラックのエンジンをかけて"キツネ"の到着を待つ。

すると意外にも早く現れた"キツネ"。

( おっ?)

いつものツナギでは無く、トラックに乗る男達と同じで背中に社名と犬の絵が描かれた上下揃いの制服姿に、

( "キツネ"さんも持ってたんだぁ・・)

やや驚きながら、缶コーヒーを二本買い込む。
 
そして、

「 おはようございます・・ よろしくお願いします 」

"小鳥"はいよいよ憧れていたトラック野郎になるべく、ゆっくりと敷地を飛び立った。
 
千葉での仕事を無事に済ませた後は再び油と埃にまみれたのも束の間に、

「 "ネズミ"がなぁ、連絡がとれねぇからしばらく二人で福川に入れ 」

"小鳥"と"キツネ"は"赤鬼"から次なる指令を受けた。

福川とは福川運輸の事で、そこに下請けとして入っていた"ネズミ"という男が行方をくらました為、2tトラックでの集配業務を代わりに行う必要が出来たのである。
 
福川運輸での業務は、まずターミナルにつけたトラックに伝票で個数を確認しながら荷物を積み込み、バーコードリーダーという端末で伝票のバーコードを読み込んで " 持ち出し中 " の登録をする。そしてひと通りの配達先を回った後に、不在で持ち帰った荷物はターミナルに戻し、受領印が押された伝票は " 配達完了 "分として再びバーコードを読み込んで事務へと回す。それが終われば、発送希望者の元へ荷物を引き取りに行き、その日の発送分としてターミナルに仕分ける。
 
何とも細かい作業の連続に、初めは戸惑ったりイラついたりも頻繁だったが、"キツネ"と二人で掛かれば荷降ろしも早く、"キツネ"が近道や渋滞を交わすルートを知っていた事もあって数日が過ぎる頃にはすっかり落ち着いていた。

通常ならばワンマンでこなしている業務をツーマンでこなす訳であるから、肉体的にも精神的にも楽である事は確かで、一度だけではあっても4tトラックを運転した"小鳥"は、

( 意外と楽勝だな・・)

2tトラックを運転する事に対してはそんな風に思っていた。

しかし、そんな矢先、思いもよらない事件が起きる。

20号バイパス沿いにある甲府中央市場の界隈にある卸問屋への配達で、路上に仮置きした数十個のダンボールをいよいよ台車に乗せて運び込もうとした時、

「 ちっと車をどかしてくれるかい?」

そこの主から声が掛かった。

「 いいよ、おまんは運んどけ 」

と"キツネ"はその場を仕切り、

「 はい 」

と返事をした"小鳥"が、一人で搬入作業に取り掛かる。
 
台車で一回目の搬入を済ませて戻った時、そこにあったはずのトラックは消えていて、

( "キツネ"さんが動かしてくれたんだなぁ・・)

安心した"小鳥"は特に急ぎもせずに残りの搬入作業を続けた。

全ての搬入を済ませる。"キツネ"の姿は見当たらない。

( トラックで待ってるズラかぁ・・)

"小鳥"は搬入口を離れた。
 
建物沿いにトラックを探して歩き出すと、一つ目の角を曲がってすぐの所で、

「 どうするんだね!」

「 すいません・・」

強い口調の主に"キツネ"が謝っている。

(!?)

見ればトラックのステップバンパーが主のものらしき乗用車に食い込んでいる。
 
思わず足を止めた"小鳥"の耳に、

「 実は自分、執行猶予中なんです・・ 公になると困るんで敷地内の事故って事で示談をお願いしたいんですけど・・」

という"キツネ"の言葉が届く。

( なんだ?執行猶予?)

その場に入ってはいけない様な気がしてじっとしていると、"キツネ"は携帯を取り出し、そして電話口に向かって事の説明をし始めた。

( "社長(赤鬼)"だな・・)

と予想する中、その携帯が"キツネ"から主へと渡り、しばらく話し込む。

「 まぁ今回は警察には届けないから、今後はくれぐれも気を付けて・・」

そして伝わる示談の成立。

ここで"小鳥"は合流し、気まずい雰囲気の中、残りの配達に向けて出発となった。

「 まいったなぁ~ 社長は怒るヅラなぁ・・」

ターミナルに戻る手前になって"キツネ"がやっと口を開く。

「・・・」

"小鳥"は何と声を掛ければ良いのかわからず沈黙を守っていた。

全ての業務を終えてカカシ商運に戻ると、"キツネ"は真っ先に事務所に向かい、

「 すいませんでした 」

ソファに座る何人かの男達には目もくれず"赤鬼"に頭を下げた。

机に座る"赤鬼"は顔をいつもより赤く染めていて、

「 おまんはなんで運転しただぁ!自分の状況をわかってるだかぁ!」 

待っていましたとばかりにどでかい声で怒鳴り散らす。

「 すいません・・」

"キツネ"はうつむいて固まり、後ろにいた"小鳥"もそれにつられる。

すると、

「 おまんがぶつけたのを"キツネ"がかばってる訳じゃねぇらなぁ!」

"赤鬼"が、ぎらつくその目玉を今度は"小鳥"に向ける。

「 違います!」

"キツネ"がうな垂れながらも力強くそれを否定する。

「 修理代は給料から引いとくからな! くれぐれも運転するじゃねぇぞぉ 」

その言葉を最後にお叱りは終わり、"小鳥"は落ち込む"キツネ"と一緒に事務所を出た。
 
それから間も無くして、それは全くの偶然だったが、"キツネ"をその役から外すかの様に2tトラックを運転する"小鳥"の隣には"ネズミ"が座っていた。

夜中、カカシ商運の敷地にトラックを置いてそれきり、電話にも出なかった"ネズミ"の自宅を会社の誰それが訪ねた所、

「 免停になってしまい報告する勇気が出なくて・・」

と応えたらしく、とんだバックレ騒動の末に免許が戻るまでは"小鳥"の助手として復帰して来たのである。

"ネズミ"はいつも何かに怯えている様な印象で、身長も低くて線も細く、茶髪に染めた髪の毛は大概寝癖を伴い、4歳年下の"小鳥"に対しても敬語を使う始末で、事務所のソファに腰を下ろす男達とは確実にタイプが違う。

"小鳥"は何度か、

「 "ネズミ"さん、敬語はよしてください 」

と言ったが、

「 はい・・」

と返事をする"ネズミ"が敬語を止める事は無かった。

カカシ商運から福川通運に下請けとして出向している男達は皆、それぞれ自宅傍に駐車場を借りての直行直帰だった為にカカシ商運の敷地で見た事は無かったが、10t車で定期便を運ぶ2人と4t車で大口の配達をする3人、そして2t車で集配をする"ネズミ"の計6人がいる。

10t車で定期便の2人は2日に1回見かける程度でどちらも50歳はとうに超えて見える。1人は"えびす"という名でいつも犬とばあさんを一緒に乗せていて、もう1人は"ドクロ"という名でいつも黒の長袖を着こみ、しかも左手の小指は第一関節までしか無い。"小鳥"が勝手に存在感に順位をつけるなら、1位が"ドクロ"、2位が"えびす"、3~5位に4t車の3人が横並びとなり、"ネズミ"は安定の最下位である。

積み込みを終えるとはじまる3~6位を張る男達との朝の一服。

「 "社長(赤鬼)"って恐いよなぁ・・」

「 "専務(大蛇)"なんて昔、東京でやくざだったらしいし・・」

「 あそこの人達はみんなそうだろ・・」

「 事故なんか起こしたら終わりだよ・・」

「 みんな、トラック捨てて逃げちまうんだ・・ 」

「 辞めたくても直接言うのは無理だよな?恐ええ 」

"小鳥"はこんな会話を聞かされている内に色の違いを感じる様になり、心の中でこの男達を"福川隊"と名付けていた。

年頃のヤンチャを経て就職先を探し、周りに格好が付くとこで評判のカカシ商運に入ってはみたものの、後悔しても辞めるに辞められずに留まっている様な彼らは、カカシ商運の男達を恐れながらも寄り集まっては傷を舐め合う様に陰口で盛り上り、カカシ商運としての恩恵を受けている一方でそこに寄せない本音を潜めている反発分子なのである。
 
ある朝、"福川隊"はトラック屋について語り出した。

「 トラックは大変だぞ?」

「 そうだよお前、"キツネ"みたいになったら・・なぁ?」

(!?) 

"小鳥"の目が大きく開いたのを見た"3位"の男が言う。

「 "小鳥"は知らないかぁ・・」

「 何をですか?」

問い掛ける"小鳥"。

「 "キツネ"が運転出来ない理由だよ 」 

「 あぁ、そういえば・・」

"小鳥"の脳裏に浮かんだのは、

( 執行猶予中・・)

中央市場界隈で起きてしまったあの日の事故。

「 あれはかわいそうズラァ、一生飼い殺しだもんなぁ 」

「 保釈金の面倒見てもらってるから無理だなぁ 」

笑顔で語る"ネズミ"以外の"福川隊"に、

「 あのぉ、保釈金ってどんな事故だったんすか?」

"小鳥"が真顔で尋ねる。

「 実はなぁ、八王子の料金所にトラックで突っ込んでなぁ、人を殺しちまったんだよ。幸い相手がフィリピン人だったから安く済んだらしいけど、それでも相当の額を払ったらしいんだわ 」

「 それからだよなぁ、殺し屋の異名が付いたのは・・」

" ゲラゲラ・・"

「 執行猶予が解けるまで整備しか出来ねえんだけど人が足りなきゃ駆り出されちまうんだよなぁ、今は相当安い給料で働かされてるらしいわ・・」

「 それでもクビにならないだけ良かったよなぁ、"社長(赤鬼)"は実は面倒見が良いからなぁ・・」

「 ばぁか、金を稼がして回収しなきゃいけねえんだから当然だろ 」

「 まっ"小鳥"も運転する時はくれぐれも気を付けろしぃ 」

「 人なんか殺しちまったらとんでもねぇ金も掛かるし免許も吹っ飛んじまうからな 」

それぞれに思う所を口にする"福川隊"を残し、

「 ハァ・・」

"キツネ"と共に過ごした時を改めて振り返る。

「 おまん、ハンクラが甘いわぁ! そんなんじゃクラッチがすぐに減っちまうぞ!」

「 ミラーを見ろ、ミラーを!」

「 ヘタクソ!」

「 トラックはケツを振るからなぁ! 車体の軸が違うんだよ!」

「 ギヤを変えろ、ギヤを!」

当時は厳しいとだけしか受け止めなかった数々の言葉が、

( 俺みたいになっちまうぞ!)

( 俺みたいにはなるな!)

そんな風にも聞こえて来る。
 
数日後、塩山という地区の酒屋まで配達に来た帰り道。

助手席でポケットを擦りながら、

「 "小鳥"くん、家に寄って貰ってもいいですかねぇ・・」

と申し訳無さそうに"ネズミ"が言う。

「 いいっすよぉ 」

と"小鳥"が答えると、"ネズミ"はどこかへ電話を掛けた。
 
車を走らせる"小鳥"に、

「 次を右で 」

「 次を左で 」

携帯を耳に当てながら道案内をしていた"ネズミ"は、

「 ちくしょう、アイツは何やってんだよ!」

次の瞬間、いきなりの豹変を見せると乱暴に携帯をたたんで仕舞い込んだ。

(!?)

思いがけない事態に"小鳥"は驚いたが、

「 "小鳥"くん、ここを真っ直ぐ行った所に団地があるんで、そこで停めてもらえますか?」

「 はい 」

「 "小鳥"くん、あそこの白い建物がそうなんで 」

「 はい 」

そこにいるのは間違いなく終始気の弱そうな"ネズミ"。

すぐに鳴り出した携帯に"ネズミ"が出る。

「 もし・・ おまえ何やってんだよぉ!サイフ忘れて今戻ってるからよぉ、ちっと見てくれよ~ あったかぁ?あぁ、今着くからよぉ 」

やはりいつものキャラとは違う。

ハザードを付けて左に寄せたトラックが停まるかどうか、携帯を耳に当てたままの"ネズミ"が半ば飛び降りる。"小鳥"は、小走りで団地へと向かうその後姿を眺めながら、

( "ネズミ"さんにもあんな一面があるんだなぁ・・)
 
"ネズミ"ですらも上位に立つ関係がある事に関心する。
 
"ネズミ"の免許が復活してからは、"小鳥"は再びカカシ商運勤務に戻る事になった。

寒さはだいぶ厳しくなり、外でじっとしていると足の先から感覚が奪われる。

( あぁ、布団に包まりたい・・)

一度温度調整の効くトラック業務を味わってしまった後の心には贅沢が入り込む。
 
今に不備を見出してアレコレと欲しがる事は、それは見方を変えれば現状に満足しない向上心とも言えるが、自殺行為とも言える家出を敢行した挙句に奇跡的に衣食住にありつけた"小鳥"がここで生きる上での必要以上を欲しがる事は気の緩みでしか無い。

そしてそんな時、思わぬ所で事件は起きるものである。
 
 

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母なる浮力

 

「 おう!おぃ、起きろぉ、おぃ・・ おぃ・・ おおう!」

睡眠の中に聞こえた声を現実だと認識した"小鳥"は、

「 はい?」

目をこすりながら身を起こした。

すると、ようやくピントの合った視界には真っ赤な顔で眉間にしわを寄せて睨みつける"イタチ"がいた。
 
( 何事だろうか?)

突然起こされた状況を理解出来ぬまま、取り合えずベッドに正座をする。

「 おまんに聞くけんどぉ、今日帰って来たらなぁ、俺の枕の上にゴミが置かれてたんだよなぁ・・ 誰かは知らんがまったく舐めた事してくれるじゃんなぁ?」

「 えっ、"イタチ"さんの枕にゴミ?」

「 おぉ、会社の誰かが嫌がらせしたんじゃねぇかとも思ったんだがおまん知らんか?」

「・・・」

目線を外して今日を振り返るが、睡眠から抜けたばかりの思考は鈍く、ろくな記憶も浮かんで来ない。

「 まさか、おまんじゃねえらなぁ 」

"イタチ"が強い口調で疑念を向ける。

「 いえ、自分は違います!」

咄嗟にこう答えたのは、"イタチ"に対して嫌がらせをする覚えが無かったからである。

「 ほぉかぁ!俺はなぁ・・ あんまり悔しくてそのゴミをとってあるだぁ、明日になったら他の小僧共をつかまえて端から聞いてやろうと思ってなぁ!」

「 あのぉ、そのゴミを見せてもらってもいいですか?」

"小鳥"の心中は、

( 自分では無いけど・・)

現物を見れば何か事件のヒントが見つかるかもしれないと捜査協力に構えた。

「 おぉ、ちっと待ってろ~」

"イタチ"が引き戸を勢い良く開けて飛び出す。

"小鳥"はベットから降りて"イタチ"のベッドとの間に置かれたちゃぶ台に正座をして待った。

すぐに戻った"イタチ"が、握りこぶし程のビニール袋をちゃぶ台の上に転がす。

「 あっ・・」

"小鳥"の口からこんな声が漏れる。

( なんであの時、思い出せなかったんだ・・)

乳白色の袋を透かして見えたものは、"小鳥"が昨夜食べたお菓子のパッケージだったのである。

それがスイッチだったかの様に、実に鮮明に今日の出来事が蘇る。

今朝、ベッドから起き出した時、夕べ寝ながら食べたお菓子のゴミを右手に掴んで引き戸へと向かった。そして引き戸の右横に下げられている鏡でいつもの様に寝起きの顔と髪の毛を確認した。今日に限っては寝癖がひどく、それを直すのに大分手こずってから外へと出た。

そして、

( ん?)

その手に持っていたはずのゴミを捨てた記憶だけはいっこうに浮かび上がって来ない。

鏡の前に立てば右手の先はちょうど"イタチ"の枕元になる。

( 無意識のうちに離してしまったゴミが偶然にも"イタチ"さんの枕の上に?)

これこそが"小鳥"の気の緩みの現れだった。

冷え切った空気の中で、"小鳥"の全身に熱い何かが駆け巡る。

( 「 たった今思い出しました!」 なんて台詞が通るか?)

この記憶のイタヅラを説明した所で真実と受け止めてもらえるとは思えない。

( 普通思い出すだろ・・)

今更ながら自分を責める。

「 おまん、このゴミが誰のかわかるだなぁ?」

"イタチ"はその表情の変化を見逃さなかった。
 
「 あのぉ、それは僕のゴミです・・」

「 ああ?やっぱりおまんかぁ~」

端から"小鳥"を疑っていたに違いない言い方。

「 おい"小鳥"~ おまんさっきは違うと言ったじゃねえかぁ?どういうこんだぁ~」

「 いや、実はさっきは・・」

"小鳥"があるがままを説明するも、

「 おまん男ズラ~?男だったらケジメはつけろぉ!」

鎮まる様子を見せない。

「 ケジメですか?」

「 おぉ、あたりめぇズラァ~!ヒトの枕にゴミを置いてなぁ、小馬鹿にするじゃねえぞぉ!俺はなぁ、まだ おまんぐらいの頃不良とケンカになって相手をボコボコに負かしちまった事があるだけんどなぁ、相手は本職だわぁ・・ 素人に負けましたじゃ飯は食えねえ訳だ、わかるかぁ?」

「 はい 」

「 それっから幾日か経って俺がアパートで寝てる時だわ・・ 突然夜中に何人かが部屋に入って来てなぁ、ボコボコにされて便所に顔を突っ込まれて言われたもんだぁ・・ 「 悪いが兄さん、ワビを入れてくれるかい?」 ってなぁ・・ 顔こそ見えなんだが相手が誰かはすぐにわかってなぁ・・ テメエが悪いとはちっとも思わなんだが便所の水に顔を押しつけられながら気付いたわ! どっちが良い悪いじゃねぇ、こいつらの面子を潰す訳にはいかねえんだ・・ ってな!」

「 はい・・」

「 てめえも男なら筋は通さなきゃいけねえわなぁ~」

( ケジメ ?、スジ? 何をすれば良いのだろうか・・)

"イタチ"の話からすれば、自分が悪くなくとも相手の面子を潰したらワビを入れろという事になる。

( 預かりの自分に舐めたマネをされたとなれば"イタチ"さんの立場が無くなるって事か?)

片身の狭い境遇で文句も言わず寡黙に徹している"イタチ"を知っていればこそ、この豹変に大いなる怒りを見た"小鳥"は、今度はちゃぶ台の足先よりも低くなる程に頭を突き、

「 "イタチ"さん、すみませんでした!」

土下座をした。

「 "小鳥"~、おまんのケジメを見せてくれや 」

「 え?」

( 謝罪じゃねぇのか?それとも謝罪の仕方が悪いのか?)

完全に戸惑う"小鳥"。

「 いいかぁ!」

「 はい 」
 
「 男だったら指の一本でも詰めろや~」

「・・・」

( 指を詰める?)

握り締めたコブシを太ももに押し当ててうつむく"小鳥"に、

「 おい!」

と"イタチ"が据わった目を鋭く向ける。

「 おまんがひとりで詰めれんじゃぁ、若い衆を呼んで手伝わせてやるわ~」

「 "イタチ"さん、勘弁してください 」

「 ふざけるじゃねえ!日本刀で叩ッ切るぞぉ!」

"イタチ"が吠える。

( 何?日本刀まであんの?)

と驚く"小鳥"。

「 "赤鬼(社長)"や"大蛇(専務)"が昔どれ程だったか知らねえけどなぁ、俺は兄弟の中じゃぁ一番荒っぽいだぁ・・ アイツらより甘かぁねえぞぉ!」

「 はい・・」

最早手の打ちようが無い。
 
全身の力は奪われ、蛇に睨まれた蛙よりも絶望してうつむいてしまう。

( 小指の一本くらい良いかぁ・・ 殺される訳じゃないしな・・)

疲弊した心理の選択とは不思議なもので、普段とは価値観を別にするものである。

「 わかりました・・ 指詰めます 」

"小鳥"がとにかく欲していたのはこの状況からの解放だった。

「・・・」

しばらくの沈黙が流れる。
 
そして、

「 わかったわ、寝ろ 」

「 は?はい 」

"イタチ"が事の終わりを告げる様に部屋の灯りを消す。

しびれた足を引きずりながら静かにベッドへと戻るも、目をつむったら殺されかねないという恐怖心から小刻みに震える"小鳥"の体。決して睡眠など出来る状態では無い。
 
しかし、張り詰めた極度の緊張からの開放は気絶にも似た形で"小鳥"をすぐに睡眠へと引き込んでいた。

翌朝。
 
目を覚まして真っ先に確認したのは自分の両指。
 
「 ある・・」
 
そして、すでに出かけた後の"イタチ"のベッドに近付き、

( 無い・・)

枕の辺りを念入りに確認する。

夕べの出来事を誰にも告げずに作業場で一日を過ごしても、

( これじゃこの先、指が何本あっても足りねえだろうなぁ・・)

胸の内に抱える大きな不安。
 
"小鳥"は、就寝前のベッドで考えた。
 
( もしも再びあんな事になったら・・)
 
しかし、豹変した"イタチ"から逃れる術は、これと言って浮かばない。
 
「 もしもし、俺だけど・・」
 
思わず掛けていた母親への電話。

「 どうしたん?今どこに居るの?」

「 山梨・・」

「 そぉ、元気でやってるの?」

「 あぁ、まぁね 」

「 何かあったんだねぇ・・」

「 いや何も無いよ・・ 元気かなぁと思ってさ・・」

「 言ってごらん? 」

「 えっ? 」
 
話し方か声音か、何かあった事をすぐに見抜いた母親に、東京に出てからの経緯を伝える。

「 "小鳥"・・ 堪えてないで言っていいんだよ?」

全てを見透かしている様な言葉が、"小鳥"から全てを引き出す。
 
夕べの出来事を聞いた母親は、

「 大丈夫なん? いつでも帰っておいで 」

取り乱す様子も無くただ優しかった。
 
それが与えたのは勇気か反抗か、

「 母さん、俺は故郷に錦を飾るまでは帰らないよ 」

「 そう・・」

「 また連絡するよ・・」

そう伝えて電話を切る。

福島を出ようと決めるまでには色々な事があったが、小さな小さな家族というエリアで親と子の線引きが敵味方を分けた様なあの頃、夜遊びをして止まない"小鳥"に門限を付けた父親は、度重なる注意の末に深夜奇行から帰る"小鳥"を玄関で待ち受け、

「 何時だと思ってんだぁ!お前の事を心配してお母さんは寝るに寝れねぇんだぞ!そんなに好き勝手にやりてえんなら帰って来なくていいがら出て行げぇ!」

と包丁を握りながら鬼の形相を見せた事があった。

一瞬入る家を間違えたかと思う程の迫力に、

「 わかったわ!」

と叫んだ"小鳥"は咄嗟に玄関から飛び出し、それからは車を拠点にして工事現場の敷地や覚えのある空き地で夜を明かし、昼間はパチンコ屋に入り浸る生活を続け、時々、昼間にこっそり自宅に忍び込んでは風呂を浴びる様になった。

『 高木 』 として農協の期間バイトを終えた辺りの出来事だったが、そんな日々が長く続く訳も無く、末に東京行きを決めたそれからの日々に、

( 帰りたい・・)

そう思う事は何度もあった。

しかし、あの日の父親の姿を思い出すとやはり泣いて帰る道を選ぶ事が出来ず、そうこうしている内に栃木の恩人や山梨で心寄せる人が出来ていて、

( 帰りたいけど帰れない・・)

そんな境地にもなっている。

( 故郷に錦って何だろうなぁ・・)

灯りを消してもしばらく、"小鳥"は目を開いたまま考えていた。
 
翌日。

勢いを増した秋風が強く体に吹き付ける中、ただただ熱を絞り出そうとする"小鳥"は、溝の磨り減ったタイヤをホイルから剥がして新品に換えたり、トラックの前輪と後輪を組み替えたり、シャフトに潤滑油を射したりとメンテナンスを手伝い、それは午後になっても続いていた。
 
1台のタクシーが視界に飛び込む。

( 誰だろう?)

珍しい客人の登場にふと手を止めると、そこに現れたのは母親。

ハンカチを目頭に当てて近付いて来る母親に思わず歩み寄り、

「 どうしたの?」

「 社長さんに挨拶に来たのよ、どこにいるの?」

ハンカチを外して表情を持ち直す母親の声が少し震えている。

「 あそこの事務所にいるよ 」

と"小鳥"が指差す。
 
母親はすぐにその方向に歩き出し、ちょうどその時、

「 何かあっただかぁ?」

車体の下に潜っていた"キツネ"が顔を出した。

「 俺の母親が挨拶に来たらしいっす 」

極めて冷静に答えて見せても、

( 一緒に事務所に行けば良かった・・)

すでに閉まった事務所の扉を見つめる目頭は熱い。

それから2時間程経った頃、

「 塩山に宿を取ったからなぁ、おふくろさんを連れて泊まって来い、そこにあるホーミーを乗ってっていいから、今日はこのままあがれ 」

"小鳥"は、自務所に呼ばれた。

「 はい、ありがとうございます 」

"赤鬼"の粋な計らいを素直に受け入れ、

「 それではどうぞよろしくお願いします 」

"赤鬼"と"つぼみ"に頭を下げる母親を連れて事務所を出る。

「 "キツネ"さん、すみません・・ お先に失礼します 」

「 おぉ!なんだおまん、けえるだかぁ 」

車体の下に潜ったままの"キツネ"は驚きの声を出したが、

「 いえ、"社長(赤鬼)"からおふくろを宿に・・」
 
と言うと、

「 おぉ、気を付けてなぁ 」

それ以上は何も言わなかった。
 
"赤鬼"が手配してくれた宿で、そこの女将が一通りの説明を終えて去った後は親子二人だけの水入らず。

「 "小鳥"、こんなに真っ黒になって・・ 母さん涙出ちゃったわよ 」

「 えっ?そんなに黒いかい?」

「 Gパンも靴も真っ黒じゃないのぉ、ボロボロになって・・」

「 ははっ、そうかぁ・・ 気にもしなかったよ 」

小奇麗に飾る余力も無く無精ひげを幼く生やす"小鳥"に、久しぶりの母親は優しい。
 
「 母さん、事務所で何を話していたんだい?」

「 アンタの就職先だもの、社長さんに挨拶をしてたのよ 」

「 2時間もかい?」

「 "イタチ"さんだっけ? いつまでもその人の部屋で世話になる訳にもいかないだろうし、社長さんにアパートを探して貰う様にお願いしてたのよ 」

「 えっ?」

「 早い内に探してくれるらしいから、もう少し辛抱してね・・」

この時"小鳥"は、

( "イタチ"さんとの事は一切言わなかったんだ・・)

あの場に母親の深い配慮があった事をすぐに理解した。

もしも親が乗り込んで来て会社に食って掛かったとなれば、懇願の末の土下座も一夜限りの安い芝居に成り下がり、

「 男だったら・・」

「 男ズラ?」

高ぶる感情をしまい込んだ"イタチ"に対して失意を与え、どんな事態に発展するかわからない。

"イタチ"を立てる様でありながら実は息子を守ろうとしている母親に、

「 ありがとう・・」

素直に感謝の言葉が出る。
 
翌日は、せっかく来てくれた母親に山梨の名所を案内したいと思い、"小鳥"は昇仙峡を目指して車を走らせた。
 
その道中、覚えたての山梨県の情報を秘密の箱から取り出す様に語る"小鳥"に、母親は優しく耳を傾ける。

"小鳥"が夢追う自分に陶酔して家出をした後は、美しく穏やかに思い込んだ人生という大海原に容易く翻弄されて溺れていたも同然だった。

力任せにジタバタともがいては偶然の浮力に助けられながらここまで来たが、

( もう駄目だ・・)

"イタチ"との一件は、"小鳥"をいよいよ水面下に沈み落すには十分な威力があった。

そんな時、突如現れた母親は不思議なくらいに心地良く、それは言わば絶大な浮力となって、

( あと少し・・ あと少しだけ・・)

今更ながら必死にしがみ付いている自分を"小鳥"は感じていた。

しかし、

「 母さん、ちょっと疲れたみたい・・」

体が元々丈夫では無い母親は寝込んで過ごす日も食事を吐いてしまう事も多かった為、骨と皮の様な体に持久力は無い。

「 大丈夫?」

幼い頃からの条件反射によってモードが瞬時に切り替わった"小鳥"は、結局、いつまでも引き伸ばす事は許されないと諦めると山梨市駅に向かうしかなかった。

( こんな所で終わりにしてたまるか・・)

走り去る電車を見送りながら、"イタチ"と暮らす現実に戻る気力を振り絞る。
 
「 なんだ、お袋さんが来たっちゅうじゃねぇかぁ 」

プレハブに戻ると、すぐに"イタチ"からこんな第一声が飛んで来た。

「 はい、会社に挨拶に来まして・・」

「 お袋さんは、えらい若いらしいじゃねぇかぁ 」

「 そうっすか?今年38ですけど・・」

50を過ぎたかどうかの"イタチ"と"18歳の小鳥"とでは、年齢に対する感覚はまるで違う。
 
「 おまんは今いくつだぁ?」

「 18です・・」

「 つぅと、二十歳の時の子かぁ?」

「 そうっすねぇ、二十歳で生んだって言ってました 」

「 ほぉか、どっかに連れてってやっただかぁ?」

「 はい、昇仙峡まで行きました・・ 母親の具合が悪くなって帰ってきましたけど・・」

「 で、お袋さんは無事にけぇれただかぁ( 帰ったか )?」

「 はい、山梨市駅まで送って来ました・・」

「 ほぉかぁ・・」

この日は日曜日、月曜の早朝に出かける"イタチ"は朝から酒を飲んで過ごすのだが、赤く染まった顔はいつもより柔らかく、口数も多い。

休日は"つぼみ"が来ない為、おばあさんが用意する夕飯は質素に尽きる。

そんな事にはすっかり慣れたはずの"小鳥"はいつもの様にテーブルに着いたのだが、咀嚼しながら漬物の色が染み込む白米を見つめていると、

( これが今の現実なんだ・・)

好き嫌いもおかわりも気兼ねなく口に出来たかつての団欒がもはや特別になってしまったと改めて思い知る。

そんな夕食を早々に切り上げ、風呂と洗濯を済ませて布団に寝転ぶと、

( 俺は生き急いだのだろうか・・)

こんな気持ちが込み上げた。

( 生き急いでなんかないさ・・)

必死の抵抗を繰り返す。
 
寒さに目を開けた時、部屋の明かりは消えていた。

仰向けの視界には暗闇の中に灯る小さなオレンジ色が見え、いつの間にか眠ってしまったのだと気付いた"小鳥"は、夜中の寝覚めに付き物の尿意を朝まで我慢するか迷った末に、一度は首まで上げた布団をそっとめくると音を立てない様にベッドを出た。

静かに開けた引き戸を閉めて裏の田んぼに進み、丸石が積み重ねられて1メートル程高い境界からの放尿をすると、白い湯気と共に体温は奪われる。

ブルッと身震いをして、熱が冷め切る前の布団を目指してプレハブに戻り、

" キシッ キシッ ・・・ "

体の向きを変える度に音を出すベッドに苦戦しながら、布団にゆっくりと滑り込む。

「 おぃ・・」

枕に頭を置いた時、"イタチ"が声を出した。

「 すいません、トイレに行きたかったもんで・・」

「 おまんはぁ、なんで山梨に来ただぁ?」

意外な質問に、

( 知らないのか?)

「 え~と・・ 家出中に"とんぼ"のおやじ"さんに拾ってもらいまして・・」

「 どうして家を出ただぁ 」

再び上体を起こし、

「 自分は大学受験に落ちまして、そこから・・」

うっすらと延びる豆電球のオレンジ色。それが届かぬ暗がりに向かって思いつくままの今までを並べる。

「 歌手を目指してたらカスになってまして、ははっ・・」

「 唄ってみろ 」

「 いや、あの・・ ギターが無いんで・・」

「 無くていい・・」

「 マジっすかぁ?」

「 あぁ・・」

( まいったなぁ・・)

無下に断る事も出来ない。

「 オホンッ、じゃぁ唄います 」

この旅路の発起点となった 『 ありがとう 』 という歌を唄う事を決めた。

「 ヒ ・ サ ・ シ ・ ブリ~ニ~・・」

背筋を少し伸ばし暗闇に向かって唄い出す。
 
まるで同じ歌のはずなのに、栃木のファミレスで思い出した時とはまるで違う感覚。

思い詰めていた当時が幼く蘇り、二番まで歌い終えた時には"小鳥"の体は自分の甘さをさらけ出した様な恥ずかしさに熱を帯びていた。

「 おふくろさんに唄った歌か?」

「 はぃ 」

「 良い唄だなぁ・・」

「 えっ ほ、ほんとうですか? 」

「 あぁ・・」

「 ありがとうございます 」
 
「 実はなぁ・・ 俺にはカミさんとおまんぐれぇの娘がいてなぁ・・」

"イタチ"が静かに切り出す。

「 俺は競馬にはまっちまって、気付いた時には借金が1200万円くれぇになってたわ、へへッ・・ 笑っちまうらぁ?」

「 いぇ・・」

「 一緒に建てた家もあったけんどぉ、迷惑が掛かるってんでカミさんと娘に住まして俺は出たんだ 」

「 はぁ・・」

三兄弟の二男でありながら肩書きが無かった"イタチ"に違和感を感じていた"小鳥"は、その理由が本人の口から告げられようとしている雰囲気を前に一点を見つめながら続きを待った。

「 そん時に兄貴に泣きついてなぁ、借金を肩代わりしてもらってぇ、それっからここに住んでるって訳だぁ 」

「・・・」

「 覚え始めの時に大穴を当ててなぁ、そっからしばらく負けたけんど、また当てて・・ 次は次は、次こそはってなぁ、当てれば大金が入る、だけんどぉ買わなきゃ当てる事は出来ん、負ければ負ける程カッカして来てなぁ、でかいのを当てた時の感覚が忘れられんくて・・ 結局家族とは離れる事になったぁ・・」

「 はぁ・・」

「 たまぁにカミさんを連れて買い物に行くだぁ・・ 離れていても仲が悪い訳じゃぁねぇんだ・・」

「・・・」

「 "小鳥"ぃ!」

「 はいっ 」

「 こないだはぁ悪かったなぁ 」

「 いえ・・」

その言葉を最後にして寡黙な"イタチ"の身の上話は終わり、"小鳥"は静かに眠りについた。
 
「 山梨市の駅前に野原ビニール店があってなぁ、近くにそこの倉庫があるらしいだけんど、2階が空いてるっちゅうから今から行って見て来ぉ 」

「 はい 」

あと一月もすれば年も変わるという頃、母親が依頼していたアパートの手配が"赤鬼"によって果たされようとしていた。

駅前から500メートル程の所、通りに面した敷地に案内された"小鳥"の目には、一階部分が駐輪場になっている3階建ての建物が映る。

「 こちらになります・・」

「 はい・・」

その建物には外壁を這う様に外階段が付いていて、

" カンッ、カンッ、カンッ・・ "

鉄骨の音を鳴らして登って行くと、ちょうど二階部分で右に折れる踊り場で、

「 ではこちらですね・・」

「 えっ?」

見れば壁には後付けを裏付ける不自然な引き戸が付いている。

中に入ると、小さな玄関から一段上がって6畳間があり、奥には小さな流しとガスコンロ、その右側にユニットバスがあった。

一通り見て回る"小鳥"をしばらく見守っていた案内人が尋ねる。

「 どうですか?」

「 はい、こちらでお願いします 」

"小鳥"の返事は早かった。

「 では急いで手配をしますので又後日・・」

「 よろしくお願いします 」

このやり取りが戸惑いも質問も無い至ってシンプルだった理由は、

( 主になれるなら・・)

福島を飛び出てからずっと誰かの住居で間借りをする暮らしが続いていた"小鳥"は、誰にも気を使わずに自分のペースで暮らせるならそれだけで良いという気持ちが極めて強かったからである。

この日から間もなくして、"イタチ"の部屋を飛び立つ事になった"小鳥"。

「 社長さん、これでどうか・・」

その陰で母親がアパートに掛かる敷金や礼金、そして通勤に使う移動手段の分として"赤鬼"にまとまった金を渡していた事に気付く事はなかった。
 
 

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新世界

 

AM7:30、"小鳥"はカギを閉めて階段を降りた。

この日はアパートからの初出勤。"赤鬼"が用意してくれた原付バイクでさっそうと飛び出す。
 
( テーブルが欲しい、テレビも見たい、炊飯器、シャンプー、トイレットペーパー、ビール、冷蔵庫・・)
 
必要な物がアレコレ浮かび、
 
( 一気に揃えるのは無理だなぁ・・)

譲ってもらった布団とバッグひとつ分の荷物しか無い6畳間。すぐには手に入らなくとも、その空間を埋めるアイテムを想像しながら通勤という時間を楽しむ。

部屋の西側と南側にあるどちらの窓からも外壁を這う様に付く階段が見えて、それは外からも中を覗けてしまう事を裏付けていたが、それでも間借り暮らしと比べてしまえば良しでしかない。
 
仕事が終わってからは、

「 お先に失礼します 」

帰宅と言う新たな日常を手に入れ、原付バイクで会社の敷地を飛び出すと敢えて知らないルートで新居を目指した。

( こんな所にお店があったのかぁ・・)

気まぐれな進路には人生でたった一度だけの初めてが待っていて、スピードに乗ってやって来る新鮮な感覚に肌寒さも気にならない。

しかし、アパートに辿り着き、暗い部屋の電気を点けると、

( あぁ、飯かぁ・・)

こんな独り言を呟く事になった。

外から薄明かりが差し込む6畳一間のアパートは、野放しのテレビが音を出していた茶の間とは違い、そこに座っていれば台所に立つ母親が夕飯を運んで来てくれる訳でも無く、自分が動かなければ何一つ形を成さない孤独な解放区なのだと気付く。
 
それからというもの、喜びで始まったはずの一人暮らしの実態は、コンビニで買って来た飯を食い、シャワーを浴びながら揉み洗いの洗濯を済ませ、後は布団にくるまり朝を待つという流れになった。

"イタチ"の部屋に居た頃と比べれば自由気ままな営みである事は確かだが、

( うぅ、寒い・・)

部屋の真下は駐輪場になっている為、冬の寒さがコンクリート土間に直引きの畳を容赦無く突き抜けて来る。薄く潰れた布団では眠気もどこかに行ってしまう。

( どうしてこんなに寒いんだ・・)

そんな事を考えながら部屋を見渡すと、

「 あっ!」

カーテンが無い事に気付く。

幼い頃の夕方は、

「 カーテン閉めてくれるぅ?」

と言う母親がいて、

「 はぁい 」

何の疑問も抱く事無くカーテンを閉めていたものだった。

( カーテンが無いと、こんなに冷えるのか・・)

窓から差し込む冷たさに耐え切れなくなった"小鳥"は、

" チッチッチッ、シュボッ "

台所に立つとガスコンロに手をかざして暖を取った。

全身には届かない小さく青い熱の光がまるで今の自分の様に思えて来る。

( はぁ・・)

溜息が零れた。
 
沈んだ太陽が再び昇ると日付は変わり、それを繰り返す。日常には、いよいよ今年も終わるという雰囲気が押し入って来る。

この日、カカシ商運でも仕事納めに向けた大掃除が行われた。
 
敷地を動く男達は普段よりも数を増やし、その光景にやや戸惑う"小鳥"。夏用タイヤを物置使いのコンテナへに収納するのに慌ただしく動き回っていたフォークリフトが目の前で止まり、

「 おまん!そこにいちょ!」

運転していた男からこんな声が掛かる。
 
聞き慣れない言葉である。

「 はい?」

と聞き返す。

「 そ・こ・に・い・ちょ!」

「 はいっ 」

反射的に返事をしてしまった"小鳥"は、半信半疑ながら動作を停めてその場に留まった。

すると、

「 てめぇ!なめてるだかぁ!そこにいちょといってるらぁ!」

何故かしらフォークリフトから降りた男は、強張る顔で"小鳥"を目掛けて乱暴に歩み寄って来る。

( なんだ?)

「 ばぁか、そこにいるなって事だ・・」

「 えっ?」

横から聞こえたのは"山野"という男の声。

訳はわからなかったものの、この通訳を信じた"小鳥"は、

「 すいませんでした!」

目の前に迫り来る男に対して咄嗟に頭を下げた。

「 ちょびちょびしてるとしおづけるぞ!」

迫り来た男は変な言葉を吐いて再びフォークリフトに戻って行き、それに代わる様に"山野"という男が近くに立つ。

"山野"は、年齢は30代半ばで暇な時だけカカシ商運にアルバイトに来るダンプ屋である。いつもニヤニヤとしてびっとした印象は無いものの、カカシ商運の中で下っ端に甘んじるでもなく不思議な存在感を持っている。

「 あのぉ、今の言葉はどういう意味ですか?」

「 今のはなぁ、調子こいてると焼きを入れるぞって意味だな、いひひ 」

嬉しそうに解説をする"山野"。
 
( 「 ちょびちょびしてる 」 は 「 調子こいてる・・」、「 そこにいちょ 」 は 「 そこにいるな・・」 )

"小鳥"は聞き慣れない甲州弁に疎外感を感じながらも、懸命に解釈を試みる。

「 "小鳥"ぃ、今晩飲みにでも行くかぁ?」

「 えっ?は、はい・・」

約束の時間はPM8:00。

帰宅してすぐ、浴室に駆け込んだ"小鳥"。
 
鼻歌交じりにシャワーを浴びる。洗い流す鏡には力強い瞳が映る。

"山野"が迎えに来ると言った時間が近付き、

( そろそろだなぁ・・)

待ち合わせ場所となったすぐ近くのドラッグストアを目指す。
 
足元に幾本かの吸殻を転がした頃、黒いセダンに乗った"山野"が登場した。

「 お疲れ様です 」

「 いひひ、あぃどうも~、まぁ乗れし 」

「 失礼します 」

「 はいょはいょ、んで? どこへいく?」

「 あっいゃっ、自分ちょっとわかりません 」

「 なんでぇ、わからんだけぇ・・ 飲みには行かんだかぁ?」

「 はい、今日が初めてでして・・」

「 ほぉかぁ、いひひ、じゃぁ俺んとぉの知ってる店でも行くかぁ?」

「 はい、お願いします 」

「 はいょ~ 」

助手席に座り、嬉しい緊張に包まれる"小鳥"。
 
しばらくして到着した場所は国道20号線の精進湖立体横に建つテナントビル。

「 今日は此処で飲むじゃん!」

そう言って2階建てのテナントビルの中央に作られた広い階段を登った"山野"は、"小鳥"を促して左の奥へ進み、突き当たりの扉を開いた。

薄明かりの店内は、牢獄をイメージした様にボックスが鉄格子で区切られていて、サラリーマンと呼ばれる様なスーツ姿の男達が窮屈に活気付いているのが目立つ。

薄く着飾る女の子と正装のボーイが狭い通路を慌ただしく動いている中を進み、"小鳥"は"山野"に従う形であるボックス席に腰を下ろした。

一気に広がりを見せた夜に"小鳥"の目が泳ぐ中、近寄ったボーイに"山野"が耳打ちをすると、しばらくして慣れた感じの女が"山野"の隣に座った。

「 失礼しまぁ~す 」

「 はいょはいょ・・」

見るからに機嫌の良い"山野"。

「 "小鳥"はどんな娘がタイプだ?」

「 えっ?いや自分は大丈夫っす 」

何が大丈夫なのかわかりもせず、"小鳥"は慌てておしぼりに手を延ばす。

「 失礼しまぁ~す 」

ボーイのエスコートで"小鳥"の隣にも女がやって来る。

「 ど、 どうも 」

妙高なテンションを振りまいてよくしゃべる厚化粧の女は、たばこをくわえれば横から火を出し、こまめにグラスの水滴を拭いたり灰皿を交換したりして動作が止まるという事が無く、しかも異性との密着に何の抵抗も見せない。
 
"小鳥"が異性とちゃんと交際をしたのは高校時代のひとりだけで、チーマーと呼ばれた頃には付いて離れて何人かの異性と体を交わしたが、基本は無愛想と呼ばれた硬派気取りで異性に対しての気軽な会話のネゴシエーションは心のどこかで軽蔑すべき行いだった。

しかし、それが酒の作用だったのかどうか、

( 少しだけ・・ 少しだけならまぁいいか・・)

性欲にいざなわれた横行が受諾されてしまう様な非日常的なシチュエーションは、いつの間にか居心地の良いものになっていて、

「 "小鳥"ぃ、そろそろ行くか?」

あっという間に時間は過ぎていた。

立ち上がった"山野"がセカンドバッグから何枚かの札を取り出してボーイに手渡す。

「 あのぉ・・ いくらですか?」

「 いいって いいって、今日は俺のおごりだ、いひひ・・」

「 っご、ごちそうさまです 」

ここでこの日の"小鳥"は帰宅となった。
 
別世界から戻った朝。
 
いつもと変わらずカカシ商運へと向かうものの、片道数キロの道のりはいつも以上に長く、それに加えて吹き当たる風が容赦無く体温を奪うと原付のトルクを緩めざるを得ない。

ようやく会社に到着した時、ミラーに映る顔は赤く染まっていて、

「 うぅ~~ 寒い 」

"小鳥"は防寒着が欲しくなった。

( 俺の部屋に、まだあるはずだよなぁ・・)

咄嗟に福島の実家に電話を掛ける。

「 もしもし、俺だけどさぁ・・ うん・・ うん・・ 」

聞きたい事だけを一方的に確認し、

「 じゃっ、また電話するよ・・」

驚く母親を置き去りにして電話を切る。

( よし!)

一人の人間が捉える世界は、時にほんのささいな出来事ひとつでその色を容易く変えるものである。

夜の別世界を覗いてしまった"小鳥"は、まさにそれだった。

山梨に来て目まぐるしく変わる環境の変化に良くも悪くも心理的な余裕は奪われ、当初の目的である栃木帰還は時間的にも道程的にもずっと先の予定として霞んでいる。目移りとはよく言うが、外部からの刺激に免疫の出来上がっていない"小鳥"は、日常を満たす事に注いでいたはずのその思考の焦点を、今度は夜の酒場に通う為のアレコレに向けていた。

この日の午後。

「 "小鳥"~、社長が呼んでるわよ~」

"つぼみ"に呼ばれた"小鳥"は、

「 はい 」

作業を捨てて事務所へと走った。
 
「 失礼します 」

"赤鬼"に歩み寄る。

「 おぉ、おまんの仕事が決まったぞぉ 」

「 はっ、はい 」

雑用ばかりの日々に終わりが告げられる。

( そうだ、そうだった・・)

中央高速を走っていた時に描いた未来を思い出す。

「 2tでな、北部のヨウシャに入れ 」

「 はい!」

( ん? 2t車?)

「 新車を買ってやったから年明けの5日から通え・・ あそこには"オミズ"がいるからなぁ、わからない事はソイツに聞けばいい。それからなぁ、"つぼみ"に制服を用意してもらえ 」

「 はい、あ、あのぉ・・」

「 なんだ?」

「 4t車は乗れるようになりますか?」

目的に向かう前進である事を確かめる。

「 おぉ、取り敢えず2tで練習してなぁ、慣れたらいずれは乗れるさよぉ 」

「 はい!ありがとうございます 」

「 "小鳥"は、3L位じゃないと駄目ね 」

メジャーを手にして近寄って来た"つぼみ"にウエストと股下を測ってもらいながら、

( そうだ!)

"小鳥"はある事を閃く。

「 すいません・・ 正月は休みがありますか?」

「 あぁ、どういで?( なんで?)」

「 福島に荷物を取りに行きたいんですけど、車を貸してもらえませんか?」

「 荷物?」

「 はい、アパートに何も無いもんで、テレビとか服を持って来たいんですけど・・」

「 ほぉか、そしたらホーミーでも乗って行けばいいらぁ、道はわかるだかぁ?」

「 わかりません 」

「 はははっ・・ おまんもおもしろい奴だなぁ 」

「 はは 」

照れ笑いをする"小鳥"に、"つぼみ"の視線は優しい。

バカ笑いを見せた"赤鬼"と幾つかのやり取りを交わしてから、地図を借りて事務所を出た。
 
まるで凱旋気分ですがすがしく空を見上げる。

昨夜覗いた別世界、今朝方掛けた母親への電話、そしてこのやりとりに、"小鳥"は物事がうまく運び出した手応えを確かに感じていたのである。

数日が経つ。
 
正月休みをいよいよ明日に控えたこの日は、大手の企業に入っている"カカシ商運"のヨウシャ部隊にも暇が出来る様で、見た事のある顔もそうでない顔も事務所に挨拶をしに来ては正月飾りを受け取っている。

カカシ商運勤務の男達は洗車をしていて、1台だけの水圧洗浄機を使う順番が社内の力関係を如実に映し出している。そんな中、"キツネ"を手伝う"小鳥"は自分の休みを想像する。

( いよいよ福島に行ける・・ "小熊"に連絡するのは何時にしようか・・)

かつて、栃木まで駆け付けてくれた仲間に再会する場面を想像すると心は俄かに躍っていた。

勢いで家出をした当時、ガソリン代を気にしてエンジンを掛けず、蒸し暑い車中で向かう先も見えずにただじっと堪えていた独りの夜が、遠く離れた山梨の地で職に就いてアパートまで借りている今に至った事は、土産話になるに違いない。早く自慢したくて仕方ない。
 
一台のセダンが敷地に止まる。
 
そこから降りた男は小箱を抱えて事務所に走り、ペコペコと頭を下げながら入ったかと思うと、扉を閉める間もなく忙しそうに車に戻り、そしてすぐに出て行った。

「 "キツネ"さん、今の人は誰ですか?」

「 あぁ、あれか? あれは使いで干支を持ってきたズラァ 」

「 へぇ、干支なんて届くんですか?」

「 あのなぁ、あれは〇〇組の若い衆だ 」

「 ん?」

「 社長はなぁ、あそこの組長と幼馴染で仲が良いだわ・・ 無尽もやってるしなぁ 」

「 ムジン?」

「 おまん、無尽って知らんだかぁ?」

「 はい・・」

「 無尽っちゅうのはなぁ、月に一回とかで金を積み立てたりするヤツでなぁ、旅行無尽とか、まぁ色々あるだぁ 」

「 へぇ、そういうのがあるんですか?」

"キツネ"の話を聞いて、"とんぼのおやじ"の言葉を思い出す。

「 いいかぁ、カカシ商運の制服を着てれば本職も道を空けるからなぁ・・」

( これからトラックで走るとなると、そんな場面もあるのかもしれないなぁ・・)

「"おねぇ"だ~」

敷地に居た男達の誰かがそう呼んだかと思うと、今度は派手なお飾りを付けた2tトラックが敷地に飛び込んで来た。
 
そこから降りて来たのは黒髪のロングヘアーで真っ白い顔をした女性。大きな声で笑っている。

「 "キツネ"ちゃぁ~ん、ちょっとさぁ、オイルと空気圧を見て欲しいんだけど、いい?」

「 いいよぉ"葵"ちゃん、そしたら車をこっちへ・・」

そう答える"キツネ"が珍しく笑顔を見せる。

敷地は一気に明るくなり、寄って来た男達は、

「 "おねぇ" 」

だの、

「 "オミズ"」

だの、

「 "葵"ちゃん 」

だの、

その女性の先輩か後輩かで呼び方を変えている様だが、その全員が笑顔である。

「 おぃ!"小鳥"~、"葵"ちゃんに挨拶しとけ~」
 
と誰かが言う。

「 はい! "黒井小鳥"といいます・・ よろしくお願いします!」

「 おぉ、新しく入ったボコっておまんけぇ? 1月から北部に来るズラァ? こちらこそヨロシクね 」

「 "葵"ちゃん、コイツ顔がでかいけどヨロシクね 」

誰かが茶化して口を挟み、赤面する"小鳥"を囲んで笑いが溢れる。

( あぁ、この前社長が言ってた"オミズ"ってこの人の事か・・)

これが"葵"と"小鳥"の最初の出会いだった。
 
 


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