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登場人物

登場人物(写真は初演時俳優)

先生 30代後半。人類学者。


演:村山新


編集者 30代前半。オカルト専門サイト「ヴォイニッチジャーナル」の編集者


演:深井敬哲(日本演劇連盟)


妻 30代前半。先生の妻。父親は大学理事


演:加藤なぎさ


本文

舞台は地方の私立大学の研究室。設備がまだ整っておらず、長机と椅子、電話以外はなにもない。
先生が椅子に座っている。
しばらくして編集者が入ってきて、先生に声をかける。

編集 先生、ご帰国おめでとうございます。
先生 あー……
編集 ヴォイニッチジャーナルの深井です。先生にはご留学前にお世話になっておりました。
先生 あー、久しぶりですね。元気だった?
編集 わたしは元気なんですが、雑誌の方はどうも、先生がアメリカにいらっしゃってる間に休刊になってしまいまして。
先生 それは残念。
編集 それにひきかえ先生、帰国してすぐに自分の研究室とは、さすがですねえ。
先生 どうも事務局の手違いで、什器の手配が来週になってしまったようでしてね、来てみたらこれですよ。書棚すらない。
編集 本当はお手伝いでもと思ったのですが、仕事が長引いてしまってこんな時間になってしまいました。
先生 さっき雑誌が休刊になったと聞いたけれども。今はなにをしているんですか?
編集 紙の本としてはなくなったのですが、インターネットでは細々と続いております。
先生 じゃあ今日来たのも、当然仕事の話というわけかな。
編集 はい。先生には是非アメリカ留学の際の体験記を書いて頂きたく、今日は参上しました。
先生 僕は人類学の研究に行っただけだから、そんな一般の人が楽しめるような経験をしているわけではないですよ。
編集 先生、先生の留学先はあの、アーカムの、ミスカトニック大学ですよ。我々の業界で、これが気にならない者はおりません。
先生 いたって普通の大学だよ。
編集 先生、ご覧になられたのですか。
先生 なにを?
編集 狂えるアラブ人、アブドゥル・アルハザードが記した、あの忌まわしきネクロノミコンを。
先生 君はそんな本が本当にあると思っているんですか?
編集 日本人でその本を読んだという人はほとんどいません。
先生 僕はいたって一般的な、人類学者であるから、あまり期待に添えるようなことはないかもしれないな。
編集 いえいえ、大学の、その様子だけでもお聞きできれば、じゅうぶんですから。

妻がお盆に急須と湯飲みを2つ乗せて入ってくる。

 お客さま?
先生 ヴォイニッチジャーナルという雑誌の編集者の深井さんだ。妻です。手伝いに来てもらってたんだ。
編集 あ、どうもはじめまして。
 ちょうどよかった。熱いお茶なんですが、よろしければどうぞ。
編集 あ、ありがとうございます。
先生 僕が結婚していたのがそんなに心外ですか?
編集 いえ、あの、奥様は寝たきりだとお聞きしてましたので。その後、突然アメリカに旅立たれたので、僕はてっきり。
先生 ……そんな話しましたか?
編集 あ、これは奥様を前にとんだ失礼を。
先生 奇跡的にね、体調が良くなったものだから、妻も一緒にアメリカに。
編集 それは何よりでした。ご快癒おめでとうございます。
 あ、ありがとうございます。でも、今はもうなんともないですので。
編集 あ、そうだ。もし差し支えなければ、奥様のお話なども記事に絡めていただければ……

突然電話が鳴る。先生が電話を取る。

先生 はい……はい……わかりました。(電話を切る)事務局が用があるそうなので、ちょっと中座します。
編集 あ、はい。
先生 あー、そういえば、君のところの読者が気に入るような話を思い出したから、用が済んだら少しお話ししますよ。
編集 それは是非。
先生 じゃ、すぐ済むようなので。少々お待ちください。

先生、退場。

 雑誌の編集って、人類学のご関係ですか。
編集 いえ、あー、いわゆるオカルトといいますか、宇宙人とか、UMAとか、超能力とか、そういうのでして。
 超能力、ですか。
編集 でもですね、科学的、学術的な検証も必要だというスタンスでやっておりましたので、先生にはそういうところでいろいろご協力いただいていたんですよ。超古代文明とか、あと、謎の原住民とか、そういう記事のときですかね。
 そうなんですか。
編集 だいたいの学者先生には記事のタイトルだけで門前払いされることが多いんですけど、丁寧にご説明していただけるので本当に助かっておりました。
 主人がお役に立てているならなによりです。
編集 奥様はオカルト、どうですか?
 え?
編集 宇宙人とか、超古代文明とか、ご興味ありませんか?
 あまり考えたことないですけど、子どものころはやっぱり、幽霊の話とかは好きだった気がします。怖いですけど。
編集 奥様、差し障りなければということでいいんですが、ご病気されていたときに、なにか不思議な体験とか覚えございませんか?
 不思議な体験?
編集 いえ、ああ、さきほど、先生が奇跡的に回復なされたとおっしゃってたものですから、その、きっかけになった出来事があったりとか、特別な治療をされたとか。ささいなことでも良いので、なにかありましたら、教えていただければうれしいなあって。
 ……わたし、正直、体調の悪かったときの記憶がほとんどなくて。変な話ですけど、本当に、気がついたら元気になっていたという感じなので、どんな治療を受けてたとかもあまり。
編集 いや、そういうことでしたらご無理になにかということではないので。
 ああ、でも、これはなんか、関係ないかもしれませんが。見ていた夢は覚えています。同じような夢をよく見ていた記憶があります。
編集 教えていただけませんか。
 いつも、暗くて深い、洞窟の中を歩いているんです。本当に真っ暗で、上も下もわからないくらい。でも、音楽が聞こえてきて、その音がする方に歩いていくんです。フルートかしら、か細くて、単調で、あざけるような、きずつけるような、フルートの音と、それと心臓の鼓動を乱すかのような、粗雑で、狂おしい、太鼓の音が、まるでなにかを慰めるような音楽が聞こえてくるんです。わたしはその音がする方向に歩いていくんです。なにかに少しずつちかづいていることはわかるのです。なにかが、なにかが、それは一刻とも同じ姿を保てない、たえまなくうごめき、すがたをかえ、ことばのおいつかない……おかえりなさい。

先生がいつの間にか戻ってきている。

先生 これ、お義父さんが預けてったって。なんだろう、羊羹かな。
 パパから? 直接渡してくれればいいのに。
先生 忙しいんでしょう。ここで食べちゃおう。深井さんもどうですか?
編集 ありがとうございます。
 とりわけてきますね。

妻、退場。

先生 妻と何かはなしでも?
編集 ちょっとした雑談です。奥様のお父さまは大学のご関係者ですか?
先生 ああ、理事をやってるんです。
編集 なるほど。
先生 実を言えば、留学の便宜を図ってくれたのも義父なものだから。こうやって大学に職を得られたのも、すべて妻あってのことですよ。
編集 なるほど。それなら本当に奥様が元気……
先生 なんですか?
編集 いえ。あ、さきほどおっしゃっていた、その留学先でのお話を……
先生 ああ、そうか。いや古い大学にはつきものの、いわゆる怪談ってやつだけど、そんなのでもいいですか。
編集 アーカムの怪談話でしたらみんな飛びつきますよ。
先生 もう100年以上前の話だそうだけど、ミスカトニック大学の医学部に所属していた学生が、死者を生き返らせる実験をしていたそうです。
編集 ウエスト医師の話ですか。
先生 なんだ、有名な話なんですかね。
編集 ええ、まあ。
先生 うん。それで大学付属の精神病院に、その復活した人間がまだ幽閉されているんです。
編集 それは初耳です。100年前の人間がですか?
先生 で、特別に面会ができるというので見に行ったんですよ。
編集 先生がですか!
先生 僕の研究テーマは人類における死の観念だからね。実際のところ、そういう触れ込みの狂人がいるってだけのことだろうけど。
編集 それで、どうだったんですか? 実際会ったのですか?
先生 とても、会話できる状態ではないね。見た目もまるで野獣のようで。かつては著名な医学部の教授だってことになっていたけど、まあ、あれでは生き返ったとは言えないかもしれませんね。
編集 そうですか。
先生 で、僕は思ったんですよ。かつてアーカムにいた男のアプローチは、薬品によって死亡直後の肉体を刺激して蘇生させるというものだったけど、魂の不滅を信じる文化は世界中にあって、たとえばエジプトのミイラ。でも、あの状態の肉体に、魂戻ってきて生き返ったとしてもどうです? 脳も内蔵も全部かきだしてるんですよ。普通につき合えます?
編集 まあ、どうですかねえ。
先生 チベット仏教などでは転生という信仰がありますけど、あれも生まれ変わりは完全な別人ですよね。魂と人格は別だということなんでしょうけど。一方で現代の話になりますが、脳死状態の人間とか、見た目は生前のままだけど、人格はもう戻ることはない。これは生きているといえるのか。
編集 えーと、難しい問題ですね。
先生 まあ、それは今でも議論のある話ですが。我々が他者を生と認識するのは、その器たる肉体なのか、心や人格なのか、あるいは魂ともいわれる別の概念なのか。これは人類学においても興味深いテーマです。
編集 勉強になります。
先生 ああ、すいません。怪談をするつもりが、自分の研究の話になっていたようだ。
編集 いえ、むしろこれも何かのネタになりそうです。いや、ネタといってしまうと大変失礼なのですが。

妻、羊羹を載せた皿を持って戻ってくる。

 お待たせしました。
編集 ありがとうございます。先生、もしよろしければアメリカ滞在記の他にも、先ほどの生き返りの話も詳しくおうかがいできたらと思います。
先生 わかりました。ただ、滞在記の方はあまり期待されると困るかもしれませんね。
編集 そしたら、むしろそちらは奥様でも。
 わたしがですか?
編集 ええ。さきほど、ちょっとお話おうかがいしたときも、奥様もしかしたらなかなか文才もおありではないかと。
 そんな。
先生 どんな話をしたんだい?
 夢の話を少し。
先生 夢の話?
 ええ。いつも見る夢の話を。
編集 なかなかに叙情的で興味深いお話でしたよ。
 お世辞じゃないですか?
先生 プロの編集者があんまり褒めて、その気になってもらっても困るなあ。
編集 いやいや未来の大先生かもしれませんよ。
 もうほんと困ります。

妻、言いながら羊羹に何度も繰り返し菓子楊枝を突き刺している。

編集 え、奥様、本当に怒っていらっしゃるので?
 え?
編集 いや、たしかに大先生は冗談ですけど、滞在記の方は気軽な気持ちで書いていただこうとは本当に……
 テケリ・リ
編集 え?

突然電話が鳴る。先ほどの電話とは音調が違う。先生、無視をする。

編集 先生、事務局からでは?
先生 いや、これは違うんだ。

電話が鳴り止む。妻の動きもおさまる。

 たまにあるんですよ。イタズラ電話。
先生 君のところにはないですか?
編集 いや、まあないですけど。
先生 そういえば、さっきの、生き返りの話。南米の、かなり南極に近い先住民の伝説なんですけど、神に魂を明け渡して、永遠に生き続ける部族がいたそうです。魂は暗い洞窟の中に預け、替わりのなにかが肉体に宿るそうです。どうだろう、妻の夢より面白いかな。
編集 そう、ですね、なかなか甲乙つけがたいと言うか……あ、じゃあ、わたし、そろそろ、お暇しますね。奥様、滞在記の件、是非。
 では、主人に相談して。
編集 それでは、そちらが落ち着いたころに、ご連絡しますので、お邪魔いたしました。

編集者、退場。

 ねえ、ちょっと興味あるんだけど。
先生 なにが?
 さっきの、アメリカ滞在記?
先生 うん、まあ、いいんじゃないかな。
 ほんとに?
先生 なんでも試してみるもんだ。この羊羹うまいな。
 お父さん、帰国してから一度も会おうとしないんだけど。
先生 そうだな。
 実の親子なのに、ちょっと薄情じゃない?
先生 やっぱり、何か違うのかな。
 そうかな。
先生 僕は慣れたけど。
 テケリ・リ、テケリ・リ

先ほどと同じ音調の電話が鳴り出す。

先生 5年でここまで調子が悪くなるのか。
 テケリ・リ、テケリ・リ
先生 先に試したあいつはなんともないみたいなのに。
 テケリ・リ、テケリ・リ

先生、ダンボールの中から、古い本を取り出す。

先生 何に対して言っているのかわからないんだけど。
 テケリ・リ、テケリ・リ
先生 僕は君のことを、いつまでも愛しているよ。
 テケリ・リ、テケリ・リ

妻のさえずりと電話の音が鳴り続ける中、先生、本を開いて何かつぶやき始める。


奥付

 

『ハーバート』


http://p.booklog.jp/book/111814


著者 : 屋代秀樹
http://razio.jp
舞台写真:小林アキラ

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