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登場人物

登場人物(写真は初演出演者)

春子 多賀家現当主(長女)

演:八木麻衣子

 

夏子 多賀家次女

演:田中渚

 

冬子 多賀家四女

演:小畑はづき

 

辺見 元小説家の家庭教師

 演:宮崎雄真(アマヤドリ)


本文

舞台は、4姉妹の住む邸宅、の庭園。
舞台中央に机が1台置いてあり、枯れた薔薇が1輪さしてある。

 

夏子登場。

夏子 本日は、日本のラジオ「ヒゲンジツノオウコク」に、お越しいただきまして、ありがとうございます。開演に先立ちまして、お客様に、いくつか、お願い事がございます。携帯電話、など、音の出るものをお持ちの方は、電源から、お切りください。邸内での、飲食は、なにとぞ、ご遠慮ください。あ、喫煙について、は、お父様も、お吸いにはならなかったから、わたしの家のものは、だれも、吸わないのだけれど、史郎叔父さまが、たいへんな愛煙家でいらしてね、日に何十本もお吸いになるものだから、真穂子叔母さまが、叔父さまの奥様がね、あなた病気で早死にするわ、って、すごく心配してらしたんだけど、結局、先に亡くなられたのは叔母さまの方だったわ。叔父さまのタバコの不始末でおうちが焼けてしまったのよ。わたし、史郎叔父さまがお吸いになる、煙草の灰が、スウッて赤くなって、灰が伸びていくの、子どものころ、ずうっとながめるのが好きだったんだけど、でも叔父さまあれ以来、煙草を吸うのをよしてしまったの。叔父さまももうずいぶん前に自動車に轢かれて亡くなってしまったけど。

辺見、夏子が薔薇に話しかけているあいだに登場。

辺見 あの、もし。
夏子 ごきげんよう。
辺見 こちらにお住いのお嬢様ですか?
夏子 あ、もしかして庭師の方ですか?
辺見 あ、いえ……
夏子 ちょうどよかったわ。お庭の薔薇が枯れてしまったのよ。わたし、毎日キチンとお手入れをしていたつもりなんですけど、こういうことは不慣れなものだったから、わたしお裁縫は得意なのよ。でも、お料理は少し苦手。お庭のことはせめてお花だけでもと思ってたんですけど、生き物のことだからなかなか難しいものね。お花だって生き物ですものね。わたし、小さいころ小さな犬を飼っていたんですけど、病気になって死んでしまいましたの。なんて病名だったかしら、狂犬病ではなかったわ。でもそれ以来悲しくて生き物を飼うのはよそうと思っていたのだけど、お花だって生き物ですものね。毎日話しかけていたんだけど。でも冬子はね、その子犬のこと覚えていないものだから
辺見 冬子さん、その、わたし、庭師ではなくて、その冬子さんの家庭教師を頼まれました
夏子 あら、先生!
辺見 はい、冬子さんの家庭教師を頼まれました辺見と申します。
夏子 これはたいへん失礼いたしました。
辺見 いえ、えっと冬子さんの
夏子 冬子の姉の、夏子と申します。
辺見 夏子さん、よろしくお願いいたします。
夏子 冬子のこと、よろしくお願いいたします。いやだわ、わたし、先生がいらっしゃること聞いていたはずなのに、お庭のことにすっかり夢中になってしまって。
辺見 こちらこそ、突然話しかけてしまったものだから。
夏子 ふふ、それに、先生、あまり先生に見えないんですもの。
辺見 え、そうですか。
夏子 どちらかといえば庭師だわ。
辺見 庭いじりなんかしたことないけども。
夏子 きっと似合うと思いますよ。
辺見 あの、他におうちのかたは?
夏子 姉が、春子お姉さまがおうちにいらっしゃるわ。お父さまが亡くなられてから、春子お姉さまがいまはこのおうちの主人なの。
辺見 聞いております。
夏子 住んでいるのがわたしたちだけだから、お庭までなかなか目が届かなくて、お花だけはなんとかしようと思っているのだけど。
辺見 お姉さまのところにご案内いただいてもよろしいでしょうか。
夏子 あら、その必要はないですよ。
辺見 え?
夏子 今いらっしゃるところだから。

春子登場。

夏子 春子お姉さま、先生がお見えですよ。
辺見 はじめまして、小鹿教授のご紹介で、冬子さんの家庭教師を頼まれました、辺見、と申します。お庭まで立ち入ってしまい、大変失礼いたしました。
春子 わたしが当主の多賀、春子と申します。辺見先生、本来は正門でお出迎えすべきところを申し訳ございません。
辺見 いえ、ご足労いただくのも恐縮ですから、玄関までと思ったところ、夏子さんをちょうどお見受けしまして。
夏子 ねえ、お姉さま聞いて、わたし、先生のこと庭師の方と勘違いしましたのよ。
春子 夏子が、なにか失礼なことを申したのですね。
辺見 いや、全然たいしたことではありません。
夏子 わたし、ちゃんと謝りましたよ。
春子 夏子、先におうちに戻って、冬子に客間に来るように言いつけて。
夏子 わかりましたわ。では先生、ごきげんよう。
辺見 はい、ごきげんよう。

夏子退場。

春子 歳のわりに無邪気な子だから、少しお困りになられたのでは?
辺見 いえ、まったく。上品でお綺麗な妹さんです。
春子 末の冬子の方はもっとしっかりしていますので。
辺見 4人姉妹とお聞きしましたが。
春子 はい。
辺見 では秋子さんもいらっしゃるのですね。
春子 わかりやすい名前ですものね。
辺見 素敵なお名前です。
春子 でも、秋子は病弱で、最近は流行り病でずっと臥せっておりますので、大変申し訳ないのですが、しばらくのうちは、お目にかかることができるかどうか。
辺見 それはお気の毒です。でも、元気になったころにはぜひお目通りを。
春子 少し、堅苦しくはないですか?
辺見 へ?
春子 これから、しばらく、先生にはお世話になるものですから、先生にはぜひ、このおうちには、なじんでいただければと。
辺見 いえ、恐縮です。
春子 なにぶん、女所帯ですので、ふつつかなこともあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
辺見 こちらこそ、あの、家庭教師以外でも、あの男手が必要ならばなんなりとお申しつけいただければ。
春子 ……
辺見 庭仕事などは不慣れですけど……
春子 ……
辺見 差し出がましいことをいって失礼しました。
春子 いえ、こちらこそ。ありがたいお申し出で、言葉を失ってしまいました。
辺見 些細なことしかできないと思いますが、いくらでも。
春子 すみません。立ち話を長々と、お茶をお出ししますね。それとも、先生、コーヒーの方がよろしいでしょうか?
辺見 コーヒーをいただきます。
春子 では、おうちまで、ご案内いたしますね。

辺見、春子退場。
冬子登場。机に薔薇を追加する。
辺見、後を追いかけてくる。

辺見 いささか飽きるのが早すぎやしないかな。
冬子 だって、こんなずっとお勉強の話だけとは思わなかっただもん。
辺見 家庭教師なんだから、勉強の話をするだろ。
冬子 わたしね、てっきりね、家庭教師がくると聞いてね、大学生の先生が来ると思っていたの。
辺見 僕だって立派に大学を卒業してるよ。
冬子 違う違う、今、大学に通っている、大学生の、先生。せめてね、卒業して、そうね、2年以内。そしたらまだ新鮮な、大学の話が聞けるでしょ。
辺見 大学の話が聞きたいんじゃなくて、大学に入りたいんだろう。
冬子 大学に入りたいんじゃなくて、大学に通いたいの。
辺見 同じことだよ。
冬子 同じじゃない。同じじゃない。わたし、中学校は入学したの。でも1年と通わなかったもの。全然同じじゃない。
辺見 いいかい、中学校ってのは誰でも入れるんだ。でも、大学は違う。勉強しないと入れない。君は高校も通っていないのだからもっといっぱい勉強しないといけない。
冬子 わたし、勉強はね、正直ね、なんとかなると思っているの。わたし、本読むの好きだから、ことばはいっぱい知ってる。だから、入るのはなんとかなると思ってる。まあ、ちょっとは先生にお手伝いしてもらうかもしれないけど。でも、なんとかなる、きっと。でも、通うとなると、たとえば、先生、あなたテニスは教えられる?
辺見 テニスは、あまり詳しくないな。
冬子 ああもう無理。大学生がテニスやらないなんて。
辺見 卓球なら、学生時代多少嗜んでいたよ。
冬子 卓球、卓球なんて大学生やる?
辺見 やるよ。
冬子 卓球が許されるのなんて高校生まででしょ。
辺見 ずいぶん歪んだ知識だな。僕は、学生時代、テニスは一切やってなかったけど、無事に卒業できたし、もちろん友人だって、まあ、たくさんとは言えないが、それなりにいたよ。
冬子 それは時代が違うから、きっと。先生が大学を過ごしたのは、あれでしょ、昭和時代でしょ。
辺見 昭和時代って、僕は君からすればずいぶん歳食っているように見えるかもしれないけど、そこまでではないよ。大学を出たのだって、10年……20年いかないくらいだよ。
冬子 大学でテニスができないとひどく破廉恥な目にあうと本で読んだの。
辺見 なんの本だよ、それ。……そうだな、確かに、とにかく、君は、勉強だけでは、いけないような気がしてきたぞ。
冬子 でしょ。
辺見 もっと社会を知る必要がある。
冬子 そう、わたしもそう思うの。だからわたし大学に行きたいの。
辺見 いいと思う。
冬子 正直言って、お姉さま方は時代が違う気がするもん。あれはもっと昭和時代よりも、前な感じの人たちよ。
辺見 はは、確かにそうかもしれない。
冬子 それで言ったら、わたしはまだ、平成時代の人間だもの。わたしはアレですもの、インターネットを見たことがあるもの。中学校の授業で、ちょっとだけ。
辺見 見たところ、君の部屋にも、このお屋敷にはテレビはなかったようだけど、パソコンもないのかい。
冬子 お父さまがね、電波にでる機械を嫌ったから。秋子姉さまの身体に悪いって。電話が1台あるくらいね。でもわたしは中学校の授業で見たもの。ヤフー、ちえぶくろを。
辺見 秋子お姉さんのご容態はどうなのかな。
冬子 ずっと寝てる。お父さまが居なくなってからは、兄弟で代わる代わるお世話しているの。
辺見 そうか。僕もなにかお手伝いできることがあればいいけど。
冬子 今は流行り病にかかっているから。その、わたしたちはもう、抗体があるから大丈夫らしいのだけど。だから先生は、秋子お姉さまのお部屋には近づかないほうがいいと思う。

ピアノの音が聞こえる。

冬子 夏子お姉さまね。
辺見 へえ、ピアノをやるんだ。
冬子 毎週、近所の子どもにピアノを教えてるの。
辺見 人にものを教えるのは苦手そうにも見えたけど。
冬子 夏子お姉さまは気持ちが幼いから、子ども相手が性にあうのよ、きっと。
辺見 僕から見れば君もじゅうぶん子どもっぽいよ。
冬子 そりゃあ、昭和時代の人からみたら多少は子どもっぽいかもしれないけど。
辺見 僕は確かに昭和生まれだけど、青春の大半は平成時代に過ごしたぜ。

ピアノの音がやむ。

冬子 きっと、春子お姉さまが帰ってきたのよ。
辺見 ん? 春子さんはピアノが嫌いとか?
冬子 ちがうちがう。その、夏子お姉さまは甘えん坊だから。

春子登場。

冬子 ほら。
辺見 ほらって。……おかえりなさい。
春子 ただいま戻りました。お部屋をのぞいても誰もいなかったので。休憩中でしたか?
冬子 はい。先生にお庭をご案内してたのよ。
辺見 息抜きにちょっと散歩でもと。
春子 冬子、先生の言うことを聞いて、真面目にお勉強していますか?
冬子 ええ、もちろん。
辺見 冬子さんは、優秀な生徒ですよ。
春子 もしまだお休みの時間なら、外でお菓子をいただいたので、みんなでお茶の時間にするのは、先生よろしいでしょうか。
辺見 そうしましょう。
春子 よかった。今、夏子が用意をしていますので。
冬子 あ、わたし、紅茶自分でいれるー。

冬子退場。

春子 先生、お見えになる時間に外しておりましてすみません。
辺見 いえ、お構いなく。冬子さんさえいらっしゃっていれば、大丈夫ですので。あの、お仕事ですか?
春子 お仕事、というほどではないのですが、父の遺した財産の管理の関係で、たびたび外出することがありまして。ほとんどのことは父の代からの税理士の方にお任せしているのですけど、ただ、博物館や大学に預けているものはそうもいかず。
辺見 なるほど。
春子 そう、今日、小鹿先生にお会いしましたよ。
辺見 教授にですか、なにかおっしゃってましたか。
春子 こちらから、優秀な方をご紹介していただいたこと、お礼を申し上げました。
辺見 優秀だなんてそんなただ暇をしていただけで。
春子 でも、先生のお弟子さんの中で特に優れた方をと、お願いしておりましたので。
辺見 そんな、僕なんかは学問の方では、どちらかといえばドロップアウトした人間ですから。研究室には、いついていましたがね。優秀な奴は他にもたくさんいて、そんな中でたまたま僕だけが暇だっただけで。
春子 お話をしているだけでも、たいへん見識のある方だと感じられます。
辺見 そんな恐縮です。参ったな。
春子 冬子をよろしくお願いいたします。
辺見 ええ、とりあえず、高卒認定試験が目標ですが、冬子さんでしたらこのくらいは
春子 冬子は、大学に入りたいと
辺見 あ、冬子さん高校に通ってらっしゃらないので、まず大学入試の資格を得るために……

夏子登場。

夏子 春子お姉さま。
春子 あら、お茶の用意をしていたのではなかったの?
夏子 春子お姉さまがなかなか戻っていらっしゃらないので。
春子 とちゅうで、冬子に会わなかったかしら。
夏子 はい。……先生ごきげんよう。
辺見 ごきげんよう。
夏子 ねえ、春子お姉さま、わたし、次のお稽古で、新しい曲を教えてさしあげようと思いってね、その前にわたしもしっかりおさらいをしなければって
辺見 ああ、先ほど外からでもきこえてきましたよ。素敵な曲でしたね。
夏子 あら、わたしったら窓を開けっ放しにして弾いてしまったのだわ。きっと朝お掃除をする時に閉め忘れてしまったのよ。
辺見 注意しないと泥棒が入ってきてしまいますね。
夏子 泥棒、そしたら、朝から窓が開けっ放しなものだから、もしかしたらもうおうちに泥棒が潜んでいるかもしれないわ。
辺見 それは大変だ。僕が様子を見に行きましょう。
夏子 でも朝から泥棒がくるなんてそんなことあるかしら。朝からお仕事なさるようなそんな真面目な方だったら、泥棒なんてするかしら。
辺見 泥棒なんて存外真面目で、世渡りの苦手なやつがなるんじゃないかな。
春子 お話の続きはお菓子を食べながらにいたしましょう。
辺見 あ、これは失礼いたしました。
春子 夏子、行きましょう。

辺見、春子退場。
夏子、バラの花を中央に追加する。

夏子 ひは真昼、ものあたたかにエエテルの
    波動は甘く、また、ゆるく、戸に照りかへす、

冬子登場。

冬子 夏子お姉さま
夏子 あら冬子。
冬子 今暇?
夏子 ちょうど今、お見送りしたところだわ。今日ね、新しい曲を教えてさしあげようと思って、それでわたしもしっかりおさらいしたのだけど、いざとなるとちょっぴり間違えてしまってね
冬子 ああ、その調子でね、先生が探しに来たらね、ちょっと足止めしといて。
夏子 足止め?
冬子 おしゃべりしてて。
夏子 わたし先生とおしゃべりなんて恥ずかしいわ。
冬子 いつも通りでいいから。ね、わたしがこっちに行ったこと内緒ね。

冬子退場。

夏子 その濁る硝子のなかに音もなく、
    コロロホルムの香(か)ぞ滴したたる……毒のうはごと……
    遠くきく、電車のきしり……
    ………棄てられし水薬(すゐやく)のゆめ……

辺見登場。

夏子 先生ごきげんよう。
辺見 夏子さん、ごきげんよう。冬子さんを見なかったかな?
夏子 ぞんじあげませんことよ。
辺見 ……まったく、逃げ出したところで他に何かすることもなかろうに。きっと僕をからかうのが楽しいんだろうな。夏子さん、君のところの生徒はどうですか? 大人しく言うことを聞いてくれますかね。
夏子 生徒?
辺見 ピアノを教えているのでしょう?
夏子 生徒だなんて。そしたら、わたし先生になってしまうわ。
辺見 ピアノの先生ではないのかい?
夏子 わたしの方が、少しばかり長くやっているものだから、わたしの知っている曲を教えてさしあげているだけですよ。わたし、夏子さんとか、ときには、なっちゃんって呼ばれていますわ。
辺見 これは見習うべき態度かもしれないな。
夏子 先生も、下のお名前でお呼びしたほうがよろしいのですか?
辺見 いえ、結構です。
夏子 よかった。わたしそうなったらどうしようかと思いましたわ。
辺見 ……さて、かくれんぼを再開しますか。
夏子 あ、先生。
辺見 なんですか?
夏子 先生、わたしその、先生のお書きになった小説を読んだことがありますの。
辺見 それは、ありがとうございます。何を読んだのですか。
夏子 「虚無への祈り」という作品ですわ。
辺見 デビュー作か。恥ずかしいなあ。
夏子 お父さまの書棚にありましたの。わたし、夢中になって読みましたよ。
辺見 光栄です。まあ、でも最近はそちらの注文はあまりなくて、今は小説家を名乗るのは少し躊躇してしまいますが。
夏子 すごく素敵な小説でしたわ。
辺見 あれは今読むと勢いで書いたのが手に取るようにわかるから。他の作品はお読みには?
夏子 おうちにあった先生のご本はその1冊きりで、お父さまは小説などはお読みにならなかったし、お母さまのご本は、お母さまが若いころお集めになった本で少し古いものばかりでしたから、新しい小説は先生のご本だけだったわ。
辺見 新しい小説って、当時から描写が古くさいってさんざん批判されたものだけど。そうか小鹿教授への献本が、そちらにわたったのかもしれないな。教授と君のお父さまは昵懇だったから。
夏子 ええ、小鹿先生でしたら、おうちにもよくいらしていました。
辺見 デビュー作は特に、教授のもとで学んだ文化人類学の知識をふんだんに取り入れたから、間接的には君のお父さまからも多大な協力をいただいてることになるかもな。なにせ、多賀林作(りんさく)氏は、国内有数の奇書、秘物の蒐集家だったからね。
夏子 これは、先生にお伝えしてもいいものかしら。
辺見 なんですか?
夏子 先生わたし、これは春子お姉さまにも秘密にしていることなのだけど、先生にお伝えしてもいいかしら。
辺見 うーん、僕に伝えるべきことで、僕がなにか力になれるのであれば。
夏子 是非先生にお力になってほしいものだわ。
辺見 はい、では。
夏子 わたし、実は詩を書いていますの。
辺見 はあ。
夏子 春子お姉さまにも妹たちにも秘密にしていたのだけれど、先生、ご覧になっていただけないかしら。
辺見 詩ですか。
夏子 お父さまのお知り合いや親戚には、学者の先生や、画家の先生はいらしたんですけど、小説家の先生はいらっしゃらなかったので。
辺見 詩は専門外だからなあ。
夏子 誰にも見せたことないのです。
辺見 お姉さまや妹にまず読んでもらったらどうかな。みんな本を読むんでしょう。
夏子 きょうだいに読んでもらうのは恥ずかしいわ。きょうだいはきっと、『ああ、夏子はふだんこんなことをかんがえているのね』なんて思いながら読んだりするかもしれないもの。でも、先生に読んでいただくのも、はずかしいけれども、先生は作家でいらっしゃるから、もっとわたしの詩を、作品として、みていただけるんだわきっと。
辺見 うーん。いや、文章の添削の仕事、みたいなことはたまにやるんだけど、僕自身、詩は書かないものだから、君の作品を読んでも、なにか有用なアドバイスなんかは言えるかどうか。
夏子 アドバイスなんてとんでもないことですわ。でもサラッとでもお読みいただいて、少しだけでも感想をいただければ。
辺見 まあ、じゃあ、読むだけでも。
夏子 うれしい。わたし、詩をかんがえるときはね、いつも、朝起きた時にふわっと思いついて、そのことを1日中考えていて、夜寝る前に、わたしの頭の中に残ったものを書き留めて、また翌朝、その書き留めたものをながめて整えますの。この書き方であっているかしら?
辺見 うん、書き方は人それぞれ自由じゃないかな。いいと思う。
夏子 詩は、むかし、親戚の史郎叔父さまから新年のお祝いにいただいた日記帳があったんだけど、その年はおかあさまからも日記帳をいただいていたから、でもせっかくのいただきものだから捨てるに捨てられず、ずっと持っていたのだけど、詩を書くことを思いついたので、今はそれに書いていますわ。お部屋の机の引き出しの鍵のかかるところにしまってあるの。鍵のついた引き出しにしまってあるのはそれだけですのよ。
辺見 そうですか。では、詩のことはまた改めて。僕は冬子さんの授業の途中ですからね。
夏子 冬子は、あちらに、行きましたわ。
辺見 ありがとう。

辺見退場。

夏子 やはらかき猫の柔毛(にこげ)と、蹠(あなうら)の
    ふくらのしろみ悩ましく過ぎゆく時よ。
    窓のもと、生の痛苦にたゞ赤くそよぎえたてぬ草の花
    亜鉛(とたん)の管(くだ)の
    湿りたる筧(かけひ)のすそに……いまし魔睡(ますゐ)す……

春子登場。

春子 ピアノのお稽古はもう終わったの?
夏子 はい。先ほど、お見送りしたところですわ。今日は新しい曲を教えてさしあげたのですけど、気に入ってもらえたかしら。少しだけ難しいところがあって、わたしもうっかりすると間違えちゃうのだけど、
春子 夏子、頼んだことは大丈夫でしたか?
夏子 はい。お言いつけ通り、あの子の髪の毛を少し分けてもらいましたわ。前髪がね、やっぱり少し長くなっていたみたいでね。わたしがハサミで切りましたよ。他人の髪の毛を切るのってあんなにドキドキするものなのね。相手は痛くないのに決まっているはずなのに。小瓶に入れてお部屋に置いてありますわ。
春子 ありがとう。
夏子 普段からお母さまに切ってもらってるそうですよ。でも、なんだか悪い気がして、いつもは1つだけさしあげる飴玉を2つあげてしまったわ。わたしがいつもいただいていた分ですけど。
春子 夏子は優しいのね。さきほど、先生が外にいらしたようだけど、なにかお話してたの?
夏子 えっと、えっとね、冬子とかくれんぼをしているようですよ。
春子 かくれんぼ? ずいぶん仲良しになったのね。
夏子 春子お姉さま、わたしが言ったの内緒ですよ。先生は冬子のおてんばにちょっとだけお困りの様子だったわ。
春子 久しぶりのお客さまだから、はしゃいでいるのよ。
夏子 お父さまがお亡くなりになられてから、親戚も、お父さまのお友達もすっかりいらっしゃらなくなったものね。
春子 夏子、お父さまがいなくなって寂しい?
夏子 ……
春子 夏子。
夏子 お父さまがいなくなって、寂しいし、春子お姉さまが毎日お忙しそうにしてるのも、心配だわ。でも、わたしは外向きのことはなにも知らないからお手伝いをしようもないし、冬子もちゃんとお勉強がすすむかどうか、あの子は移り気ですものね、秋子の病気だって、秋子の病気も早く治ってほしいものだわ。
春子 秋子もきっと元に戻って……そのうちに、なにもかも元通りになりますよ。
夏子 春子お姉さま、あまり無理をなさってはいけませんよ。
春子 夏子、今日は一緒にお夕飯を作りましょう。
夏子 はい。先生もご招待したらどうかしら。
春子 そうですね。それは、先生にご予定をお聞きしないと。さ、行きましょう。

夏子退場。
春子、行きかけて戻り、バラを中央に追加する。
冬子登場。

春子 冬子、そろそろ先生のお見えになる頃では?
冬子 もう、お勉強の準備はできていますことよ。
春子 あまり、先生を困らせてはいけませんよ。
冬子 お説教は昨晩じゅうぶんおうかがいいたしました。夏子お姉さまなんて告げ口なんかしちゃって、淑女のやることじゃないですわ。
春子 夏子もあなたがちゃんとお勉強できているか心配なんですよ。
冬子 わたしは、夏子お姉さまがデザートを作ったって聞いて、そればっかり心配だったわ。
春子 ちゃんとおいしくできてたでしょう。
冬子 どうせ、春子お姉さまが手伝ったんでしょう。
春子 お客さまがいらしてたんだから、さすがに、夏子ひとりでつくったものは出せませんよ。
冬子 先生が、お父さまの席に座っていたから、なんだかドキドキした。
春子 そうね。
冬子 夏子お姉さまもソワソワしてたし、先生も『この席で本当によろしいのですか?』って恐縮してた。
春子 そうねえ。
冬子 ねえ、春子お姉さま、もしかして、間違えてご案内したの?
春子 そんなことないですよ。あの席が、ずっと空いてるのも寂しいから。
冬子 もしかして、春子お姉さまのいたずら?
春子 どうかしら。
冬子 全然、全然似てないんだけど、でも、食後のコーヒーを飲むさまなんか、なんだかお父さまみたいだった。このおうちでコーヒーを飲むのはお父さまだけだったし。あのコーヒー、お父さまが取り寄せた特別なやつなのよね。まだ残ってたんだ。
春子 誰も飲まないからといって、もったいないから。
冬子 先生、なんだか不思議な香りがするって言ってたけど、やっぱり普通のコーヒーとは違うのかしら。
春子 冬子も、飲みたいの?
冬子 わたしは紅茶の方が好き。春子お姉さま、なにしてたの?
春子 お庭が、荒れ放題だから、どうしようかと思って。雑草だけでもなんとかできたら。
冬子 確かに、お化け屋敷になりそう。
春子 やっぱり外にお願いした方がいいかしら。
冬子 夏子お姉さまが、先生を庭師と間違えたって話聞いた? この際だから先生に草むしり手伝ってもらったら?
春子 冬子、先生はあなたの家庭教師のためにいらしたんですよ。
冬子 わかってまーす。でもきっとやってくれると思う。先生なら。
春子 冬子、そろそろお部屋で、先生がいらっしゃるのを待っていたらどうですか?
冬子 はーい。

冬子退場。
辺見登場。

辺見 春子さん、どうもお邪魔しております。
春子 先生、いらっしゃいませ、お待ちしておりました。
辺見 昨晩は、ごちそうさまでした。
春子 こちらこそ、お口にあったようで、なによりです。
辺見 普段独りで食べるものですから、ひさしぶりににぎやかな食事ができました。
春子 妹たちも喜んでいたのですが、はしゃぎすぎて、少し、不作法だったかもしれません。
辺見 あー、けしてそういう意味では。楽しかったです。
春子 よろしければこれからも夕食をご一緒できれば。
辺見 そんなめっそうもない。
春子 もちろん、ご予定のないときだけ、無理にとは申しませんので。
辺見 いえ……
春子 先生とは家族のようにおつきあいしたいものですから、どうかご遠慮なさらずに。
辺見 では、お言葉に甘えて。
春子 よかった。
辺見 お料理から一切、ご兄弟でされてるのですか。
春子 それは、父が生きていたころから。母は早くに亡くなりましたし、父が家事に人を雇うの嫌ったもので。庭も父が手入れしていたのですけど、もうかなり長いこと放っておいてしまって。
辺見 そうですか。これはこれで味わいがあると言いますか。
春子 ……
辺見 失礼、雑草抜きくらいでしたら、僕がやりますよ。
春子 でも、先生は冬子の家庭教師としていらっしゃってますから。
辺見 家族みたいなものでしたら、草むしりくらい。
春子 ……
辺見 あの、夕飯のお礼に。
春子 (笑う)
辺見 すいません。やはり本職に頼んだ方がいいですね。
春子 こちらこそすいません。そうですね。家族でしたら、お願いしてもいいかもしれませんね。
辺見 そうですそうです。なんでもやりますよ。
春子 まずは、冬子の勉強を見てやってください。ほかのことはおいおいに。
辺見 はい、もちろん。
春子 わたしも妹も、先生とお会いするのはとても楽しいのです。
辺見 飽きられないように気をつけます。
春子 父が亡くなってから、ここを訪れる人も少なくなったので。
辺見 ああそうだ、今日はこちらにお邪魔する前に、実は僕も小鹿教授に会いましてね。教授も心配して、一度、お屋敷にご訪問したいと言っていましたよ。
春子 ……そうですか。
辺見 ……でも小鹿教授は下心があるかもしれませんがね。
春子 先生のご心配は、わたしたちよりも、父のコレクションの方でしょう。
辺見 そういう人ですからね。それで、伝言というか、あの、昨日の本の件については、ちょっと待ってくれと。
春子 はい。
辺見 ……あのう、立ち入ったことになるかもしれませんが、その、本というのはなんでしょうか。
春子 父の遺言で、小鹿先生にお貸ししていた本のうち、1冊をお返しいただきたくて、でももうずいぶんと催促してはいるのですが、辺見先生のご伝言のように梨のつぶてで。
辺見 ……その本ってもしかして、「ルルイエ異本」のことですか。
春子 ……ご存知でしたか。
辺見 いや、教授がお預かりしている一番の貴重書といえば、とアテ推量だったのですが、いや、あの、持ってること自体も、僕みたいな昔から教わってる者しかいないので。いや、多分お返しできなかったのは一時期教授の手元になかっただけで、
春子 どういうことでしょうか?
辺見 あ、あの僕の同期が、たぶん教授の研究室では一番優秀な奴だったんですが、そいつが持ち出してしまって。
春子 今その方はどちらに。
辺見 行方不明なんですよ。アメリカ留学して、そのあと、地方の大学の教授に収まったんですけど、失踪してしまって。
春子 見つかっていないのですか。
辺見 はい。家には彼の奥さまの亡骸が残されてたそうで、なんらかの事件に関わってるようなんですが、あ、失礼、本のことでした。本はあります。あの、そいつが失踪したあと、僕が教授の命令で回収してるんです。だから、もう手元にはあるはずなんですが。
春子 ひどく困っているんです。あれを返していただかないことには。
辺見 そうですか。僕からも、教授に伝えておきましょう。
春子 もう待てないんです。
辺見 では、急いで返すようにと。
春子 辺見先生がご師事されている方に対して、こんなことも言うのも、甚だ失礼なのですが、父と、小鹿先生は表面上は仲が良いようでしたが、お互い損得づくでおつきあいしているようにも感じられまして。
辺見 お父上の林作氏のことはあまり存じ上げないのですが、小鹿教授のことは師として、僕はよく理解しているつもりです。そんな人です。学究のためなら、他人を利用することにまったく呵責がない。教授から受けた恩はとてつもなく大きいのですが、同時にずいぶん苦労もしました。
春子 たいへん貴重な本ですから、わたしのような素人が持っているべきではないとお考えなのかもしれません。でも、今のわたしたちにはどうしても必要な本なのです。
辺見 ……
春子 わたし、今、恐ろしいことを考えてしまいました。
辺見 ……
春子 でも、本当に心苦しいのですが、今、頼りにできる方は先生しかおりません。
辺見 それは、その本を持ち出せと。
春子 ご無理にとは言えません。
辺見 でも絶対に、必要なのですよね。
春子 はい。
辺見 あの本は、確かに日本にはおそらく1冊、世界にだって原文に近い漢文の写本はほとんど残ってないだろうって貴重書ですが、原典は人の皮で装丁されていると言われる、おぞましい本ですよ。それをなぜそこまで
春子 父の、遺言ですので。
辺見 ……
春子 わたしたち4姉妹は本当に父によって生かされていたようなものなのです。父がいないとなにもできなかった。父が亡くなって半年以上経ちましたが、そのことは日に日に身にしみてくるのです。あの本は父のよすがなのです。
辺見 春子さん、あなたは非常に聡明な女性だ。秋子さんにはお会いしていませんが、夏子さん、冬子さんもそれぞれ魅力のある方です。姉妹の力をあわせればきっと自立して生きていけるはずです。
春子 そのためにも、あの本が必要なのです。
辺見 ……
春子 辺見先生、わたしたちのお力になっていただけませんか?
辺見 ……小鹿教授も、厳重に保管しているとは思いますから、確約はできませんが。
春子 ……ありがとうございます。
辺見 不肖の弟子ですね。まったく。今日はでも、冬子さんの家庭教師として、しっかり勤めさせていただきます。
春子 よろしくお願いいたします。
辺見 では、じゃあ、冬子さんはお屋敷にいますかね。
春子 ええ、きっと、かくれんぼはしていないと思いますよ。

夏子登場

夏子 先生ごきげんよう。
辺見 あ、夏子さんごきげんよう。
夏子 春子お姉さま、わたし、先生とちょっとだけお話してもよろしいかしら。
春子 今から、先生はお仕事ですよ。
夏子 ちょっとだけ、ちょっとだけなんです。
辺見 なんですか?
夏子 春子お姉さまはお先に。
春子 なに?
夏子 春子お姉さまはお先におうちに。
辺見 ああ、あれか。
夏子 先生!
春子 夏子がまたなにかやりましたか?
辺見 え、大丈夫です。大したことではないので、春子さんはお先にお戻りください。
春子 では、夏子、先生にあまりご迷惑……かけないのですよ。
夏子 はい。

春子退場。

夏子 先生、大したことではないなんてあんまりだわ。
辺見 ああでも言わないことには春子さんに怪しまれるでしょう。でも、君のその態度ではもう怪しんでいるかもしれないな。
夏子 え、どうしましょう。
辺見 どうもしなくても大丈夫ですよ。その、後ろ手に隠しているのが例の詩集ですか。
夏子 詩集だなんてそんな、ただ、日記帳に書きつけただけのものです。
辺見 貸して、いただけるのかな?
夏子 はい……どうぞ。
辺見 では、拝見いたします。
夏子 ここで見ないで!
辺見 ああ、そうですね。
夏子 あの、お独りのときにご覧なってください。それで後ほどご感想を教えていただければ。
辺見 わかりました。
夏子 くれぐれも、他の方や、きょうだいには見せないようにお願いいたしますわ。
辺見 大丈夫です。帰るまでは、この中に、しまっておきますので。
夏子 うっかりその鞄からポロッと落ちたりしませんかしら?
辺見 信じてください。
夏子 はい。先生、これは大変失礼いたしました。
辺見 いえ、そんな大切なものをお貸しいただけるなんて、僕も正直、ちょっとうれしい気持ちがあります。
夏子 先生はだって、先生ですから。
辺見 僕は冬子さんの先生ですよ。
夏子 いいえ、先生はずっと前からわたしにとっても先生でしたわ。だって、わたし先生の本を夢中で読んでましたのよ。
辺見 なってみるもんだな、先生にも。正直、新作もしばらく書いてないし、小説家をやるのは本当にもうやめようかともう思ってたんだけど。
夏子 あら、そんな、やめてしまうのは、もったいないですわ。
辺見 そうですね。注文はなくとも、なにか書いてみようかな。そしたら君は読むかい。
夏子 ええ、読みますわ。でも、あの先生がお持ちいただければ。わたし家にある本を読むばかりで、自分で本を買ったことなんて一度もないので。お恥ずかしいですけど。
辺見 4姉妹の話でも書こうかな。
夏子 4姉妹、もしかしてわたしたちのことですか?
辺見 美人でしっかりものの長女と、かわいくておてんばの末っ子に、おっちょこちょいの次女。
夏子 おっちょこちょいだなんて、わたし、確かに気持ちがサーって先にいってしまうことはありますけど、ちょっとだけですわ。
辺見 ちょっとおっちょこちょいの次女に……
夏子 わたしだけ、おっちょこちょいだけなのはイヤです。
辺見 ちょっとおっちょこちょいでピアノの得意な次女に、あと、
夏子 秋子は、秋子はとってもやさしくて、一緒にいて、とても面白い子でしたのよ。
辺見 次女と仲良しの三女。
夏子 秋子はね、小さいころの、まだ冬子が赤ちゃんのころにね、わたしと秋子で2人でお庭に出て、いろんな虫を観察してましたわ。秋子は虫とお花が好きなの。一緒に絵を描いたりしましたわ。お母さまがね、秋子の誕生日にね、たくさん色のあるクレヨンをくれたのよ。わたしもつかわせてもらったわ。秋子はきょうだいの中で一番お母さまに似ていたの。だから、お母さまと同じ病気にかかってね、お母さまのご病気は、お医者さまでは治せなかったわ。だから、秋子がお母さまと同じ病気になったとき、お父さまは八方手を尽くしたのよ。外国からもね、いろんなものをとりよせたのよ。それで、でも、それでも秋子はもうお外に出れないの。
辺見 ……
夏子 ……秋子の話はあまりしてはいけないって春子お姉さまはおっしゃっていたわ。
辺見 秋子さんは、今はお医者さんに診せているのですか。
夏子 いいえ。お医者さまでは治らない病気だとお父さまはおっしゃっていたわ。
辺見 それでも、お医者さんには診せたほうがいいかもしれないな。
夏子 春子お姉さまも、お父さまと同じ意見だわ。
辺見 ちょうどいい頃合いをみて、僕から春子さんにも話してみるよ。
夏子 ……先生、ごきげんよう。
辺見 ごきげんよう。
夏子 ……先生、今日もお夕飯、いっしょに召し上がるかしら。
辺見 うん。

夏子退場。
冬子登場。
冬子、バラを追加する。

冬子 先生、今日は本当に夕飯一緒に食べないの?
辺見 今日はね、ちょっとこれから用事があって。
冬子 明日の授業お休みだし、もう少しゆっくりしていけばいいのに。
辺見 ま、明日はお休みだけども、ちょっと、おうちに寄らせてもらうかもしれない。
冬子 えー、来るの。
辺見 なんだよ、授業はしないよ。春子さんに用があるかもしれないんだ。もしかしたらなんだけど。
冬子 春子お姉さまに? どんなご用?
辺見 それはまあ秘密というか。
冬子 デートとか?
辺見 そんなわけないだろう。
冬子 なんだ。
辺見 だいたい、春子さんとデートだなんて、まったく想像がつかない。一体どこ行ったらいいんだ。オペラ?
冬子 いいんじゃない。
辺見 僕に全く知識がないぞ。
冬子 春子お姉さまもオペラ聴かない。
辺見 あ、そう。春子さんはなにか趣味があるのかな?
冬子 さあ。ずっと家事か、お父さまのお手伝いばかりで、特別なにかに没頭してるのなんて見たことない。
辺見 苦労の多い人なんだな。
冬子 そうよ。だから、デートに連れて行ってもいいんじゃないの?
辺見 春子さんのことはまあともかくとして、冬子さん、君のことだったら、一度、デートに連れて行ってもいいと思っているよ。
冬子 え、わたしと?
辺見 ま、デートというのは冗談で、社会見学だね。最後にお屋敷の外に出たのはいつだい。
冬子 中学の、最初の1年までは学校に通ってた。
辺見 そのあとは?
冬子 史郎叔父さまのお葬式に出席した。
辺見 ほかに。
冬子 お父さまのお葬式に出席した。
辺見 葬式以外には?
冬子 あ、夏子お姉さまのピアノの発表会に行ったことある。具合悪くなってすぐ帰っちゃったけど……
辺見 なんで具合悪くなったの?
冬子 人が、多いから……
辺見 大学はもっと人が多いよ。
冬子 大学だったらきっと平気。
辺見 でも、今のうちに人に慣れておいた方がいいと思うんだ。だから、デートだ。そうだな、映画なんてどうだろう。
冬子 映画
辺見 映画はちょっと人が多すぎるかな、最初は公園で散歩するくらいがいいかもしれない。
冬子 お散歩
辺見 や、こんなおじさんと2人でお出かけなんてちょっと、ていうのはわかる。だから、別に僕だけとじゃなくていいんだ。夏子さんとでも、夏子さんとだけだと不安かな。春子さんと、みんなで行けばいい。ピクニックだなこれは。
冬子 ピクニックは、行ったことある。お母さまがまだ生きてるとき、わたし3歳くらいで、お父さまとお母さまと、春子お姉さまと、夏子お姉さまと、秋子お姉さま……
辺見 そうか。秋子さんを残して留守にするのは少し心配だね。
冬子 ……
辺見 でも、ここ一週間勉強をみてきて、学力にはあまり不安がないということはわかった。だから、君にはこれからは勉強以外にもいろんなことを見聞してほしいと思ったんだ。
冬子 うん。
辺見 ま、試験までもまだ時間はあるし。
冬子 うん。
辺見 では、僕はそろそろ。
冬子 先生、ごきげんよう。
辺見 ごきげんよう。

辺見退場。

冬子 お散歩、映画、お買い物、遊園地、動物園、レストラン、温泉、海、山、バーベキュー、テニス、スキー、ボーリング、卓球、ピクニック。

夏子登場。

夏子 冬子、先生はもうお帰りになられたの?
冬子 うん、さっき。
夏子 今日はお夕飯、一緒に召しあがらないのね。
冬子 先生になにか用があったの?
夏子 いいえ……別にないですわ。
冬子 ねえ、お姉さま聞いて。わたし、さっき先生にデートに誘われた。
夏子 デートですって。
冬子 嘘。
夏子 よかった。もし辺見先生が、わたしのこと夏子お姉さまって呼ぶことになったら、率直に言うと、おそろしいことですわ。
冬子 辺見先生はきっと、春子お姉さまのことが好きよ。
夏子 そしたら、先生のことは、お兄さまって呼ぶのかしら。それなら、春子お姉さまが我慢できるなら、わたしは平気よ。
冬子 我慢って。恋というのはわからないものですわ。
夏子 あら冬子が恋の話。
冬子 わたしは大学に行ってきっと恋をするの。
夏子 あらうらやましい。
冬子 その練習のためなら、先生とデートに行ってもいいかもしれないな。
夏子 先生に失礼ですよ。
冬子 先生と、きょうだいみんなでピクニックに行く話もしたの。昔は家族みんなで行ったよねピクニック。
夏子 冬子はこんなに小さかったのに覚えているの?
冬子 夏子お姉さまがたくさんお話するから。でも、お父さまとみんなで外へお出かけなんて、信じられない。
夏子 お母さまがいらしたころはよくお出かけしたものですわ。
冬子 あの頃はお父さまも優しかったのね。
夏子 いいえ、冬子。お父さまはずっと優しかったですよ。
冬子 うん。
夏子 ……でも、お母さまが亡くなられて、一番心を痛めたのは、お父さまですわ。
冬子 うん。
夏子 秋子がおそろしいことになったのも、お父さまがお心を砕いたゆえにですわ。
冬子 うん。
夏子 お父さまは、悲しいことばかり残して、お亡くなりになられて、本当にかわいそう。
冬子 うん。
夏子 でも、春子お姉さま言ってましたよ。もうすぐ全部元通りになるって。その元通りっていうのがいつのことだかわからないのだけれど、そしたらきっとピクニックにも行けるかもしれないわ。春子お姉さまと秋子と、冬子と、わたしと、辺見先生も。お弁当は冬子が作るのですよ。
冬子 うん。
夏子 とても楽しみですね。
冬子 あ、今日はわたしと夏子お姉さまでお夕飯つくりましょう。
夏子 そうしましょう。わたし、今日もデザートを作ってみていいかしら。
冬子 ちゃんと味見をするならいいですよ。

冬子退場。
夏子バラを1輪追加する。
辺見登場。

辺見 夏子さん、ごきげんよう。
夏子 先生、ごきげんよう。あら、今日は冬子の授業はお休みではなかったかしら。
辺見 ちょっと用がありまして、お邪魔させていただきました。
夏子 あら、ご用って何かしら?
辺見 こちら、お返しします。
夏子 ありがとうございます。どうでした?
辺見 僕は、詩のことはよく知らなくて、詩を語ることばを、持ってはいないんだけど、これは詩というよりも、物語のようにも読めました。
夏子 これは詩じゃないのですか。
辺見 いや、物語にしてはあまりにも夢想すぎる、やはり詩なのかもしれない。
夏子 詩なのですか。
辺見 うーん、連なりとしてみれば、この作品に出てくる少女たちの冒険譚のようにも読めるし、一つ一つを取り出してみれば折々の抒情詩のようにも見える。このたまにある挿絵は詩の内容をあらわしているのですか?
夏子 いやだ、恥ずかしい、それはただの落書きですわ。
辺見 この絵があることで、作品の奥行というか、いや、奥行ということばでは足りない、宇宙的な拡がりを想像させます。
夏子 先生、わたし先生がなにを言っているのかよくわからないわ。どうっだったのでしょうか?
辺見 正直、最初読んでくれと言われた時は、箱入りのお嬢さまの書く詩なんて、どうせなにかの引き写しだろうとたかをくくっていいたのだけれど、これはきっと、あなたにしか書けないものだ。
夏子 わたしが、書きましたのよ。
辺見 この作品が、売れるかとか、多くの人を楽しませるかとか、そんなことはどうでも良くて、僕は、この詩がこの世界に存在していて、僕がこれを発見できたということが、とても素晴らしいことだと思っています。
夏子 あら、わたし、なんだか恐ろしくなってきましたわ。
辺見 僕は1人の作家として、この作品に対して、聞きたいことがたくさんあります。
夏子 わたし、そんなむつかしいことを考えながら書いたことなんてありませんよ。ただ朝起きたときになにか思いついたときは、その日は1日中そればっかり考えて、もちろん家事はしていますわ、それで夜寝る前に残っていたことを書き留めて、また起きた時にそれを見て整えているだけですの。
辺見 その書き方が良いのかもしれない。その、創作の過程がそのまま残っているのもとても感慨深い。
夏子 昨日もなにか思いついたんですけどね、その、お貸ししてしまっていたから、書き留められなくてね、今でもずっと考えていますの。
辺見 是非、続きを書いてください。
夏子 書いたら読んでいただけますか?
辺見 もちろん。
夏子 じゃあ、今すぐ書いてきますわ。先生、ごきげんよう。
辺見 ごきげんよう。

夏子退場。
春子登場。

辺見 春子さん、お休みの日に申し訳ありません。
春子 いえ、こちらこそ、わたしにご用があるとお聞きしました。わざわざありがとうございます。
辺見 あの、お持ちしました。例の、本を。
春子 あるのですか。
辺見 はい、たしかにここに。
春子 なんとお礼を申し上げれば。
辺見 あ、あの、この前はこっそり持ち出すみたいなことを言いましたがね、最初はたしかにそれを試したんですが、あっさり失敗しまして、教授と直接談判して取り戻しました。
春子 なにか乱暴なことには
辺見 とんでもない。僕と教授ですよ。とうていそんなことにはなりません。ことばで、説得しましたよ。
春子 本当に、ありがとうございます。
辺見 僕だって教授の言いなりばかりはやってられませんよ。いえ、あの、春子さんには申し訳ない事だったのですが、小鹿教授から家庭教師の仕事を紹介されたときに、教授からは、多賀家のようすをうかがってくるようにとも言いつかっていまして。
春子 ……そうではあろうと思ってはいました。
辺見 教授なりの心配、ではあると思うのですけども、お父上も突然でしたから。
春子 わたしも、目まぐるしい思いですが、父の遺したものはなんとか守り抜こうと思っています。
辺見 それで、その本なんですが、なぜそれを執拗に必要とされていたのかと、勝手ながら考えまして。
春子 父の遺言なので。
辺見 秋子さんのことに関係があるのですか。
春子 ……
辺見 小鹿教授に聞いたのですが、お父上の林作氏、ある日を境に呪術や魔術に関するものばかり集めはじめたと。
春子 父がどのような方針で収集していたのかはよく知りません。
辺見 春子さん、あなたはお父上の助手のようなお立場であったから知っているはずです。そして、そのきっかけというのは、十数年前のお母上のご病気からだと。
春子 ……
辺見 秋子さんのこと、医者はなんと言っているのですか。
春子 ……
辺見 秋子さんを医者には見せていないのですか?
春子 ……
辺見 流行り病というのは嘘ですね。
春子 先生、申し訳ないのですが、あまり内向きのことに立ち入っていただくのは困ります。
辺見 ええ、わかっています。でも僕は、あえて言っています。僕は人類学の学徒として、呪術・迷信の類が人類の発展の段階で、必要だったことも学んでいます。しかし、今は違うはずです。秋子さんを母上の二の舞にしてはいけない。
春子 秋子のことは、見ればわかると思います。
辺見 はい、医者に診てもらうことが大事です。
春子 秋子を元に戻せるのはお父さまだけでした。
辺見 そのお父上はもういないのです。春子さん、あなたもお父上から解放されるべきです。
春子 そこまでおっしゃられるのに、なぜその本をお持ちになったのですか?
辺見 僕を信じてほしいからです。だからこそ、教授と取っ組み合いになってでも取り返しました。いえ、実際取っ組み合いにはなっていません。なりそうだったというだけです。
春子 冬子が、先生にあんなになつくとは思っていませんでした。
辺見 信じてください。
春子 冬子は、きっと大学には行きませんよ。あの子はそういう子なんです。数年前も、高校に行きたいと言っていたけれど、いざ試験の日になれば、お腹が痛いだのなんだのと、結局行きませんでした。あの子は自分で思っている以上に、外を恐れているのです。
辺見 次は、大丈夫です。僕が導くので。
春子 ……
辺見 会って間もないような僕が、本当におこがましいとは思っています。でも僕は、あなたがた姉妹には少なくとも、幸せに日々を過ごしてほしい。そう思っています。
春子 あなたは、父に似ているのですね。
辺見 お父上に。
春子 お母さまを失う前の父に。気取り屋で、でも根は実直で、聡明で、でも本当はお人好しで、誰よりも他人のことを心配している。
辺見 ええ、心配しています。あなたがたのことを。
春子 先生、あなたはこのうえなくふさわしい方でした。
辺見 僕は、自分に責任を持っています。
春子 秋子に、会っていただけますか。
辺見 ……はい。
春子 ご案内、いたします。

辺見退場。

春子 秋子を元に戻す方法は、お父さまの頭の中だけにありました。でも、お父さまは秋子に食べられてしまったので、せめて、お父さまの頭の中だけでも、取り戻さなければなりませんでした。そのためには、お父さまの膨大な知恵を収める、器が必要でした。移し替えるのには、器に元あった中身を、全部こぼす必要がありました。でもお父さまの知恵は多すぎて、器には収まりきりませんでした。器の中身も、元に戻すことはできませんでした。

夏子、冬子登場。
2人でバラを追加する。

冬子 枯れっぱなしもなんだから、そろそろ、新しい花に植えかえたらいんじゃない?
夏子 草刈もしないといけませんわ。
冬子 やっぱり先生にお願いしましょ。
春子 冬子、まだ大学に行きたい?
冬子 え、うん。
春子 実はね、辺見先生がおやめになったの。
冬子 え、そうなの?
春子 だから、まだお勉強するつもりがあるなら、新しい先生をお呼びします。
夏子 先生、どうしたのかしら?
春子 どこか遠くに行くことに、なったんですって。冬子、どうしますか?
冬子 うん。わたし、大学に行きたい。
春子 夏子、悪いのだけど、またあの子の髪の毛をもらえないかしら。
夏子 え、はい。でも、前髪はこの前切ってしまったから、後ろ髪をちょっぴりいただくことにします。
春子 お願いします。わたしはこれから、ちょっと外にお出かけします。
夏子 春子お姉さま。
春子 なあに。
夏子 春子お姉さまはどこか遠くに行くことなんて、ない?
春子 ないですよ、わたしも、夏子も、秋子も、冬子も、ずっとここにおりますよ。
夏子 はい。
春子 すぐ戻ってくるから、お留守番、お願いね。

春子、机のバラをすべてとって退場。

夏子 ここに池を作ってみるのはどうかしら?
冬子 池? 池ってどうやって作るの?
夏子 穴を掘って、水を入れればいいんじゃない?
冬子 そうねえ。じゃあそこで金魚を飼いましょ。
夏子 亀も欲しいものだわ。
冬子 池の中央に島を作りましょ。そこに亀が住んだらかわいくない?
夏子 島はどうやって作るの?
冬子 ドーナツ形に穴を掘ればいいんでしょ。
夏子 でもわたしたちだけでできるかしら?

辺見登場。

辺見 あの、もし。
冬子 先生!
夏子 先生、ごきげんよう。
辺見 えーと、こちらにお住いのお嬢様がたですか?
夏子 はい。
辺見 はじめまして。わたし、先生ではなくて、こちらのお庭の手入れをさせていただくことになりました、辺見と申します。

冬子、飛び出して退場。

辺見 あれ
夏子 冬子は、すこし人見知りなのですよ。
辺見 冬子さん、
夏子 冬子の姉の夏子と申します。
辺見 夏子さん、よろしくお願いいたします。あの、他におうちの方は?
夏子 姉が、春子お姉さまがおうちにいらっしゃるわ。お父さまが亡くなられてから、春子お姉さまがいまはこのおうちの主人なの。
辺見 そうですか。では
夏子 4人姉妹なの、春子お姉さまはね、お美しくて賢くてしっかりしてて、冬子はね、かわいらしいけど、おてんばなのよ。大学に行きたがってるわ。秋子はね、わたしとすごく仲良し、でも今は病気でお床から出られないの、で、わたしはね、ちょっとだけおっちょこちょいで、それで、詩を書いておりますのよ。
辺見 そうですか、お姉さまのところにご案内いただいてもよろしいでしょうか。
夏子 ご案内いたしますわ。
辺見 さきほど、だれか先生と間違われたようですけど、そんな風に見えますかね。
夏子 ええ。きっとお似合いになられると思いますわ。

辺見、鞄から枯れていないバラを中央のテーブルに一本加える。

おわり


奥付

 

ヒゲンジツノオウコク


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作中引用詩
北原白秋「赤き花の魔睡」(「邪宗門」収録)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000106/card4850.html

著者 : 屋代秀樹
日本のラジオHP: http://razio.jp
 
表紙(公演チラシ)デザイン:郡司龍彦
登場人物写真:須田俊哉
舞台写真:ふくしまけんた

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