目次
風前の土佐勤王
― その1 ―  加尾の祈り
― その2 ―  友の無念と消息
― その3 ―  楠木正成信奉の謎
復権を焦る長州
― その1 ―  攘夷派の有栖川宮家
― その2 ―  長州の間者
新撰組の局長争い
― その1 ―  芹沢鴨暗殺
― その2 ―  芹沢暗殺の真相
― その3 ―  暗殺理由と疑念
― その4 ―  新たな事実
― その5 ―  近藤勇の感激と疼き
志士への思想教育
― その1 ―  南朝正統論
― その2 ―  佐賀の楠公祭
大勢三転考
― その1 ―  陸奥の誘い
― その2 ―  伊達家の使命
― その3 ―  血脈の導き
― その4 ―  世の移り変わり
― その5 ―  竜馬の立ち位置
― その6 ―  予言の行方
参預会議の暗雲
― その1 ―  俯瞰する久光
― その2 ―  山階宮晃親王
薩摩船・加徳丸焼き打ち事件
― その1 ―  長州の嘆き
― その2 ―  桂小五郎の覚悟
― その3 ―  長州の中岡慎太郎
― その4 ―  交易の弊害
― その5 ―  竜馬の違和感
― その6 ―  長州の狙い
― その7 ―  松陰の亡霊
新体制後の主導権争い
― その1 ―  扇の要
― その2 ―  薩摩主導への反発
― その3 ―  神戸の蕾
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― その1 ―  加尾の祈り

 ― 土佐 ―
 平井加尾の心はどん底にあった。
 「家から罪人を出して山内家からは睨まれ、下士との接触は完全に断たれている。もしも勤王党員と接触するところを見られたら、今度こそ平井家は断絶させられてしまうでしょう」
 ・・・でも、兄の無念を晴らさずにはいられない!
 それを口にするなど出来るはずもなく、強い決意を胸に秘めて過ぎ去る日々を漫然と数えるばかりである。ただ心の中で膨らみ続けているのは竜馬への期待であった。
 (・・・頼みの武市さんも藩に囚われてしまいました。竜馬さん、助けてあげて。そしてどうか私たちの無念を晴らして下さい・・・)
 しかし竜馬の誘いを断ったという負い目が心に突き刺さっている。
 (・・・竜馬さんに誘われたけれどあの時はそれが出来なかった。男の服装を纏い、腰に刀を差して京の町を駆け巡り、共に日本を変革させようと言って誘う竜馬さんの言葉を鵜呑みに出来なかった。・・・裏切ってしまったのは私)
 その罪悪感が重くのし掛かっている。
 それが天罰となって、兄・収二郎を殺してしまったのではないかと自分を苦しめているのだ。
 (・・・竜馬さん、今、どこでどうしていますか・・・。逢いたい、今すぐにでもあなたに逢いたい。そして許してもらえるのならば、今度こそ一緒に世のために駆け回り、兄の果たせなかった無念を晴らしたい・・・)


― その2 ―  友の無念と消息

 ― 大坂・淀川 ―
 「収二郎・・・」
 加尾の思いが通じたのだろうか、竜馬は土佐で切腹させられた平井収二郎の事を思い出していた。
 収二郎や加尾の顔が思い浮かんでは消える。そして心の奥底では、ずっと友の行方が気になっているのである。
 「この海軍塾に入ればえいのに、・・・内蔵太はまだ生きちゅうろうか」
 池内蔵太が長州へと逃げて行った事を竜馬はまだ知らない。天誅組の乱を起こした吉村虎太郎、那須信吾は大和の地でその命を散らしたとは聞いていたが、同じく天誅組に加わった友人・池内蔵太の消息は聞こえてこなかった。
 天誅組の乱の首謀者とされる中山忠光の首も見付からず、その姿も消え失せている。ある一部の情報では長州へと流れたとも噂に聞こえている。
 ・・・内蔵太もそうであって欲しい。
 これ以上に友や仲間の死を受け入れたくないし、聞きたくもない。
 皆、竜馬と親しかった友なのである。
 しかし今、故郷の土佐では武市瑞山を筆頭に、勤王党の面々が獄に繋がれている。一時は藩主に認められて藩論を左右した土佐勤王党も風前の灯火なのだ。無事なのは、海軍塾に集った仲間達だけだった。
 (・・・わしの許から離れた奴は皆、命を失っていく。それでも生き抜いて欲しい! 今は刻々と状況が変化しちゅうぜよ、世の移り変わりが早いんじゃ)
 朝廷を抑えていた長州の天下もアッと言う間に終わり、今は徳川慶喜公以下、賢侯が朝議に加わっている。朝廷側も三条実美から中川宮へと実権が移っている。
 (・・・何が正しく、何が誤りなのか)
 善悪の基準もコロコロ変わる。
 ここ数年は何とも目まぐるしい。あまりにも目まぐるしい。
 そんな最中に、天誅組の乱から池内蔵太の消息も途絶えたのである。
 (そもそも何故、天誅組に加わったのか、それが問題よ)
 ・・・聞いたところでは、京の学習院に出入りするようになってから内蔵太は何か重大な事実を掴んだと言っていたらしいのだ。
 (それが何故、天誅組の乱ながよ?)
 竜馬は首を傾げる事しか出来なかった。
 ・・・事態は複雑化してきている。単なる尊王攘夷や佐幕開国といった事では割り切れない状況が次々に発生しているのだ。
 (今はただ己を信じ、勝先生を信じて、完成間近の神戸操練所と海軍構想を推し進める事が最善なのだ)
 そう自分に言い聞かせるしかないが、・・・友を思う気持ちだけは誤魔化せない。
 刹那、加尾の瞳が竜馬の脳裏をすり抜けて行った。


― その3 ―  楠木正成信奉の謎

 将軍を京に迎え入れる直前の事である。

 坂本竜馬は京へと向かう舟上にあった。陸奥陽之助も一緒である。京へ向かうと伝えるなり、同行したいと懇願したので連れてきたのだ。
 竜馬は勝海舟の命を受けて近畿の情勢を窺っているのだが、京に限らず国内各地に楠木正成を奉じる動きが急速に広がっているのが気になっていた。。
 「まず佐賀で楠公祭が起こり、薩摩、そして諸藩へと伝播しちゅう。妙な事よ」
 「長州藩と七卿が京から長州へと向かう際にも、湊川に立ち寄ったとも聞いています。あそこには楠木正成が奉られていますから」
 それほどの影響を与える楠公への思慕が何故、急に起こったのか。
 ・・・南北朝時代に南朝天皇の義臣として仕えたのが楠木正成である。その生き様に共感しているのだろうか。
 「長州藩や志士は南朝革命をも標榜しちゅうようじゃが」
 勝海舟からそう聞いていた竜馬だったが、どことなく府に落ちない。
 「・・・発信源は京らしいですね。しかし政変とは無関係ですよ」
 楠木正成を奉じる動きは政変の前からあったのだ。
 「誰かが楠公信奉を意図的に流しちゅうんじゃろうか」
 「長州でしょうか」
 それを竜馬は知りたかった。
 「・・・かもしれん」
 「それとももっと別の勢力が関わっていると」
 「それを探るんじゃ!」
 
 誰が、何のために、どうやってその思想を拡散させているのだろう。
 「京の学習院に集まっていた諸藩の志士が各地に拡げたとも思えますね」
 そもそも京の学習院は公家の師弟が歴史を学ぶところだったが、どうやらその実態はまるで異なり、諸藩の藩士も立ち入る事を許されていたのである。つまり志士と公家が接触できる場所となっていたのだ。
 そこは幕府が介入せず、長州からは桂小五郎や久坂玄瑞瑞、土佐からは武市瑞山ら土佐勤王党員も出入りしており、他の西南雄藩の藩士も多数出入りしていたようなのだ。
 「妙なのは土佐藩よ。土方楠左衛門と田中顕助の二人は藩から学習院に出入りを命じられて、そこで得た情報を藩に報告していたようなんじゃが、どうやらその二人、容堂公からの直接の命を受けて二人は長州藩へと向かったらしいがよ」
 「佐幕を標榜する山内容堂公は京で公武合体として朝議に加わるよう推されておられますが、その気も薄いようで。そもそも山内家は三条家とも長州の毛利家とも縁戚関係にありますから」
 「そうよ。容堂公は長州藩へと落ちた三条実美と繋がっちゅうがよ。そんで一体、何を画策しちゅうがやろう・・・」
 竜馬の根底には土佐勤王党を封じ込めた容堂への疑念と怒りがある。
 (・・・収二郎達を殺し、武市さん達までも殺すつもりなのか?)
 不信感が湧き上がってくる。
 「・・・何を暗躍しちゅうがぞ!」
 「長州には、天誅組事件の首謀者・中山忠光公が流れ、そこに潜んでいるとも聞きます」
 「やはり長州の仕業じゃろうか、楠公信奉の発信源は」
 「ではなぜ佐賀から始まったのでしょう」
 まるで掴めぬ不穏な噂、そしてその真相と目的。
 「まず京から探ってみるしかないぜよ!」
 苛立ちを感じたのか、握った拳に力を込める竜馬であった。


― その1 ―  攘夷派の有栖川宮家

 文久三年に日本の情勢は大きく変動した。
 実質的に日本の中心が京に移り、江戸の徳川幕府は形骸化した。その京を手中に収めていたのは長州ら尊王攘夷派だったが、薩摩・会津が政変を起こして長州藩が退けられ、朝廷は尊王攘夷から公武合体へと大きく転換したのである。
 京は公武の協力体制が支配したのである。
 大手を振っていた長州藩士が消え、京に残された志士や浪人は京都守護職の会津藩、京都見廻り組、そして新撰組が追い詰めていく。
 一方、京には一橋慶喜、松平春嶽らが次々に入京して賢侯が集結していた。そして京に公武合体の参豫会議が成立したのである。
 舞台は整った。
 文久三年はそんな年だった。
 
 そして翌文久四年早々、公武合体の京に将軍・徳川家茂が再び入京して来た。
 今、公武の中心は中川宮と一橋慶喜である。双方の協力体制こそが公武合体なのだが、その慶喜は公武合体の象徴とも言うべき人物で、父は徳川家、母は有栖川宮家。つまり彼は公武の血を引く身なのだ。
 しかし慶喜には身の危険があった。幕府の将軍後見職として上洛していたが京の治安は乱れており、悲しいかな、諸藩とは異なり一橋家に仕える兵は僅かである。江戸の幕府も慶喜には非協力的であり、つまり彼の指揮下で動く幕臣がいなかったのである。
 そこで慶喜は水戸家出身の兄弟に協力を依頼して水戸藩士を配下に置こうとした。御親兵として朝廷の守りに当たらせるという理由で利用するつもりであったのだ。
 だが、そもそも水戸藩士は尊王攘夷の信奉者である。中川宮は不安を抱いた。
 「尊王攘夷の武士が京にいるのは危険ではないか」
 いつ長州がここ京に攻め入るやもしれないのだ。事実、密かに長州藩士らしき者達が京に潜入し始めているとの報告を受けている。水戸と長州の間には密約があるとも聞いている。
 ・・・まず今は長州勢から京の公武合体体制を守らねばならない。
 その点で慶喜と中川宮は一致しているが、慶喜は水戸藩士を京に駐留させる事を譲らなかった。。
 
 だが、やはり入京している水戸藩士が問題化した。
 慶喜の兄である水戸の徳川慶篤が上京した際にお供として連れて来た藩士達が本圀寺に滞在していたが、彼等を指揮管理してきた松平昭訓(あきくに)が突然死去し、尊王攘夷を主張する水戸藩士が京の町を闊歩するようになったのだ。
 彼等は『本圀寺党』を名乗る正規の水戸藩士であり、したがって京都守護職の会津藩も新撰組も安易に手が出せない。
 そんな状況を中川宮は憂慮した。
 そして慶喜に在京の水戸藩士の管理を徹底するよう強く命じ、慶喜は弟の徳川昭武(あきたけ)を京に呼び寄せてそれを委ねる事にしたのである。若干十五歳の昭武に任せるとは言っても、実質的には慶喜が本圀寺党を配下に置いた事を意味しているのだ。
 これにより慶喜の立場が微妙なものになった。
 公武合体として将軍後見職にありながら、配下の本圀寺党は強烈な攘夷思想なのだ。また彼は有栖川宮家の血を引く者であり、その有栖川宮家は強烈に攘夷を推進する宮家なのである。長州毛利家と婚姻関係を結んで密接な関係がある宮家でもあり、予てより尊王攘夷派の志士とも通じているのである。
 そして事実、その有栖川宮家を頼るべく長州藩士が密かに接触していたのである。


― その2 ―  長州の間者

 京から追放された長州藩では、京への復権を試みる動きが活発化していた。
 真木和泉は率兵上洛を叫んでおり、その機運を高めている。
 これを危ぶんでいた桂小五郎は、
 「まず正統性を朝廷に訴えるべきだ」
 と主張しており、その嘆願のために上洛する機会を窺っていた。
 そしてまず長州藩士を京に潜入させて有栖川宮熾仁(たるひと)親王に接触をさせていたのである。
 有栖川宮は親長州の大物宮家で、これまでに幾度も尊王攘夷の士の命を救ってきた宮家であった。尊王攘夷派の鳥取藩士数十名が藩主の側近らを惨殺した本圀寺事件においても、藩主・池田慶徳が藩士に切腹を申し付けても有栖川宮がそれを中止させて命を救った。その際に桂小五郎も幕府に捕らえられた鳥取藩士を救い出し、それが元で小五郎にも捕縛の手が迫ったのである。
 
 一旦、京を脱出した小五郎だったが、対馬藩士と偽って再び京に戻り、長州藩の復帰を目指して諸藩を周旋して廻った。
 ・・・好転の兆しが少しづつ見え始めた。
 だが、長州の国許では真木和泉の唱える率兵上洛が避けられない方向へと傾いていたのであった。
 小五郎は焦った。
 しかし焦って動けば我が身の危険が増し、万一にも捕縛されれば長州藩はますます不利な状況に追い込まれてしまうだろう。
 「焦ってはダメだ」
 小五郎は諜報活動に力を入れて、幕府側の動きを探る事にした。
 間者は新撰組にも潜り込ませてある。浪人集団たる新撰組は間者も潜り込み易かった。
 小五郎は放った間者からの情報を頼りとして好機を待ち続けるしかなかった。
 
 間者の元締めは古高俊太郎という男である。彼は長州藩・毛利家の遠縁にあたる筋金入りの尊王攘夷論者であった。
 世間の目を欺くため大店・桝屋に養子入りして主人に収まっていた。桝屋は薪炭商として諸藩と広く商いを行い、古道具や馬具なども扱う京の大店である。武家の出入りも頻繁にあり、それを隠れ蓑にして長州への情報活動や武器調達を行っていた。
 古高は大店の主人として公家との人脈を広め、毘沙門堂門跡家士という地位を利用して有栖川宮とも親しくなっていた。そこから桝屋は有栖川宮と長州側との重要な接点になったのである。
 また長州の放っている間者は皆ここで情報をやり取りし、朝廷への橋渡しや志士達の連絡・宿泊・集会・資金提供から長州に関わる他藩の浪士・浪人の世話もここでしていた。長州へと向かった土佐の中岡慎太郎や、北添佶磨らも一時期ここで世話になっていたのである。
 しかし、やがて新撰組が古高俊太郎を監視するようになった。新撰組は捕縛した浪士から情報を吐かせ、長州藩士やそれに類する浪人が京に潜り込む際に桝屋を頼ってくる事を掴んでいたのである。
 ・・・追う者と追われる者。
 新撰組は狼の如く獲物を追い詰めていく狩人となった。
 獲物は志士。
 志士という名の人間である。
 ・・・人間を狩るのもまた人間。
 京の都は殺伐とした空気感に支配されていく。
 しかし新撰組の中にも長州の間者が潜んでいた。そして当然の如く古高に繋がっていたから、志士は新撰組の網を巧みに逃れる事が出来たのである。
 「妙だ。・・・我が新撰組隊士の中に間者がいるのではないか・・・」
 近藤勇はそれに気付き始めていた。



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