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「あたしのコト、好き?」
 上から直之(なおゆき)を見下ろしながら、思わずそんな言葉が零れ落ちた・・・

 答えなんて、聞かなくても分かってる。

 

 それでも・・・

 

 聞かずにはいられない・・・返ってくるのは、いつも通りの返事だって分かってるのに。
 そして、その答えは、あたしの大好きな優しい柔らかな笑みと共に返される。
「うん・・・好きだよ、真結(まゆ)」 と。

 

 どのぐらい好き? とか、

 どこが好き?  とか・・・

 

 しつこく突っ込むのは、今日は止め・・・あたしはそのまま顔を寄せて、直之と唇を重ねた。

 そして、やっぱり・・・

 触れあった唇は、すぐに離れていく。
 それはやっぱり、いつも通りの軽いキスで、見つめ合う瞳は、やっぱり、あたしがそれ以上踏み込んでいくのを拒む光を帯びていて。

 

・・・ほらここに、壁っ!壁、あるよね?あるわよねっ!?・・・

 心で響く自己ツッコミに脱力して、あたしは直之のシャツに顔をうずめた。
・・・今日も、キスだけ・・・なんだ・・・

 あたしの髪を優しく撫でる直之の手の感触を感じながら、そんな思いが頭をよぎる。耳を寄せた彼の鼓動は、憎らしくなる程、静かで・・・

「あたっ」
 気がつけば、あたしは彼の鳩尾に思わずグーパンチをお見舞いしていた。

・・・馬乗りになって、キスまでせがんで、その結果が、これっ?・・・て、何か惨めすぎる・・・

 

 付き合って、一年近く経つのに、こうして、ベッドの上でお互いの温もりを感じているのに、二人の間に、これ以上の事は起こらない。

 

『それって、あんたの事、女だと思ってないんじゃないの?』

 

 思い余って相談した友達に言われた言葉が、あたしの心に今もぐっさりと刺さっている。
 やはり、世間的にはありえない事なのだと、思い知らされて。
 自分が、魅力のない女なのだと、そう・・・思い知らされて。

 そりゃあ、色気なんて自慢できる方ではないけど、彼がその気にならない決定的な何かが、自分にあるのかもしれないというその思いは、現在進行形であたしを苛んでいる。
 その原因を探ろうと、悪戦苦闘して集めた情報を分析した結果、分かったのは、彼は、収支が合っちゃってる人間なのだという事だった。

 

 働いて得た収入で、過不足のない独身生活を営み、余暇は好きな趣味に費やす。家事は苦にならないみたいだし、自分の事は何でも出来る自立した人間。
 そう・・・。

 彼の居心地のいい『お城』は、一人で住むにはちょうどいいワンルームで、そこにあたしが入り込むスペースはない。そんな感じ。

 

 それは、収支の合っている、過不足のない生活。
 きれいに自己完結している、完璧な生活。

 

・・・でも、あたしはね、あなたを好きになっちゃったんだもの・・・その空間にあたしも入れて欲しいのっ・・・

 

『だったら、一服盛っちゃえば~?既成事実作って迫れば、嫌とは言えないんじゃない。特にああいうタイプはさ~』

 友達が冗談半分に言った言葉が、心のどこかで引っ掛かっていて、それが一気に心に毒を広げた。
・・・やっちゃおっか・・・

 そこまでしても、あなたを手に入れたいと思うのは、いけない事・・・?

 それは、ためらいの自問ではなくて、自分を正当化する為の確認。
・・・だって、あたしはあなたが好きなんだもの・・・

 それは、誰が見ても瑕疵のない立派な大義名分の様に思えた。

 

 だから、その計画を決心してから、決行するまで、そう時間は掛からなかった。

 

 

 


1
最終更新日 : 2010-10-02 22:59:08

 お酒に混ぜた睡眠薬が効いて、ベッドで眠りこんでしまった彼の服を残らず脱がせて、あたしは初めて、彼と肌を合わせた。やっぱり穏やかな、彼の心臓の音を聞きながら、幸せな気分に満たされながら、邪な計画に緊張し切っていたあたしの心は、すぐに眠りに落ちていた。

 

 翌朝目が覚めると、隣に彼はいなかった。

 起き上がるとサイドテーブルに、昨日脱ぎ散らかして、床に散乱していたはずのあたしの服が、きれいに折りたたまれて置いてあった。
・・・下着まで。洗濯したてみたいに、きれいに畳まれていた。

 それはまるで、昨夜の出来事を否定するかの様に、邪な心に容赦なく聖なる楔を打ちこむ。

 それは、彼のささやかな抵抗なのか、それとも断固とした拒絶なのか。

 こちらに後ろめたさがあるだけに、その光景に心が挫けそうになる。

 

・・・ま、負けないんだから・・・

 

 服を着て、ダイニングへ行くと、直之が淹れたてコーヒーのカップを手に、見るからに少し硬い笑顔を見せた。

「おはよう、真結」
「うん。おはよう・・・」

「コーヒー飲む?」
「え、あ、うん」
 こっちはしどろもどろなのに、相手が妙に冷静なのが落ち着かない。

 彼の顔が見られない・・・

 

 あたし専用のマグにコーヒーが注がれて、いい香りを漂わせながら近づいてくる。そして目の前に、そのマグが置かれると同時に、彼が言った。
「・・・昨日、俺、何かした?」
・・・覚えてない?覚えてないんなら、まだ・・・

 望みはあるかも。そう思って意を決して顔を上げたあたしは、彼の顔を見て愕然とした。

 その顔は、何かに怯えている様で、そこには幸せというものの欠片も無かった。

 そこからはただ、悲愴感を感じるだけ。

 

・・・あたし・・・傷つけた。何だか分からないけど、あたしは、彼を間違いなく傷つけた・・・

 

 そんな思いが、後悔と共に物凄い勢いで心に広がっていく。
・・・あたしが欲しかったのは、こんなんじゃない・・・

 そう思ったら、頭が真っ白になっていた。
「たった一回寝たぐらいで、責任取れなんて言わないからっ!」

 だた、咄嗟に頭に浮かんだその言葉だけを彼に叩きつけて、あたしはそのまま部屋を飛び出した。

 咄嗟に、しっかりと既成事実をでっち上げていた自分の手際の良さというか、抜け目の無さには呆れてしまう。
・・・全く、意地汚なさ、全開って感じよね・・・

 正直、自分がそこまでいやらしい人間だとは思わなかった。好きという感情は、何と厄介なものなのだろう。これでは彼にドン引きされても、自業自得というものだ。

 

 そして当然の結果とでも言おうか、その後、彼からの連絡は途絶えた。

 

 

 

 失恋したせいで、という訳でもないのだろうが、気分が萎えていた所に風邪をひいた。しかも、普段滅多に出さない熱のおまけまで付いて、寝込む羽目になった。一人暮らしで困るのは、こういう時だ。
 買い置いてあったカロリーメイトの類を食べ尽くし、常備薬の風邪薬を飲み尽くし、それでも体力は回復しなくて、どうしたもんかな~と思いながら、熱にうなされていると、キッチンから何やらいい香りが漂って来た。

・・・あら幻覚かしら~でも幻覚って匂いもあるものなのかしら~・・・

 そんな事を思いつつ、体が熱に完璧に負けた様で、そこで意識は途絶えた。

 

 頭の下に、氷枕のひんやりした感触を感じて、寝返りを打って、熱くなっている頬をすりすりする。
・・・ん~いい気持ち・・・

 夢なのに、何てリアルな感触なんだろう。そう思っていると、額に誰かの手が触れた。そこで、一気に意識が覚醒した。目の前に直之の顔があった。
「・・・なななな・・・な、んで?」
「何でって、三日も会社に出てこないから、生きてんのかなと思って」
・・・心配してくれたんだ・・・でも、何で?・・・あたし、振られたんだよね?・・・

「おかゆ作ったんだけど、食えそう?」
「・・・うん」
・・・ああ、そっか。これは、あれね。合鍵を返しに来たとかそういうノリの・・・
 あたしがあれこれ妄想を膨らませていると、彼がおかゆを持って来てくれた。

 

 

 


2
最終更新日 : 2010-10-02 23:03:41

 器からほんのり匂い立つかつおだしが、食欲をそそる。それに急かされる様に、あたしはさっそくおかゆを口に運ぶ。その滑らかな食感が何とも言えず、弱った体に、実に心地のいい感覚が広がっていく。

 

・・・ああ、幸せだなあ・・・

 

 そう思ったら、思わず涙が零れ落ちた。
「え・・・何、どした?」

「・・・あたし・・・押しつけがましくて、直之には、きっと鬱陶しい女だったよね」

「何だよ、いきなり」

 直之が見るからに困惑している。

 

・・・きっと・・・これだけで良かったのに・・・

 

 もう、手に入らない。こんな風に、直之が隣にいて、それがすごく心地よくて、幸せな気分になれる。

 そんな場所を、彼は間違いなく与えてくれていたのに、あたしは・・・ 
 何だか、自分が情けなくて、涙が更に溢れ出す。
 直之がすぐ隣に座る気配がした。彼の体温が伝わって来るのを感じたら、もう、涙が止まらなくなった。
 そんなあたしの頭を、彼の手が抱きよせて、そっと自分の肩に乗せた。
「ごめん・・・俺のせいなんだよな」
「・・・・」

 何で謝るの?あたしの方が悪いに決まってるのに。

 そう思っても、泣いてしまって何も言葉にならなかった。

 

 しばらくして、直之が何か決意する様に、大きく息を吸う気配がした。そして、そこで思いがけない事実が告げられた。
「俺、子供がいるんだ」
・・・?・・・

「はいっ?」
・・・いきなり話が繋がらないんですけどっ・・・

 あまりの事に、あたしの意識は、ちょっと浸り切っていた哀しみから、不意に現実に駆け戻ってきた。

・・・子供?って、バツイチってこと?でも、結婚してたなんて話、どこからも・・・
 多分、驚愕の表情をして直之を見据えているあたしをちらりと見て、彼が話し始めた。
「もう・・・十年以上も前の話だ」
・・・十年って・・・まだ高校生じゃないの?・・・
「付き合っていた彼女がいて、まあ、当然みたいな感じでそういう事して、それで、彼女が妊娠した」
「・・・・」

「お互い高校生だし、結婚の事だってイメージ出来ないのに、いきなり子供が出来て、父親とか言われても正直ピンと来なかった。当然、堕ろしてくれるもんだと思ってた。でも、彼女が産みたいって言いだして・・・」

「それで・・・?」

 

 絶対に迷惑は掛けないから。
 一人で育てるから。
 だからお願い・・・。
 そう言って、彼女はシングルマザーの道を選んだ。

 

「俺は、そんな彼女を見捨てて、全てを無かった事にして、逃げた・・・卑怯な奴だ。だから俺には、恋愛なんてする資格はないって思ってた。それなのに、お前といると心地が良くて・・・付き合うべきじゃないって思いながら、結局都合良くお前に甘えてて・・・俺、最低だよな」
 目の前で、全てを吐き出した彼が、審判を待つ様にうなだれている。
「・・・そんな事、ないよ。だって、無かった事には出来なかったんでしょう?直之は、それでずっと、苦しんで来たんでしょう?」
「・・・真結」
「・・・きっと、ずっと、辛かったんだよね・・・」
 あたしが最後まで言い終わらない内に、彼があたしの腕を掴んで体を引き寄せた。そして、息が止まるほど強く抱き締められた。
「俺は・・・真結が大事だから・・・」
 彼の声がそう言って、聞き返す間もなく、唇が重ねられた。

 それは思いがけない程、深い深い口づけだった。
 あたしの熱を帯びた舌に、彼の舌が絡みつく度に、気が遠くなる程の・・・

 

・・・気が遠く・・・なる・・・程・・・の・・・

 

 これが最初で最後かもしれないっていうのに、あろう事か、あたしの意識は、そのまますっ飛んでしまったらしい。

 

 

 あたしたちは彼氏と彼女。

 でも『シマウマ彼氏』は、やっぱり大人しいから。

 押し倒すのは、もっぱらあたし。
 そんなあたしを、『ライオン彼女』と人は呼ぶ。

 

 

 

 【 ライオン彼女/シマウマ彼氏 完 】

 

 

 


3
最終更新日 : 2010-10-02 23:05:36

この本の内容は以上です。


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