閉じる


<<最初から読む

2 / 10ページ

試し読みできます

 

平塚 幸 (ひらつかこう)

 

それが僕という哀れな存在を示す名前だった。

 

齢は18。高校生。

普通で普遍たる平凡な高校生。

高校の偏差値は中の上くらい。

よって高校自体の治安は良い。不具合は無い。

 

普通で愚かで、普通に聡明で、

普通の明るい男子生徒を上手く演じているため、

いじめられることもなく、悪くもない仲間に囲まれて過ごしている。

 

しかし自分に意識が向きすぎて、薄暗い思考が毎日のように脳内をうろついているので気が滅入っている。

自分という存在が酷く醜く大きく頭でっかちに感じてしまう。

 

思考で頭が膨れ上がるならば僕はとっくに重さに耐えきれず潰れていただろう。

それほどまでに人より無駄に考えすぎてしまうたちであった。

 

自覚しているだけ良い方だ。

その上で社会に溶け込む頭脳を持っていたからよかった。

活かせない知能など海に捨てて魚の餌にした方がマシだ。

 

さて、そんな湿った脳ミソを吹き飛ばすために雑音のように喧騒とした軽音部に入った。

 

軽音部で単調な愛の歌を掻き鳴らして馬鹿みたいに喚く。

馬鹿は楽しい。無能こそ幸福だ。

僕はそれを痛感していた。

しかしながら、演奏をしていても、

やはり自分は女の観客の唇を目で追っていた。

常に狙っていたのだ。

 

性欲か性癖か歪な感情なのか。

僕はどうしても唇が欲しい。

 

最初に僕にキスの記憶を叩き込んだ人物は誰だったのだろうか。

不思議なことに思い出そうにしても全く思い出せないのだ。

 

キスにキスを重ねてキスの記憶がキスで埋もれてどれが始まりだったのか思い出せないのだ。

 

母親だったのか?

よくある話だ。赤子にキスをする母なんて絵にもなりそうだ。

しかし自分の母親が僕に対してキスする絵を想像できない。

 

母は毎日忙しそうで、何がそんなに忙しいのか、常にいらだっていた。

家事もパートもこなす善良な母親像ではあるが、あまり愛情を感じさせるような接し方を僕にはしてくれない。

 

母親の愛が欲しかったからこんなにもキスに飢えているのか?

しかし、今更母親にキスなどされたくない。

反抗期は過ぎたとはいえ肉親相手じゃ生理的に、本能的に気持ちが悪い。

 

まあ始まりなんて今更どうでもいいのだ。

僕は常に新しい唇に飢えている。

 

その上で軽音部のギターボーカルの立場は非常に便利だ。

軽音部は蛆虫の巣窟なような場所で人の出入りがやけに多い。多少努力すれば多くの顔を見知れるものだ。

バンドマンにスキャンダルは基本的に付きまとうもの。

 

まあ別に軽音部に限らず教室の女子とも上手く言の葉を使えば蜘蛛の巣に引っ掛かってくれる。

 

歌は良し、ギターも掻き鳴らせ、顔もそこそこ、話術も演じれば問題なしの僕は

結構な頻度で彼女を作れたのだ。

 

結構な頻度。

つまり別れるのも早かった。

 

どうやら僕は一人の女性をキープするのが下手なようだ。

僕自身、関心があるのは唇だけなので、継続のためのケアが疎かなのだ。

 

女子の会話に長時間付き合うのも面倒だし、

デートなんてものはとてつもなく面倒臭いのだ。

外でしょっちゅうキスするわけにもいかないから苦行のような時間を耐えなければいけない。

 

家に上がればセックスくらいはするさ。

ただ、僕が関心があるのは本当に唇だけなので、

女の身体中にキスする意味なんてわかりやしないし、

ましてや汚いところにまで唇をはわせなければいけないとなると悪魔との契約を思わせるようで気味が悪い。

 

結局のところ僕は自分中心的すぎる人間なので

そんな野暮ったい態度が相手に伝わるのか、早い段階で別れを告げられる。

 

良い。それで良い。

こっちは唇さえもらえれば目的は果たせたも同然だ。

関係を継続させるのも手間だから次の女に手を出すさ。

 

本当に自分は仕方のないキス中毒患者である。

それだけを求めて仕方がないのだ。

あの悦楽の極上の美味が、欲しい、欲しい。

 

 

キスの種類にもいろいろあるそうだが

僕としては種類などは意識してなく、ただ欲しいがままに唇を重ねていた。

 

自らキスについて調べたが、ほとんどのものはわりと自分から試したことがあるものだった。

もちろん、唇に関するもの限定である。唇以外の場所を触れ合わせるキスなどには興味がわかない。

 

あとは食べ物を使うキスも好きではなくやったことはなかった。

元々唇は美味しいものなのになぜそれを関連付ける必要があるのだろうか?

滑稽である。

 


試し読みできます

邂逅

 

 

「平塚君」

 

諸事情にて軽音部に行くのが気だるくて、手持ちぶさたに誰もいない教室で椅子に座ってぼんやりとしていたらクラスメイトの女子に声をかけられた。

 

「ん?君は……」

 

それも珍しい女子だった。

肩にかかる黒髪、サイドが少しだけウェーブしている。

顔の見た目としては地味だが、醜いほどではない。むしろ中の上くらいだ。

もう少し眉毛と前髪を整えればもっと良くなりそうなものだが。

 

クラスの中でなんとなく孤立していて、いつもやたら分厚い辞書のような本を読みふけっているやつ。

先入観で暗そうなやつだと思っていたが、僕にかけた声が思いの外しっかりしているのでそうでもないらしい。

 

須賀 流歩 (すが るふ)

 

変わった名前だから覚えている。

変わっているのは名前だけでなく彼女には奇妙な噂が付きまとう。

昨年度彼女をいじめた女子がその分厚い本の角で気絶するほど殴られたとか、

彼女をいじめた女子が不登校になってしまったとか、

ともかく不吉な女である。彼女をいじめるものはおろか、声をかける者すらいない。

 

そんな彼女が僕にいかようなのか。

 

「須賀さん」

 

「ルフでいいよ」

 

妙に距離を詰めてこようとしてくる彼女の様子にこのあとの展開が読めた。

しかしながらなぜ僕なのか。彼女と話すのは今が初めてなくらいなのに。

 

「今フリーなんでしょう?」

 

フリー。なんのことかと思ったが、そうだ、今僕は彼女がいないんだった

つい先日騒がしい女と別れたばかりだった。唇しか取り柄がなかったようなやつだった。

そいつからすれば僕こそつまらない男で不満しかなかっただろう。今後それを吹聴されると思うと少しゲンナリする。

それが軽音部の女だったので本日部活に行くのが手間なのである。

 

「あー、うん?今は、まあ彼女いないってか別れたばかりで……」

 

僕は明るく振る舞う。しかしそんな努力には意味はないと言わんばかりに彼女は自分の発言を押し付けてきた。

 

「私と付き合ってみない?」

 

随分奇妙な視点からの告白である。

その発言内容ほど上から目線を感じさせるような嫌悪はない。しかし確かに彼女は自信に満ちていた。

一応、口調から彼女自身僕と対等であろうとする姿勢が伺える。

まるで試してみないかと言わんばかりなのだ。実際彼女もその魂胆なのだろう。

まるで子供のお使い感覚の頼み方だと苦笑した。

 

「奇妙だね。そこは『好きです』とか『付き合ってください?』じゃないの?

あと僕は君のことをあまり良く知らないしなぁ」

 

思ったことを冗談のように軽く問いかけてみた。

実質僕はこのルフという女子のことを知らない。噂に聞く程度だ。

 

「それは大した問題じゃないわ。私のことは後から知ればいいし知らないままでもいい」

 

『知らないままでもいい』

これはあまりにも奇抜な発言に思えた。

女子というのは自分を彼氏に知らせたがるものだ。それも全てを理解してもらおうと言わんばかりに。

これから付き合おうとする相手に自分を知らなくていいとはこれはいかに。

 

「私、知ってるのよ。コウ君が本当は暗い人だってこと」

 

「……え?」

 

こいつは何を言っているのか。

唐突に"コウ君"と呼ぶぶしつけな態度にも驚くが。

それよりも、僕が、暗い人?

 

「何を言っているんだ君は」

 

僕は咄嗟に否定の言葉を吐く。動揺を諭されないように軽快に。

怒っているのではない、自分を見透かされたことに動揺しているのだ。

軽く恐怖すら覚える。自分が道化の仮面で隠していた闇が暴かれようとしているのだから。

 

「だってそうでしょう?

たくさんの女の子をとっかえひっかえ。

続かないのよね。彼女達とコウ君は……私達は根本的に違うもの」

 

"私達"

彼女は僕を自分を一体にして私達と呼んだ

そうか、彼女も僕も同じ"日陰者"の存在なのだ。

軽音部で馬鹿騒ぎする"日向者"のやつらとは根本的に違うのだ。

 

「それとも、コウ君の関心はココにしかないのかな?」

 

須賀流歩は自らの唇に指を当てた。

一見すればチャーミングな動作であるが、僕はそれどころではなかった。

強く揺さぶられたのだ。彼女は僕の趣向を完全に見抜いている。

 

僕は何か反論しようとして、やめた。

何を言っても無駄だ。彼女には全部見抜かれているのだ。 

 

「ね、私の唇さ。悪くないと思うんだけど」

 

指により誘導された視線は彼女の唇を捉える。

必然的に僕は舐めるように彼女の唇を監察していた。

 

ふっくらとした上下の房はゆるやかに光を反射して静かな潤いを秘めている。

それはまるで果実そのものだ。見ただけで甘さが香ってくるようだ。

 

実に美味そうで、今すぐに食らいつきたいほど。

 

「いいよ」

 

彼女がそう言う。何が良いのか。言うまでもないが。

 

僕は、


試し読みはここまでです。続きは購入後にお読みいただけます。

この本は有料です。閲覧するには購入する必要があります。
購入するにはしてください。
有料本の購入に関しては、こちらのマニュアルをご確認ください。
販売価格100円(税込)

読者登録

とととさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について