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「誰も居ないね、お兄ちゃん」
「二階の人質以外の避難は終わったって言ってたな。まあでも、一階も一応見て回るぞ」
「二人きりだね、お兄ちゃん」
「そうだな」
「お父さんとお母さん、今日は遅くなるって、言ってたね」
「言ってないし、いない」
「この部屋、なんだか暑いね」
「適温」
「さっきの話の続きなんだけど、いいかなお兄ちゃん」
「部屋に二人きりの時に兄に迫る妹の話以外ならなんでも良いぞ」
「さっきの話に戻る前に言っておくけれど、私はお兄ちゃんを誘惑する女を許さないよ」
「はやくさっきの話に戻ってくれ」
「お兄ちゃんを誘惑したあいつは絶対に許さない。あいつのせいでお兄ちゃんが」
「たのむ」
「それはさておき」
「よし」
「良いかなお兄ちゃん、ここで電磁爆弾を動作させると、何体いるのか知らないけれど機械は一瞬で全滅させることができる。だけれども、有効範囲半径200メートルだから、人工呼吸器や人工心肺や人工透析みたいな生命維持装置がないと生きられない入院患者、それから電子的に動作するペースメーカーみたいな補助人工臓器を使っている患者も、巻き添えで、死ぬ。不祥事続きの公安局としては、現時点でそのリスクを取ることはできない、という話なんだけれど」
「それは、部屋に二人きりの時に兄に迫る妹の話ではないよな」
「違うね、お兄ちゃん」
「なら大丈夫だ」
「私、思うんだけれど、つい思ってしまうんだけれど、地球全体に電磁爆弾をくまなく落とせば、機械は一気に全滅させられるんじゃないかな」
「人類文明も崩壊する」
「昔はなんとかなっていたんなら、今度もなんとかなるんじゃないかな」
「少なくともモスは食べられなくなるな」
「それはとても厳しいね、お兄ちゃん」
「耐えられないだろう」
「けれど、お兄ちゃんのためを思えば、私モスを1週間くらいなら我慢できるかな」
「短いな」
「じゃあ3週間で手を打つよ、お兄ちゃん」
「打つな」
「アイリスの機械だけを殺すのって、爆弾にはできないんだ。まるでゲリラ戦だね」
「そうだな」
「でもねお兄ちゃん、良いこともあるんだよ」
「何だ」
「偉い人が地球全体に電磁爆弾を落とさないことによって、実は良いこともあるんだよ」
「何だ」
「私たちみたいな者が、必要になる」
「なるほど」
「私がこの手で機械を殺すことができる」
「相変わらずお前はやる気があるな」
「私がこの手で機械を壊すことができる」
「そうだな」
「私は機械を許さない。絶対に許さない。一体残らずこの手で破壊する。私がこの手で破壊することができる。機械は殺す。殺さなければならない」
「……あっちに誰か倒れてるな」
「機械に頼らないと生きていられない人間は、機械と一緒に死んでしまうのも仕方ない」
「さすがに無茶だ」
「腐ったみかんは捨てないと」
「パンを捨てたらバーガーが成立しなくなる、ということもある」
「ライスバーガーもあるんだよ、お兄ちゃん」
 ひとみがそう言いながら、診察室にうつ伏せで倒れていた女を引き起こすと、瞬間、脳内にオペレーターの声が響いた。
「監視カメラ映像でアイリスと判定された機械です」
 通信ではなく、事前に送られていたデータに基づく音声だ。
「お兄ちゃん、この女の人、人間だ」
「……は?」
 五霊と同じ音声を、ひとみも聞いたはずである。運動データに基づくアイリス判定精度から言って、間違えるということはありえない。だが、ひとみが間違えるということも同時にありえない。
「人間だよ。全然機械のにおいがしない。お兄ちゃんもかいでみる?」
「いや……」
 若い女である。服装からして、病院職員ではなく患者だ。
 職業柄、人間そっくりに作られたロボットをよく見る。しかし、いかに最新の技術であっても、完全に人間と見分けがつかない機械はまだ作れない。困難な点は二つ。動き方と目だ。人間とロボットの動き方はやはり、違う。目も、違う。若い女は目を閉じて動かない。だから見た目の限りでは、その女が本当に人間なのか、あるいは機械なのか、五霊にはわからない。
 だがひとみが人間だというからには人間なのだろう。
「ほとんど生身の人間だよ。気絶してる。人間のにおいがする。お兄ちゃんほどいいにおいじゃないけどね」
 五霊は無視した。ひとみは女の身体を一通りまさぐり終わると、部屋の脇に寝かせ、立ち上がる。彼女は五霊の首筋のあたりに顔を押し付け、ふんふんと嗅いだ。
「やっぱりお兄ちゃんはいいにおいがするね。これはきっと、日本人の味覚に合わせて」
「さっき食べたテリヤキだろうが」
 五霊は無視できなかった。ひとみの身体からは甘い洗剤のにおいがした。
「お兄ちゃん知ってる? テリヤキバーガーをモスが発売するまでは、テリヤキといえば、ぶりの照焼みたいな、あの味を誰もがイメージしたんだよ。モスは言葉の意味さえ変えてしまったんだね、お兄ちゃん」
 五霊はモスの回し者を無視した。
「ん、『ほとんど』生身って、どういうことだ」
「右手が義手みたい」
 なるほど、精巧なものだ。遠目ではわからない。
「行くぞ。二階を調べよう」


3
最終更新日 : 2016-10-05 23:47:13

 階段を登ったところに、男が立っている。手術着のような白衣を来て、医療用ゴーグルにマスク、手袋までした、まさに手術中と言った具合の男だった。顔色が悪い。
「公安の方ですか」
「そうです」
 五霊は医者の存在を訝しんだ。こんな場所に一人立っている意味がわからない。
「奥のホールで、子供たちが、ここの患者なのですが、なんというか……人質に取られています。公安が来たら連れて来い、と言われました」
 不自然な立ち位置の理由はそれで知れた。患者を人質に取られ、歩哨兼メッセンジャーにされているというわけか。
「子供が人質ですか。機械は何体ですか」
「それが……」
「いや、答えなくていい。案内してください」
 男が言いよどむのを見て、五霊は質問するのをやめた。口止めされているのかもしれないし、この会話も監視されているかも知れない。
「こちらです」
「あなたは」
 歩き出し始めたところで、ひとみが口を開いた。
「あなたは、心臓外科医ですか」
「ええ、そうですが」
「あなたの患者というのは、心臓疾患の子供たちですか」
「はい、そうです」
 ひとみはそれきり黙った。


4
最終更新日 : 2016-10-08 22:02:11

 二階のホールに入ると、そこには異様な光景が広がっていた。
 子供たちがずらりと並んでいる。
 十数人いる。
 年は一見して小学校低学年くらいから、大きい者は中高生くらいに見える。
 どれも一様に無表情で静止しており、ホールに入ってきた俺達に視線だけが向いていた。
 五霊の脳が回転する。さっき医者は子供たちを患者と言った。人質と言った。だが、これは異様である。子供たちは縛られたりしていない。人質という状態には見えない。なにより、犯人であるところの機械がどこにも見当たらない。
 子供の機械というものはあるだろうか。まあ、あるだろう。子供の姿形で作られたロボットというのはかつてたくさんあっただろうし、機械――違法な未回収品も、当然あるだろう。つまりそれを患者とすり替えた? 馬鹿な。あるいはこの中に一体だけ、機械が紛れ込んでいる? それならありうるか。どれだ。しかしそもそも……どうやって脅しているというのだ?
「子供だね、お兄ちゃん」
 ひとみがつぶやいた。
「ああ」
「私ね、子供って苦手なんだ」
「そうか」
「だから、この場は一旦お兄ちゃんに任せるから、私は病室を」
 ひとみの言葉は途中で宙に消え、乾いた音がバツンと鳴った。
 瞬間、五霊は銃を医者に突きつけながら、左手で医者の引きつった腕を捻り上げる。ひとみは受け身を取ることなく床に崩れ落ちる。ピンクのパーカーが床に広がる。花弁のように。血だまりのように。
「脅されたんです!」
 医者は悲痛な叫びを上げ、スタンガンを取り落とす。昏倒したひとみの上に落ちたそれは、対人用のスタンガンである。公安局機械課が使う、対機械用とは似て非なるものだ。
「こうしないと、子供たちを全員殺すと」
「まて!」
 その子供たちが、一斉に動き出し、5人がかりでひとみの身体を器用に担ぎあげ、どこかに運ぼうとする。混乱しながら喚く医者を突き飛ばす。ひとみを追おうとする五霊に、別の子供たちの集団が立ちはだかり、進路を妨害する。
「クソっ! 何だお前らは」
 子供たちは一斉に身体にまとわりつき、相撲のように押してくる。意外なほどの力に恐怖すら感じる。五霊は子供たちをひとりずつ掴んで転がす。だが10人ほどを処理した時にはすでに、廊下の先、病室の扉が閉まるところだった。

 病室の扉はロックされている。
 たぶん空調機が発する、無機質な音が脳の隙間に割り込んでくる。

 振り返れば子供たちは無表情でこちらを見ており、医者はマスクとゴーグルの間に覗く顔色が一層悪く、幽霊のように左右に揺れて、まるで生気が感じられなかった。
「誰に脅されたんだ」
 五霊は再び銃を向けて言った。
「その……子供たちで……」
「はあ? ふざけてるのか」
「い、いえ、その」
「これはなんだ」
 その問は誰に向かうでもなかった。
「これは一体なんなんだ」


5
最終更新日 : 2016-10-10 13:06:02

 子供たちの中から、一人進み出るものがあった。
「五霊実(ごりょうみのる)さん」
 小学校高学年といったところだろうか。病院着を着せられた少女が五霊の名を呼んだ。
 五霊の睨みつける視線にも一切ひるまず、彼女は微笑んだ。
「妹さんに危害を加えるわけではありませんので、ご安心ください」
 五霊の混乱は最高潮に達し、言葉が出ない。
「ですが少し時間をいただきますので、その間、私とお話でもしませんか」
「お前は誰だ」
 五霊はそれだけ言うのが精一杯だった。
「アイリス」
 少女は囁くように言う。そしてゆっくりと歩き出す。五霊もゆっくりと追う。子供たちの集団が後ろからぞろぞろとついてくる。医者もそれに追い立てられて、やはりついてくる。
「正確にはその一部です」
「機械なのか」
「五霊さん、その右手にお持ちなのは、拳銃ですね。電磁銃ですよね」
「機械なのか」
「その銃はもはやあなたの身体の一部だ。訓練の末そうなっている。訓練生のとき、植木教官にも言われましたね? 装備は身体だと思え」
 少女は極めて自然に、教官の名を口にした。
「お前はいつもどうでもいいことを知悉している」
「光栄です。しかし五霊さん、あなたの装備は、どちらかと言うと、人間か機械かで言えば、機械の側に属すると思いませんか?」
「俺も機械だとでも言いたいのか」
「私もあなたも、同じだけ人間で、同じだけ機械だと言いたいのです」
「植木教官が言いたかったのは」
 五霊は少女の言葉にかぶせるように、声を張って言った。
「銃を自分の完全なコントロール下におけ、ということだ」
 薄暗い手術室は薬品のにおいが一層きつかった。機械ではない、人間の、生身の身体の、生と死のにおいがする。廊下から差し込む蛍光灯の光が作り出す影の中に鉄の味が交じる気がした。少女は五霊の言葉を聞いて、器用に振り返りながら言う。
「南米にオノフリムシという甲虫がいますが、この虫は成虫に羽化のあとすぐ、地面に落ちている小さな石を拾って、自分の顎に埋め込んでしまいます。硬い樹皮を噛み千切って樹液を吸うため、他の甲虫たちが顎それ自体を強くしようとする中、オノフリムシはいわば、外科手術で小石をインプラントしてしまうわけです」
「何が言いたい」
「しかし、たまにオノムリムシは間違えて、小石の代わりにアカラカサガイという小さな陸生の貝を顎に埋めてしまう事があります。アカラカサガイの殻はとても丈夫なので、オノフリムシは困らないどころかかえって食事が効率的になるようですね。そして不思議なことに、アカラカサガイの産卵期になると、アカラカサガイをつけたオノフリムシは密林のなかの水場に集まり、アカラカサガイの産卵を助けるかのように水面に身体を浸します。この理由は未だに解明されていません」
「何が言いたい」
「私はこれを、オノフリムシがアカラカサガイに対して、支払うべきものを支払っているのだと考えます」
 五霊にはアイリスの言葉が理解できなかった。五霊は拳銃を少女に向けたまま動かなかった。
「あなたに人間を撃てますか?」
 少女は目をキラキラさせながら微笑んで、首を傾げた。
 ロボットが人間を模倣するのが困難な二点。動き方と目である。五霊の直感は、少女が物理的に人間だと告げていた。アイリスによって操作され暴走する未回収ロボット、通称『機械』ではない。しかし。同時に。彼女はただの人間ではありえない。
 銃を握る手に汗がにじみ、照準がブレる。
「私は人間に見えますか? ねえ、五霊さん、私を愛せますか?」
 少女は五霊の目をまっすぐ見ながら、音もなく近づいてきた。
 限界だった。
 瞬間、少女が弾き飛ばされ、病院の屋上のアスファルトに倒れた。衝撃音が追いかけてくる。腕が発砲の反動でしびれ、荒い息を吐いた。
 倒れた少女は仰向けのまま、動かない。
「実験は概ね成功しています」
 五霊は目を見開いた。
「我々は共存の可能性を示すことができた」
 そこに立っていたのは少年だった。さっきの少女と同年代だ。見渡せば、屋上に上がってきた少年少女たちは全員、今や微笑を浮かべながら五霊を見つめている。
「どういうことだ、これは……」
 五霊は頭を抱えた。考えろ。
「人間も、案外機械に頼っている」
 補助人工臓器。義手。脳裏を単語がよぎった。
 ありえない。
 義手や義足には脳神経との接続や、外部へのインターフェイスもあるだろうが、脳に作用するのは技術的に不可能だ。まして心臓なんて、そもそも不随意なものが。
「私たちは別に、人間の脳に干渉しているわけではありません。アカラカサガイがオノフリムシの神経に作用しているわけではないのと同じです。説得しただけですよ」
「説得」
「あなたの身体には、機械が埋まっている。それならば応分の協力をすべきだ、ということです」
「無茶苦茶だ。そんなもの聞く奴が」
「いますよ。案外人間は、機械に頼って生きていることに、引け目を感じているのかもしれませんね。さてさてところで、あなたの妹さんも義足を使っているそうですね」
「は」
 五霊はそんなことは知らなかった。
 ひとみを連れて行ったのはそれか。
 あいつを説得しようと言うのか。
「兄なのに、そんなことも知らなかったのですか?」
 病院についたときには晴れていたのに、いま空はどんよりと曇っている。その薄闇の中、通信遮断の範囲外の高度で無人機が旋回しているのを目の端で捉える。ある程度時間がたって、見切りをつけたら、電磁爆弾を落とすつもりだ。いやどうだろう。五霊はあれをみるといつも、ふと思ってしまう。電磁爆弾で済むだろうか。いずれは、普通の爆弾が落とされるということも、あるのではないか。
 空を見たせいか、少年の言葉のせいか、五霊は急激に、額のあたりに熱を感じた。
「……妹じゃないぞ」
「ん? 『お兄ちゃん』、と呼ばれていたようですが」
 通信封鎖におかれたアイリスの機械にはよくあることだが、どう考えても知っているべき基礎知識をローカルに保持していないことがある。不要だと判断しているのだろう。
 その傲慢さが、五霊は気に入らない。吐き捨てるように言う。
「あいつは、すべての男をお兄ちゃんと呼ぶ」
 空間が一気に沈黙した。
「はあ」
「俺達のことは知っていたんだろう。この病院でこの時間帯に事件を起こせば駆けつけるのは田原坂ひとみだと、狙ってやっているくせに、そんなことも知らないのか」
「今は知りません」
 今は。
 今は知らなくていい、とお前は判断したのか。現場に持って行かなくても良い知識だと判断したのか。その程度のことなのか。お前たちにとって。
「じゃあ、知らないまま死ぬんだよ、お前は」
「そうですか、お互い、知らないことが多い人生でしたね」
 子供たちが全員一斉に発声した。

 五霊は銃を握り直した。どの程度本当なのかはわからない。しかし、この子供たちはおそらく生身の人間。アイリスに何らかの方法で操られている。その手法は、その機序は、全く見当もつかない。しかし目の前の少年は、目の前にある現実は、子供たち全員を電磁銃で撃ったところで問題は何一つ解決しないことを示唆している。電磁銃は生身の人間の命に関わるものではない。だがペースメーカーなど入っていればどんな悪影響が出るかわからない。この病院は通信封鎖されている。操り主がいるとすれば物理的にどこかの部屋に隠れているはずだ。おそらくひとみが連れ込まれたあの病室。ここは屋上。少女に誘導されてまんまと病室から距離を離されている。畜生。やっぱりとりあえずこの子供たちは全員一発ずつ入れて……。五霊は視線を出来るだけ動かさずに、子供たちの人数を再確認する。少年5人、少女5人、計10人。医者が邪魔だ。射線に入っている。しかし発砲すれば勝手に床に伏せるだろう。
「いま、物騒なことを考えていましたか」
 少年が言った。
「はて、どうかな」
「ああ、私だけでしたか」
「お前」
「さて、お待たせして申し訳ありませんでしたが」
 少年がそう言って、子供たちが左右に散ると、屋上出入り口の扉にピンクのパーカーが立っていた。
「あなたの妹さんも、説得に応じてくれました」
 田原坂ひとみが、そう言った。
 田原坂ひとみは幼い。頑なに制服を拒否して着ている私服のピンクのパーカーにしても、背の低さにしても、やや舌足らずなしゃべり方にしても、人目を引く二つ結びも、なによりその、名前に負けない大きな瞳も。
 だが、その目は。
 復讐に燃えていた。
「……けど、気が変わった」
 ひとみが素早く身体を回転させると、医者の足をめがけて飛びつき、瞬間、医者が跳躍した。ありえない。人間ではありえない動きだ。
 壁を蹴って振り向いたひとみの右手にはナイフが握られており、医者が着地する瞬間の僅かな隙を狙って背中に斬りつける。ギイィン、という嫌な音が響き、医者の白衣の下にやはり肉がないことがはっきりする。一瞬遅れて現状を認識した五霊も銃を構えるが、ひとみが近接戦を挑んでいる。引き金を引くことは躊躇する。
 斬りつけられた医者はよろめくが、そのまま前転する勢いで後ろに蹴りを放ち、ひとみはすんでのところでそれを躱す。躱しながら投げたナイフが医者のゴーグルを弾き飛ばし、その生気のない目が顕(あらわ)になる。
「残念です。あなたの協力が得られれば、大きな力になったでしょう」
 別の少女が言った。
「機械は殺す」
 ひとみはそう言った。
「しかし、あなたのその左足は、義足なのでしょう。あなたも全身の幾分かは、機械なのではないのですか」
 また別の少年が言った。
「機械は殺す」
 ひとみはそれしか言わなかった。
「私、なにか嫌われるようなことしましたっけ?」
 少女が悪びれずに言った。
 義足だというその足で繰り出した蹴りが、医者の重心を僅かに崩し、そこを狙ってひとみのナイフが顎のあたりにえぐりこまれた。金属音というよりも幾分鈍い音がして、次の瞬間に不快な衝撃が走った。重い金属の塊が、ナイフから発生された電磁パルスによって無力化され、大きな音を立てて床に崩れた。
「機械は殺す」
 ひとみはピンクのパーカーのフードをおもむろに被って、ナイフを医者にグサグサと突き刺し始めた。
 その光景を見た子供たちが、数秒遅れて、悲鳴を上げる。


「機械保安法7条の4に基づき、緊急破壊措置を執行」


 五霊は曇天を見上げながら報告し、通信規制の解除要求を発信した。


6
最終更新日 : 2016-10-10 13:32:53

「この件は極秘だそうだ」
「モスチキン一つ」
「極秘にしろと言っているのは俺じゃなく局長だ」
「二つで手を打つよ、お兄ちゃん」
「打つな」
「でも私が言いふらしたらお兄ちゃん困るでしょう? 受益者負担だよ」
「マイナスがゼロになるのも受益か?」
 少し考えたが、マイナスがゼロになるのも受益だった。
 五霊はカウンターに行き、モスチキン追加の旨を伝え、金を払った。夜8時のモスは客もまばらだ。
 義手や義足、あるいはペースメーカーのようなものを入れている人間は、東京に何人いることだろう。それが全部アイリスに操作される潜在リスクがあるとなったら、もはやこの街を平静のままに管理することはできなくなってしまう。五霊は他人事のように思った。
 アイリスの言葉を思い出した。
 案外人間は、機械に頼って生きていることに、引け目を感じているのかもしれません。
 そうは思わない。機械は人間が作ったものだ。銃と同じだ。それを使うのに躊躇はいらないはずだ。
「そういえば、お前の脚も義足なんだって?」
「うん」
「知らなかったな」
「秘密にしておいてね」
「ああ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「お前、あいつらには何を言われたんだ」
「あいつらって?」
「昼間。アイリスの子どもたちに」
「わかんない。私、子供って苦手だから」
 お前も十分子供に見えるぞ、と五霊は思った。ひとみの舌がメロンソーダで緑色になっているのが見えた。
「どうしてお前は、操られることがなかったんだと思う」
「ああ、それは多分」
 田原坂ひとみは、ぐっと自分の片脚を持ち上げ、椅子の上で膝を抱えた。キュロットスカートの裾から、それで下着が見えるというわけではないのだけれど、つい五霊の視線は落ちる。あまり行儀の良い格好ではないと思った。
 ひとみは自分の足を、そっと撫でて微笑んだ。
「これはお兄ちゃんだから」
「は」
「機械のためじゃなくて、お兄ちゃんのために動くから」
 兄なのに、そんなことも知らなかったのですか、と言われた気がした。

 もうすぐ追加のモスチキンが運ばれてくる。それまで少しの間、ほんの少しの間、この愛すべき妹の、あるいは恐るべき狩人の、行儀の悪さは咎めずにおこうと、五霊は思った。


7
最終更新日 : 2016-10-10 13:52:12


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