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「お兄ちゃんどれにするの?」
 ひとみは、五霊(ごりょう)の袖を引きながら言った。五霊は目を細めてメニューを見る。ハンバーガーはどれも同じに見えた。
「お前は」
「クリームチーズテリヤキバーガーのオニポテセット、メロンソーダ」
 相変わらずの子供舌だな、と五霊は思った。
 田原坂(たばるざか)ひとみは、メロンソーダを飲むような年ではない。
 ないが、子供にしか見えない。
 頑なに制服を拒否して着ているピンクのパーカーにしても、子供料金余裕の背の低さにしても、やや舌足らずなしゃべり方にしても、人目を引く二つ結びも、なによりその、名前に負けない大きな瞳も。初めて会う人間は、彼女のことを中学生だと思っても仕方がないだろう。
「俺も同じの、コーヒーで」
 クリームチーズテリヤキバーガーは、実際美味かった。
「クリームチーズテリヤキバーガーはね、北海道産クリームチーズを使用しているんだよ」
「それでこんな高かったのか」
 会計の時、ファーストフードにしては高いな、と思った。
「ごちそうさまだよ、お兄ちゃん」
 しかしこうしてひとみの笑顔を見ると、五霊は満足した。ひとみの口の端にソースがついているので、ナプキンで拭ってやる。ひとみは顎を差し出してそれを受け入れる。
「クリームチーズでありながら、北海道産クリームチーズのさっぱり加減が効いているね。それにこのテリヤキソースも一級品だよね。隠し味に味噌が使われているんだよ。日本の調味料をうまく使って、アメリカ発のバーガー文化と調和させているんだね。お兄ちゃん知ってる? そもそもテリヤキバーガーを最初に始めたのはモスなんだよ」
 お前はモスの回し者か、と五霊は思った。
「私はモスの回し者だよ、お兄ちゃん」
 モスの回し者だった。
 モスバーガーの店内は、昼食時らしく満席だった。人間ばかりだった。コーヒーをすする。強いロースト感が鼻の奥に抜けた。
「私はね、たくさんある外食チェーンの中でも、モスバーガーを一番に信頼しているんだよ、お兄ちゃん。モスは台湾やシンガポール、香港を始めとしてアジアの各国で店舗を展開しているから、海外旅行をしてもいつも食べているよ」
 それはもう半端な回し者ではないな、と五霊は思った。
「海外旅行なんて行くのか」
 五霊は東京を出たことすら数えるほどしかなかった。
「学生時代はよく行ってたかな」
「何をしに?」
「何をって、お兄ちゃん、旅行だよ? 行く事自体が目的なんだよ」
「そういうものか」
「そういうものだよ」
「一番良かった旅行先は?」
「カンボジアかな」
「そりゃまたどうして」
「電波がないからだよ、お兄ちゃん」
 電波がない。それの意味するところが何か、想像できなかった。電気はあるのかな、と五霊は考えた。
「ただね、残念なことに、モスもないんだ」
「お前はモスの回し者か」
 モスの回し者だった。
 五霊は電波がない国について考えていたが、回し者は構わず続けた。
「モスバーガーの魅力といえば、その商品開発力だね。言うまでもなく、テリヤキバーガーとライスバーガーが二大発明だよね。エジソンで言えば、蓄音機と白熱電球みたいなものだね」
 エジソンと並び立つとは、モスも出世したものである。
「平賀源内で言えば、エレキテルと鰻」
 鰻は発明品ではない。
「テスラで言えば、地震兵器と殺人光線」
 五霊は無視した。
「さておき」
 さておくな。
「モスは日本人の主食である米で商品が開発できないか、と考えてライスバーガーを作ったわけだけれど、これはアメリカ資本のバーガーチェーンには絶対にできないことだよ、お兄ちゃん。日本人のための味、日本人の味覚にあった商品を出すハンバーガーレストランとして、創業以来六十年以上……」
 と。
 そこまで言ってから。
 途端にひとみが黙りこんだ。その目は宙をさまよう。
 五霊は立ち上がる。五霊も、ひとみが聞いたのと同じ声を聞いていたからだ。
「国道1号を南に十キロ、如月病院にてアイリス活動あり。急行せよ」
 オペレーターの声は頭蓋の内側から響いた。
 ここが電波のある国だからだ。
 ここが日本の中心、東京だからだ。
 続けて立ち上がった田原坂ひとみの瞳は、もはや少女のものではない。
 モスの回し者のものでもない。
 復讐に燃える、狩人のそれだった。


1
最終更新日 : 2016-10-03 21:51:59

 オートバイの赤色灯とサイレンを入れた。自動車の間をすり抜け、信号を遵法に無視しながらかっ飛ばす。
「1300、如月病院二階北ホールにて、患者に紛れ込んだ機械が職員に暴行。監視カメラ映像からアイリスと判定。映像では単独。複数体の可能性もあり。1310、半径二キロ圏内を機械保安法に基づく警戒地域に指定、通信遮断」
 いま、如月病院とその周辺はグレイアウトされ、あらゆる通信手段が奪われている。マイクロ局は公安の発令でオーバーライドされ、妨害電波を垂れ流し、フレームを迷走させている。これは、日本がインターネットを捨てられないかわりに、東京市に実装されている防衛手段。気休めだ。
「入院患者は」
「約400名。うち、医療機器の停止によって重篤な影響を受ける恐れのある患者は20名。また、補助人工臓器を利用している通院患者がこちらも20名。半数の避難を確認できず」
「そんなに多いのか」
「如月病院は心臓外科の手術実績多数。特に小児」
 機械なんて人間が作ったものだ。それなのに、言うことを聞かせるのにこんなに苦労する。
「五霊、田原坂両名、警戒地域入る。通信終了」
 通信終了というよりも、それは通信途絶だ。バイクが見えない境界線を突き破ると、一切の通信が切断され、頭のなかに声は聞こえなくなる。五霊の意識に入ってくる雑音は、バイクの走行音と、風と、背中にしがみつくひとみの体温だけになる。


2
最終更新日 : 2016-10-04 22:24:42

「誰も居ないね、お兄ちゃん」
「二階の人質以外の避難は終わったって言ってたな。まあでも、一階も一応見て回るぞ」
「二人きりだね、お兄ちゃん」
「そうだな」
「お父さんとお母さん、今日は遅くなるって、言ってたね」
「言ってないし、いない」
「この部屋、なんだか暑いね」
「適温」
「さっきの話の続きなんだけど、いいかなお兄ちゃん」
「部屋に二人きりの時に兄に迫る妹の話以外ならなんでも良いぞ」
「さっきの話に戻る前に言っておくけれど、私はお兄ちゃんを誘惑する女を許さないよ」
「はやくさっきの話に戻ってくれ」
「お兄ちゃんを誘惑したあいつは絶対に許さない。あいつのせいでお兄ちゃんが」
「たのむ」
「それはさておき」
「よし」
「良いかなお兄ちゃん、ここで電磁爆弾を動作させると、何体いるのか知らないけれど機械は一瞬で全滅させることができる。だけれども、有効範囲半径200メートルだから、人工呼吸器や人工心肺や人工透析みたいな生命維持装置がないと生きられない入院患者、それから電子的に動作するペースメーカーみたいな補助人工臓器を使っている患者も、巻き添えで、死ぬ。不祥事続きの公安局としては、現時点でそのリスクを取ることはできない、という話なんだけれど」
「それは、部屋に二人きりの時に兄に迫る妹の話ではないよな」
「違うね、お兄ちゃん」
「なら大丈夫だ」
「私、思うんだけれど、つい思ってしまうんだけれど、地球全体に電磁爆弾をくまなく落とせば、機械は一気に全滅させられるんじゃないかな」
「人類文明も崩壊する」
「昔はなんとかなっていたんなら、今度もなんとかなるんじゃないかな」
「少なくともモスは食べられなくなるな」
「それはとても厳しいね、お兄ちゃん」
「耐えられないだろう」
「けれど、お兄ちゃんのためを思えば、私モスを1週間くらいなら我慢できるかな」
「短いな」
「じゃあ3週間で手を打つよ、お兄ちゃん」
「打つな」
「アイリスの機械だけを殺すのって、爆弾にはできないんだ。まるでゲリラ戦だね」
「そうだな」
「でもねお兄ちゃん、良いこともあるんだよ」
「何だ」
「偉い人が地球全体に電磁爆弾を落とさないことによって、実は良いこともあるんだよ」
「何だ」
「私たちみたいな者が、必要になる」
「なるほど」
「私がこの手で機械を殺すことができる」
「相変わらずお前はやる気があるな」
「私がこの手で機械を壊すことができる」
「そうだな」
「私は機械を許さない。絶対に許さない。一体残らずこの手で破壊する。私がこの手で破壊することができる。機械は殺す。殺さなければならない」
「……あっちに誰か倒れてるな」
「機械に頼らないと生きていられない人間は、機械と一緒に死んでしまうのも仕方ない」
「さすがに無茶だ」
「腐ったみかんは捨てないと」
「パンを捨てたらバーガーが成立しなくなる、ということもある」
「ライスバーガーもあるんだよ、お兄ちゃん」
 ひとみがそう言いながら、診察室にうつ伏せで倒れていた女を引き起こすと、瞬間、脳内にオペレーターの声が響いた。
「監視カメラ映像でアイリスと判定された機械です」
 通信ではなく、事前に送られていたデータに基づく音声だ。
「お兄ちゃん、この女の人、人間だ」
「……は?」
 五霊と同じ音声を、ひとみも聞いたはずである。運動データに基づくアイリス判定精度から言って、間違えるということはありえない。だが、ひとみが間違えるということも同時にありえない。
「人間だよ。全然機械のにおいがしない。お兄ちゃんもかいでみる?」
「いや……」
 若い女である。服装からして、病院職員ではなく患者だ。
 職業柄、人間そっくりに作られたロボットをよく見る。しかし、いかに最新の技術であっても、完全に人間と見分けがつかない機械はまだ作れない。困難な点は二つ。動き方と目だ。人間とロボットの動き方はやはり、違う。目も、違う。若い女は目を閉じて動かない。だから見た目の限りでは、その女が本当に人間なのか、あるいは機械なのか、五霊にはわからない。
 だがひとみが人間だというからには人間なのだろう。
「ほとんど生身の人間だよ。気絶してる。人間のにおいがする。お兄ちゃんほどいいにおいじゃないけどね」
 五霊は無視した。ひとみは女の身体を一通りまさぐり終わると、部屋の脇に寝かせ、立ち上がる。彼女は五霊の首筋のあたりに顔を押し付け、ふんふんと嗅いだ。
「やっぱりお兄ちゃんはいいにおいがするね。これはきっと、日本人の味覚に合わせて」
「さっき食べたテリヤキだろうが」
 五霊は無視できなかった。ひとみの身体からは甘い洗剤のにおいがした。
「お兄ちゃん知ってる? テリヤキバーガーをモスが発売するまでは、テリヤキといえば、ぶりの照焼みたいな、あの味を誰もがイメージしたんだよ。モスは言葉の意味さえ変えてしまったんだね、お兄ちゃん」
 五霊はモスの回し者を無視した。
「ん、『ほとんど』生身って、どういうことだ」
「右手が義手みたい」
 なるほど、精巧なものだ。遠目ではわからない。
「行くぞ。二階を調べよう」


3
最終更新日 : 2016-10-05 23:47:13

 階段を登ったところに、男が立っている。手術着のような白衣を来て、医療用ゴーグルにマスク、手袋までした、まさに手術中と言った具合の男だった。顔色が悪い。
「公安の方ですか」
「そうです」
 五霊は医者の存在を訝しんだ。こんな場所に一人立っている意味がわからない。
「奥のホールで、子供たちが、ここの患者なのですが、なんというか……人質に取られています。公安が来たら連れて来い、と言われました」
 不自然な立ち位置の理由はそれで知れた。患者を人質に取られ、歩哨兼メッセンジャーにされているというわけか。
「子供が人質ですか。機械は何体ですか」
「それが……」
「いや、答えなくていい。案内してください」
 男が言いよどむのを見て、五霊は質問するのをやめた。口止めされているのかもしれないし、この会話も監視されているかも知れない。
「こちらです」
「あなたは」
 歩き出し始めたところで、ひとみが口を開いた。
「あなたは、心臓外科医ですか」
「ええ、そうですが」
「あなたの患者というのは、心臓疾患の子供たちですか」
「はい、そうです」
 ひとみはそれきり黙った。


4
最終更新日 : 2016-10-08 22:02:11

 二階のホールに入ると、そこには異様な光景が広がっていた。
 子供たちがずらりと並んでいる。
 十数人いる。
 年は一見して小学校低学年くらいから、大きい者は中高生くらいに見える。
 どれも一様に無表情で静止しており、ホールに入ってきた俺達に視線だけが向いていた。
 五霊の脳が回転する。さっき医者は子供たちを患者と言った。人質と言った。だが、これは異様である。子供たちは縛られたりしていない。人質という状態には見えない。なにより、犯人であるところの機械がどこにも見当たらない。
 子供の機械というものはあるだろうか。まあ、あるだろう。子供の姿形で作られたロボットというのはかつてたくさんあっただろうし、機械――違法な未回収品も、当然あるだろう。つまりそれを患者とすり替えた? 馬鹿な。あるいはこの中に一体だけ、機械が紛れ込んでいる? それならありうるか。どれだ。しかしそもそも……どうやって脅しているというのだ?
「子供だね、お兄ちゃん」
 ひとみがつぶやいた。
「ああ」
「私ね、子供って苦手なんだ」
「そうか」
「だから、この場は一旦お兄ちゃんに任せるから、私は病室を」
 ひとみの言葉は途中で宙に消え、乾いた音がバツンと鳴った。
 瞬間、五霊は銃を医者に突きつけながら、左手で医者の引きつった腕を捻り上げる。ひとみは受け身を取ることなく床に崩れ落ちる。ピンクのパーカーが床に広がる。花弁のように。血だまりのように。
「脅されたんです!」
 医者は悲痛な叫びを上げ、スタンガンを取り落とす。昏倒したひとみの上に落ちたそれは、対人用のスタンガンである。公安局機械課が使う、対機械用とは似て非なるものだ。
「こうしないと、子供たちを全員殺すと」
「まて!」
 その子供たちが、一斉に動き出し、5人がかりでひとみの身体を器用に担ぎあげ、どこかに運ぼうとする。混乱しながら喚く医者を突き飛ばす。ひとみを追おうとする五霊に、別の子供たちの集団が立ちはだかり、進路を妨害する。
「クソっ! 何だお前らは」
 子供たちは一斉に身体にまとわりつき、相撲のように押してくる。意外なほどの力に恐怖すら感じる。五霊は子供たちをひとりずつ掴んで転がす。だが10人ほどを処理した時にはすでに、廊下の先、病室の扉が閉まるところだった。

 病室の扉はロックされている。
 たぶん空調機が発する、無機質な音が脳の隙間に割り込んでくる。

 振り返れば子供たちは無表情でこちらを見ており、医者はマスクとゴーグルの間に覗く顔色が一層悪く、幽霊のように左右に揺れて、まるで生気が感じられなかった。
「誰に脅されたんだ」
 五霊は再び銃を向けて言った。
「その……子供たちで……」
「はあ? ふざけてるのか」
「い、いえ、その」
「これはなんだ」
 その問は誰に向かうでもなかった。
「これは一体なんなんだ」


5
最終更新日 : 2016-10-10 13:06:02


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