目次
序・「あぶくま」の神性
1 越後から阿武隈へ
越後で学んだこと
「桃源郷」の意味
侵略者を神と崇める
2 阿武隈梁山泊人物録
登場人物の紹介
生まれて初めて家を建てた
モリアオガエル同棲計画
3 阿武隈での生活が始まる
テロリストと呼ばれて
村と東京電力との関係
イモリの代弁者になる
4 巨大風力発電施設計画の悪夢
母の死
井戸掘り
巨大風車建設計画
風力発電の不都合な真実
5 山が破壊される
村長は知らなかった
村を二分する対立が再び
平気で嘘をつく人たち
6 ウィンドファーム建設阻止に奔走する
福島県に要望書を提出
秋山豊寛さんと会う
顔も見せなかった県の責任者
7 裏山は守られたが……
水俣市長と話す
加藤登紀子さんと経産省を訪ねる
村長がついに受け入れ拒否を表明
8 それぞれの田舎暮らし
それぞれの「田舎暮らし」
きのこ里山の会とカエル神社プロジェクト
亜鉛閣と蝉鳴寮
仕事ができる大人が移住してくることが不可欠
9 過疎地での文化活動
過疎地でアーティスト活動はできるのか
阿武隈の狛犬たちを全国に紹介
タニシ倶楽部と阿武隈アートトイレプロジェクト
まずは自ら楽しむ
10 原発爆発
巨大風車に囲まれて
そして3・11
原発爆発
神宮寺で一泊
川崎へ避難
11 情報錯綜の中で
放射線量計を買う
完全に情報孤児となっていた周辺自治体
ネットだけが頼りだった
20km、30kmで区切られたことによる混乱
一時帰宅
12 全村避難中の村に戻る決意をする
あのとき誰がどう行動したか
20km、30km境界線をめぐる混乱
阿武隈に戻る決意を固める
13 「緊急時避難準備区域」での生活
全村避難直前の飯舘村に行く
「出世した」ジョンと取り残された犬猫たち
賠償金バブルが始まる
帰村派と避難継続希望派の対立
14 村が変わっていく
村の空気が変わった
復活の米の顛末
「避難者」も事情がいろいろ
移住先を探す
15 阿武隈を去る決意
引っ越し
モリアオガエル
福島は「フクシマ」を忘れたいのか?
二つの映画
16 梁山泊の果て
梁山泊の行く末
さらばタヌパック阿武隈
「フクシマ」の問題とは何だったのか
「フクシマ」の中で生き抜くために
奥付

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1 越後から阿武隈へ

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越後で学んだこと

越後で学んだこと

 

 2004年年末、私たちは越後から阿武隈への引っ越しを決行し、新しい家で新年を迎えた。

 家を修繕しながら12年過ごした越後の山村から、さらに交通の便が悪い阿武隈山中に移ってきて、改めて越後時代に何を学んだのかを振り返ってみた。

 越後の12年でいちばん違和感を覚えたのは、意味のない公共事業が平気で行われていたことだった。

 小高集落は家が二十数軒しかなく、そこから先には人家がないどん詰まりの場所だったが、そんな集落にも、最初から水道と都市ガス(!)が引かれていた。

 水道はまだしも、都市ガスは理解に苦しんだ。プロパンでいいではないか。長い距離、ガス管を引っ張ってくる意味があるのか。

 さらに呆れたのは、家を購入した翌年、本下水道工事が始まったことだった。

 山奥だから土地はいくらでもある。合併浄化槽を入れて自分の土地に放流してもいいし、土壌浄化という方法もある。

 実は、引っ越してすぐにやったことは、溜め込み式の便所を水洗化することだった。そのために、『エントロピー読本』という本に紹介されていた土壌浄化層というものを作り、自分の土地の中で汚水処理を完結させた。

 人間の排泄物は毒物ではない。土に接触する時間を確保してやれば、土壌バクテリアやミミズがきちんと分解してくれる。排水を工夫して、地表から浸みだしてこないようにすれば臭気も出ない。

 この方法で、何の問題もなく水洗トイレにすることができていたので、本下水が来ても接続しなかった。接続はしなくても、集落の人たちや行政との軋轢を避けるため、本下水の接続枡だけは設置した。なんの意味もない下水枡を設置するための費用は20万円だったが、下水処理場からこの山奥の下水枡にまで延々とパイプを敷設するために一体どれだけの税金が使われたのか。

 こんなことを続けていていいはずがない。私は地元の人たちとお茶を飲むたびにそう主張した。

 越後の人たちはみんな穏やかで、私の話を「本当にそうだ。おかしい」と頷いて聴いてくれたが、それで何が変わるわけでもなかった。

 また、時間が経つにつれ、周囲の環境が少しも「自然豊か」ではないことに気がついた。

 家の周囲は田畑と杉林なのだが、杉林は荒れ果てて陽光を遮り、野生生物の生活環境も奪っていた。

 都会人は森の緑を見て「自然」というが、人工林の山は自然ではない。田畑と同じで「工作物」だ。

 杉林の場合、通常、1ヘクタールあたり3000本の苗木を植えるが、これを最終的には500~600本にまで間伐しながら育てる。最初から「適正数」で植えると木はのびのびと育ち、均一な太さにならない。木にとっては、枝を奔放に張り、幹は下が太く上に行くにしたがって細くなる育ちかたがいちばん健康で倒れにくい。しかし、材木にするためにはそれではまずいから、わざと密に植えて、自然樹形に育たないようにするわけだ。

 これは、ブロイラーや肉牛、乳牛の飼育と同じで、生物学的には奇形に近いものを人工的に「生産」しているのであり、「自然」ではない。

 戦前戦後を通じて、日本中で天然林(雑木林)が皆伐され、スギ、マツ、ヒノキなどの材木用の針葉樹に植え替えられた。しかし、それらの人工林が材木を産出する前に、海外から安い材木が輸入されるようになって、日本の人工林は間伐もされないまま放置された。

 人間の営みも「自然」の一部なのだとすれば、極めて短い間に日本列島から天然林がほぼ消滅し、売り物にならない人工林だらけになったことも「自然」のうちということになる。

 しかし、知恵を使い、合理性を重視すれば避けられる過ちを続けることは「愚行」と呼ぶべきだろう。

 2004年10月23日、越後の我が家を震度7の激震が襲い、二十数戸の小高集落は、道路が寸断されて孤立した。

 水道、都市ガス、本下水といったインフラはすべて壊滅状態。これがもし、井戸、プロパンガス、浄化槽であれば、生活はすぐに立て直せただろうが、過疎地に合わないインフラだったために、復旧は絶望的だった。

 町(当時は北魚沼郡川口町)は集落に対して「インフラを回復させないでよければ、道路はすぐに復旧させる。しかし、元通りに都市ガスや本下水を敷き直すなら、当面手をつけられない」と通告した。

 道が通れないままではどうにもならないから、集落としてはその条件をすぐに呑んだ。

 その後「元の土地に家を建てない、そこに住まない、という条件であれば、移転用の代替地を町が用意して提供する」という提案も受け入れ、集落は早々と集団移転を決めた。

 住民票を移していなかった私たちは「別荘の人」という扱いで、単に家と土地を失っただけだった。

 中越地震ではあちこちで土砂崩れが起きて道路が寸断されたが、崩れた山はほとんどが荒れた杉林だった。スギは根を深く張らないから、地盤が弱く、保水力もなくなる。もともとの雑木林ならば崩れなかった山はたくさんあったのではないか。

 さらには、木の実など、野生生物にとっての食物も生産しないので、野生生物が食べ物を求めて里へ下りてきて人間と衝突する。

 中越地震で身を持って学んだことは「理念や合理性のない公共事業は必ずしっぺ返しを食う」ということだった。

 中越地震から10年が経ったが、今でも越後の人たちとの交流は続いている。先日も、越後の家の元家主・Oさんから魚沼コシヒカリが送られてきたので、お礼の電話をかけたところ、誰もいなくなった小高集落周辺では、目的の分からない公共工事が続々と行われているという話が出た。必要だからやるのではなく、金を使うことが目的の工事。お金が落ちて幾ばくかの利益を得る現地の人たちでさえ「でたらめだ」と呆れる「公共」事業が、今も日本中で行われている。

 東日本大震災後、政府は「復興予算」として19兆円という途方もない金額を計上し、各省庁はそれを奪い合った。内訳を見ると、東北支援、東北復興とは何の関係もなさそうなものがぞろぞろ出てくる。

 例えば、文部科学省は国立競技場の補修に3億円を計上。農林水産省は調査捕鯨での反捕鯨団体の対策費用に22億円。経済産業省は「国内立地補助金」として3000億円を割り振られたが、実際に使われた事業総数510件のうち被災3県(岩手・宮城・福島)の事業はわずか30件だった。

 コンタクトレンズメーカー(メニコン)岐阜工場の製造ライン増設への補助金にも「復興予算」が使われたが、理由は「売上げが伸びれば被災地である仙台の販売店で人を雇用できる」というものだった。

 要するになんでもあり。その金は、言うまでもなくすべて税金である。

 こういうでたらめは、昨日今日、急に通用するようになったわけではない。今まで長い間、日本中で通用してきたからこそ、税金を扱う者たちの感覚がここまでおかしくなってしまったのだ。

 

  ▲中越地震で完成したばかりの本下水道はすべて使えなくなった

 

  ▲中越地震後の越後の我が家

 

 

  ▼翌年の春、雪の重みで完全につぶれてしまった我が家


最終更新日 : 2016-09-26 22:15:36

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「桃源郷」の意味

「桃源郷」の意味

 

 越後から川内村に移ってきたとき、最初に感動したのは山の美しさだった。

 荒れた杉林だらけの越後の風景とは違って、川内村に入ると、雑木林があちこちにあり、その風情に心打たれた。

 初めて物件を見に行ったとき、川内村に入った途端に周囲の風景が変わったことを感じた。

 それまでは、日本中どこにでもある杉林の風景だったのが、紅葉の雑木林が右に左にと現れる。その下を縫うように流れる沢がまた素晴らしい。思わず「きれいだね~」と声を上げたものだ。

 越後の家の周囲と何が違うのだろうと考えてみると、要するに雑木林が残っているかどうかという違いだと気がついた。

「潜在自然植生」という言葉がある。人間が手を加えずに放置した土地では最終的にどのような植生になるか。その道の研究では第一人者である宮脇昭氏(現在は地球環境戦略研究機関国際生態学センター長)の調査によれば、阿武隈山系は概ね主木(上層)はブナで、下層はスズタケ(笹の一種)らしい。

 しかし、F氏が桃源郷と呼んだ川内村にもブナを中心とした天然林はほぼ残っていない。アカマツ、カラマツ、スギなどが植えられた人工林と、皆伐~自然回復を繰り返している雑木林が混在している。

 よく見られるコナラやクヌギなどが主体の雑木林は、潜在自然植生を形成するごくごく幼年期にすぎない。宮脇氏に言わせれば、壮年期になる前に皆伐を繰り返し、永久に幼年期のままの雑木林はまだまだ人工林の一種ということらしい。それでも、雑木林は野生生物に食物を提供するし、数十年経過すれば保水力や地盤の保持力も杉林などよりはるかに優れる。

 購入した小さな家は、両側を国有林に挟まれていた。沢が流れている南東側はカラマツ林、道を隔てた北西側は若い雑木林。カラマツは落葉するので、引っ越したときはどちらの林も木々は葉を落としていたが、落葉した林というのも美しかった。

 年末、雪が降って、30センチ以上積もった。

 越後の雪に比べれば全然大したことはない量だが、いつまで待っても除雪車がやってこないことに気がついた。越後では、一晩で1メートル積もっても、翌朝10時までには除雪車が来て完全除雪してくれたのだが、どうやらこの村には公共での除雪というのはないらしいと知った。

 それでも、雪に閉ざされた小さな家の中で、私たちは幸せを噛みしめていた。

 無理をしてもここを買ってよかった。ここで死ねるならいい人生だ。

 

  ▲引っ越してすぐに大雪に見舞われた

 

  ▲車庫からぶら下がる雪

 

  ▲雪を珍しそうに見ている愛兎・ゴロ

 

 ところが、そんな幸福は数日で終わった。

 まだ松も取れない正月3日。後ろにチェンソーを何台も積んだ四輪駆動車が数台やってきた。

 雑木林を皆伐するのだという。

 この雑木林に惹かれて無理をしてこの家を買った私たちとしては、まさに青天の霹靂だった。

「伐ってどうするんです?」

「そんなことは知らん。俺たちは仕事だから、あそこを伐れと言われたところに出向いて伐るだけだ」

 この人たちと話をしても意味がない。すぐに営林事務所にメールした。

 数日後、営林署の担当者が二人でやってきた。

 林の伐採権はすでに業者に落札されているので、どうしようもないという。

「こんなすぐそばに家があるとは知らなかったんですよ。伐採しないと決めることは簡単なので、家があると知っていればやめていたのに」

 気の毒そうな顔でそう言う職員に、「伐ってどうするのか」と訊いてみた。

 雑木だから材木にはならない。細かく砕いてチップにするという。つまり、燃やすわけだ。

 今の世の中、木質燃料が必要なわけでもないし、それで儲かるわけでもない。でも「そう決められているから」やるのだという。雑木林は他にいくらでもあるから、別にここを伐らなければならないわけではない。でも、もう売ってしまったので、今からではどうにもならない──そう説明された。

 このとき、F氏が言っていた「川内村は桃源郷」の意味が、少し分かった気がした。要するに、川内村は広くて人がいないから、手つかずの場所が他に比べて多い、ということにすぎないのだ。

 川内村の面積は千代田区の17倍ある。関西の人には、西宮市の2倍と言ったほうが分かりやすいかもしれない。その面積のほとんどが山で、住人は3000人足らず、家は1000戸に満たない。

 山をひとつ丸裸にしても、人も車も通らない無意味な道を造っても、全体が広いから目立たない。たまたま手をつけていない場所を見ている限りは、自然がいっぱいだね、きれいだね、ここだけは他とは違う別天地のようだね……と思う。それだけのことだったのだ。

 

  ▲チェーンソーを積んだ車がやってきた(2005/01/03)

 

  ▲この雑木林を皆伐するという

 

 

 両側が国有林だということで、私たちは安心していた。国有林なら簡単に売り飛ばされたり伐られたりすることはないだろう、と。その認識がいかに甘かったか、いきなり思い知らされたわけだが、目の前の雑木林を、そうやすやすと丸裸にされてはたまらない。

 考えた末に、一休さんのような頓知で対抗することにした。

「分かりました。では、木が伐られることには何も言いません。でも、伐った木を運び出すのに、我が家の前の道は使わせません。この道は私道で、うちの所有地ですから、そう言う権利はありますよね?」

 結局、雑木林は伐られずに済んだ。

 うちの土地を通さずに木を運び出すとなると、新たに迂回路を切り拓かなければならない。雑木を伐ってチップにしたところで、もともとほとんど儲けなど出ない。そこまでしてやる意味がない、ということで、業者が落札の白紙撤回を申し出たのだ。

 妻は、残った雑木林の木、一本一本に抱きついて喜んだ。

 阿武隈に移り住んでいきなり経験したこの事件を通じて、田舎に住むことは、自然を相手にするよりも、人間を相手にした闘いの連続なのだということを学んだ。

 

 そのことは、3・11後にはさらにはっきりと思い知らされることになる。

 例えば、2011年、原発人災で汚染された村として一気に有名になった飯舘村に「除染部隊」の先遣隊長役で乗り込んできた田中俊一氏(原子力委員会委員長代理、日本原子力学会長、日本原子力研究開発機構特別顧問などを歴任した後、2012年に原子力規制委員会の委員長に就任)は、汚染度合が高い長泥地区の区長の家に乗り込み、困惑顔の区長にこう言った。

「産廃場みたいなものを作って……ね……。除染すると、多分、飯舘だけで考えても(放射性物質が濃縮された土やゴミが)何百万トンって出るんですよ。そうすると谷ひとつくらいは埋まっちゃうんだよ、フフフ(薄笑い)。でも、これだけ広いんだから、どっかの谷を……あの……村で確保してもらえれば……。全部こういうの(放射性ゴミ)集めて、どこかにまとめて処分できるようにしないといけない。今のまま何もしなければ、帰って来れないんですよ、本当に」(『NHKスペシャル 飯舘村~人間と放射能の記録』)

 手つかずの自然が残っている過疎地は、ある種の人たちの目には「金さえ出せば迷惑施設候補地として利用できる」と映る。「桃源郷」にはそうした危険が常に迫っているということを、今ははっきりと認識できる。

 

 


最終更新日 : 2016-09-26 22:21:32

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侵略者を神と崇める

●侵略者を神と崇める

 

 人間を相手にした闘いがやっかいなのは、自分もまたその人間の一人であり、人間社会の中で生きていかなければならない、という点だろう。

 田舎暮らしを経験した都会人の多くは、田舎の人たちの精神性を理解することの難しさを口にする。

「田舎の人は訪問者にはものすごく親切だけれど、そこに移住して住み始めた途端に、掌を返したように冷たくなる」

 そう語る人もいた。母がよく口にしていた「田舎の人たちはずるい」という言葉にも、そういう意味合いが含まれていたのかもしれない。

 もちろん、田舎の人たちは自分たちが「ずるい」生き方をしているとは思っていないだろうし、実際に、みな親切で「いい人」たちだ。

 私たちにとって最初の田舎暮らしは越後での生活だったが、越後時代には人間関係において嫌な体験はまったくと言っていいほどしなかった。これは越後の人たちの気質が素直なこともあったが、私たちが最後まで「別荘の人」、つまり、移住者ではなく訪問者の範疇で扱われていたからかもしれない。

 川内村という新天地ではどうなのか?

 暮らし始めたときは、やはり緊張した。

 幸い、我が家は山の中で、近所と言えるのは奥に住む老夫婦と、反対側の家の2軒だけ。どちらもとてもいい人たちで、最初から仲よくおつきあいさせてもらった。

 しかし、村全体、あるいは東北の田舎という大きなくくりでの人間社会を俯瞰したとき、そうそう簡単な図式ではないことは次第に分かってくる。

 これは実に複雑な、かつデリケートなテーマなので、時間をかけて書いていきたいが、まずはその入り口として、シンボリックなことをひとつだけ取り上げてみたい。

 不思議なことに、「阿武隈山地」「阿武隈川」という名称はあるのに、阿武隈を名乗る市町村はない。

 川内村の西隣りは田村市だが、田村市は2005年に、大越町・滝根町・常葉町・船引町・都路村5町村が合併してできた。それまでは、この5町村と小野町、三春町の7町村が「田村郡」を形成していた(小野町と三春町は今でも田村郡)。

 地理的にはまさに阿武隈山地の中心部を形成しているのが「田村郡」だったわけだ。

 私は狛犬が好きで、よく神社を巡るのだが、東北には「田村神社」という神社もある(よく知られているものは仙台市に1社、郡山市に2社)。主祭神は坂上田村麻呂だ。

 田村麻呂といえば、説明するまでもなく、大和朝廷が東北を征服したときの最高司令官。東北の先住民たちにとっての征服者が、阿武隈山系の中心部に位置する市や郡の名前になり、神として神社に祀られているのだ。

 これはどういうことなのか?

 東京なら、千代田区が「マッカーサー区」と名づけられ、靖国神社にマッカーサーを祀っているようなものではないのか?

 私はこの話をよくするのだが、同調するのは東北とは縁のない都会人ばかりで、東北に住む人たちの多くは曖昧な笑みを浮かべて聞いているだけだ。

 田村麻呂が率いる大和朝廷軍と戦った蝦夷(この呼称も屈辱的なので使いたくはないのだが)のリーダー、アテルイやモレは日本史から消され、テレビの歴史ドラマの主人公になることもまずない。(これを書いた後でNHKがBSで『アテルイ伝』というドラマを放送したが、地上波ではやらずじまいだった)

 アテルイは朝廷軍と話し合うために向かったところを騙し討ちされて首をはねられたと伝えられている。そんな歴史を「なかったこと」のようにして、征服者の先遣隊長の名前をありがたくいただいて地名や神社の祭神にしている東北という地はどうなっているのか?

 母は「田舎の人たちはずるい」と言っていたが、その人たちを利用し、懐柔する術を身につけている者たちはさらに「ずるい」、いや、凶悪と言ってもいいのではないか?

 阿武隈に移り住んだ当初から、私の頭の中にはそんな思いが巡っていた。

 原発人災後の今、目の前で展開されている光景を目の当たりにして、その思いはさらに強まり、かつ混乱させられている。

 

 最近、川崎市にあった旧仕事場を処分するために荷物を整理していたのだが、天井裏から、若い頃に書いた小説原稿がいくつか出てきた。(↓)

 

 

 その中に『鐸の音(ね)流るる丘に』という100枚の作品があった。

 これは第6回小説新潮新人賞に応募した作品で、原稿と一緒に応募する際の「梗概」も添えられていた。ここにそっくりそのまま抜き出してみる。

 

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 縄文時代末期、西日本のある場所に、タクの村という不思議な村があった。その村の丘の上には、「タク」と呼ばれる奇妙な生命体が鎮座しており、精神波のようなもので村人たちに語りかけたり、気ままに音楽を奏でたりしていた。

 このタクの音に呼び寄せられ、世界中から集まって来た人々は、他の部族よりもはるかに長生きで、頭もよかった。

 しかし、大陸から進入してきた「利口の民」(天孫族)が、列島の武力統一を図り、次第に勢力を東に伸ばすのに追われ、タクの村人たちは、タクと共に東ヘ逃れた。

 タクの村の隣に住むクズ族の少年コロタは、タクの村人の一人タイジとクズ族の女の間に生まれた混血児である。コロタはタクの村人たちが去った後、クズ族をまとめ、「タクの教え」を説くための旅に出る。やがて、コロタの布教に応えて、タクの姿に似せた銅鐸を祀る村が増えたが、平和主義のそれらの村は、利口の民の騎馬軍団の前に、いとも簡単に攻め落とされた。コロタは失意のまま故郷に戻った。

 利口の民が、ついにコロタの故郷にも攻めて来た。対決するコロタ。そこに、百年前、姿を消したタクが戻って来た――。

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 内容をすっかり忘れていたが、読み返してみるとなかなか面白かった。

 小説の最後、長老となったコロタに村人が問いかけるシーンがある。

 

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「タクは一体おらたちに何を伝えたかったんじゃろか?」

 コロタは、またしばらく考えてから、こう答えた。

「海の心かなァ」

「海の心?」

「んじゃ。海は大地の偉大な濾過装置じゃ。河がどんなに汚れても、海は何も言わずその流れを受け止めて、清めて、また雨に戻してくれるべ。わしらの心の中にも、そんな海みたいな濾過装置が必要なんじゃ。利口の民のように、すべてを支配したいという欲を、どこかで受け止めて鎮め、濾過する『心の海』じゃな。そういうもんがなければ、わしらはいつかこの世界から孤立して、濁った水たまりみたいになっちまうんじゃねえがなあ」

「そして、誰も海を支配することはできんっちゅうことでっしゃろか?」

 コロタはその質問を頭の中で反芻していたが、答えられなかった。

 利口の民の巨大な槍は、いつか偉大なる海をも殺してしまうかもしれない。そんな気がしていた。

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 この小説を書いたのは1988年。およそ4半世紀前。私はまだ30代前半だった。

 自分が将来、阿武隈の地へ移住することも、そこで原発人災に巻き込まれることも予想できなかった30代の私だが、縄文文化への共感や、東北の地で死ぬことへの予感のようなものを抱いていたらしいことが分かる。

 事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、私は今、この手の小説を書く気になれない。目の前の現実のほうが、フィクションよりもはるかにとんでもないことになっているからだ。「利口の民」──支配者層の「巨大な槍」は暴走をやめない。偉大なる海をも殺そうとしている。それがいかに無益で虚しいことか、誰もが心の奥では理解しているだろうに。

 

 自分が今生きている現実という生の物語には、どんな結末が待っているのだろうか。

 

 

 

 


最終更新日 : 2016-09-26 22:21:51