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「法」を生かす、今考えられる、唯一の策

 石原慎太郎さんが都知事であった時、衆議院に設置された「国会等の移転に関する特別委員会」に対して、『首都とは何か。首都の定義を示されたい。』と、4項目にわたって、文書で質問状を出しました。

 

 これに対して、同委員会から、首都とは、

  天皇の住む都市

  国民主権の立場から、国会が置かれている都市

  行政・司法・国会等の機関が置かれ政治経済の中心となる都市

  中央政府のある都市

   と、言われているがはっきりとした定義はない、というまことに珍妙な回答が返ってきました。

 

  面白いことに、

  今でも、京都の人たちの中には、日本の首都は京都であると信じて疑わない人々がいるというのです。

  天皇さんのご本宅は京都御所、東京にある皇居は仮御所くらいに考えているというのです

 

 それまでの住まいであった京都御所をご出立なされた明治天皇は、1869(明治2)年3月28日、前年7月17日に江戸から東京と名を改め、それまで江戸城と言われていたその城にお入りになられました。

 以後、その城は、将軍の住まう城から、天皇がお住まいになる「皇城」と改められました。

 その後、「宮城」、今は、「皇居」と、その呼称は変わりました。

 

 京都人の言い分の根拠は、まさにこの時点にあるのです。

 すなわち、天皇さんはこの時、「遷都の詔勅」を発してはおらない、つまり、都は、794(延暦13)年に桓武天皇が発した平安遷都の詔勅のままであるというのです。

 

 正式な手続きを経ていない「東京遷都」である以上、京都人はそれを認めないと言っているのです。

 

 しかも、明治天皇は、京都を旅立つ時、お側に仕えていた人々に対して、「ちょっと行ってくる」と仰られて出かけたと言われています。

 それをもって、京都人は、明治天皇の東京行きは、「遷都」ではなく、「行幸」であると考えているのです。

 

 あれから150年近く経ってもそう考えているというのですから、実に面白いことです。

 

 

 衆議院設置の委員会から都知事にあてた回答にも、明確な定義はないとありましたが、内閣法制局長官もまた、後日、今度は参議院での答弁で「東京が日本の首都であるというそういう確信は、これは日本国民だれもが疑いなくそう信じていることであろうと存じます。」と述べています。

 

 つまり、日本には、首都として東京を定めるという法律がないのです。

 

 今、日本政府は、世界に向かって、「法の支配」と「力による現状変更は認めない」ことを声高に訴えています。

 

 京都人が、政府の言う「法の支配」を言い立てて、延暦の昔より、都は京都なりと強弁するとは思えませんし、ましてや、力づくで現状変更するとも思えませんが、広い世界の中には、強弁と武力にものを言わせて法を踏みにじる国もあります。

 

 法は、人の作ったルールに過ぎません。

  ですから、いかようにも解釈が可能なのです。

 

 「基本的人権」を一方で明示し、同時に、「公共の福祉」で個人の権利を制するのが法なのです。

 

 しかし、思想や体制の違い、また、文化や習慣の異なる者同士が、折り合いをつけて、ことを進めていくには、ある一定の決まりごとが必要です。

 とりわけ、世界は二度の大戦を経て、戦争で物事を解決するのではなく、「法」で戦争を回避することを国際社会のルールとして確立しようと努めてきました。

 そのために、「法」の重視を叫んでいるのです。

 

 その「法」が効力を発揮しないというのであれば、さて、どうしたらいいのかということです。

 

 東京には、遷都の詔が出ていないが、誰もが疑いもなくそれを信じることで「法」と同じ効力、いや、むしろ「法」を超越した効力を持って、今に至っていますが、強弁と武力にものを言わせてくる中国やロシアに対して、国際社会が、それと同じ効力を与えていい訳がありません。

 

 国際社会は、「法」をもって、中国の主張に対して、「NO」を突きつけました。

 しかし、中国はそれを無視し、その他の当該国も自国の説を曲げることはしないようです。つまり、「法」が示されても、現状は何も変わらないのです。

 

 「法」は、国際社会が平和で安心した世界を作るためのルールです。その「法」を生かすために、たった一つの方法があります。

 

 それは、こちらからは一切の『実力行使』をしないということです。

  言葉を換えていうならば、じっと彼らを『見続ける』のです。

 

 かの国の漁民が大挙して押し寄せてきたら、その非を問いただし、かの国の企業が石油を掘削すれば、その不正を訴え、軍事的動きを見せたら、それをさせないように先手を打って報道をし、国際社会がブーイングで対応するのです。

 

 相手が、なし崩し的に我がものとするならば、こちらは永久にそうはさせないという根気の長い戦いを挑むのです。

 

 それが、人の作った「法」を生かす唯一の道なのです。

 


人と人とは「対等」である意識の芽生えが見える

 1978年8月、私は人生で初めての海外旅行に出かけました。

 行き先は、国交を回復したばかりの中国です。

 香港から広州に入りました。

 その広州のデパートで、この人生初の海外旅行の記念にしようと二胡という楽器を購入しました。

 その時、広州のデパートの、人民服を着て、ズボンを履いた若い女性の、ちょっと目元のきつい、それでも十分可愛いらしい店員が、こともあろうに、客の私に向かって、お釣りを投げてよこしたのです。

 お世辞にも綺麗とは言えないショーケースの上を転がるコインとお札を、私は唖然としつつ、動揺を隠しきれずに、あたふたと受け止めたのです。

 

 女店員は、そんな私の姿に頓着もせず、壁に寄りかかって、手持ちぶたさげに、いつ来るとも知れぬ客を待つかのように立っていました。

 

 ちょっとしたカルチャーショックを私は感じました。

 

 その広州のホテルで、私は、いらなくなった幾つかのものをゴミ箱に丁寧に捨てました。

 いくら捨てるものだと言っても、ゴミ箱に雑に入れることをはばかったのです。あの店員のような無礼を、この中国でしてはならない。

 日本人の誇りのためにも、捨てるものさえもこうして捨てる、という意気込みでした。

 

 その後、鄭州、開封、洛陽を経て、最後の訪問地の北京に到着すると、私の部屋には、広州で捨てたはずの幾つかのものが丁寧に包まれて送られてきていたのです。

 

 今度は、ちょっとどころではないカルチャーショックを私は感じました。

 

 これも何年も前のことですが、ウルルからアリススプリングスのコンドミニアムに戻ってきたときのことです。

 ウルルにできるだけ長く居たいという思いから、帰りが随分と遅くなってしまいました。

 その時、私は、管理人はいてくれるかな、いなかったら、どうしようと少々不安を抱えながらバスに揺られていました。

 

 案の定、オフィスには灯りがついていません。

 ところが、窓のところに、大きく私の「名」が綴られている封筒がテープで貼ってあるではないですか。

 中には、「ウルルは楽しまれましたか。こんばんはゆっくりとお休みください。」という文言とファーストネームでの私への呼びかけが書いてありました。

 

 まず、大切な部屋のキーをガラス窓に貼り付けておくこと、そして、客である私のファーストネームを使っていることに、これもカルチャーショックを受けたことを覚えています。

 

 ところ変われば品変わるで、随分と印象深いことがあるものだと思ったものです。

 

 お釣りを投げるという動作は、日本企業の進出で、今は少なくなったとは思いますが、当時は、共産国らしく、店は国営、客に売ってやるからありがたく思えくらいの感覚だったのでしょう。

 だから、愛想笑いを浮かべる必要も当然ないのです。

 

 一方、国交回復したかつての敵国から来た客の、あまりに丁寧な捨て方に、これはきっと何かの間違いでゴミ箱に入れられたものではないか。日中友好のために、これは捨てるわけにはいかない。何とかしてこの訪中団のルートを調べ、最終目的地へ送ってやろうという会議がホテル側と訪中団として受け入れた中国共産党組織で催されたかどうかは知りませんが、その気持ちの清々しさが伺えて面白く感じたものです。

 

 オーストラリアの一件では、中国ほどではないのですが、ファーストネームで呼ばれること、また、そう呼ばれることに、無礼であるという気持ちが優先して、中国での体験以上に、相当の違和感があったのは事実です。

 

 ロビーで休んでいて、従業員と目が合うと微笑みを返すくらいならわかりますが、客に対して、慣れ慣れすぎはしないかと感じてしまったのですが、彼の地を一ヶ月も旅をしていると、その方がいいと思うようになったから不思議なものです。

 

 それは、客である以前に、私とあなたは人間として「対等」ですよ。

 その上で、適正な奉仕をします。

 私たちも、あなたと同じ生活者です。ですから、休みは取らないといけません。自分を犠牲にして、奉仕することは、度を超えた奉仕で、時代錯誤も甚だしいことですから。

 

 こういうあり方こそ最もレベルの高い応対ではないかと思われてきたからです。

 

 オーストラリア人特有の親しみやすさで、あの独特の英語と発音で、対せられることに自然な形の清々しさを見て取ることができたのです。

 

 思えば、私たち日本人というのは、「対等」であるということを、当たり前のように受け止めているような気がします。

 

 江戸時代には「士農工商」という身分制度があり、明治になっても、華族・士族・平民と戸籍に記載され、「対等」という意識が確立するのは戦後のことで、まだ70年くらいしか経っていないのです。

 しかも、自分たちの気持ちの底から、本当の「対等」関係を作り上げていこうというのではなく、アメリカから押し付けられた感じで、それを受け取ったのです。

 

 いうならば、戦勝国アメリカから半ば強制的に与えられた「対等」意識なのです。

 

 ですから、上司への接しかた、客への敬語のあり方、目上の人への対しかたなど、まだまだ厳しい枷があるのです。

 それはまだしも、客として、度を越したクレームまでつける輩が多いことは、私たち日本人が真に「対等」意識をものにしていない証だと思うのです。

 

 欧米では、政治状況はもちろん、いろいろな人々が移動してきて暮らすのですから、「対等」であることを確固とするために、相当のエネルギーが使われてきました。

 時には、戦いを経て、それを獲得してきたのです。

 

 アメリカの公民権運動を見ればよくわかります。

 相当のエネルギーを使っても、まだ、「対等」とは言えない環境がそこらじゅうにあるのです。そして、アメリカ社会を揺るがす争いもそこには発生してくるのです。

 

 しかし、まずは、ファーストネームで呼びかけ合うというスタイルが確立したことで、「対等」である関係を構築する土台が作られているのは事実だと思います。

 

 人は、役職や性別、人種や国で、ましてや肌の色で、判断するのではない。

 人は、その人で判断するのだ。

 

 日本では、まだまだ、この感覚をものにすることができていないのです。

 日本人同士で「対等」の存在として、相手を見ていくことは、長い歴史の重石で、おそらく困難であるにちがいないと思います。

 

 日本には日本の文化があるのですから、それを捻じ曲げても欧米化していこうとするのは明らかに間違いです。それでも、日本人は日本人らしく、相手を役職とか、財産で判断をせず、人として判断できる優れた「対等」意識を身につけていく必要があると思うのです。

 

 ベンチャーで、若い人が新しい会社を立ち上げています。

 服装も自由。勤務時間や働く場所も自由。

 そういうところから、日本の新しい「対等」意識が生まれてくると思うのです。若い世代のこうした動きの中にこそ、新しい日本の「対等」意識の芽生えが見えてくるのです。 

 

 


豊かで、愚かで、この愉快な世の中を失いたくない

 小さな記事が新聞の片隅に載っていました。

 

  長い尾を持つエイに似た形。

  全長は1.6センチ。

  金で作られた骨組みに高分子素材をかぶせ、ラットの心臓の筋肉細胞を層状にして貼り付けた物体。

 

 ハーバード大学の研究者たちのチームが開発したロボットです。このロボットは、光をあてると、まるでエイのように泳ぐといいます。

 

 そのロボットの製作意図について、記事では細かく記載されていませんでした。

 ただ、動力源が人工のモーターではなく、生きた細胞であるということが、実に興味深く思われたのです。

 機械では不可能な動物の動きを再現し、人間が触れ合いやすいロボットの開発が期待されるらしいのですが、私には素直にそうなのかと頷くことはできませんでした。

 

 20世紀後半から21世紀にかけて生きている私たち人類は、科学の恩恵を、その長い人類史の中で、もっとも最初に、かつ、それまでになく高度で、緻密な形で受けている存在です。

 それまで、人類が体験をしたことのない画期的な出来事を体験しているのです。おそらく、後世、この時代に生きた私たちは、高度な科学体験と恩恵を受けた最初の人類として位置付けるはずです。

 

 私たちの爺さんや婆さんさえもが、今の時代を見たら腰を抜かすに違いありません。

 

 1995年、ウインドウズ95が発売されました。

 相当の値段がしました。

 ポケットマネーでというわけにはいかないくらいの値段です。

 私なども、何度も店に足を運んで、眺めては帰宅し、また、出かけて行って、そして、清水の舞台から飛び降りたつもりで買ったものです。

 

 当時、インターネットも電話回線でした。

 ブービー、ゴチャゴチャ、ピーピー、ジャラジャラという音を発して、ネットに繋がるのです。画面が整うまでの時間の長さをよくまあ我慢できたと思うほどです。

 

 世界中が、これで文書を作り、計算をし、公的・私的書類さえも作られるようになりました。

 一台の機械が、時代を一変させたのです。

 

 学校からは、ガリ版がなくなりました。

 テストも、保護者宛文書も、発行される文書は全て活字となりました。それも、業者に委託する必要はないのです。自分たちで作り、印刷し、配布できるのです。

 成績も、コンピューターに採点した数字を打ち込むだけで、計算されました。総合点や平均点が一瞬にして出てきたのです。

 手間も、時間も節約されました。なにしろ、間違いが極端に減りました。

 

 もちろん、いいことばかりではありませんでした。

 中堅と言われる教師が、新米の教師から、コンピューターを操作する技術を学ばなければなりませんでした。教師になりたての先生の方が、その分野では長けていたのです。

 そして、中堅の教師で、時代の波に乗れないものが出てきました。誰もが新技術を手にすることができなったのです。いつの時代にも、時代の波に乗れない人々がいるのです。

 そのため、学校も、企業も、役場も、微妙な人間関係の変化が生じてきたのです。

 

 これと同じことが、いや、もっとすごいことが、細胞を動力源とするロボットが果たすのではないかという懸念と、そして、時代が新たなステージに変化していく期待が入り混じって、私はこの記事を見たのです。

 優秀なスポーツ選手の細胞を使って、運動能力の高いロボットを作り、生身の人間ができないことに役立てることも可能です。

 特異な能力を持つ動物の細胞を使って、滑空したり、水中深く潜ったり、あるいは、空気のないところでも平気な単細胞動物を使って、宇宙空間で活動をさせたりすることも……。

 

 皆、ちょっと見には、いいことばかりのようですが、そうでもありません。

 

 ダラスで起きた元米兵の白人警察官への銃撃事件で、犯人に対してダラス市警が使ったのがロボットです

 本来は爆弾処理を行うロボットです。

 それに、爆弾をつけて、犯人のところにそっと移動させ、自爆させたのです。これにより、元米兵の犯人は殺害されました。

 

 もっとも、アメリカは戦闘行為による自国兵士の犠牲を減らすために、無人爆撃機やトマホークといった誘導弾を多用して、敵と対峙する作戦を多用するようになりました。

 まるで、ゲームのようにスティックを動かして戦争をするのです。

 

 米軍兵士の犠牲は極端に減りましたが、入力ミスや情報不足による誤爆での犠牲者は増加をしています。

 統計によれば、あのブッシュ大統領よりもオバマ大統領の方が、爆撃回数が多いのだそうです。

 

 ここで、私たちが考えなくてはいけないのは、技術の恩恵は、戦争という行為を基盤として、発展をしているということです。

 

 いつの時代もそうだからといって済ますわけにはいかないのです。

 

 細胞を動力源とする物体は、遅かれ早かれ、人類の細胞を使って、より良いものを作ろうとする野心につながっていきます。

 私たち自身が、それらの新技術を体内に入れて、能力を高めるなどどいう愚かなことも起きるはずです。 

 

 いうなれば、人類は、自らの生体の一部を使って、自らをロボット化していくのです。

 

 世の中は、利口もいて、そうでないものもいるから成り立つのです。音痴がいて、そうでないものがいるから、絵の上手いのがいて、そうでないものがいるから、それぞれの分野での特異な出来事を、賞で楽しむことができるのです。

 

 どのような才能であれ、その才能は、持って生まれたその人の侵すべからざる財産であります。

 その多寡が、この社会を面白くさせているのです。

 

 特異な才能を作って、この豊かで、ちょっと愚かで、それでいて、まことに愉快な世の中をなくしたくはないと思うのです。

 

 考えすぎだと笑って済まされる問題ではないのです。

 


掘った芋いじるな!

 島国の日本では、遣隋使・遣唐使以来、他国の言葉を理解し、応答できるものに対して、特別の敬意を払ってきました。

 

 明治となり、欧米列強と伍するために、優秀な青年が欧州に派遣されました。

 彼らは、かの地で、かの地の言葉で、かの地の先端の技術を学んできたのです。辞書もなく、あるのは、自分の耳・目・口、そして、頭だけです。

 

 「ホッタイモイジルナ」

 

 これは「掘ったイモいじるな」という意味ではありません。

 

 What time is it now? を、土佐の漁師の息子で、嵐にあって漂流し、アメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに渡ったジョン万次郎がその耳で書き留めた英語なのです。

 

 うっすらと記憶しているだけで、確かではないのですが、NHKの番組で、万次郎が書き残した言葉をその通り発音して、アメリカ人に通じるかを試した番組がありました。

 それを、ニューヨークで実験をしたところ、見事に通じたというのです。

 

 私たちは、辞書に頼って、言葉を勉強しますが、本当に言葉をものにしたかったら、辞書を捨てて、かの地にわたるのが一番だということを、これは実証しています。

 

 さて、かの地に渡った明治の優秀な青年たちは、かの地で修得した言葉、技術、知識、欧米の生活様式を、帰国後、盛んに広め、それを新国家形成に役立てたことは言うまでもありません。

 

 草創期の早稲田大学が、学生募集広告を新聞に出したのは、その後しばらくしてのことです。

 

 そこには、日本語で授業をすること、学費は1円という格安の値段であることが記載されていました。

 何が画期的かというと、授業料1円ということではありません。

 

 「日本語」で、講義がなされる、という点で、画期的であったのです。

 

 当時、東京帝国大学も慶應義塾大学も、教師は欧米人が多く、よって、講義は欧米の言葉であったのです。それを、日本人教師が、日本語を使って、講座を担当するというのですから画期的なのです。

 

 欧米の書籍を、翻訳し、それを教材にして、日本語でものを考え、日本語で計画を立て、日本語でものを作る仕組みが出来上がっていくのです。

 欧米に対抗しうる力を確保するためには、極めて重要な仕組みとなります。

 

 実は、こうした取り組みを行い、国に変化を導いてきたのは、近・現代ばかりではありません。

 

 日本は、中国からも同じように言葉をもらい、その文化を土台にして、自国の独特の文化を作り上げてきてもいるのです。

 

 3世紀の『隋書・倭国伝』によれば、日本には文字がなかったと記されています。そうした中、中国から漢字を輸入し、世界に例を見ない方法で、漢字の文章を理解していくのです。

 

 それが、「書き下し文」つまり、訓読法というものです。

 

 日本語と中国語は文法が異なります。

 中国語は英語と同じで、<主語ー動詞ー目的語>という形をとります。

 日本語は、動詞が最後にきます。

 その違いを逆手に取り、<レ点・上下点>などをつけて、日本語として読め、かつ、意味も通じるようにしてしまったのです。

 

 明治の時代、英語をこれで訳そうと試みたと言います。

 

 つまり、<I love you.>を、loveとyouの間に「レ点」を入れて、「I は、youを loveす」というようにです。しかし、これでは欧米列強の文化技術に伍することはできないと考え、「翻訳」という考えが出てきたというのです。

 

 訓読法は、自国の言葉の上に、外国語である中国語を乗せて、理解をしやすくし、知識の吸収を早めることに功を奏しました。そこから、私たちは、ひらがなを作り出し、国風文化という独自の文化構造を作り出すことになったのです。

 

 ここは明確に述べておかないといけません。

 

 今の中国政府は、「唐の時代、日本は中国の言葉と漢字を盗み取った。これは、中国の核心的利益だ。」と暴言を吐き、国際社会に対して、日本語の使用を禁じるという手段にでかねません。

 

 ……冗談はさておき、我が国は、古来から今に至るまで、他国からの言葉、文化を受け入れ、それを使い勝手がいいようにして、自国の豊かな知を育んできたのです。

 

 ですから、皆が皆、日本語で考え、意見を述べ、学ばなくてはいけなのです。その上で、世界のいいものを、どんどん取り入れていかねばならないのです。

 


スコットランド人・ケンタッキー人、そして、会津人

 ラグビー国際マッチでは、初の天覧試合が、2016年6月25日、味の素スタジアムで開催されました。

 昨年、ラグビーW杯で南アフリカを破り、世界の注目を浴び、現地のイギリス人からも破格の応援を得た日本チームの今回の相手は「スコットランド」でした。

 

 「イギリス」ではありません。

  「スコットランド」です。

 

 <United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland>で略称は<UK>。日本語では、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」が、英国の正式名称となります。

 つまり、連合王国の中の、グレートブリテン島の北部にあるスコットランドと試合を行うのです。

 

 仮に、日本が、「本州及び北海道・四国・九州及び沖縄連合国」ということであれば、その北海道とやるということになります。

 しかし、日本には、国として、そういう括りがないので、サッカーにしろ、ラブビーにしろ、イギリスという国が、やれ、イングランドだとか、ウエールズだとか、チームを編成してくるのには、日本人には少々戸惑いがあります。

 

 その戸惑いを胸に、スコットランドとの試合をテレビ観戦しました。

 

 バグパイプの音色が響くスコットランド国歌、Flower of Scotlandを聞くことができました。歌詞を読めば、それはイングランドとの戦いを歌ったものです。ますます、戸惑いは膨れ上がります。

 そして、選手たちのユニフォームの脇には、緑のタータンチェックがさりげなくデザインされていました

 粋だなあと、思いました。

 

 応援席では、タータンタムをかぶった男性、キルトを着てバグパイプを演奏している立派な風体の男性、はたまた、ユニオンジャックならぬ、青地に白のバッテンのついたスコットランドの旗、St.Andrew's Cross旗を振る方々がいました。

 St.Andrew's Crossとは、バッテン型の十字にかけられて殉教した聖人セント・アンドリューを象徴としている旗です。

 

 私は、イギリスには4回ほど出かけています。

 でも、正確に言うならば、私は、<イングランド>に4回出かけたというべきなのでしょうか。

 同じ国に属していながら、歌う歌、振る旗からして違うというあり方に、何か違和感と失望感を、私は持っています。

 

 失望感というのは、明治以来、我が国に対して、多大の支援をしてくれた、とりわけ、先端技術の産物である海軍の土台を作ってくれた英国に対して、生じてくる感慨です。

 

 そんな立派な国が、女王陛下のもとで一致結束していけないものなのか……というものです。

 

 聞くところによれば、今回のEU離脱に伴い、スコットランドはまたもやUKからの独立を問う国民投票を企図しているといいます。さらに、ロンドンもUKから独立したいと突拍子もないことをインド系のロンドン市長が言い出し、なおかつ、ビートルズの出身地リバプールもスコットランドに帰属したい旨を公言しているといいます。

 

 こうなると、本当に「英国解体」というセンセーショナルな事態が現実味を帯びてきます。

 

 

 青地に白のバッテンのついた、スコットランドの国旗、St.Andrew's Crossに似た旗を、私は知っています。

 こちらは、<Confederate flag>と言います。

 

 日本語では「南部旗」と言っています。

 こちらは、赤地に青のバッテンで、その青いバッテンには、白いふちが施されています。

 バッテンには、13の星がついています。

 13は、アメリカ南部連合の国の数です。そのど真ん中にある星は、ケンタッキー州を指しています。

 

 この「南部旗」は、2000年まで、サウスカロライナ州の議事堂に掲げられていました。ミシシッピ州やジョージア州の州旗のデザインの一部としても使われています。

 

 アメリカを二分したあの「南北戦争」では、これら南部の国々が<Confederate flag>を振って、北軍と戦いました。

 この戦争での死者は、62万人だったと言います。

 アメリカが第二次大戦で、太平洋・欧州で失った命は32万と言われていますから、この戦いがいかに悲惨であったかわかります。

 

 しかし、アメリカは、その「しこり」を克服しました。

 それだからこそ、世界一の国を作り上げることができたのです。

 些細なことですが、<United State of America>が今の米国の正式名称です。しかし、南北戦争後、しばらくは、<States>と複数形で表していたそうです。

 

 このたった一語の<s>が、「分裂・解体」を避け、「統合」をしていった象徴の名残であるなと思うっているのです。

 

 

 実は、我が国でも、似たような事例があります。

  それが「会津戦争」です。

 

 薩長同盟軍は、京都守護職を務め、勤皇の志士を取り締まり、徳川幕府を支えた会津藩を朝敵として、徹底した破壊工作を会津藩に仕掛けました。

 

 男たちは籠城して薩長軍を迎え討ちます。

 女子供は城に蓄えてある米を減じてはと、城には籠らず、城下の家に残り、薩長が町筋に侵入してくると見事自害して果てたと言います。

 老いも若きも、武士たちは薩長と戦い、命を落としていきました。

 そして、善戦虚しく、不運にも生き残ってしまった藩士たちには、「藩ぐるみ流刑」ともいうべき処置が下されたのです。

 

 寒さ厳しい、下北の斗南に、開拓者として送り出されたのです。

 食べるものもなく、藩主の容大を始め、藩士たちは文字通り「草根木皮」を食したと言います。

 

 しかし、その末裔が薩長に対して、新政府と袂を分かち独立するとか、その後の混乱に乗じて、新政府に戦いを挑むとか、あるいは、薩長に対して、子々孫々にわたって、敵討ちをするとか、公に口にしたことはありません。

 西欧列強に負けない新しい日本を作り上げるため、そのために、皆が心をひとつにして取り組むことを選んだのです。

 

 米国も日本も、もちろん、英国も、その歴史の中で、すさまじい混乱を経験し、今に至っています。

 

 おそらく、賢明な英国人たちは、国を分裂させる前に、また、国内が混乱でにっちもさっちもいかなくなる前に、何らかの方策を立てると私は確信しています。

 

 かつて、世界の四分の一をその支配下に置いたイギリス、今、その面影はありませんが、世界の多くの敬意と賞賛を集める国です。

 

 今回のイギリスのEUからの離脱という「事件」は、21世紀の国際社会に計り知れない衝撃を与えていくことでしょう。その連鎖もどのように伝わっていくのか、興味深く関心を持たざるをえないのです。

 

 

 



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