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目次

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 A面

  一 化外の地にて

  二 子は親より豊かであらねばならない

  三 ユートピアとリアリティの相克

  四 富は一体どこにある

  五 本当の「民衆の力」

 

  B面

  六 「法」を生かす、今考えられる、唯一の策

  七 人と人とは「対等」である意識の芽生えが見える

  八 豊かで、愚かで、この愉快な世の中を失いたくない

  九 掘った芋いじるな!

  十 スコットランド人・ケンタッキー人、そして、会津人

 


化外の地にて

 想像をはるかに超える僻地で、その土地の人々のために活動をしている日本人を取り上げるテレビ番組があります。

 文化や習慣の異なる地で活動するには、大変な苦労があるのではないかと思いながら見ています。

 

 番組を見ていて、気づくことがあります。

 それは、彼らが自らの技術は伝えても、日本的なものを強制していないということです。むしろ、反対にその土地のものを受け止めて、馴染もうとしているということです。

 

 素晴らしい日本人がいるものだと、私はひととき、テレビ番組に見入っているのです。

 

 日本はアジアで唯一植民地経営を行った国です。

 1895年、清国との戦争に勝利し、清から台湾が割譲され、総督府を置いて経営にあたりました。

 1910年には、ロシアとの戦争に勝利し、韓国を併合し、これも総督府を置いて経営にあたりました。

 1922年には、ベルサイユ条約によって、ドイツが統治していたミクロネシアの島々を日本が委任統治することになりました。パラオに南洋庁を置いて、統治にあたりました。

 

 これらの地域の統治にあたって、日本政府の方針は、欧米列強の植民地政策と同じような方策は用いないというものでした。

 

 過酷な取り立て、人間性を無視した対応、ともすれば、日本が列強から受けたかもしれない屈辱を、アジアの同胞に味わせたくないという気持ちが働いていたのです。

 ですから、これらの地域に対しては、「内地延長主義」という考えを取り、インフラ整備や暮らし向きの改善、教育活動に力を尽くしたのです。

 

 しかし、植民地というのは、所詮、他国から異国人が入ってきて、生まれ育った故郷を支配するのですから、支配される人々からすれば、屈辱以外の何ものでもありません。

 また、日本政府の施策を理解できない末端の役人や軍人もいたことでしょう。

 そういう人間に限って、威張り散らし、反日・抗日へと、かの地の人々を追いやって行ったのです。

 

 私は以前『風の島』という小説作品を出版しました。

 

 これは、まさに、日本が統治していた南洋の島で起こった話なのです。

 日本語を話すミクロネシアンの親子が日本海軍の飛行機を大切に隠しもっていたという話です。しかも、いつ飛んでもいいように整備がされていたのです。

 

 彼らは、日本に対する憎しみより、むしろ、日本の支配に対する感謝を強く持っているという設定にしました。

 もちろん、これには根拠があります。

 島の人々が、日本から来た観光客に日本語で話しかけたり、日本語そのものが彼らの生活に残っていたり、また、日本語の歌が歌われていたりしていたからです。

 

 そこに憎しみや恨みがあれば、そういうことは起こりえません。

 

 きっと、韓国を支配した一部の威張り散らした役人や軍人と違って、南洋庁で勤務した日本人が政府の意図をよく運用したと言ってもいいのかもしれません。

 

 暮らし向きをよくし、教育を施すことがなされなかったドイツとの支配の違いが明確に出てきたものと思われます。

 

 一方、台湾はというと、割譲に反対する中国人らとの武力衝突もあり、また、台湾人による抗日運動に対しては、「匪徒刑罰令」を発して、日本は弾圧さえも加えたのです。この件で、処刑された数は三千を下らないと言います。

 最後の抗日運動は、1915年に発生したと言いますから、割譲以来、20年近くも抵抗運動があったということです。

 

 その台湾から、最近、一つのニュースが飛び込んできました。

 それは、台湾人が最も好きな国として、「日本」を挙げたというニュースです。

 

 これは台湾の民間調査機関が定期的に実施している世論調査の結果です。

 

 これによると、2015年度の最新調査で、第一位は日本で、56%であったといいます。

 驚くべきは、その圧倒的な56%という数字なのです。

 

 なぜなら、第二位は中国で6%、第三位はアメリカで5%、第四位はシンガポールで2%だからです。

 圧倒的に、台湾では日本が好感を持たれているということがわかります。

 

 でも、なぜだろうと考えてしまいます。

 

 過酷な弾圧と処刑があったのも関わらず、なぜ、今、台湾では、日本に対して好感を抱いてくれるのでしょうか。

 

 台湾総督に任命された乃木希典は、「乞食が馬をもらった」と台湾併合を比喩したと言います。

 自国を乞食にたとえ、台湾を馬にたとえるなど実に謙虚な発言です。支配者として偉ぶったところが微塵もありません。

 これなども、日本の植民地支配の方針を的確に受け止めていると言ってもいいのではないでしょうか。

 

 日本の台湾支配を簡単に記述すると、

  オランダから持ち込まれた阿片の根絶。

  日本語を教授することで、部族間の言葉の違いからくる闘争をなくし、意思疎通を図った。

  日本から教育者を送り込み、学校を作り、子供達への教育活動を展開した。

  病院を各地に設立し、風土病の根絶と衛生観念を普及させた。

  日月潭に水力発電所を作り、全土に電気を行き渡らせ、生活改善及び産業発展の原動力とした。

  烏山頭にダムを作り、不毛の地をアジア有数の穀倉地帯に変えた。

 

 異国人が支配して、その地から搾取するのが植民地政策です。

  でも、これを見る限り、日本の植民地統治は少しく違うようです。

 

 太平洋戦争中、日本は韓国人を徴兵しましたが、台湾からは徴兵をしませんでした。

 戦争も末期になると日本の敗色も色濃くなってきます。支配される側が密かにその敗退を心待ちにするはずですが、台湾では少々異なっていました。

 台湾では「徴兵嘆願」の運動が起こったのです。

 

 異国の人間が他国の故郷を支配するという政策の愚は承知の上で、当時、これらの地を、自分の故郷のごとく思い、強制することなく、かの地のために尽力した素晴らしい日本人がいたことは顕彰していかなくてはいけません。

 

 今も昔も、化外の地で、身を投げ打って活動する素晴らしい、敬愛すべき日本人がいるということに、私は感動するのです。

 


子は親より豊かであらねばならない

 「成長」と言うものを可視化するとは、親よりは子、子よりは孫の世代が確実に豊かであるという事実を見せつけることです。

 それはもちろん、国においても、同様です。

 

 時代が進むにつれて、豊かになっていくことが「成長」を実感することにつながっていくのです。

 

 個人で言えば、親の代の狭いながらも楽しい我が家の時代から、子の世代の、技術革新による極めて便利で、豊かで、幸福な時代。

 そして、孫の時代は、さらに豊かで、グローバルな環境の中で、手にした豊かさを他に分かち与えることができる時代となっていくべきなのです。

 

 国としては、親の世代から子の世代にかけて、無謀な戦争によって、完膚なきまで国土が破壊され、しかし、世界史に残る奇跡の復興を成し遂げ、G7の一角に、堂々と名を連ね、経済でもトップレベルまでのし上がってきたのです。

 それだけでも目に見えてすごいことですが、孫の世代でも、国としての名誉と誇りを維持し、その豊かな富と高尚な精神を世界に与え、広めていかねばならないのです。

 

 しかし、親から子へと伝えられた「成長」は、今、子の世代で停滞してはいないだろうかと訝るのです。

 

 アメリカのある調査機関のレポートによると、先進国の70%の世帯で、この十数年の間で、所得の停滞もしくは減少に直面していると記されていますが、それが訝る何よりの根拠となります。

 

 「暮らし向き」という言葉があります。

 

 この言葉は、豊かで、贅沢で、有り余る資産を持て余すという暮らし方を意味しません。

 ささやかであるが、豊かさを感じる暮らし、金持ちではないが、それでも幸福を感じる暮らしを指します。それがちょっと下降するだけで、人々は「暮らし向きが悪くなった」と表現するのです。

 

 今、その「暮らし向き」が危機的状況を迎えています。

 政府もそれを良く承知して、アベノミクスで経済の立て直しを意欲的に図っています。

 しかし、雇用の問題は如何ともしがたい局面を迎えています。

 低賃金での労働、非正規労働での賃金格差、女性の職場での差別などです。

 

 それ以上に大問題なのが、少子高齢化とグローバル化です。

 少子高齢化により働き手がいなくなり、その結果、移民を受け入れざるをえないという問題が目前に迫っているのです。

 

 アメリカのトランプ現象も、イギリスのEU離脱も、この流れの中にあります。

 

 これが、アメリカの一般的白人やイギリスの中流層の収入にしわ寄せを与えた結果であることは言うまでもありません。そして、アメリカも、イギリスも、自分の国を「ファースト」とする考えが、熱狂をもって迎えられたのです。

 

 自分たちが苦しいのに、なぜ、他国から来た人間に富を分配しなくてはいけないというのです。

 そればかりではありません。

 社会保障も、安全保障も失ってしまうという危機感が、トランプ旋風であり、そして、イギリスは僅差ではありますが、EU離脱を決定したのです。

 

 世界が、親よりは子、子よりは孫の世代が確実に豊かになるという姿を維持するためには、「ファースト」という考え方では叶えることができません。

 

 成長するには、相互依拠の姿勢が何よりも肝心なのです。

 

 自国の成長のためだけに、二酸化炭素を撒き散らす時代は終焉を迎えたのです。

 経済では、一部の人の豊かさのための仕組みや課税逃れは、厳しく糾弾されなければなりません。

 政治では、国際協調が優先されなければなりません。一国の暴力的言動は慎まなくてはならないのです。

 

 目の前の凄まじい事例にも目を向ける必要があります。

 

 火災現場から二つの遺体が出てきました。

 その家の住人の80歳の父親と50歳代の息子と連絡が取れていません。

 

 この記事から、私は勝手に想いを巡らすのです。

 

 高齢となった父親の面倒を見るために、息子は会社を辞めて、いくばくかの退職金とその父の年金で暮らしていたに違いない。その父がいよいよ弱った。亡くなった後、どうやって暮らしていくのかと、そのことが心によぎったに違いない。

 

 本来、親を大切にする孝行息子であるにもかかわらず、彼らは、原因不明の火災の中で、命を失っていくのです。

 

 こうした事例がニュースとして報道される世の中であってはならないのです。

 

 親の面倒を見る子が褒められ、頑張れるように支えてやるのが、名誉と誇りを維持し、豊かさと高尚な精神を世界に与え、広めていくということなのです。 

 

 日本はそれができる国であると思っています。

 

 まず、子が親より豊かになる経済的優位性を作ること、そして、多くの外国人をしっかりと受け止めていくこと。そのために、教育をしっかりと行うのです。

 

 私はそれができるのが日本だと思っているのです。

 

 日本流の新しい「共栄」のありようを推進していくのです。

 


ユートピアとリアリティとの相克

 先日、公立中学の教師であったという方から話かけられました。

 私が、私学の教師であったことをどこかで知り、声をかけてくれたのです。

 

 「先生の学校に、随分と生徒を送りましたよ。」と、その方が声をかけてきました。

 私も生徒募集をしていましたので、「それはそれは、ありがとうございます。」と、声を返しました。

 

 「先生は、途中で、学校を移ったんだって。」

 その方は、私学の教師が他の私学に移ることの不自然さを訝りながら、声を発しました。

 

 「そうなんですよ。いろいろあってね。」

 

 人が組織にいると、いろいろな出来事が起きて、いろいろな体験がなされるものです。

 私の場合も、そうした渦中に置かれ、さまざまな素晴らしい出来事を体験させてもらったのです。

 

 しかし、生徒を指導する立場のものが集まる学校という社会で、人と人とによるいがみ合いで、いろいろな出来事が起こるのは困ったのものであると、今更のように思います。

 

 私学は、「理想」を掲げて教育活動を行います。

 それが、その私学の教育目標であり、教育理念となるのです。

 ですから、私学にはその「理想」をめぐって、時に、ユートピアとリアリティとの相克が垣間見られるのです。

 もうちょっと、下衆な言い方をすれば、経営のあり方をめぐっての権力闘争がなされるということです。

 

 こんな小さな組織でも、あれこれあるのですから、国単位ではもっと大きな反応といろいろな出来事があるに違いありません。

 

 2016年6月23日、イギリスのEUからの脱退が、国民投票における51.9%の多数決で決まりました。

 

 ヨーロッパの理想は、第二次大戦中、ポーランド亡命政府のシコルスキによって、戦後ヨーロッパの再建を意図して提案された幾つかの項目が端緒となり、具現化されていきました。

 その後、紆余曲折を経て、1967年欧州共同体(EC)として発足しました。

 

 ヨーロッパでの戦いを永遠に終わらせようとの理想がそこにはありました。

 

 そうした理想に対して、一線を画していたのがイギリスでした。

 しかし、戦後の復興はダイナミックでした。

 まず、フランスのドゴール大統領が主導する自由貿易市場は活況を呈し、侮れなくなりました。

 そして、戦争の破壊をまったく受けなかったアメリカの台頭です。経済ばかりではなく、軍事でも、その力は圧倒的な威力を持って、イギリスに迫ってきたのです。

 加えて、かつてのイギリス連邦諸国の独立が、イギリスの経済を逼迫していきます。

 

 大英帝国としての理想を捨てて、現実に目を向け、ヨーロッパ共同体に参加せざるをないと判断するイギリスでしたが、そこに立ちはだかったのは、ヨーロッパの理想を軽視するイギリスに厳しく対応してきたドゴール大統領でした。

 

 イギリスの参加は、彼によって二度も拒否されたのです。

 イギリスがECに加盟できたのは、ドゴール大統領辞任後の1973年になってからのことです。

 

 その後、東西冷戦も終了し、ヨーロッパは新たな時代を迎えます。

 1993年、ついに、マーストリヒト条約発効によって、ヨーロッパ連合(EU)が誕生するのです。

 かつて、戈を交えた国々がともに同じテーブルについて、言葉を交わし、理想のあり方を追求するのです。 

 

 これは、人類史において特筆すべきことだと思います。

 戦争によらず、問題を解決する方法を見つけ出したのですから、至極当然です。

 

 ヨーロッパの秩序を保つためには、そこに健全な政治志向がなくてはなりません。健全な政治志向が存在するためには、ユートピアとリアリティが共存していなくてはなりません。

 

 ユートピアだけでは、物事は瓦解します。

 リアリティだけでは、各個のエゴが吹き出します。

 

 ユートピア志向が、あるべき姿を追い求めるアクションを促します。

 しかし、それを現実化する力、経済や安全保障がなければ、すなわち、リアリティが欠如していれば、それは単なる夢でしかないのです。

 

 イギリスの脱退で、EUは、新たな試練を迎えます。

 しかし、人類史上かつてない、ユートピアを掲げ、それをリアリステイックに運用するという画期的な行動には注目をしていく必要があります。

 

 そんなことを考えると、私が体験したユートピアとリアリティの、何と狭あいで、せせこましいことかと今更のように思うのです。

 


富は一体どこにある

 ウクライナにおけるロシアの振る舞い、南シナ海及び東シナ海での中国の振る舞い、これらは、かつて、そして、今、社会主義を標榜する国家が、おのれに有利な解釈で起こしている振る舞いであることは確かです。

 

 ヨーロッパも日米も、一方で、国家ぐるみのドーピング違反に対して、厳しい制裁を課して、オリンピックから締め出し、一方で、根拠のない九段線設置とそれに基づく埋め立て、また、それに伴う環境破壊に対して、全面的な否定の判決を仲裁裁判所から得て、溜飲を下げるだけにすぎないのです。

 

 彼らは、社会主義特有の計画経済を推進するかのように、「計画的政治決着」を着々と、今進めているのです。

 広大な国土と人口を持ち、当然、そこには豊かな天然資源があり、そして、優秀な人材を選抜し教育し、特権的な待遇を与え、さらに、先端的な科学技術を、軍事に、宇宙進出に使っているのです。

 

 いつの日か、ヨーロッパも日本も、アメリカも、ロシアと中国の支配下に組み込まれる事態が現実に起こっても不思議ではないくらいです。

 

 ヨーロッパ・日本・アメリカを支えている体制は、つまり、社会主義に対する資本主義は以前のように強大な力を維持し得るのでしょうか。

 それとも、人類の歴史から過去の遺物として、消え去っていってしまうのでしょうか。

 

 かつて、ヨーロッパは、閉塞の空気を孕んだ時、船を大海原に出し、それを一気に打開する手を打ち出しました。  

 即ち、大航海時代の到来です。

 彼らは、アメリカ大陸を発見し、オーストラリアやニュージーランドに人を送り込み、一気に時代を好転させました。

 

 作物を作ることのできない不毛の大地で貧しく暮らす生活を送っていた彼らからすれば、豊かな実りをもたらす豊穣の大地を、無償で手に入れることに成功したのです。

 そればかりではありません。

 明らかに、文化の未熟な、それゆえに、弱い、そこに住む人々を奴隷化し、その地で栽培されている物産を独占し、大きな富を手に入れたのです。

 

 狭いヨーロッパが世界の中心となり、彼らが新たに勢力下に置いた広大な土地から、ありとあらゆる富が手に入るようになったのです。

 その富の分配は、かつてのように、一部の貴族に独占されることはありませんでした。

 力を蓄え、意思を持った市民と呼ばれる新たな階級にも、応分の分配がなされたのです。

 

 市民たちは、自分たちの国家を整え、軍備を増強し、国としての意識を高め、より強固な形でさらなる富を追い求めていきました。

 その強固な形こそが、民主主義であり、資本主義であり、自由主義であったのです。

 

 その流れに乗れず、旧態依然とした体制の中で、広大な開発を寄せ付けない大地を持つ国が、ロシアと中国でした。彼らは、ヨーロッパとは違った方法で、より強固な体制を作り出そうとしました。

 

 今、その二つの大きな体制が、それぞれのやり方で、残り少なくなった富の奪い合いをしているのです。

 

 未開の、豊かな富を内包した地は、もはやこの地球上にはありません。あるとしたら、それは宇宙空間か、地球の表面の7割を覆う海の上であり、海の中なのです。

 もっとミクロに見つめていくと、あるのは、見落としてしまいそうな小さな島であり、大海原に通じる港なのです。

 しかし、今は小さくても、この島や港は、敵対する勢力の、豊かな富へと通じる要所なのです。ゆめゆめ、おろそかにしてはいけないものなのです。

 

 しかし、一方の勢力は、中心に富をもたらす術を失ったことで、八方塞がりの閉塞感に苛まれているだけで、敵対する彼らの一直線で、なりふり構わない行動と方便に、右往左往するばかりです。

 

 かつて、容赦ない仕打ちで、富を簒奪してきた悪心は、なりを潜め、広い心と穏やかなスタイルで物事を収めようと必死になるだけなのです。

 

 体制を維持し、より発展させる富は一体どこにあるのかとただただ中空を見つめるだけなのです。

 せいぜい、狂信的なテロ行為に対して、口角泡を飛ばして非難するのが精一杯です。

 選挙という支配体制に参画させる活動で、不満のはけ口を与え、目先のちょっとした豊かさでごまかそうとしているだけなのです。

 

 かつて、富を求めて、大海原に出て行ったように、新たな富を見つけ出さないといけない時代が今なのです。

 今、富をめぐって、世界は二つの勢力が拮抗しているのです。

 ありとあらゆる手段を使って、それに勝たねばならないのです。

 綺麗事を並べていては、負けてしまうのです。

 

  あげくに、その支配下で辛酸を舐めることになるのです。

 



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