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はじめに

 多分、多くの方は、パワースポットって本当は何だろうといまいち疑問に思いながら行くだけで運が良くなるならと観光気分で行っている方も多くいるのではないだろうか。

 では、それで運は良くなっているのだろうか。距離にもよるだろうが交通費を出して、お賽銭を入れて、来たついでだからお守りを買って行こう。お土産を買って行こう。時間にもよるだろうが昼食を摂ろう。お茶をしよう。

 そこにたくさんのお金を落として行く。それでどれだけ運が良くなっただろうか。受験は、就職は、恋は、結婚は、良い人との出会いは、宝くじは当たっただろうか。

 良い事とは、実際のところ小さな良い事の積み重ねで運とは良くなって行くものだが、せっかくパワースポットに行くのだからそれ相応の願い事があって行くのだろう。

 しかし、結果が出ないと「気休めだから」と願い事が叶わないと自分の中で納得をさせる。その繰り返しの方が多いのではないだろうか。

 だが、実際は「気休めだから」と自分を納得させながらも「やっぱり神様なんかいない」と無神論者になって行く。ただ、お墓参りも初詣もイベントだから、行かないのは怖いからと行くだけ行く。パワースポット巡りもそれと似ていて、もしかしたら運が良くなるかもしれないから行く。というのが実際だろう。

 しかし、パワースポットとは実際は皆さんが期待しているような代物ではない。というのも、パワーの正体は、植物の持つエネルギーだったり、稲荷や龍神、または邪霊のエネルギーによって一時的に元気になったり、気分が高揚したりしているに過ぎないからだ。

 考えてもみて欲しい。パワースポットと言われる場所は、周辺が木々で囲まれた大自然溢れる場所だったり、街中でも喧騒としたビル群に囲まれているような場所ではなく、昔ながらの情緒を残し、境内にはたくさんの杉や桜、松が植えられている。参道には手入れをされている街路樹が植えられ、参道には心和む小さな花々が大きめのコンテナに見た目も可愛らしく寄せ植えをされていて見ているだけで都会の喧騒を忘れ、普段の煩わしい人間関係を忘れられるだろう。

 そんな場所に行けば、必然的に元気になり、普段なら見過ごしてしまうような些細な出来事も良い事が起きたと思い、パワースポットに行ったからだと思い込みやすい。この本では、そのパワースポットのパワーの正体を赤裸々に告白したいと思います。

 人は、とかく真実を知りたくないと思いがちだが自分の人生や、自分の幸運、不運がかかっていることだから出来るだけ多くの人に読んで欲しいと思う。

 これは、私自身の実体験を元に書いたノンフィクションだ。少なからず経験がある人もいるだろう。もともとパワースポット巡りは好きではない。というのも、様々な神社仏閣で行った後に良い事が起きた試がないからだ。

 しかし、30代半ばを過ぎた頃、自分の持っている信仰に疑問を感じて様々な神社仏閣に足を運んだ。自分の居場所を探すためだ。迷いや悩みは全く解決されず、結局、全く予想もしていなかった所から解決策はもたらされた。

 その結果は言うまでもなく、平和で充実した日々を現在は送っている。もっと早く、いや、最初から、と思いたいが、最初からだったら今の充実感は無かっただろう。今までの事も必要な経験だったのだろうと今は思えるようになった。

 それも心と体が充実しているからだろう。全く悩みが無いわけではないし、迷いが無いわけでもない。しかし、最近は悩むだけ、迷うだけ無駄としか思えないようになった。小さな偶然という幸運が日々起きているからだ。

 いや、偶然ではなく、必然だ。だが、私はパワースポットには行っていない。パワースポット巡りさえ以前、自分の事業の一環として企画した程度に過ぎない。まあ、その時、行った人たちが幸運に恵まれたかどうかは解らない。

 だが、私自身が神や仏を信じていないわけではない。私は神仏が存在すると信じているし、私の家の中事態がパワースポットになっているのも、神仏が存在するからだ。今、神道(しんとう)から仏教、日蓮正宗に信仰を移したが、移して良かったと思っている。移したからこそ今の充実があるからだ。

 信仰とは、どいったモノかも書き記しているから自身の今後の信心の在り方も考えて貰えたらと思います。


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