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ビートルズの歌が鳴っていた

 一九八〇年も暮れようとする頃、一人の若い男が、ゴミ捨て場にゴミを捨てていた。彼は仕事中である。免許とりたてで危なっかしいので、軽トラを運転してきたのは先輩である。彼は助手席から降りて、荷台から、先輩と二人で、油まみれでさびついたコンロやら、湯沸器を、捨てていたのである。

 広い空地には、他のガス屋の軽トラックも見える。ガス器具を配達しては、下取りの古い、腐ったみたいなコンロを大きなゴミ捨て場に捨てている。世は都市ガスの、天然ガスヘの転換大事業のまっ最中なのだった。

「よくもまあ、こんな穴のあいた、油まみれのコンロ使ってたもんやなあ。十年以上は使ってるやろ」

「そうですね。わっ、油が袖口(そでぐち)から中に入ったあ!」

 と、古い大きなガスコンロを抱えていた彼は言った。

『情無いなあ、もう。もうすぐ一時やで。これ捨て終わったら、早くめしにしよう』

 と考えている矢先、彼と同じ会社の軽トラックが、ゴミを満載してゴミ捨て場に帰って来た。軽トラを降りた彼の同僚は、彼に言った。

「壮やん、知ってるか、ジョン・レノン……

 壮やんとは彼、壮一のことである。

「死んでんで」

 壮一の横でゴミを捨てていた先輩が、やや間を置いて、わざと冗談ぽく言った。

「よっぽど悪いことしとってんなあ」

「よ、よっぽど悪いこと、しとってんなあ」

 壮一も作り笑いを浮かべながら、言った。彼に教えてくれたその男は、壮一と同期の、仕事の出来具合いも似たりよったりの奴なのだったが「壮やんがジョン・レノンのファンなのを知っていたので、車のラジオのニュースで偶然聞きつけ、とるものもとりあえず、急いで」知らせにきてくれたのだそうだ。

 荷台がゴミで満杯になったのと、お昼どきだから帰ってきたという気がするのだが、まあ、わざわざ教えてくれたのだなあと、彼は思うことにした。

 壮一もその日の仕事には身が入らなかった。

「おいっ、聞いてるのか。あそこの3階の305号室にこれ届けてよ」

 とか仕事中、先輩によく注意されたのだった。

 ちょっと前に、大いに勘違いして、ずっと好きだった女にふられたところだったので、まさにダブルショックだった。人生に何か不吉な予感をも思わせた。

 六畳間のアパートに帰り、一人で酒を飲みながら、ビートルズのレコードを聴いた。『あいつはどうしてるのかなあ。高校のときにわしにビートルズを教えてくれた同級生の平田。不良でけんかばかりしていたのに一流大へ行きよった。へんな奴やったな。そうや、あいつはジョン・レノンが、ビートルズのなかではいちばん好きやというとったな。そやけど大学へ行ってから久しぶりに会うと、もうビートルズなんて子供っぼい。マルクス・レーニンがどうたらとか言うてたな。立派な先生に、もうなったんやろか。東京で先生してる筈やが、もう連絡はさっぱりや。あいつがジョン・レノンを好きやったのは、早くにお母さんを亡くしたところと、不良やったところが、似てるからかな』

 酒を飲むうち、だんだん眠たくなってきた。

『俺もそのう、あいつみたいに勉強もしとったら良かったのかもしれんけど、ビートルズばっかり聞いて遊んでたからなあ。ジョン・レノンの教えを、これからも守っていこう」

 酔って下手なひと筆書きで、紙切れにジョン・レノンの、まる眼鏡の絵を描き、ヘッドホンでビートルズを大きくかけて聞くうち、寝てしまった。

 

 ところで、その後、セールス色が濃くなって、売り上げにうるさくなった会社にもおれなくなり、壮一は会社を辞めた。四年ほど勤めたのだったが。

 その後、額縁屋やらマホービン工場やら穴掘りやら、新幹線のなかでのお土産売りやら、ペンキ職人やらを転々としたが、不器用で人見知りをする彼は、続かず、結局、コピー機メーカーの組立工場でアルバイトをすることになった。1990年のことである。

 最初はファックスの流れ作業の一員だった。よく分からない部品を一つずつ、流れ作業のなかで、作りかけのファックス機にとりつけていく。流れ作業のスピードは、ゆっくりだった。ときどき、というより、しょっちゅうあくびが出た。

 流れ作業の合い間に、ファックス機を梱包する為の大きなダンボール箱に、シールを貼った。シールには番号が打ってある。横書きの数字で1785、1786、1787、……1981、1982、1983と、貼っていくのだ。壮一はそれをやりながら、こうやって一年一年が、箱詰めにされて、あっという間に過ぎていくんだなあ、とか思っていた。1980年は、ジョン・レノンの死んだ年、86年、昭和六十一年はマホービンエ場にいて、1990年、わしももう三十五か。で、こうして今、ファックスを作る工場に勤務している。

 楽で退屈なファックスの場所から、あるとき、コピー機の流れ作業に移った。七分経つと、ピーピーという音が天井のスピーカーから流れ、次の人にコピー機を押して渡す。七分のあいだに、赤の線と白の線を、こうしてこうやって廻し、電気ドライバーでネジをしめ、ええーっと、もう間に合わん。

 ピー、ピー、ピー、

 次のところにいるおばさんがフォローしてくれた。もたもたしていると、流れ作業の間を巡回している管理職の人がとんできて、てきぱきと指示したり、手伝ってくれるが、文句も言われる。

 あるとき、壮一は配線を間違えた。白い線の先にある、凸のプラグと、別の白い線の先にある、凹のプラグをつながないといけないのに、白い線の凸と、赤い線の凹をつないで、気が付かずに次にまわしたのだった。なにしろ急がなければならない。

 彼の三つ先の工程の人は、試しに電流を流す仕事である。巡回の人が壮一のところへすっとんできた。

「おい大山、お前、白と白をつながないかんのに、白と赤、つないだやろう。おかげであっちで。おい、来てみ!」

 四つ先の工程へ行ってみた。

「焦げてるやろ。あーあ、三万円バーや」

 その部品は焦げてしまってパーで、三万円するのだった。

 

 ときとき、研修会みたいなものがあった。ある部屋に集まって、短い映画が上映される。

『事故防止の心得、

 このケースでは、作業員がネジ穴Aに電気ドライバーでネジを締めるべきところを、誤ってネジ穴Dに締めてしまい、慌てて外そうとして、ドライバーのコードが腕に巻きつき、その結果、鉄板の切れ端で手を切ってしまい、全治二週間の怪我を人差し指に負いました。

 このケースでは‥‥‥、』

 再現映像か流れている。

 壮一は、この研修会の少しまえに、似たような失敗をしたところだった。幸い、電気ドライバーのコードが腕に巻きついたりはしなかったが、コピー機の鉄板のはしっこで指をちょっと切ったのだった。かっこ悪いので、持っていたバンドエイドを指に巻いて、黙っていた。

『巡回の人に言わんで良かったあ。言っていたら、再現フィルムのネタにされるとこだからな。巡回の人も評価か下がって、また俺もおこられるやろ」

 映画を見たあと、彼は思った。

 

 お昼休みは唯一の楽しみといっていいだろう。コシノジュンコという、世界的なデザイナーの手になるユニフォームを壮一も含め、従業員は着ている。バレーボールか何かの選手みたいで、かっこいいユニフォームの似合う人も、全然似あわない人も、各々が安い値段(三百円くらい)で、定食とかカレーを食べている。

 壮一はその日、カレーライスを食べていた。ごはんはおかわり自由である。食堂は、学校の講堂くらい広い。うしろの席に、壮一の隣でいつも作業しているおぱさんが座って、食べているようである。声で分かったのだ。

 おばさんは、しわがれ声の男性としゃべっているようである。後ろを振り向くと、でっぷり太っている初老の男の人が、例の、かっこいいユニフォームを着て、おばさんとしゃべっていた。いやに汗を書いている。壮一にも顔に、見覚えかあった。かっこいいユニフォームも、ちょっと太りすぎで台なしやな、と、腹の出た壮一は、自分のことを棚に上げて、思った。しかし、なぜ見覚えがあるのか。

 思い当たった。きのう、どやされていた人だ。仕事中、みんなの前で。

「もう、わしな」

 どんぶりのようなものを食べながら、男の人は語っていた。

「あんな、二十代くらいの若いもんに人前でどやされて、情無いわ。五十五で定年になったから、まだ働けるし思うて、ここ、来たけど、辞めよかな」

「まあ、あの人は、作業中に見廻ってる監督やないの。それが仕事やねんから、気にせんとき。人に怒るのが、仕事やの、あの人は」

「そやけどな、……

 おばさんは何を食っているのかと覗くと、うどんとごはんのようである。しかし、自分の手を休めて、後ろを振り向いて人の食べているものを覗き込むというのも、礼儀作法にもとるわい、と、向き直り、少し冷めたカレーを食う。

 翌日、汗をかきかき、おばさんにしゃべりつつ、食べていた初老の男性は、所定の位置で作業していず、別の部署から来たと思われる、若い男性がそこにいた。 

 ピー、ピー、ピーという合図が鳴るまで皆、黙々と作業を続ける。ここは六階建てのなかの、1フロアーに過ぎないが、それでも広い。『人に怒るのが、仕事やの』という若い監督が、従業員の間を、見て廻っている。

 人におこるのが仕事なんだから仕方ない。海外数か国に輪出しているんだから、下手くそな手の入ったモノは出せんのやろな、と作業中、壮一も思った。

 あっ、また間にあわん、

 ピー、ピー、ピー

 スピーカーからは容赦のない合図の音が。

 

 十時半になると、十分間のコーヒー休憩がある。なにしろ広い構内なので、コーヒーやら紅茶の自動販売機のあるコーナーまで行くのに、近いところにいる連中はすぐに行けるが、遠いところにいる人らは、そこに着くまでに三分はかかるので、かなわないのである。

 十分経つとまた、ピー、ピーが始まるので、往復にかかる六分を引くと、四分しか飲む時間がない。遠いところから来た人は、熱いコーヒーを、ふうふう息をかけて冷まして飲んでいる。壮一も、遠いところのグループだった。

 その短い合い間に、隣のおばさんに聞いた。

「あのう、こないだおこられてた人、今日はいませんねえ」

「うん、あの人な、別の部署にとばされてんて」

「へえー」

「アルバイトとは言っても、厳しいもんやよ」

 

 結局、その男の人は、とばされた部署にしばらくいた後、辞めるか辞めさせられたかしたということを、後に壮一は、同じおばさんから聞いたのだった。

 壮一にもやがて、同じ鉢がまわってきたのである。

 

 大阪の下町にあるだんご屋に、壮一は入っていくところだった。十二月にしては暖かい、よく晴れた日である。だんご屋は、彼の高校時代からの旧友がやっている、古ぼけた小さな店だ。

 のれんをくぐり、格子戸を開けると、ひまそうに、陳列棚の向こうに座って、新聞を読んでいる、長髪で眼鏡の男が顔を上げた。

「あれえ、どないしてん?」

「いや、ちょっと、元気でやってるのかと思ってな」

「いや、元気やけど。こんな平日の昼間に、どないしてん? 仕事は」

「いや、じつはな……、また辞めたったんや」

 自慢気に言おうとしたのだが、かすれた小さい声が出ただけだった。そうして意味もなく、嬉しそうな顔をして見せた。

 旧友の野中はまたうつむいて新聞をしばらく読んでいるようである。そして、言った。

「もう、俺もお前も三十代半ばなんやし、転職せんほうが、ええぞ」

 はんてんというのか、着物みたいなのを着た野中は、壮一と同じ年で三十五だが、父親のだんご屋を継いで妻子もおり、四十五くらいに落ち着いて見えた。椅子をすすめられて壮一も座った。

「いや、わかってる、わかってるって。ところで、商売、どう?」

「あかん。さっぱりや。和菓子のチェーン店が近所に出来てな。さっぱりですわ」

 新聞から目を離し、彼に向き直って言った。

「いま新聞読んでたら、今日はジョン・レノン没後十周年やて。道頓堀のライブハウスで今夜、ジョン・レノンの曲ばっかり、大阪のフォークの連中が、やるらしいで。大山、レノン好きやろ、行ったら?」

「いや、ええよ。金ないしな」

「それより、なんで辞めたの、仕事」

 例の初老の男性とほぼ同じ経緯を辿って、彼も、辞めたか辞めさせられたのだった。だが、説明する代わりに口をついて出たのは、

だんご、もろてええ?」

「ああ、ええよ」

「売り物のだんご、来る度にくれて、有難う」

「ええよ、遠慮すんな。それより俺、店の宣伝の為にな、近所に面白いチラシ、配ろう思てるんや。手伝ってくれたらバイト代、出すで。だんご屋の宣伝と、面白い読み物があったら、ええと、思てるんや。大山、まんが、うまかったやろ。何か描いてくれよ」

「そうやねん、俺、じつはジョン・レノンのまんがを描こうと思てな」

「ええ?」

「まあ、あの、お店の宣伝にもなるようなまんがにするわ」

「ジョン・レノンと、だんごは結びつかんやろう」

「いや、あのな、ジョン・レノンはだんごが、いや、うな重が好きやったんや。嫁さんが日本人やろ。それでえ……

「うーん、どうかなあ。いや、最近、アルバイトの女の子雇ってな。その子、前の会社でイラストレーターやってたんやて。その子にチラシを書いてもらおう思てるんやけど、大山のまんががあったら、鬼に金棒や」

 

 だんご屋から帰って、早や一週間が経った。だんご屋の宣伝を兼ねた、面白いまんがを頼むと言われ、紙切れに向かうのだが、どうもさっぱり、アイデアが浮かばないのだった。

 仕事がないので、朝は六畳のアパートの、敷きっ放しのふとんで、昼頃まで寝ており、部屋も片付けず、カップラーメンなど食べるうち、日、一日と過ぎて行くのだった。

「とりあえず、この、まんがを描かんとな。まんがを描いて、それを、なんというか、人生に希望を与えるようないい作品にして、そうして、職安行こう。全ては、このまんがを描き終えてからや」

 安物しか食べず、ろくに遊びに行くわけでもないのに、仕事をしていないと、みるみるお金は減って行った。仕事を辞めて今日で十日目、三万円がおなかに消えた。預金の残りも十数万円である。家賃も払わねばならない。そして、さっぱりまんがは描けないのだった。

「ビートルズでも聞くか」

 ビートルズを間いてごろごろしているうち、はたと気付いた。今日は、まんがの約束の期日だったのだ。

 壮一は野中に電話して、待ち合わせ場所を決めた。

「いや、あのな、まんがな、」

「おう、どう? 描けた?」

「いや、すまん、まだやねん」

そうかあ。ま、会うてからファミリーレストランでも行って、そこで描いてくれよ。どこで待ち合わせする?」

「うーん、落ち着いてものが描けて、食べれるとこって、おれんとこのまわりには、ないんや。おでん屋とか、どじょう汁とかの店は、あるけどな」

「そうか。そんならな、あそこはどうや?」

 壮一の下宿の近くの私鉄の駅からふた駅めの、駅を出たまん前にある、ファミリーレストランを野中は指定した。

 電車に乗って指定のファミリーレストランの駐車場に歩いていくと「野中だんご店」と黒いペンキで書かれたワゴン車が、既に停まっていた。急いで店の中に入る。

 客でざわついた店内の奥のほうに野中と、若い女とが仲良さそうにしゃべっているのが見えた。走ってそこまで行き、

「やあ、待ったかな?」

「いや、ええよ。それより、こっち、このあいだ話したアルバイトの近藤さんや。ほら近藤さん、こないだまんが見せたやろ。あのまんがの作者や。大山や」

 プッ、と、若い女は壮一のほうを見て吹き出すと、またふつうの、真面目な顔になって壮一と挨拶を交わした。まず夕食をみんなで食べることにした。

「仕事がないと、お金が減るのも早いで。『お足』っていうくらいやからな。まんがを描いて、元気をつけようと思うてね」

 どうも、初対面の人間がおると、話しづらいなとは思った、人みしりのする壮一ではあったが、次第に雰囲気は和やかなものとなった。壮一の描いた、乞食が騒動を起こすまんがを近藤さんも読んで、とても面白かったと彼女は言った。まわりはバブル景気で浮かれているのに、うちは店の家賃が上がって、近所にライバルの店が出来て、さっぱりやと野中が言い、近藤さんは会社勤めがいやで、イラストの仕事を辞めたとか、そういった話が続き、定食を食べながら、趣味の話に移った。

「私は、◯◯が好きなんですよ」

 と近藤さんが言った。

「ああ、うた、うまいですよね。ハンサムだし。あんまり僕、知らないんですけど。ええっと、なんでしたっけね?」

「〇〇」

「ああ、そうでした」

 テレビによく出ている、四人だか五人だかの男の子のロックバンドなのだろうと、壮一は思った。女の子がきゃあきゃあ騒ぐような。

「あれはあれで、なかなかよくやると、思いますよ。アイドルでいるということは、大変なことですからね。楽しそうにテレビで歌ったりしてますけども、けっこう練習してるんだと思いますよ彼らも。ドラマとかもよく出てますよね、俳優も兼ねてるんでしたよね」

「映画には出てますけど、テレビドラマには出たことありません」

「ああ、そうでしたね」

「なんか、おじさんみたあい、言い方が」

「いや、そうやなくてえ、あの、」

 どうも横文字のバンドの名前は覚えにくいわいと、彼は思った。日本人なら、日本語のひらがなにしたら、とか。

「ところでビートルズが、僕は好きなんですよ、なかでもジョン・レノンは。ジョン・レノンこそは、最高なんです。僕が高校のとき、勉強についていけず、人間関係もややこしくって、学校辞めよかな、とさえ思っていた矢先、もっと楽に生きたらええんやと、救ってくれたのが、ジョン・レノンで、つまりそのう」

 彼はジョン・レノンについて、とくとくと語り始めた。ジョン・レノンの音楽を聴いて、人生、お金と仕事だけじゃないことが分かったこと、努力と勉強だけじゃないこと、夢を持つことを教えられたこととかを、曲名を挙げながら、説明するのだった。ときどき口ごもったが、力が入っていた。というのも、失業中の彼にとって、ビートルズや、ビートルズが解散したあとも、ソロ活動で頑張ったジョン・レノンのことを話すことで、なにかしら、人生に希望が見えるという気がなぜか、したからである。

 壮一の以前の友人に「ストーンズを嫌いな奴は信じない。誰であろうと」みたいなことを、しょっちゅう言う奴がいて、ローリング・ストーンズは俺の切ない心をいちばん分かってくれるんだ、みたいなことばかり言っては、ビルの高いところに上る仕事をしていたが、あんまりストーンズ、ストーンズというものだから、もうちょっとほかの話もしろよ、そんなにストーンズ、ストーンズて言うていたら、ビルからすとーんと落ちるよ。演歌もクラシックもええやないか、ビートルズもええぞと言うと、えらく怒って、それっきり音信不通になったのだったが、僕の言っているのは、そんな意固地な意味ではない。だいいち、近藤さん、あなたのその、〇〇というバンドさえ、元を辿ればビートルズから来てるんだよ、と説いて聞かせたのだった。

「ビートルズの「レボリューション」ていう曲ね、あれは一九六〇年代の、あの、世界が革命だなんだって沸き立っていた、学生運動盛んな頃に、敢えて、破壊は止そうや、今ある物で使えるものもあるんだという、メッセージで、勿論ジョン・レノンの作詞作曲で、今でも海の向こうのロックミュージシャンはよく取り上げていて、時代を先取りしていたっていう、(中略)「ヘルプ」で彼が言いたかったことは(中略)、「イマジン」で彼は云々、だからこうして、その、近藤さん、あなたの好きな〇〇というバンドも、元を辿ればビートルズ、ジョン・レノンやポール・マッカートニーから来ているんだよという‥‥‥

 とどまるところを知らなかった。壮一はすっかり上機嫌になり、

「レノン死して十年も経つのに、俺はなんにも出来へんかっか。そやかて俺もな、……

 近藤さんを見ると、ぽかんとしている。

「あたしね、ジョン・レノンてよく分からない」

「え?」

「あたしの、男の子の友達で、ギターやってる子がいて、ジョン・レノンはすごいんだとかよく言ってるんだけどね。わたし、ジョン・レノンて分からない、分からない」

 一瞬、あれ? と思ったが、すぐまた、もとの和やかな雰囲気に戻った。

「あっ、そうや、野中。高校のときの友達の平田、どうしてるかな」

「元気で先生やってるみたいやぞ。三人の子持ちで、こないだ帰って来たとき、すっかり東京弁になってたぞ」

「野中君と僕と、平田君というのが、学校のサボリ友達でね、野中君とこは家が商売やってるんで、裏手に離れて小さなプレハブみたいな、野中君の部屋があり、そこで皆で学校さぼって酒飲んで、ビートルズやら岡林やら聞いて、学校や社会の悪口言って騒いでて」「懐しいなあ。近藤さん、いま大山が言うた俺の家とか親のやってた店は、こことは違うんや。一キロほど西の、川沿いや」

「面白そうですねえ」

「店の名前も変えようと思うてるんや。「野中だんご店」て、ちょっとなあ。そや、そろそろまんが描いてくれるか」

 三人とも食べ終わり、コーヒーを飲みながらまんがを描くことになった。

「まえの、ほら、乞食が騒動を起こすみたいな、まんがにしてくれません?」

 と、描いている壮一の顔を覗き込みながら、近藤さんは言った。

「そうやねえ、ま、いま失業中なので、乞食のまんがとヽいうのは身につまされてね」

 鉛筆を持つ手を休めて、壮一は答えた。

「こういうのはどうや? 例の、乞食ふうのおっちゃんがだんごを食べようとしたときに限って、じゃまが入り云々」

 野中のアイデアのとおりに描くことにした。近藤さんもアイデアを出し、とぼけたキャラクターの、お腹の出た例の男が騒動を起こすまんがを、四苦ハ苦して描きあ

げた。

「うん。これで、ええな。この路線で、毎月一回、頼むわ」

 と野中は千円札が何枚か入った封筒を壮一に手渡した。食事もおごってくれたのだった。

 

 一週間ほどして、すばらしい出来映えの、美しいイラストやらレタリングやら文章の書かれたチラシが送られてきた。ちゃんとまんがも載っていた。

「この調子でじゃんじゃん描いてください。先日は、有難うございました」

 と、女の子らしいまる字で書かれたメッセージも添えられていた。しかしながら、日にちが過ぎてもまんがのアイデアはいっこうに浮かばなかった。たまに伸び伸びと、仕事の合間に描いていたから、面白いのが出来たのであって、義務となると途端に萎縮してしまうのだった。それに、仕事を持っていてこそ、ルンペンみたいなまんがも描けるが、ほんものの浮浪者になりつつある、そんな危機が忍び寄っているときに、ルンペンのまんがなんて、書けるものではなかった。チャップリンは、豊かになったからこそ、昔の貧乏時代を懐しんで、浮浪者の映画を作ることが出来たんではなかろうか、とか、そんなことを壮一は考えた。

 それでも無理をして、仕事もせずあと二回分を送った。無職になって、三か月が経とうとしていた。

「まんがのほうの評判は、いまひとつのようです。チラシ持参のかたには、おだんごを割引しているのですが、お客さんにまんがの印象を聞くと、よく意味が分からないとのことでした。私としては、大山さんの、あのキャラクターが、意味もなく騒ぎを起こしてしまう、昔描いておられたような面白さが、欲しいのです。

 エラそうなことばかり書いて、スミマセン。お体、大切に。次回を期待しています」

 もういちど気合いを入れてまんがを描いて、四回目をだんご屋宛、送った。それが最後となった。いつもなら、一週間か十日経って、白黒刷りのチラシと、千円札が何枚か、封筒に入って送られて来るのだが、ひと月経っても、うんともすんとも反応がなかった。「もう、貯金がない。四か月もプー太郎して、なんにも収穫がなかった。仕事探そう。あっ、その前に野中に電話やっ!」

 

「もしもし、あ、野中? 俺や、大山や。……、すまんっ、今ちょっと用事が入ってな。五分後に、すまんけどそっちから、かけてくれへんか。え、かまへんて? すまんなあ」

 ガチャン、

 きっちり五分後に、野中から電話がかかって来た。本当は用事なんかなかったのだが、貧乏というものは、つい、浅ましい行動を、人に起こさせるものである。

 ジリリリーン、

「はいもしもし、いやあー、すまんなあ」

 こみ上げて来る笑いをこらえながら、ときには吹き出しながら、壮一は喋り続けた。

「わはははっ、めっちゃおもろい、めっちゃおもろい。なあー、なあー、あんな『整形まえ』みたいな顔、しやがってーっ、わははっ。『あたしジョン・レノンて分からない、分からない』やって。俺かて『〇〇なんて分からない、分からない』て、言うてやったら良かったなー。

 え、何? 仕事は出来るけど? 人情とか、哀愁、そういったものが? 分かる分かる、野中の苦労、分かるよ。そいでな、ああいう若い女はな、え? そうやねん、そうやねん、そのとおりやねん、わはは、めっちゃおもろい、めっちゃおもろい。そやろ、あんなぶーす、なあーあ、なあーあ。

 俺たちのような、深さと、哀愁を持って誠実に生きて行くという人生哲学が、あんなアホには分からんのかなー、わははははっ、もうー、ほんま、わはははっ」

 

 そのうち、話のトーンも大人しくなってきた。それと共に、壮一が喋ったことに対して、それを肯定的に反復してくれて、壮一をわくわくさせていた、その会話の雰囲気が、いつの間にか、ちぐはぐなものになって来たのである。

「え、仕事? 探す、探すって。もう中年? 親を安心させろ? 知ってる、知ってるって。野中もだんご屋が大変? お店をやっていく苦労? 分かるよ、分かるって。野中も、あんなアホ女をバイトにして、そうして妻子を養う苦労、分かるって。え、アホやない? 

 いや、そうや、そうやって。知ってるよ、そやけどな、俺らみたいな芸術家はあ‥‥‥、え?俺は芸術家になった覚えがないって? 野中、なんでやねん。俺はまんが、野中はロックシンガーに、二十代の頃なろうと、え? なんでやねん。書く、書くよ、まんが。え、まえに書いた四つのまんが、よく分からへんて? なんで、哀愁とユーモアとお、え、一人よがり?

 ‥‥そうや、まだお互い、若いねんからまた、野中もギター持てよ、ええっ、それどころやないってえ? まんがが、へたくそってえ? ど、どないしてん野中、ちょっと今日、おかしいぞ。まだ、近藤さんの方が? ……、お、おい、どないしてん、どないしてんっ!?」

 ガチャッ、

 ツー、ツー、ツー、

 ぼろアパートの一室で一人、受話器になおも耳を当てていた。ツー、ツー、という音がしばらく鳴っていたあと、無駄に回線を使用しないようにというNTTのしくみからか、やがてブゥーッという音が聞こえ、次第に大きくなって行く。

 ブゥーーワー!!

 耳に耐え難くなった壮一は、受話器を置いた。

 安い酒を飲んで、敷きっ放しのふとんに寝転び、彼は考え始めた。何がどうしてこうなったのか。よし、最初から考え直してみるんや。えーと、えーと。

 いつの間にか彼は、夢路を漂っていた。酒飲んで考えていても袋小路の迷路に迷い込んでいた思考が、夢の中ではすっきりと、表現されているようだった。十八歳の頃の、思い出の場面が、寸分違わず夢の中に再現したのである。

 

 東京タワーの下、上空には青空が拡がっている。壮一は、東京タワーのすぐそばの公園の、ベンチに寝転がっていた。野中も、向かいのベンチの上であぐらをかいて、煙草を吸っている。

「大山、俺も東京へ出て来たからには、あちこちのレコード会社まわって、この自主製作テープ売り込むから、お前もまんが、売り込めよ」

「ああ、東京の大学に通って下宿している平田んとこ、遊びに来たついでに、こんなにずるずる、東京に居ついてしもうたけれども、やらんとあかんな。そやけど、気持ちのええ春の日やね、こうやって寝転んでると」

「俺なんか、夢ばっか見てるで、昔っから。あかんのかなあ」

「いや、そんなことないよ野中。意志が強いやないか。きっと音楽、うまく行くよ。おれは野中の曲、めっちゃ好きやでえ。ところで、東京タワーの下のうどん屋のバイト、お店の人ら、ええ人で良かったなあ」

「ああ、二人でバイトしながら頑張ろうぜ。大山、選挙の看板に写ってた女の子、池内さんとかいう子に似てるのか?」

「ああ、そうやねん」

「大阪に錦を飾って帰ったら、告白せえよ」

「そうするわ」

 

 夢から覚めたのは明け方だった。ふらふらと家の外に出た。昨夜は雨が降っていたらしく、路面が濡れていたが、今朝はいい天気である。まだ太陽が昇るちょっと前で、空は暗い。そこへ軽トラックがやって来た。早朝にいつも野菜を売りに来ている。壮一は、アパートの向かいにある、草ぼうぼうの公園の、ベンチに腰を下ろした。朝市の八百屋の、若い兄ちゃんは軽トラックの荷台から白菜やらトマトやらを下ろして屋台の準備を始めている。軽トラックからは、ビートルズの音楽が聞こえてきた。

 ヒア・カムズ・ザ・サン

 太陽が、ちょっとずつ昇って来るような、そんな歌だった。

 太陽が本当に、向こうの家々の屋根の間から昇って来た。と、見たことのない、大きなかっこいい鳥が、この公園の、半分、花の散った桜の木に止まった。大きな金色の鳥である。かっこいいなあ、こんな鳥がおったのかあ。雨に濡れた木の葉の間に止まっている。

 と、よく見ると、それはカラスだった。朝日を受けて、白っぽく輝いて見えたのだった。カラスって、じつは、かっこ良かったんやなあと、彼は思った。元の黒い色に戻ったカラスは飛び立って行った。そうして軽トラックの窓からは、ビートルズが流れていた。

                                                (終わり)

 

 

 

                            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


奥付



ビートルズの歌が鳴っていた


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