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だれかを好きっていうほど、自分を毅(つよ)くすることはないね。

 


 だれかを好きっていうほど、自分を毅(つよ)くすることはないね

 
 はんぶんの月は魔女の月だ。たった一行、書いて残して、
 まりかは街(まち)から姿を消した。
 
 どうしよう。
 
 あたしはまりかがいなくちゃだめなのだ。
 あたしはこどものとき捨てられて、淋しくて寂しくて。
 そうしたら、まりかは“親”に捨てられなかったのに、
 じぶんで逃げ出して、あたしを探してくれた。
 だからあたしはなんでもできる。
 まりかのためなら、なんでもできる。
 
 それなのに  

 さむくておなかがすいてたころ、ふたりでたどりついた街。
 やさしくはないけど、あたたかかった。
 まりかがいないとこんなに狭かったろうか。
 どのドアをあけても公園をはしっても、これ以上まりかを、
 捜すところもないくらい。

 神さま神さま、あたしは泣いちゃうよ!

   だれかを、好きっていうほど、
 自分が弱くなる魔法もないんだね。
 うずくまって、なんにもたべたくない。
 もどってくるまで涙は涸れないよ。
 
 まりか。
 どうしていなくなったの?
 なにが問題だったの?
 ふくろうに聞いても、野ネズミに訊ねても、白いヘビに頼んでも
 やっぱり、だれもなにも知らないよ。
 
 …………………………………………。
 さがしに、行こう。
 
 つぎの正半月、あたしは魔女のまちの空のかべを、
 一匹(ひとり)でのりこえた。
 
 
 
 
 

『 太陽の猫 by 土岐 真扉(とき・まさと) 1 』

 
        − ☆ −
 
 
 新月のかぎあなは生身にはほそすぎる。
 闇は魔王のみち、満月は仙女のかよい。
 だから、あたしたち小さな者たちは、
 半分の月をぬけて世界へと旅をする。
 
 「門番さん、まりかを知らない?」
 「あんたとおなじ猫かね」
 「白くて金色の瞳(め)をした仔猫」
 「このまえの正半月(せいはんげつ)に、門をぬけたよ」
 
 ぺこり、とあたしはおじぎをした。
 つぎの瞬間おもさがくるりとまわって、
 乾いた褐(あか)いじめんに、ぎっちり爪をたてていた。
 
 青いあおい、どこまでも蒼冷めて、とおく昏(くら)く
 凍てついた空。
 断崖にうちよせる膿(うみ)いろの毒の海。
 折れた刃(やいば)のように生気のない、残酷な疾風(かぜ)。
 
 ……こわくない。そこにまりかさえ、いるところなら。
 
 胴ぶるい、ひとつして、あたしは歩きだす。
 
 
 
 断崖のふちまで行くと、どこの街にも逃げなかったのか、
 大きな泥の亀が、じっくりと虚無(そら)をみていた。
 
 「ひてる、くもなす、あめふらす、
  ひてる、くもなす、あめふらす、……」
 
 「  なにしてるの」
 
 おどろくほど歳月をとった顔が、こっちを向いた。
 
 「雨が、ふらんかと思っての。そう、願う者が、おったなら」
 
 「降るの?」
 
 「さあのう……」
 
 首をふる、いくどかの動きにあわせてゆっくりと、
 からからに干上がった泥の亀は、めのまえで砂塵に還っていった。
 
 さらさら、さらさら、化石(いし)はくずれて消えて、
 ちいさな山をはこぶ風がひょうっと葬礼の笛をふく。
 
 それでも、やっぱり、亀は亀として、そこに居た。
 
 「おじさん、まりかを知らない?」
 
 (友だちかね)
 
 「いちばんきれいな猫なの」
  
 (さて、かもめどんなら知っとるじゃろう)
 
 「どこにいるの」
 
 (ここから反対側の海に……)
 
 ありがとう。あたしがいうと、
 透きとおった魂のかたまりは、こえもなく笑った。
 
 「街へ逃げればよかったのに」
 
 あたしはつい言った。すると、
 
 (泥の者(かめ)にまほうは似合わなんよ。それに)

 わしは、この世界が好きじゃったでの……
 
 “ねがい”だけになった亀はゆっくりと、
  昏い藻の色の海へとむきなおる。
 
 (日が照れば、雲がわいて、雨がふる)
 
 
 ひがてれば  ……
 
 
 
 その岸をあとにして歩きだしたあたしは、
 こころを喰うようながらんどうの、虚空を見あげた。
 
 太陽はない。星々もない。あたしが仔猫のころから。
 消えてしまった太陽が空に昇ることなど、けしてない  ……
 
 
 
 
 
 海を背にしてどんどん行くと遠くに白い帆の風車があって、
 近づくと、それは汲み上げ井戸から水滴をかいだしている、
 消えそうに古い牧場のめじるしだった。
 
 メエェ。
 
 「あんたたち、逃げないの?」
 
 話しかけてもここの羊は自由な生き物ではないようで、
 そのかわり
 
 「きみこそ、さいごの裁きの地で、なにをしてるのさ」
 
 蒼いチカチカする風のなかで赤い服をきた男の子が、
 杖を手にして、あたしを見ていた。
 
 ひかる星の眼。
 
 「あたしは  
 
 まりかを、と、この子にいうのはなんだか厭だった。
 
 「あたしは、ここにいても、死なないから」
 
 「“死ぬ”なんて」

 きれいな子は、眼をほそくして、嘲(わら)った。
 
 「だれも生きていない世界では意味のないことばじゃないか」
 
 「あなたはなぜいるの」
 
 あたしは訊いた。
 
 「羊を食べる人間なんか、ここには残っていないのに」
 
 「だってこいつらはよく従ってかわいいだろう?
  守ってやるのは、ぼくの義務だもの」
 
 たくさんの、たくさんの黙った羊と、杖をもつ神様の子ども。
 
 「まりかとあたしも、人間の家にいたの、むかし」
 
 あたしを捨てた“親”たちも、最後の嵐で死んだのだろう。
 
 「囲いのなかでは真法は身につかないよ」
 
 言ってやったけど、もう男のこは何に気をとられたのか、
 首をぴんとねじまげ眼を赤い星のようにして、
 うす汚れた仔猫のいることなど、
 忘れてしまったようだった。
 
 「“コウグン”だ、“コウグン”が来る!」
 
 それからあっというまに羊たちをあつめると、
 高くさしあげた杖の呪文を唱え。
 
 風車も牧場の柵も、ばたんとドアがとじるように
 
 全てが失せてしまった。
 
 しかたないのでまたずんずん歩いてゆくと、
 やがて地平のむこうから、
 雨雲のように暗いかたまりが沸いてきて、
 見るまにそれは嵐で死んだ亡者たちの……、
 
 たましいの群れになった。
 
 
 どこまでもどこまでも、見わたすかぎりの苦悩と悔恨だった。
 
 なげく声。哭く叫び。
 
 首のないもの、手足のもげたもの。
 
 たいようを殺すあらしをおこした人間たちはもちろん、
 造られた機械や頭脳、柵のなかにいた生き物たち、
 草や木のすがた、流された毒の奇魚  ……。
 
 およそ、ありとあるかたちのたましいが、
 腐りかけ、火と水でふくれとけた幻の現身(うつしみ)をひきづって、
 還るべき場所を求めてあれからずっと、
 さまよいつづけていたのだろうか。
 
 太陽のない世界には光も闇もない。
 恒星(ほし)といっしょに天国も地獄も消えたから、
 滅びた世界で、転生を封じられ、亡者たちにはもう本当に、
 
 去るべきところがないのだ。
 
   まりかが、ここにいたらどうしよう  
 
 あたしは小高いおかに逃げあがって、
 いつ果てるとも知れない行軍を見おろした。
 じっさい、猫よりずっとつよい者たちさえ、
 亡鬼のなかには、いるのだ。
 
 白い鹿。黄金の龍。ひろい枝いっぱい人間の子供を乗せたまま、
 濁流にのまれた古い樫。
 
 なまじ、力があるだけに、世界を見捨てて逃げられなかった、
 殉難する英雄たちがいたことを、あたしも知っている。
 
 まりかも、優しい猫だから。
 
 もしもと思うと白い影が黄昏にうかぶたびに心臓がどきどきして。
 
 「? ……お母さん!」
 
 あたしが叫ぶと、そのひとも見た。
 洗濯したてのかっぽうぎを汚い血にそめた怖い顔は、
 それでもたしかに、むかしあたしにミルクをくれた。
 にぎやかな家だった。
 
 「おかあさんっ?」
 
 人間だから死んじゃったのはしかたない。哀しいんではないの。
 でも、ひとつだけ訊ねたかった。
 なにもかんがえずに、どうしても、あたしは岩場をかけおりた。
 
 (なんで捨てたの。
 
  どうして、あたしだけ捨てられたの?)
 
  
  ………………………………っ!
 
 
 つんのめって、踏みつけられた。
 おのれを灼く火焔を設計させられた機械が、
 あたしにきづかず乗りこえて去った。
 
 亡鬼の群れ。どこまでも昏い群れ。
 
 動けなかった。それにほんとうは、あたしは知っていた。
 
 茶色の猫だったから。白く生まれなかったから。
 まりか、みたいに、美猫(びじん)でも、
 愛想よくもなかったから。  だから。
 
 (おかあさん……)
 
 だれかの骨があたしを蹴った。
 幾百、幾千、幾億万の、
 嘆きの重さがのしかかる。
 
 
 
 
 
 死にたいね。
 
 
 しんでしまえばよかったね。
 
 
 
 
 あのとき、あの雨のなか、まりかさえ捜しに来なければ……。
 
 まりか。
 
 なによりも、たましいよりも
 大切なはずの白と金の笑顔(いもうと)を、
 にくむほどに怨んでもいる自分を、
 
 あたしは初めて知った。
 
 
 もう、なんにも、わからなかった。
 
 痛いだけの心と器をひきずって、
 いつしか死者の行列と、
 いっしょになっていた。
 
 
 
  おや、生ける者が
 こんなところで、なにをしているね。
 金茶のトラ猫や)
 
 見あげても最初はなんだか判らなかった。
 
 「あたしは泥茶のまだらの猫だよ」
 
 (いいや。金茶のトラだ)
 
  …………?
 
 ふとくて長いものが巻きついて、
 ひょいと頭上にあたしをつりあげた。
 いたずらっぽい横目で笑う、巨(おお)きな銀の象だった。
 
 (迷いこんだな? 殉じたいわけではないようだ)
 
 「……お母さんが……」
 
 (そうか)
 
 なんと言おうか迷っていると、巨象はゆっくりうなずいた。
 
 (だがもう帰りなさい。
 
  ……そうだ、これをいっしょに連れて行ってやってくれないか)
 
 「なあに?」
 
 ぽちんと小さな黒いつぶだった。
 
 (生命の種だよ。
 
  わたしが最後まで守ってやれたのは、たったこれだけなのだが、
  いつまでも死んだものが抱いておっても、
  意味がないからな)
 
 「たね。  蒔くのね?」
 
 (頼む)
 
 世界をささえていた象は優しくつぶやいた。
 
 (目をしっかり閉じていなさい……そら!)
 
 昏冥のなか銀の燐光をながくひいて、
 鼻がぎゅんとしなってあたしを投げた。

 
 

 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太 陽 の 猫

 

by

 

土岐 真扉

(とき・まさと)

 

 2 

 

 

 

 

 

 

 

 

『 太陽の猫 by 土岐 真扉(とき・まさと) 2 』

(@専校…だと思う。同人誌『夢節操』?号所収の既発表原稿)

2006年12月2日 連載(2周目・地球統一〜ESPA) コメント (4)


『 太陽の猫 by 土岐 真扉(とき・まさと) 2 』


 
        − ☆ −
 

 
 
 ふりむいても暗い影のかけらさえなかった。
 
 空をみると、最後まで残っていた月の姿がもろもろと崩れて、
 虚無に還るところだった。
 
 ああ……そうか。
 
 太陽が儚(はかな)くなった世界に月がいられるはずがない。
 残ったのは大地と天の境になる一本の線しかなくて、
 
 がらんどうで無意味で。
 
 いっそのこと、うえもしたも、いいも悪いも、
 消えてなくなってしまえばいい。
 
 あたしは思った。
 
 世界なんてものは、
 さいしょから空っぽで、
 あってもなくても同じで、
 あるいはほんとうに存在してなくて。
 
 草も木も、まりかも……太陽も……。
 
 みんなあたしがみた、ちっぽけな夢だったのかもしれない。
 
 
 だから、意味も地平線も、もういらない。
 あたしはどこへも歩かない。

 それならそれでいい  ……
 
 
 
 
 ふしぎに静かな気持ちで、そこへすわっていた。
 
 狂うとか、哭くとか、そういうのではなくて、
 ただ寂しい大地をかわいた風がふく。
 いろのない砂がさりさりと、
 ことばを削いでいく。
 
 
 
       かなしいね。
 
 
 
 
 じぶんが、かなしい、ということも
 忘れてしまうほどトカゲ一匹いない漠土。
 
 

 「生命(いのち)の種をもらったね」
 
 
 
 虚ろな空のしたに
 男の子がたっていた。
 
 
  
 「ぼくにおくれ」
 
 
 
 
 「ひつじはどうしたの」
 
  
 あたしは訊ねた。
 
 
 
 光る眼の子供はじれったそうだった。
 
 「あんなやつらに用はないんだ」
 
 「かわいいって言ったじゃない」
 
 「生命の種をよこせったら。それでもっと良いのを造るんだから」
 
 「いのちは、つくるんじゃない。生まれてくるのを待つものよ」
 
 あたしはそろりと立ちあがって身構えた。
 
 冥府への行軍で砕かれた器(からだ)の骨はあちこち傷むけど、
 背中のけなみが逆立って、
 フウとしぜんに威嚇のうなり。
  
 もう一度、言った。
 
 「たねは、蒔くものよ」
 
 「放っておいたらロクでもない、
  おまえのようなのしか、
  できてこないじゃないか」
 
    息をのんだ。
 
 
 
 あいてが誰であれ、
 じゆうになった真法(まほう)の存在(いきもの)を、
 
 ばかにするのは許せなかった。
 
 「神サマの長(おさ)な子だからって威張ンないでよね!
  あんたたちの都合のために生まれてきたんじゃないわっ」

 「種をよこせ!」
 
 星の眼をぎらぎら光らせて羊飼いの杖があたしを打ちすえた。
 飛びすさって、咬みつきかえした。
 
 なぐられる。また飛びかかる。
 
 爪をたてる。切り裂く。
 
 ただ荒涼とした地球のうえを凄まじい速さで走りながら、
 二本の腕と四つ脚は闘った。打たれるのは酷くこたえて、
 ぎゃんと叫んであたしは何度も逃げた。じんじんと痺れて、
 脳天まで空白に染まっていった。
 
 生も死も、命数も、それはあたしのものだ。
 
 たとえ神さまでも死にたくないあたしを、滅ぼしたりできない。
 いいえ、そのひとなら、しない。
 
 神さまは、なにも所有しないから、神さまだった。
 あたしたちは、すべてみずから立つからこそ、
 
 
 のぞむままの自分を生きる。

 
 飢えも、病(やまい)も、
 こうして誰かから
 邪魔だと切られることも。
 
 いちど我が身の主(あるじ)であることを覚えた真法の者には、
 けっして通用しない。
 
 殺されて、やるものか。
 
 そう信じているかぎり不死なのだ。おもうまま自由な存在だった。
 
 けれど、ニンゲンは、ちがう。
 
 人間は、柵や区分を造って、ほかのものに当てはめた。
 てまえかってにやりたいあまりに、
 自分でじぶんに鎖をかけた。
 
 区別を求めるものは限界に縛られるから、
 外を強制しようとすれば己(おのれ)もまた、
 その暗示と運命とから、逃れるすべはないのだ。
 
 だから、人間は、死ぬし殺される。
 
 あたしが負けなければ、
 いつかはあいてが敗ける。
 
 衝撃にくりかえし悲鳴をあげ、もう止めたいと思いながら、
 それだけを頼りにあたしは走りつづけた。
 
 時をはかる星のない世界のうえで、
 動悸と恐怖だけが無限のくりかえしを刻んで過ぎる。
 
 我にかえると足元には、
 全身の浅い傷から血潮を流しつづけて絶命した、
 幼い傲慢な死骸がくずおれていた。
 
 命あったものを残酷な風が、
 見るまに薄い霧にかえて吹きちらす。
 
 「生命の種」
 
 ぽつり呼びかけても、
 いまだ覚めないそのつぶが
 
 応えてくれるわけもない。
 
 むねがむかむかしてきてすこし吐いた。
 
 ずるずると、あたしは這って進んだ。
 
 どこでもいい、
 芽を出せそうなところに、
 種をうめてやりたかった。
 
 
 
 そうしないと  ……。
 
 
 
 地面は白っぽくて細かい砂塵ばかりだった。

 ずるずるじりじり、にじって動いた。
 
 そのうち回復して前足でうしろを引きずれるようになり……
 ふらつきながらも四本脚で。
 
 と、
 ふと妙なことに気がついた。
 あたしが歩いたあとに、
 すこしづつ水がにじむのだ。
 
 はじめは、糸のような陽炎めいた水蒸気。
 
 それからだんだん踏むたびに湿った窪みができて、
 じんわり柔らかく水が溜まるようになり。
 
驚いて、じっと足もとを見ていると、
 滲(し)みだすように嵩をましていって。
 
 やがて、点々とつづく足跡のままに泥地をおしひらいて
 砂茫のかなたへと、ひとすじの細い、無窮の流れをつくった。
 
 
 ゆっくり、どいてみる。
 
 
 あたしの足先の四つの湧点から、
 こんこんと清水のあふれだす、小さな泉ができていた。
 
 そっと舐めてみると澄んだ冷たい水が胸にしみる。
 涸れたり尽きたりする気配もない。
 
 うん。これなら大丈夫だね。
 
 前足ですこし地面をかいて、そっと生命の種をころがした。
 おとのないかすかな響きが、ありがとうと合唱したようだった。
 
 

        − ☆ −
 
 
 
 そのとき視界のはしっこを白く輝くものが、すぅっと横切った。
 
   まりかだ!
 
 あたしはなにも考えず駆けだした。小高い丘をこえるとその前は、
 緑の波がいちめんに泡立つ、反対側の海だった。
 
 ぎゃあ、と純白のかもめが鳴いた。
 
 あたしは落胆した。
 
 「おお、驚れぇたぜ。なにかとおもや
  金の矢のような娘(あま)っ子だ、くわばら、くわばら!」
 
 「待って、逃げないで、かもめどん!」
 
 「待てといわれて待つバカぁいないって。
    けど、娘っ子のたのみを断るのも、
  紳士じゃねぇなぁ  ほいほいっ」
 
 「まりかを見なかった?」
 
 「まりなら見たよ。ころがってった」
 
 「ちがうわ。白くて金の瞳(め)の仔猫。
  世界でいちばん大切な猫なのよ」
 
 「猫が二匹も! これぁいよいよ世も末だ」
 
 くるり旋回しながらカモメは高くぼやいた。
 
 「産んだばかりの卵はとるし、ヒナは連れていく」
 
 「もうしないから」
 
 そのとおりなので困って頭をさげた。
 
 「まりかを見たなら教えて頂戴」
 
 無言。旋回、急降下。……そして旋回。
 
 「なに、じつのとこ巣も女房もない、
  哀れなヤモメのカモメときたもんだ。
 
  ……白い猫、しろいネコ……っと。いいゃ覚えがないねぇ」
 
 「でも、泥の亀が、かもめどんなら知ってるだろうって」
 
 「おうよ。空と地上にいるもンのことなら、

  おれっちより詳しいやつァいねえや」
 
 「生きてるのも死んでるのも?」
 
 「幽霊どもの名簿をつくろうか。

  銀の象で死にぞこなった、
  金の猫娘」
 
 「  あたしが金色?」
 
 すぃーっと高く、かもめは昇って行った。
 
 「人魚の尾っぽみてぇなきれいな金色だぁ。
 
  ……やっぱり居ないねぇ」
 
 「そんなはず」

 「答はカンタン、前方をご覧(ろう)じろ」
 
 「え」
 
 あたしのまえは断崖絶壁、のたうっている死んだ海。
 
 「空も地上もハズレたら、海ン中に決まったね」
 
 むかっと腹が立った。
 
 ねこが海にいるなんて! 濡れるじゃない。
 それも、腐った塩水よ!

 ……ねこが……、海に…………?
 
 
 必要なら?
 
 いるかも知れない。
 
 あたしは崖をけってざんぶり飛びこんだ。
 ぐんぐん潜っていった。

 息が苦しいとか毒の水が肺にしみるとかは
 真力(まりょく)のおかげで防げるけれど、
 寒いし暗いし、動きづらいし、ぜったいに、
 
 まともなときなら遠慮したい。
 

 
 どんな事情があったら、
 猫がじぶんから水のなかに入るだろうか。
 なにが理由で穏やかな街から外へと出たろうか。
 
 
 
   世界は、こんなに、つらくて酷いのに…………。
 
 
 
 まりかを心配しながら、あたしはそれでも、
 ずっと自分が満足しているのを知っていた。
 
 静かな街であのまま朽ちるより、
 こうして苦い水をかきわけながらでも、
 好きに生きていたほうが、あたしに向いている。
 
 
 あたしは、猫だから。
 
 自由でいたいから。
 
 
 
 
 
 
 すぅと、圧してくる水のおもみがひいて、
 あたしのまえに海の母上がいた。
 水霊たちの王だ。
 
 「なにを、お捜しかえ、日の輪ぎみ」
 
 「それ、あたしのこと?」
 
 「わからないなら、黄金光(おうごんこう)とも呼ぼうが」
 
 いわれればたしかに
 あたしは金色に輝いていた。
 
 母上は、藻のはえた龍のすがたをして、ふふと笑った。
 
 「きみのよいこと、浄明(じょうみょう)にふれるのは」
 
 「まりかを見つけたいんです」
 
 「あって、どうされるぇ」
 
 ……考えては、いなかった。

 
 
 「月光姫は……まりかどのは知っておろうよ。
  真力(まりょく)と血をわけあった妹じゃ。
  そなたが怨み妬んでいたことも、ほんとうは、
  ひとりで街から出たかったのは、そなたのほうだとも」
 
 「…………そう…………」
 
 あたしは目を伏せた。
 
 
 
 「それなら、やっぱり知ってるはずです。
  なにがあっても、それでも好きだって」
 
 あたしの光はまた強まった。
 心地よさそうに天眼をほそめた龍の王は、
 うろこを虹色にして、ゆっくりうなずいた。
 
「行かれるがよい。ここにはおられぬ。天界じゃ……」
 
 
 ことばとともに、あたしは雲の平原の上にいた。
 
 
 
 「やっと還ったな」
 
 「転輪王!」
 
  真(ま)のものを司る、なつかしい姿のない声。
 
 
  天界の宮のかげから、ぴゅんっと白い猫が飛びだしてきた。
 
 「まりか!」
 
 「あずさぁ……っ!」
 
 転がるみたいに駆けよって、どっちが先にぶつかったのか。
 
 「あいたかった、あいたかった、あいたかった!」
 
 「まりか、ごめんね、ごめんね」
 
 
 
 いろいろ話さなくちゃと思っていたのに、
 ふたりとも、言えたのはそれだけで。
 
 「でもよかった、転輪王(そらのちちうえ)のとこに
  お世話になっていたんだね……。あんた、弱いから、
 心配したんだよ」
 
 「だって、あずさが死んじゃうって、
  なんべん占っても水晶に出てたんだもの。
  それでお願いしたの。病気をなおす方法はって」
 
 「  街から出ること」
 
 「そう!」
 
 あたしには、街は狭くてだめだった。
 臆病で優しいまりかのためにだけ、
 閉じこもって暮らしていたんだ。
 
 まりかはそれがわかってた。それから、
 あたしが死にたがっていたことも。
 
 じゆうに生きるものは望むすがたにしか、なれない。
 だからあたしは死ぬはずだった。
 まりかは、そうしたくなかった。
 
 「ごめんね。ありがとう」
 
 泣き笑いのあたしとまりかはいつのまにか、
 ぱぁっと熱くなるぐらい、輝いていた。
 
 「あのね、あずさ。これは知っていた?」
 
 まりかは盛大にのどを鳴らして光のなかを飛びはねる。
 
 「あたしは月の猫、あずさは太陽の猫なの」
 
 たいらかな雲は透けて大地をみはるかし、
 あたしたちは世界のうえで思うさまころげて笑いつづけた。
 
 笑えば笑うほど地表は明るく光をうけて、
 ついにはポンッと空いっぱいに、
 生命の種がはじけて舞った。
 
 「……さあ。新しい世界をはじめましょう」
 
 まりかはそういってにっこり笑った。
 
 かくれていた星々も、
 すがたをかえていた街からあらわれて、
 あたしたちは歌いながら、
 
 永遠の輪舞をはじめた。
 
 
 
 
 
 
                         − 終 −



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