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Kさんとの出会いは、とあるデイサービスの施設だった。土曜日にお目にかかったのが初めてだった。

施設にいくと、Kさんはリビングで新聞や雑誌をよく読んでいた。そして記事も裏に隠された意図や、出来事のウラについて自らかみ砕いた考えをアウトプットして私に聞かせてくれたものだ。彼の年齢は私より一つ上で、年齢は九十をかぞえる。齢が近いし、二人とも国のために志願兵として訓練生活を受けたことから、あの時代を生き延びたという話に身が入った。

彼は甲種飛行予科練習生の13期ということだった。昭和18年は10月に土浦海軍航空部隊に入隊し、一年後の1910月に卒業している。卒業生は本科生として山口県防府海軍通信兵学校に転属になり、船舶の通信技術の訓練を受けた。そのあと連合艦隊は第●●特攻艦隊、大浦崎実働隊に転属した。

 

――特攻。これは特殊潜航艇「蛟龍(こうりゅう)」に搭乗すべし、との命令である。

 

少年兵だった当時のKさんの心境を思うとき、私は言葉を失う。Kさんは航空機のパイロットとして大空にはばたく夢を実現すべく、予科練生として必要な訓練を受けてきたはずだ。それなのに潜航艇という海中での軍事行動、しかも特攻要員に駆り出されるとは、と思い、――終戦からすでに七十余年がたっているにもかかわらず、戦慄したのである。

「蛟龍」搭乗員の教育は、広島県呉市にほど近い秘密基地、大浦崎で行われた。そして特攻が決行される日をひたすら待つ日がつづいた。飛行機に乗る訓練を受けた少年が、生と死のはざまで時を刻む、そのような日々を暮らしたことを想って涙が出た。

戦局は思わしくなかった。大本営の発表は、日々、心配させられるような報告がつづいていた。

 

だが、ついにその日がやってくる。 

8月6日。

快晴の朝だった。

少年はみた。広島の方角から大音響が聴こえ、キノコ雲が立ちのぼるのを。

当日、それが何を意味する光景か、わからなかった。

8月15日になり、終戦を知らされた。

この日からKさんは約一ヶ月間、残務整理をおこない、神戸に帰ってきたという。

 

「あの時にみたキノコ雲が、自分の生死の分岐点である、と、今しみじみ思っている」とは、今年九十歳のKさんの弁である。

 

Kさんからは前々から娘さんの家に行くようになる、と聞いていた。

6月も終わる最後の日、土曜日に私と別れることになった。娘さんの暮らす家はN市にあり、もう「施設」には遠くて通うことはかなわない。

その日、特攻基地から出陣する飛行機にする「帽振れ」を思いだし、淋しくはあったが、大きく大きく手を降った。 

Kさんが乗った車は動きだし、行ってしまった。

戦時中という、いわば生死が隣り合わせになった我らの青春の日々を思い、私はじっ、と涙をこらえた。

 


この本の内容は以上です。


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