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目次

         目     次

 

         まえがき

 

第1章  ロゴス的論理とレンマ的論理

      アリストテレスの論理 /ヘーゲルの論理 /山内得立の論理

 

第2章  権ロゴス的論理を基盤とする西欧文明

      数学的自然学の誕生 /科学技術の強力な伝播力

           

第3章  レンマ的思考の先駆者

      南方熊楠とは /模索した科学方法論 /必然性と偶然性の相互関係

 

第4章  ロゴス的論理で二重スリット現象と粘菌の生態を論述

      電子の二重スリット実験 /粘菌の生態 /アリストテレスの論理を適用 /

          ヘーゲルの論理を適用

 

第5章  レンマ的論理で二重スリット現象と粘菌の生態を論述

      山内得立の論理を適用 /揺らぐ認識論と実在論 /南方熊楠の認識論

          

第6章  レンマ的論理の思考背景

     レンマ的論理のモデルは関係性 /直線状と網状の因果連鎖 /時間と空間

 

        あとがき

 

        参考文献


まえがき

 古代ギリシアのアリストテレスが完成した形式論理が、ロゴス的論理です。論理とは 「ものの見方」 のことであり、ロゴスはギリシア語の動詞 「レゴー」 (集める、話す、数える)に由来します。アリストテレスが完成した論理学は、哲学のための基礎学問であり、西欧哲学に引き継がれ伝統的論理と呼ばれています。中世を経ると、ケプラーが、火星の観測データの解析と論証の導き手に数学を選び、ケプラーの法則たる動力学の天文学を生みました。加えて、デカルト的二元論の 「ものの見方」 の哲学から自然科学が誕生しました。その自然科学は、英国で産業革命を惹起しました。産業革命後には、自然科学が理学と工学に分化し、目覚ましい発展が現在も続いています。

 自然科学の物理学が、20世紀になると量子力学を誕生しました。量子力学の論理は、伝統のロゴス的論理とは異質であり、日常経験する現象に適用する因果律では説明できません。量子力学の二重スリット実験における、電子の波と粒子の二重性による不思議な現象を、物理学者はもとより多くの人が論じてい ます。物理学者は市井の人に数式を使わず平易に述べていますが、著者自身も不思議だと自覚しています。不思議な話はミクロの世界だけではなく、南方熊楠(みなかたくまぐす 1867ー1941)が生涯研究した粘菌の生態でも見出せます。粘菌(=変形菌)は、朽ちた倒木の樹皮などに寄生する微生物で、植物と動物の両方の性質を持っています。

 ミクロの世界でもマクロの世界でも、あるものが二重性を有するとロゴス的論理が論理破綻します。(詳細は、本文を参照) ロゴス的論理が破綻しているにも関わらず、現象を否定できないため矛盾した内容のまま論述しています。そのわけは、ロゴス的論理の前提条件である基本論理規則及び因果律にあります。我々は、素直にアリストテレスが完成した三つの基本論理規則を使って会話をします。

 同一律:AならばAである。

 矛盾律:Aであり、同時に、非Aであるということはない。

 排中律:Aであるか、または、非Aであるかのいずれかであり、第三者はない。

加えて、因果律も墨守します。これらの思考は、日常的な 「ものの見方」 そのものです。

 アリストテレスの論理におけるAと非Aの関係は、矛盾律と排中律の定義から両方の中間が存在しないことは明白です。しかも、同一律から二重性質を排除しています。アリストテレスの論理の次に現れた形式論理が、ヘーゲルの論理です。ヘーゲルの論理は、 「ペン」 と 「剣」 を対概念として並べたとき、対概念が差異から矛盾にまで動的に発展する考えをします。ヘーゲルは、対概念が差異から矛盾にまで動的に発展する考えから、排中律の定義を 「Aであるか、または、非Aであるかのいずれかでなく、第三者は遅れて現れるはずである」 と書き換えています。ヘーゲルの論理であっても、矛盾律と排中律の定義から両方の中間が存在しないことは明白です。

 アリストテレスの論理やヘーゲルの論理と異なり、存在を中間的な形態・差異において捉えようとするのが、レンマ的論理です。レンマ的論理は、哲学者山内得立(やまのうちとくりゅう 1890-1982)が、大乗仏教の祖である龍樹の 『中論(空の論理)』 の助けを借りて創出しました。レンマは、ギリシア語の 「ランバノー」 に由来し、 「直感的な把握」 を表します。山内得立の論理は、肯定 → 否定 → 両否 → 両是の四句からなるテトラレンマです。(詳細は、本文を参照) 筆者は、レンマ的論理を量子力学の二重スリット実験と、南方熊楠が生涯研究した粘菌の生態に適用しました。

 何故に、レンマ的論理が考え付くのか。ロゴス的論理は、生きて行くうえで必要な論理ですが、自我を前面に出さざるをえず、どうしても基本論理規則から言い争いを招くのが特徴です。一方のレンマ的論理は、仏教の縁起思想が背景にあり、禅問答のようなつかみどころのない論理構造です。そのような論理ですが、二重スリット実験と粘菌の生態のような不思議な観測結果を適切に説明できます。説明可能なのは、南方熊楠の認識論とレンマ的論理が縁起思想を介して結び付いているからです。更に、南方熊楠の認識論は、二つ以上の因果律を連続して扱うことを模索しています。それ故に、レンマ的論理は二重性による不思議な現象を論理構築できます。

 

 


第1章 ロゴス的論理とレンマ的論理

 アリストテレスの論理

 古代ギリシアは、自然環境がきびしく自然と対決する生活を営んでおり、自分で自然を認識し、自ずと自然の諸要素を分類し、理論化する方向に文明が進展しました。その古代ギリシアのアリストテレスが完成した形式論理が、ロゴス的論理です。論理とは 「ものの見方」 のことであり、ロゴスはギリシア語の動詞 「レゴー」 (集める、話す、数える)に由来します。アリストテレスが完成した論理学は、哲学のための基礎学問であり、西欧哲学に引き継がれ伝統的論理と呼ばれています。伝統的論理に有名な三段論法があります。 

  ・ 人は、必ず死ぬ            ←前提命題

  ・ ソクラテスは、人である        ←前提命題

  ・ よって、ソクラテスは必ず死ぬ       ←結論命題

このようなアリストテレスの論理では、同一律・矛盾律・排中律の基本論理規則が前提条件です。

 同一律:AならばAである。

 矛盾律:Aであり、同時に、非Aであるということはない。

 排中律:Aであるか、または、非Aであるかのいずれかであり、第三者はない。

 三つの基本論理規則から展開されるアリストテレスの論理は、次の通りです。

 ① Sは、Aである。       ・・・ 肯定

 ② Sは、Aでない。(=非A)     ・・・ 否定 

 アリストテレスの論理では、 「Sは、Aでない」 と否定すれば、 「Sは、非Aである」 と暗示解釈します。暗示解釈するのは、Aが対概念を指しているからです。対概念とは、男女・上下・裏表等々です。ですから、私は男でないと否定すれば、自ずと私は女であると暗に肯定します。対概念でない言葉を使い、この花(=S)は、赤でない(=A)と否定しても、複数の非A(白・黄・青などの花)がある場合は、非Aを一意に 決めることができません。この場合は、一意になるよう 「この花は、白いです」 と肯定します。

 数学には、基本論理規則を使い背理法という証明方法があります。背理法とは、 命題SはAである というのが 「偽」 であると仮定して、その場合、矛盾が生じることを示すことで、 「仮定したことがおかしい」 ので、命題 SはAであるが 「真」 だ、という証明方法です。この背理法では、排中律と矛盾律を組み合わせています。背理法の適用例として、無理数(√2)の証明が有名です。ここでは、アリストテレスの論理の切れ味を、背理法で確認するのが趣旨ですから、数学的に厳密な証明でないことをお断りします。証明の前提として、排中律から実数には有理数と無理数しかなく、第三者はありません。また、矛盾律から有理数であれば、同時に、無理数であるということはありません。

 (1) √2が有理数だと仮定し、 √2=a/b とおく。 √2は、有理数(=分数)と仮定した。

 (2) 両辺にbをかけ、2乗することで、2×b2乗 = a2乗 を得る。

 (3) 2×b2乗=a2乗の両辺をa2乗で割ると左辺は、分数にならない。 (注)

 (4) 排中律を前提に、√2は有理数でないから矛盾律より無理数となる。

    (注) 数学的に厳密な証明でないことをお断りします。

 

    ヘーゲルの論理

 ヘーゲルは、アリストテレスの論理の基本論理規則を思索しました。 「AならばAである」 は、同一律で当たり前です。しかし、A(月)・B(海)・C(りんご)・・・と区別できているからこそ、 「AならばAである」 と言えます。しかし、ペンならペンであるとか剣なら剣であると区別できていても、月・海・りんご と異なり、 「ペン」 と 「剣」 を対概念として並べたとき、差異から対立に発展する可能性があります。更にヘーゲルは、対立から矛盾に発展する考えをします。そのように考えるのは、同一律の中に潜む内在的な差異を、対概念と排中律に結びつけているからです。ヘーゲルは、アリストテレスの論理の 「Aであるか、または、非Aであるかのいずれかであり、第三者はない」 という排中律を、対概念が差異から矛盾にまで発展すれば、 「Aであるか、または、非Aであるかのいずれかでなく、第三者は遅れて現れるはずである」 と定義を書き換えています。

 ヘーゲルはアリストテレスの排中律を拒否し、排中律の命題の中にはすでに 「Aでもなければ、非Aでもないようなものは存在しないということ」  「この対立に無関心であるようなものは存在しないということ」(WLⅡ6.73)が含意されていること、これが見逃されてはならないと指摘します。→A ヘーゲルの論理は、次のようになります。

 ① Sは、Aである。    ・・・ 肯定判断

 ② Sは、Aでない。      ・・・ 否定判断

 ③ Sは、非A’である。      ・・・ 無限判断

 アリストテレスの論理では、 「Sは、Aでない」 なら、 「Sは、非Aである」 になります。ヘーゲルの論理は、排中律の定義を 「第三者は遅れて現れるはずであると」 書き換えていますから、 「Sは、Aでない」 なら、 「Sは、非A’である」 になります。ヘーゲルの論理を弁証法的に言えば、①が定立(正)、②が反定立(反)、③が総合(合)になります。

 ヘーゲルは、物事の存在を差異から対立、更に矛盾に至る生成の視点で考えています。ヘーゲルが提示する無限判断は、固定的な肯定判断と否定判断に対して、それらを連続的にではなく、非連続的に乗越える機能、共に属する上位概念に向かうのではない 「奔放な飛躍」 がなされる機能をもつ判断であると思われます。たとえば、 「この花は赤くない」 との否定判断において、赤(A)に対する非赤(非A)は、黄でも、青でも、緑でもありえます。アリストテレスは、否定判断の結果をすなおに、この花は黄、または青、または緑であることの意味としてとらえています。ヘーゲルの否定判断は、 「赤いか、または、赤くないかのいずれかである」 という 「色」 の次元そのものを否定することで、新たな次元を拓く無限判断をします。対概念の場合のヘーゲル論理は、特に差異から矛盾にまで生成発展する傾向があり、無限判断に至ります。

 

 山内得立の論理

 哲学者山内得立(やまのうちとくりゅう 1890-1982)が、大乗仏教の祖である龍樹の 『中論(空の論理)』 の助けを借りて、創出した論理がレンマ的論理です。レンマは、ギリシア語の 「ランバノー」 に由来し、 「直感的な把握」 を表します。→B つまり、レンマの意味は、ロゴスが理性的な分別知であるのと対照的に、一種の直感知です。早速、山内得立の論理を次に示します。

 ① Sは、Aである。         ・・・ 肯定

 ② Sは、Aでない。(=非A)      ・・・ 否定

 ③ Sは、Aでもなく非Aでもない。    ・・・ 肯定でもなく否定でもない(両否)

 ④ Sは、Aでもあり非Aでもある。    ・・・ 肯定でもあり否定でもある(両是)

 ①と②はアリストテレスの論理で、③と④は龍樹の論理です。東西の論理を結合していますが、あなたはどのように思いますか。山内得立の論理は、肯定(①) → 否定(②) → 両否(③) → 両是(④)の四句からなるテトラレンマです。四句の配列が重要で、最初に肯定が来て、次に否定が来ます。否定の次に両是が続くのではなく、否定の次に両否が来て、最後に両是が来ます。四句の配列は、龍樹の論理を模しています。空の論理は先に両否を押し出し、後に両是を据える構成です。

 山内得立の論理は、①と②の世界を 「差異」 の相として眺める論理的態度です。龍樹の論理も、①と② の世界を 「差異」 の相として眺める論理的思考です。ですから、両方の論理が結合できます。それでも、筆者は②から③への論理の飛躍が大きいと感じました。(だから、直感知が必要)しかも、③と④は大乗仏教の核心である空の論理ですから、ロゴス的論理では立ち向かえません。なぜなら、 『中論(空の論理)』 はアリストテレスの排中律を破っています。しかも、③と④の成立からAと非Aの中間を認めており、排中律の第三者がないを逆転しています。ヘーゲルの論理も排中律を破っていますが、ヘーゲルの論理は、時間経過に伴い世界が差異から対立、対立から矛盾へと動的に存在が変化し、非連続に非A’が出現する論理的思考です。それでも、山内得立の論理のように、両否と両是に至ることはありません。

 筆者は、山内得立の論理の表面をなどっているだけであり、形式論理として成り立つか判読できません。また、ロゴス的論理でレンマ的論理を理解するのは、そもそも困難かもしれません。詳しくは、山内得立著 『隋眠(ずいめん)の哲学』 または木岡伸夫著 『<あいだ>を開く』 をお読みください。特に、木岡伸夫著 『<あいだ>を開く』 は、哲学の知識を持たない一般読者に理解してもらえるように書かれています。筆者が山内得立の論理を是とするのは、次の理由からです。レンマ的論理を模索した先人に、南方熊楠(みなかたくまぐす 1867-1941)がいます。南方熊楠は、山内得立と同様に大乗仏教に造詣が深く、かつ、ロンドンの博物館で西欧の学問を独習しています。両人が同じレンマ的論理を模索していたので、山内得立の論理を是とします。3章で南方熊楠のレンマ的思考を説明します。


第2章 ロゴス的論理を基盤とする西欧文明

  数学的自然学の誕生

 今日、科学は驚異的に発展していますが、昔は哲学の分野でした。哲学は、偶然にもほぼ同じ時期に、古代ギリシア・古代インド・古代中国で誕生しました。古代ギリシアでは、アリストテレスの論理学及びユークリッド幾何学に見られるように、厳密な論証法が成立しました。古代インドと古代中国は、この点で古代ギリシアに遠く及びません。古代ギリシアの哲学の問題は、自然の存在中最も根本的なもの、第一義的なものが何であるか、という問いから出発しています。この問いが、古代ギリシア哲学の存在論に直結し、その存在をいかに認識できるかの自然学(=認識論)が現れてきました。ですから、自然学であっても、存在論と結びついており、自然に対する構造上の認識的な規定を与えるものです。認識的な規定の例として、アリストテレスの天体論を挙げることができます。

 一方、古代ギリシアに伝えられた天文学は、哲学者の思弁的な影響を受けても、実学としての性格を維持しました。天文学は、暦算や占星のために観測と計算にもとづいて天体の運動を予測する技術であり、古代における唯一の仮設検証型の学問でした。その古代ギリシアの天文学は、プトレマイオスによって 『数学集成(アルマゲトス)』 に集大成されました。 

 古代ギリシア思想及びキリスト教の動きは、ゲルマン諸民族の侵入によるローマ帝国の滅亡とともに終え、西欧が中世に進みます。→C ゲルマン諸民族は、まずキリスト教の神話を受け取りキリスト教徒となりました。→C 彼らのそれまでもっていた固有の神話よりもはるかに高度な、人間の歴史を全体として劇的に組織し意味づける点ではどの他の宗教よりも強力な、キリスト教を、彼らは受け取りました。→C そして、このキリスト教の神話を土台のうえに、ゲルマン人は、改めてギリシア・ローマの学問文学を学んでゆくのです。→C

 ギリシア・ローマの学問文学を学ぶのですが、哲学とユークリッド幾何学を始めとする数学は必須であったと思われます。その哲学と数学は、イスラム世界を通じて伝えられたアリストテレスの哲学とギリ

 

                    表1:数学的自然学の誕生に携わった主な人

 

シアの数学 です。表1の人物は哲学者兼数学者であり、アリストテレスの天体論を学んでいます。古代ギリシアでは、神話と哲学が併存していましたが、中世の西欧ではキリスト神話をアリストテレスの論理で組み立てた神学が最上位の学問として成立しました。ゆえに、数学や天文学は哲学の学説に従わねばならず、更に哲学も神学の教義との整合性を第一にしました。神学と哲学で見解の相違があってはならないのです。古代ギリシアの哲学者は、家が裕福であり働かなくても生活できましたが、中世の西欧の哲学者は働かなくては生活できません。例えば、ガリレオは大学の数学講座教授で生計をたてました。

 西欧近代におけるプトレマイオス天文学の復活と変革は、大筋としては15世紀後半のボイルバッハとレギオモンタヌスに始まります。→D この頃になると西欧の各地に大学が増設され、教授職が神学と天文学に分離しました。そして、信仰を前提とする神学と理性の認める公理によって立つ天文学が、次第に対立するようになりました。哲学の中に自然学(=認識論)があり、神学と自然学が次第に対立したと言えます。表1の人達が、ギリシアのプラトンを受けて、学問の論理を厳格な意味に取ろうとし、哲学の方法の模範を再びギリシア幾何学に求めたとき、その結果として、ギリシアにおいてまだ正確な適用を受けなかった自然学が、新たな数学的体系として立てられました。→C それが、数学的自然学すなわち近代科学なのです。→C つまり中世の天文学者は、自然学(因果律)の導きの相手を神に代わり天文学で培った数学を選択したわけです。

 表1のケプラーは、火星の観測データを数学を使い解析することで、惑星の軌道がケプラーの第一法則と称される楕円であることを発見しました。ケプラーは、二千年にわたる円軌道のドグマから天文学を解放することにより、同時に、天文学を、たんに惑星の運動を幾何学的に記述するだけでなく、力概念にもとづいて因果的に説明する、すなわち動力学として展開すべきことを提唱したのである。→D ケプラーの天文学は数学的自然科学であり、同時に 「世界の見方の転換」 です。観測と計算にもとづく新しい自然研究の技法と思考が、ケプラー以降の天文学者に引き継がれました。ニュートンが、1687年に力学と天文学の 『自然哲学の数学的諸原理』 を出版しました。この本には、後世の人が 「ニュートンの法則」 と呼ぶ内容が書かれおり、まさしく自然学と数学が結びついています。

  

 科学技術の強力な伝播力

 1687年に、ニュートンが力学と天文学の 『自然哲学の数学的諸原理』 を出版しました。神学に縛られない、神学から独立した自然学の形而上学が誕生しました。同時に、哲学の一分野であった認識論と存在論が、力学的自然像を中心とする物理学として誕生しました。力学的自然像を基礎にする物理学は、18世紀後半の英国の産業革命と呼応し発達しました。経済活動が活発化するにつれ、研究を主とし法則の発見を目指す理学と商品開発を主とする発明の工学に職業が分化しました。科学の知見と技術の革新が、多数の新兵器を戦場に送り出しました。

 科学技術は、最初に商品の形態で伝播します。その内、その商品を生み出す考え方が大切だと気づき、西欧の学問を輸入します。西欧の学問を学ばなければ、工業化による経済力を背景にした軍事力により、植民地にされてしまいます。日本は、明治維新によりからくも植民地を免れました。西欧学問のなかでも、科学技術分野は普遍性を有しているため、商品はもとより力学的自然像も容易に伝播します。今では、ニュートンの力学的自然像は、日常経験とも合致しており万人に認められています。この考えが、人間と自然の二項対立を招来しました。 

 自然科学には観測がつきものであり、観測する側と観測される側の二つに区分します。そのため、自然 科学は、図らずも人間と自然を対概念で理解することを暗に強要します。でないと、自然法則を理解できないからです。対概念から、人間を肯定すれば自然を否定し、自然を肯定すれば人間を否定することになります。人間を否定することには耐えられませんから、常に人間を肯定し自然を否定します。それでも私達は、自然を大切にしていると言うでしょう。確かに、多くの方が自然を大切にする努力をされています。それでも、現実を直視すれば、科学技術を使い商品開発するも公害を生みました。究極の公害が福島第一原発事故を含む原発の放射性廃棄物及び地球温暖化による気候変動です。つまり、普遍性を有している科学技術は、西欧学問と西欧哲学に潜む二項対立する 「ものの見方」 の両方を強力に伝播します。その結果、西欧文明の光明面が先に地球を覆い、非常に遅れて西欧文明の暗黒面が地球を覆いますが、二項対立する 「ものの見方」 に慣れた人間は、暗黒面を過小判断します。

  戦後、西側諸国は敗戦国を中心に工業化を図りました。工業化の道を歩む国は、外部の自然を資源として利用し、そこから生み出した商品を市場に流通させることによって、経済成長を目指しました。一例をあげれば、原油です。原油の埋蔵量を気にしつつ、原油に頼る石油文明を築き、原油を湯水のごとく使用しています。つまり、人間は外部の自然を完璧に資源と見ています。哲学の方で人間と自然の関係を二項対立以外の見方ができますと諭しても、経済成長が現在の宗教になっているため、人間に何ら影響を与えません。

 グローバル資本主義となり、BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)を始めとする各国が急速に工業化を図っています。古代に哲学を生んだインドと中国が、西欧発の科学技術を全面的に取り入れ、先進国の中に割って入って来ました。普遍性を有する科学技術の伝播力に驚くばかりです。その結果、各国で自然ならぬ資源の取り合い状態に突き進んでいます。グローバル資本主義の各国が経済成長の競争状態にあり、自然保護は経済成長に差しさわりがない範囲でしか行われません。経済成長競争に終わりがあるのでしょうか。

 

 

 

 

 


第3章 レンマ的思考の先駆者

 南方熊楠とは

 南方熊楠(みなかたくまぐす)は、明治維新前年の1867年に今の和歌山市に生まれました。幼少期から記憶力に優れ、家人をはじめ近所の人を驚かせました。1884年に和歌山中学を卒業後、東京帝国大学の前身の大学予備門を中退し、20歳の1886年に訪米、アメリカに足掛け6年、26歳から30歳までをイギリスで暮らしました。南方熊楠は、西欧学問(=洋学)の習得が目的の官費留学ではなく、家庭が裕福なこともあり自費で勉学に励みました。ゆえに、しがらみがなく、立身出世を考えることなく自分の意思に沿って西欧学問を学びました。

 イギリスではロンドンに滞在して大英博物館にかよい、古今東西南北の図書の書き読み、抜き書きして、独学で学問を修業しました。ロンドン滞在中に 『ネイチャー』 に論文、 『ノーツ・エンド・クィアリーズ』 に寄稿しました。その学問領域は、生物学(特に粘菌の蒐集(しゅうしゅう)と研究)や民俗学をはじめとして、歴史学・心理学・社会学・地理学、更に基礎科学として数学・論理学などに渉ります。

 父親の死去もあり送金は途絶え、やむなく1900年秋に帰国し、和歌山県那智勝浦に隠栖(いんせい)したのち、和歌山県中部の田辺に定住しました。帰国後も粘菌の研究に励むとともに、明治政府の神社合祀に対し自然環境保護の立場から7つの理由を掲げ反対運動の実践活動をしました。神社合祀とは、1888年に市町村制が公布され、原則として、一町村につき一社に限り神社を認めるおふれです。市町村合併が強制的に進められ、一町村に二社以上の神社が存在することから小社小祠は廃止されたのです。一方で微生物の研究に励み、当時知られていた粘菌196種のうち99種は南方の発見です。内、 「ミナカタ・ロンギフィラ・リスター」 という、ミナカタの名をもつ新種の粘菌の発見もあります。

 南方熊楠は、在野の微生物の学者として神社合祀反対運動をしたにもかかわらず、1929年6月行幸の折り、田辺湾に浮かぶ神島(かしま)を訪れた生物学者でもある昭和天皇に粘菌について進講する栄誉を賜りました。南方熊楠は、生涯を 「中卒」で、大学にゆかず、学会に加入せず、無位無官のままで終わりました。それでも南方熊楠は、生涯中に 『ネイチャー』 に50編の論文、 『ノーツ・エンド・クィアリーズ』 に323編を寄稿しました。まさしく、南方熊楠は在野の巨人であり、1941年定住の地、田辺で亡くなりました。

  

 模索した科学方法論

 比較社会学者の鶴見和子は、南方熊楠を日本における民俗学の草分けであり、微生物学者であり森林保護などのエコロジー運動家の先駆者であり、近代科学の方法論に対し独自の方法論を模索したと評価・絶讃しています。鶴見和子は、南方熊楠と真言宗の高僧である土宜法竜(ときほうりゅう)との往復書簡を丹念に読み・咀嚼の結果、南方熊楠の科学方法論が必然性と偶然性の両方に着目していることを見出しました。図1は、南方熊楠の科学方法論の象徴的な図であり、仏教哲学の中村元博士が名付け、鶴見和子が流布した南方曼荼羅です。図1の真ん中に少し黒いところがありますが、それを萃点(すいてん)と言います。萃はあつめる意味です。さまざまな因果系列、必然と偶然の交わりが一番多く通過する地点が一番黒くなりまます。南方熊楠は、特定の問題について謎解きをしようとする時、まず、その問題について、もっとも多くの因果系列の鎖が交差しているところを見つけ出し、次に、その

問題と関連している出来事の鎖を一つずつ

研究していくことであるとします。南方熊

楠は、この方法を「やり当て」  「まわり

合わせ」 と言っていますが、論理学の用語

では「類推」 というべきもので、帰納法・

演繹法外の論理です。類推は、異なるもの

(例:人間と熊)を異なるがままに共通項

で理解する論理です。二分法のような排除

の論理ではなく、多様なるものを多様なま

ま認める思考です。更に、土宜法竜への書                                       図1:南方曼荼羅

簡には、南方熊楠が模索した科学方法論                            出典元:南方熊楠・萃点の思想より           

への心意気が 書かれていました。 

                                                                                                                                                                                          

 ここに一言す。不思議ということであり、事不思議であり、物不思議であり、心不思議であり、理不思議であり、大日如来の大不思議であり。予は、今日の科学は物不思議をばあらかた片づけ、その順序だけざっと立てならべ得たることと思う。・・・・・

 これらの諸不思議は、不思議と称するものの、大いに大日如来の大不思議と異にして、法則だに立たんには、必ず人智にて知りうるものと思考す。・・・・・この世間宇宙は、天は理なりといえるごとく(理はすじみち)、図1のごとく・・・・・前後左右上下、いずれの方よりも事理が透徹して、この宇宙を成す。その数無尽なり。故にどこ一つとりても、それを敷衍追求するときは、いかなることをも見出し、いかなることをもなしうるようになっておる。

 その捗(はかど)りに難易あるは、図1のごときは。諸事理の萃点ゆえ、それをとると、いろいろの理を見だすに易くしてはやい。・・・・・すなわち図中の、あるいは遠く近き一切の理が、心、物、事、理の不思議にして、それの理を(動かすことにならぬが)道筋を追跡しえたるだけが、理由(実は現像(げんしょう)の総概括)となりおるなり。


  必然性と偶然性の相互関係

 因果律とは、原因と結果の間に生じる必然的関係です。一つの原因が起こったとき、それとは別の結果があるとする論理です。この論理の前提として、原因と結果が独立しており、かつ、原因から結果に一方向に進むとします。原因と結果には一対一の対応関係(=関数関係)があり、同じ原因からは同じ結果が生まれます。因果関係の法則を見れば、時間が介在しています。この因果律は、哲学上の立場というよりも、日常的な思考を支配する 「ものの見方」 そのものです。→B まさしく、19世紀に確立した科学方法論であり、現在にまで踏襲されています。

 南方熊楠は、必然性の対概念である偶然性を、大乗仏教の 「縁」 を頼りに必然性と偶然性の研究の意気込みを残しています。

 

 今日の科学、因果は分かるが(もしくは分かるべき見込みあるか)縁が分からぬ。この縁を研究するのがわれわれの任なり。しかして、縁は因果と因果の錯雑として生ずるものなれば、諸因果総体の一層上の因果を求めるのがわれわれの任なり。→E

 

 因果は、原因があって結果があって、今度はその結果が原因となって次の結果を生み、・・・という具合に因果の連続を考えます。しかし、縁起は、因果のように一方向に進むのではなく、図1の南方曼荼羅のように 「網」 をなします。 一方、山内得立も大乗仏教の 「縁」 を頼りにレンマ的論理の研究をしました。

 

 縁起は、-(私)は他によって、他はー(私)を待っている、という相依相待(そうえそうだい)の関係を意味します。この関係を前提として、-(私)と他は交互的で、原因と結果が両方向です。ゆえに、同じ原因からは、同じ結果が生まれません。縁起の関係は同時的であり、空間的であり、その空間に濃淡の因果関係があります。→B

 

 生物学者としての南方熊楠は、特に粘菌の蒐集と観察に精力を注ぎました。粘菌(=変形菌)は、朽ちた倒木の樹皮などに寄生する微生物で、植物と動物の両方の性質を持っています。粘菌は、生活できそうな環境条件が整ってくると、長い眠りから目が覚め胞子が弾け、動物アメーバーが誕生します。成長中の粘菌は、バクテリアを食べながら胞子のかたまりを作り始め、一晩で植物に変身し長い眠りに入るという生命の神秘を見せつけます。南方熊楠は、主観ー客観・精神ー物体・動物ー植物などのロゴス的論理を理解したうえで、二元論で説明できない証拠を粘菌に求めてのではないでしょうか。つまり、自然科学はロゴス的論理が基盤になっています。そして、粘菌の研究を通じてレンマ的論理を模索したかもしれません。

 粘菌は、ひとつひとつの細胞が、縁あって関連性を有していると見做せます。小乗仏教では先ずものがあって、それらが縁起の関係に入る、とした。→F それがおかしいと言ったのがナーガールシュナ【龍樹】である。→F ものが固有の性質を持ったものとして自己完結的に存在しているならは、それが他のものと関係するのは不可能ではないか。大乗仏教はここから起こった。→F 先ず有るのは縁起(関係)であり、諸のものは縁起によって有る。→F だから、諸のものは 「無自性」 であり、 「空」 である。→F 「縁起ゆえに無自性、空」 とそれを言う。→F この考えを粘菌の細胞に適用すると、なんとなくレンマ的論理が理解できます。

      【 】は、筆者が挿入。

 さて、仏教では輪廻転生を認めています。輪廻転生を簡単に言えば、生類が生死を繰り返すという思想です。生類に粘菌が含まれるか不明ですが、粘菌は生死を繰り返しています。粘菌は、動物的でもあり植物的でもあります。南方熊楠は、動物状態のときは死んでおり、植物状態のときは生きていると表現しています。南方熊楠は、粘菌を生涯研究しましたが、輪廻転生の存在まで視野に入っていたかもしれません。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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