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笑顔になったナオ子は、ひろ子の思いを憶測し始めた。「それじゃ、ひろ子さんは、本当に、サワちゃんのことが好きなのね。結婚する気はあるのよ。でも、何が気に入らないのかしら。何か結婚できないような理由があるのかしら」ナオ子は、ひろ子のことを考えたが、よくよく考えてみると、バツイチのタクシー運転手と言うこと以外は、ひろ子の素性についてほとんど知らないことに気づいた。「そう、ひろ子さんって、バツイチよね。子供はいるのかしら?」

 

 

 

伊達も同じくひろ子のことをほとんど知らないことに気づき、口をぽかんと開けて首をかしげた。ひょいと首を立てると甲高い声を発した。「もしかして、子持ちか?」沢富は最初に会ったころの会話を思い出したが、子供はいない、と言っていたような、いないような、あやふやな記憶しか頭に残っていなかった。「は~、バツイチとは聞いてますが、子持ちじゃないと思いますが、どうなんでしょうかね~。はっきりとは、分かりません」

 

 

 

伊達は、子持ちを隠しているんじゃないかと邪推した。「もしかして、子持ちじゃないか。だから、結婚に踏み切れないんだ。きっと、そうだ。間違いない」ナオ子も夫の憶測が当たっているような気になってきた。「もしかして、もしかね。子持ちかもね。そうだったら、サワちゃん、どうする?それでも、結婚する気ある?」沢富は、青天の霹靂の事態に開いた口がふさがらなかった。

 


 

ナオ子は、呆然と白目をむいた沢富の顔を覗き、声をかけた。「サワちゃん、しっかりして。まだ、子持ちと決まったわけじゃないし。確かめてみなさいよ」沢富は、われに返り返事した。「え、僕が?そんな勇気、ないです。もしもですよ、子供がいる、と返事されて、僕は何と言って答えればいいんですか?子持ちと結婚する勇気はありません。僕は、どうすりゃいいんですか?」

 

 

 

ナオ子は、右横の夫を見つめ小さくうなずいた。「そうよね、もし、子持ちだとしたら、サワちゃんだって、考えちゃうわよ。あなた、どうかしら、私が何気なく聞いてみようかしら。そうじゃないと、サワちゃん、このままだと気の毒だし。それに、子持ちだったらよ、仲人のことも水の泡になるじゃない。このようなことは早めに確かめるべきよ。そう思うでしょ、サワちゃん」

 

 

 

沢富の気持は揺らいでいた。確かに子持ちかどうか知りたかったが、万が一、子持ちだと分かったとき、どう対処していいか分からなくなっていた。確かに、ひろ子は好きだったが、突然、父親になる自信はなかった。それかといって、子供がいるなら結婚できない、なんて口が裂けてもいえそうになかった。考えれば考えるほど、沢富の頭は混乱した。「どうすればいいんだ。事実を知るのが怖いんです。あ~~、死にた~い」

 


 

伊達夫妻もどうすることがベストなのかまったく分からなくなった。「そうよね、万が一、子持ちだったと考えると、サワちゃんの立場はどうなるのかしら。いまさら断りにくいしね。それかといって、我慢して結婚しても、うまくいかないような気もするし」伊達は、ポジティブに考えるほうが、幸運が転がり込んでくるような気がした。「おい、子持ちって、分かったわけじゃないんだ。俺たちの勝手な邪推に過ぎないじゃないか。きっと、独り身だと思うよ。サワ、事実をしっかり受け止めてはどうかな。結婚するかどうかは、それから考えてもいいじゃないか」

 

 

 

ナオ子も子持ちだと決め付けてしまっていたように思えた。事実は、変えられるものでない限り、事実を確認し、その事実を受け入れるべきだと思った。万が一、子持ちであれば、そのときはそのときで、じっくり考えればいいと思えた。なんとなく、早合点してしまったことに恥ずかしくなった。「そうね、事実は変えられないし。事実から逃げ出すわけには行かないのよ。サワちゃん、腹をくくって、事実と向き合うのよ。結婚は、それから考えればいいわ。何も、無理をして結婚することはないわ」

 

 

 

沢富は、両手の指を立てて、ガサガサと頭をかきむしった。沢富は、心の中で、子持ちじゃありませんように、子持ちじゃありませんように、と何度も叫んだ。だが、ガクンとうなだれると、事実を怖がっている臆病な自分がつくづく嫌になった。頭をすっと持ち上げると、清水の舞台から飛び降りる覚悟で語気を強めて、話し始めた。「そうです。そうなんです。事実は、事実です。逃げていても、未来は、開けないんです。分かりました。勇気を出して、直接、僕が確認します」

 


 

伊達夫妻は、目を丸くして見詰め合った。ほんの今まで、悲鳴を上げていた気弱な男の豹変振りに、度肝を抜かれた。ナオ子は、沢富の気持を確認した。「え、サワちゃん、いいのね。自分で、確認できるのね。たとえ子持ちでも、腰を抜かすんじゃないわよ。いい」沢富は、今言った自分の言葉を撤回できず、呆然とした顔で、うなずきつぶやいた。「やります。やってみます。もしかして、気絶するかも」

 

 

 

ナオ子は、強がっている沢富のことが心配になった。気の弱い沢富のことを考えると、ひろ子の前に立てば、口をしっかり閉じた貝のようになり、一言もしゃべれないと思えた。「サワちゃん、そんなに無理はしないでいいのよ。仲人を申し出た限り、先方の素性を調べるのは、私たちの役目なの。サワちゃんは、気を楽にして、朗報を待っていてちょうだい。ねえ、あなた」伊達も、大きくうなずき、放心状態の沢富の左肩をポンと叩いた。

 

 

 

魂を抜き取られたように呆然としてしまった沢富は、結婚したいと思った自分に嫌悪感を抱いた。沢富には、本来、結婚願望はなかった。なぜか、ひろ子と出会って、突然、結婚願望が起きてしまったのだった。冷静になってきた沢富は、ひろ子のことを考えてみたが、ひろ子の素性をほとんど知らないことに気づき、そんな自分にあきれてしまった。知っていることを拾ってみると、YESタクシーの運転手、バツイチ、カラオケ女王、こんなことぐらいしか思い浮かばなかった。

 


 

ひろ子のことを考え始めると、猜疑心が膨らみ始め、バツイチまで疑い始めてしまった。沢富は、ポツリとつぶやいた。「本当に、バツイチなんですかね」それを聞いたナオ子も、いろんな疑問が頭の中を駆け巡った。「仲人の私たちが、もっと、ひろ子さんの素性を調べるべきだったわね。バツイチなのか、バツニなのか、正式に離婚しているのか、なぜ、離婚したのか、子持ちなのか、どこに住んでいるのか、別れた亭主はどんな仕事をしていたのか、仲人として、うかつだったわ。ごめんなさい、サワちゃん」

 

 

 

落ち込んだ表情で謝ったナオ子の罪悪感に満ちた声を聞いて、沢富のほうが罪悪感にさいなまれた。「そんなことはありません。伊達夫妻には、何の落ち度もありません。すべては、僕の責任です。結婚するのは、僕なんですから。ひろ子さんのことを自分なりにもっと知るべきだったんです。腹をくくって、ひろ子さんとじっくり話し合ってみます。ひろ子さんも、伝えたいことがあるはずです。自分の将来のことは、自分でやります。心配しないでください。気絶しないように、祈っていてください」

 

 

 

伊達夫妻は、見詰め合って、大きくうなずいた。ナオ子は、小さな笑顔を作って、激励した。「よく言ったわ。それでこそ、男よ。サワちゃんの結婚だもの。サワちゃんが納得いくまで、話し合うといいわ。あ、もうこんな時間。どうする、サワちゃん、泊まっていってもいいわよ。今夜は、酔っ払って、ぐっすり寝るといいわ。思いっきり、飲みなさい。ねえ、あなた」伊達もコクンとうなずいた。

 



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