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「慶喜さん―」
 また、止まっていた涙が溢れてきた。彼は自ら進んで、激動の時代に身を投じようとしている。自分をうつろいゆく歴史という海に捧げる贄(にえ)にしようとしている。
「ああ、また泣く」
 慶喜さんが呆れたように、困ったような表情(かお)で私を見つめ。
 それから、優しい笑みを浮かべた。
「お前が泣けば、俺はどうしたら良いか判らないほど狼狽えてしまう。だが、その涙が俺のために流してくれているものだと思うと、男として満更でもない気持ちになる」
 そこで、彼がふと悪戯を思いついた子どのように綺麗な瞳を輝かせた。
「そうだな、もっと状況が落ち着いたら、写真を撮ろう」
「写真?」
 首を傾げる私に、彼が大きく頷いた。彼が写真機に興味を持っているのは私もよく知っている。現代から江戸時代にタイムスリップした当初、彼はカメラに興味を持ち、色々と質問してきたりもした。自分で様々な種類のカメラを集めているという話を聞いたこともある。
「そう、お前の写真を俺はたくさん撮るんだ。笑顔も泣き顔も撮ってやる」
 だけど、と、彼はいっそう眼を細めて囁いた。
「俺はお前の泣き顔も好きだけど、笑顔がいちばん好きだ。だから、俺にはいつも最高の笑顔を見せてくれ。そして、ずっと、俺の側で笑っていてくれ。俺は俺の生命が尽きるその瞬間まで、お前のその笑顔を守り、たくさんの笑顔を写真に撮るから」
「慶喜さん」
 私はたまらず彼に縋りついた。そのときの気持ちをどんな風にたとえたら良いのだろう。もちろん、嬉しいに決まっていたけれど、それだけではない。
 今まで、どれだけ身体を重ねても同じ時間を過ごしても、確かな約束をくれたことのないひとが初めて示してくれた「約束」だった。
 私は震える声で問いかけた。
「ずっと傍に居ても良いんですか?」
「当たり前だ。ゆうはこれからもずっと俺の側にいなきゃならない。春も夏も秋も冬も、ずっと同じ空を見て、こんな風に二人だけで過ごすんだぞ」
 彼がゆっくりと呟いた。
「俺は最早、将軍でもないし、大名ですらない。ただ人となった俺をそれでもまだ、たった一人の男として受け容れてくれるのなら、俺は今こそお前に誓うよ」
 ―ずっと、傍にいると。
 慶喜さんのくれた一言がゆっくりと心に滲み渡ってゆく。
「だから、お前も今、ここで約束してくれないか」
 ―俺のただ一人の女であり続けると。
 私はコクコクと頷いた。涙が溢れて頬を流れ落ち、言葉にならない。


 春も夏も秋も冬も、ずっと二人で生きてゆく。
 どれほど、この言葉一つを待ち望んだことか。この時、私は初めて知った。将軍として、あまりにも重いものを抱えた彼が何故、私に何の約束もしてくれなかったのか。
 将軍ではなく、ただ一人の男に戻った彼は今、すべてのしがらみから解き放たれたのだ。
 慶喜さんの手がさしのべられ、私は彼の手に自分の手を重ねた。
 大きな手と小さな手。繋いだ手と結び合わされた指から、温かなものが流れ込んでくる。もう、この手をけして放さない。
 私は強い決意をこめて、彼を見上げる。彼がにっこりと笑って頷いた。まるで、お前の気持ちはよく判っているよ、とでもいうかのように。
 また、遠くで鳥が鳴いた。何故、自分が存在していた時代から百年以上も前のこの時代に時を越えて来たか?
 私は今まで、その問いに対する応えをずっと探し続けてきた。けれど、その応えはいつも濃い霧の中を手探りで進んでいるときにも似て、掴めそうで、なかなか掴めなかったのだ。
 だけど、今、やっと判った。
 私は彼に出逢うために、この時代に時を越えて来たのだ。「徳川慶喜」、第十五代将軍となった彼に愛され、また私も彼を愛するために。
 私は涙を堪えて彼に微笑みかけた。
「素敵な写真をたくさん撮ってくださいね?」
「ああ、もちろんだ」

 明治元年(一八六八)年、京都にいる帝に恭順を示すために寺でひたすら謹慎する前将軍徳川慶喜の傍らに、影のように付き従う美しい女がいたという。
 慶喜は彼女を「ゆう」と呼んでいた。後に彼が静岡に移り住んだ後も、彼の厚い寵愛を受けて数人の子をなしたといわれる女性であるにも拘わらず、その出自は不明とされている謎の女性である。


 なお、鳥羽伏見の戦いで幕府軍を率いて戦いながら、途中で逃げた慶喜は「総大将にあるまじき行い」とその脆弱さをそしられた。
 だが、恭順謹慎、江戸無血開城などにより、無血革命に近い状態で政権移譲できたことから、近代日本の独立性が守られ、維新への功績は大きいと評価された。
 慶喜の恭順により、京都や江戸が焦土となることをまぬがれ、また、フランスの援助を拒絶したため、外国の介入がなかったとし、彼を維新最大の功績者の一人であったとする見方もある。

 

                   【第二話 了】


あとがき

 「東めぐみ」の筆名で創作活動を始めて、そろそろ20年になります。その中で拙いながらも、たくさんの作品を創り続けてきました。時代小説・歴史小説をメインに書いている私ですが、今回、初めて「二次創作」というジャンルを手がけることになりました。
 そのきっかけは、アメブロのアプリゲーム「艶がーる」にハマッたのことです。

 現代を生きる女子高生がひょんなことで江戸時代、幕末にタイムスリップして幕末の志士たちと恋愛するというシュミレーションゲームです。これがなかなか面白い。歴史上の事件や出来事、更には実在の人物などを巧みにストーリーに織り込みつつ、興味深く物語りが進んでいきます。この歳になるまで乙女ゲームとは無縁でしたが、なかなか、よく作られた物語世界にあっさりと引きこまれてしまいました。
 そんなことがきっかけで、初めて書いた二次創作が今回の作品集です。もちろん、世界観はゲームを借りていますが、スートリー展開は私独自のものになっています。
 ふと、せっかく書いた作品たちと大好きな花の写真をコラボさせたフォトブックができないものかと考え、連休最後の日に近くの公園に行って花たちを撮影しました。
 初夏の花たちと小説、自分では一生懸命作ったつもりですが、いつもながら拙いものになっていると思います。
 よろしければ、お目通しいただければ幸いです。
 2016年5月11日 
                 東 めぐみ拝

 

 

 

 

 

 



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