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2015年5月6日 シネ・リーブル神戸 にて鑑賞

 

そして「母になる」映画なのだ!

 

観終わってから、改めて本作の上映時間を調べてびっくり。

118分である。なんと2時間を切るのだ。

しかし体感としては、3時間ほどの超大作を観たのと、同じぐらいの「ボリューム感」がある。

それはなぜだろう? と思った。

母と5歳の息子が監禁された部屋。

その閉ざされた「ルーム」閉鎖された環境で、人間は、子供は、どのように育つのか?

いわば、これは「もし~だったら」という究極の思考実験であり、極めて残酷な人体実験でもある。

実際、かつて日本でも、何年も女性を監禁していた男が、捕まった事件があった。外の世界から完全に切り離されてしまった部屋で、人間の心理はどのように移りゆくのか? 心理学者にとっては興味深い「事例」なのかもしれない。

しかし、事件に巻き込まれた当事者たちの心は、どうしたら修復できるのか?

本作で、誰もが惹きつけられるのが、子役のジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)である。

その母親、ジョイは、7年前誘拐され、ある男の自宅の納屋に監禁されている。

その「ルーム」には、天窓が一つあるだけだ。ドアもひとつ。

そのドアには、ご丁寧に暗証番号付きのロック機能が付いている。

彼女はやがて、男との性交渉により、子供を身篭った。

そしてこの閉ざされた納屋で出産。

彼女は初めての男の子に、ジャックと名付けた。

息子ジャックにとっては、この世に生を受けてから5年間、この納屋の中だけが「世界の全て」なのだ。

「ルーム」にはテレビがある。唯一、外の世界の出来事を知る術だ。

ジャックはテレビを見て、無邪気に母に質問する。

「あれは本当にいるの? それともニセモノ?」

そのジャックの無邪気さに、観客は思わず、胸が詰まるのである。

やがて親子は、この「ルーム」からの脱出を試みる。

ジャックが、監禁した男からうまく逃げることができるのか?

息が苦しくなるほどの、緊迫感。

その描写。監督の力量がどれほどのものか、このシーンを見れば、その手腕が確かなのが分かる。

実際、上映中、客席のあちこちで涙を拭う光景が見られた。

この作品、母と息子が無事救出されて「メデタシ、めでたし」

と誰もが思う。

ここで映画はハッピーエンドで終わるのだ、よかったね、と誰もが思い込んでしまう。

ハリウッドでのエンターテイメント作品であれば、それでヨシ、となるハズだが、しかし……。

本作は救出劇の後、親子二人に起こる出来事、特に周りの人々や環境の変化を丹念に描いてゆくのである。

監督の狙い、そして原作者であり、脚本も手がけたエマ・ドナヒューが、本当に描きたかったのは、実は、救出されてから後の出来事ではなかったのか? とさえ思えてしまうのである。

本作のスタッフを見ていると、撮影監督にダニー・コーエンを起用している。かれは僕の一押し

「リリーのすべて」 で、とても静謐で品の良い映像空間を作り出した。

本作は、明らかに低予算で作られた感のある作品であるが、実はスタッフはアカデミー賞をいつでも狙える「必勝チーム」で作られたことがわかるのである。

さて、日本では、世界的にも評価の高い、是枝裕和監督の「そして父になる」という作品がある。

僕は「そして父になる」 を劇場で鑑賞した。

なんと気高い精神で創られた作品だろうか!! と圧倒された。

僕は映画レビューで「この映画は人間の善性を固く信じている。それだけでもこの作品を観る価値がある!」と絶賛した。

そして、ぼくは「ルーム」を観た。

母と息子。

息子の父親は誰か?

それは愚問だ。

「この子は、私の子です」母親のジョイは、力強く答える。

父親が誰であろうと、目の前にいる息子、ジャックは、紛れもなく

「我が子」なのだ。

母と息子が本当の家族になってゆく。

その姿を淡々と描いた後半。その愛情のボリューム感に、僕はきっと圧倒されたのだと思う。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   レニー・アブラハムソン

主演   ブリー・ラーソン、ジェイコブ・トレンブレイ

製作   2015年 アイルランド・カナダ合作

上映時間 118分

「ルーム」予告編映像


追憶の森

追憶の森

2015年5月9日 神戸国際松竹 にて鑑賞

 

生命と愛が蘇る「樹の海」

 

世界で最も有名な自殺ポイント。日本の「青木ヶ原樹海」

そこで自殺を試みた男、アーサーが、樹海で彷徨う日本人に出会い、不可思議な体験をする、という物語。

この作品、当然のことなんですが、登場人物は少ない。

アクションシーンなんかない。

アーサーを演じるマシュー・マコノヒー、渡辺謙さんの、ほぼ二人芝居。

これをどうやって、監督が観客に飽きられることなく、映画作品として提示するのか?

それが本作の鍵となってきます。

たとえば、私小説の類が好きな方には、受け入れられるかもしれない。

とても内省的な映画です。

樹海は、人が立ち入らない分、ありのままの自然が残り、まるで太古の神代の時代を思わせる風景。

そこは一度入ったら抜け出せない「ラビリンス」「森の迷宮」でもあります。

森をさまよう二人の男性。

彼らは抜け出せない森の中で、夜を明かします。

不思議な声がどこからか聞こえる。

土もない、岩の表面から、一輪の花が咲いているのを発見したりします。

「向こうの世界に逝った人間の証だよ」

渡辺謙さん演じる「タクミ」がポツリとつぶやきます。

「彼岸」と「此岸」の境界で彷徨い続ける二人。

とても精神世界の中、奥深くまで描こうと監督は苦闘しています。

彼岸と此岸ということでは、邦画の「岸辺の旅」という作品があります。

これは、今は亡き夫が、たびたび妻の目の前に現れるという、幻想世界を描きます。

せつなくて、どこかおかしくて、愛おしくなるような佳作であると感じました。「岸辺の旅」と比べて、本作は、やや「ハリウッド」寄りの「味付け」がなされております。

アクションシーンこそないものの、森をさまよう中で、崖からの転落や、洪水に巻き込まれたり、といった迫力ある見せ場があります。

そのさまよいの中で、主人公アーサーは、フラッシュバックのように過去を思い出すのです。

ここで映画のマジック、編集の出番ですね。

時間軸は過去に遡り、アーサーとその奥さんとの日常を描きます。彼は科学者でした。

幸せな結婚生活。だけど年を経過するごとに、少しづつお互いの波長が、どこかずれてくる。時には諍いもある。

「たった年収2万ドルで、いつまでこんな暮らしを続けるの!」

妻のジョーン(ナオミ・ワッツ)は夫に上昇志向や、ガッツがないことに苛立っています。彼女だって仕事で忙しい。

気まずい二人の生活の中、ある日、妻に体調の変化がありました。

病院での精密検査の結果、ドクターから受けた宣告。

「奥様の脳に腫瘍が見つかりました。手術で除去するしか方法がありません」

現代の医学は目覚ましい進歩を遂げています。

夫婦は奇跡を信じて手術を受けるのですが……。

主人公の科学者アーサー。

彼には「科学的思考」パターンが体に染み付いています。

世の中の不可思議なことは「必ず科学が解明してくれる」と信じています。

僕もそれに大いに共感します。

本作において、とってもバランスがいいと感じるのは、安易に

「精神世界は科学では解明できない」

とあたかも「悟り」を開いたかのように、決めつけていないことです。

多くの人が「悟った顔」をしているのは、実は自分が考えつめて行き着いたのではなく、有名人が言っていることに従う、という実に安直な「借り物の悟り」であることがほとんどです。

この世は何からできているのか?

人は死んだらどこへ行くのか?

魂とはなんなのか?

主人公は、日本人である「タクミ」に出会うことによって、東洋、日本人の死生観をわずかではありますが、垣間見ることになります。

先日、テレビの科学番組を観ました。

地球上の人類が発見した元素、それを全て合わせても、全宇宙のたった6%にしか過ぎない、ということが、ようやく分かってきたそうです。

人間は、まだまだ「無知なのだ」「何もわかっていないのだ」ということが、ようやく「分かり始めた」らしいのです。

量子論、ブラックマターなど、僕にはとても難解で理解できませんが、まだ人類の知らない手段で、いろんな物が、いろんな「コミュニケーション」を取っているのかもしれない。

以前読んだ本の中で、植物学者が、樹齢1,000年などの古木を調査する時、その樹木が放つ「オーラ」のような「霊力」があまりにすごいので、

「この木はやめておきましょう」と、別の木に代えて調査することがある、と語っていました。

科学者がおもわずビビってしまう、年齢を重ねた樹木だけが持つ、近づきがたい魔力。それは一体なんなのでしょう。

樹木がなんらかの方法で、生物である人間に、それこそ細胞レベルで、シグナルを発した、のかもしれませんね。

青木ヶ原の樹海。一本一本の樹木たちが教えてくれること。

自分という人間は、分子や細胞の集まりに他なりません。

しかし、その集合体は、一人の人間の名前を持ち、自分の頭で考え、行動します。更には人を愛したり、慈しんだりする「こころ」をもった、細胞の集合体になりました。

ついには、自ら命を絶つ意志さえ獲得してしまったのです。

ですが、世界中70億個体の人間、すべてが一人一人違う個性を持つ、というのも、紛れもない現実です。

これが「奇跡」でなくて何なのでしょう。

本作の原題は「The Sea of Tree」樹木の海です。

海は豊穣のシンボル。

そしてなにより、「生命」の揺り籠でもあります。生命はここで生まれ、育てられ、成長してゆきます。

まだまだ、未熟な「人間」を再教育し直す、そのキッカケを「樹木の海」は気づかせてくれたのかもしれません。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆

音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

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作品データ

監督   ガス・バン・サント

主演   マシュー・マコノヒー、渡辺謙、ナオミ・ワッツ

製作   2015年 アメリカ

上映時間 110分

「追憶の森」予告編映像


殿、利息でござる!

殿、利息でござる!

2016年6月1日 イオンシネマ明石 にて鑑賞

 

無私という日本庶民史の「結晶」

 

「殿、利息でござる!」とは、なんともキャッチーなタイトルである。それにつられて鑑賞すると、意外なほど内容はシリアスであり、さらには、これが江戸時代の庶民たちの実話である、ということに二重の驚きがある。

このお話の舞台は仙台藩の貧しい宿場町「吉岡宿」

領地を収める仙台藩(藩主は七代目、伊達重村)からは、藩の運送費などを吉岡宿が負担することとされていた。もちろん、当時は身分社会。藩主や藩士の権力は絶対的だ。

もし、運送業務に支障があれば、その責任を取って、吉岡宿住民の首がすっ飛んでしまう、そういう時代のお話である。

吉岡宿では、代々続くこれらの重税に我慢できず、夜逃げする者が相次いだ。夜逃げが増えて、宿場町の人口が少なくなれば、なおさら一人当たりの税は重くなる。そのため余計に夜逃げが増える。

まさに、負のスパイラルに「吉岡宿」は陥っていた。

「このままでは吉岡宿は潰れてしまう……」

宿場町の将来を案ずる商家、穀田屋十三郎(阿部サダヲ)は、茶作りを営む菅原屋篤平治(瑛太)に相談してみる。

町の知恵者として知られる、菅原屋篤平治。

彼は、かねてから抱いていた密かな計画をこっそり打ち明けた。

「いいですか、伊達の殿様に吉岡宿から金を貸すのです。そして利息をいただく。その利息で税を賄うのです」

貸し付ける額は、ざっと見積もって金1,000両也。

今の貨幣価値で約3億円だという。

この驚天動地の「殿様利息プロジェクト」は、こうしてスタートを切るのである。

この作品の監督は「アヒルと鴨のコインロッカー」や「ちょんまげぷりん」

「予告犯」などの作品で知られる中村義洋氏である。

中村監督作品では「ちょんまげぷりん」が大変面白かった。

 

江戸のお侍が現代にタイムスリップし、シングルマザーの家に居候となり、特技を生かしてパティシエになる、というファミリーストーリーである。

主役の錦戸亮くんが、ちゃんと「ナンバ歩き」をしていたり、当時の武士の佇まいを忠実に再現して見せているところに好感が持てた。

その中村監督が本作を手がける。

僕は本作を観る前、既に磯田道史氏の原作「無私の日本人」を読んでいた。

穀田屋十三郎、菅原屋篤平治、吉岡宿の篤志家たち。

江戸時代の身分制度の下では、庶民の実像は「ノミ」「虫けら」程度に思われていたことがうかがえる。

特筆すべきは、本作の慈善事業が、地元の吉岡宿を助けたい、という庶民自らが立案し実行したこと。しかもその功績を、末代に至るまで絶対に口外してはならない、という「掟」さえ定めていたのである。

このため、彼らの事業は本来なら、歴史の地層深くに埋もれてしまう運命のはずであった。

だが、彼らの偉業を後の世のため、本に書き残して欲しいと、ある人物が磯田道史氏に、まさに「嘆願書」として依頼したのだ。

江戸末期の武士のリアルな日常を丹念な調査で描き切った「武士の家計簿」。

この本を書いた先生なら、きっと吉岡宿の恩人たちを、粗末に扱うはずがない。依頼者はそういう切実な思いで、磯田氏を選んだのである。

その狙いは正しかった。

磯田氏は資料を調べながら、おもわず「涙を押さえきれなかった」と語る。

そして彼は本書を「無私の日本人」と名付けた。

「無私」とはなにか。

私を勘定に入れない、そしてなにより他の人を優先に「世のため、人のため」という意識を強く持つということだろう。

これを一言で言えば「公」(おおやけ)である。

余談ながら、江戸期に入って「公」の意識が庶民の間に広く浸透していたことが、のちに明治維新後、驚くべきスピードで近代国家を作り上げていく原動力の一つになった、と司馬遼太郎氏も語っている。

それはまさに「透きとおるような、澄み切った、みずみずしい公の意識」をすでに江戸期の庶民たちが持っていた、という日本史の奇跡である。

これらからわかる通り、本作は実は極めて重厚な内容の作品なのである。

それを「殿、利息でござる!」という軽妙なキャッチフレーズで、エンターテイメント作品の体裁として整えた。

内容はあくまでも重く、暗い。しかし、表面の体裁はポップに。

これを映画としてどのように実現するのか?

作品中、どうしてもシリアスに、シリアスになってしまうお話の流れ。

それを上手く転換し、あくまでもサラリと楽しめる作品に仕上げた、中村監督の手腕がうかがえる一作である。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

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作品データ

監督   中村義洋

主演   阿部サダヲ、瑛太、妻夫木聡、竹内結子

製作   2016年

上映時間 129分

「殿、利息でござる!」予告編映像

 

 


世界から猫が消えたなら

世界から猫が消えたなら

2016年6月4日 イオンシネマ明石 にて鑑賞

 

悪魔に猫を売ってはいけない

 

この世界から猫を消してはいけない。猫のいない世界は有りえない。僕はそう思いつめる程に猫を愛してしまっている。

だから、こういう映画に付き合う羽目になってしまった。

結論から言うと、最も泣けるのは予告編である。

本編を見ても一滴の涙も流せなかったし、冒頭部分、ストーリーの流れがすこぶる停滞気味なのも、間延びがして、作品全体の緊張感を欠いてしまう導入になっている。

僕が観賞した劇場では、上映終了後「これ、なんだったの?」と薄ら笑いさえ見せる人もいた。

ただ、本作をみていて、やはり映画好きなスタッフたちによって作られたのだ、ということだけは痛いほどよく伝わってくる。

濱田岳演じる、レンタルビデオ店の「タツヤ君」

彼が主人公に「映画を知りたいならこれを見ろ」と、次から次に、DVDを紹介して行くくだりはとてもいい。

それは濱田岳という個性的な役者さんと「タツヤ君」という人物像が、見事にリンクしたからに他ならない。

本作の撮影はどうやら函館・小樽らしい。本編中の映像はやや重く、色彩のトーンは鈍い。金属的な空間表現であり、空の色も、鉛のように描かれる。

本編、中ほどでは、主人公と恋人が、ブエノスアイレスに旅した時の様子が描かれている。(なお、公式HPのストーリー紹介ではアルゼンチン、ブラジルの旅となっている)

この旅の部分だけは、街中に光と色彩と原色が、咲きこぼれる花のように満ち溢れ、それこそ「生きている」こと、命あふれかえるような描き方が印象的だ。

ここで二人が出会った若い日本人旅行者。その出会いと唐突な別れ。

生き生きとした色彩の元で描かれる残酷な現実と、どんよりとした北国の空の下で、平凡な1日を生きることの鮮やかな対比。

監督はそれを狙ったのだろう、というのは一目瞭然である。

主人公の「僕」は郵便配達員だ。その「僕」に突然、「脳腫瘍」が見つかった。手術はほぼ不可能。いつ、突然死してもおかしくない、と医師から告げられる。

一体、あと何日生きられるのか? それすらわからなくなる「僕」の目の前に、突然もうひとりの「僕」が現れる。そいつは「君の中の悪魔さ」と、うそぶく。

そして「この世から何かひとつを消してしまおう。その代わりに君は1日長く生きられるんだ」と持ちかける。

最初に消されてしまうのは電話だった。

次に映画がこの世から消えた。

そして悪魔は提案する。

「そうだねぇ~、次は、猫をこの世から消してしまおうか」

電話で結ばれた恋人との会話、そして想い出。

それは電話が消えたことによって、全てこの世から消え去っていった。

次に映画が消えることによって、「僕」は、大切な友人「タツヤ君」との関係も失ってしまった。

主人公「僕」の母は、病がちだった。その母を慰め、寄り添い、家族の絆を作ってくれたのは生後間もない「捨て猫」だった。

レタスのダンボールに入れられていたその猫を、家族は「レタス」と名付けた。猫のレタスは天寿を全うし、母に抱かれて息を引き取った。

そして今、目の前にいるのは、おなじく二代目捨て猫の「キャベツ」だ。

自分の1日の「生」と引き換えに、思い出や、愛する人、愛する猫との関係を天秤にかけられるのか?

「何かを得ることは、その引き換えに何かを失うこと」なのだろうか?

本作はそういう世界観で描かれてゆく。

オブラートに包まれているようで、実はかなり残酷な物語のように、僕は受け留めてしまった。

主人公の「僕」は三十歳という設定である。

それに引き換えこの文章を書いている「私」は、いま五十代後半。四捨五入すると六十代なのだ。

人間、五十年も生きているといろんなことがある。

私は十歳の時に母を失った。

高校生の時、結核にかかり、一学年を病院のベッドで過ごした。

のちに下半身麻酔で一度、全身麻酔で三度、手術台の上に乗った。

さすがに三度目の手術の時は、麻酔液が体に入ってくるのを感じながら

「もう、この世には戻ってこれないかも」と半ばあきらめの感があった。

しかし、しぶとく私は生き返っている。

職場で一緒に働いていた若者が、ある日突然、自ら命を絶った。

高校時代のクラスメートが喫茶店を開いた。

その矢先、彼はバイク事故でこの世を去った。

こんなことが五十年生きていると、当たり前の出来事のように起きる。

櫛の歯がかけて行くように、仲間がこの世を去って行く。

私はそれを見送るしかないのか……。

私はいつも思う。

私の1日、いや、私の存在そのものと、彼らの命を交換できないだろうか?

私は未だに「のんべんだらり」と日々を過ごしている。

私の1日に何の意味があるのだろう?

いまも、こうしてつまらない映画レビューなどを書いている。

なぜ世の中に必要な「彼ら」は天に召されたのか?

なぜ世の中にとって「どうでもよい」私は、のうのうと生きているのか?

この残酷な問いかけを、いつも腹に溜め込んで、私は今日も、のうのうと生きている。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

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作品データ

監督   永井聡

主演   佐藤健、宮崎あおい、濱田岳、奥田瑛二、原田美枝子

製作   2016年 

上映時間 103分

「世界から猫が消えたなら」予告編映像


奥付



2016・6月号 映画に宛てたラブレター


http://p.booklog.jp/book/106876


著者 : 天見谷行人
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/mussesow/profile


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