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 世界的に有名な小説家の元に少女がやってきた。彼女は小説家の熱心な読者であり、彼の信奉者だった。二人は会話を始めた。

 

                           ※

 

 「先生、私は先生の著書を全て読んでいます。先生の作品は本当に素晴らしく、私は心から感動しました…」

 「それはありがとう」

 二人は大きな木の下で話していた。小説家は三十代で壮健な感じで、立派な服装を身に着けていた。少女は美しかったが、どこかひ弱な印象だった。

 「先生、先生の著書はどうしてあんなに素晴らしいんでしょう…。私、先生の作品に本当に心の底から感動してしまいました。先生の作品を知って以来、私は来る日も来る日も先生の事、先生の作品の事を考えています。でも、私は思うのです。私は先生に比べてどうしてこんなにみすぼらしいのだろう、って。私、それを思うと辛くって」

 「そんなに辛く考える必要はないさ」

 小説家は笑って答えた。彼はまだ問題を軽く考えていたのだった。

 「君はまだ若いのだし、これからだよ。これからさ。僕も君くらいの年にはそんな風に悩んでいたものだ」

 「でも、先生。私には本当に何の才能もないんです。私には先生のように、世界全体を明るく輝かせる才能はありません。先生はその作品でもう一度、この世界を再び、価値ある明るいものに変えてしまっています。こんな世の中、こんな世界…先生、私は辛いのです」

 少女は泣きそうな顔をしていた。小説家は真剣な顔で少女の話を聞いていた。

 「先生、私には本当に何もないのです。才能がないのです。先生のような。ああ、先生教えて下さい。私は一体、どうすればいいでしょう。先生はきっと、ご自身の生活から悲しみも苦しみも味わわれた事でしょう。それを作品から感じます。先生は、ご自身の身に起こった全ての事を作品として、全ての人に還元する方法を知っています。先生の小説が世界中で尊敬を込めて読まれるのはあまりにも当然の事です。先生はその著作でこの世界を作り直し、先生自身の悲しみや辛い思いだって価値あるものに変えてしまいました。でも、それに比べて私のこの人生は何でしょう? 私なんて何もないのです。私なんて、私なんて……」

 そう言うと少女は泣き崩れてしまった。小説家は少女に近づき、そっと肩に手を置いた。

 「そんな風に思う必要はないさ」

 小説家は優しく言った。彼は、自分にそんな読者がいるのだ、という事に心底驚いていた。小説家はその頃、一種の厭世主義に陥っていた。彼は自分の書くものが世の中に全く理解されていない、人は自分の肩書しか見ていない、人はほとんど内容を読まない、という感覚に陥っていたのだった。

 「君がそんな風に言ってくれている事は本当にありがたい事だ。君は…良い子だ。君は私の書くものを理解してくれている。だから、君はそんな風に言うべきではないんだ。君は自分に価値がないなんて言うべきじゃない。私は…君の言う通り、私の作品で人類に共通の普遍的なものを目指している。そしてその事が君の魂に共鳴したから、君は私の作品に感動してくれた。その時、私の作品は、いや、私自身はどこにいるのか? それは君の中にだ。君がそう言ってくれている時、君が私の作品に感動してくれている時、私と君とはもはや分ける事ができない一つの魂の中にいるのだ。いいかい、そんな君は何の才能もないとか、自分には何の価値もないとかそんな風に考える必要は全然ないのだ。君がそんな風に生きているから、そんな風に生きている君がいるからこそ、私の作品には何かの意味や価値があるのだ…。そしてそれはきっと良い事なのだ……」

 少女は感動した面持ちで顔を上げた。少女は泣き止んでいた。

 「ありがとうございます、ありがとうございます、先生…」

 少女は頬を上気させていた。小説家はその顔をじっと見ていた。

 「先生、私は明日、行かなければならない所があるのです。明日、私はもうこの国にはいません。私はとても遠い所に行かなければなりません。もしかしたから、もう二度とこの国に戻ってくる事はないかもしれない。私はどこかへ行って、何かのつまらない人生を送ります。私は何十億人の人間の中で埋もれた生活を送ります…。でもそう言ってはいけないのですね。先生の著作を持って私は行きます。私が先生の御本を読んでいる時、私は先生の魂の下にいるのですね。ですから私は…もう自分の事は考えないようにします。私は一つの肉体を持って生きていますが、同時に全人類と一致した魂そのものなのですから。先生の御本を通して…」

 少女はそれだけ言うと、下に置いたカバンを手にとって、その場を去った。それは頂上に大きな木のある、静かで美しい丘だった。小説家は木の下に立ったまま、丘をくだっていく少女の姿をじっと見守っていた。彼はふと呟いた。

 「あれこそが最良の人間というべき人だ」

 

 

 

 〈この作品は宮沢賢治 「マリヴロンと少女」オマージュ作品です〉


奥付



少女と小説家


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著者 : ヤマダヒフミ
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