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真理を発見しました

 まず、次のピラミッドを見てください。

 

真理のピラミッド

◆一元論、【存在】

◆二元論、【自力】【他力】

◆三元論、【継続】【変化】【充実】

◆四元論、【計画】【実行】【評価】【改善】

 

 図を作るのが面倒なので、各人、頭の中にピラミッドを描いてみてください。実際に、紙に書いてもOKですよ。

 これに、「真理のピラミッド」という名前をつけました。本当は、真理という言葉は、あのカルト宗教団体を想起させるので使いたくないのですが、なんど考えても、真理が一番しっくりくるのでこの言葉を使いました。詳細はのちほど。これが基本形で、経済に応用すると次のようになります。

 

経済のピラミッド

一元論、【存在】価値

二元論、【自力】需要 【他力】供給

三元論、【継続】ヒト 【変化】モノ 【充実】カネ

四元論、【計画】生産 【実行】販売 【評価】消費 【改善】改良

 

 さて、これを身近なもの、据え置きゲーム機で考えてみましょう。

 PS3(プレイステーション3)で考えてみることにします。2006年ごろ、市場では、薄型ハイビジョンテレビが急速に普及し始めていて、ハイビジョンのテレビゲームが価値を持つようになりました。この世代の据え置きゲーム機の「価値」は、「ハイビジョンゲーム機」であると言えそうです。PS3の一番の価値は、HDゲーム機であることです。HDはハイビジョンとほぼ同義語のようですね。この点、PS3は価値の基準をクリアしています。さて、ゲーム機はどう考えてもオモチャなので、一般人はそんなにはお金を出せません。一般人の望んだ「需要」は、低価格高性能でした。しかし、PS3の当初の価格は、一番安いモデルで49980円だったのでした。5万円と言えば、Wiiの約2倍の値段です。いくら、ライバルの任天堂のWiiHDゲーム機ではないから安くできたとはいえ、PS3の初値はあきらかに高すぎました。市場は低価格高性能なゲーム機を望んでいたのに、ソニーは高価格高性能なモデルを「供給」してしまったのです。そのため、この世代のゲーム機は、ソニーのPS3、任天堂のWii、マイクロソフトのXbox 3603機種が市場を喰い合い、結局どの機種が勝ったのかよく分からない状態になってしまいました(本体が一番売れたのはWiiですが、今も新作ソフトが出続けているのはPS3です。Xbox 360はよく知りません)。「ヒト」はHDゲームがしたかったけれど、「モノ」であるPS3が高すぎたため安いWiiに飛びつき、「カネ」はWiiを作った任天堂に流れた、ということですね。

 ちなみに、ソニーはPS3の失敗を反省材料として、PS3の欠点をすべて潰した次世代ゲーム機、PS439980円(税抜き)で市場に投入しました。PS4は見事ロケットスタートに成功し、今でも世界中で爆発的に売れているそうです。きっと、低価格高性能な「需要」に見合う、低価格高性能なゲーム機を「供給」したからでしょう。

 

 どうです、みなさん。真理のピラミッドを使えば、ゲーム機の歴史も、これこの通り、いとも簡単に説明できてしまうのです。

 そして、この真理のピラミッドの発見者が、この僕、幻想まじない師です。変なペンネームですけれど、気にしないでください。ファンタジー小説が好きなので、ブログを開設する際、あまり深く考えず、「幻想まじない師のブログ」というブログを開設してしまったのですが、……それにしても、やたらと怪しいペンネームですね(汗)。もっと普通のペンネームでブログを作れば良かったかな。反省。

 

 歴史上、幾多の天才たちが、真理に挑んでは敗れてきました。その理由を、今の僕は知っています。歴史上の偉人たちは、一元論のみで世界を説明しようとしたり、二元論のみで世界を説明しようと躍起になっていました。答えが一つしかないとか(すなわち一元論)、答えは心と身体の二つであるとか(二元論)、あっちこっちに分裂していたために混乱が起きていたのです。だから、真理が見つからなかったのです(なお、現代の哲学者は「真理はないが、共通了解がある」と考えているそうです)。

 一元論には一元論の答えがあり、二元論には二元論の答えがあり、三元論には三元論の答えがあります。それぞれに、別々な答えを付与すれば済んだはなしだったのです。そして、僕は見つけました。一元論や二元論などの回答を。それこそが、真理のピラミッドなのです。

 

 この本では、真理のピラミッドについて、ざっくり解説していきます。

 それでは、真理のピラミッドの解説を始めましょう。これから順次、説明していきます。

 まずは、一元論、……の前に、ゼロ元論です。「一元論は存在か無か」、僕は果てしなく悩んでいました。しかし、なんのことはない、「ゼロ元論」を創設して、そこに「無」を当てはめればきれいに収まるではありませんか。というわけで、ゼロ元論は、「無」です。

 無とは何か、無です。無は、無以上でも無以下でもなく、無以外の何物でもありません。ゼロ元論の答えは「無」です。ゼロ元論は、「瞑想・悟りの座」にいます。現代では、東洋人いがいの人たちのあいだでも、瞑想が流行っていて、心を無にして、そこからクリエイティブな発想を得ようとしていますね(マインドフルネス瞑想など)。なぜ、無からクリエイティブな発想が生まれるのか、僕には考えつきもしませんが。心を無にすると、アイデアのビッグバンでも起きるのでしょうか。ゼロ元論は、瞑想や悟りがもっとも得意とする階層と言えるでしょう。

 

 次に、一元論です。無から何かが生まれました。何かが生まれた、ということは、何かが「存在」する、ということです。すなわち、一元論の答えは「存在」です。存在は、属性をあらわしています。現在、地球上では、先進国とテロ組織が、高額所得者と低額所得者が激しく対立していますが、もとを正せば、同じ人間、「理性」という属性を持った仲間です。一元論は、一つの属性「存在」が答えです。

 一元論は、「宗教の座」にいます。世界の宗教は、一神教が多いですよね。一元論ですべてを説明しようと試みた、哲学者スピノザは、「神あるいは自然」なんて表現しています。まぁ、スピノザの神は、我々がふだん思っている神様とは違うようですが。また、パソコンを選ぶ際、選択肢がWindows系とMac系に分かれますが、Macしか認めない人を「Mac信者」と揶揄することがあります。一つの対象しか認めない人は、宗教的な言動に走る傾向があるようです。一元論は、宗教がもっとも得意とする階層と言えるでしょう。

 

 さて、次いで、二元論です。ここから、だんだんややこしくなってきます。がんばってついてきてください。一つの存在が、(極性の異なる)二つのものに分裂したのが二元論です。ここは、あまり自信が無いのですが、一つの存在が、「自力」的な存在と、「他力」的な存在に分裂したとしましょう。

 哲学者デカルトは、心身二元論を唱えました。人間は、心と身体の二つに分けられる、という考えですね。近年、日本で急速に広まったアドラー心理学によると、心の問題はすべて人間関係によるものだそうです。人間関係の問題である、ということは、心は「他力」な存在なのでしょう。それに対し、身体は、十分な食料などがあれば維持できます。身体は、他人がいなくても維持できるので、「自力」な存在であると言えるでしょう。身体が「自力」で、心が「他力」ですね。

 主観と客観はどうでしょう。ミロのビーナスや、ダ・ヴィンチのモナリザや、北斎漫画は現に存在しています。これは客観的な存在です。そして人々は、客観的な存在を見て、「良い・悪い」「好き・嫌い」などの主観的な感想を持つわけです。つまり、客観的な存在なくして、主観的な感想はありえない、ということになります。つまり、客観が「自力」な存在で、主観が「他力」な存在といえそうです。

 太陽と月はどうでしょう。太陽も月も、ともに輝いています。しかし、太陽は自分で発光し、月は太陽の光を反射して発光しているという違いがあります。太陽は「自力」で、月は「他力」で光っているのですね。

 面白いのが、ソフトとハードです。「パソコンは、ソフトが無ければただの箱」という比較的あたらしいことわざによれば、ソフトが「自力」でハードが「他力」に見えますが、違います。ピアノというハードが作られなければ、ショパンは「別れの曲」を書きませんでした。高性能なパソコンが登場しなければ、ジョン・ラセター監督はCGアニメ「トイ・ストーリー」を作りませんでした。ソフトはハードに大きな影響を受ける、「他力」な存在なのです。ハードが「自力」で、ソフトが「他力」ということですね。

 このように、二元論は、「自力」と「他力」にきれいに分かれてくれます。「自力」と「他力」では、どう考えても「自力」の方の重要度が高いので先に書いています。考えなしに書いているわけではありませんよ。「自力」の方が重要なので、「自力」を第一極性、「他力」を第二極性とします。なお、「自力」「他力」という分類は、個人的に不満足で、まだ改定の余地が残されていると思いますが、今のところ上手くいっているので、このままにしましょう。あるいは、二元論の答えには、近年、大注目されているというスパースモデリングの「選ぶ」と「絞る」が入るのかも知れません。

 というわけで、二元論の答えは、二つの極性、「自力」と「他力」です。二元論は、「哲学の座」にいます。哲学といえば、上記した、デカルトの心身二元論があまりにも有名ですね。他にもたくさんの二元論があります。二元論は、西洋哲学の主戦場です。二元論は、哲学がもっとも得意とする階層と言えるでしょう。

 

 次に、三元論です。一つの存在が、三つの要素をともなったとき、存在は完全に安定します。音楽の三要素、物語の三要素、経済の三要素、国家の三要素、貧困の三要素、エトセトラ、エトセトラ……。僕は、様々な三要素を帰納して、3要素の法則を完成させました。その、3要素の法則とは、「継続」と「変化」そして「充実」です。

 いくつか例を挙げましょう。

 音楽の三要素は、「リズム」「メロディー」「ハーモニー」です。リズムが音楽を「継続」させ、メロディーが音楽に「変化」をもたらし、ハーモニーが音楽を「充実」させます。

 物語の三要素は、「人物」「事件」「背景」です。人物は物語に「継続」して登場し、事件が物語を「変化」させ、背景が物語を「充実」させます。

 経済の三要素は、「ヒト(人)」「モノ(物)」「カネ(金)」です。ヒトは経済では「継続」して消費し、モノは経済を「変化」させて、カネは経済を「充実」させます。完璧ですね。

「継続」「変化」「充実」の順番も、このままでいいでしょう。「継続」している何かがあるから、「変化」という概念が生まれるのです。継続しているものが全くない世界では、何を基準に変化があると考えればいいのでしょう。そういう世界では、変化という概念自体が生まれません。継続がなければ、変化は生じないのです。そして、季節などの様々な変化は、「充実」をもたらします。変化がまったくない人生は、味気ない、充実していない人生と言えそうです。「継続」が第一要素で、「変化」が第二要素で、「充実」が第三要素です。

 そうそう、「継続」の替わりに「持続」でもいいですよ。実は、「持続」の方がベターなのですが、最初にこうしたので、惰性で今でも「継続」を使っているだけです。

 というわけで、三元論の答えは、三要素、「継続」と「変化」と「充実」です。三元論は、「科学の座」にいます。多くの事柄で、「3つ理由を挙げます」と説明されるとなぜか納得してしまうことが多いのは、「3」が科学的な数字だと、経験的に人間が知っているからでしょう。また、近代文明の発達がキリスト教文化圏で起こった主因は、キリスト教が持つ「父・子・聖霊」の三位一体という概念が、3要素の法則である「継続・変化・充実」の代用品になったからだと思われます。ちなみに、物質の最小単位である量子も、「粒子」と「波」と「ゆらぎ」の三つの形態を持つとされています(20164月現在、量子は「粒子」と「波」の二つの性質を持つとされているが、それに「ゆらぎ」が加わるのが有力視されている。日本の小澤正直教授によるものだ。詳しくは「小澤の不等式」で検索してください)。また、問題に対して客観的な意見を述べられる人のことを、「第三者」と言います。小説の客観的な記述を、「三人称」と言います。カメラの一脚はやや不安定ですが、三脚はほぼ完全に安定しています。つまり、客観的な解釈をするためには、最低限、三つの要素や視点が必要なようなのです。客観的といえば、やはり科学ですよね。三元論は、科学がもっとも得意とする階層と言えるでしょう。

 

 次に、四元論です。ここの説明は、楽チン、楽勝です。なぜなら、答えが四方面で、「計画」「実行」「評価」「改善」だからです。えっ、それってPDCAサイクルじゃ? と思ったあなた、アタリです。ここにだけは、従前から答えがあったので実に楽でした。詳しい説明はいらないですね。順番も今のままでいいでしょう。

 でも、四方面ってなに? と思っている方も少なくないでしょう。これには、ちょっとした理由があるのです。数年前のWikipediaの音楽のページに、「作曲・演奏・鑑賞を音楽の三方面という」というような記述がありました。「作曲」「演奏」「鑑賞」は、そのままPDCAサイクルの「計画」「実行」「評価」と完全に符合します。だったら、PDCAサイクルは、四方面でいいじゃないか、ということでこうなりました。「計画」が第一方面で、「実行」が第二方面で、「評価」が第三方面で、「改善」が第四方面ですね。

 余談ですが、PDCAサイクルの本を読むと、「PDCAサイクルを回すのは意外と難しい」と書かれていることが多いのですが、これはおそらく、PDCAサイクルが4つの要素で構成されているからでしょう。4といえば、素数ではありません。素数ではない4は、22に簡単に分断されてしまうのです。この場合は、「計画&実行」と「評価&改善」に分断されてしまうのでしょう。ところで素数っていったいなんだろう?

 というわけで、四元論の答えは、四方面(別名「PDCAサイクル」)、「計画」「実行」「評価」「改善」です。四元論は、「経済の座」にいます。PDCAサイクルを上手く回すことができれば、あなたは大金持ちになれるでしょう。四元論は、経済がもっとも得意とする階層と言えるでしょう。

 

 勇み足で、五元論です。五元論は、五段階、「吸収」「消化」「模索」「発見」「修正」です。これはいったい、なんでしょうか。作った僕も、なんだか良く分かっていません。ちなみに、この五段階は、マズローの「欲求五段階説」や、エリザベス・キューブラー・ロスの「悲嘆の五段階」、果ては、ジェームズ・W・ヤングの『アイデアのつくり方』の五段階などを参考に考案しました。

「吸収」「消化」「模索」「発見」「修正」の五段階は、おそらく、「文化・芸術の座」にいるのだと思います。五段階は、文化や芸術がもっとも得意とする階層だと推量されます。

 五元論以降も、まだまだ続くと思われますが、キリが無いのでここまでにします。

 興味のある方は、六元論以降に挑戦してみてください。

 

 さて、まとめです。

 

真理のピラミッド

◆ゼロ元論、【無】

◆一元論、一つの属性【存在】

◆二元論、二つの極性【自力】【他力】

◆三元論、三要素【継続】【変化】【充実】

◆四元論、四方面【計画】【実行】【評価】【改善】

◆五元論、五段階【吸収】【消化】【模索】【発見】【修正】

 

 これに、「真理のピラミッド」という名を付けました。かつて、哲学者たちや、科学者たちや、宗教家たちがあこがれ夢見てきた真理が、このピラミッドです。

「真理のピラミッド」の最大の特徴は、絶対的であることです。たとえば、音楽の三要素は発見されてから数百年が経ちますが、今までまったく修正されないばかりか、今後とも変化するきざしがないのです。現状で、音楽の三要素は完璧なのです。音楽の三要素が絶対であるように、それを内包する、真理のピラミッドもまた絶対であると思われます。

 この真理のピラミッドは、宗教や哲学や科学や経済や芸術など、あらゆる分野を統合する可能性を秘めています。真理のピラミッドを制した者が世界を制すると言っても、過言ではないかもしれません。

 そこのカルト教団、くれぐれも悪用しないように!!

 なお、「統合学術国際研究所」という研究所があるそうですが、この本とは一切関係ありません。

 三元論より二元論が、二元論より一元論が重要であることは論を俟たないでしょう。濃度の問題で説明します。経済の一元論である「価値」は、ひとことで経済をあらわしているので、真理の濃度が100%です。これが二元論になると、「需要」と「供給」に分かれるので、真理の濃度が50%ずつで半分に下がってしまいます。さらに、三元論になると、「ヒト」「モノ」「カネ」の3つに分かれるので、真理の濃度が約33%ずつに下がります。四元論の「生産」「販売」「消費」「改良」となると、4つに分かれるので、真理の濃度は25%ずつです。こうしてみると、三元論より二元論が、二元論より一元論が重要なことは自明であるように思われます。では、一元論とゼロ元論では、いったいどちらが重要なのでしょうか。それは、今の僕には皆目、見当がつきません(ゼロ元論は、もちろん真理の濃度は0%でしょうが)。それと、一元論の真理100%と、二元論の真理50%ずつ計100%などは、どうしたらいいのでしょう。足せば、真理の濃度が200%になってしまいます。三元論も足せば、300%です。それとも掛けるのでしょうか。しかし、掛けると大変なことになる。ゼロ元論を含めて掛けると、当然、すべての答えは0%になってしまう。なんだか、ややこしくなってきましたね。残念ながら、僕は答えを持っていません。

 ところで、無生物が、四元論である「計画」をしたり「実行」したり「評価」したり「改善」したりするでしょうか。いいえ、しませんよね。無生物は、そんなことはしないのです。つまり、ゼロ元論から三元論までで、無生物は完璧に説明できるものと思われます。四元論以降は、生物を説明する際に必要になるのでしょう。

 厄介なことに、真理のピラミッドは、おそらく無限に続くでしょう。数字が無限であるように。つまり、真理は無限にあると言っても過言ではないのです。これでは、知的生命は永遠に完全な真理に到達できなくなってしまいます。ですが、問題ありません。例えば、巷にある本をすべて読もうとしても、死ぬまでに読み切ることは叶わないでしょう。しかし、重要な本を100冊くらい読めば、人生は切り抜けていけます。本を1000冊以上も読んでいれば、十分に読書家の資格があるといえるでしょう。同様に、真理のピラミッドも、おそらく七元論か十元論あたりまでを熟知すれば、現実の事象のほとんどを説明できると思われます。現状の五元論までで、すでに多くの説明が可能です。

 真理のピラミッドは無限に続くと書きましたが、そうなると必然的に幾つかの疑問が湧いてきます。一つは、重複はないのか、ということです。例えば、二元論は「自力」と「他力」ですが、他にも基本となる絶対的な分類は存在しないのか、ということです。もう一つ思いつくのは、スキップはないのか、ということです。例えば、五元論の次の六元論が存在しなくて、次は七元論になるという可能性です。ほかにも、マイナス元論はあるのか、√元論はあるのか、などなど謎は多いですね。いずれの謎も、「現時点では分からない」が答えです。叡智と暇を持てあましている人は、謎の解明に挑戦してみてはいかがでしょうか。

 ところで、真理のピラミッドの階層が増えると、ピラミッドも高くなりますよね。これって、ひょっとしてオカルト界隈で言われているアセンション(次元上昇という意味らしい)のことかな? まさかね。オカルトは楽しむものであって信じるものじゃない。僕は信じないぞ。

 

 さて、いくつか、具体例を挙げてみましょう。

 

物質のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】性質

二元論、【自力】作用 【他力】反作用

三元論、【継続】粒子 【変化】波 【充実】ゆらぎ

 

 一元論と二元論はおバカな僕が考えました。三元論は、量子論そのものですね。四元論以降はまだ分かりません。

 

生物のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】本能

二元論、【自力】味方 【他力】敵

三元論、【継続】欲求 【変化】情動 【充実】知恵

 

 一元論から三元論まで、僕が考えました。正しいかどうかは分かりません。

 

知的生命のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】理性

二元論、【自力】身体 【他力】心

三元論、【継続】欲望 【変化】感情 【充実】知性

 

 一元論と三元論は僕が考えました。二元論は、デカルトからの引用です。なお、三元論はネットの掲示板の意見に大きな影響を受けました。

 

音楽のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】聴覚的感動

二元論、【自力】長調 【他力】短調

三元論、【継続】リズム 【変化】メロディー 【充実】ハーモニー

四元論、【計画】作曲 【実行】演奏 【評価】鑑賞 【改善】改作

 

 一元論は僕が考えました。「聴覚的感動」とは少し安易ですかね。あとは、既存の情報をはめ込みました。

 

物語のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】言語的感動

二元論、【自力】喜劇【他力】悲劇

三元論、【継続】人物【変化】事件【充実】背景

 

 一元論は僕が考えました。あとは、既存の情報をはめ込みました。

 

戦争のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】決闘

二元論、【自力】正義 【他力】悪

三元論、【継続】政府の目的 【変化】軍隊の才能 【充実】国民の支持

四元論、【計画】作戦 【実行】攻防 【評価】勝敗 【改善】賞罰

 

 一元論と三元論はクラウゼヴィッツ著の『戦争論――まんがで読破――』(イースト・プレス)からの引用です。一元論は、「決闘」より「英雄」のほうがあっているかも知れません。二元論と四元論は僕が考えました。

 

宗教のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】神

二元論、【自力】自由主義 【他力】原理主義

三元論、【継続】崇拝 【変化】教え 【充実】救い

 

 一元論と二元論は僕が考えました。三元論はネットで拾った情報です。

 

ジャーナリズムのピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】事実

二元論、【自力】自由 【他力】責任

三元論、【継続】視点 【変化】疑問 【充実】時代性

四元論、【計画】取材 【実行】発信 【評価】反響 【改善】続報

 

 一元論と三元論と四元論は、僕が考えました。二元論はネットの掲示板の意見を参考にしました。

 

経済のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】価値

二元論、【自力】需要 【他力】供給

三元論、【継続】ヒト 【変化】モノ 【充実】カネ

四元論、【計画】生産 【実行】販売 【評価】消費 【改善】改良

 

 三元論は、既存の情報からの引用です。一元論と二元論と四元論は、経済の本とにらめっこしながら僕が考えました。

 

右翼のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】保守

二元論、【自力】伝統 【他力】秩序

三元論、【継続】家族 【変化】道徳 【充実】教育

 

 一元論と二元論は、浅羽通明著の『右翼と左翼』(幻冬舎新書)を読みながら僕が考えました。三元論はネットで拾った情報です。

 

左翼のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】革新

二元論、【自力】平等 【他力】団結

三元論、【継続】個人 【変化】理想 【充実】啓蒙

 

 一元論から三元論まで、浅羽通明著の『右翼と左翼』(幻冬舎新書)を読みながら僕が考えました。

 

貧困のピラミッド

ゼロ元論、【無】なし

一元論、【存在】運命

二元論、【自力】遺伝 【他力】環境

三元論、【継続】保健 【変化】教育 【充実】所得

 

 一元論と二元論は僕が考えました。三元論はネットで拾った情報です。

 

 問題解決方法について、少し考えてみましょう。

 音楽の一元論は「聴覚的感動」です。どんな優れた音楽も、どんな明るい曲も暗い曲も、どんなリズムもメロディーもハーモニーも、聴覚的感動を持たない人間にとっては騒音でしかありません。もし、この世から音楽を消し去りたいのならば、「聴覚的に感動するのは愚かなことだ」、と啓蒙すればいいのです。僕は、音楽が無くなればいいなんて、これっぽっちも考えてはいません。これは単なる思考実験です。「聴覚的に感動するのは愚かなことだ」という啓蒙が成功すれば、音楽はいずれこの世から消えて無くなるでしょう。

 さて、この方法を使って、貧困を無くす方法を考えてみましょう。貧困の一元論は、「運命」でした。運命を無くすことは不可能ですが、軽減することは可能でしょう。もっと弱者に理解のある社会になれば、もっとセーフティーネットが拡充すれば、(遺伝や環境で)運命に翻弄されている人々にとっても、今よりは生きやすい社会になるでしょう。この問題は、今の弱者だけが該当するわけではありません。10年から20年後には、約50%の仕事がロボットに置き換わると言われています。健常者の皆さん、「明日は我が身」ですよ。

 真理のピラミッドは、様々な社会問題の根本的解決の糸口になると思われます。

 真理のピラミッドの登場によって、本当の意味で、中世が終わるはずです。中世が終わって、どんな社会が到来するのかは、想像もつきませんが……。

 えっ、他のピラミッド? 自分で考えてください。

 

 

後記

 

 いかがでしたでしょうか。

 正しいものもあれば、根本的に間違っているものもあるでしょう。ですが、今後は、このピラミッドを基礎に、一つひとつ直していけばいいのです。参考にすべき、基本パターン、真理のピラミッドができたのは、大きなインパクトだと思います。

 すべての始まりは、この世にたくさんの三要素があることでした。それだけたくさんの三要素があるのなら、三要素には何か共通項があるのでは、と思い、約20年かけて『3要素の法則』を完成させました。ある日のこと、自力の三要素と他力の三要素について考えていた時期に、パチンとひらめきました。「自力」と「他力」が二元論ではないかと。この分類はとても上手くいくと同時に、非常にショッキングでもありました。それまでの僕は、「3要素の法則で万物を説明できるはずだ」と息巻いていたのですから。途方に暮れつつも、前進し、一元論とゼロ元論を完成させ、ついに僕は真理のピラミッドを完成させました。長い道のりでしたが、僕はなんとかやり遂げました。真理のピラミッドが社会に貢献することがあれば、無上の幸せです。

 なお、真理のピラミッドの使用は自己責任でお願いします。まだ、確定事項ではないので。

 これを読んだ皆さん、真理のピラミッドを使って、戦争や差別や貧困の無い、素晴らしい未来を創ってくださいね。

 おい、そこのカルト教団、悪用禁止って言ってんだろうがッ!!

 

 

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著者紹介

幻想まじない師(ペンネーム)・男性・1968年生まれ

 

奥付

著者:幻想まじない師

出版社:幻想まじない出版

20164月出版

 

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付記

 さて、本当は、この『真理を発見しました』は、(これでも)我ながら良く書けているので、大きなミスが見つかっても書き直さないつもりでいました。

 某掲示板で、ゼロ元論に批判が来ました。ゼロ元論の【無】を「なし」にしているのは間違いではないか、という指摘です。その後、「無」について書かれた本を読むと、「ビッグバンより前は「無」すらなかった(要約)」というような記述がありました。つまり、「無」はビッグバンとともに生まれたのであり、宇宙において「無」は存在することになります。これは重大な見落としであり、根本的なミスです。

 つまり、すべてのゼロ元論で、僕は【無】を「なし」と書きましたが、これは誤りで、【無】は「あり」と書くべきだったのです。考えてみれば、「ゼロ」という数字は、世間一般にあふれているもので、「ゼロ」がなければ簡単な計算もままなりませんよね。「無」に関する学術書を読まなかった僕の怠慢です。

 しかし、「無」って「ある」んですね。正直、ビックリです。ビッグバンの前は、無の状態だとずっと勘違いしていました。ああ、恥ずかしい。

 

 というわけで、ゼロ元論の【無】は、すべて「あり」になります。

 とすると、【無】の濃度はどうなるのでしょう? 「【無】は「あり」のとき、真理の濃度が100%になる」とまあ、禅問答のような答えしか思いつかないポンコツの僕です。やっぱり無学者はダメですね。

 

 本文の手直しも考えましたが、『真理を発見しました』の改稿は面白くないので断念し(大のお気に入りなのです!)、修正を付記することにしました。

 なお、今回はミスが極大だったのでさすがに付記しましたが、小さなミスは直すつもりはありません。悪しからず。

 

2017年11月12日

 


付記2

  さて、付記2です。

 本文にあまりにも間違いや勘違いが多く、はては誤字などがあったので、一部修正します。

 

 まず、真理のピラミッドがおかしい。

 一元論を「存在」にしましたが、これは「本質」の間違い。

 僕は、あまりにも「存在と無」の関係について囚われすぎていて、ミスってしまったようです。たとえば、経済の一元論は「価値」ですが、これは経済にとって、「存在」というより「本質」といったほうが蓋然性が高いでしょう。

 三元論の「継続」も、「持続」に変更しましょう。なぜこの変更が必要かというと、「継続」は生命体が「意図的」に行う活動であるというニュアンスを持つのに対し(「ダイエットを継続する」など)、「持続」は無機物にも当てはまるからです。継続よりも持続のほうがカバー範囲が広いので、このほうが適当でしょう。まぁ、いっそのこと「維持」でも良いのですが、それはまた今度の機会に。

 同じく、三元論の「変化」も、「変動」に変更すべきか悩みどころです。

 五元論は、「吸収・消化・模索・発見・修正」と書きましたが、5つ目の「修正」は「共有」のほうが適切でしょう。「修正」は、四元論の4つめ、「改善」と完全にかぶっているので、明らかに不適切です。

 だれかが、素晴らしい絵画を描いたとしても、発表して作品を「共有」しなければ、事実上、絵を描いたことにはなりません。だから「共有」が大事なのです。これには、さすがに当初から気づいていましたが、当時は「共有」だと言い切る自信がありませんでした。まぁ、いまも「共有」だと言い切る自信はないのですが、言ったモン勝ち、ということで変更します。

 さらに、六元論を、「いつ・どこで・誰が・なにを・なぜ・どのように」で追加予定。これは、いわゆる「5W1H」と呼ばれているものですね。ただ、六元論に、5W1Hを入れるのは、できすぎというか、何かの罠にはまっているような気がして、さすがに躊躇します。だから、いまのところ暫定です。

 ちなみに、この六元論は、歴史か社会の座になるでしょう。心理も考えましたが、心理学では「なぜ」を問うのはよくないとネットの記事で見かけたので、心理はないでしょう。

 七元論は、「世界の七不思議」など、いろいろ調べたのですが、決定打になるような手本が見つからず、現在、難航している状態です。

 

 さて、真理のピラミッドを以下に変更です。

 

「無」

【本質】

【自力】【他力】

【持続】【変化】【充実】

【計画】【実行】【評価】【改善】

【吸収】【消化】【模索】【発見】【共有】

【いつ】【どこで】【誰が】【なにを】【なぜ】【どのように】(暫定)

 

 というような案配です。

 さて、他の変更点です。

 

宗教のピラミッドを

「神」

「善」「悪」

「崇拝」「教え」「罪」

 

とします。

 二元論を、「善」と「悪」に変更。

 なぜこんなイージーなミスをしたかというと、戦争のピラミッドの二元論で「正義・悪」を使ってしまったため、宗教で「善・悪」が使えなくなってしまったのです。ですが、どう考えても、善と悪とを歴史的に早い段階で規定しているのは、宗教ですよね。

 さらに、三元論の「救い」を「罪(あるいは「裁き」)」に変更。これは、とあるまとめサイトでこの電子書籍の宣伝をしていたときに指摘を受けたものです。無宗教の僕からすれば、「「救い」でも「罪」でもどっちでもいいだろう」と思うのですが、博識の人にとっては一大事のようです。

 

 次に、

生命のピラミッドを

「本能」

「身体」「心」

「欲求」「行動」「感情」

に変更。

 

知的生命のピラミッドを

「理性」

「外見」「中身」

「欲望」「言葉」「意識」

に変更。

 

 生命、知的生命ともに、二元論以下を大幅に変更。これでだいぶ整った。

 知的生命の二元論の「身体・心」を、生命のピラミッドに移動です。まぁ、考えてみれば、裸で暮らしている人間(知的生命)はほとんどいませんからね。生命の二元論は「身体・心」で、知的生命の二元論は「外見・中身」が妥当でしょう。

 三元論は大手術でした。ですが、生命は「欲求があるから行動する、行動すると感情が芽生える」と考えると、なかなかいい流れです。知的生命は、「欲望があるから言葉を発する、言葉によって意識が芽生える」と、これもまぁまぁですね。

 それにしても、「言葉」というワードが、ついにピラミッドに登場しました(あと「意識」もね)。実は、知的生命の一元論を、「理性」にするか「言葉」にするかで悩み抜いた時期があります。長考の末、「言葉は理性の「一元論」に違いない」と思い、外していたものです。ですが、知的生命の第二要素を「言葉」にすることによって、全体的に見通しがよくなってきました。

 

 なお、音楽の3要素を「絶対」と書きましたが、実は絶対ではありません。本当のところ、執筆を急いでいた上に、適切な表現が見当たらなかったので、適当なことを書いただけです。ウソを書いて、どうも済みませんでした。皆さん、くれぐれも「絶対」という言葉を鵜呑みにするアホにはならないでください。

 僕自身、3.11の東日本大震災の前からずっと、「原発は絶対安全なんてウソだよな。政治家は酷いウソを言うよなぁ」と思っていました。そして、「原発はいつか事故るよ」という確信をいだいていました。自分が住んでいる都道府県には原発が無かったので、反原発運動には関わらなかったけれども。

 しかし、3.11以前には多くの政治家が「原発は絶対安全」と言っていましたが、どれだけバカなんだろう。テロや隕石の落下などの危険を考慮すれば、「原発は絶対安全」なんて口が裂けても言えないはず。

 政治家は、ほんとうに「原発は絶対安全」と思っていたのだろうか。そう言ったほうが反対派を抑えやすいから方便としてウソを言ったのか。前者なら救いようのないバカだし、後者なら悪党にもほどがあるというもの。まぁ、原発を推進したことを反省している小泉純一郎元総理は、まだマシなほうと言えるのかもしれません。

 

 ですが、僕はまるっきりのウソを書いたわけではありません。音楽の3要素は絶対ではありませんが、実は「絶対」を含んでいるのです。本当ですよ。それは、音楽の3要素の「リズム・メロディー・ハーモニー」の3つのうちの、「リズム」です。リズムの無い音楽は、現在確認されていません。ハーモニーが無い音楽はあります。グレゴリオ・チャントなどですね。メロディーが無い音楽も、あることはあります。太鼓をポンポンポン、と一定間隔で叩き続けると、いちおう音楽にはなるでしょうが、そこにメロディーはありません。ハーモニーが無い音楽、メロディーが無い音楽は存在しうるのです。ですが、「リズムのない音楽は存在しない」と音楽雑誌で読んだ記憶があります。リズムの無い音楽は存在しないのです。

 そうです、音楽において「リズム」だけが絶対者なのです。

 同様に、各三要素のうち、第一要素だけが「絶対」の冠をいただいているのだと推定されます。これはある意味で脅威的なことです。「この世に絶対なんてない」と多くの人が言います。また、「絶対が無いという絶対がある」という穿った反論もありますね。

 これらの論破は簡単です。「リズムの無い音楽はないよ。音楽においてリズムは絶対だよ」で論破終了です。

 この世に絶対はあるのです。それは各ジャンルの3要素の、第一要素です。逆に言えば、それ以外には絶対はない、と言えるのかもしれません。

 

 ところで、これは最初から分かっていて、危なくて書かなかったことがあります。ピラミッドの左側に男性的な要素が来て、右側に女性的な要素が来るということです。何が危ないのかというと、困ったことに、「善・悪」の「悪」や「長調・短調」の「短調」のように、ピラミッドの右半分にネガティブな要素が集まるのです。つまり女性的側面には印象の悪い言葉が集中するのです。これを書いたら炎上するかも、と思って当初はこれを書きませんでした。

 二元論を「自力・他力」としましたが、ここは「主・従」でもよかったといえばよかったのです。しかし、そうすると「男性は主であり女性は従である」という古いイメージを流布してしまう可能性があるので、「主・従」という表現はできる限り避けました。

 

 ところで、とあるまとめサイトで宣伝中に、「あなたのは仮説のひとつに過ぎない(要約)」と指摘されたことがあります。その時は、反論すると長くなるのでしませんでしたが、多少の説明をしておきます。

 まずもって、僕は、自分が発見した「真理」が絶対に正しいなんて微塵も思っていません。まぁ、正しいのはせいぜい6割から7割といったところでしょう。3割から4割は、何かが足りていないか、何かが決定的に間違っていると自覚しています。

 僕は学がなく、さらに脳に障害を負っているので、自分で真理のピラミッドを完成させるのはほぼ不可能と判断しました(病名は書きませんよ)。だから、こんな不完全な形で「真理」を世に送り出したのです。脳に障害がなければ、今ごろ僕は「真理」を完成させていたかも知れません。人工知能の躍進を見て慌てたということもあります。「真理の発見」、これは人工知能には先を越されたくないですよね。

 

 さて、「仮説のひとつに過ぎない」という反論ですが、それはもちろんそうですが、そもそも、真理の仮説が増えて困ることがあるのでしょうか。ただでさえ、現代哲学では「真理なんかない」という結論に至っているそうじゃないですか。だからこそ、僕は「天才さん、僕のダメな仮説を読んで真理を完成させてね」という意味でこの電子書籍を書いたのです。あるいは、「完膚なきまでに論破してね」という意味で……。

 まぁ、僕の仮説が間違っていたとしても、少なくとも、いままで誰も考えたことのなかった斬新なアイデアではあるのだから、脳の体操か気分転換ていどにはなるでしょう。

 

 あと、「あなたのいう真理は現象に過ぎない(要約)」という批判も同時にいただきました。これについても反論しておきましょう。

 

「批判をするときは、相手が中学生レベルの頭脳しか持っていない可能性を考慮してください」

 

以上です。

 つまり、中学生程度で脳の発達が止まっているような状態の僕に、そんな難しいことが分かるワケがないでしょう、ってことです。

 

 いるんですよねえ、「ネットには健常者しかいない」という間違った前提に立ってマウントを取ってくる人。たとえば、こちらが「ごめん、それ理解できない」と言うと、「なんでこんなことも理解できない奴が「真理を発見」とか言ってるわけ?」となり、「ごめん、僕、脳に障害を持っているんだ」と、結局は持病についてある程度書かないと収まりがつかない状態になるんですよ。だから僕は、ネットの議論にはほとんど関わらないようにしているのです。ネットに病歴を書くのは、あまりよくないですからね。デジタルタトゥーなんて言葉が流行っている昨今ですから。

 みなさん覚えておきましょう。「障害者もネットをやっている」ってことを。

 

 この『真理を発見しました』は、当初、『統合学への誘い』という書名にするつもりでした。さまざまな学問の立ち位置がはっきりする仮説なので、当初は『統合学』が一番しっくりくると思ったのです。

 その後、ネットでいろいろ調べ物をしていると、「現代哲学では真理の存在を否定している」というホームページが目に入りました。「そうか、哲学では真理は無いことになっているのか、それなら堂々と「真理」を名乗らせてもらおう」と書名を変更したのですが、これが結果的に不味かった。おそらく、『統合学への誘い』のほうが、いまの倍近くはダウンロード数が増えていたと思われます。真理というワードにつられて読んだ人より、敬遠した人のほうが多いと思われます。逃がした魚は大きい。変な欲は出すものではありませんね。

 改訂版を出すときは、『統合学への誘い』に戻そうかなあ。でも、『統合学術国際研究所』っていう研究所がすでにあるんだよなあ。

 ここに手紙を出してみたけど、反応は無かった。

 

 今現在、僕はファンタジー小説を書いています(別のペンネームを使う予定です)。物語を作る上での最優先課題は「キャラクター(人物)」であると「真理のピラミッド」で判明したので、これが力強い武器になっています。本当はこの秘訣、誰にも教えたくないんですが……。

 物語を作る上での最優先事項は「キャラクター」で、次が「事件」で最後が「背景」です。これは古くからあちこちで言われていたことなのですが、案外、正反対のことを言う人もいるのですよ。「世界観(背景)が一番大事」と言っている、アニメ作家の押井守監督など。結局、押井守監督のやりかたは邪道だということです。ぼくは押井守監督のファンですけれど。押井作品では『アヴァロン』が一番好きです。

 

『真理を発見しました』の第二版も頑張りたいところですが、ファンタジー小説の執筆に比べると、「真理」の優先順位は低いですね。創作と発見、二つを同時にはできませんからね。『二兎を追う者は……』ってやつです。実際、脳が切り替わるのに、数週間はかかるのです。ポンコツな頭脳ですからね。

 てゆーか、真理は僕には無理です。だれか引き継いでくれないかなあ。

 

 いちおう、SONYが無料の人工知能ソフトを公開したときに、すぐにダウンロードして使おうとしました。「これにWikipediaを読み込ませれば、ピラミッドが簡単に作れるじゃん」と思ったのですが、そうは問屋が卸さなかった。まず、操作方法がよく理解できなかったし、理解できたとしても「言葉」を処理するのは簡単ではなかった。画像のほうが簡単なのか、人工知能。

 

 だれか、スポンサーかパトロンがついてくれれば、ファンタジー小説の執筆は棚上げして、「真理の発見」を頑張るのですが、そんな酔狂な人はいませんかね。

 まぁ、いないでしょうね。

 

 なお、真理の続きは、僕に無断で勝手にやってくれてかまわないですよ。

 なにかで発表した場合は、事後でいいので連絡が欲しいところです。

 ブログにメールフォームがあるので、連絡は可能です。

 期待しないで待っています。

 でもまぁ、ブログもそろそろやめようかなあ、と思っているきょうこのごろですが。僕のブログは役目を終えたと思うし。

 

2019年06月21日

2019年09月15日一部修正 (知的生命の3要素の「理解」を「意識」に変更)

 

 


この本の内容は以上です。


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