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遠野の奇聞(とおののきぶん) 現代語訳

 

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遠野の奇聞_現代語訳[1]

 近ごろ実に、実におもしろい書を読んだ。柳田国男氏の著、遠野物語である。二度三度と読み返しても、まだ飽きることがない。この書は、岩手県上閉伊郡かみへいごおりの、遠野郷とおのごうという、山深い幽僻地ゆうへきちの、伝説や珍しい話、さらに怪談を、その土地の人から聞き集め、氏がみずからの筆でかし描いたものである。私はえて『活かし描いたもの』と言う。そうでなければ、妖怪変化ようかいへんげがこのように生き生きとした活躍を見せないであろう。
 この書は、はじめに遠野の土地のありさまを記し、それから神の始まり、里の神、家の神などから、天狗てんぐ、山男、山女、塚と森、魂の行方ゆくえ、まぼろし、雪女、さらには河童かっぱ、猿、狼、熊、狐のたぐい、昔々の歌謡に至るまで、合わせて実に一百十九もの話を紹介している。附馬牛つくもうしの山男、閉伊川へいがわふちの河童などが、恐ろしい息をき、あやしい水掻みずかきの音を立てて、紙上を抜け出て、眼前に現れる。最近では珍しい快心の書、なかなか見ることのできない奇観がそこにある。
 昔から言い伝えられて、随筆や雑記にその面影おもかげとどめて来たものの、この昭和の時代にやがて姿を消そうとしていた山男も、この書のために再び生命あるものとなって、山の峰伝みねづたいに日光あたりまで、のさのさと出て来そうな感がある。
 古くからよく知られた、福島県会津あいず朱の盤しゅのばんについては、老婆が茶を飲みながら語った話として、

―奥州会津の諏訪すわの宮に朱の盤という恐ろしい化け物ばけものがいた。ある夕暮れ、二十五六くらいの年の若侍わかざむらいが一人、諏訪の前を通りかかったが、普段からここに化け物がいるということを聞いていたため、気味悪く思っていると、そこへもう一人、同じく二十五六の若侍が来た。『これはいい道連れができた、』と思い、一緒に歩きながら語るうち、『ここには朱の盤という有名な化け物がいるというが、其方そなたもお聞きになったことがあるか、』と尋ねると、後から来た若侍が、『その化け物はこういう者か、』と、急に顔つきが変わり、まなこは皿のように大きくなりひたいにはつのえ、顔の色は朱のように真っ赤となり、かしらの髪は針のように逆立さかだち、口は耳の脇まで裂けて歯をカチカチと打ち鳴らした…

 とある。これなどはまさに、朱の盤を今の時代に身近なものとしてよみがえらせたと言うべきである。
 さて、本文の九に記された、

菊地弥之助きくちやのすけという老人は若いころ駄馬による運送を仕事としていた。彼は笛の名人で、夜通しに馬で荷を運ぶ時などは、よく笛を吹きながら行った。ある薄く月の出た夜、大勢の仲間の者と共に浜へ越える境木峠さかいぎとうげを行くこととなり、その時も笛を取り出してなぐさみに吹きながら、大谷地おおやち(『ヤチはアイヌ語で湿地の意味で、内地にこれにちなんだ地名が多くある。また、ヤツともヤトともヤとも言う、』と注が付されている。)という所の上を過ぎた。大谷地は深い谷で、白樺しらかばの林が深くしげり、その下はあしなどの生えた湿った沢である。このとき谷の底から何者かが大声で『面白いぞ、』―と叫んだ。一同みな、顔を真っさおにして走り逃げたということだ。

 この声のみの化け物は、大入道よりさらに恐ろしい。それは即ち、姿がないため、かえって凄まじい姿を連想する、人の心理のためであろう。表現も見事である。『大声で、面白いぞ、』―には、遠野の声をここ東の都で聞いて、転寝うたたねの夢を驚かされる。

白望しろみの山に接して離森はなれもりという所がある。その小字こあざ長者屋敷ちょうじゃやしきというのは、全く無人ぶじんの場所である。ここに行って炭を焼く者がいた。ある、その炭焼きは、外から小屋の戸口に垂れたこもを持ち上げて内をうかがう者を見た。髪を長く二つに分けて垂らした女である。このあたりでも、深夜に女の叫声きょうせいを聞くことは、珍しくない。
また、佐々木氏の祖父の弟が、白望にきのこを採りに行ってそこに宿やどった夜、谷をへだてた向こうの大きな森林の前を横切って女が走り行くのを見た。空中を走る様に思われた。『待てちゃア、』と二声ばかり女が呼んだのを聞いたという。

 魔界において、激しく闘争するものの姿を見るようだ。この種の事は、みずから実際に経験して見たり、または聞いたりした人が他国にも時折あるだろうと思う。私などもしばしば伝え聞いたことがある。これと事柄は違うけれども、神田の火事も十里を隔てて幻にその光景を想う時は、おどろおどろしい気配けはいの中に、ふと女の叫ぶ声がする。両国橋の落ちた話も、それを聞いて先ず初めに耳に響くのは、―人が雪崩なだれを打って大川の橋杭はしぐいから落ちて行くさまを思うより先に、―あわれな女の声で、それが延々とはるかに本所のかたへ余韻を引いて消え行く心地ここちがする。何かその叫びのうちに深遠な意味が隠されており、それにより、別の世界と相通じているようではないだろうか。夜中に目覚めた際、たとえ意識がはっきりしていても、犬の遠吠とおぼえの声もフト途絶えた時、都の大通りの空を渡って行くような、遥かな、何を言っているのかはっきりしない、女の叫ぶ声を聞く事があるように思うのは何故なぜであろう。
 また、この物語を読んで感心するのは、奇妙な事と、あやしいものの描写だけではない。その土地の光景、風俗、草木の色などを、行間から知ることができる点である。『白望に茸を採りに行って宿った夜、』という箇所からは、空中の気配けはいも感じられ、茸を狩る人の姿も目に浮かぶ。
 全体としてこの書を見ると、人と接触した山魅人妖さんみじんよう異類の数々は、どれも姿やおもむきが奇妙ではあるが、インドから中国、さらに我が国へと伝来して人を化かしたようなものとは異なる。それよりも、我が国に雲のように自然にき出て、言い伝え書き伝えられた物語に、ほぼ同じものが少なくない。山男に石を食わせたり、河童の手を奪ったりといった話がそれである。この二種の物語などは、川があって、かどが小さく、山があって、のきの寂しい土地では、どこへ行っても聞かないことのないもので、ちょうど、『幽霊があめを買って墓の中で赤ん坊をはぐくんだ、』という物語が、音羽おとわにも四ツ谷にも芝にも深川にもあるのと同様である。このように言うのは、決して氏の取材を非難するのではない。その出所がどこか、疑問に思っているだけである。ひそかに思うに、著者の言われる『近代の御伽百物語おとぎひゃくものがたり』、すなわち、怪異奇妙な事の経験、見聞を人に話さないではいられない人々ではないだろうか。もしそうならば、確かに皆、懐かしい明神の山の木菟みみずくのように、その耳を光らせ、その眼を丸くして、我が国ののために、その姿を覆う影の霧を払うために鳴かずにはいられないであろう。
 このような例はまだたくさんある。例えば三十三の、

…(前略)…昔、茸を採りに山に入った者が、白望の山奥で金のおけと金のしゃくとを見つけた。これを持ち帰ろうとしたが極めて重く、そのため鎌で片端を削り取ろうとしたけれどそれもできず、また来ようと思って白い樹の皮を目印として帰った。そして次の日、人々と共に行ってこれを探したが、ついにその木の在り処ありかさえも見付け出すことができずに終わった。

 というもの。この話は、三州奇談の、『ある人が、加賀の医王山いおうせんに分け入って、黄金の山葵わさびを拾った、』というのに似ている。似ているとはいえ、このような話は何となくきんぎょくのごとき珍しいひびきのあるものである。以上述べたのは、えて詮索せんさくをするのではない。一部の出鱈目でたらめな連中のために異霊いれいが傷つけられることを恐れて注意したまでである。
 また、話に疑うべきところがないとしても、その怪しさが、ただ風の冷たい、人の暗い、遠野郷においてのみ感じられて、その威が都会には及び難いもののあるのも、また不思議である。『山男に生け捕られて、ついにその子をはらんだ女がいた。分別を失い、里には出なかったという、』などがその例だ。これなどは根子立山ねつこだちやまあねえだからこその話であろう。たとえ山男の顔が赤くても、その力が強くても、手向かいしないのは少し納得できない。もし女が江戸っ子だったら、山男を張り倒すはず、…お笑い下さい、国男さん。


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