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算命学余話 #U116 (page 1)

 先日来日したウルグアイ前大統領のムヒカ氏が、一部報道で話題になった。現職大統領だった2012年の国際環境会議の終わりに登壇し、聴衆も半分くらい帰ってしまったガラガラの会場に向けて、環境会議といいながら人類がどうやって発展を続けていくかばかり論じている当会議の実態を暗に批判し、人類の発展よりも幸福の追求を主眼に置くべきだと主張して、残った聴衆から喝采を浴びた。彼の演説や質素を旨とする思想はその後反響を呼び、日本では絵本になって児童教育の現場で使われているそうである。絵本はつまり子供向けであり、大人向けの図書は出ていないから需要がないと見做されて作らなかったということだ。環境会議の演説から四年経っての来日は、ようやく大人たちが彼の価値を認められるようになったという情けなくも遅ればせの世相の反映である。とはいえ報道は一部に限られ、発展と成長に血道を上げている政財界が幅を利かせるメディアが本気で取材することはなかった。これが日本社会の現状である。

 

 限られた資源を食い尽くすばかりの現代社会の構造では、人間は幸福にはなれない。発展すればするほど首が締まる現在のシステムでは、人類は限られた少数の人間しか生き残れない。残りの大多数は死ねということだろうか。私が日頃から敵視している欧米主導の社会システムとは、とどのつまりこういう思想に帰結するのだが、資本主義に対抗してゲリラ活動を続けた末に長年投獄されていたムヒカ氏は、社会主義思想の影響は当然あるものの、「人間は一人では生きていけず、他者や社会と共に生きている」という普遍的な真理に言及し、限りある資源を持続的に活用するためには、人類は発展ではなく共生の道を歩むべきだと主張している。

 

 このセリフは奇しくも余話#U114~115で「星は一人で消化するより周囲にやってもらった方がラク」と述べたことと通底しています。私が欧米主導の考え方が気に入らないのは、その根本がエゴと同義の個人主義であり、算命学的に見ても個人主義では星は輝きにくいからです。星の輝きを鈍らせ、宿命全体を低迷させるリスクを回避したいのなら、個人主義ではだめなのです。ではその逆の全体主義ならいいのかと云えばそれもまた極端な話で、要するに中庸、ほどよく周囲と関係し、足りない部分を補い合う相互補完主義を基本にせよ、というのが算命学の主張する幸福への近道なのです。ただその「ほどよい」加減が宿命によって異なるので、それはそれこそ個人個人で鑑定していかなければならないのですが。

 

 さて前回の余話#U115では、算命学の最大の特徴ともいうべき十大主星を、人物に置き換えた場合の話をしましたが、思いのほか購読者が多く、もしかしてこれを知らないで算命学をかじっている人が多いのではと暗澹たる気分になりました。

 算命学余話は中級学習者向けの読み物なので、基礎的な話は最初から飛ばしています。十大主星は名前も華々しくて注目しやすいので、ビギナーならネット等で無料掲載されている情報から基礎知識を得ることは容易だろうと、これまで敢えてテーマに採り上げませんでした。とはいえ、私は余所の執筆者が十大主星をどの程度詳しく解説しているのかよく知りません。余話の読者の知識の程度にもばらつきがあるとは思いますが、算命学は合理的な理屈の上に技法を積み上げたものなので、基礎が判っていないとどうにもならないところがあります。

 というわけで今回は、基礎に立ち戻って十大主星の中でも人気の高い龍高星に焦点を当て、そのお騒がせな特徴についてなぜそうなのか、理屈を積み上げて説明しようと思います。今回の内容は本当に基礎なので、既にご存知に方には退屈かもしれませんが、前回#U115が初耳だった人には龍高星のみならず、残りの九主星についての同様の解説も必要なはずです。今回の読者の反応を見て、需要がありそうだったら残りの九つも後日テーマに採り上げます。

 

 龍高星といえば発狂相ですが、もちろん龍高星があるからといって誰もが発狂するわけではないことは、今までの余話で繰り返し述べてきた通りです。龍高星が複数あれば発狂の度合いも高いのかとか、天中殺がかぶっているなら更に狂うのかといった話も、算命学を思想として正しく捉えている人ならば、随分安直な発想に聞こえることでしょう。なぜなら、そもそも龍高星がなぜ発狂と縁があるのかという点について考えたことのある人、その理屈やメカニズムを知っている人であれば、発狂を誘発させるにはそれを後押しする何らかの作用が必要であることが予期できるからです。

 その「何らかの作用」とは宿命における星々の配置であり、相生相剋関係であり、後天運であり、実生活における人間関係であり、本人の生き方であることは、前回余話#U115で述べた通りです。特に後ろの二つは宿命をいくら眺めても見えては来ません。だから宿命に龍高星があるというだけでは直接発狂には結びつかないし、発狂の誘発材料を探すにも宿命だけでは片手落ちなのです。この点を押さえながら、龍高星とはそもそもどういう理由でその特徴を付与されているか、一体なにが原因で発狂と絡んでいるのか、考えてみましょう。

 

 まず龍高星は、日干から見て「自分を生じてくれる」干から生まれる陽星です。日干が甲木であるなら壬水を通せば龍高星が出ますし、日干が辛金であるなら己土を通せば龍高星が出ます。これに対し、同じく生じられることで生まれる星で、陰星なのが玉堂星です。龍高星は陽干と陽干、陰干と陰干の組合せで生まれますが、玉堂星は陽干と陰干の組合せで生まれます。この違いは龍高星という極端な性質を持つ星を理解するのに役立ちます。どちらの星も知性を司っていますが、基本的に玉堂星には龍高星ほどの奇抜さはありません。ではこの差はどこから出て来るのか。


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最終更新日 : 2016-04-18 19:35:16

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