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仮面舞踏会

仮面舞踏会

 

 この街にはちょっと不思議な店がある。その店は繁華街の不気味な裏路地を少し行った、さらにその先の廃れたビルの三階にある。その店は休日の夜からしか営業していない。

 何を隠そう私はその店の常連である。今日も陽が沈み、あたりが暗くなると私は家を出て、その店に向かう。

 にぎやかな繁華街を抜けて、裏路地に入る。裏路地に入ると、あれだけにぎやかだった繁華街の雑踏がどこか遠くに聞こえてくる。だが、私はそんなこともお構いなしに、早めに足を進めた。早くあの店に行きたいからである。

 私はその店があるビルの前にたどり着いた。月明かりがぼんやりと建物の輪郭を際立たせている。今にも潰されてしまいそうなビルだった。だが、私にとってはそんなことはどうでもよく、高まる胸を押えながら、ビルの中に入った。

 ビルの中は真っ暗だった。てすりを辿っていかないと、足場が危うい。私は慎重に手すりを辿り、店がある三回に向かった。

 三階に着くと、暗くて分かりづらいがそこだけ妙に新しい、ドアが私の前にあった。そのドアの中央にはプレートが立てかけられていた。

 ―仮面舞踏会

 それがこの店の名前だった。もう来るのは何度目になるのだろうか。きっかけはネットからだった。何もやる事がない休日に、暇つぶしにどこか行こうと思い、ネットで色々とこの辺りを調べていたことがあった。その時この変な店の名前を偶然見つけた。

 大抵、ネットにはお店の評判が、いたるところに書き込まれているが、不思議な事にこの店の評判は、ネットのどこを探しても、評判らしきものは見当たらなかった。ただその店のホームページに書いてあったことは店の場所と営業時間、そして、違う誰かになりたい人のみお越しくださいということだった。

 私はそのフレーズを見て、妙に惹かれるものを感じた。そして私は居ても経っても居られなくなり、その店に向かったのだった。

 それから私は店にはまりだした。最近では休みの日には毎日行っている。現に今日も私は店に来ていた。

 もう慣れた手つきでドアを開ける。からんころんという音が静かに響いた。

 店に入ると、さきほどよりも暗い空間が私を待ち構えていた。

「いらっしゃいませ」

 暗闇の中、受付の機械音が私の横から聞こえてきた。この店の受付はどうやら機械が行っているらしい。私も最初は驚いたが、今では慣れたものだった。

 この店の入場料はたったの千円だ。私は用意しておいた五百円を取り出し、受付のお金を入れるところに千円を入れた。

「ごゆっくりどうぞ」

 私は店の奥に行った。

 店の中は入り口よりも暗い。ここではあるものを選ぶ事以外の目的で、この部屋に居座ってはいけない。私はここでそのあるものを選ぶ。それはこの部屋のいたるところに置いてある物から一つを選んで、さらに奥の部屋に行くのだ。あるものとは仮面だ。この部屋には数え切れないほどの仮面がこの部屋にはある。無数にあるかに思われる、仮面を一つ選び、それを顔につけ、奥の部屋に行くのだ。

 私が今日選んだ仮面は白く、怪人を思わせるようなデザインをしている少し不気味な仮面だ。フォルムがなんとなく気に入った。私はそれを顔につけて、奥の部屋に行った。

 奥の部屋は仮面の部屋とは違い、完全な暗闇だった。

この仮面にはなにやら特殊の塗料が塗ってあるらしく、暗闇の中で微妙に光を帯びる。だから、体は全く見えないが、仮面だけは暗闇の中でもうっすらと見えるのだ。いつもそうなのだが、この店の客数は思ったよりも多い。すでに闇の中でうっすらと光っている仮面がいくつもある。そして夜はさらに客足が増えるのだ。

私はすでに店の中に何がどこにあるのかということをほとんど把握していたので、迷いなく、お気に入り煮のバーテンへ向かった。

 私は手探りで、椅子を探し当てるとその椅子に腰を下ろした。

「いらっしゃいませ」

 目の前に突然現れたのは、このバーのバーテンダーだった。彼も仮面をつけている。

この仮面のすごいところは声が自動的に機械音になることだ。さっきのバーテンダーの声も、もちろん機械音だった。この店では相手がどんな体格をしているのか、そもそも男か女なのかすら分からないようになっているのだ。

そしてこの店では仮面をつけて入る事が絶対条件だ。この規則を破ったものは、発見され次第、直ちに追放される。

「カクテル一つ」

 私は喉が渇いていたので、飲み物を一つ注文した。ここは仮面をつけたバーなのかというと、必ずしもそうではない。バーは必ずあるが、日によってイベントが異なるのだ。例えば、この前はダンスをするイベントがあった。その他には、映画上映だったり、歌を歌う日があったりなど、イベントは様々である。よくあるのがダンスと歌だ。

「今日のイベントは何かな?」

「さぁ……、私も今来たばっかりなので」

 これがこの店の面白いところの一つだ。実はこのボーイはこの店の従業員というわけではなく、この店の客なのだ。この店では、バーテンダー役も、客が率先して行う事ができる。その他にも楽器を勝手に演奏するものや、イベントの司会をするものなど、多種多少である。 

 私は基本、バーテンダーの役も司会の役などはしないタイプだ。特にやりたいとも思わないからだ。

「どうぞ」

 慣れていない手つきで、カクテルが私の前に置かれた。出されたグラスにはストローがついてある。ここでは仮面をつけているから、ストローでしか飲み物を飲めないからだ。なんだか変な絵になってしまうが、私はストローを口に咥え、カクテルを一口飲んだ。これがまた誰が作っても美味しかった。

「こんばんは」

 私の隣に誰かが来た。無論その人も仮面を着けている。さっきのバーテンダーもそうだが、男か女かさえここでは分からない。

「こんばんは」

 私はあまり誰かと話す気乗りでなかった。どうせダンスの誘いか何かだろう。だが、流石に無視するのは私自身良い心地がしない。私は簡単に挨拶を済ませた。

「話いいかな?」

「どうぞ」

 断る理由もないので、私は相手に話を促した。仮面から機械音が発せられる。

「僕は二十五歳のアイドルで、男だ。君は?」

「私は三十歳の大学教師で、女よ」

 この店の面白いところの二つ目。この店では誰かと話す前に、自己紹介をする。その時に、自分プロフィールを好きなようにアレンジできるのだ。面白いもの中には魔法使いやら、地底人なんてプロフィールをつけるものもいる。この店の中では仮面をつけ、何でも好きな自分になることができるのだ。

「ところで君は最新のこの店のビッグニュースを知っているかい?」

 おや、どうやらダンスの誘いとかではないようだ。私はその人の話が気になった。

「何?ビッグニュースって」

「この店、土日と祝日のみ営業しているだろう?それが来週から平日も営業する事になるそうだ」

「えっ!それ本当?」

その人は大きくうなずいた。私は胸の中で歓喜した。仮面をつけているので表情は全くわからないが、きっと私の目の前の人も同じような心境だろう、いやそうに違いない。

「ついさっき聞いた裏情報なんだ。ネットでは公表されていないらしい」

「それはなんで?」

「わからない。でもこれは嬉しいニュースだというのは確かだ」

 そうだ、理由はともかくこれはとても朗報だ。私は平日もこの店が営業してくれればいいのにと、仕事帰りに何度も思っていた。

「ほんとね!嬉しいなぁ」

 私がなぜこんなにも喜んでいるかというと、第一にこの店がたまらなく好きであるからだ。

だが、もう一つ別な理由がある。それは一種の逃避だ。この店から出ると私はひどく落胆する。そして、失意のまま夜を明かし、朝を迎える。その後はただ会社に行き、仕事をこなす。別に面白いとも思わないが、消失してしまうのもなんだか怖い日々。それを漠然と過ごす日々―。嫌だが、許容できる範囲の日々を過ごす、平凡な人間。それが私だった。そして私はそんな私が好きではなかった。

でも、この店に行くようになって、私の世界が変わった。ここでの私は何にでもなれる。医者だって、パイロットだって、お姫様だってなれる。会う人、会う人がとても面白い。みんなこの店をすきだということが機械音でもはっきりとわかる。私にとってここは現実よりもずっと、素敵な空間なのだ。

「僕もカクテル一杯」

 その人はいつの間にか私の隣に座っていた。カクテルが私のときよりも早くカウンターに出される。

「もう少し話をしてもいいかな」

 私はその人に同意した。しっかりと対面してようやくわかったが、その人の仮面は狐の仮面だった。中々いい感じの仮面だ。私の仮面の事はそう思っているのだろうか。

 私はその人と少しだけ話した。話の内容は現実では夢物語極まりないものだった。アイドルのせいで電車が利用できないなどという話だ。恐らくこの人は現実ではそんな事はないのだろうが、ここでそんな事を考えるというのは、いささか失礼というものだ。なぜならここでは誰でも、何にでもなれ、どんな事を言っても構わないからだ。

 私はその人の話を楽しんだ。私も大学で歴史学を研究しているということを話した。あとはこの店の話や、ずっとここに居たいなどという願望をお互いに次々と口にした。思ったよりも楽しかった。そんなことで私とその人の会話は次第に終わりを迎えた。

「じゃあ、僕はそろそろ帰るよ。ありがとう。楽しかった」

「こちらこそ」

 私達はお互いに丁寧にお辞儀をした。これもこの店でのマナーだ。外の世界よりもはるかに礼儀正しい。

 お辞儀がすむと、あの人は暗闇の中に消えた。ここでの人との別れ方はいつもこんな感じだった。現実とは違って、何も気兼ねなどはない。

 私は今日もこの店を堪能した。だが、不服ではあるがもう帰らなくてはならない時間だ。

 私は席を立って、出口に向かった。仮面を取り外し、受付で返す。そうして私は店を出た。

 あたりはすでに真っ暗だった。私は足を踏み外さないように、慎重に手すりを辿りながら、ビルの階段を降りていく。

 帰りの時、私はいつも寂寥感を感じる。心にぽっかりと穴が空いてしまったかのような、空しさがこみ上げてくるのだ。心が急速に冷えていくようだ。だが、今日はとてもいい事を聞いた。

「明日も行こう」

 私はすでに平日もこの店に行くことを心に決めていた。

 

 それかも私は店に通っている。最初は週三か四回ぐらい通おうと思っていたのだが、気がつけば私は、特別な用事がない限り毎日店に通っていた。

 もう私はこの店の虜になっており、この店に依存しかけていた。仕事中でも店の事が頭から離れないほどだ。そして私はいつものように店に来ていた。私はいつもの通りに千円を受付に出し、店に入った。迷ったが、今日の仮面はフランケンシュタインの仮面にすることにした。仮面を着け、奥に進む。

 今日の私はなんだかストレスが溜まっているのと、店のイベントが定期のダンスだったので、今日は心行くまで踊る事にした。今日の私は城のお姫様という設定だ。近くにいる人を誘って、心行くまで私は踊った。

 一通り踊り終わると、私はバーでジュースを注文し、休憩することにした。出されたジュースを私は一口で飲み干し、もう一杯頼む事にした。ジュースはすぐに出てきた。私がグラスに手をつけたその時だった。

「失礼ですが、ここ最近、お客様は毎日店にいらっしゃっていますよね?」

 グラスを差し出した、月の仮面を着けている、ボーイが突然の質問に私はひどく驚いた。なぜならこの店ではまず会話をする際、自己紹介から始まる。それがこの人にはなかった。それにこの店ではお互いの素性は一切わからないように出来ているはずだった。それに私は毎日違う仮面をつけている。私が常連だという事は誰にもわからないはずだった。それらのことから私は本能的にこの月の仮面をつけている人に自然と警戒感を持った。私はゆっくりと問いかけた。

「何?あなた……」

 思っていたよりも陽気な感じでその人は答えた。

「これは失礼、突然の無礼をお許しください。実は私、あなたに秘密の話があります」

「秘密の話?」

「いかにも。そして、この店の常連のあなたを見込んで、私との話は店の中でも他言無用にしてもらいたいのでございます」

 私は当然不思議に思ったが、ここでの私は好奇心のほうが勝った。

「OK、で、それは何の話なんですか?」

「実は私、この店の関係者なのでございます」

「えっ!この店の?」

 私は素直に驚いた。なぜならこの店は、店長はおろか、今まで従業員すら見た事も聞いたことも私はなかったからだ。

「しっ!誰かに聞こえてしまいます」

 私はあわてて仮面の口を押えた。一泊置いて、会話が再開される。

「そうゆうことなのでございます。ですが、私が本当に話したいのはそのことではありません」

「じゃ何ですか?」

「お客様はずっとこの店にいたいですか?」

 私はその質問に面食らった。すぐには答えられなかった。そもそも質問の意図もよくわからなかった。

「何で、そんな質問を?それはあなたの言う、秘密の話に関係があるんですか?」

「大いにあります」

私は困惑したが、頭の中でその質問についてしばし考えた。確かにずっと店に居たいと思った事はなんどもある。だが、現実問題でそれは不可能なことだ。現実の生活は嫌いだが、流石に仕方のない事、だが本当にずっとこの店に居られたら、それはとても素敵なことだなと、私は思った。

「そうだね……、ずっと、店にいたいな」

 私はグラスの中の氷をからんころんと鳴らしながら答えた。

「もし、その願いが叶うとしたら?」

 私は手を止めた。そこには月の仮面が不気味に輝いている。なんだかとても不思議な感じだ。

「どういうこと?」

「そのままの意味です。お客様が望むのなら、お客様にだけ特別にこの店がなくなるまで、この店に居られる権利を保障します。深夜でも一日中でも構いません。お帰りたくなった時は、いつでもお好きにご帰宅なされて結構です。ちなみに手数料なども一切ありません」

 私は半信半疑だった。いくら変わっている店とはいえ、流石にそれはいささか荒唐無稽のような話に思えた。だが、私はその話をすぐには断れなかった。

「今すぐに返答を頂こうとは私も思っていません。このカードをお持ちください。そのカードを受付でお出しして頂ければ、私がすぐにお客様にお伺いし、店にずっと居られる保障をその場で、手続きさせて頂きます」

 そう言うと、月の仮面の人は私の前に銀のカードを差し出してきた。

「どうぞお受け取りください。それを受付の前にお出しいただければ、あなたはいつでも、いつまでもこの店に留まる事ができます」

 私はその銀のカードを素直に受け取った。カードに触れた瞬間、冷たい感触が私の手に伝わった。

「……ありがとう」

 私はとりあえず、この場はそう答えておいた。私はそのカードを丁寧に、財布にしまいこんだ。

「とりあえず、今日は帰ります」

「わかりました。ではこの事は他言無用でお願いします。本日はご来店ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 そう言うと、月の仮面の人は闇の中に溶けて、消えていった。私はしばらくぼーっとしていたが、違うバーテンダーの人に声をかけられ、我に返り、店を出た。

 

 あれから何日かが経った。すでに陽は落ち、辺りは暗くなっているが、ネオンの光が輝く繁華街の帰り道を私は歩いていた。

 ここ最近、私は機嫌が悪くてしかたがなかった。その理由は比較的単純なことだった。私は仕事中に店の事ばっかり考えていて、仕事に全く身が入らず、ついぼーっとしてしまい、重大なミスを犯してしまった。そのせいで上司から大目玉を食らうだけではなく、同僚からもしつこく、ネチネチと文句を言われた。

 確かに私のミスには違いないが、その文句が一週間以上も続くのはおかしな事だと思う。元から上司も同僚も好きなほうではなかったが、今回の事で私はほとほと嫌になってしまった。そしてそんな風にイライラしている自分にもむかっ腹が立つ。最近では家に帰ってもイライラしっぱなしだった。なんでこんな事でイライラしなければならないのだろうか。

 私はほとほと現実のあらゆることが嫌になっていた。はやくあの店に行きたかった。

 私は不愉快な思いを胸に抱いて、繁華街の路地裏を歩いていた。行き先はもちろん「仮面舞踏会」だ。

 私は暗闇の中、すでに慣れた手すりを辿り、店のドアの前まで来た。財布から料金の千円を取り出そうとした時に、財布から銀のカードが鈍く光っているのが見えた。

「これ……」

 私はしばらくその場で、銀のカードを見つめながら、いつかの月の仮面の人との会話を思い出していた。

「ずっとこの店に居られる……」

 私の心の中ですっと何かが変わった。私はある事を心に決め、銀のカードを握り締めながら、店の中に入った。

 店に入ると、私は受付に黙って銀のカードを差し出した。すると受付からいつもとは違う反応が返ってきた。

「少々お待ちください」

 私はその場で二分ほど待った。すると受付から再び機械音が聞こえてきた。

「この仮面を着け、バーの一番奥の席にお座りください。」

 私は受付から出された、仮面を受け取った。その仮面は銀色で、美しい曲線を持つフォルムを持った仮面だった。無駄な造詣が一切なく、それでいてどこか奥ゆかしく、ずっと見ていたくなるような、それはそんな仮面だった。私はその仮面に心を奪われたかのようニ実は行ってしまった。

「お客様奥にお進みください」

 受付から聞こえてきた機会音によって、私ははっとなって、店の奥に進んだ。

 私は受付で渡された銀色の仮面をつけた。さっきまで不機嫌に感じていたのがずっと前のように感じられた。私は足取り軽く、受付で言われたバーの奥の席に向かった。そこにはあの時の月の仮面の人が居た。私に気がつくと、その人はゆっくりと私の前に立った。

「またお会いしましたね。この度はご来店ありがとうございます。そして、銀のカードをご提示いただき、誠にありがとうございます」

 月の仮面の人は沿う言いながら、丁寧にお辞儀をした。私はどう反応していいかわからずに、突っ立っていただけだった。

「これでお客様はいつでも、いつまでもこの店に居る事ができます。お食事、お飲み物、またご就寝なさる際は、受付で一言申されれば、すぐに個室をご用意いたします。シャワーもあります。料金についてもご心配なさるところはございません。仮面も自由に変えて、お使いください。そして、これからのお客様はこの店のVIPです。その証にこのブレスレッドを腕にお付けください。それとVIPはあなただけではありません。そしてその人数は決して少なくありません。故に、いつでもこの店をお楽しみにいただける事が可能です。ここまでで何か質問はございませんか?」

「いえ、特に……」

「そうですか。では何かありましたら差し上げたブレスレッドを受付に提示してください。すぐに私がかけつけます。それではどうぞごゆっくり、心行くまで仮面舞踏会をお楽しみください―。」

 それだけ言うと、月の仮面の人はあの時と同じように、闇の中に消えていった。

 私は渡された銀のブレスレッドをそっと腕につけた。仮面はこのままにしておいた。

 最初は半信半疑だった。本当に一日中、好きなときまでこの店に居られるのだろうか。にわかには信じられなかった。私はとりあえず、いつものように店を楽しむ事にした。今日のイベントは歌のショーだった。私はそれを思いっきり楽しんだ。いつものように色々な人と話をした。

 そして、閉店時間になった。私は店から出ずに、バーにいた。あの月の仮面の人が言っていた事が本当なら、閉店でも追い出される事はないはずだ。事を確かめるために、私はバーの席で静かに時間が過ぎるのを待った。

そして、閉店時間から三十分が経った。するとバーの奥から兎の仮面のつけた人が、闇の中から現れた。

「あなたもVIP?」

私は胸が高まる鼓動を感じた。私はどきどきしながら、答えた。

「そうです、ほら、このブレスレッド……」

 私は腕につけているブレスレッドを、兎の仮面の人が見えるように腕を掲げた。

「そうなんだ!ねぇ、今日はとってもいい気分がいいんだ!一緒に朝まで歌って踊らない?」

 兎の仮面の人はすごく積極的だった。

「いいけど、自己紹介は?」

「そうだそうだ、僕は兎の国の王子。年齢不明。君は?」

 私は兎の仮面の人のあんまりな設定に噴き出しながらも答えた。

「私は、仮面の国のお姫様。同じく年齢不詳」

 私たちはお互いに笑い合った。どうやらあの月の仮面の人が言っていた通り、この店をいつまでも楽しめるようになったようだ。私は兎の仮面の人と、一日中歌って踊る事にした。

 

それから私は完全にこの店に嵌ってしまった。今日も私は別の仮面をつけながら、ダンスをしていた。仕事の事なんてすっかり忘れてしまった。今日が何日か、店に入って何日経過したのかすら、すでにわからない。

 だが、そんなことはすでに私にとってどうでもいいことだった。踊って、歌って、酒を飲んで、疲れたらシャワーを浴びて寝る。それを誰にも咎められることもない。お互いの顔を見せ合って、イライラすることもない。外の現実と比べて、不愉快な思いをすることなんて、ほとんどない。本当に最高で、夢のような日々だった。

 私は踊り疲れて、バーのほうで軽い食事とワインを注文した。これが朝ごはんなのか、夜ご飯なのか、そんなこともわからない。だけど、そんなことはどうでもよい、腹が減ったから食う。それだけだ。数分後、出されたワインとサンドイッチを頬張りながら幸せな気分に浸っていた。

 私はそれを綺麗に平らげると、膨れたお腹をさすりながら休憩していた。すると急激な眠気が私を襲い、瞼が重くなった。私は一眠りしたくなり、受付のほうに行き、寝床を用意してもらった。私はそこで布団にくるまり気が済むまで寝た。もちろん仮面はつけたままだ。

 目が覚めると、見慣れた空間が私の目に入ってきた。私は寝起きでふらついた足取りで、バーに向かった。何時間寝たのかわからないが、何かお腹に入れたかった。

 バーに行くと、いつもと様子が違っていた。いつも何かしらいる、ぼんやりと光る仮面も、今日はどこにも見なかった。私は不思議に思い、バーの椅子に腰を下ろした。

「サンドイッチとミルク」

 私はメニューを注文したが、返ってくる声は皆無だった。私はなんだか急にひとりぼっちになってしまったようだった。少しだけ胸に不安がよぎる。

「誰も居ないの?」

 少し大きめの声で問いかけたら、バーの奥から着月の仮面をつけた人が現れた。

「あっ……」

「お久しぶりです、お客様」

 月の仮面の人とは久しぶりに会ったが、どれくらい月日がたったのかは今の私には皆目見当もつかなかった。

「実はお客様にお話があります。残念なお話なのですが、ご無礼をお許しください」

 残念は話とはなんだろう。私は頭で考えたが、何一つ思い当たるものがなかった。

「残念な話って?」

 月の仮面の人は変わらない機械音で私に告げた。

「誠に勝手ですが、本日をもってこの店を閉店とさせていただきます」

 私は何を言われたのかわからなかった。その言葉の意味も、これからのことの予想も、今の私の頭では考えられる事ではなかった。私は阿呆のように聞き返す。

「閉店って?」

「率直に申し上げましょう。お客様、この店はもうお終いです。そしてお客様には、この店から即刻退去してもらいたいのです」

 ここまで言われて、私はようやく着きの仮面の人の言っている事が理解できた。ようするに出て行けと言われているのだ。

「なっ……、どうして?」

「失礼ながら、閉店の理由には申し上げられません」

「そんな、いきなり……、そ、そうだ!店長を呼びなさいよ!」

「それも申し訳ありませんが、お断りさせて頂きます」

「いきなりすぎる!」

 月の仮面の人は少し沈黙し、仮面を下に向けた後、ゆっくりと喋り始めた。その声は機械音なのだが、いつもとは雰囲気が違うような感じがした。

「どうしてもとおっしゃられるのなら、こちらにも考えがあります」

 私はピタリと喋るのをやめた。仮面から視線を感じるような気がした。仮面の下の私の素肌に汗が一筋流れているのを、私は感じた。

「実力行使で、退去してもらうほかありません」

 それ以上の質問は許さないかのような口ぶりだった。私は何も言い返せず、動けず、月の仮面の人を眺めているだけだった。

「ご理解ありがとうございます。最後にこの仮面をお客様にプレゼントします。ぜひ受け取ってください。さぁ、出口はあちらです。今までのご来店誠にありがとうございました」

 その後、私は着きの仮面の人になすがままに自分の仮面をはずし、貰った仮面を胸に抱えて、店を出た。私は久しぶりの外に思わず両腕で体を押えた。振り返ったら、「CLOSE」と書かれたプレートが立てかけられているだけだった。

 私は力なくビルの階段を降りた。辺りは真っ暗で、どうやら今は夜らしい。私は久しぶりの路地裏を通り、繁華街へ出た。

 街はいつも通りだった。がやがやとうるさい音を立てながら、今日も変わらず街は機能していた。

 そこで私はある恐怖心に駆られた。街の人は当然であるが、仮面舞踏会の店のように、仮面をつけていない。そして、その街の中に居る私も仮面をつけていない。つまり、私は今店のときとは違い、自分の本当の顔を街にさらけ出しているのだ。

 そこまで考えると、私は突然腹から吐き気がこみ上げてきた。私は思わず、自分の口を含めた、私の素顔を手で覆いつくした。私はその状態で街を駆け抜けた。

 近くにあった、人気のないところで私は汚い地面に嘔吐した。

「はぁ、はぁ……」

 私は口元を拭う。久しぶりの現実は長く店に居た、私にとってとんでもなく気持ち悪いものと化していた。皆が当たり前のように素顔を出して、歩いている。その上、その素顔をさらけ出している状態で顔を向き合わせて、話なんかをしている者もいる。そんな街の当たり前の風景を、店に長く居た私は、受け入れられなくなっていた。

 私は人気の少ないところで休憩を取った。その間はずっと下を向きながら、店の事を考えていた。

―戻りたい。

私はあの店に戻りたかった。仮面をつけて、嘘の話を心ゆくまで楽しみ、歌って、踊る、あの店に、私は戻りたかった。

私はそこであることに気がついた。私はすぐさま携帯電話を取り出し、仮面舞踏会で検索をかけた。まだ、店のホームページが残っているはずだ。そこに何か店の閉店、もしくは、淡い期待だが店の、再開の記事が書かれているかもしれない。私はそんなことを思いながら検索をかけた。だが、私は呆然とするだけとなった。

「なんで……?」

 検索は一件もヒットしなかった。私はもう一度店の名前を間違いがないように入力し、検索をかけた。が、結果は変わらなかった。

 私は立っていられなくなるかのような、めまいを覚えた。だが、私はふんばり、ふらついた足取りで、再び店のビルに戻っていった。

 私の目の前には信じられない光景が広がっていた。店のビルの入り口に黄色と黒のテープや、対入り禁止の看板が、入り口のいたるところにあった。そしてビルの壁に張ってある、決定的な一枚の紙切れを見て、私は今度こそ立っていられなくなった。

 ―取り壊し予定

 それはあまりにも早い出来事だった。私が店を去って、まだ三十分くらいしか経っていない。だが、この光景は紛れもなく現実だった。

 私は絶望し、どうすべきかわからず、しばらくの間、その場でうずくまっていた。そして時間が幾分か過ぎ、私はようやく家帰ろうと思った。私は魂が抜けたようにビルを去った。

 もう深夜なのか、街はいつもより少し静かだった。だが私ははやり生理的嫌悪観を抱くので、なるべく人がいない道を選び、帰路についた。

 そうして私はようやく家にたどり着いた。久しぶりに見る自分の家はなんだかすっかりと廃れてしまったかのように見えた。私は家に戻った。

「ただいま」

 私は一人暮らしなので、当然返ってくる言葉はなかった。私は靴を脱ぎ、居間に向かった。

 電気を点けると、そこには懐かしい風景が広がっていた。だが、私は何の感慨も湧かず、寝室に向かい、布団も敷かず、横になった。荷物と貰った仮面は全部一緒にその辺に放り投げてしまった。 

私はこのまま眠ってしまいたかったが、全身に汗を掻いていることに気がつき、寝る前にシャワーを浴びる事にした。

服を脱ぎ、浴室に入ると私は鏡の前に立った。鏡には私の姿が映っていた。仮面をつけていない私の姿が―。

「うぇ……」

 急激に吐き気がこみ上げてきた。私はたまらなくなり、服も着ずにトイレに駆け込んだ。そして便器に胃液と涙が混じったものをぶちまけた。

 吐き気が収まった後、私はよろよろとトイレを出て、今に向かった。浴室にはもう行く気力がうせていた。そして私はあるものを探し始めた。

「仮面、仮面……」

 私は全裸のまま、貰った仮面を探した。私は自分の顔を隠したかった。とにかく顔を隠せるものがほしかった。そして、私はすぐに貰った仮面を見つけ、私は救われたような気持ちになった。私はすぐさま、仮面をつけた。すると、私の胸に安堵感が広がった。

「これで大丈夫……」

 だが私はここで新たな問題に気がついてしまった。

 それは声だ。私の声はいけない。私である事がわかってしまう。だが、あの店のように機械音で喋ることはできない。どうする―。

 私はすぐに閃いた。私は少しだけ元気になった。そうだ―、喋らなければいいではないか。

 私は問題が解決して、気分よくシャワーを浴びる事ができたその後私は服を着て、部屋の電気を消し、光が入らないようにカーテンを閉じた。

 ―これだ。

 これで、あの店と同じように誰が誰だかわからないようになった。私はそこでようやく一息つく事ができた。そこで一つ疑問が浮かび上がった。

 ―これからどうしよう。

 私はもうまともに外に出れない。なら、食料なんかはどうすればいいだろう。

 私は考えた。人生で一番頭を使ったといっても過言でないほど、考えた。そして、素敵なアイデアが閃いた。私は思わず興奮してしまう。そのアイデアとは、

 ―ここで「仮面舞踏会」を開こう。

 私はそう決心した。店を開くためにはまず店の準備が必要だ。だが、ここではあの店のようにバーやダンスなんかはできない。私は再び頭を捻った。そして私は再びいいアイデアを閃いた。今日の私はなんて冴えているのだろう。

 食べ物は各自で持ってきてもらえばいい、仮面も各自持込だ。あの店に嵌っていたのは私だけではないはずだ、集客は悪くないはず―。私は「仮面舞踏会」を提供し、それをネットで宣伝していけばいいのだ。そのほかの事はそれから改善していけばいい。

 そこまで考えたら、私はすぐに行動に移った。受付の設置、ホームページの作成、飲み物の準備、宣伝のフレーズ、やる事はたくさんだ。私は仮面をつけながら作業に取り掛かった。

 作業をしている途中、私はあることに疑問を持った。それは本当にどうでもよいことだった。

 ―ところで私は誰だっけ?

                                         〈了〉

 

 


この本の内容は以上です。


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