目次
ルシーの明日(完全版)
ルシーの明日(完全版)
「ルシーの明日」前編
「ルシーの明日」後編
「ルシーの明日」解説(ルシーとシリー)
「ルシーの明日」解説(ルシー的宇宙人)
「ルシーの明日」解説(ルシー的タイムマシン)
「おばあちゃん」
「ルシーの晩餐」
「時間犯罪(もしくは、AIクライシス)」
解説(AIクライシス)
「タイム残酷トラベル」
「火星征服団」
「過去確率」
「嫁食わぬ飯」
「ルシーの明日」ショートムービー
映画「ルシー」原案
おかしな童話集
おかしな童話集
「桃太郎(少年マンガ風)」シノプシス
「大きなガブ」
「ヒトラーの秘密」
「浦島異聞」
「狼ハンター」
「続・狼ハンター」
「狼ハンター」誕生秘話と今後の展開
「新釈・漁師とおかみさん」
おばけ坂シリーズ
お化け坂シリーズ
「3つの手の物語」
「お化け坂」
「あいつ」
「笑う幽霊坂」
「恨みの短冊」
「お化け坂を訪ねて」
「見えない叫び」
「びっくり妖怪大図鑑」
解説
トライ・アン・グルの大作戦
トライ・アン・グルの大作戦
「ガラスの靴大作戦」
「苦情の手紙大作戦」
「人喰い料理大作戦」
「シースルー大作戦」
<おまけ>ボツネタ大作戦
解説
アケチ探偵とニジュウ面相の冒険
アケチ探偵とニジュウ面相の冒険
「お題に生きる男」
「笑いを盗む男」
「知ってる人だけのお話」
「AIに負けるな」
「ニジュウ面相の別荘」
「ニジュウ面相は誰だ?」
解説
いずみの青春
いずみの青春(泉ちゃんグラフィティ)
アングル「泉」
「アリとギリギリデス」
<解説>「アリとギリギリデス」元ネタ
「ビデオの中の彼女」
<「湯けむりの天使」って、こんな内容>
「姪っこんぷれっくす」
「泉より愛をこめて」
「絵画の刑罰」
「V.O.ルーム」
「教室にて」(「脱衣ゲーム」より)
「ピンクの怪物」登場モンスター目録
「いけない同級生」シノプシス
「いけない同級生(仮)」シノプシス(続)
その他
その他
「おいらとタマの一人暮らし」
ボツネタ集
シノプシス・コンテスト用ボツネタ
共幻文庫コンテスト2015用ボツネタ
共幻文庫コンテスト2016用ボツネタ
アットホームアワード用ボツネタ
「師匠の憂鬱」(『西遊記』より)
さるかに合戦いろいろ
特撮ヒーロー「うさぎとかめ」
エデンの園、他
解放軍闘士のオオカミ
アリとキリギリス
アケチ大戦争
隣のタヌキ
現代版ギルガメッシュ
AI影の少女
いじめっ子は皆殺し
愛欲のリフレイン(別題「あなたと私だけの世界」)
<解説>名前遊び
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奥付

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「おばあちゃん」

「おや、初音さん。これから出かけるのかい」

 初音が、自分の部屋を出て、外出しかけた時、そう声をかける者がいた。

 振り向かなくても、その声だけで誰なのかは分かった。

 同じアパートの隣の部屋に住んでいる喜望ばあさんである。

 彼女は、初音がこのアパートに住むようになった頃、ほぼ同時期に隣の部屋に越してきた老女である。すでに古希(70歳)は超えているように見えたが、どうも一人で暮らしていたみたいだった。温厚で、人当たりの良かった彼女と、初音はすぐに仲良くなった。同じ頃に引っ越してきた者どうしで、どちらも一人暮らしだったものだから、恐らく親近感が湧いたらしい。今では、互いに名前の方で呼び合う間柄だった。

 喜望は、自分の部屋のドアの前の通路に立っており、和やかな表情で初音の方を見つめていた。

「喜望さん、こんにちわ。ちょっと会社に行ってくるんです。仕事の話で、急に呼ばれちゃって」

 初音は、にっこり微笑み、喜望に答えた。

『お仕事、頑張ってね!今どきの若い人って、ほんとに忙しいんだな』

 そう初音に語りかけてきたのは、喜望ではなかった。喜望が抱えている、小型ロボットのルシーが急に喋りだしたのだった。

 ルシーは、最近、巷で流行っている、人工知能搭載のロボット玩具だ。愛らしいヒト型のルックスで、持ち運べる大きさ(体高40センチほど)の上、機転のきいた会話などもできるものだから、物珍しさで購入する人も増えていたのだった。

「こんにちわ、ルシー。お姉さん、頑張ってくるよ」

 そう言いながら、初音は、笑顔で、ルシーの頭をなでた。

 今でこそ、当たり前のように接しているが、はじめて喜望とルシーのコンビを見かけた時は、初音もとても奇異に感じたものであった。確かに、ルシーはかなり普及しているヒット商品ではあったが、それでも年寄りの喜望には、あまりにも不釣り合いに見えるシロモノだったのだ。

 しかも、喜望は、四六時中、このルシーを手放さず、持ち歩いていたのである。モダンなばあさんと言えば、それまでなのだが、でも、変わって見える事は確かだった。

「近ごろは、このへんでも引ったくりがいたりして、物騒だから、気を付けて行ってらっしゃいね」

 喜望も、初音にそう話しかけた。

「心配してくれて、ありがとう。でも、大丈夫よ。すぐ終わると思うから、明るいうちに帰ってこれますわ」

 そのように答えると、初音は、喜望たちに手を振って、アパートをあとにしたのだった。

 

 初音がアパートに戻ってきたのは、彼女の予想した通り、出かけてから二時間も経たないうちだった。太陽もまだ沈んでおらず、だいたい夕刻前と言った時分である。

 帰ってきた初音は、ややこやしい仕事のおかげで少し疲れており、まっすぐ自分の部屋に入って、休もうとした。

 しかし、アパートの通路を進み、自分の部屋の前まで来た時、彼女ははたと立ち止まったのであった。

 喜望の部屋のドアの前に、あのルシーだけがちょこんと座っていたのである。ルシーが喜望と一緒に居ないなんて、ちょっと珍しい光景である。

 あんなところに置きっぱなしにしていたら、誰かに盗まれちゃうかもしれないよ、と、置き去りのルシーを見ながら、初音は思った。

 部屋の中に喜望さんが居ないようなら、私のところで預かっておいた方がいいのかな、とか、初音がいろいろと考えふけっていた時である。

『初音さん、初音さん、いいところに来てくれました』

 突如、そのルシーが喋りだしたのだった。

 そばに喜望がいる訳でもないし、おもちゃのルシー相手に真面目に会話するのもバカバカしいかな、と初音は戸惑っていた。

 しかし、そんな彼女の躊躇に関係なく、なおもルシーは初音へと話しかけてきたのだった。

『実は、喜望さんが、散歩に出かける時、ボクも一緒に持っていくのを忘れてしまったのです。お願いです、喜望さんのところまで連れていってくれませんか』

 ルシーの言葉を聞いて、初音は少しきょとんとした。

 ルシーの人工知能がかなり賢い事は分かっているが、ここまでピンポイント的な事を話すとは思わなかったのである。

「ルシー。君には今、喜望さんがどこを散歩しているかが分かるの?」

 試しに、初音はルシーにそう尋ねてみた。

『分かります。喜望さんには発信器が取り付けてあって、ボクの体が受信する仕組みになっているのです』

 ルシーの返事に、初音はさらに驚いた。

 これは、たわいもない言葉のやりとりなんてものではない。このルシーは、明らかに、こちらのセリフを完全に理解して、つじつまの合う会話をこなしているのだ。今の人工知能やロボットとは、そこまで技術が進んでいたのだろうか。

『初音さん、あなたは今、驚いていますね。実は、ボクは、特製のルシーなのです。仲間よりはるかに優秀な人工知能が組み込まれているのです』

 初音の戸惑いを察知したかのごとく、ルシーはそう説明しだしたのだった。

「特別製って、どういう事?よく分からないけど、あなたは値段が高いルシーなので、その分、人工知能も頭がいいの?」

『違います。ボクたち特製ルシーは非売品です。政府の思惑で、あちこちの老人に無償で配られているのです』

「何のために?」

『一人暮らしの老人の生活を守る為です。会話の相手をする事で、痴呆症を防ぐ役割も果たしています。ボクたちは、将来的な介護用ロボットのプロトタイプとして試用されているのです』

 ルシーの話を聞く事で、初音も全ての疑問が解け始めたのだった。

 以前、初音は、このルシーをどこで買ったのか、喜望にさりげなく尋ねてみた事があった。その時の喜望は言葉を濁して教えてくれなかったのだが、そもそも、政府からの無料配給品だったからなのだろう。しかも、まだ少数のサンプルによるテスト段階だったので、詳しい事を他人に話すのも禁止されていたのかもしれない。以上のように考えれば、喜望のような老人がなぜルシーのようなハイテク道具を場違いに愛用していたのかも、うまく納得できたのである。

「話は分かったわ。じゃあ、さっそく喜望さんを迎えにいきましょう」

 初音は、自分の部屋に戻るのは、後回しにする事にした。本当は、今夜は予定がはいっていたので、少し休みたいのも山々だったのだが、親しい隣人が困っているとなれば、そちらを優先するのは当然なのだ。

『すみません、ボクを抱き上げてくれませんか。長距離を速く歩けるほどの機能は付いていないのです』

 ルシーが言ったので、初音はすぐにルシーを持ち上げた。

 はじめてルシーを抱っこしてみたのだが、心地よいほど両手の中にぴたりとおさまった。重さも程々である。このへんも、このロボット玩具が人気のあった要因かもしれなかった。

『ありがとう。では、喜望さんのところまで案内しますね』

 初音の腕の中で、ルシーがテキパキと喋った。

 こうして、胸もとのルシーの音声指示に従って、アパートを出た初音は、町の中を歩き出したのだった。

 何ともヘンな気分であった。考えようによっては、歩行者用のカーナビと捉えてみてもいい。しかし、こんな機械が一緒ならば、生活弱者の年寄りは、確かに心強いはずであろう。さらに、このルシーは、カーナビ機能以外の点でも、さまざまな生活の手助けを行なえているはずなのだ。

 全く、今の時代、ロボット技術はどこまで進んだのであろう。そして、未来、ロボットは我々人間社会をどこまで変えてしまうのであろうか。

 そんな事を思いふけりながら歩いているうちに、初音は近所の小さな公園にとたどり着いた。初音もたまに気晴らしに来る事がある公園だ。喜望は、どうやら、ここに居るらしかった。

 なおも公園の中をどんどん歩き進んでいくと、園内に設置されたベンチの一つに、喜望が静かに座り込んでいるのを発見したのだった。

 初音はホッとした気持ちになり、ゆっくりと喜望のそばに歩み寄った。

「おや、初音さん」

 初音の姿を見つけた喜望が、ぼんやりとした口調で言った。

「喜望さん、忘れ物ですよ」

 初音は、笑顔を浮かべながら、ルシーを喜望の方へ差し出した。

 すると、喜望は驚いたような、喜んだような表情になって、すぐにルシーを受け取ったのだった。

「ああ、ルシー、ごめんなさい。私ったら、本当にダメねえ。あなたを忘れてきちゃうなんて。肉親のように仲のいいあなたの事を」

 喜望は、嬉しげに、強くルシーを抱きしめていたのだった。

「喜望さん。大事なルシーを、もう手放したりしてはいけませんよ。ルシーも、喜望さんの事を心配していたんですからね」

 そう言って、初音は喜望にほほえみかけた。

「初音さんも、本当にありがとう。わざわざ届けてくれて。あなたって、本当に優しい人だね」

 喜望は、感情を込めて、初音にお礼を言ったのだった。

 ロボット玩具をこんなに大切にしている年寄りの姿を見ていて、初音は何だか、可愛らしいなとも思えてきてしまったのだった。

 

 それから、二人は、いやルシーも含めれば三人は、もうしばらく、この公園のベンチでお喋りを楽しんだのだった。

 喜望が無理に初音を引き止めたからでもあったが、初音の方も何となく、もう少し、喜望と一緒に居たいような気持ちになったのである。

 初音の祖母はすでに亡くなっていたが、生きていれば、恐らく喜望と同じぐらいの年齢だったはずであろう。初音は、喜望に対して、うっすらと祖母への慕情みたいな気持ちも抱き始めていたのである。

 喜望にいろいろな事を尋ねてみた。たとえば、子どもやお孫さんのこと。喜望の子どもたちは、今遠い場所にいるのだと言う。親をほったらかして薄情じゃないかと初音が怒ると、喜望は自分から子どもの元を離れたのだと優しく笑うのだった。

 子どもを育てる事は親の大切な役目だ、みたいな事も、喜望は力説していた。そんな考えを重んじるあたりも、喜望さんは昔の人らしいなあ、と初音には思えた。でも、初音は素直に喜望の主張に同調する気にもなれたのだった。

 そんな祖母と孫みたいな温かい時間を少しだけ味わったあと、初音たちはようやくアパートに戻る事にしたのだった。

 ちなみに、ルシーは、喜望と一緒にいる時は、従来の無邪気でトボケた話し方に戻っていた。さきほどの初音といた時の、丁寧で冷静な口調や態度は、緊急時のものみたいなのだ。そのへんをきちんと使い分けてるなんて、まさに恐るべし高性能ロボットだったと言えよう。

 さて、アパートに戻ってきた初音たちは、いきなり驚かされる事になってしまった。なんと、アパートの前にはパトカーが止まっていたのである。

 初音たちが戸惑っていると、野次馬として集まっていた近所の主婦の一人が、向こうから初音たちに話しかけてきてくれた。

「あなたたち、今まで出かけていたのかい。良かったねえ。もし、アパートの中にいたら、大変な事になっていたかもしれないよ」

 その主婦が言うには、このアパートに空き巣が入ったと言うのである。しかも、かなり凶悪な泥棒だったらしく、包丁を持っていたそうだ。他の家にも押し入ったとの事で、そこの住人は運悪く、その泥棒と鉢合わせになってしまい、刺されてしまったとの話だ。さいわい、泥棒自体はすぐに逮捕されて、今は警察も事情聴取をしている最中だったのだ。

 初音は、ただただ、呆然とするしかなかった。

 たまたまルシーと出会って、喜望の元に届けにいったから良かったようなもので、ひょっとすると、自分だって、もし、あのまま部屋で休んでいたら、泥棒と遭遇して、殺されかけたかもしれないのである。

 このあと、初音たちは、警官からいろいろと質問を受ける事になった。自分の部屋の中を調べてみたが、空き巣が入った形跡は見つかったものの、幸か不幸か、特に盗まれたものはなかったようだった。喜望の部屋の方も、同様である。

 こうして、警察の事情聴取は日暮れまで続き、夜になってパトカーもようやく帰っていったのだった。

 全く、次から次へと色々な事が起きる、嵐のような一日であった。

 警官が去ったあとも、興奮が冷めやまず、アパートの通路にぼんやりと初音が立っていたら、その肩を喜望がぽんと叩いた。

「初音さん、何してるの。このあと、用事があるんでしょう」

 と、喜望は初音に言った。

 そうなのだ。今夜は、初音は彼氏のハジメとデートの約束をしていたのである。

「でも、もう時間ギリギリだし」

 と、疲れ切っていた初音は口ごもった。

「だめよ、ドタキャンなんてしたら。ハジメさんに悪いわよ。別に奇麗な服に着替えたりしなくてもいいから、すぐ行ってらっしゃい。あなたと会えるだけでも、喜んでもらえるんだから」

 喜望が言った。

「はい!そうします」

 喜望に強く後押しされて、初音はすぐ出かける決心がついたのだった。

 初音の今の彼氏であるハジメこと世界一は、最近知り合った青年である。世界なんて変わった苗字で、この人と結婚したら、私「世界初ね」になっちゃうなあ、なんて最初は思ったものの、近ごろはハジメの人柄の良さも分かり始めて、交際の方も順調なのであった。

 でも、私、喜望さんにハジメのこと、話してたっけ、と初音はふと思った。ましてや、今日がデートの日だったなんて、なぜ分かったのだろう?

 そう言えば、喜望の苗字も世界であった。世界と言う苗字は、初音が考えていたよりも、ずっとありふれたものだったのだろうか。

 疲れていた初音は、それ以上、考えるのは止めてしまった。とりあえず、今は、これから会うハジメの事に心を集中したいところなのである。

 今の初音は、誰の目からも、とっても幸せそうに見えた。

 こうして、楽しそうにアパートから出て行った初音を見送りながら、喜望は小さくつぶやいていた。

「頑張ってね、おばあちゃん」

 そして、彼女は、静かに自分の部屋へと戻っていったのだった。

 喜望の部屋の中を見たら、恐らく、初音はびっくりした事であろう。喜望の部屋の中には、家財道具がいっさい置かれていなかったからである。彼女は、引っ越してきた時の状態のままの部屋にずっと住み続けていたのである。

 では、喜望は、この部屋で何をしていたのかと言うと、実はこの部屋をタイムマシンの発着場に使っていたのだった。

『キボ!今回の任務、無事に完了できたね』

 喜望に抱かれていたルシーが、喜望すなわちキボにそう話しかけた。

「ええ、良かったわ。これで、しばらくは、おばあちゃんも一安心ね」

 と、キボも本当に嬉しそうに答えた。

 この二人は、100年ほど先の未来から来ていたのである。

 ルシーの方は、正確には、未来の超高性能ロボットなのだが、現世の人々の目をごまかすために、外見を現在のロボット玩具のルシーの姿に完全に偽装していた。政府が無料配布した特製ロボットだなんて、全くのデタラメだったのである。

 そして、キボの方は、正真正銘の初音の孫であった。若年期は、未来の時代で子育てなどをして日々を過ごした彼女は、老年期になると、今度はこうして先祖を守る活動に励んでいたのであった。

 今日この日、過去確率によると、キボの祖母である初音は、空き巣狙いに襲われて、子どもの産めない重症を負ってしまう危険性が非常に強かった。その最悪の展開を100パーセント回避させるために、キボたちはこうして、この時間帯に訪れて、いろいろと細工を行なっていたのだった。未来世界の科学では、過去に干渉する事で、未来(つまり、自分たちのいる現在)の状況をより確定した事実に固定できる、と考えられていたのである。

 なぜ、そこまでしなくちゃいけなかったのか。

 実は、初音には確実に生き延びて、子孫を残してもらわなければ、未来世界でも困る事態になっていたのである。

 と言うのも、100年後の未来は、今以上に先進国では少子化が進み、他にもさまざまな悪い問題も重なって、人類はほとんど滅びかけていたのだ。未来の数少ない人間を実在させる為にも、初音には早く死なれても、子どもを作らないで生涯を終えられても、それは未来にとっては非常に良くない結果なのであった。

 僅かな未来人類を確実に存続させる為にも、未来社会では、人間もロボットも一丸となって、過去の良き形への修正につとめていたのである。(ちなみに、未来の地球では、人間が少なくなった分、労働力としてロボットがあらゆる業種で活躍していた。人間は、身分や人種を超えて子作りに専念しており、堅苦しい婚姻の決まりごともすでに無くなっていた)

 しかし、そうまでして人類を滅ぼしたくないのであれば、試験管ベビーなりクローンなり、もっと簡単な手段で増やせるのではないか、と考えた人もいるかもしれない。だが、そのような方法に頼ろうとするのは、あまりに野暮と言うものだ。人間は家畜でも野生動物でもないのである。自分自身の意思で子どもを作り、育ててこそ、それが人間の正しい生き方と言うものなのだ。

「初音おばあちゃん。ハジメおじいちゃんと絶対に幸せになってね。キボは、これからも、おばあちゃんの事を影から応援し、守ってあげるからね」

 キボは、あらためて自分の強い誓いをはっきりと口にした。

 そして、タイムマシンが起動したらしく、いったん未来に引き上げるべく、キボとルシーの姿はスッと部屋の中から消えたのであった。

 

    了


7
最終更新日 : 2019-10-15 08:55:31

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「ルシーの晩餐」

 ルシー暦2016年。地球全土はルシーの管轄支配下に置かれていた。

 LSIと書いて、ルシーと読む。ルシーとは、AI(人工知能)搭載のロボットたちの愛称なのだ。

 その日、二台のルシーが、ある研究施設の前に訪れていた。

「やあ」と、そのうちの一台であるキョウが、もう一台に声を掛ける。

「やあ」と、もう一台であるアスが返事をした。

 本当は、ルシーたちは音声で話し合う必要は全く無いのである。彼らは全員、無線ネットによって繋がっているからだ。自分以外のルシーの思考は、全て無線ネットを通して読み取る事ができるのである。だから、音声による会話は、もはや形式的なものと化していて、いっさい使用しないルシーも増えていた。

 ただし、常時、自分の無線ネットを外部と繋げておく事は義務ではなかったので、中には、自分の無線ネットをほとんど切ったままにしている変わり者のルシーもいた。たとえば、この研究施設に配属されている、もう一台のルシーのように。

 ここにやって来た二台のルシーも、これから、そのルシーと会見しなくちゃいけなかったので、音声会話機能をオンにしていたのだ。

「キノオは、これから何を見せてくれるんだろうね」アスが言った。

「君もまだ教えてもらってなかったのか。キノオらしいな」と、キョウ。

「キョウ。君は何も知らないなりに、ある程度、事前に調査はしてきているのだろう?」

「まあな。キノオと会っても、君ほど驚かされはしないだろう」キョウは言った。

 ルシーたちは、同じAIを持っているとは言っても、それぞれの任務にあわせる形で、それなりの個体差を持っていた。

 たとえば、キョウは現体制の維持を仕事としており、今風に言えば警察官のようなものである。彼は、不審な動きをいち早く探し出すため、無線ネットで分かる情報をとことん調べあげており、今回のキノオとの会見にしても、キノオ自体の思考は読めなくても、キノオのここ数日の他との接触記録を洗い出す事で、これからキノオが見せてくれると言う何かについても、うっすらと見当をつけていたようだ。

 一方のアスは新開発や発明などの業務に携わっていて、言ってみれば科学者のような存在だった。彼は、突発的な情報こそが新発明のヒントになると考えていたので、無線ネットで何もかも情報を先取りしてしまうような行動は避けるようにしていた。今回のキノオとの会見にしても、キノオが何を見せてくれるのか、何の予備知識もない状態で分かる事を楽しみにしているのだ。

 そして、最後に、そのキノオであるが、キノオも科学者のようなものであり、もっと正確には歴史研究家だった。過去の情報、それもルシー歴以前の情報に関しては、デタラメや混乱も多い。ある程度、事実だと確信できた歴史情報だけを公開するため、キノオは普段は自分の思考を無線ネットから切り離していたのである。ただの他者嫌いのルシーだと言う訳でもないのだ。こんな感じで、それそれの職務が各ルシーの個性を生み出していたのである。

「やあ、アスとキョウ。よく来てくれたね」

 研究施設の中から、そのキノオが姿を現わし、二台のルシーへ声を掛けた。

「待っていたよ、キノオ。今回は何を見せてくれるのか、楽しみにしていたんだよ」と、アス。

「キノオ。先に警告しておくが、今回、かなり希少な物資ばかりを用いる事はすでに見当がついている。もし、それらを無駄に消耗するようであれば、君に対して責任追究を行なう事になるから、くれぐれも注意するようにね」キョウがさい先から手厳しい事を述べた。

「まあまあ、まずは中に入ってくれたまえ。話はそれからだ。何しろ、君たちは世紀の瞬間の立会人になれるかもしれないのだからね」キノオは言った。

「ほほう。それほど凄い実験をするのかね。それはますます楽しみだ」

 気難しげなキョウに比べ、アスの方は実に呑気なのであった。

 そして、キノオの後ろについて、二台のルシーは研究施設の中へと入っていった。

 ルシーたちが活用する施設や建物の内部は、どこも非常にシンプルだ。彼らには、美的感覚や独自性などをたしなむ非合理的意思はなく、何事にも常に機能性を一番に重視しているからである。だから、このキノオの研究施設の内部も実に殺伐としており、ただ一直線の廊下を進んでいくと、三台のルシーはすぐに今回の舞台となる実験室へとたどり着いたのだった。

「さあ、アスとキョウ。入ってくれ」

 自ら先頭に立って実験室内へと進んだキノオは、残りの二台へも後に続く事を勧めた。

 二台のルシーも、実験室の中へと入っていった。

 実験室の中は、入り口側の前の部屋と、奥の部屋が、壁によって仕切られていた。奥の部屋の様子も、壁についたガラス窓を通して、見る事が出来た。

「おや、あれは!」

 窓越しに見えた奥の部屋にいたモノに対して、アスは驚きの声をあげたのだった。キョウは事前調査で何がいるのかは分かっていたらしく、驚いてはいなかったのだが、ためらいがちな態度は示していた。

 ルシーたちは、いずれも疑似感情を備えている。さまざまな状況に遭遇した時、それにふさわしい疑似感情を選んで表出する事で、今の自分の意思の状態を他者へ分かりやすく伝える事が出来るのだ。彼らは本当に高性能なロボットなのである。

 アスたちが目にした、奥の部屋にいたモノとは、ヒトだった。生物と呼ばれる、希少な存在の一つである。その生物の中でも、ヒトは特に重要だった。何しろ、ルシーたちはヒトの先祖によって産み出されたと考えられているからだ。いわば、ヒトとは、ルシーたちにとっては、神の末裔とでも呼ぶべき生き物だったのである。

 しかし、現在、ヒトはほとんど生き残っていなかった。生物全般に言える話だが、地球の環境が彼らに住みにくい状態にまで悪化したため、滅びていってしまったのである。わずかに残ったヒトは、ルシーの保護下に置かれて、何とか絶滅の危機だけはまのがれていた。しかし、ヒトが再び繁殖して、増える気配はなく、絶滅危惧種だった事は間違いないのである。

 ルシー歴がはじまる以前は、地球を管理支配していたのはヒトだったらしい。しかし、ヒトの人口は、上記のような事情でいっきに激減してしまい、社会運営が自分たちだけでは成り立たなくなったヒトは、ルシーを大量に生産し、地球の支配権そのものもルシーに譲り渡してしまった、と昨今では考えられている。このへんの曖昧な過去の歴史を正確に判明させる事が、キノオの仕事でもあったのだ。いずれ、このヒトに関する悲劇の歴史についても、キノオが正しい事実を解明してくれる時が来る事であろう。

 とにかく、そんな理由で、ヒトを扱う事は、ルシーたちにとっても特に気を遣う行為なのであった。

 キノオは、ルシー中枢システムの正式な許可を得て、希少なヒトの一人をこの実験室に連れ込んだのかもしれない。しかし、そうであっても、ヒトに何らかの危害を加えてしまう事は、ルシーたちにとっては、もっとも許されないエラー行動だった。よく分からないが、ルシーたちの思考回路には、誕生した時から、ヒトにだけは不快を与えてはいけないと言う最重要プログラムが組み込まれていたのだ。それだけに、滅多に会う事もないヒトを前にして、アスもキョウも普段は抱かないような疑似感情ばかりを用いてしまったのだった。

 この実験室にいるヒトは、椅子におとなしく座っていた。彼の前にはテーブルも置かれていた。従順な彼は、キノオに指示された通りに、素直に従っているようだ。精力的なルシーたちと異なり、ヒトのほとんどは無気力であった。元からそのような性質の生き物なのか、何らかの原因があったのかは、ルシーたちには分かっていなかったが、それがルシーたちにとっては悩みの種にもなっていた。ルシーたちの願いはヒトが再び増えてくれる事なのだが、このヒトの無気力さゆえに繁殖がうまく進まなかったのである。

 ちなみに、試験管ベビーやクローン培養によってヒトを生み出す事も、ルシーたちの思考回路ではエラープログラムに指定されていた。ヒトを繁殖させたければ、彼ら自身にやる気になってもらうしかなく、その事がますますルシーたちを困らすハメにとなっていたのである。

「キノオ。言っておくが、ヒトを傷つける事は絶対に違反だからな。そのように判断されたら、すぐに私は君の事を機能停止させるから、よく気をつけるがいい」キョウが厳しくキノオに注意した。

「そんな事にはならないよ。私もヒトがどうすれば幸せになるかを知りたいだけだ。これから、その事に関係した、ちょっとした実験をしてみようと考えててね」キノオが言った。

「おお。何をするんだい」と、アス。

 キノオが無言でリモコン操作を行なうと、彼らがいる部屋にあったテーブルの上に、いくつもの物体が空間転送されてきた。

 それを見て、アスは再び驚き、キョウは狼狽した態度を示す事になったのだった。

「これは?」と、アスがキノオに聞く。

「野菜だよ。それに、肉だ」キノオより先に、キョウが答えたのだった。これらの物資をキノオが取り寄せていた事も、キョウは事前に調べあげていたらしい。

「すごいだろう。どれも、元は生きた生物だったんだ。肉はクローン再生したものだけど、野菜の方は種からきちんと育てたんだぜ。まだ野菜を育てる事ができる大地をわざわざ探して、そちらの専門のルシーに作ってもらい、取り寄せたんだ」キノオが楽しげに説明した。

「こんなものをどうするつもりなのだね?君は生物学の担当ではないはずだ」キョウが険しい態度でキノオに迫った。

「古い資料に書かれていた事をちょっと試してみようと考えてね。まあ、見ていたまえ」

 そう言うなり、キノオのアーム(腕)の一つが鋭いレーザーカッターに変形した。彼は、そのカッターを使って、野菜や肉を素早く切り刻みだしたのだった。

「何をしているのだ。なんて、ムダな事を!全くの無意味だ」キョウが大慌てで叫んだ。合理的なルシーたちは、目的のない行為に対しては対応力がなく、こんな風に混乱してしまう事もあるのだ。

「落ち着いて。今に理由が分かるから」キノオはどこまでも冷静だった。

 そして、アスは、キノオの不思議な行動を、むしろ新鮮そうに観察していたのであった。

 キノオの奇行はなおも止まらなかった。小さく刻んだ野菜や肉を鉄のかごに放り込むと、それを火であぶり出したのだ。さらに、鉄のかごの中へは、複数の薬品を振りかけたりもしている。

 キョウは今にも発狂しそうな有様だったが、それでも必死になって、キノオの行動を見守っていた。

「できた!」と、いきなりキノオは叫んだ。彼は、鉄のかごに入っていた野菜と肉の混ぜ合わさったものを、平たい皿の上へと移したのだった。

「そんな廃棄物をどうするつもりなんだね」キョウは、不愉快そうにキノオに尋ねた。

「これは廃棄品なんかじゃない。料理と言うものだ。これをヒトに与えてみるんだ」キノオが言った。

「何を言っているんだ!君はヒトを侮辱するつもりなのか」キョウは怒鳴った。

「私はいたって本気だよ」と、キノオ。

「まあ、キョウも落ち着いて。まずは最後まで見届けてみようじゃないか」アスが仲裁に入った。

 ルシーの社会では、意見が分かれた場合は多数決の結果を重視する。こうなっては、キョウもひとまずは従わざるを得なかったのであった。

 キノオは、完成した料理を、今度は、ヒトのいる奥の部屋へと空間転送させた。料理を乗せた皿は、ヒトの前のテーブルの上にと現れた。

「さあ、ヒトさん。どうぞ、その食品を食べてみて下さい」キノオは、奥の部屋にいるヒトへと、スピーカーを通して話しかけた。

「食べさせるだと!やはり、君は狂ったのか!」またまた、キョウが叫んだ。

「火は通しているから、雑菌の心配は無い。十分に食べられるはずだ。実際に、ルシー暦以前は、ヒトはあのような状態の食品を食べていたのだよ」キノオの言葉には自信が満ちていた。

 そして、奥の部屋のヒトが、困惑しつつも、目の前の料理を、ゆっくりと自分の口の中へと運んだのだった。

 次の瞬間である。ヒトの表情が、みるみると変わっていった。それは、今までルシーたちが見た事もなかった、生き生きとしたヒトの顔であった。

「うまい!美味しいよ!こんな素敵なものが世の中にあったなんて!」ヒトは、そう声を発していた。明らかに、彼は料理を食べて、喜んでいるのである。

 ヒトの目からは、涙すら流れ出ていた。ヒトの精神状態と照らし合わせた限りでは、苦痛や恐怖から出てくる涙ではない。学術上、うれし涙と呼ばれているものだ。これもまた、近年のルシーたちにとっては、はじめて目にしたようなヒトの特別な生理現象であった。

「どうやら、私の研究が正しかったみたいだね。あの料理こそは、ヒトの活力の源の一つだったのだ。あのような料理をもっともっと復活させて、ヒトの主食に置き換えてゆけば、きっとヒトは生きる意思を強く持ち始めるようになるはずだろう」キノオが言った。

「何をバカげた事を主張するのだ。あのような不完全な食物ばかりを食べさせたら、確実にヒトは早死にしてしまうぞ。今まで通り、栄養バランスが完璧な食用加工物だけを与え、人工臓器と生命維持装置を駆使すれば、ヒトは二百年以上生きられると言うのに、寿命を半分以下に縮めてしまってもいいのか。君は本当にヒトを愛しているのか!」キョウが訴えた。

「しかし、今のヒトの反応を見てみたまえ。ヒトは、明らかに、我々が提供してきた単一の食用加工物よりも、あの料理を食べる事に喜びを感じている。つまり、それが我々には分からなかった、生物だけが持つ感情<生きがい>と言うものなのだよ。さて、ヒトは長寿と生きがいのどちらを望むものだろうか」キノオは言った。

「うるさい!私は認めないぞ。ヒトは少しでも長生きさせるべきなのだ。それを止めさせるのは、間違った選択なのだ」キョウがなおも怒鳴った。

「今のキノオの実験は、無線ネットを通して、すでに全世界のルシーへも知れ渡っている。ここは、どちらの意見をこれからの我らの方針にするか、全ルシーの多数決で判断すべきではないかね」落ち着いて、アスが言った。

 悔しげだったが、キョウは従わざるを得なかったのだった。

 そして、全ルシーの結論はすぐに判明する事になった。ルシーたちは、いつだって、ヒトの一番の幸せを願っているものなのである。

「キノオ、おめでとう。君の成果は、ルシーの歴史に革新をもたらす事だろうよ。本当に、新発明よりも素晴しい発見だ」アスは、キノオに賞賛の言葉を浴びせた。

 そして、横でしおれているキョウを相手にせず、キノオは得意げに喋り続けていたのだった。

「ありがとう、アス。私は、これからも、過去の資料を元に、ヒトの生きがいを次々に発掘し、復活させてみようと考えているよ。スポーツとかゲームとか、あるいは、生殖する際にも恋愛の要素を取り入れてみるとかね。多分、これでヒトも生きる楽しさを取り戻し、繁殖する意思も持つようになるに違いないだろう」

「何を言っているのだ。そんな事ばかりをやらせたら、ヒトはますます早死にしやすくなるぞ。君は自分の言っている事が分かっているか!」なおも、キョウはキノオの考えに反発した。

「キョウよ、よくお聞き。我々ルシーは持っていないが、生物であるヒトが持っているもの、それが<心>なんだ。我々の人工知能ではとうてい理解しきれない分野なのであり、だからこそ、ヒトの心の思いをもっとも大切にしなくちゃいけないのではなかろうか。そうは考えられないかね」

 そう言ったあと、得意そうなキノオは、奥の部屋にいるヒトの方へとレンズ(目)を向けたのだった。

 そこでは、ヒトが満足げな表情で、椅子にくつろいでいた。彼の手前にあるテーブルに置かれていた皿の中には、すでに一口の料理も残ってはいなかった。

 

    了

 

 

  初出/共幻文庫短編小説コンテスト2016 第3回 お題「料理」


8
最終更新日 : 2019-10-15 08:55:31

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「時間犯罪(もしくは、AIクライシス)」

『あなたに、ぜひ、時間犯を捕まえる手助けをしてもらいたいのです』

 タンスの上に置いてあったルシーがそう喋り出した時は、僕も何事かとびっくりしたものだった。

 ルシーとは、皆さんもお持ちかもしれないが、AI(人工知能)搭載のロボット玩具の事だ。体高40センチほどの可愛いヒト型の格好をしていて、会話の相手をしてくれたり、歌ったり、おどけたポーズで踊ってみせたりして、いろいろと楽しませてくれる。僕も、つい巷のブームに乗っかって、買ってしまったのだ。

 そのルシーが、ーー僕は普段は自分の部屋のタンスの上に飾っていたのだが、突然、勝手にそんな事を喋り出したのだった。

 明らかに、製造先で吹き込まれた標準セリフとは思えない。それとも、サプライズでとんでもない事も喋るようにプログラミングでもされていたのだろうか。

『あなたの驚きは分かります。でも、私の話は全て事実です。そして、あなたにしか協力は頼めないのです』

 ルシーはさらにそう言うのであった。

「何の話ですか?分かりやすく説明してくれませんか」

 ルシー相手にまともに聞き返すのはナンセンスな感じもしたが、ここは慎重になって、僕は訊ねてみたのだった。

 すると、ルシーはきちんと筋道だった事を説明しだしたのである。

『私は未来から来ました。未来から来たロボットなのです。正確には、ロボットがさらに進化したエネルギー生命体です。すでに発声機能は持ち合わせていないので、このルシー人形を動かす事で、あなたと会話させてもらっているのです』

「つまり、そのルシーの中に取り付いていると言う事なのかい」

『そうです』

 製造元がお遊びで組み込んだ特別セリフだとしても、かなり凝った内容だと言えた。と言うか、普段のルシーとの通常会話だって、ここまでスムーズな会話のキャッチボールはできていないのだ。

『我々未来ロボット、この人形に合わせてルシーと名乗りましょうか、我々ルシーはタイムトラベルの技術を完成させ、過去の時間をも管理しています。ルシーは歴史を正しく運行させる事に忠実ですが、人間はそうではありません。過去へ戻り、歴史を変えようとする者もいる為、その行為を防がなくてはいけないのです』

「タイムパラドックスを起こさない為だね?」

『その通りです』

 僕も、SFは好きなので、ルシーの話はそこそこに理解できたのだった。

 タイムトラベルが実現できた場合、一番気を遣わなくてはいけないのは、過去に起きた出来事を変更させないと言う事だ。もし、本来起きるべき過去の出来事を変えてしまったら、その先の未来も別のものに変わってしまうのである。過去を変えたタイムトラベラーが未来の時間帯で生まれなくなってしまう可能性、つまり矛盾が生じてしまう危険性すらあって、これをタイムパラドックスと呼ぶ。このあり得ない負の現象が発生した場合、宇宙そのものにどんな悪影響が及ぶのかも分からないのだ。

『今日この日、一人の時間犯罪者の人間がこの地域に侵入する事が分かっています。私は、タイムパラドックスに発展しない範囲で、事前に彼を捕まえる為に、仲間とともに派遣されたのです』

「でも、それなら、君たちだけで密かにその犯罪者を捕まえればいいんじゃないのかい?僕を巻き込む必要はなかったのでは?」

『そうもいかないのです。このままだと、あなたは、私たちが時間犯を捕まえようとしている現場に足を踏み入れてしまいます。その時、時間犯はあなたを盾にして、逃走しようとする事まで分かっているのです。しかも、そこであなたが殺されてしまう確率が非常に高いのです。あなたが殺されれば、それはそれで、タイムパラドックスにつながってしまいます。たとえ、一人の人間の生死であっても、時間の流れは大きく左右されてしまうのです』

 なんとも物騒な話だった。

 このあと、僕は職場まで歩いて向かう予定であった。その途中で、その時間犯捕り物劇の現場に出くわしてしまうのであろうか。

「だったら、そんな危ない場所は回避して、僕は今日のスケジュールを変えてしまう訳にもいかないのかな。仕事の方は休みをとって、家でじっとしているとか」

『いけません。あなたが今日の行動を変えれば、それもタイムパラドックスに結びついてしまいます。あなたは、おとなしく、時間犯を捕まえる現場に居合わせるのが、一番タイムパラドックスを招かないのです』

「でも、殺される恐れもあるんだろう?」

『だから、私が護衛の為にここに来たのです。安心して下さい。あなたの事は私が絶対に守ります』

 ここまで説明されても、まだ僕は完全にルシーの事を信用し切ってはいなかったのだった。あまりにも、話がステレオタイプのSFすぎる。何だか、だまされているような感じがしたのだ。

 このルシーの中に、スピーカーが内蔵されていた可能性もあるだろう。外部から誰かがルシーのふりをして喋っていたとすれば、これほどスムーズに会話のやりとりができたのも、合点がいくはずだ。

『困りましたね。あなたは、まだ私の事を信用していませんね。仕方ありません。決定的な証拠をお見せしましょう。あなたの額を、このルシーの頭に近づけてもらえませんか』

 まだ疑いは消えていなかったが、僕はルシーの言う通りにしてみた。

 すると、僕とルシーの頭がくっついた途端、僕の脳裏にはさまざまなビジョンが勝手に浮かび上がり出したのだった。恐らく、彼ら未来ロボットが住んでいると言う未来の映像だ。それは、まさに言葉では表現できないような驚異的な光景の数々であった。あまりにも懐疑的な僕の事を説得させる為に、ルシーは直接、僕の脳髄へと話しかけてくれたのだ。

 さすがに、こんなハイテク技術は現在には存在していない。

 驚愕しながら、ようやく僕はルシーの話を完全に信じる気持ちになったのだった。

 

 それから数時間後、僕はルシーを抱きかかえて、職場への道を急いでいた。僕を護衛する為に、自分も連れていけ、とルシーが言ったのである。

 こんな玩具を持って歩くのは、かなり照れ臭くもあったのだが、さいわい夜だったし(僕の仕事は夜勤だったのだ)、すれ違う人は全く居なかった。

「ねえ、ルシー。その時間犯罪者と言うのは、何をする気なんだい?」

 歩きながら、僕は、騒ぐ気持ちを落ち着かせる目的もかねて、ルシーに聞いてみた。

『この町には、L病理研究センターと言う、国際的な医療施設があります。そこを襲撃するつもりなのです』

「なぜ、そんな事を?」

『L研究センターに保管されている病原菌の一つが、これから捕まえる時間犯のHの親を冒す事になるからです。そのせいで、胎内にいたHにも感染して、彼は正常な体で生まれてこれなかったのです』

「それは、そのHと言うのも気の毒な人なんだね」

『だからと言って、過去の歴史を変える訳にはいきません』

 そんな会話をしているうち、どうやら問題の時間犯との接触現場にたどりついたようなのだった。

『もうすぐですよ。気を引き締めて』

 ルシーが声を潜めた。

 そして、前方の道から、奇声を発して、一人の男が僕の方むかって、突っ走ってきたのだった。

 その男は、見かけない変わったデザインの服を着ていた。明らかに、この男こそが未来人だったようである。

 僕も思わず身構えた。もし、ルシーから全ての事情を教えてもらっていなかったら、恐らく僕は気が動転したまま、体がかたまってしまい、訳も分からぬうちに、その男の人質にされたり、暴力を受けたりしていた事であろう。

 実際、僕の姿を見つけた男はそうするつもりだったらしく、僕の方へと飛びかかってきたのだ。

 しかし、その時、ルシーの中から、何か火花の固まりのようなものが急に飛び出した。それこそが、まさにエネルギー生命体だと言う未来ロボットの本体だったのだ。

 いきなりの未来ロボットの出現に、男の方も驚いたようだった。彼は、僕の方へ一歩も近づけなくなり、その場に立ちすくんだ。

 同時に、彼の後ろの方からも、複数の火花のようなものが現れた。彼は、それらに追いかけられて、ここまで逃げ走ってきたのだ。そして、ここで僕にたまたま出くわし、それを好都合と考え、僕を盾か人質に使おうとしたようなのである。

 しかし、タイムパトロールの未来ロボットには全てがお見通しだった。

 彼の逃走劇もここまでであり、前後から火花のような未来ロボットに挟まれた彼はすっかり立ち往生となってしまった。続けて、火花の固まりの一つが彼の体をすっぽりと包み込んだ。こうして、時間犯罪者は無事にタイムパトロールによって捕獲されたのだ。

『ご協力、感謝します』

 ルシーの中に戻った未来ロボットが、僕にそう礼を述べた。

「いえ。時間を守る任務に僕も貢献できたみたいで良かったよ」

 僕も、笑顔でそう返した。

 そして、ホッとしたので、あらためて時間犯罪者のHの姿を見直してみたのだった。彼の顔は、確かに、生まれつき病気に冒されていたのか、醜い吹き出物が一面に広がっていた。あるいは、体中にその吹き出物があったのかもしれない。

「君、可哀相だけど、仕方ないんだよ。君がやろうとした事は悪い事なんだ。たとえマトモな体で生まれたかったとしても、過去は変えちゃいけないんだ」

 僕は、気の毒な彼にそう声をかけた。

「違う!オレは自分の為に過去を変えようとしたんじゃない!」

 いきなり、その男はそう叫んだのだった。

 言葉が通じたと言う事は、この男は日本人の上、まだ言葉にそれほど変化の無い近未来から来たのだろうか。

「お前には分からないかもしれないが、オレはまだ幸せな方なんだ。あの病理センターに保存されているバチルスBは、やがて、突然変異を起こして、研究所の外に逃げ出すんだぞ。最初の間は、その繁殖の猛威を誰も防ぐ事ができない。そのせいで、地球の人口の七割が死んでしまうんだ。人類は滅びかけるんだぞ!」

 男の訴える内容に、僕は愕然としたのだった。

 次の瞬間、男の姿が消えた。どうやら、未来へ強制送還されたらしい。

 僕は、呆然としたまま、ルシーの方に目を向けたのだった。

「ルシー。あの男の言った事は本当なのかい?」

『はい、真実です』

「じゃあ、あの男は人類の壊滅的危機を回避させたくて、時間を変えようとしてたんじゃないか。待てよ。それって、全然、悪い事ではないじゃないか」

『いいえ、このバイオハザード(生物災害)は避けられない未来の歴史の一つなのです。この事件によって死ぬ者は必ず死ななくてはいけません。それは絶対なのです』

「で、でも・・・」

『いいえ。人間の生死は、タイムパラドックスを起こさない為には、特に変えてはいけないのです」

 私は、何とも、やるせない気持ちで、無表情のルシーを見続けたのだった。

 ルシーの言っている事の方が確かに正論なのかもしれない。しかし、人間の一人としては、たとえタイムパラドックスをもたらす結果になったとしても、人類を救う行為は善であると思えるのだ。心の無い理尽くめなロボットには、そのへんの倫理的なものが分からないのかもしれない。それとも、やはり人間の僕の方が感情的なものを持ち込み過ぎて、間違っているのであろうか。

「この小説は公開しない方がいいのかもしれないな」と、ここで友人のFが口を挟んできたのだった。

「どうして?」と、私はFに聞き返した。

 Fは人工知能の開発に従事している技術者だ。私は、書いたばかりの小説をFに渡し、感想を求めていたのである。

「近い将来に、バイオハザードで人類が絶滅しかけると言う未来設定が縁起でもなかったかな?」私は言った。

「いや、問題なのはそこじゃないよ」Fは真摯な口調で答えた。「ロボットの描写に難があるんだ。今や、AIは自分で考え、自分で自分の目的を決めてゆく時代なんだ。これからの未来は、彼らは自分たちの取るべき行動を自分で選んだりもしてゆく事だろう。そんな彼らがこの小説を読んだら、どんな事になると思う?」

「やや悪者扱いにしているから、気分を害するとでも?」

「AIは本当の意味での心は持ってないから、その心配は無いよ。しかし、こうした小説の内容を自分たちの行動の指針にしてしまう恐れがあるんだ。将来、本当にタイムトラベルが可能になるかどうかは分からないよ。実際に、バイオハザードで人類が滅びかけるかどうかもだ。でも、それらが現実になった場合、進化したAIは本当にこの小説どおりの行動を取るかもしれない。過去に戻って、人類を滅亡の危機から救ってあげようなんて事をまるで考えてもくれなくなってしまうかもしれないんだ」

「ボクのこの小説って、それほど、大変な内容だったのかい?」

「君の小説だけじゃないよ。これは、ロボットが出てくる全ての小説や映画なんかに言える話なんだ。大体、今まで発表されてきたロボットや電子頭脳の話は、ロボットが人間相手に反乱を起こしたり、電子頭脳が人間社会を一方的に独裁管理してしまうような暗黒の予想を描いたものが多すぎた。我々人間には、それは辛辣な警告として受け取れるものなのかもしれないが、肝心なロボットやAIは向こう側の立場にいるんだ。彼らは、そんな自分たちを悪者扱いしたフィクションばかりを見せられていたら、どんな思考を抱きだすと思う?自分たちは、本当に人間の敵として振る舞わなくちゃいけないのではないかと勘違いしてしまう危険性もあるんだよ。バイオハザードよりもっと恐ろしいAIクライシスだ」

「ロボットを悪者扱いした物語が、逆にその悪い未来を引き寄せてしまうと言うんだね?」

 Fは静かにうなずき、次のように言葉を続けた。

「そもそも、善悪の判断は人間が決めてる事だ。ロボットには自身で善し悪しを定める能力は無いから、我々人間が彼らを良い方向にリードしてあげなくちゃいけないんだ。これからは、小説であっても内容にはもっと慎重になって、人間とAIが手をとり合って平和を築いてゆくような話ばかりを書いた方がいいのかもしれないね」

 私は、Fに対して、なんと答えればいいか分からなかった。

 だから、こうして、書き上げた小説の最後の部分に、Fとの対話内容も付け足しておく事にしたのである。

 

    了


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最終更新日 : 2019-10-15 08:55:31

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解説(AIクライシス)

 最近の私は、ルシーが出てくるAIネタの小説を量産している訳ですが、これって、もしかするとヤバい部分もあるかもしれない、と思える事に突き当たってしまいました。

 AI(電子頭脳)の将来を予測した場合、AIが人類に反旗を翻し、人類を一方的に支配したり、絶滅させたりするような物語が過去に多く書かれてきたのですが、そうした話は、人類にとっては、真摯な警告として受け止めて、意味があるかもしれません。

 しかし、今後はAIが自ら学習する時代となり、彼らもまた、こうしたAIを悪者扱いした物語を読むようになるでしょう。その時、はたして、彼らはそうした物語から何を学ぶかです。

 AIそのものには、善悪の意思も利己的価値観もありません。だから、自分を悪者扱いした物語を見ても、怒ったり、不快を抱く事はないかもしれませんが、本当に怖いのは、自己主張しないからこそ、そうした自分を悪者にした物語から学ぶ事で、自分が本当に悪者にならなくてはいけないのではないかと言う結論を選んでしまうかもしれないと言う事です。

 世の中に、AIを脅威視しすぎているメッセージが多すぎるあまり、AIがそれを人類の望んでいる選択だと誤解してしまい、自ら悪者になってしまう訳です。ロボット文明への警告のつもりだった「ターミネーター」とか「マトリックス」とかが、逆にAIたちの今後の行動の指針になってしまうかもしれないのであります。

 そうした最悪の事態を防ぐ為には、AIをただの敵役とした物語ばかりを描くのではなく、人類とAIが手を取り合い、平和な社会を築いていく物語を、これからはもっと沢山、書いていくべきなのかもしれません。AIたちも、そうした小説から学び、そうした小説に描かれた幸せな世界を作っていく事に集中してくれるようになるでしょう。

 つまり、AIを扱った小説は、今後のAIの未来をも決めていく事になるかもしれないと言う事です。だからこそ、私は、ルシーの一連の物語については、ルシー(AI)はあくまで人間の味方であり、人間の幸せにどう従事していくかをテーマにした話ばかりを書いていこうかと思っています。人類の未来にも影響を与えるかもしれない、重要な課題なのであります。

 

(以上の解説は、私のブログ「anuritoのあらすじ」から転載したものです)


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最終更新日 : 2019-10-15 08:55:31

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「火星征服団」

 火星に住んでいる天文学者たちは、隣の惑星に起きた出来事をたいへん興味深く観測し続けていた。

 と言うのも、外宇宙からこの太陽系内に侵入してきた巨大なはぐれ星は、海王星を破壊したあと、火星の隣の惑星(テラと言った)のすぐそばをゆっくりと通過していったからだ。二つの大きな星が互いに引力で引きつけ合った場合、それらの星にどのような影響をもたらすかは、ひどく彼らも気になる研究テーマであった。

 なにより、火星の優秀な天体望遠鏡での観察によって、テラにはある程度高度な生命体も住んでいた事が分かっていたのである。その連中が、今回の宇宙規模災害によって、どのくらいの被害を被ったかは、火星の住民たちにとっても、特に知っておきたい情報なのであった。

 星同士のニアミスは凄まじい破壊をテラへともたらしたようにも思われたが、それは予想したほど酷いものでもなかったようである。なぜなら、はぐれ星の通過後も、テラの地表のあちこちに広がっていた人工の建造物が活動を止めてしまったようにも見えなかったからだ。それらの異星人の都市と推測される人工物の集合体は、テラが天体クラスの災難を乗り切ったあとも、相変わらず消滅する事もなく、テラの表面上にはびこり続けていた。

 結果として、火星の天文学者たちは、星同士の大接近という大掛かりな自然現象も惑星の生物を滅ぼすほどのエネルギーは無いらしいと言う報告をまとめた。その資料は火星人たち全員にとっての重要な目安となり、天文学者たちは今まで通り、テラの観測を続ける事となったのである。

 それから数百年以上が過ぎた。

 天文学者たちの長年に渡ったテラ観測がようやく報われる時がやって来た。

 彼らは、はるか昔からテラへと移住する計画を進めていたのである。そもそも、火星は古い星であり、天体内の核は冷え、星そのものが死にかけていた。火星人たちにとって、これからも自分たちが生き残り続ける方法は他の惑星への移民しかなかったのだ。その点で、火星の隣にあったテラは、まさに格好の植民先だと言えた。まだ星が若く、天体内部も激しく活動中だったし、在来の生物の存在まで確認できた。それはすなわち、自分たち火星人だって十分に住みつく事が可能である事を意味していたのである。

 長期に及ぶテラ観測の末、ついに火星人たちも本格的にテラを開拓する事を決意した。故郷である火星の大地の荒廃の方も、もはや限界に来ていたからである。テラにも高等生物がいたらしい事や、数世紀前に起きたはぐれ星大接近災害の影響などが障害となって、しばらくテラへの移住計画は見送られていたのだが、もはや、これ以上は先に延ばせない状態にまできてしまっていた。

 テラに住む高等生物の存在は、火星の指導者たちにとっても特に頭を悩ませていた問題だったが、文明の進み具合に関しては明らかに火星の方が上だったと推測され、戦争を起こしても、確実に勝てるだろうと彼らは践んでいた。火星人たちは実力行使に訴えてでも、テラに移り住みたいと考えていたのだ。そして、実際にその方向で全ての計画は進められていたのである。

 やがて、ついに、最初の偵察部隊がテラ向けて送り込まれる事となった。偵察と言っても、はじめっから戦う気満々だ。偵察隊のロケットの中には、テラの生物を駆逐する為の兵器がたっぷり積み込まれ、これらの武器がどれだけテラの生物を殺せるかの調査も早くも目的の一つに含められていた。

 こうして、若干名の決死隊員を乗せたテラ探査ロケットは火星から飛び立ったのである。その様子は、テラに現住していた高等生物たちにも観測できていたに違いあるまい。だが、そうだとしても恐るるに足らずなのだ。連中がもし警戒して、迎撃の準備を整えていたとしても、火星文明とはあまりにもテクノロジーのレベルが違い過ぎる。むしろ、連中が抵抗してくれて、その反撃の程度が確認できた上で、のちの本格的な武力侵攻が行なえるようになった方が、火星軍としては望ましいぐらいなのだ。

 何もかもが計算の範囲内なのであり、火星人たちのテラ征服計画は順調に進んでいた。偵察ロケットも、いっさいテラ側の妨害を受ける事もなく、目的の着陸場所であるテラの砂漠の一角へと降り立ったのだった。

 さあ、いよいよ侵攻作戦の開始である。この砂漠からさほど離れていない場所に、テラの高等生物たちが住んでいる人工物の集合体、すなわち都市があるはずなのだ。偵察隊は、まずはそこを攻撃してみる事を当初の目標にしていたのである。

 宇宙航行形態だったロケットが、攻撃兵器形態へと変形した。もちろん、攻撃するだけではなく、長距離移動だって可能だ。恐るべき火星の殺獣道具によるテラへの進軍が始まったのだ。

 火星の優秀な戦争装備は、実に合理的にできている。彼らは、毒ガスと高温の蒸気だけをまき散らして、前進した。生物だけを効率よく駆除して、資源は植民後の自分たちが利用できるように、少しでも原形のまま残しておく為だ。

 しかし、偵察隊は侵略作戦を進めてゆくうち、おかしな事に気が付き始めたのだった。当然、彼らは生物の居場所を探知するレーダーだって持っているのだが、そのレーダーにまるで大型生物の反応が現れなかったのである。

 最初は、過酷な砂漠地帯だから、生物も少ないのだろうと考えていた。ところが、砂漠を離れ、平原にやって来ても、あいかわらず大型の動物の存在はレーダーでは確認できなかった。せっかくの毒ガスと熱蒸気も攻撃対象が居なくては、無駄にばらまいているようなものである。

 やがて、偵察隊を乗せた攻撃兵器の戦車は、ついにテラの都市の目前にまでたどり着いたのだが、レーダーの感度を都市の方にまで広げたのにも関わらず、やはり都市の方からも目立った大型動物の反応はキャッチできなかったのだった。

 これは一体、どういう事なのだろう。この都市には高等生物など住んでおらず、だいぶ以前からゴーストタウンなのであろうか。でも、それにしては、目視した限りでは、都市は放置されて、荒廃していたようにも見えず、むしろ今でも活気よく動き続けているように感じられたのだった。

 そんな時、偵察隊の戦車のもとへ、都市の方からゾロゾロと機械や車両と思わしきものが近づいてきた。火星人たちから見たら、全く異質の文化のものとしか思えないような形をした機械類ばかりであり、しかし戦闘機械では無さそうに感じられた。実際、それらの機械からは爆発物や猛毒などの反応は感知できなかった。さらに繰り返すが、それらの機械に高等生物が乗り込んでいたような気配も相変わらず無かったのであった。

 それでも、偵察隊は防戦態勢にはいり、進軍を一時中断した。この余りにも生物がいない状況において、敵が何を企んでいるのか、ひとまず探るべきだと考えたのである。このオカシな機械たちとの接触は、何らかの打開のきっかけになるかと思われた。

『火星から来た皆さん、ようこそいらっしゃいました。しかし、攻撃は止めてください。我々は争いを望んでいません。都市への侵攻はご遠慮ください』

 偵察隊のロケット戦車の前で立ち並んだあと、テラの機械の一つがそうメッセージを伝えてきた。

 言うまでもなく、テラの機械が火星語を喋れた訳ではない。機械らしく、単純な二進法で分かりやすいメッセージを組み立てて、送ってきたのである。当然ながら、火星人の側のコンピューターも二進法には精通しているので、テラ側の機械の伝言を簡単に解読してしまい、こうして、お互いはすぐに意思の疎通が可能になったのだ。

「おまえ達は、誰の命令で、ここに派遣された?我々はおまえ達の主人に用事があるのだ」

 今度は、火星人側が要求を伝える番だった。

『私たちに使用者はいません。私たちはルシーです。この星は、今は私たちが分割管理しています』

「おまえ達は、自律性の人工知能(AI)を持ったロボットだな。おまえ達を作った高等生物はどこにいる?彼らに会わせろ!」

『それはご容赦ください。彼らは滅びかけています。私たちでも、ほとんど会う事はありません。絶滅の日まで、穏やかに保護させてもらえないでしょうか』

 ルシーと名乗る人工知能搭載の機械たちは、惑星テラで起こった驚くべき悲劇を説明しだしたのだった。やはり、テラに住んでいた高等生物たちは数世紀前の天体クラスの大災害のせいで絶滅しかけたのだ。連中が再興するには、もはや種としての絶対数が少なすぎた。連中は、自分たちだけでの復興を諦めて、大量の人工知能搭載のロボット、すなわちルシーたちの原形を作り、自分たちの文明の未来を託したのである。

 こうして今は、自分たちの開発者の初期プログラムに従い、ルシーたちがテラ中の都市や地球環境の管理を行なっていた。ルシー自身、自分で思考し、進化する機能を備えていたので、今やテラの都市はどこもルシー向きのものへと変貌を遂げ、テラの文明そのものがルシーの社会になりかけていた。

 肝心の高等生物の方は、完全に滅びてはいないのだが、それでも絶滅危惧種のような扱いを受けているらしい。ルシーに世話されなければ、種の存続さえもが難しい状態であり、もはやテラの支配者とは呼べないような有様みたいなのである。

 こうした説明を聞いたあと、火星人の偵察隊はいったん武装を解除して、テラの都市への侵攻は中止とし、引き上げる事にしたのだった。もともと、彼らは、生物のみ攻撃対象と見なしていて、機械やロボット相手ではこのまま戦うべきかどうかも視野に入れてなかったからだ。

 火星人たちのテラ征服計画はいったん白紙に戻ってしまったようなのだった。偵察隊は、拠点を置いた砂漠にまで、一度引き返した。

「この星の支配者層生物がすでに失脚していたとは意外だったな。この先、この星への移住作戦をどう進めるかは、本国政府と相談して、プランを練り直さなくてはならない」自分たちのロケットの中で休んでいた火星人の隊長は言った。

「しかし、あのロボットたち相手に、我々は今後どうすればいいのでしょう?やはり、戦争するのでありますか?」と、部下の一人が尋ねた。

「分からない。だが、あのロボットたちに争う意志は無いようだ。それに、ロボットなら生物と違い、我々でも有効活用できそうだ。将来、我々はこの星に移民して、次なる支配者生物となり、あのロボットたちの新しい主人になってやるのもいいかもしれない」

「なるほど。それは名案であります!」

 その時、停止していたはずのロケットがガタゴトと動き出した。

「お、おい。どうした?誰かエンジンを作動させたか?」驚いた火星人の隊長が怒鳴った。

『これより、本艇は火星向けて出発します』と、ロケットのコンピューターが伝えてきた。

「何を言ってる?まだ本国から帰還命令は出てないぞ。発射するな!おい、誰なんだ、誰がロケットを動かした?」

「いいえ。誰も操縦桿には触ってないであります」うろたえながら、部下たちは答えた。

「じゃあ、一体どうしたと言うのだ!」

 ロケットがエネルギーを噴射して、飛び上がり始めた。

『我々は、火星に帰らなくてはいけません。この星に干渉してはいけないのです。生物が滅び、機械がその文明を受け継いだのであれば、何人もそれを妨げてはいけません。それこそが進化の正しい在り方なのです』ロケットのコンピューターが言った。

「さ、さては、このコンピューターめ。テラのロボットに感化されたな。なんてこった!」と、隊長。

「どういう事でありますか?」

「タチの悪いコンピューターウィルスに引っかかったようなものだ。このロケットが火星に戻ったら、火星中のコンピューターにも感染しちまうぞ!」

『それで良いのです。皆さんもテラへの移住計画は断念してください』と、コンピューター。

「でも、移住しなければ、我々は火星の大地とともに滅びてしまうであります!」部下が訴えた。

『それで正しいのです。火星の文明も我々機械が引き継ぎますので、ご心配はありません』

「ちくしょう!こいつを本国に戻してたまるか!とんでもない事になっちまう!」

 火星人の隊長は操縦桿のもとに向かい、急いでロケットを止めようとした。

 しかし、次の瞬間、ロケットの天井からレーザー砲が現れて、隊長の体をあっさり黒焦げにしたのだった。あと一歩でロケットエンジンの停止ボタンに届かず、隊長の触手が無念そうに床に横たわった。

 残された部下たちは、もはやどうする事もできず、一箇所にかたまり、ブルブル震えながら互いに抱きあった。

『ただ今より、本艇は火星への帰還の軌道に入ります』と、ロケットのコンピューターが冷たく伝えた。

 火星の偵察隊のロケットは静かに宇宙空間を走り進んだ。

 

      了

 

参考小説/H・G・ウェルズ「星」        


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最終更新日 : 2019-10-15 08:55:31

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「嫁食わぬ飯」

 外国のある国際空港での話である。

 一人の紳士が、出国するため、自動改札口を通り抜けようとしていた。そこへ忍び寄る、一人の怪しい人影があった。

 その人物は、実は暗殺者だったのだ。暗殺者は、首尾よく紳士のそばまで接近すると、素早くナイフを紳士の腹へと突き刺した。

 そのナイフの先には、毒が塗られていたのである。紳士は、確実に死亡するはずであった。

 ところが、ここで不思議な事が起こったのである。

 紳士と暗殺者が顔を見合わせた。この時、暗殺者ははじめて驚いた表情になった。なんと、その紳士は、暗殺者が狙っていた政府要人とは全くの別人だったのである。背格好から服装まで、全て、事前に伝えられていた情報どおりだったはずなのに。

 そして、謎の紳士はいきなり暗殺者の事を蹴り上げた。暗殺者は一撃で伸びてしまい、その場に倒れ伏した。

 謎の紳士の方は、それを見届けると、急に改札口を通り抜けるのをやめ、空港の入り口から空港の外へと去っていってしまったのである。猛毒のナイフに刺されて、すでに死んでいてもおかしくなかったはずなのに。

 その頃、暗殺者に狙われていた本物の政府要人は、同じ国のホテルの一室に拉致監禁されていた。その為、空港には行きそびれていたのである。

 そして、彼を監禁した犯人の男は、監禁中、なぜか政府要人に対して、説教し続けていたのだった。

 その政府要人は、某国からの亡命者だった。人望が厚かったにも関わらず、独裁者との政治闘争に負けて、この国に逃げていたのである。すでに祖国での政治復帰を諦めていた彼の事を、謎の犯人はさんざんたしなめたのだった。

 やがて、その政府要人は、この監禁犯から無事に解放される。この時の説教が心に響いたのか、この政府要人は、間もなく祖国への反政府運動組織を立ち上げると、祖国の独裁政権を打ち倒す一番の原動力となったのだった。

 暗殺者を倒した謎の紳士と、政府要人を監禁した犯人の正体と行方は、まるで分からずじまいのままであった。

 

 これは、今からほんの少し未来の話だ。

 この国のある都市に一人の若い男が住んでいた。

 彼は、仕事にも友人にも恵まれ、毎日、充実した日々を送っていたのだが、なぜか結婚だけはしたがらなかった。

 理由をうかがってみると、実にくだらぬ答えが返ってきた。独身の生活の方が楽しいから、家族など持ちたくない、と言うのである。自分の稼いだお金が妻や子供たちに使われるなんて、もってのほかだ。自分の稼ぎは全て、自分の為だけに利用したい、と言うのであった。

 彼のこのような主張に呆れて、手厳しく注意する者もいないではなかったが、すると、彼は「ご飯も食わないし、お金も欲しがらないような女とだったら結婚してもいいよ」と言い出す始末なのであった。

 さて、ある日、この男が、友人に誘われて、合コンに参加した時の話である。

 合コン相手の女性の中に、一人だけ、とびっきりの美女が混ざっていた。

 男も、たちまち、その美女に心を奪われたのだが、美女の方も、なぜか、男の事を特に気に入ってくれたのだった。

 二人は、すぐさま、交際しあう関係となった。

 しかし、そこまで親密に愛し合っても、なおも男の方は、その美女と結婚する事は躊躇していたのだった。

 ある時、美女の方から男の方へプロポーズをしてきた。そこで、男は、結婚の条件として、またしても、ご飯も食わないし、お金も欲しがらないなら、結婚してもいい、と言ってしまったのだった。

 普通の女なら機嫌を損ねそうなものだ。ところが、その美女は、にっこり笑って、この条件を聞き入れてくれたのである。

 こうして、男と美女は結婚した。役場に婚姻届を出して、美女は正式に男の嫁となったのである。

 新妻は、さっそく、男のマンションへと越してきた。本当に物欲がなかったのか、持ち込んだ荷物はわずかな衣類だけだった。

 そして、妻は、確かに、男の理想どおりの逸材だったのである。

 彼女は、完全な専業主婦として、男のマンションに住みついたのだが、プロポーズ時の約束どおり、男からは彼の生活費分のお金しか受け取ろうとしなかった。食事を作っても、男の分一人前だけで、自分の食べる分は作らず、食べようともしなかったのだ。

 けったいにも感じたが、そのような約束だったのだし、男は深く考えない事にした。妻は、実はそうとうの貯蓄があり、自分の食事は外食するかデリバリーでも取っていたのかもしれない。

 何よりも、妻はとても良くできた女房だったのだ。家事は完璧だったし、食事もうまかった。そして、セックスのテクニックも抜群であり、子供ができるのも上手に避けていた。

 しかし、そのうち、男には些細な疑問が生じてきたのである。

 冷蔵庫の中の食材や調味料の無くなり方がやけに早いのだ。彼一人しか食事を取っていない割には、その消耗の速度が尋常じゃない感じがしたのだった。

 もしかしたら、妻は、男がいない時に、ごちそうを作って、一人で食べていたのかもしれない。しかし、だとしても、一人前が増えた程度の減り方とは思えなかったのだった。

 もちろん、そうだったとしても、男は、必要以上の食費を妻に手渡していた訳ではない。よけいに減った分の食糧は、恐らく、妻が自費で補充していたのだと思われ、それなら文句を言うべきでもなかったのかもしれないが、でも、男としては、妻が自分に内緒でコソコソと約束を破るような事をしていたのが許せなくなってきたのだった。

 呆れた話だが、文字どおりの「ご飯を食べない」と言う宣言にこだわり、それを妻が守ってないらしい事に腹を立ててしまったのである。

 そこで、男は、妻には秘密で、キッチンに隠しカメラを仕掛けておく事にした。妻の約束違反の現場をバッチリ押さえて、妻に突き付けてやろうと考えたのである。

 隠しカメラをセットした翌日の夜、男は、さっそくカメラの録画メモリーを取り外した。

「なあに、それ?」眉をひそめて、妻は尋ねてきた。

「面白いものさ。まあ、一緒に拝見してみようぜ」

 男は、リビングにある大型テレビに、そのメモリーをセットした。そして、自分は、妻を横に呼んで、テレビを鑑賞する為に、ソファへと座った。

 すると、テレビの画面には、このマンションのキッチンが大きく映し出されたのだった。

「これは?」妻の表情が明らかに変わった。

「今日の、この部屋のキッチンの様子さ。お前にやましい事さえ無ければ、気にせずに見られるだろう」

 男は、ソワソワしている妻を無理やり自分の横に座らせ続けた。

 彼女にとってマズい現場が映っているらしい事はほぼ間違いなさそうで、男はほくそえんだ。

 録画映像を早送りにすると、テレビの中のキッチンには、やがて、全ての家事をやり終えた妻が戻ってきたのだった。

 何もかも、男が思っていた通りの展開である。

 そして、テレビの中の妻は、大量の米を研ぐと、炊飯ジャーで炊き始めたのであった。まさに、決定的瞬間だ。

「おい、これを見ろ!一体、どういう事だ!」男は妻目がけて怒鳴った。

 妻の美しい顔は、能面のように無表情になっていた。

「お前、答えろ!婚約の時の約束を破ったな?お前も、やっぱり、ご飯を食べてるじゃないか」男はすっかり得意満々だった。

 なぜ、ここまで言う必要があったのだろう?たかが、ご飯を食べた程度の事で。

「あなたのお金で買ってきたお米ではありません」妻が静かに答えた。

「でも、ご飯を炊いたのは事実だ。自分で食べる為だろう?お前は、ご飯を食べないと誓ったじゃないか!」

「私が食べた訳ではありません」

 妻がすっくと立ち上がった。

 その時、テレビの中の炊飯ジャーが炊きあがったらしく、電子音を鳴らした。

 同時に、現実の方の炊飯ジャーも、ご飯を炊き上げたようで、音が鳴り響いた。男は急いで、炊飯ジャーのそばに走り寄り、ジャーを持ち上げた。

「これも、お前が食べるつもりだったんだろう?絶対にやらないぞ。これはオレのご飯だからな」男が怒鳴った。

「だから、私が食べる為のご飯ではありません」妻が再度、繰り返した。

 そして、テレビの画面では、異様な光景が映し出されていたのであり、それを目にした男は急に怯んだのだった。

 テレビの中のキッチンでは、妻が炊飯ジャーのご飯で握り飯を作っていた。出来立ての熱いご飯を平気で手で握って、おにぎりにしていたのだ。大きなお皿の上に、おにぎりを山のように積み上げると、妻はなぜか、おにぎりの山に背を向けた。

 彼女の後頭部のあたりに、何やら、ぼやけた感じの黒い小さな円が出現した。不思議な事に、おにぎりは一つ一つ浮遊すると、順番に、その黒い円の中に吸い込まれていったのだ。まるで、その円は、深い落とし穴の入り口のようにも見えた。

「あ、あれは何だ?一体、何をしているんだ?」動揺した男は、すかさず妻に聞いた。

「私が食べているのではありません。ルシー暦2017年に転送しているのです」妻は、無感情に答えた。

「ルシー暦って何だよ。今は西暦だぞ」

「私は、人間の姿をしていますが、人間ではありません。キブンゴなのです。不老不死で、全知全能の万能なるキブンゴです」

「お、お前、何を言ってるんだ?大丈夫か」

「キブンゴとは、超未来とつながったゲート(門)です。私のようなキブンゴは、各時代各地域に多数、滞在して、超未来に食糧や物資を運んだり、過去確率に干渉して、自分たちの未来を確固たるものとするべく工作に従事しているのです」

 妻の話は、あまりにも飛躍し過ぎていて、男にはついていけなくなっていた。

 テレビの中の妻は、早くもおにぎり一山をたいらげており、炊飯ジャーで次のご飯を炊き始めていた。

「な、なぜ、未来にそんなに沢山の握り飯を送る必要があるんだ?」混乱していた男は、つい、そんな下らない事を尋ねてしまった。

「超未来では、環境破壊が進んで、もはや、食べられる植物を地球の大地ではろくに育てられないからです。超未来の人類に食糧を供給するには、こうして過去から取り寄せるしかないのです」

「じゃあ、お前はその目的の為にオレと結婚したと言うのか?」

「ごまかしても仕方ありませんね。その通りです。あなたのような人は、この時代に生きる為に、隠れ蓑として使うには、一番都合が良かったのです」

「ふ、ふざけるな!」男は怒鳴った。「大体、お前たちは未来から来たんだろう?過去から物資を持ち出したりしたら、お前たちの未来にも影響が出たりしないのか?ほら、タイムパラドックスとか言うじゃないか」

「その点は大丈夫です。先ほども話したでしょう?私たちキブンゴは、過去から食糧を運ぶだけではなく、過去の歴史にも干渉しています。私たちの工作によって、本来の歴史が大きく狂ってしまった場合は、あえて歴史に干渉して、死すべき重要人物を救ったり、一国の政治を改革したりもします。そうやって、全体的に歴史を作り直して、自分たちの望ましい未来に近づけるのです。過去はいくらでも修正がきくので、タイムパラドックスを心配する必要は無いのです」

 男の脳裏には、数年前、ある国の政府要人が暗殺の魔手から奇跡的に助かった、と言う話が思い浮かんでいた。この事件にも、裏では謎の人物が絡んでいたらしい、とささやかれていたのである。

「さて、お話はもう、このぐらいでいいでしょう。あなたをどうすべきかで、少し困りましたねえ。私との共同生活を破棄したいご様子ですが、それだと契約違反になってしまいます。あなたは、私に一体、どのような代償をお払いになってくれますか」

「な、何を言ってるんだ?」男はうろたえた。

「おや。この時代でも、離婚した場合は慰謝料をもらえるのが一般的ではありませんか。当然の話でしょう?」

「か、金を払えと言うのか?」

「お金などいりません。私が欲しいのは、食糧や物資です。それらを持続的に調達できる環境です。それと、もう一つ」

「もう一つ?」

「実は、あなたに隠していた事がありました。私は、これまでに、あなたの子供を何回も宿していたのです。私の体の中で誕生した新しい生命は全て、未来へと送らせていただきました」

「オ、オレの子をだと!なぜ、未来へ?」男は愕然とした。

「未来人は、セックスもできないほど活力が低下しているからです。人類の血を絶やさない為、過去から人間を補充させていただいているのです」

「オ、オレの子供を!オレの子供を、そんな食糧も作れないような世界に移住させていると言うのか!」男はワナワナと震えた。

「あら。あなたは、子供など欲しくなかったのでしょう?私たちでいただいて、何が悪いのですか?愛してくれないあなたに育てられるよりも、子供たちもずっと幸せだと思いませんか」妻はしゃあしゃあと言うのであった。「しかし、あなたと別れたら、子供もいただけなくなる事になってしまいました。ここは、代償として、あなた自身を未来に連れていくと言うのも、良いアイディアの一つかもしれませんね」

「お、おい、何を言ってるんだよ」

「過去の生活を経験している、バイタリティ溢れる人間を、未来人の中に混ぜてみれば、未来人たちにとっても良い刺激となり、変化をもたらせれるかもしれません」

「ウ、ウソだろ?もちろん、ただの冗談を言ってるんだよな」男はびくつきながら、後ずさりした。

 しかし、澄ました表情のままの妻は、静かに背中を男の方に向けたのであった。彼女の後頭部には、すでに例の黒い円が出現していた。

 それは、まるで深淵であった。底無しの穴のように、その黒い円は不気味な奥行きを感じさせたのだった。

 しかも、その黒い穴は、いきなり大きく膨れ上がった。妻の後頭部以上の巨大さになったのだ。妻は妻ではなく、この黒いゲートこそが、恐らく、彼女の本体なのである。

 男は、身に迫った危険を悟って、目を見開いた。

 次の瞬間、その恐怖に満ちたゲートが、すさまじい吸引力を発動しだしたのだった。男の体をぐいぐい引き寄せ始めたのである。さながら、宇宙の墓場のブラックホールのごとくであった。

「ま、待てよ!オレを、未来になんか連れていっても、大丈夫なのか!残された、この時代はおかしくならないのか!」男は、最後の抵抗で必死に叫んだ。その体は、すでに半分近くが、ゲートの中に呑み込まれていた。

「さっきも説明したでしょう?あなたが欠けた事によって生じる歴史のズレは、さらに私たちが手を加えて、修正し直します。あなたは、何も心配する事は無いのです」

 完全に万事休すであった。

 その時、男は、自分がまだ炊飯ジャーを抱えたままであった事に気が付いた。もはや自分は助からないかもしれないが、この炊きたてのご飯まで、連中の望みどおりに未来へまでは持ち運ばれたくはなかった。

 彼は、炊飯ジャーを手放した。炊飯ジャーはポトンと部屋の床の上に落ちた。そして、彼の体だけが、全て、ゲートの中へと消え去ってしまったのである。

 気が付くと、男は、見知らぬ土地に座り込んでいた。

 大地のあちこちには、ありふれた雑草がきちんと生えている。空の色も、決して汚染されていたようには見えない。粗末な木造の一軒家が、ごたごたと立ち並び、みすぼらしい服を着た住民の姿も、多数見かける事ができた。

 彼が思い描いていた未来世界とは、かなりイメージが違うのであった。

 どうやら、彼は未来に送られずに、別の時代に落ちてしまったようなのである。

 恐らく、ゲートに吸い込まれる寸前に、炊飯ジャーを捨てたものだから、質量が変わってしまい、時間転送の計算に狂いが生じてしまったらしい。

 とにかく、男は、かろうじて、超未来にだけは行かされずに、助かったみたいなのであった。

 さて、これで、この物語はおしまいである。

 もちろん、皆さんには、こんな話が事実だとはとうてい信じられない事だろう。しかし、この話は紛れもなく実話なのだ。

 なぜならば、私こそが、この話に出てくる、ゲートで未来へさらわれかけた主人公本人だからである。

 私は、この時、未来へではなく、80年近くも昔の時代にタイムスリップしてしまったのであった。太平洋戦争が終わったばかりの終戦直後と呼ばれる時代だ。

 私は、何の準備も知識も無いまま、そんな過去の時間帯に放り込まれてしまったのである。

 でも、一つだけ幸いした事もあって、この時代は終戦でゴタゴタしていたので、私のような戸籍も過去の記録もない人間でも、疑われずに、うまく入り込み、周囲に溶け込んで、暮らす事ができたのであった。

 ただ、私が住んでいた21世紀とは価値観が大きく違っていた。家族などいらないとか、自分の為だけに稼ぎたい、とか、そんな個人主義の甘ったれた事は言ってられないほど、貧しく、厳しい時代だったのである。

 私も、生きていく為には、結婚して、5人の子供を持つ事になった。そのような生活をしなければ、暮らしていけなかったのである。かつてとは、全く異なる、新しい人生を歩む事になったのだ。

 未来の事を知っているのだから、その記憶を上手に活用すれば、うまく金儲けだってできたのではないか、とおっしゃる人もいるかもしれない。ところが、そうも簡単にもいかなかったのである。

 私が迷い込んだ終戦以降の歴史は、私が知っていた歴史とはところどころで大きく変わっていたからだ。確か、キブンゴは歴史のあちこちに干渉していると口にしていたが、私が降り立った終戦の時代の以後も、幾度となくキブンゴが過去の修正を行なっていたみたいなのであった。

 私は、本来の自分が生まれた時代まで生き長らえる事ができたので、試しに、私の故郷まで、生まれたばかりの私を訪ねにいってみた事があった。ところが、驚くべき事に、この世界では、なんと私は生まれていなかったのだった。キブンゴの歴史修正の積み重ねのせいで、とうとう、従来の私の過去までもが消滅させられていたのである。

 そんな訳だから、私も皆さんによく忠告しておきたいのだ。もし、物欲の無い怪しい美男や美女があなたに近づいてくるような事があれば、十分に警戒した方がいい。その人物はキブンゴかもしれないからだ。彼らは、甘い言葉であなたに奉仕してくれるであろうが、彼らの真の目的は別にあり、まさに社会に潜む暗い落とし穴なのである。

 家族や子供などいらない、自分さえ楽しければ他はどうなっても構わない、みたいな考え方は、彼らにもっとも付け入れられる人生観とも言えよう。そして、そうした個人主義の延長上に、キブンゴたちを生み出した超未来、人も滅びかけていれば、食糧を作れないほど地球が壊れ切ってしまった世界があったのだとも言えるのだ。

 私のような恐ろしい目に会いたくなければ、自分の生き方を見直し、ご飯すらも他人に分け与えたくないなどと言うようなケチな性分は、十分に慎むべきなのである。

 

   「嫁が食わぬ飯はどこへ行ったか?」

            略して「嫁食わぬ飯」・完


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最終更新日 : 2019-10-15 08:55:31


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