目次
ルシーの明日(完全版)
ルシーの明日(完全版)
「ルシーの明日」前編
「ルシーの明日」後編
「ルシーの明日」解説(ルシーとシリー)
「ルシーの明日」解説(ルシー的宇宙人)
「ルシーの明日」解説(ルシー的タイムマシン)
「おばあちゃん」
「ルシーの晩餐」
「時間犯罪(もしくは、AIクライシス)」
解説(AIクライシス)
「タイム残酷トラベル」
「火星征服団」
「過去確率」
「嫁食わぬ飯」
「ルシーの明日」ショートムービー
映画「ルシー」原案
おかしな童話集
おかしな童話集
「桃太郎(少年マンガ風)」シノプシス
「大きなガブ」
「ヒトラーの秘密」
「浦島異聞」
「狼ハンター」
「続・狼ハンター」
「狼ハンター」誕生秘話と今後の展開
「新釈・漁師とおかみさん」
おばけ坂シリーズ
お化け坂シリーズ
「3つの手の物語」
「お化け坂」
「あいつ」
「笑う幽霊坂」
「恨みの短冊」
「お化け坂を訪ねて」
「見えない叫び」
「びっくり妖怪大図鑑」
解説
トライ・アン・グルの大作戦
トライ・アン・グルの大作戦
「ガラスの靴大作戦」
「苦情の手紙大作戦」
「人喰い料理大作戦」
「シースルー大作戦」
<おまけ>ボツネタ大作戦
解説
アケチ探偵とニジュウ面相の冒険
アケチ探偵とニジュウ面相の冒険
「お題に生きる男」
「笑いを盗む男」
「知ってる人だけのお話」
「AIに負けるな」
「ニジュウ面相の別荘」
「ニジュウ面相は誰だ?」
解説
いずみの青春
いずみの青春(泉ちゃんグラフィティ)
アングル「泉」
「アリとギリギリデス」
<解説>「アリとギリギリデス」元ネタ
「ビデオの中の彼女」
<「湯けむりの天使」って、こんな内容>
「姪っこんぷれっくす」
「泉より愛をこめて」
「絵画の刑罰」
「V.O.ルーム」
「教室にて」(「脱衣ゲーム」より)
「ピンクの怪物」登場モンスター目録
「いけない同級生」シノプシス
「いけない同級生(仮)」シノプシス(続)
その他
その他
「おいらとタマの一人暮らし」
ボツネタ集
シノプシス・コンテスト用ボツネタ
共幻文庫コンテスト2015用ボツネタ
共幻文庫コンテスト2016用ボツネタ
アットホームアワード用ボツネタ
「師匠の憂鬱」(『西遊記』より)
さるかに合戦いろいろ
特撮ヒーロー「うさぎとかめ」
エデンの園、他
解放軍闘士のオオカミ
アリとキリギリス
アケチ大戦争
隣のタヌキ
現代版ギルガメッシュ
AI影の少女
いじめっ子は皆殺し
愛欲のリフレイン(別題「あなたと私だけの世界」)
<解説>名前遊び
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「ヒトラーの秘密」

「ああ、愛しいアドルフ。今日こそ教えてちょうだい。なぜ、あなたは私の事をこんなに愛してくださるの?私より素敵な女性は沢山いるはずなのに」

 ベッドの上で、ヒトラーに愛撫されて、あえぎながらも、今日もエバはそのような疑問をヒトラーへと投げかけていた。

「それは、エバ。お前がドイツ人の中では一番素晴しい女性だからだ。このゲルマンの偉大な指導者アドルフ・ヒトラーに相応しいな」

 ヒトラーは、エバを愛する手を休めず、威厳のある口調で答えた。ドイツ・ナチス帝国の独裁者は、ベッドの上でも絶対的な暴君なのだ。

「ウソよ!」

 と、エバは叫んだ。

「アドルフ。あなたは、今まで、私より美しい女優ともいっぱい付き合っていたじゃない。私が一番きれいな女性だなんて有り得ないわ。あなたも、それは分かっているはず」

 エバは、真剣な眼差しをヒトラーに向け続けた。

 彼女のその頑なさに、ヒトラーも一瞬黙り込んだが、やがて、ボソリとこう言い放った。

「しかし、エバよ、事実なのだ」

「あなたがそう信じてくれているだけなのでしょう?だから、私、よけいに怖いのよ。あなたが、いつか気変わりしてしまうんじゃないかって。その時、私は捨てられてしまうんじゃないかって。そんな事になったら、私、何をしでかすか分からないわ」

 再び、エバとヒトラーは真剣な表情で見つめ合う事になった。

 エバの瞳は笑っておらず、本気でそんな事を言っているのは間違いなさそうだった。実際、偉大すぎる愛人を持ってしまったばかりに、エバはプレッシャーから情緒不安定になっており、過去に自殺未遂を図った事もあったのである。

「分かった。お前に真実を見せてやろう」

 そう言って、ヒトラーはベッドから立ち上がった。

 まだ愛の営みは終わってはいなかったが、気まぐれなドイツの総統は、思い立ったら、すぐ実行に移る性格なのである。エバの方も、まだ前戯の最中だったのに止められて、不満が無い訳ではなかったが、従わざるを得なかった。何よりも、今回に関しては、自分が言い出した事が原因なのだ。

「ついて来い」

 素早く軍服を身にまとったヒトラーは、エバに言った。

 エバも急いで上着を身につけた。

 二人は、一緒に寝室をあとにした。

 ここは、ドイツ南部のオーバーザルツベルクに建てられたヒトラーの別荘である。一名ベルクホーフと呼ばれているこの山荘は、ヒトラーの閣僚会議場であると同時に、愛人エバを囲っている愛の巣でもあった。

 エバは、いちおう、この山荘のマネージャーの立場にあったのだが、実際には足を踏み入れた事のない部屋も沢山あった。彼女は、基本的にヒトラーの職務の方面にまでは頭を突っ込む気持ちはなく、一方で、ヒトラーの側もエバが仕事場にまで立ち入る事を大変に嫌がったのである。

 そのヒトラーが、今、エバを自分の特別な執務室へと連れていこうとしていた。そこにどんな恐ろしい秘密が隠されていたのかは、現時点のエバにはまるで分かっていなかったのである。

「エバよ。お前はグリム童話を読んだ事があるか?」

 廊下を進む途中で、ぶっきらぼうにヒトラーがエバに尋ねた。

「もちろんよ。小さい時、よく母に読み聞かせてもらったわ」

 と、エバが答える。

「グリム童話こそは、誇り高きドイツの精神そのものと言ってもよいからな。中でも特に有名な、シュネーヴィットヒェン(白雪姫)は知ってるな?」

「ええ」

「あの物語には、不思議な魔法の鏡が出てくるが、悪い王妃の相棒であったにも関わらず、この鏡が最後にどうなったかは何も記されていない。なぜだと思う?」

「それは、ただの子ども向けのおとぎ話だし・・・」

 エバが口ごもった時、二人は執務室の前にたどり着いた。

 ヒトラーは、ゆっくりと執務室の鍵を回し、ドアを開いた。

「入っていいぞ」

 と、ヒトラーが言った。

 エバにとっては、はじめて目にする、この山荘内での愛人の仕事場だった。

 そもそも、政治や商売にはまるで興味が無かったエバにとっては、この執務室の中は、とても殺伐とした空間のようにも感じられた。仕事にしか生きがいを持たないような男たちが使っている、ごく普通の書斎にである。

 ただし、部屋の奥の方に飾ってある大きな鏡だけが、ひどくエバの目を引き付けた。この書斎には、あまりにも場違いな感じがする、アンティークな縁取りのついた鏡なのだ。

 まるで、エバの気持ちを読んだかのごとく、ヒトラーは、この鏡の前にまで歩み向かったのだった。

「お前も、こっちに来い」

 と、ヒトラーがエバに命じた。

 訳も分からぬまま、エバは言われるままにするしかなかった。

「紹介しよう。これが、シュネーヴィットヒェンの魔法の鏡だ」

 ヒトラーは、いきなり、そう告げたのだった。

 エバは呆気にとられた。

「うそ。シュネーヴィットヒェンはおとぎ話よ」

 エバはそう返したが、ヒトラーは少しもふざけた素振りは見せなかった。

「昔話は、時として事実を元にして語られている事だってある。魔法の鏡は実在するものだったのだ。悪い王妃が処刑されたあと、鏡はその正体も知られぬまま、売りに出されてしまった。多くの人手に渡ったあと、今は私が所有者となったのだ」

 エバには、ヒトラーが冗談を言っているとしか思えなかった。きっと、しつこく詰め寄った自分に対して、分かりやすいホラ話で仕返ししているつもりなのだ。

 しかし、ヒトラーの表情を探ってみると、彼は大衆相手に演説している時と同じぐらいに真面目な顔つきなのだった。

「真実の鏡と言うのが正式な名称だ。このような魔法の宝が、ゲルマン民族には他にも二つ存在している。王者の剣と、富の革袋だ。そのうち、王者の剣の方も、我がナチスでは入手に成功した。王者の剣の加護があるからこそ、我がナチス軍は無敵なのだよ」

 話が途方もなさすぎて、エバには理解できなくなり始めていた。しかし、ヒトラーは話すのを止めようとはしなかった。

「富の革袋については、今でも、どこにあるかを探索中だ。私はユダヤの商人が共同で隠し持っているのではないかと睨んでいる。ユダヤ人どもは、何かの魔術を使っているのではないかと思えるほど、財産を蓄えるのがうまいからな」

「もしかして、国中のユダヤ人を片っ端から捕まえて、収容所に送っていたのは、その為だったの?」

「そうだ。いずれは、富の革袋も我がナチスが手に入れる事だろう。三つの秘宝を揃える事は、すなわち、権力、戦力、財力の全てを手中に収める事を意味する。その時こそ、我がナチスは完全な千年王国となるのだ」

 ヒトラーは、本気でそんな事を考えていたのだろうか。

 しかし、これまでのヒトラーのトントン拍子の出世ぶりやナチス・ドイツ軍の破竹の強さぶりは、確かに現実なのだ。

「さあ、自分自身で、鏡の力を試してみたらいい」

 ヒトラーに言われて、エバは少し戸惑った。

「一体、どうするの?」

「鏡に向かって、話しかけてみればいいのだ。王妃がやっていたみたいにな。この世で一番美しいゲルマン娘は誰か、と聞いてみなさい」

 エバはひどく怖くなってきていたが、ヒトラーに逆らう事は出来なかった。

 彼女は、澄んだ声で、そっと鏡に話しかけてみた。

「鏡よ、鏡。この世で一番美しいドイツ人の女性は誰ですか?」

 ちょっと自分でもバカみたいな事をしているように、エバは感じていた。

 しかし、次の瞬間、彼女の疑いは解け、激しい衝撃を受ける事になったのである。

 

「それは、エバ、あなたです。

 あなたは、顔姿だけではなく、心も美しい、ゲルマン民族でもっとも素晴しい女性です」

 

 もちろん、鏡がそんな事を喋った訳ではない。エバの口から、そんな言葉が勝手に漏れたのだ。つつましいエバが、自分からそんな傲慢な事を口にするはずがなかった。無意識のうちに、そんな事を喋ってしまったのである。

 そして、その様子は全て鏡に写っており、まるで、鏡の中のエバがその答えを口にしていたかのように、エバの目には見えた。

「こ、これは?」

 動揺したエバが、うろたえながら、ヒトラーに尋ねた。

「これで、お前にも分かっただろう。これが、真実の鏡なのだ。この鏡の前で問いかければ、現在の唯一の正しい知識を引き出す事ができる。自分の口を借りる形になるがね。私は、この鏡を使って、常に今の正確な情報を手に入れる事で、政敵を出し抜いてきたのだ」

 無学なエバにはうまく説明できなかったが、これは一種の自己催眠だったのかもしれない。しかし、この鏡がヒトラーに絶大な自信と神懸かりな勘を与えてきたのは、どうやら間違いないようなのだった。

「アドルフ。あなたも、この鏡に向かって話しかけてみたの?自分が、世界一の指導者かどうかって?」

「そうだ。鏡に聞いても、私はこの世で一番の権力者なのだ。私が、この全世界に君臨するのは、もはや絶対の真理なのだよ。お前にも、それを聞かせてやろう」

 ヒトラーは、完全に陶酔しきっているようだった。これまで、幾度となく同じ質問をこの鏡に繰り返してきて、常に、あなたこそが世界一の権力者だと言われ続けてきたのだろう。その優越感と自信に後押しされて、彼は今までの無謀な政策と大胆な戦争を押し進めてきたのである。

「さあ、鏡よ、答えなさい。この世界でもっとも強大な指導者は一体、誰だ?」

 ヒトラーは、力強く、鏡に向かって、話しかけた。

 

「それは、ドイツの統率者ヒトラーよ、お前だ。ただし、ほんの少し前までの話だがね。

 今は違う。ソビエト国のスターリンこそが、現在の地上の最高の権力者だ」

 

 執務室の中が、一瞬、凍りついたように静まり返った。

 鏡がそんな回答をするとは、エバはもちろん、ヒトラーも思ってはいかなかったのである。

「鏡よ、もう一度聞く!この地上でもっとも優れた権力者は誰だ?」

 うろたえているのを気付かれないように振る舞いつつ、ヒトラーはもう一度、鏡に尋ねた。

 

「ソビエトのスターリンこそが、もっとも大きな権力を手に入れた指導者だ」

 

 もし、鏡の助言が、ただの自己催眠によるものだったのであれば、ヒトラーの口から、こんな言葉が出るはずはなかったであろう。

 ヒトラーの顔が怒りで真っ赤になり、わなわなと震えていたのは、そばにいたエバから見ても、はっきりと分かった。そして、エバもまた、こうしたヒトラーの反応に対して、言いようのない不安に襲われたのだった。

「あの成り上がりのロシアの田舎者が、世界一の権力者だと!そんな事があるものか!いや、そんな事は絶対にありえないのだ!」

 ヒトラーは、鬼のような形相で、そうブツブツとつぶやき続けていた。エバもよく知っている、ヒトラーがかんしゃくを起こす直前の状態である。

 今はここにはヒトラーとエバの二人しか居ない。この状況では、自分がヒトラーをなだめるしかないと、いち早くエバは理解した。

「アドルフ。どうか、お願い。落ち着いて、私の言う事を聞いて!」

 エバは、狼狽しながらも、声を抑えて、ヒトラーに話しかけた。

「私はいつだって落ち着いておる!」

 と、ヒトラーは怒鳴った。

「いいえ。あなたは今、冷静さを失っているわ。それぐらい、私にだって分かる!鏡の言う事に惑わされちゃダメよ!とんでもない事になるわ」

「お前に何が分かると言うのだ!セックスしか出来ないくせして!」

「いいえ、分かるわよ!あなたは、今、ソビエトを攻める事を考えているでしょう。でも、そんな事をしたら、絶対にいけないわ。必ず、よくない結果に結びつくはず。今のあなたは、シュネーヴィットヒェンの王妃と同じ事をしかけているのよ」

「私は偉大な指導者だ!愚かな王妃の二の舞などは踏まん!」

 興奮して、ハイテンションになっている今のヒトラーには、もはや他人の言う事は何も聞こえないみたいなのだった。

「エバ!お前はもう自分の部屋へ帰れ!私はもうしばらく、ここに残って、次の戦略を練る事にする!今日の事は誰にも喋るんじゃないぞ!」

「待って、アドルフ!」

 すがるエバを執務室の外へ突き放して、ヒトラーは内側からドアを閉めてしまった。

 泣きながら、エバは執務室のドアを叩き続けたが、それはもう二度と開く気配はなかった。

 エバの心の中には、嫌な憂鬱感が広がり始めていた。女の直感は、時として、魔法の鏡よりも的中するものなのである。

 これ以上、自分たちの幸せの時間は続かないのかもしれない。

 一人残されたエバは、悲しみに沈みながら、うっすらとそう感じていた。

 

 1941年6月、ドイツ・ナチス帝国は、有利な独ソ不可侵条約を反故にして、いきなりソビエト連邦への侵攻を開始した。ソビエトの独裁者スターリンが、最大最後の政敵だったトロツキーを暗殺して、自分のソビエト内での政権を完全に安泰にさせてから、わずか1年内の出来事であった。この結果、ナチスは東西両方を敵に囲まれて、戦争を続ける形となり、自国の衰退と敗戦を決定づけてしまったとも言われている。

 1945年のドイツ・ベルリンの陥落の際、ヒトラーとエバは心中自殺したが、真実の鏡がどうなったかについては、何も分かっていない。ベルリンを蹂躙したソビエト軍、あるいは、その他の鏡の秘密を知る敵国が持ち去ってしまったのであろうか。

 近年でも、いきなり愚劣な政策を施行した末に、自らの寿命を縮めてしまうような大国の指導者を時々見かけるものだが、そうした政治家たちの背後には、あるいは、真実の鏡の存在があったのかもしれない。

 

   了


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最終更新日 : 2019-10-15 08:55:32

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「浦島異聞」

 ある日、浦島太郎が海辺を歩いていると、砂浜で一匹の亀が五、六人の男の子たちに囲まれて、よってかかっていじめられているのを目にした。

 いじめている子どもたちと言うのは、この村に住む漁師たちの息子だ。浦島太郎も顔見知りのやんちゃ坊主ばかりである。

 その様子をながめているうち、浦島太郎は亀の事が少し可哀相に思えてきた。子どもたちは、捕らえて、食糧にするつもりで、その亀をいたぶっていたのではない。子どもならではの無邪気な遊び心だけで、その亀に暴力を振るっているのである。なんて、命の粗末な扱い方なのだろうか。

 思わず、浦島太郎は子どもたちに声をかけた。

「君たち、亀をいじめるのは止めなさいよ」

 子どもたちは、いっせいに浦島太郎の方へ目を向けた。

「おじさん、何言ってるんだよ。この亀を見つけたのはオレたちなんだぜ。何をしようが勝手じゃないか」

 リーダー格の子どもが、ふてぶてしく、そう言った。

「だったら、こうしよう。おじさんがお金を出すから、その亀を売ってくれないか。それなら、おじさんの好きなようにしてもいいだろう?」

 そして、浦島太郎は、ありったけの小銭を出すと、子どもたちへと差し出したのだった。昨日、釣った魚を売って儲けた、現時点での彼の全財産だ。

 子どもたちは、浦島太郎のお金を見ると、ばっと奪い取り、わあっと喜ぶと、そのまま、もう亀へも浦島太郎にも見向きもしないで、浜辺を走り去っていったのだった。

 さて、皆が知っている「浦島太郎」の物語は、この先、浦島太郎と亀がどうなったかについてが語られる事になる。しかし、我々はここで、子どもたちがどうなったかの方を追ってみる事にしよう。

 浦島太郎と別れた子どもたちは、すっかり浮かれて、浜辺を走っていた。何しろ、貧しい漁村で生まれた彼らは、親からろくに小遣いをもらった事もなかったのだ。こんなラクな形でお金が手に入るとは思わなかったのである。彼らにとっては、これがはじめての商売だったとも言えたかもしれない。

 彼らは、互いに、手に入れたお金で何を買うかを、楽しそうに口にしていた。実に、幸せそうなひとときにも見えた。

 しかし、彼らの幸福な時間は、まるで続かなかったのである。うかつにも海岸沿いを移動していたのも良くなかったようだ。

 彼らが走ってる目の前には、数人の大きな人間が立ちふさがっていた。連中のそばに近づく前に、子どもたちも、もっと早くに方向転換して逃げていれば良かったのに。しかし、そこまで子どもたちは頭が回らなかったようだった。進行方向で待ち伏せしていた連中の姿がはっきり分かるまで、怖いもの知らずだった子どもたちは、警戒すらしていなかったのである。

 だからこそ、怪しい連中が本当に不気味な怪物たちだった事が分かった時には、もはや子どもたちにも逃げ出すのは間に合わなかったようなのだ。

 連中は本当に恐ろしい姿をしていた。顔、と言うか胸から上は魚そのものだった。胸から下は人間のたくましい体で、ごつい両手もあり、腰には海草だけを巻き付けている。遠くから見た限りでは、確かに、祭りの日の仮装した村人のようにも見えた。近づいて直視する事で、ようやく化け物である事がはっきりと分かったのだが、そこで危険を察知したのでは、それこそ後の祭りだったのである。

 怪物たちを前にして、子どもたちもやっと立ち止まった。彼らは、怯えて、仲間の顔を見合ったが、誰もが狼狽して、どうすればいいか分からないと言った表情をしていた。

「オ前タチダナ。姫サマヲ、イジメテイタノハ」

 怪物の一人が、なまりの強い、低い声で話しかけてきた。

「誰だよ、おじさんたちは!」

 子どもたちのリーダーだった桃吉が、怖がっているのを悟られないようにしながら、そう虚勢をはって、怒鳴った。

「悪イ子ドモタチダ。罰トシテ、オ前タチノ寿命ヲイタダクゾ」

 怪物の語っている要求は、明らかに恐ろしい事のようだった。

「み、皆!逃げろ!」

 と、桃吉が叫んだ時は、もう手遅れだった。

 魚に似ているくせに、怪物たちの動作は異常に速かった。逆に、すっかり震えおののいていた子どもたちは完全に動きが鈍っていたのである。

 怪物たちにさっと取り囲まれて、子どもたちはすぐに逃げ道を失ってしまった。大声を出して、助けでも呼びたいところだが、声帯も震えていて、それさえも出来ないようだった。そもそも、こんな日中は、大人たちは仕事に出払っていて、浜辺でたむろしている人間は、子どもや浦島太郎のような変人ぐらいしか居なかったのだ。

「うぉおおおー!」

 ヤケクソになった金太が、怪物目がけて体当たりしていった。金太は、子どもたちの中で一番大柄だったのだが、屈強な図体の怪物相手では、軽く張り飛ばされてしまった。それを見て、他の子どもたちもいっさい抵抗する気持ちを無くしてしまったのだった。

「デハ、イタダクゾ」

 怪物の一人が、大きなヒョウタンを取り出すと、そのフタをはずし、飲み口を子どもたちの方へと差し向けた。

 すると、どうであろうか。飲み口の真ん前にいた、一番年下だった寸坊の姿がたちまち変化しだしたのである。顔が一面シワだらけになり、髪の毛が白くなっていった。つまりは、一瞬で、おじいさんになってしまったのだ。自分の身に何が起こったのかが分からなかったらしく、呆然とした表情だった寸坊は、そのままバタリと倒れた。どうやら、寿命が尽きて、こと切れてしまったらしい。

 この恐るべき光景を目前にして、残った子どもたちも本当に血の気を失ってしまったのだった。自分たちも、これから同じ目に合うのだ。逃げる事も絶対に不可能なのである。

「わああぁ。ごめんなさーい」

「お願いします!許してー」

 子どもたちは口々に泣き叫んだが、怪物たちに情けをかけてくれる素振りはなかった。

「オ前タチガイジメテイタ亀ハ、乙姫サマノ妹ノ甲姫サマダッタノダ」

「甲姫サマガ、オシノビデ地上ニ遊ビニ来テイタノニ、ソレヲイジメルトハ、本当ニ不届キナ子ドモタチダ」

 子どもたちの寿命を一人ずつ、ヒョウタンで吸い取りながら、怪物たちは、なぜこんな酷い事をするかを説明したのだった。

 ついには、残った子どもは桃吉だけになっていた。

「オ前タチノ寿命ハ、浦島サマノ為ニ使ワセテイタダク。何シロ、浦島サマヲ竜宮城ニオ招キシテモ、今ノ浦島サマノ寿命デハ、竜宮城デハ半日シカ持タナイカラナ」

「浦島ぁ?浦島だとぉ!」

 浦島太郎の名前を聞いた途端、桃吉の心には俄然、怒りが込み上げてきた。

 桃吉ら子どもたちも、浦島太郎とは知らぬ間柄だった訳ではなかった。しかし、親からは、浦島太郎の事は、船に乗って漁にも出ようとしない怠け者だと聞かされていたのである。だから、子どもたちも全員、浦島太郎の事をろくでなしと考えて、見下していた。さきほど、喰えもしない亀を買ってくれると言った時も、こいつはとんだ阿呆だぞ、とあざ笑っていたぐらいなのである。

 それなのに、今、自分たちは、そんな浦島太郎の為に、自分の大切な命を取られようとしている。そんなオカシな話があってもいいものなのだろうか。

「やだ!オレは浦島なんかに、オレの未来は絶対にやらないぞ」

 桃吉は思いっきり叫んだ。

「ダマレ!オトナシク、身代ワリニナルノダ」

「嫌だ!浦島なんかに楽しい思いをさせてなるものか。オレの命を代わりに使うなら、浦島はオレよりも不幸になればいいんだ!」

 桃吉は必死に呪いの言葉を吐き続けた。しかし、抵抗も空しく、彼が喋り終えた頃には、彼もすっかり生命をヒョウタンに吸い尽くされており、静かに息を引き取っていったのだった。

 桃吉の手には、浦島太郎から貰った小銭がしっかりと握られていた。たったこれだけの小銭で、こんな目に会ってしまったとは、全く、割に合わない取引だったとも言えよう。

「ヨシ、タップリ300歳分グライノ年齢ハ確保デキタゾ。コレヲ竜宮城ニ持チ帰リ、玉手箱ニシマッテオクノダ。コノ寿命ヲ使ッテ、浦島サマモ三日ハ竜宮城デ生キ長ラエル事ガデキルダロウ」

 目的を果たした魚人は、子どもたちの寿命を全て詰め込んだヒョウタンにフタをすると、こうして、海へと帰っていったのだった。

 浜には、老化した子どもたちの死体だけが残された。この死体は、間もなく漁村の大人たちに発見されるのだが、しばらくの間は、本当に子どもたちだったとは分かってもらえなかったようである。

 同時期に、浦島太郎も、この村からは姿を消した。浦島太郎が子どもたちを誘拐して、どこかへ姿をくらましたのではないかと言う噂も流れはしたのだが、証拠は無く、その疑惑はすぐに忘れられる事になった。

 浦島太郎が、この村に戻ってきたのは、それから300年後の話である。地上に帰ってきた後の彼があまり幸せではなかった事は、皆さんもよくご存知のはずだと思う。結果的に、桃吉たちの恨みは確かに晴らされたようである。

 

    了


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最終更新日 : 2019-10-15 08:55:32

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「狼ハンター」

 なぜ、こんな事を繰り返してしまったのか、ペローは今さらながら後悔をしていたのだった。

 しかし、一番最初の時は確かに怪しい影を見たような気もしたのだ。

 ペローは、山の麓にある小さな村で、村の羊の番を任されていた孤児の少年である。羊小屋は村の離れにあったため、他の村人と顔を会わせる事はほとんど無かった。みなしごとして彷徨っていたところを、この村で拾ってもらえて、こんな仕事まであてがってもらえた訳なのだから、文句が言える筋合いではないのだが、それでも孤独な毎日は次第に苦痛にもなってきていた。

 そんなある日の事である。放牧した羊を追い集めて、小屋の中におさめたばかりの夕方だ。まだ日も沈んで間もなく、周囲も明るかった時分である。ペローは羊小屋の壁に一瞬だが怪しい黒い影がさっと走ったのをはっきり目にしたような感じがしたのだ。

 もし狼の姿を見たら、すぐ村の方に知らせるように、と言うのが、この仕事を始めた時に真っ先に指示された任務だった。不気味な影に驚いたペローは、すぐ、この言いつけを思い出したのだった。

 彼は、急いで、緊急の笛を吹き鳴らした。すると、畑仕事が終わった頃合いだった事もあって、村人たちがたちまち駆けつけてくれたのだった。

 動揺する村人たちに囲まれて、この時、ペローははじめて一体感のようなものを抱けたのであった。ペローは、村人たちに怪しい影を見た時の状況を懸命に説明したが、実際の狼らしきものは結局は発見されなかった。

 こうして騒ぎはいったんおさまったものの、狼の被害をペローが事前に防いでくれたみたいな事を村人たちがはやし立てたものだから、ペローも余計その気になってしまったのだった。

 そののち、さほど日にちが経たぬうちに、ペローは緊急の笛を再三に渡って吹き鳴らしている。特に明確に狼らしきものを見た訳でもないのにだ。それでも、笛さえ吹けば、その都度、村人たちは必ず集まってくれるのであり、本当に狼が見つからなくても、しばらくは村は大騒ぎになるのだった。

 しかし、そんな事を繰り返していると、毎度毎度、無駄骨を折らされている村人たちもだいぶ不機嫌そうになってきている事に、ペローもようやく気が付き始めたのであった。

 はっきりと確認された訳でもない狼の評判も大きくなっていく一方である。村はすっかり狼の存在におびえ、全ては自分が原因である事、居なかったかもしれない狼の話で村全体に迷惑をかけてしまった事に、ペローはあらためて罪悪感を抱くようになり始めたのだった。

 このあと、ペローは緊急の笛を吹いてはいない。羊小屋周辺は従来の穏やかな様子に戻りつつあり、ペロー自身も孤独な生活に返りつつあった。狼騒動の時のにぎやかな空気が恋しくもあったが、嘘の笛だけは吹いちゃいけないのだとペローは強く自分に言い聞かせていた。

 夜、ペローが番人小屋で休んでいると、誰か外から小屋の戸を叩くものがいた。たいへん珍しいと言うか、真夜中の訪問者と言うのは、実ははじめてであった。

 奇妙に思いつつも、ペローが戸を開けてみると、外に立っていたのは小さな少女だった。まだ五、六歳ぐらいの年齢だ。どうやら、この村の子どもではない。非常に目につく赤いずきんを被っていた。さらに彼女には連れがあって、それが山羊なのであった。くたびれた感じの痩せた山羊で、その外見にふさわしく、左の角が欠けて、無かった。

「何の用だい?」不思議な感じがしつつも、ペローはその少女に尋ねてみた。

「私、赤ずきん。道に迷ったの」と、その少女はぶっきらぼうに言った。

「こんな夜中に出歩いていたのかい?」

「違う。家を出た時は明るかったよ」

 つまりは、迷子になって、こんな遅くまで彷徨っていたと言う事らしい。

「ねえ、今日だけでも、ここに泊めてよ」と、その子はさらに言った。

 ペローは少し躊躇した。よそ者を連れ込むと、何かトラブルが起きそうな感じがしたからである。しかし、今のペローは寂しかった。こんな幼女でも話し相手ぐらいにはなりそうだ。

「今晩だけだよ」

 彼はその少女を番人小屋へと入れてやったのだった。

「ありがとう。こちらはニコだよ」と、少女は山羊の事も紹介してくれた。「ニコは外につないでおくね」

 赤ずきんは、どこか得体の知れない雰囲気を漂わせた少女だった。

「何の用事で、一人でお出かけしていたんだい?」

「おばあちゃんちに行く途中だったの」

「おばあちゃんって、この村の人なのかい?」

「違うよ」

「ごめん。この家には、今食べるものが無いんだ。お腹がすいてるかもしれないけど」

「大丈夫。私がパンと葡萄酒を持ってるよ。これを一緒に食べよう」

「いいのかい?」

「構わないよ。おばあちゃんちに持っていくものだったけど、行くのは止めて、明日は帰る事にしたから」

 会話をしても、万事がこんな調子なのであった。

 しかし、同世代の子どもとあまり会う事のなかったペローとしては、こんな幼女相手でも楽しい気持ちになってきたのだった。何よりも、赤ずきんは、口こそ悪いが、目がパッチリした可愛い顔をしていた。

 翌朝早くに、赤ずきんは、約束どおりに番人小屋から出て行った。村人に見られたくなくて、ペローは特に引き止めもしなかった。恐らく、彼女も歩いてきた道を見つけて、無事に自分ちに戻ったのであろう。

 その日は、訪問者が多い一日だった。ペローが羊を放牧させに行く直前に、今度は村の長老が一人のガタイのいい男を連れて、やって来た。はじめて見る服装の大男で、猟銃を手にしていた。すぐに猟師だと分かった。

「ペロー、挨拶しなさい。この人は、村で雇った猟師のグリムさんじゃ」と、長老は言った。

「お前か。狼を見たと言う羊番は?」グリムに野太い声で詰め寄られ、ペローはつい物怖じした。

「は、はい」と、震える声でペローは何とか答えた。

「オレはずっと狼を追い掛けてるんだ。この村に現れた狼も必ずオレがしとめてやるからな」

 もし狼の目撃が誤報だと分かったら、この猟師は自分に対してどんな態度になるのだろうと、一瞬ペローは怖くなった。

「坊主、よく聞けよ。狼は、オレたちが考えている以上にずるがしこい動物なんだ」と、グリムは言った。「ついこないだも、山の向こう側の村で七匹の山羊が襲われたばかりだ。狼は、どうやって山羊小屋に忍び込んだと思う?山羊たちの母山羊に化けやがったんだ。狼は別の生き物に化ける能力を持っているのさ。襲われた山羊の方は、六匹が殺されて、一匹は行方不明のままだ。狼が連れていったのかもしれない」

 ペローの脳裏に赤ずきんの姿がよぎった。彼女は確か、山羊を連れてはいなかっただろうか。

「に、人間にも化けるんですか?」ついペローは聞いてみた。

「恐らくな。それも、完全に人間になりきったりも出来るはずだ。自分が狼だった事を忘れちゃうぐらいにな。案外、狼はもう村の中に住みついているのかもしれないぜ」グリムは豪快に笑ったが、その目は笑っていなかった。

 ペローは、自分が親の顔も知らぬ孤児だった事を思い出した。そして、言いようのない不安にも駆られてきたのだった。

 それからまた、しばらく日にちが経った。グリムが村に招かれた事で、さらに村中が狼の話題で持ちきりになったが、実際にまた狼が現われる事はなかった。ペローが嘘をつくのを止めたのだから、当然なのである。

 そして、ある日の夜、再び赤ずきんがペローの番人小屋へとやって来た。今度も真夜中であり、全く不思議な少女なのであった。

 前回同様、山羊のニコを連れていて、道に迷ったから、ここに泊めてほしいと言うのだが、どう考えても怪しいのだった。グリムが教えてくれた狼の話を思い出し、ペローはひどく警戒してはいたのだが、結局は赤ずきんを小屋の中へと入れてしまった。赤ずきんの澄んだ大きな目に見つめられると、何となく逆らえない気持ちになってしまったのである。

 小屋の中で二人っきりになったあとも、ペローは赤ずきんへの警戒の態度を緩めなかった。赤ずきんにも、ペローの様子がおかしい事はすぐに察知できたらしい。

「どうしたの?今日のペロー、変だよ」と、ストレートに赤ずきんは訊ねてきた。

 ネが素直なペローとしては、どう応じていいのかがうまく浮かばなかったのだが、それでも探るような形でこう話を切り出していった。

「この村、狼に狙われているみたいなんだよ。だから、夜はむやみに外へ出ない方がいいんだ」

「へえ、怖い。私も襲われるかな」

「そうだよ。君なんて、真っ先に食われるかもしれないよ。もう夜遊びなんて止めて、この村には来ない方がいいよ」

「でも、ペローだって食われるかもよ」

「僕は大丈夫さ。男の子だからね」

「男の子だって心配だよ。そうだ、私、さっきまでお花を摘んで、お守りの首飾りを編んでいたんだ。これをペローにあげるよ。そしたら、もう狼なんて怖くないよ」

 そう言って、赤ずきんは花で編んだ首輪をペローに掛けてくれたのだった。使われている花は、ペローもよく目にする村周辺に咲く花々だ。しかし、それらの花に混じって、円錐状の金属もいくつか編み込まれていた。何ともけったいな花飾りなのであった。

 こうして、赤ずきんは、今度の夜も、正体を明かす事もなく、翌朝にはペローの番人小屋から去っていった。ペローを襲わなかったところを見ると、やはり赤ずきんは本当の迷子だったのだろうか。あるいは、やはり狼の化身だったのかも知れず、何かの企みがあって、今はペローを泳がせていたのかもしれない。そのへんは、ペローにはさっぱり見破れなかった。

 ペロー以外に、赤ずきんの姿を目撃した村人はいなかったらしい。夜間、村の中をさんざん歩き回っていたグリムも含めてだ。よって、ペローも赤ずきんの事は誰にも喋ってはいなかった。今やペロー自身が自分の言動にすっかり自信をなくしてしまい、迂闊な事を言えなくなっていたのである。

 そして、最初の狼騒動があってから一月が経った。あれからペローは完全に緊急の笛を吹くのを止めたし、赤ずきんも番人小屋には訪れなくなっていた。ただ、猟師のグリムだけが、村の周辺を警護の為に夜通し歩き回る日々が続いていた。

 何もかもが元の生活に戻ってしまったようにも感じられた。あれほど大騒ぎになった狼の事も忘れられ始めていた。そもそも、ペローの最初の目撃からして勘違いだったかもしれないので、こうなるのが当然なのである。

 その日も、羊を近所の高原へと放牧していたペローは、このまま何事もなく今日の日が終わってゆく事をぼんやりと感じていた。さらには、自分はこんな生活をずっと続けていくのだろうかと、未来の事まで思いふけっていた。あの狼騒動は、今となっては、退屈な毎日の中に紛れ込んだ、ちょっとした思い出にもなったのかもしれない。

 その時、ペローの耳に笛の音が聞こえてきた。あのペローが持っている緊急時の笛の音だ。

 これはおかしな話である。緊急の笛なら、今ペローが自分の首にと、あの赤ずきんがくれた花飾りと一緒に、ぶらさげていたからである。自分がこの笛を吹いていないのに、一体誰がこの笛を鳴らしたのだろう?

 しかし、それ以上に大変な事になりそうだと、ペローはすぐに気が付いたのだった。

 間もなく、村人たちがこの高原へと駆けつけてきた。日中の畑仕事をやむなく中断して飛んできた訳だから、誰もが今まで以上に殺気立っている。そんな状況で、ペローはバカ正直にも自分は笛を吹いてないなぞと弁解したものだから、ますます皆を怒らせる結果になってしまったのだった。

 完全にペローは嘘つき扱いである。これまでの狼出現の報告も嘘だったのではないかと、はっきり疑う村人も現れた。こうして、村人たちは憤りながら村へと帰っていったのである。まさに最悪の展開となって、ペローもただ立ち尽くすしかなかったのであった。

 その夜、放牧していた羊を家畜小屋に戻した頃、長老がペローの番人小屋へとやって来た。長老はこの村の村長でもあり、ペローをこの村に引き取ってくれた恩人でもあった。ペローにとっては、もっとも信用できる人物なのだった。

 羊番の仕事の解雇を言い渡しにきたのではないかとビクビクしつつも、ペローは長老を番人小屋の中へと通した。

「ペロー、今日は大変だったね。皆にとやかく言われて、落ち込んではいないかね」長老はそう優しくペローに語りかけてくれた。

「村長さん、心配してくれて、ありがとうございます。でも、僕の話は本当なんです。分かって下さい」ペローは必死に訴えた。

「しかし、笛を持たされているのは君だし、果たして、そんな話をどれだけの人が信用してくれる事やら」

「そうかもしれません。しかし、今度だけは絶対に事実なんです」

「おや?まるで、前には嘘もついた事があるかのような言い方じゃな」

 ペローははっとした。もしかすると、長老の誘導尋問に引っかけられたのだろうか。

「でも、最初の狼騒動の時も、確かに僕は怪しい影を見たんです。間違いありません。あの日も、今夜と同じぐらい満月がきれいでしたから」ペローは、慌てて、そう言い足した。

「全く君の言う通りだ。あの日もとても美しい満月が輝いておったな。あれから一ヶ月、長かったよ」

 ペローは、長老の話の内容がどうやらオカしい事に気付いたのだった。

「村長さん、どうしたんですか。一ヶ月前、何かあったのですか」

「君は見間違えてなどおらんよ。あの夜、確かに狼はこの村の羊を襲うつもりだったんじゃ。しかし、君にうっかり影を見られてしまったばかりに、それが出来なくなってしまった」

「村長さん、大丈夫ですか。何を話してるんですか?」ペローは動揺した。

「愚かな君は、それからも狼が出たと笛を鳴らし続けた。おかげで本物の狼はなかなか羊に近づく事ができなかった。わしは、君が村人たちから完全に信用を失う時をずっと待っていたのじゃ。その日はついに訪れた!」

 そして、長老は自分の服のポケットの中に入れていた笛を取り出して、見せたのだった。

「その笛は!」と、ペローは思わず叫んだ。

 そもそも、緊急の笛は長老が預けてくれたものだった。長老が、スペアを持っていたとしても不思議な話ではないのである。

「正体がばれないようにする為に、わしも色々と苦労したよ。自分でわざわざ天敵の猟師を雇ったりとかもしてね」

 ペローはすかさず自分の笛を吹き鳴らした。喉に力をこめて、精一杯大きく吹き続けた。

「無駄じゃよ。昼間にあんな騒動があったばかりだ。今夜はもう、その笛の音を聞いても、誰も駆けつけてはくれない。わしは、今夜こそ邪魔者のいない状態でごちそうを食べさせてもらう。この麗しき満月の夜に!今夜は、わしも真の姿に戻れるのだ!」

 そして、長老の頭の白髪がもさもさと伸び出すのを、ペローははっきりと見たのだった。髪の毛だけじゃない。長老の体全体から、白い剛毛が生え始めた。長老の服は破れ裂け、次の瞬間、ペローの目の前には全身真っ白なスマートな狼が立っていた。恐ろしい怪物狼が正体を現した瞬間である。

「さあ!お前も含めて、全ての羊を喰らってやるぞ!」狼に戻っても、その化け物は人語でそう吠えた。

「助けてええ!」と、ペローがたまらず叫んだ。

 その時だった。小屋の戸をどんと開けて、グリムがこの小屋の中へと飛び込んできた。手にはしっかりと猟銃をかまえている。グリムは、飛び込んでくるのとほぼ同時に、その猟銃を数発ぶっ放した。腕のいい猟師の狙いは的確で、全発が白オオカミの体をぶち抜き、さすがの狼もひっくり返った。

「おじさん!信じてくれたんだ」グリムの姿を見て、ペローの顔にパッと笑みが広がった。

「坊主。言っただろう?狼はずるがしこいんだ。ヤツらの計略にはまるほど、オレもボンクラじゃねえ」ニヤリと笑うと、グリムはペローのそばへと寄り添った。「見ろ。こいつは間違いなく100年以上は生きているぞ。一番タチの悪い狼で、これだけ生きた狼は、変身も自在だし、魔法だって使えるんだ」

 すると、死んだかと思われた白オオカミがゆっくりと立ち上がったのだった。

「その通りだ。猟師よ、100年狼を見くびるでない。わしには鉛の弾などは痛くもないぞ」白オオカミは不気味な声でそう吠えたのだった。

「ちくしょう!オレも、こんな大物と出くわしたのははじめてなんだ。これ以上は対処の仕方が分からねえ!」グリムもそう怒鳴って、さらに猟銃を撃ちまくった。

 ゆっくりと近づいてくる白オオカミに全ての弾丸は当たっていたようなのに、狼は少しも倒れる気配がないのであった。

 ペローもグリムも絶体絶命である。

 次の瞬間、白オオカミはバッと二人目がけて飛びかかってきた。が、なぜかそのまま襲わずに、キャンと吠えて、跳ね戻ってしまったのだった。

 不思議に思ったグリムの目が、はたとペローの首飾りにと釘付けになった。

「それだ!よこせ!」と、グリムは怒鳴った。彼はペローの花の首飾りをもぎとると、そこに括りつけられていた円錐状の金属をはずし、自分の猟銃へと装填した。猟師のグリムには、実はそれが銃の弾であった事が一目で分かったのだ。

 グリムがその弾を白オオカミ目がけてぶっ放すと、今度は狼もすさまじい悲鳴をあげて、よろめいた。

「おじさん。一体、これは?」と、ペローはグリムに聞いた。

「それは、こっちが知りたいよ。坊主が持っていたのは、銀が混ざった弾丸だ。今思い出したよ。オレの爺さんから聞いた事があるが、銀は唯一、化け狼にも通用する武器だ。なぜ、こんな物を持っていた?」

「僕も貰っただけだよ。赤ずきんに」

「なに?赤ずきん?」グリムが大げさに驚いた。

「そう、赤ずきん。100年狼は私がしとめるわ」

 ペローも知っている、少女の声が聞こえてきた。番人小屋の入り口から、さっそうと入ってきたのは、あの赤ずきんだった。例によって、真っ赤なずきんを被っている。横には山羊のニコも連れ従えていたが、以前のくたびれた感じとは雰囲気が違っていた。どこか凛々しく、曲がっていた右角もなぜか鋭くピンと伸びていた。

「赤ずきんだと?本当にいたのか!」グリムがおののいた。

「おじさん。赤ずきんの事を知っているんですか?」

「知ってるも何も。赤ずきんは、伝説的なすご腕の狼ハンターだ。世襲制で、少女時代しか狼狩りはしないと聞いている。そんな不思議な狩人に、まさか実際に会えるとは」

「赤ずきんだとぉ!」と、よろけながらも白オオカミも唸った。「我が親族をことごとく狩り滅ぼした恨み、ここで晴らしてくれるぞ!」

「それは不可能と言うもの!」と、赤ずきんも言い返した。「私の武器は、全てが狼の嫌う銀仕立て!私のこの赤いずきんは、狼のあらゆる攻撃を寄せ付けない返り血のコート!そして、私の乗馬であるニコは、狼より速く走れるユニコーンよ!」

 ここで、読者の諸君も思い出していただきたい。幻の妖馬ユニコーンは、処女にしか懐かないものなのだ。赤ずきんの一族が、少女しか狩りをしないのは、そのへんにも事情があったのである。それに、馬だけではなく、山羊のユニコーン(一角獣)が居たとしても良いではないか!

 赤ずきんのタンカを聞き、白オオカミもややうろたえたみたいだった。しかし、さすがは100年以上生きている化け物である。白オオカミは、すぐには白旗をあげたりはしなかった。

「なるほど。それが赤ずきん一族の強さの秘密だと言うのか。ならば、わしは、お前が銀の武器を使う前に、お前が赤ずきんで身を守る前に、お前がユニコーンに乗って逃げ出す前にーー」ここで白オオカミは大きく口を開いた。「お前の事を丸ごと呑み込んでやる!」

 白オオカミの体全体がムクムクと大きくなりだした。特に頭部がまるでデフォルメしたみたいに膨れ上がり、その開いた口の広さは赤ずきんの背すらも上回った。100年狼は、こんな特殊能力すらも備えていたのだ。

 まさに有言実行である。その奇怪な姿で、白オオカミは赤ずきん目がけて飛びかかった。そして、赤ずきんにいっさいの反撃の隙も与える事なく、本当にパクンと一口で食べてしまったのである。

「赤ずきんが食われちゃったよ!」ペローが悲痛な声をあげた。

「いや、違う!よく見てみるんだ」グリムは怒鳴った。

 そうなのだ。赤ずきんを見事に呑み込んだはずの白オオカミは、後ろ足で立ち上がった状態のままで、なぜかずっと硬直していた。しかも、体が小刻みに震えている。

 次の瞬間、白オオカミの腹は内側から破れ、中からは赤ずきんが飛び出してきたのだった。赤ずきんの右手には銀の果物ナイフが握られている。

「愚かなり、100年狼よ。私の赤ずきんは狼の血で染められている。同族愛の強い狼は、仲間や仲間の肉体に対してはダメージを与える事が出来ない。それがお前たちの弱点なり。この赤ずきんを被っている限り、たとえ呑み込もうとも、お前に私を消化する事はムリなのだ」

 赤ずきんは最後の勝利の言葉を決めたのだった。恐るべき白オオカミは、こうして完全に打ち負かされたのだ。

 ペローはホッとして、お礼を言う為に、赤ずきんのそばに走り寄ろうとした。しかし、立ち止まった赤ずきんは、振り返ると、右手を突き出して、ペローの動きを制止した。

「ペロー、私との約束を覚えている?その時にまた会おう」赤ずきんは無表情にそれだけ言うと、バッとニコの上に飛び乗り、そのまま暗い森の方へと走り去ってしまったのだった。

 ペローもあっけにとられていたが、横では、大の大人のグリムも呆然としていたのだった。

 翌日、番人小屋で本当に化け物狼が現れたと言う話は村中で騒ぎ立てられる事になった。赤ずきんに倒された白オオカミの死骸は村の広場で見世物にされ、長老の家の床を掘ってみると、人間の白骨が一組、発見された。恐らく、本物の長老の骨だろうと判断されたが、いつから長老と狼がすり替わっていたのかまではよく分からなかった。

 ペローは、この事件のあと、羊番の仕事を辞めて、この村を出て行く事にした。親切な村人たちは居続けるように勧めてくれたのだが、ペローにはすでに強い決心があった。彼は、グリムの元へと弟子入りしたのである。グリムは特に理由を尋ねる事もなく弟子入りを認めてくれて、ペローの見習い猟師としての新しい人生が始まったのだった。

 実は、ペローは赤ずきんと過ごした二夜の間で、赤ずきんに「大きくなったら、ペローのお嫁さんになる」とささやかれていたのである。別れ際に赤ずきんが言った約束とは、この事に違いないとペローは確信していた。

 自分はいつか、赤ずきんと再会できるのだろうか。猟師になれば、あるいは彼女とまた出会える機会も増えるかもしれない。何よりも、今度、赤ずきんと会う時は、自分も赤ずきんを守ってあげられるような立派な男になっていたかった。

 今のペローは、けっこう幸せそうなのであった。

 

      了


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最終更新日 : 2019-10-15 08:55:32

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「続・狼ハンター」

「助けてくれー!狼だ!狼におうちを燃やされたよぉー!」

 次男ぶたが、長男ぶたの小屋へ、慌てふためきながら押しかけてきたのは、三男ぶたが助けを求めてきてから間もなくの事だった。

 そこの土地では、三匹の兄弟ぶたがそれぞれ小屋を建てて、平和に暮らしていた。長男はレンガの家、次男は木の家、三男は藁の家だ。

 ところが、恐ろしい100年狼が彼らに目をつけたみたいなのだった。狼は100年以上生きると、不思議な魔力を身につける。他の動物に変身したり、体の大きさを自由に変えられるようにもなるのだ。

 そんな100年狼の一匹が、まずは藁の家に襲いかかってきた。その狼は風を操る能力を身につけていたようで、たちまち藁の家を突風で吹き飛ばして、崩壊させてしまったのである。命からがら逃げ出した三男ぶたは、長男ぶたのレンガの家の中へとかくまってもらったのだった。

 100年狼は続けざま、次男ぶたの小屋も襲ったらしい。次男ぶたの家は木で出来ていたから、風ぐらいではびくともしなかったが、今度は狼の方も火を吹いてきた。乾燥した木の小屋はたちまち燃え上がり、次男ぶたも慌てて長男ぶたの元へと避難してきたみたいなのだった。

 これは大変な事態になったな、と思いつつ、長男ぶたが弟ぶたを自分の家に避難させていた最中である。

「待って。私も入れてちょうだい」

 そう叫びながら、14、5歳ぐらいの人間の少女が森の方から駆けてきた。頭から、子供用の赤いずきんを被っている。彼女もまた、狼に追われて、逃げていたのであろうか。

 彼女があまりにも真剣な勢いでやって来たものだから、深く考えもせず、つい長男ぶたは彼女の事も自分の家に入れてしまったのだった。

 そして、すぐに重い鉄の玄関ドアをバタンと閉めた。

「よし、これで狼も我々には手を出せないぞ」と、長男ぶたが言った。

「兄さん、ちょっと待てよ。なんで、こんな人間の女の子まで入れてしまったんだよ」三男ぶたがすぐに長男ぶたへと抗議したのだった。

「しかし、この子も狼に狙われていたのかもしれないじゃないか。食べられてしまったら、可哀相だ」長男ぶたは慌てて弁解した。

「何を言ってるんだ。狼は人間に化けると聞くぞ。もし、この子が狼だったら、どうするつもりだ」次男ぶたも三男の方に賛成のようである。

「そうだ、そうだ!おや、この女の子、狼の血の臭いがするぞ!」三男ぶたが、少女の臭いを嗅ぎ、立て続けにそう指摘したのだった。

「それは、私のずきんから臭っているのよ」と、落ち着いた口調で少女は言った。「このずきんは、狼の血を使って、染められているの」

「な、何だって!君は一体、何者なんだい?」びっくりして、長男ぶたが少女に尋ねてみた。

「私は赤ずきん。狼ハンターだよ。この土地に狼が侵入したと聞いたので、退治しにきたの」

「お、狼ハンターだって!」三匹のぶたは、それぞれに驚きの声を発したのだった。

「おい、待てよ!きさま、狼ハンターとか名乗って、実は本当の狼はお前なんじゃないのか?」血の気の多い次男ぶたが赤ずきんへと言い寄った。

「疑うのはごもっとも。狼は何者にでも化けられるからね。そして、この中に狼がいると言うのも、確かに間違いないよ」赤ずきんがとんでもない事を断言したのだった。

「き、君、それは本当かい?なぜ、そう考えるんだ?」長男ぶたが動揺しながらも、赤ずきんに聞き返した。

「理由は簡単さ。このレンガの家は、風でも火でも壊す事はできない。しかし、欲張りな狼は、あなた達三匹とも食べる事を企むはずだよ。その為には、この家の中に自分も忍び込むしかない。だとすれば、誰かに化けて、中に入れてもらうのが一番手っ取り早いでしょ?」そして、赤ずきんは三匹のぶたを順番に睨みつけたのだった。

「お、狼は銀に弱いと聞いた事がある。ほら、オレは銀を触れるぞ!」次男ぶたが急いでテーブルに駆け寄ると、テーブルにあった銀のスプーンをさっと持ち上げてみせた。

「私だって!」

「おいらも」

 と、続いて、長男ぶたも三男ぶたも銀のスプーンを手に取ってみせたのだった。そして、最後に、赤ずきんも銀の皿をひょいとつまみ上げた。

「どうやら、君の考え過ぎだったようだね」安心して、長男ぶたが胸を撫で下ろした。しかし。

「いいえ。それなら、次はこれを使うわ」

 そう言うと、赤ずきんは被っていた自分のずきんをさっと外し、両手に持って、皆の目の前にかざしたのだった。

「あなた達に、これを傷つける事ができる?同族想いの狼は、狼の体の一部には手を上げる事ができないのよ」

 なんとも奇妙な狼の見分け方法だった。長男ぶたと三男ぶたは、呆れたような表情で、赤いずきんを自分のひづめで引っ掻いてみせた。

 ところが、次男ぶただけは狼狽していて、ずきんのそばにすら近づこうとしなかった。

「どうしたの?次はあなたの番よ」赤ずきんは、次男ぶたの方へとじりじりと詰め寄った。

 後ずさりして、とうとう壁の前にまで追いたてられた次男ぶたはいきなり大声で笑い出した。

「さすがだぞ、赤ずきん!よくぞ、正体を見破った!そうだ、狼はこのオレだ!」

 そう唸ると、次男ぶたのピンクがかった肌はたちまち変色しはじめた。茶色い褐色となり、そのままワサワサと毛になって、いっきに伸び出した。丸いフォルムだった頭や胴体も、スリムに変形してゆく。恐るべき100年狼が本性を現した瞬間だった。

 恐怖に怯えた二匹のぶたは、思わず赤ずきんの体にすがりついた。

「100年狼の中には、ごく稀に銀に耐性がある変異体もいるんだよ。しかし、同族の体を傷つけられないのは、全ての狼共通の特徴だよ」赤ずきんは説明した。

 完全に狼の姿に戻った怪物は、後ろ足だけで超然と立ち、鋭い眼光で赤ずきんとぶた達を威圧した。

「さあ、赤ずきん、次はどうする?オレには銀の武器は効かないぞ。お前の愛馬のユニコーンも、ここには居ないようだな。今のお前でオレに勝てるのかな?」狼は不敵な笑みを浮かべて、うそぶいた。

「やい、狼!お兄ちゃんはどうしたんだ!」と、すかさず三男ぶたが狼むかって怒鳴った。

「あのブタか?あのブタは、木の小屋と一緒に丸焼きになったよ。おいしく戴いたぜ」狼が、可笑しそうにせせら笑った。

「き、きさま!よくも、私の弟を!」と、長男ぶたが怒りをあらわにした。その横では、三男ぶたも憤慨した表情になっていた。

「そうよ!こいつは、あなた達の兄弟の仇よ!いっしょに倒しましょ!」二匹の間に立って、赤ずきんが叫んだ。

「バカめ!愚鈍なブタと小娘一人で何ができる?」

 狼がそう声を張り上げた途端、このケダモノの体中の毛がはね広がった。そして、狼を中心にして、家の中に突風が吹き荒れだしたのだった。

 きゃしゃな赤ずきんとノロマなぶた達は、突風に押されて、今にも吹き飛ばされそうになった。

「どうした?この程度の風にも耐えられないのか!」狼が大声で笑った。「お次はこれだ!」

 続いて、狼は口からごおーっと火を吐いた。照準はあまり良くない。また、風を起こしながら、火を吹く事もできなかったようだ。

 風が止まった一瞬を見逃さず、赤ずきんもぶた達も何とか火の直撃からは走り逃げたのだった。

「思った通りだわ。この狼は、風の属性と火の属性を備えている」家の中を走り回りながら、赤ずきんはつぶやいた。「でも、それがこいつの命取りよ!」

「ほざくな!負け惜しみを言うな!」狼が怒鳴った。

 赤ずきんの方は暖炉の前で立ち止まっていた。

「さあ、ぶたさん!あなた達もこっちに来て!手伝ってちょうだい!」と、赤ずきんは逃げまどっていたぶた達へと呼びかけた。

 二匹のぶたが、何とか暖炉の所にまでやって来る。

「ふん。何をするつもりだ?オレは火などは怖くないぞ」狼は吠えた。

「燃えさしを取りにきた訳じゃないわ。私の目的はこれよ!」

 そう言って、赤ずきんは暖炉にかかっていた大きなナベに手をかけた。ぶた達にも指図して、ナベの両脇についていた取っ手を左右から掴み、持ち上げると、ナベを暖炉から外した。

「風は水と相殺する。火は水に弱い。それが四大元素の法則よ!」と、赤ずきんが叫ぶ。

 大きなナベの中には、いっぱいのお湯が入っていた。

 ハッとした狼が、慌てて口から火炎を吐いた。だが、その時はもう手遅れであった。

 赤ずきんとぶた達は協力して、ナベの中のお湯を狼の方むけて、振りかけていた。狼の吐いた炎はことごとく、お湯によって打ち消された。火から風へと攻撃をチェンジするには、もう間に合いそうにない。間に合ったとしても、どっちみち、お湯の進行を防ぐ事はできなかっただろう。

 お湯が狼の全身にと降り掛かった。

「ぎゃあああー!」

 狼の凄まじい断末魔がレンガの壁にこだました。

 水を浴びた狼は、風と火の力を中和され、体中から熱を噴き出していた。その身はひらひらと倒れ、すでに肉も骨も溶け切ってしまい、ぺちゃんこの皮と毛だけが床の上にはり付くように落ちたのだった。

 恐るべき怪物の亡きがらのそばに歩み寄り、赤ずきんも二匹のぶたもひどく険しい表情を浮かべていた。

 

 ドイツのハルツ山の奥深くに赤ずきんの一族が住む村があった。そこから、さらに離れた森の先に、赤ずきんの祖母が住む小屋がある。彼女こそは先代の赤ずきんであり、赤ずきん一族の総元締めなのだ。

 また一匹、狼を退治した赤ずきんは、祖母の元へ報告に出向いていた。

 小屋の前にやって来た赤ずきんが、コンコンと入り口の戸を叩く。

「おばあちゃん、こんにちわ。赤ずきんです」

「お入り」と、小屋の中のおばあちゃんが言った。

 彼女は年老いて、寝たきりであった。今も、ベッドの上にもぐったままで返事をしたのだ。

「お邪魔します」と言って、赤ずきんは戸を開き、小屋の中へ入っていった。

 彼女は、今日も赤いずきんを付けた正装だ。しかし、この赤のずきんも元々少女向けのサイズだったので、かなり成長した今の赤ずきんにとっては、だいぶ小さくなっていたようである。赤ずきんが狩人でいられる期間は非常に短いのだ。

 小屋の間取りを把握していた赤ずきんは、すぐにおばあちゃんのいるベッドの前にまでたどり着いた。おばあちゃんは布団を頭から被ったまま、ナイトキャップだけを布団の外に出していた。

「おばあちゃん、パンと葡萄酒を持ってきたわ」と、赤ずきん。

「いつも、ありがとう。そこのテーブルの上に置いといておくれ」

 顔も見せずにベッドに寝続けているおばあちゃんの指示に従って、赤ずきんはその通りにした。

「で、今回の収穫は?」と、おばあちゃん。

「フランスの片田舎まで足を運び、風と火のオオカミを退治してまいりました」

「あの古株の狼をかい?よくやったね、赤ずきん。しかし、最近、少し倒すのに時間がかかり過ぎているんじゃないのかな」

「あのね、おばあちゃん」と、赤ずきんが親しげな口調にあらためた。「実は、聞きたい事があるの」

「どうしたんだい」

「私、この頃、胸が膨らんできたみたいなの。どうしてかしら」

「赤ずきんや、それはね、子どもに乳を飲ませる為なんだよ」

「それだけじゃないよ。お尻も大きくなった感じがするの」

「それは、丈夫な子どもを産めるようになる為だよ」

「まだあるわ。病気じゃないはずなのに、おまたから血が出てくる事もあるのよ」

「怖がる事じゃない。お前もようやく一人前になった証拠だ」

「でも、ニコが私に懐かなくなってしまったよ」

「それは寂しいね。ニコはユニコーンだから、穢れのない乙女にしか懐かないのだよ」

「だけど、一番困っているのは、この数ヶ月ばかりで急にお腹が大きくなりだした事なの。これは一体、どうしてなのかしら」

「それはお前が子どもを孕んだからだ!このアバズレめ!どこで男をたぶらかした?処女を捨てるような女には、もう赤ずきんの資格はないわ!」そう怒鳴ると、おばあちゃんはいきなり立ち上がったのだった。

 赤ずきんはビクリとして、その場に立ちすくんだ。そして、目の前のおばあちゃんが、いつものおばあちゃんと微妙に雰囲気が違う事に気付いたのだった。しかし、その時にはもう遅かった。

「さあ、その赤いずきんをわしによこせ!お前にもう赤ずきんを名乗る価値はないのだ!」そう声を張り上げると、おばあちゃんは老人とは思えない俊敏な動きで、赤ずきんの被っていたずきんを奪い取ったのだった。

 赤ずきんが全ての真相を理解した時には、もう後の祭りだった。

 高笑いするおばあちゃんは、赤のずきんを自分の頭にと被せてみせた。

「この時を待っていたのだ。この血染めのずきんこそは、オオカミ族の多くの怨念がこもった究極の一品!ハンターが被れば、狼から身を守る盾になるかもしれないが、狼自身が被れば、仲間の情念が加護となり、その狼の力を何倍にも高めるのだ!」

「あなた、狼ね?」赤ずきんがすかさず聞いた。

「そうだ。わしは狼だ。しかし、今はもう只の狼じゃないぞ。この血のずきんを被ったからは、地上で最強の狼だ。我が狼の一族こそが世界の覇者となるのだ。今のわしは、グリフォンだってドラゴンだって怖くはないぞ!」

 そう吠えると、おばあちゃんの姿はたちまち毛深い狼へと変わっていった。しかも、ずきんの色が染み込んだかのように、狼自身の毛の色も真っ赤に染まっていったのである。

「さあ、ずきんの威力を試してやる!」

 全身が鮮やかな朱色となった狼は、ふわっと宙に浮かび上がった。もちろん、この狼が得た能力とはその程度のものではないのだ。

 突然、大地がグラグラと揺れ出した。激しい地揺れの前では、簡素な小屋はひとたまりもない。家財道具が次々にひっくり返り、壁のあちこちにヒビが入って、穴があいた。そんな中で、赤ずきんもまたヨロヨロと転びかけ、すっかり翻弄されていた。

 地震の影響を受けていないのは、空間に浮遊している朱オオカミだけである。

 転倒したベッドの下に、隠すように人間の白骨があるのを、赤ずきんは目ざとく発見した。

「あなた、おばあちゃんを食べちゃたのね!なんて事を!許さない!」怒りの表情で、赤ずきんは朱オオカミを睨みつけた。

「引退した先代赤ずきんなんて、もはや敵ではないよ。赤ずきんになり損ねたお前のお母さんにしてもな。知ってるか?お前のお母さんも、修行中にガキを孕んだものだから、ハンターになれる条件を失ったんだ。そして、無力な人間のまま、狼に食い殺された。バカな奴よ」朱オオカミがあざ笑った。

「お母さんの悪口を言わないで!」赤ずきんが激しく言い返した。

「子どもを孕んじまったお前も、母親と同じ道を歩むんだ。赤いずきんの盾もない。愛馬のユニコーンも懐かない。おまけに体も重たくて、今のお前にどうやって戦えるんだ?」

 朱オオカミの挑発に乗せられて、思わず赤ずきんは服の胸元の銀ボタンをひき千切った。それを朱オオカミの方むけて、素早く投げつけた。

「ふははは。遅い、遅い。そんなんじゃ、飛んでるボタンの上に蝿がとまるぞ」

 朱オオカミは、ふわりふわりと体を揺らして、余裕でボタンをかわしてしまった。

 赤ずきんも厳しい修行を積んできたのだから、決して物を投げる腕前が劣っていた訳ではない。しかし、100年狼はそれを上回る身体能力を持っているのだ。

 その時だった。小屋の中に大きな銃声が響き渡った。

 笑っていた朱オオカミがはたと顔をしかめた。

「な、なにぃ!」と、狼は口ごもった。その体に、たった今、弾丸が撃ち込まれたのである。それも狼が苦手な銀の弾だったらしい。

 続いて、赤ずきんのそばに走り寄る一つの影があった。赤ずきんもニンマリとしている。

「今の銀のボタンは、わしの気をそらす為のおとりだったと言うのか。なかなか舐めたマネをしてくれるじゃないか。おい、お前は誰だ!」赤ずきんのそばに身を寄せた人物むかって、朱オオカミは怒鳴った。

「赤ずきん、何とか間に合ったみたいで良かったよ。君を一人でなんか戦わせはしない」と、その人物、いや、その青年は爽やかに言った。

「ありがとう。ペロー」と、赤ずきんもほほえんだ。

 そうなのだ。ここに現れた青年はペローである。かつて100年狼の魔の手から赤ずきんに助けてもらった羊飼いの少年が立派な猟師に成長して、この危機の場に駆けつけてくれたのだ。

「間抜けな狼は、壊れた壁の穴から僕がこっそり忍び込んでいたのにも気付かなかったみたいだな。今お見舞いしてやったのは、グリム師匠直伝の特製純度100パーセントの銀の弾丸だ。これは狼にはこたえるはずだぜ」ペローが得意げに猟銃を構えてみせた。

「100年狼よ、見たか!赤ずきん一族の強さの秘訣は、そのずきんやユニコーンだけじゃない。私たちは、愛し合い、助け合う。そうして赤ずきん不在の期間だって乗り越えてきたのよ!私のお母さんだって、自分はハンターにはなれなかったかもしれない。でも、こうして私を産み、愛情をいっぱい注いでくれて、次の赤ずきんに育ててくれたのよ!」赤ずきんも訴えた。

「ほほう、なるほどな。分かったぞ」朱オオカミがイヤラシい笑みを浮かべた。「さては、この娘を孕ませた男はお前だったんだな」

「だから、どうした!」と、ペローは言い返した。

「恋人の前で良いところを見せたかったのかもしれないが残念だったな。この血のずきんの加護によって、わしは不死身だ。銀の武器にも耐性があるのだ」

「な、なんだって」さすがにペローもうろたえたのだった。

 赤いずきんの効果は、ずきんに血を塗られた狼たちの超能力を全て、この狼へと憑依させていたのである。

「ち、ちくしょう!」

 ペローは猟銃を装填し直して、再び朱オオカミ目がけて撃ちまくった。

 しかし、銀の弾丸が何発も当たっていたにも関わらず、朱オオカミはずっと涼しい表情をしていた。

「さあ、今度はわしの攻撃の番だぞ」と、朱オオカミが大きく息を吸い込んだ。そして、次の瞬間、この恐るべき怪物は、深紅の巨大な火炎を吐き出したのだ。

 赤ずきんとペローは、急いで左右に走り逃げた。何とか、火炎の攻撃はまぬがれたのだった。

「まだまだあ!本番はこれからだぞ」朱オオカミはせせら笑った。その二本の前足がゴムを引っ張ったようにピーンと伸びた。さらには、その拳だけが巨大に膨れ上がった。「いくぞお!」

 朱オオカミは、長く伸び、先端だけ肥大化した前足で、地を逃げまどう赤ずきんとペローをやみくもに攻撃し始めた。あいにく、変形した足のバランスが悪かった事で、狼はなかなか標的を叩けないようだった。

「ひゃあーっ!これはなかなかキツいぜ!」今にも狼の拳がかすりそうで、思わずペローが叫んだ。

「負けちゃダメ!必ず勝機はあるはずよ!」

 赤ずきんが訴えた、その時だった。

 壁をぶち破って、外から突然、山羊のユニコーンがこの小屋の中に飛び込んできた。赤ずきん一族が飼っているユニコーンのニコである。ニコは、逃げ走っていた赤ずきんの前に躍り出て、その進行をさえぎった。

「ニコ。どうして?」立ち止まった赤ずきんがきょとんとする。

 あっけにとられていたのは、ペローも朱オオカミも同様だった。

「ああ、そうか!分かったわ!」と、すぐ察知した赤ずきんは、急いでニコに飛び乗った。

「まさか!どういう事だ。お前のような穢れた妊婦がなぜユニコーンを扱えるのだ!」朱オオカミは唸った。

「私は確かにもう何もかも知ってしまった大人かもしれない。でも、私のお腹の中の子どもはまだ生粋の処女よ!」赤ずきんが叫んだ。

 そして、赤ずきんを乗せたニコがバッと飛び上がった。朱オオカミ目がけて向かってゆく。早さでは、いかなる狼よりもユニコーンの方が上なのだ。

 赤ずきんと朱オオカミの体が交差した。

 次の瞬間、赤ずきんの右手には、赤ずきんの証しである赤いずきんが戻っていた。

「ずきんは返してもらったよ!」喜々として、赤ずきんは宣言した。

 ずきんを奪われた狼の方は、たちまち全身の赤みが抜けていった。もはや先ほどまでの勢いはどこにもない。目もうつろで、体をピクピク震わせている。かと思ったら、空中に浮遊したまま、狼の体はいきなりパアンと破裂したのだった。加護のずきんを失った為、今ごろになって銀の効力がまとめて発動したのである。

「夢に溺れて、地獄に堕ちればいいわ」狼の最期を横目で見届けながら、赤ずきんはクールにつぶやいた。彼女はゆっくりとニコの上から床に下りた。

「良かったね、赤ずきん!」ペローが、満面の笑みを浮かべながら、赤ずきんのそばへ歩み寄った。

「ありがとう、ペロー。助かったわ」と、赤ずきんの方も無邪気な笑顔で、ペローに抱きついた。

 それから、二人は心からの熱いキスを交わし合ったのだった。

「さあ、今度は僕たちが次の赤ずきんを育てる番だ」ペローが言うと、赤ずきんも静かにうなずいた。

 赤ずきんの血が絶える事はない。最強の狼ハンターの伝説はこれからも語り継がれてゆくのである。

 

      了


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お化け坂シリーズ

目次

 

「帰り道」(共幻文庫短編小説コンテスト2015出品作)

「3つの手の物語」

「お化け坂」(第1回ショートショート大賞/共幻文庫短編小説コンテスト2016出品作

「あいつ」

「笑う幽霊坂」(共幻文庫短編小説コンテスト2016出品作)

「恨みの短冊」共幻文庫短編小説コンテスト2016出品作)

「お化け坂を訪ねて」

「見えない叫び」

「びっくり妖怪大図鑑」

「怪しい影」「ピンクの怪物」より)

「性器の怪物」(18禁)

解説


26
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「3つの手の物語」

    1    (帰り道)

 その坂は、夜になると、お化けが出てくると言うウワサがたつほど、暗くて、淋しい場所だった。

 吹奏楽部の練習が長引いて、つい夜遅くまで学校に残ってしまった一恵は、その坂を前にして、こんな時間に帰宅する事を、今ごろになって悔やみ始めていた。

 一緒に部活に出ていた部員仲間たちは、帰る方向が違うので、とうの昔に別の道で別れている。一恵だけは、この坂を登らないと、自分の家までたどり着かないのだ。

 実は、一恵も、夜中に一人だけでこの坂を通るのは、はじめての体験だった。いざ、それが現実になってみると、この坂がこれほど怖く見えるとは、一恵自身もはじめて気付かされたのだった。

 坂へ向かっての一歩が踏み出せず、一恵がおろおろし続けていた、その時である。

「君も今帰るところなのかい」

 男子の声が、一恵の耳に聞こえてきた。

 声の方に振り向いてみると、そこにいたのは、一恵と同じ中学に通っていたF先輩である。

 F先輩は、かっこよくて、爽やかで、学校の人気者だった。多少は彼と面識があった一恵にとっても、当然ながら、憧れの先輩なのであった。

「この坂、一人で歩くには淋しいよね。オレの家、この坂を登った、すぐ先にあるんだ。そこまでだけど、一緒に歩こうか」

 憧れの先輩からの、実に素敵な提案だった。

 さっきまでは坂に怯えていた一恵であったが、たちまち胸がキュンとなってしまった。

「あ、ありがとうございます」

 一恵は、ためらわず、F先輩の好意を受け入れた。

 F先輩にしてみれば、夜道で心細そうにしている後輩を見かけたら、声を掛け、付き添ってあげるのは、年長者としての当たり前の心がけのつもりだったのかもしれないが、一恵の側にしてみると、あまりに嬉しすぎる展開なのだった。

 F先輩はすぐ一恵の左の方へ並ぶジェントルマンぶりを見せると、ゆっくりと歩き出した。

「怖くないよ。オレ、帰るのが遅くなる事が多いからさ、ライトも持ってきてるんだ」

 F先輩はそう言うと、ペンシル型の小さな懐中電灯をポケットから取り出し、左手に持って、すぐ前方を照らしてくれたのだった。

 やる事なす事が全てスマートで、気が利いているF先輩なのだ。

 しかし、このあと、またしても一恵の胸をときめかせる出来事が起こったのだった。

 一恵の左手に、温かく、柔らかいものがさりげなく触れたのである。きっと、F先輩の右手だ。しかも、それは積極的に一恵の左手に絡んできたのだった。

 ドキリとした一恵は、思わずF先輩の顔を見たが、F先輩もとぼけてるのか照れてるのか、まっすぐ前方ばかりに目を向けていた。

 よく考えたら、一恵の方の考え過ぎだったのかもしれない。特別な意味はなくて、F先輩は怖がっている自分の事を勇気づけてくれる為に、ただ手も握って歩いてくれようとしているだけなのだ。普通はそんなものではなかろうか。

 一恵は何となく、一人で納得したのだった。

 ドキドキしながらも、彼女は、相手の大きくて、温かい手を握ってみた。すると、相手も優しく、一恵の手を握り返してきたのだった。

 一恵は、何とも幸せな気持ちに包まれた。この時間が永遠に続けばいいのに、とすら願いかけた。

 さっきまで、あれほど、この坂の事を怖がっていたくせに、全く、女と言うのは現金なものである。

 坂を歩いている最中、F先輩は時々気遣うように一恵にたわいもない事を話しかけてきてくれたが、一恵の方は左手にすっかり神経が集中してしまい、身も心も興奮した状態で、上の空だった。なんとも、少女の純愛とは、くすぐったくなるような微笑ましさなのだ。

 やがて、二人は坂を登り終えた。

 F先輩は、静かに一恵のそばから離れた。一恵の方は、手も離したと言うのに、まだ夢心地に浸っているようだった。

「じゃあ、オレはここで帰るから。あとは、明るい道ばかりだから、一人でも怖くないだろ?」

 そう言って、F先輩は右手を振って、一恵にさよならしようとした。

 その時、一恵は、F先輩が右手に包帯を巻いていた事に気が付いたのだった。今までは、暗くて、よく見えてなかったのである。

「あ、あの、先輩。その包帯は?」

 恐る恐る、一恵はF先輩に尋ねた。

「これかい?昨日、部活の最中にドジって、ケガしちゃったんだよ。かっこ悪い話だよな」

 F先輩が照れ臭そうに頭をかいた。

 でも、一恵がさっきまで握っていた右手には、どこにも包帯など巻かれていなかったのである。あの手は、一体、誰だったのだろう?

 

  初出/共幻文庫短編小説コンテスト2015 第11回 お題「手」(原題「帰り道」)

 

    2

 その時、徳一は地獄の海の中であがいていた。

 比喩で、そんな言い方をしているのではない。本当に地獄の海としか呼べないような場所だったのだ。

 空はどす黒く曇り、怪しい鳥が沢山飛び回っている。周囲に陸とおぼしき場所は見当たらず、水も気味悪く濁っていて、激しく荒波が立っていた。とても現実世界の光景とは思えない。

 そんな場所で、徳一はあっぷあっぷと顔を浮き沈みさせながら、溺れていたのだ。

 なぜ、こんな事になったのだろう。徳一には理由がさっぱり思い出せなかった。しかし、もしここで完全に沈んでしまえば、きっと自分は間違いなく死んでしまうであろうと、それだけは本能ではっきりと分かったのであった。

 徳一は、生きる為に必死に体を動かしたのだが、それでも状況は大変に不利だった。薄汚れた周囲の水は、実は海水ではないのか、あまり浮力がつかなかった。徳一の体は、少し油断すると瞬く間に下へと沈みだしてしまうのである。

 こんな状態が長く続くうちに、徳一の意識も体力もじょじょに低下しだした。事態はいよいよもって危うくなってくる。

 頑張っても、徳一は頭を水面上に出し続けるのが本当に難しくなってきて、体はどんどんと水の底へと沈み始めた。

 このままではまずいと感じた徳一は、思いっきり右手を上へと伸ばした。

 そこで、不思議な出来事が起こったのである。

 絶対に他に誰もいないと思われるこの場所で、伸ばした右手の先が何か人間の手のようなものに触れたのである。

 まさに、救いの手であった。

 疑問を感じる余裕もなく、徳一は迷わずその手を握った。どうやら、屈強な男の右手らしかった。

 何者の手かなんて、詮索しているどころじゃない。その手に引っぱり上げてもらおうと、徳一は必死にしがみついたのだ。

 しかし、その手の反応は冷たかった。徳一の事を持ち上げてくれるどころか、ひどく拒絶的で、しきりに徳一の右手を振り払おうとしてくる。全然、救助の手などではなかったのだ。

 あまりに激しく、その手が逃げようとするものだから、徳一もそれ以上、掴まり続ける事もできなかった。

 とうとう、徳一はその手を放してやる事にしたのだが、困っている相手に対して、これほど反発する手の態度はあまりに不愉快だった。

 そこで、相手の手が強引に徳一の手を引き離そうとした時、徳一の方もちょっと仕返しのつもりで、相手の手を強くひねってやったのである。

「ぎゃあああっ」

 と、手の持ち主らしき男の声が聞こえてきた。

 いきなり手をひねられて、さぞ痛かったのだろう。捻挫ぐらいはさせてやれたかもしれない。

 徳一としては、ちょっとしたザマーミロな気分なのである。

 しかし、徳一の方もまた望みが無くなってしまったのだった。

 相変わらず、体は沈んでいく一方である。このままでは、やはり自分はここで溺れ死んでしまうのであろうか。

 意識が薄れてゆく中、徳一はわずかな望みをたくして、もう一度、右手を上へと伸ばしてみた。

 すると、またもや右手に誰かの手が触れたのである。

 今度は、温かい女性のものらしき左手だった。その手は、徳一の手が触れると、最初はためらいがちだったが、やがて、しっかりと握り返してきてくれたのだ。

 今度こそは本当の救いの手だ、と徳一は直感的に悟った。

 相手の手は決して力を入れていた訳ではなかったが、何とも愛情いっぱいに徳一の手を掴んでくれていて、この手を握っているだけで沈んでいくのが引き止められ、徳一の心にも深い勇気と希望が湧いてきたのであった。

 この調子なら助かるかもしれない、と徳一もぼんやりと思った。

 その状態で、徳一の意識は次第に薄れていったのだった。

 気が付いた時、徳一は病院の個室のベッドの上に横たわっていた。

 まわりを見渡すと、そばには妻が心配そうに付き添っていて、自分も点滴を受けており、体のあちこちに包帯が巻かれていた。

「あなた、気が付いたのね!」

 と、妻が嬉しそうに大声を出した。

「オ、オレは一体・・・」

 目覚めたばかりの徳一はボソボソとつぶやいた。

「あなた、交通事故にあったのよ。ほら、通学路の途中に少し気味の悪い坂があるじゃない、あそこで轢かれて。今まで、ずっと昏睡状態だったのよ。このまま、意識が戻らないんじゃないかと心配したわ」

「そ、そうか」

 と言う事は、今まで目にしていた、あの不気味な海のような場所は三途の川だったのであろうか。

 そんな時、外からドアを勢いよく開けて、娘の一恵が急いで病室の中へと入ってきた。中学校から慌てて駆けつけてきたのか、学校の制服を着たままだ。

「パパ、大丈夫?良かった!目が覚めたのね!」

 そう嬉しそうな声をあげながら、泣きそうな顔で一恵は徳一に飛びついてきた。

 一恵に右手をしっかり握られて、徳一はハッと気が付いたのである。

 ああ、この感触、この優しい温もり。あの時、オレを地獄の川から救ってくれた小さな手はこの手だ、と。

「パパ、どうしたの?」父親の微妙な表情の変化に気が付いて、一恵はきょとんとそう言った。

 そうか。この子のおかげでオレは助かったんだな、と感慨深い思いにふけりながら、徳一も不思議な気持ちで娘の事を眺め続けたのだった。

 

    3

 福山は、陸上部のエースである。自分が校内の女生徒たちの憧れの存在であった事も、本人はそれとなく気が付いていた。

 だからこそ、どんな場所でもかっこ悪い姿だけは見せられないのだ。

 今日は、陸上部の自主トレの日だった。わざわざ、自分の練習している姿を見るため、グラウンドに顔を出している生徒もいるようなので、なおさらダラケているところとかは見られる訳にはいかないのだ。

「お前なら必ず県大会に出場できる」と、顧問の先生は言ってくれていた。

 福山自身も、当然そのつもりであった。

 これから、100メートルを走って、記録を計るところである。できれば、自己記録を更新したいと福山は考えていた。

 コースのスタート地点に立つ。クラウチングスタートのポーズをとった福山は、静かにスタートの合図を待った。

 大きく銃の音が鳴り響く。

 同時に福山は走り出した。

 なかなかの好調な走り出しである。これなら、自己新記録が出せるかもしれない、と福山は思った。

 しかし、その時だ。突然、右手に激しい圧迫感を感じだしたのである。まるで誰かに強く握られているかのような感覚だ。走っている最中だと言うのに、急に肉離れでも起こしてしまったのだろうか。足ではなく手が肉離れすると言うのもヘンな話ではあるが。

 右手の痛みを感じつつも、ここで走るのを放棄する訳にもいかなかった。福山はそのまま走り続けた。傷みを紛らわす意味で、右手を大げさに振りまわしながら。

 だが、次の瞬間だった。今度は、右手にひねり上げられたような激痛が走ったのである。これには、福山もたまらなかった。

「ぎゃあああっ」と、彼は叫んだ。

 そのまま、彼は急停止して、勢いあまって転がり倒れた。

 全く、何が起きたのやら。その後すぐ、右手には保健室で包帯を巻いてもらったものの、福山にはさっぱり理由が分からなかった。

 

     了


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「あいつ」

 あいつの姿は、どうも、主人には見えていないらしい。

 その坂は、夜になると、お化けが出てくると言うウワサがたつほど、暗くて、淋しい場所だった。この坂を通るたびに、私と主人はあいつに出くわしていたのだ。

 主人が気に掛けていない以上は、私もあまり、あいつの事で過敏になる訳にはいかなかった。あくまで私の方が、主人のパートナーだったからだ。

 とは言え、それをいい事に、あいつの行動はどんどん大胆になっていくようにも見えた。

 はじめて、あいつと出会った頃は、あいつも遠巻きに私たちの方を眺めていただけだったのである。しかし、会うたびに、あいつは確実に私たちのそばへと近づき始めていた。

 あいつの顔だって、なんだか、挑発しているような笑っている表情に見える。明らかに、あいつは、私たちに対して、何らかの悪意を抱いていたのである。

 最初の頃こそ、なんとか無視し続けていたものの、あいつがとうとう私たちの目の前にまで現れて、私たちの周囲をからかうようにうろつき出した時は、さすがに私も落ち着いてはいられなくなってきたのだった。

 主人の目には可視できないと言う事は、あいつと接触しても、実際には何の悪影響も受けないと言う事なのだ。でも、私には、あいつの姿ははっきりと見えているのだから、逆にタチが悪かったのである。

 ある時など、あいつは、いきなり私の前にと立ちふさがった。この時は、あまりに突然だったので、私もびっくりして、思わず踏ん張って、立ち止まってしまったものだ。おかげで、私の手綱を握っていた主人には、よけいな心配をさせてしまったようである。

「おいおい、どうしたんだよ」

 と、その時の主人はぼやいていたが、私と主人は元から話を交わす事ができない。私は勝手に立ち止まってしまった事を主人に詫びる事も出来なかったし、あいつの存在を主人に説明する事も叶わなかったのである。

 いよいよもって、あいつの行動は図々しくなってきた。

 私も、あいつとぶつかっても何も起きない事をはっきりと認識して、あいつの事は必死に無視するようにし続けたのだが、それを承知で、あいつの挑発行為もさらに度が過ぎたものに変わっていったのだ。

 私と主人が坂を通る時は、あいつは必ずまとわりついてきた。私の周囲で、うるさく動き回るのである。

 いっそ踏みつけてしまいたいところだったが、こちらからあいつに触れても、空気のようにすり抜けてしまう事は、すでに何度か体験して分かっていた。

 それでも、とうとう、私の堪忍袋の緒が切れてしまうような出来事が起きてしまったのである。

 その日も私は、主人と一緒にその坂を渡っていた。例によって、あいつは現われ、私のそばに寄ってきたのだが、私はいつものように無視するつもりでいた。

 ところが、次の瞬間、あいつは私の上へと飛び乗ってきたのである。

 あいつに、それだけの俊敏さと跳躍力があったとは、私もその時はじめて知った。そして、同時に、ものすごく腹立たしい思いが私の内から湧き上がってきたのである。

 なぜ、私があいつを乗せてやらなくちゃいけないのだ。あいつはこのまま、坂を通り過ぎるまで、私の上に乗っかっているつもりなのだろうか。

 あいつときたら、私の上にふんぞり返って、これまた、憎々しいほど意地悪い笑みを浮かべている。

 ええい、放せ!ここから、降りろ!

 耐えきれなくなった私は、見境がつかなくなって、大切な主人をも引きずり回してしまう事も理解していた上で、ついには暴走をはじめてしまったのだった。

 

「何が起きたかですって?そりゃあ、こっちが聞きたいですよ。急に車が勝手に走りまくったんです。ブレーキを踏んでも、ハンドルを回しても、ぜんぜん思うように動かない。さいわい、大事になる前に止まったからいいようなもので、こんな事、長いこと車を運転してきたけど、はじめてです。車が故障したんでしょうかね。でも、あの坂を過ぎてからは、全く正常に戻ったんですよ。修理にも出してみたけど、どこにも故障は無かったって。あの坂では、前から車の調子がおかしくなる事が、よくあったんです。あの坂、お化けが出るって言うウワサがあるんだけど、まさか、そのせいじゃないでしょうね?」

 

      了


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「笑う幽霊坂」

 その坂は、夜になると、お化けが出てくると言うウワサがたつほど、暗くて、淋しい場所だった。

 そんな坂を、私は妻と一緒に真夜中に歩いていた。夏の日の特に暑かった夜の話だ。

 静寂の中、鳥だか獣だか分からない生き物の不快な鳴き声だけが、やけに耳障りに聞こえ続けていた。どのように不快なのかと言うと、何だか人間の笑い声みたいな鳴き声なのである。それも、狂ったような笑い方なのだ。

「何が鳴いてるのかな」あまりにも気持ちが悪いので、私は思わずそう口にした。

「何のこと?」と、妻が私に訊ねた。

「お前にも聞こえているだろう。まるで人が笑っているみたいな鳴き声が」

「そうかしら。私にはそうは聞こえないけど」

「もっと耳を澄ましてごらん。絶対、笑い声に聞こえるよ。一体、何の動物なんだろう」

「まあ、うるさいのは確かね。発情期の鳴き声なのかしら。でも、笑い声には聞こえないわよ」妻もなかなか強情なのだった。

「カワセミが笑い声っぽく鳴くって話は聞いた事があるけど」

「バカねえ。それはワライカワセミの事よ。日本にはいないわ」

 妻の美来はたびたび、私の事を見下したような態度をとる。そのへんもあまりカワイくないのだった。

「もしかすると、お化けの笑い声かもしれないぞ」さりげなく、私は言ってみた。

「お化けですって」妻が呆れたような顔になった。

「そうさ。この坂にはお化けが出るってウワサがあるんだ。それなら、地獄から舞い戻った幽霊が笑っている可能性だってあるだろう」

 妻は鼻でせせら笑った。

「あなたって、つくづく子どもね。お化けなんて本当にいるはずがないじゃない。全く、話にならないわ。そんなもの、世の中のどこにいると言うのよ」

「お前がその幽霊なんだよ!」

 私は大声を張り上げて、いきなり妻の首を両手で絞め上げたのだった。

 私の突然の行動に、さすがに妻も驚いたようである。

「な、なにするの。すぐ暴力をふるうなんて、男ってほんとに最低よ!」もがきながらも、妻はなおも私を侮蔑する言葉を吐き続けた。

「お前は死んだんだよ!オレが殺したんだ。忘れたのか!」私は怒鳴った。

 そうなのだ。あの時も、美来があまりにも私の事を見下し過ぎるものだから、つい衝動的にカッとなって、私は彼女の首を絞めてしまったのだった。気が付くと彼女は死んでいたが、死体を上手に始末する事で、美来は行方不明扱いとなり、私が警察に疑われる事はなかった。

 美来は、そんな私の事を恨んで、化けて出てきたのだろうか。この坂の魔力を借りて。

 再び殺されかけている妻は、苦しそうでも、私の事をあざ笑うのを止めようとはしなかった。いや、笑っていたと言うより、断末魔のうめきが嘲笑のように聞こえていたのだ。彼女の笑い声は、彼女の体を離れ、周囲全体へと広がっていくようにも感じられた。

 あの不気味な動物の笑い声もまだ続いている。妻と動物の笑い声が重なり合っていた。いや、全く同じものだったと言ってもいい。あの動物の笑いは、実は妻の声だったのだ。それで、私はよけいにこの鳴き声に心をかき乱されていたのである。

 響き渡る哄笑の中で、私の腕にはどんどん力が入っていった。私が我にかえった時には、妻の体はすでにぐったりとしていた。私が手を放すと、妻はそのまま地面へとゆっくりと倒れたのだった。

 私は、落ち着いて、足元に転がっている妻の顔を見直してみた。この女、美来ではない。私の今の妻の過子であった。

 私は、美来を殺したあと、この過子とすぐに再婚したのである。

 これはまた、どうした事であろうか。

 気味の悪い鳴き声に神経を逆撫でされて、私は錯乱状態に陥り、うっかり過子を幽霊と見間違えて、またもや盲目状態で殺してしまったのかもしれない。

 何だか、とんでもない事態になってしまったようである。だが、悲しんだり、後悔している余裕もなさそうだった。

 まずは、過子の死体を、誰かに見つかる前に片付けた方が良さそうである。

 私は軽く周囲を見回してみた。人影はいっさい無い。

 私は慎重に死体を背負ってみた。この坂の途中に置きっぱなしにしておく訳にもいかなかったからである。

 こうしてオンブしていれば、人に出会っても、具合の悪い妻を介抱しているのだと言って、ごまかせるかもしれない。とにかく、死体を捨てるのは、この坂を離れてからでなければ難しそうだ。

 私は、死体を背負ったまま、静かに坂を下り始めたのだった。

 こうして過子をおぶってみると、彼女の体が意外なほど軽かった事に気付かされた。彼女は、元グラビアモデルであり、結婚したあともずっとダイエットを続けていたのだ。彼女の体の線が異常なほど細く、生前は体重についても絶対に教えてくれなかったのだが、それをこんな形で知る事になるとは、全く皮肉な話だった。

 私が殺人の証拠隠滅に躍起になっている最中も、あの不気味な笑い声はしきりに聞こえ続けていた。今となっては、その笑いも、愚かな私の事を本当にせせら笑っているようにも感じられたのだった。

 やがて、私は坂を下り終えた。

 いったん、過子の死体を地面におろして、休む事にした。

 だが、そこで、私はあっと驚く事になったのだった。

 地面に置いてみて、ようやく気が付いたのだが、私がおぶっていたのは、なんと狐の死骸なのであった。

 道理で、人間にしては、軽かったはずだ。

 なぜ、私はこんなものをおぶっていたのだろう。私は妻を殺したのではなかったのだろうか。

 私は、困惑しつつも、狐の死骸をもう一度、よく観察してみた。大型の犬ほどの大きさで、まだ死後硬直はしておらず、皮膚には温もりも残っている。首筋には、絞められたのではなく、タイヤに轢かれたらしき跡が見つかった。どうやら、あの坂で車にはねられた野生の狐らしかった。

 なんだか、言葉どおりの、狐につままれたような気分である。

 その時だ。私に声をかける者がいた。

「ねえ、あなた、何してるの?」

 声の方に振り返ってみると、そこにいたのは妻の美来だった。

 よくよく考えてみれば、私は、高慢ちきな美来に対して日頃から殺意は抱いてはいたものの、実際に殺したりはしていなかったのである。

 では、たった今、私が経験してきた事は、何だったのであろう?現実ではなく、これから起きうる出来事の予知幻視みたいなものだったのだろうか。確かに、この坂は、過去と未来が交錯している魔性の場所であるらしい。

「あなた。その足元にあるものは何?」美来が再度、訊ねてきた。

「ああ、これかい。散歩の途中で見つけたんだよ。車に轢かれた狐の死骸だ。野ざらしにしておくのも可哀相だから、お墓でも作ってやろうかと思ってね」私の口からは、適当なでまかせがすらすらと出てきた。

「そんなもの放っとけばいいのに。あなたって、ほんと、変わってるのね。ところで、もう散歩は終わったの?」

「うん」

 私は、寝付かれないから夜の散歩をしてくると言って、先ほど外出したのだ。しかし、本当はそれは、浮気相手の過子と会ってくる為の口実に過ぎなかった。

 美来は、疑った目つきで私の方を睨んでいる。もしかすると、彼女はすでに私と過子の関係に勘づいていたのかもしれない。

 そんな時、また、あの不気味な動物の鳴き声が聞こえてきたのだった。ひょっとすると、この鳴き声は、大事な連れを車の事故で失った別の狐が、悲しみから吠えていたものだったのではなかろうか。しかし、私には、この吠え声は、女の笑い声にしか聞こえないようなのである。そして、この鳴き声が聞こえると、私の神経は異常に高ぶり、頭もズキズキと痛んできて、意識が混濁し、記憶も曖昧になってくるのだった。

「ねえ、あなた、私もちょっと散歩をしたいな」と、美来が私に話しかけてきた。「それで、私も外へ出てたのよ。どう、一緒に歩かない?」

 妻の目は、私が今下りてきた坂の方に向けられていた。彼女は、私に対して、この道を引き返せ、と言ってるようだ。

 でも、今ここで妻とこの坂を上ったりすれば、自分は本当に彼女を殺してしまうかもしれない、と私は思った。

 

    了

 

  初出/共幻文庫短編小説コンテスト2016 第1回 お題「笑い」


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最終更新日 : 2019-10-15 08:55:32

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「恨みの短冊」

 その坂は、夜になると、お化けが出てくると言うウワサがたつほど、暗くて、淋しい場所だった。

 他には全く人影もないそんな道を、なぜ私が歩いていたのかと言うと、友人に無理やり付き合わされたのである。その友人は、小柄で、やや猫背であり、少し不気味な印象の男だった。

「ほら、あの電柱ですよ」

 と、その友人は、坂の途中に立っている電柱を指さして、言った。

「まあ、見たら驚くから。本当にたくさん貼ってあるんですよ」

「でも、はじめて聞いたな。そんな都市伝説があったなんて」

 私は言った。

 友人の話では、この坂にあるその電柱に恨み言を書いた紙を貼っておくと、その願いが叶うのだと言う。なんとも気味の悪い噂だが、ワラ人形の現代版とでも考えてみたらいいのかもしれない。

 夜だったら、とても怖すぎて、そんなものを眺めに行く気にはならなかっただろう。しかし、昼間の今でも、雨が降りそうな曇り空だった為、周りは十分に薄暗く、恐ろしげな舞台演出はしっかりと整っていたのだった。

「ごらん、見えるでしょう。こんな離れていても、貼ってある紙が分かるぐらいなんだから、呆れちゃいませんか」

 友人が、さらに言った。

 電柱はまだ5メートル以上先にあったのに、確かに、その表面には多数の紙が貼られているのが分かったのだった。遠目だと、お店の宣伝の紙のようにも見えなくもなかったが、実際には、その全てが恨みの書かれた紙だと言うのだ。

 私たちは、電柱の前にまでたどり着いた。

 友人は、すぐさま、貼られていた紙の一枚をバリッと剥がした。

「ほうほう、夫の浮気相手の××を殺して下さい、か。この手の願い事が多いんですよ」

 友人は、書かれていた内容に目を通すと、せせら笑いながら、その紙をすぐクチャクチャと丸めてしまった。

「残念な事に、この都市伝説には、もう一つのルールがあるんです。願いが成就する為には、一週間以上、恨み事を書いた紙がこの電柱に貼られている事。この浮気相手を殺してほしい人は、三日前に、この紙を貼り付けたらしい。気の毒ですが、願いは却下みたいですな」

 そして、友人は、他の紙も片っ端から剥がし始めたのだった。

「君は、いつも、この紙を剥がしに来ているのかい」

 私は友人に尋ねた。

「まあね。五日に一度ぐらいの割合で。こんなものが貼られ続けていたら、みっともないでしょう。だから、可哀相だけど、せっかく紙を貼り付けた人でも、願いが叶った成功者はまだ一人もいない訳だ」

 友人が言うには、恨み事を書いた紙には、それを貼り付けた日付も書かれてあるらしい。その日から一週間後、紙を貼った人物は、まだその紙が残っているか確認に来るそうなのである。想像すると、これはこれで、嫌な光景だ。

「中には、紙が剥がされないように、わざわざ高い場所に貼る人もいます。でも、そんなのは逆に目立って、ムダな努力なんですな」

 友人は、長い竿のような道具も持ってきていた。それを使って、電柱の上の方に貼ってある紙も次々に剥がしていくのだった。

「おや!」

 と、友人がいきなり素っ頓狂な声を上げた。

「この恨み紙、一週間たっちゃってますよ。私とした事が、うっかり見落としていたようだ」

 友人は、一枚の紙を片手に持ったまま、私の方へ怪しい笑みを浮かべてみせた。

「どれどれ、どんな恨み言だったんでしょうね。なになに、この坂で私の息子を轢いた犯人に天罰を与えて下さい、だって」

 それを聞いて、私はギョッとした。

 その犯人とは、私の事である。私は、半年前に、ここで一人の幼児をひき逃げしたのだ。急いで逃げたので捕まらなかったのだが、のちにテレビのニュースで知った話によると、そのはねた子は、今でも意識不明の重体なのだと言う。

「そ、その願いは実現するのかい?え、えーと、・・・くん」

 私は、友人の名前を呼ぼうとしたが、名前が出てこなかった。そもそも、私には、こんな友人はいなかったのである。

「叶えてあげなくちゃダメでしょうね。なにしろ、そういうルールなのですから」

 友人、いや、謎の男は言った。

 私は、この男に不思議な力でおびき寄せられたのだ。そして、こんな所に連れてこられてしまったようなのである。

「あんたが、なぜそんな事を言える?あんたにそんな権限があるのか?」

 私は怒鳴った。

「ありますよ。だって、私は、この電柱なんですから。願いを叶えてあげるのは当然でしょう」

 そう言って、男は、私への恨みが書かれた紙をぺたりと電柱に貼り戻したのだった。

「でも、そこまで義理を通してやる必要は無いじゃないか!」

 私は必死に訴えた。

「いえ。悪いけど、あなたには私も恨みがあるんですよ。ほら、例の子どもをあなたがはね飛ばした時、その子が私にぶつかってきましてね、私の体にも深い傷がついちゃったんです。命までは取りませんが、この代償は大きいですよ」

 男が目を向けた先では、確かに、電柱の胴体部が深くえぐれ、醜い傷跡となっていた。

 そして、その男が少し移動すると、その姿はまるで電柱と重なるようにスッと消えてしまったのだった。

 私は動揺した。

 とにかく、こんな不気味な場所からは急いで逃げるべきである。しかし、あの気味の悪い恨みの紙だけは放っておく訳にはいかない。

 私は、素早く電柱のそばに走り寄り、例の私への恨み事が書かれた紙に手をかけた。

 しかし、その時だった。

 空でピカッと稲光りが輝いた。

 もの凄い轟音とともに、すさまじい雷が電柱を直撃したのは、その次の瞬間だった。

 

    了

 

 

  初出/共幻文庫短編小説コンテスト2016 第2回 お題「復讐」


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最終更新日 : 2019-10-15 08:55:32


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