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 結論を書けば、「秩序は人々に共通する感覚から決めるもので、自分に有利になるように決めるものではない」かな。
 もしも自分の欲望を満たすために決めたのなら、他人が自発的に従う理由がない。愛がない。
 だから、力による支配ではなく、神聖さへの回帰であるべきだとわたしは思う。
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 広くいえば哲学や宗教であり、道具としてはタロットや占星術から、秩序を形成していく。
 日本に生きているからこそ、西洋で生まれ育った占いツールから、共通性が紡ぎだせるのだと思う。
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 日本人なら、日光をありがたがって日の出を拝みたくなったり、何百年も生きている木々が生えた森を見て偉大さを感じたりする感覚があるだろう。
 「神=自然」とするなら、広大なる宇宙も、木々も、魚や獣たちも、動物である人間さえも神の一部であり、聖なる存在だ。
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 「生まれて、出会って、子孫を残して、死ぬ」というサイクルが、神の意思なら、与えられた寿命を生き抜く責任がある。
 でも、それは木々や獣たちも同じだから、「他を圧しても人間だけ生き延びればいい」とはならない。
 だから神である自然の形を変えられるほどの力を持った人間には、「国土保護」という義務がある。
 他国から自国を守るだけでなく、人間自身から守る必要がある。
 次に求められるのは、「子孫繁栄」だろう。
 子どもを守り、育て、自活して、やがて守る側になる。
 最後にあげるとするなら、「先祖供養」だろう。
 命を与え、環境を整えてくれたことに対する感謝とともに、死後の自分の扱いを先祖の存在に見るだろうから。
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 同じ暮らしを受け継ぐ生き方を選ぶと、経験を積んでいることに尊敬の気持ちが生まれる。
 動けなくなっても知恵袋としての役割が期待される。
 また、生まれたときから、自分を知っていてくれる特別な存在として、生きているだけで意味があるものとなる。
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 つまり、「国土を守り、子どもを育てる=父母役をする=神聖なこと」となる。
 山を育て、木材を作り、家を建てるのは、主に男たちの仕事になるだろう。女が入ってはいけないわけではないが、希望者は少ないだろう。
 田畑を育て、食料を確保するのは、男女どちらの仕事にもなるだろう。
 給食や育児や医療など、生活環境を整えることは、主に女たちの仕事になるだろう。なぜなら、女の数の方が多くなることが想像されるからだ。
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 彼らは、「国土保護」「子孫繁栄」「先祖供養」をしているから聖なる存在となる。
 「保護区=聖」という考え方が成り立つ。
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 「卒寮」という資格があって、「保護区に住民登録している人」しか入れないから「聖域」となる。
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 林業と農業だけでは、必要なものを揃えることができない。
 工業が必要になる。
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 保護区を支えるための工業は、管理区で行われる。
 大量生産の利点を生かすためには、同じものを使ってくれる人たちがいる。それが、保護区の聖なる人々だ。
 しかし、制服はダサくはない。奇抜でもない。誇りを持てるようなベーシックなものだ。
 素材は、国内で生産できる麻や綿に限られる。色は白。特別な地位にある人だけ特注で赤とかはあり。
 道具にも同じことが言える。ハイスペックではないが、熟練した技術を用いた、使いやすくて便利なものだ。
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 自由区で活躍するデザイナーが、制服のデザインをするのはありだ。
 宣伝効果があるし、名誉があるから、望む人は多いだろう。でもデザイン料は払われない。「聖なる存在への奉仕」となる。
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 管理区の工業の主な労働者は、13歳から15歳の子ども。
 これを徴労制という。
 入寮して、働き、勉強もする。
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 ついてこられなかった人は、「弱者」の烙印を押されて、保護が認められる。
 管理区で集団生活をしながら、軽作業をすることになる。
 軽作業さえできないなら、生きること自体が仕事になる。
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 制約を受けるのが嫌なら、弱者であっても、自由区に行って好きに暮らしていい。
 失敗しても、管理区の集団生活に戻ることならできる。
 しかし、保護区には入れない。
 なぜなら、保護区は、自然を保護することが目的だから、役割を果たせない人は入れることができないからだ。
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 年老いて働けなくなっても、保護区から追い出されることはない。
 ちょっとの助けで生活できるなら、働くことを免除されて、人々を見守ったり、仕事の相談にのることが役割になる。
 看護が必要なら、保護区の医療設備は充実していないので、管理区に移ることになる。
 でもたぶん、よほどの事情がない限り、保護区で生きた人は、保護区で死ぬことを望むだろう。
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 成績優秀者は、工業の管理運営や技術者、研究者として管理区に残ることができる。
 卒寮した彼らは、管理下には置かれない。自由区で暮らしてよい。
 その数はけっこうあって、自由区での生活産業が成り立つくらい。そこで地方都市ができる。
 地方都市は海外には開かれていない。
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 「東京、横浜、名古屋、大阪、博多」の5都市だけが、外国人にも開かれている。
 基本的に全土に広がる保護区は「鎖国」だけど、許可を得れば、外国人が監視つきで保護区に入ることもできる。
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 鉄道や高速道路や空港や港などの交通施設や、研究施設、工場、子どもたちの住む寮、保護されている人の住む寮などしか、管理区にはない。
 政府の管理下にある、特別な地域だ。
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 政府機関は管理区にあるが、基本的に、自分たちのことは自分たちで決める自由がある。
 当事者が決める。
 全体のことは、各機関で意見を整理して、代表者が代表意見を言い、最後はみんなで決める。
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 保護区は、小さな集落を作って、それを交通網で結んで、生産物のやり取りをしている。
 目安は300人くらい。
 15歳以下の子どもには発言権がないから、16歳以上になったら会合に参加して、意見を言うことができる。
 そこででた意見をまとめて、全体の会合で発表する。
 青年会、婦人会、老人会みたいな集まりがあって、その代表が話す全体会みたいのがあるかんじ。
 全体会の代表者が、さらに大きな集まりに出て、を繰り返していく。
 昔ながらの日本的民主主義を再現する。
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 自由区の場合は、保護区を維持するためのお金を出した人が強い発言権を持っている。
 一般の人々は、どの自由区で生きるか選ぶことが、意思表示となる。
 商売をしていて、簡単に移動できない商人たちは、自分たちの代表者を送り込むことで意見を通そうとするだろう。
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 国全体は「国土保護」「子孫繁栄」「先祖供養」という三大柱が一番上に来る。
 愛が中心となる自律的な世界。
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 その「絶対的制約」を解除し、「自由を与えられた区域=自由区」は、俗世間。
 金と力がモノをいう。
 「力=才能」で、犯罪者や外敵に対する武力も含む。
 「商売繁盛」「心願成就」「立身出世」が目指される。
 趣味的産業が認められる、個性が尊重される世界。
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 音楽とか、お芝居とかは、自由区にしかない。
 ネットで見ることはできるけど、実際に会場に足を運ぶことは、自由区の住民しかできない。
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 小説家とかもそう。自由区にしかない。
 なぜなら、芸術は、国ではなく、好きになった人が支えるほうが自然だから。
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 多くても、少なくてもいい。
 誰からの支持を得られなくて、他に仕事を持ちながら続けるのも悪くない。
 でも、それを「国」として保護対象にするのは、違うと思う。
 伝統芸能をどうするかは難しい問題だが、映像として資料を残せるのだから、誰も支持者がいないなら途絶えてもしょうがないと思う。
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 なぜそうするか?
 「わたし、アイドルになりたい」という人が増えても困るからだ。
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 国の父母として生きることを聖とするのは、他人に関心を持って愛情を注ぎ、環境維持のために我慢をすることは辛いことだからだ。
 分かりやすく言えば、「自ら働く王さまたち=聖」というイメージ。
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 自分の才能を活かして、思うままに生きられたら、それが一番楽しいだろう。
 でも、それをする人ばかりが増えたら、国が滅びてしまう。「秩序」が形成されず、「弱者」が守られない。
 大もうけして、多額の税金を納めることで、貢献しても、田舎や都会の荒廃を食い止めることはできない。
 荒廃を食い止める人材こそ、聖であり、尊敬されるべきなのだ。
 自由気ままに楽しく生きる人間は、俗となる。憧れて目指すのは自由だが、多くの人にとって叶わぬ夢なのだから、帰るべき場所が必要ではないか。
 それが、聖なる保護区だ。
 卒寮していて、働くことができれば入ることができる。
 しかし、動けなくなってから入ることはできない。
 役目を持つことが求められるからだ。
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 自分の世界を築くのもすばらしいけど、自分が暮らす保護区のために尽す生き方もすばらしいと思う。
 でも今は、「聖なる存在」がなくて、「才能次第」だけがある。
 「何のため=自分」という部分しかないし、「みんな」を対象に考えようとしても、「自由選択を尊ぶ」という壁にはばまれてしまう。
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 「する」だけでなく、「してもらう」という部分がないと、交流が成り立たない。
 飛びぬけたアイデアで、一番になることは確かにすばらしい。
 「好きなものを選べる」も楽しい。
 しかし、「成長を期待しつつ見守り、その人の仕事を受け入れる」がなければ、「誰にでも仕事がある」という状態にはならない。
 保護区では、誰でも受け入れる代わりに、選択はできない。節制が求められる。
 だからこそ、聖なのだ。
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 聖なるものは、尊ぶから守られる。
 尊ばなければ、滅びる。
 聖と俗が争ったら、俗が勝つ。
 俗が勝った今は、虚しさしか残らないだろう。
 だから、もう一度、何が聖なのか、何故聖なのか、明らかにして定め、守る必要があるのではないか。
 これは占い師としての意見だ。
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 縦方向で言ったら、
  保護区・管理区・自由区のどこかで生まれて親元で6歳まで育つ。
  7歳になる年に、保護区に集められて、林業・農業を学び、生活習慣を身につける。
  そして、13歳になる年に、管理区の寮に入って、工場勤務を経験する。
  16歳になる年に、卒寮して、保護区にもどるか、自由区に出るか、自分の意志で決めることができる。
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 7歳で保護区に入ると分かっているから、あとで辛くないように、一緒に精進料理を食べる親もいるかもしれない。
 今生の別れになるかもしれないし、いろいろ制約されるのだからと、好きなことをさせる親もいるかもしれない。
 保護区に入れないこともできる。どう育てるかは、親にまかされている。
 しかし、「卒寮」には「集団生活可能の証明」や「集団生活不可能=弱者として保護=社会福祉」という意味があるので、「寮に入れない」を望む親は少ない。
 自由区で商業的に大成功していて、子どもを跡継ぎにするつもりなら、保護区にも、寮にもやらずに、手元でエリートに育てるかもしれない。その子は将来、俗世間の王として自由区で強い発言力を持ち、一般人の前に君臨するだろう。でも、君臨するためには、別の世界も知っていた方がいいと思う親も多いのではないだろうか。
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 一般の人々は、聖なる存在として生きることをいいことだと思っているので、7歳で保護区に入れるだろう。
 そして、保護区が気に入って、卒寮と同時に戻って山男になろうと思うかもしれない。
 自由区に出て働き、お母さんになり、子どもと一緒に保護区に戻ることを選ぶかもしれない。
 衣食住が規定されていることに反発して、何度も逃げ出そうとする子どももいるかもしれない。当然、入寮はしないで、逃亡するだろう。
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 徴労制を拒否して、自由区に逃げ出しても、罰はない。
 その代わり、二度と保護区には入れない。
 管理区で保護されることもないし、管理区で働くこともできない。
 自由区でも、多くの人は卒寮の証明書を求めるので、雇ってもらえないだろう。
 でも、才能を生かして生き延びることはできるかもしれない。
 それは本人次第だ。
 たぶん、大都会の歓楽街に行き場所を求めることになるのではないだろうか。
 わたし自身は、聖なる存在として生きることをよいことだと考えているので、それを拒否して自由を選んで、どう生きるのか想像ができない。
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 子どもらしい子ども像としては、保護区を海外や犯罪者から守るため、自由区で活躍して、役立つ人になることを目指す。
 男性なら、仕事に生きて、自由区に残るのもいいだろう。家族とは、ネットでつながれる。
 女性なら、子どもを育てるために、保護区に入るのも悪くない。年に1度くらいは休みがあるので、夫に会いにいける。
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 自由区を知らないまま保護区に戻った人は、管理者より技術者を目指すことが多いだろう。
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 挫折した最初の「2173年、日本」シリーズでは、「ゲームで遊んだ人が賛同して、自然発生的に生まれる」という始まり方だった。
 そして、「保護区、管理区、自由区、無法地帯が現実にできたらどんなか?」を想像していったものだ。
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 でも、娘に無法地帯について「殺人や詐欺を認める世界を作るのか?」と聞かれて、「個人が代表者として管理しているのだから、そうはならないだろう」と答えたら、「それは無法じゃない」と言い返された。
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 一晩考えた。そして以下の結論に達した。
 「集団の力で必要を満たす=保護区」と「個人の力量で自活する=自由区」だから、どっちも「いいこと」だと思っている。
 それにしたいして、殺人や詐欺は「悪いこと」だと思っている。
 自分の力で勝負するのはいいけど、他人を利用するのは認めない。
 そういう意味でルールはあるから、無法地帯という名称はおかしい。
 娘が正しい。
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 そもそも、秩序は自然発生しない。定めた人間がいるはずだ。
 誰が決めたのか?
 ゲームがきっかけなら、ゲームの企画者である「真理絵」ということになる。
 つまり、作者のわたしだ。
 その認識が抜けているからうまくいかなかったのだと思う。
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 タロットカードの愚者は、放浪する自由な心だ。
 タロットカードの皇帝は、秩序を維持する権力だ。
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 「カンフーの達人になって、世界を旅したい」という夢は愚者で、「どこかにすばらしいものがある」と思うからだ。
 「どこでもいいなら、ここに好きな世界を作る」という夢は皇帝で、「どこにもないから自分で作ろう」という覚悟だ。
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 その二つが混乱していて、どちらがしたいのか、どうしたいのか、自分でも自分がよく分からなかった。
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 「楽園を描く」ということは、皇帝のカードの方だ。
 でも、力による支配ではなく、愛による自律性を重視したいと思っている。
 それは、保護区でも、自由区でも同じだ。
 皇帝より女教皇に近いかもしれない。分からない。
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 「金のため、人を支配するため」だけに動く人は、「俗」ではなく「俗悪」となる。
 聖なる存在である保護区を守るために、自由区は存在する。
 聖なる存在である保護区は、神である自然のサイクルを見守るために存在する。
 「聖」とか、「守護」とか、母的なものが女であるわたしの世界なんだと思う。
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 ドラゴンボールやワンピースを面白いと思っても、それはわたしの世界ではない。
 俗悪に対処する、力対力のぶつかり合いは必要だと思うけど、そこを書くことはできない。
 じゃあ、何が書けるのか?
 どう物語に仕上げるのか?
 それがさっぱり分からない。
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 でも、再構築するとしたら、「聖と俗」かなって思う。
 タロットと占星術の勉強を続けていたら、人物像が出来上がってくるかも。
 今は、こんなメモしか書けない。
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 もしかしたら、書かないまま終わってしまうかもしれない。
 だから、とりあえず、「お金の疑問」の続きである、「小さいブロックに分けたネットワークの具体例」としてここにまとめてみた。
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 「2173再構築」を、ブクログとブログ、どちらに載せようか迷った。
 「お金の疑問」もブクログに掲載しているし、物語として完成した話を載せるのはブクログの方だから、ブクログに載せることにした。
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 そうだなあ、「リアリティはないかもしれないけど、理想はある=神話」的な話にしたいと思う。
 長い話は苦手なので、短い話をいくつもかくかもしれない。
 やる気はあるけど、筆はすすまない!
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 「助けが欲しい」
 正直、そんな気持ちです。


この本の内容は以上です。


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