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大学生活

 寒い。自宅のマンションのドアは別世界に繋がっているのではないか。靴を履いて1歩踏み出せば、冷たい風が顔にぶち当たる。家の中のぬくもりは風とともに、どこか遠くへ飛ばされてしまった。冬休み前のテストが迫った12月半ば。僕は、いつも通り、大学に向かう。今日は2限からの授業だ。満員電車を避けられるので、電車内では、ゆっくり座って携帯ゲームが出来るぞ。僕は肩掛けバッグのチャックを少し開けて、中を確認した。クマのキャラクターのついたストラップは、ちゃんと中に入っている。僕は歩きながら、ほっと息をつく。登校前に何かを忘れていないか、確認する癖は中学生の頃から抜けない。疲れる癖だが、忘れ物をするよりは良いかもしれない。大学へは自宅から一時間ほど。電車の乗り換えが少し面倒くさいが、遠くもなく、近くもない距離だと思う。いつもの青いラインの入った電車を待つ。僕が好きなのはトイレが設置されている車両だ。腹が痛くなった時の地獄に、いつでも対処出来る。この時間は電車を待つ人もポツポツとしかいない。僕は足踏みをして冷えた体を動かした。

「1番線に津田沼行きの電車が参ります。お乗りの方はー・・・。」

駅員さんの声に目を上げる。僕は左側を見つめた。ホームいっぱいに大きな音を響かせて、電車が迫ってくる。いっそう、風が強く吹いて、僕の髪が舞い上がった。眉根をよせ、すぐに髪の毛をガードする。ささっと髪に指を通しながら電車に乗り込んだ。マスクをしている着膨れたオバさんの隣のシートが広く開いている。そそくさと席を確保すると、僕は携帯を取り出した。ゲームにログインして、アイテムを貰うのだ。毎日ログインしないとレアアイテムは手に入らない。ゆらゆらと揺られながら2つ目の駅で降りる。そこから電車を乗り換えて、また2駅。大学のある駅は僕の家の駅よりは少し大きいくらいで、JRの電車のみが通っている。つらつらと歩き、大学の駅の改札を出て、大学付近の小道に出ると、学校へ向かう生徒達の列が見えてきた。ぱさついた栗毛の女子生徒達、ダウンジャケットを着た眼鏡の男子生徒、パッチリとした目(マスカラたっぷり、ひじきのような睫毛)の背の高い女子生徒、ファンション雑誌に載っていそうな顔立ちで細身のパンツを履いた男子生徒。大きな手提げ袋を持って歩く先生達の姿も見える。定食屋の側を通り、花屋の前を歩く。店先にはポインセチアが、いくつか置いてあった。花屋の側の小さな薬局を抜ければ、大学につく。

「ゆうちゃん。」

 僕の左肩を誰かが叩いた。振り向くと、見慣れた笑顔が、そこにある。長髪でヒゲのくせに女顔の友人。

「おお、保ちゃん。おはよう。」

僕は保ちゃんと並んで歩いた。保ちゃんは、ゆっくりと歩くので、僕もそれに合わせる。

「ゆうちゃん、今日の英文法の授業、予習してきた?就活に集中してるから、宿題とか予習とか忘れちゃうよな。早く教室行って、やっておかなきゃ。」

「予習はしたよ。就活ねえ。何か面倒臭いな。エントリーシートの志望動機とか、わかんねえし。」

大学を卒業する前に死ねたらいいのに、という言葉を飲み込み、僕は溜め息をついた。死んでしまえば楽なものなのに、と最近よく思う。僕は乾いた枯れ葉を探して、踏みつけた。パキリ。

「面倒くさくても、やらなきゃだからなあ。志望動機は確かに辛い。お金が欲しいから、ってのが本音でしょう、志望動機なんて。結局さ、みんな、雇ってくれるなら何でも良いと思っている部分あるんじゃん?」

八重歯を見せて、保ちゃんは、へへっと笑った。笑うと目尻が、とろりとなるのが彼の特徴だ。

白い階段をのぼり、1番手前の教室に、一緒に入る。これが僕の日常。


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最終更新日 : 2016-04-04 16:52:56

何故こんなことに

 自宅の前、僕はポケットから鈴のついた鍵を取り出し、扉に、それを突き立てた。えぐるように、時計周りに、ひねる。ガチャンという断末魔が、ぬくぬくとした我が家に帰ってきたことを知らせてくれる。

「ただいま。」

静寂の中、僕の声が暗闇に溶け込む。キッチンも玄関も真っ暗なままで、足下が全く見えない。体をひねり、玄関に、つま先を向けた格好で靴を脱ぐ。他の靴を、いくつか蹴飛ばした。いつもなら夕飯の匂いが、漂ってくるはず。今日はキッチンを抜けた居間の方からチカチカと点滅する灯りだけが見える。向かってみると、テレビの前で母が正座をしている姿が目に入った。目を見開いて、テレビの画面を凝視している。グレーに陰った部屋にオレンジ色の夕日だけが明るく差し込んでいた。

「世界中で今、お金というものをなくそう、といった運動をしているグループがいる、ということは、ここ最近のニュースでも取り上げられていたことですが、まさか、こういったことが今日起こるとは誰が思ったことでしょう。」

短髪のリポーターがマイクを握りしめ、僕の見覚えのある銀行の前に立っている。自宅に1番近い駅の側にある銀行だ。銀行の隣のコンビニには週に何度か行く。

「藤崎リポーター、そちらの現場の様子は、いかがですか?」

「はい、現場は、まだ殺伐としており、緊張状態が警察とグループの間で続いています。グループの中には日本人だけでなく、外国人もちらほらと混じっているように見えます。」

【反貨幣制度グループ、銀行襲撃】というテロップが画面の右腕に出ていた。テレビによると、こうだ。今日、2020年の12月15日、一般市民と何人かの外国人が銀行を襲った。グループのメンバー達が言うには、世界をコントロールしているのは、お金であり、戦争もまた金儲けのために引き起こされ、自分たちは、お金に依存して生きているが故に、一部の支配層が作ったシステムから逃れられない、とのことだ。僕は最近、巷で噂になっている陰謀論のことが頭に浮かんだ。インターネットのあらゆるサイトで、そのことについて語られている。テレビに映っている銀行は僕の家の近くの銀行だが、"今この瞬間、日本中の、いや、世界中の銀行が襲われている"とリポーターは話している。

「お金が無くなる日というのは、果たして、やってくるのでしょうか。今、人質は解放されつつあるようです。ん?あ!」

テレビの画面が一瞬光り、リポーターが小さく声をあげた。

「今、何か爆発物のようなものが爆発した模様です。ここからは、よく見えませんが、煙が上がっています。あ!」 

再び、明るい光が画面の向こうで瞬いて、何かが破裂する音がした。僕の横で母が、はっと息を飲む。

「危ない!離れて!銀行が破裂した!」

すっかり日が暮れて暗くなった部屋にリポーターの声だけが響く。


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最終更新日 : 2016-03-18 10:34:42

今日から、どうしたら良いの?

 世界中の銀行が爆破され、僕たちの貯金は紙くずどころか、燃えくずになった。どうしたら良いのか見当もつかないが、とにかく笑いが込み上げてくる。こんなことって、あるのだろうか。

「あんた、勇也は今いくら持ってるの?お母さん、昨日買い物してきたから財布の中は五千円も残ってないの。お金使えるのかな?」

僕は黒のシンプルな長財布の中身を開いてみた。野口さんのモサモサした頭が1つ、2つ、3つ。

「僕は三千円しか持ってない。バイト代も、まだ入ってないし。お金は使えるんじゃない?」

「困ったわね。今日は大学は?授業あるの?お金は持っていくのよ。それにしても、お金が無くなったら、どうなるのかしら・・・。」

ふう、と母は下を向いて、顔を手のひらで覆った。節くれ立った両手が、いつもよりも小さく見える。

「大学は行くよ。授業は一応あるみたいだから・・・。お金は少ししかないけど、うん・・・。お金が無くなったら・・・どうだろうね。」

 苦笑しながら、ふと窓の外を見ると、黒い空が、どこまでも広がっていた。僕は人差し指で少しだけ、頭をかいてから、ドアに向かう。指先も足先も冷たかった。
 今日も風が強い。伸ばしかけの髪の毛を撫で付けても、自然のドライヤーには勝てそうも無い。昨日の夜、帰ってきた父さんは

「何処の銀行も、いや、全部の銀行が、どうかは分からないが、爆破されて金庫も人も吹っ飛んだそうだ。Y銀行は、おろせないだろう。このへんの支店は全部やられた。」

と言った。僕のバイト代も父さんの給料も、いつもならY銀行に振り込まれることになっている。僕はS銀行の口座も持っているが、そっちは放置気味で、何も入っていない。母さんの口座のあるU銀行も、あらかた、このへんの支店は爆破されてしまった。つまり、僕の家族は窮地に立たされている、ということだ。僕は、とても死にたい気持ちになった。しかしながら死ぬのは怖い。どちらにしろ、このままでは飢え死にするか、自殺するか(一家心中かも?)になるかもしれないが。苦笑しながら僕は歩き続ける。街の中に溢れるクリスマスのフワフワした白い飾りやライトを見て、溜め息をついた。気分はマッチ売りの少女。家から遠く離れる前にバッグのチャックを少し開けて、中を確認する。マッチは忘れてきたようだ。青い空を見上げながら歩き出した僕の背中にカラスが、かあと一声鳴く。サラリーマンの真っすぐな背中、携帯を見つめて歩く猫背な女子高生、杖の先を見つめながら、お辞儀するように歩くおばあちゃん。その中に、ポツポツと、鼻息荒くコンビニへ向かっていく人や、集まって何やら話しているオバちゃんの姿がある。歩きながら、ドキドキする心臓の鼓動を感じる。みんな、どうなるのだろうか。バス停へと向かう足を早めながら、通りを歩く人々を追い抜いていく。歩く速度は、ドンドン早くなる。バス停の列に並び、僕は息を整えた。白い息を吐くごとに、切り裂くような空気が喉の奥に入り込んで、思わず、咽せこむ。目を潤ませながら、顔をあげて、ひとつ、息を吐いた。目の前を、白い吐息が包み込む。その向こうで、白や黒、灰色の自動車が、灰色の道路を行き交っていた。ゆっくりと、右側から、クリーム色をしたバスがやってくる。青色の車の後ろから、他の車に歩調をあわせて。赤くなった指先をこすり、僕はバッグの中から定期入れを取り出した。黒い定期入れの中のプリペイドカードを見つめる。3日前に、駅でチャージしたカードだ。この中には、お金と同じものが入っている。現物のお金を持っていないのに、持っている気分にさせる。そして、お金が無かったら、バスにも電車にも乗れない。


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最終更新日 : 2016-03-19 13:49:30

世界を繋いでいたもの

 お金が無かったら、どうしよう。僕は、そう考えていた。お金にコントロールされている。確かに、その通りかもしれない。お金が無かったら何も出来ない。今は、まだ良い。まだ、銀号が破壊された後でも、今はまだ、お金が使われているし、お金を使ってバスにも電車にも乗ることが出来た。でも、もし出来なくなったら?僕には何の力があるのだろう?家族を支える力も無い。

 お金は力だったのだろうか。だから、みんなをコントロールしていたのだろうか。あのグループが言うように、お金を手放せば、コントロールから抜け出せるのだろうか。きっと、そうだ。だって僕は、こんなにも苦しい。だけど怖い。今まで、お金と生きてきた。それが無くなるなんて耐えられないかもしれない。けれども、そんな世界も良いかもしれないと思う。お金が無かったら楽だ。楽なのに、どうして僕は手放せないのだろう。怖い!怖いのは絶対楽じゃない!

 これから、どうしよう。そうだ、まだ様子を見よう。少しは財布の中に、お金もあるし。食べ物も家に少しは、あるだろう。けれども、お金が無くなった時のことも考えなければ。いいや、両親が何とかするだろう。僕は流れに任せて生きていこう。大丈夫、死にゃあしない。国が何とかしてくれるだろう。いや、もしかしたら、この発想が俗にいう「コントロール」の中に入っているのかもしれない。そもそも、お金が無ければ生きていけないのだったっけ?


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最終更新日 : 2016-03-19 13:49:17

大学生活2

 4時限目の授業が終わった後の教室、僕と保ちゃんは、一緒にお昼ゴハンを食べた。

「大学は結構普通だったね、保ちゃん。どうなるのかな〜、とも思ったけど、ネットの掲示板見たら、休みじゃないって書いてあったし。」

 保ちゃんはアルミホイルに包んだ、おむすびを頬張りながら、うんうんと頷いた。鎖骨まで届く長い長髪が揺れる。今日もニコニコ顔だ。

「なんか、来なくなった先生もいるって話だけどね、やっぱり、お金が貰えないかもしれない、ってなっても一応は来る先生が大半だよね。だから大学は何となく大丈夫だ。」

「何で来ない先生も、いるんだろう。お金が貰えないかもしれないから、ってこと?」

うーん、保ちゃんは首をかしげ、ペットボトルの麦茶を1口飲んだ。

「お金が貰えない・・・か、どうかは分からないよ。日本銀行は無事だったし、いきなり、お金をなくすっていうのも無理があるでしょう。何人かの先生は本気で世界から、お金を無くしたい、って言って、今日来なかったらしいけどね。どうするんだろうね、生活。」
生活、という言葉は僕の心に大ダメージを与える。

「日本銀行無事だったんだ・・・。先生達スゴいね・・・。僕は出来ないと思う。生活ってリアルだよ。生活って。」

僕は小さな弁当箱の中のブロッコリーを箸で、つついた。

「うーん、でも俺は、ちょっと興味ある。銀行を襲撃までは、したくないけど、お金っていう制度から抜け出すために色々やるのは、ありだな。だって、お金使う生活やめたいもん。出来ることなら畑でも耕して、のんびり暮らしたいよ。必要な物は物々交換してさ、お互いに必要な物は助け合って補うんだ。縄文時代みたいな感じでさ!良いでしょ?俺、やろうかな。一生お金で、やきもきするの嫌だ。ゆうちゃんも、やらない?何か就職活動なんて、ばからしいし。嘘ついてさ、就職してさ、結局何になるってんだよ!生活ってさ、楽しくなきゃダメでしょ?何の為に生きてるの?俺は楽しく生きたい!」

保ちゃんは両手の拳を握りしめ、両腕をあげて、反り返って声をあげた。

「でも、銀行を襲撃するまでってスゴいよな。僕も、お金使う生活やめたいな・・・畑かあ。別に田舎で暮らしたりは、したくないな。必要な物をブツブツ交換てのは、うん、ありだ。縄文時代ねえ、どんな暮らしをしてたんだろ?ちょっと気になってきた。良いかもしれない。保ちゃん、やってみてよ。僕は、やらない。保ちゃんが楽しそうだったら、やるよ。それまで頑張って。楽しい感じになったら、僕にも、やらせて。」

ふふっ、と僕は笑みをこぼした。ブロッコリーを口にいれる。

「僕は就職活動でも、してるよ。嘘も方便だ。この世界はさ、苦しいことだらけだよ。何の為に生きているかなんて分からない。そりゃ、僕も楽しくいきたいけれどもね。でもさ、そんなこと、出来っこない・・・かもしれないし。」

ゆうちゃん、と言って保ちゃんは腕を組み、長く息を吐いた。

「やりたくないなら、やらない方がいい。たださ、あまりにもネガティブじゃない?」

保ちゃんは眉根を寄せ、やれやれといった顔つきをした。どんな表情をしても、様になるのが羨ましい。

「人が人と生きるのに、お金を必要としない時代も、あったわけでしょ?それが助け合い精神で生きていた時代なんじゃない?んー、まあ今も助け合いは、あるけどさあ。分かったよ、俺やるよ。世界に貢献するよ。今、別に夢がある訳じゃないんだけど、人の為になることが出来るって良いよね。それって楽しいじゃん!生きてるって感じすると思う!」

僕は何も言えなくなってしまった。


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最終更新日 : 2016-04-04 16:55:11


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