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青い壁 十月十三日

十月十三日

 

 智也は目覚めた。智也は気づいていなかったが、赤く目を腫らしており、目が血走っていた。智也は自分が制服のまま眠ってしまったことに気が付いたが、そんなことはどうでもよかった。ふと目に昨夜のカッターナイフが昨日のまま床に落ちていた。しばらくそれを見つめていたが、すぐに昨日と同じ鞄を持ち、部屋を出た。

 どうやら起きた時間はいつもより少し遅く、母親もパートでもう家を出ていったようであった。テーブルには書置きがあった。朝食は冷蔵庫にあるということだったが、智也は食欲もわかなかったので、すぐに家を出た。

 いつも通っている道がひどく無機質なものに見えた。足取りもひどく重く感じる。ふと、智也は足を止めた。足が前に進まない。どこにも行きたくない。

 智也は元来た道を少し戻って、通学とは違う道に入っていった。

 目的などなく智也は彷徨っていた。学校のことなんて頭の中になかった。

 どれほど歩いただろうか。気がついたら昨日来た公園に智也はいた。特にすることもなく、少し疲れてしまったので、昨日と同じようにベンチに腰をおろした。

 風が少し冷たい。気がついたら夏が終わっていた。

「……。」

 季節は移ろっていく。気が付く暇もないほどに早く時が過ぎるのは思っているよりもずっと早い。最近少しさぼり気味だが、智也もあと一年半で高校を卒業する。進路はどうなるかわからないし、今は何の関心もないが、恐らくはどこかの大学に行く。日本では珍しくもなんともない、ありふれた進路。もちろんそうでない人もたくさんいるだろうが、智也には分からないことだった。

 だが、特別に何かが変わるわけでもない。高校の教室が大学の教室に変わるだけだ。自分自身は何も変わらないだろう。そんな確信が今は智也にはあった。

 そしてやがては大学も終わり、どこかの会社か何かに就職する。まだ見たこともないが大学の教室が、会社のオフィスに変わる。そして働く。想像もつかないが結婚なんかして、子供なんてものもできる日が来るのだろうか。そして年を取り、やがては死ぬ。

 それのどれも今の智也には無意味で、つまらないものに思えた。そんな人生を歩むために膨大な時間を消費していく。そんなことがなんだか智也には滑稽に思えた。

 だが、やがては智也もそのレールを懸命に歩かなくてはいけない。もうそうするしかないのだ。どこかに楽園のような人生が待っているわけでもないし、望むものもない。

 ―虚しい。

 ただ虚しかった。

 世界はどこまで行っても灰色で、無意味なものに思えた。

 どうしてこんな風になってしまったのだろう。なぜあの河原や屋上の空にあんなにも心をときめかせたのだろう。智也には分からなかった。

 今日の空は青く奇麗だ。智也はあんなに好きだった空がなぜか急に憎たらしいものに思えてきた。

 どうしてそんな奇麗くせに自分をいつまでも見下ろしているのか。智也は空がせせら笑っているように感じた。

 ―見上げると一面の空。智也は青い壁に閉じ込められていた。

 この壁の中で自分は死んでいるように生き、やがては本当に死ぬ。それだけは嫌だった。

 あぁ、本当にどうしてこんな風になってしまったのだろう。智也は虚ろな目で青い壁を見上げながら、思いをはせていた。

 

 そして、智也はふと気が付いた。

「そうかこの町や、風景がこんな僕を作ったんじゃないか。」

智也の口元が歪む。

それは偽物とはわかっていても一つの答えのように思えた。

「僕を取り囲むものが、僕を作った。この胸の虚しさもそうだ。なんだ、簡単な事じゃないか。」

 智也は不気味に笑っていた。道行く主婦らしき人が智也ベンチに座っている智也を気味悪そうに見ていた。智也はそんなことには気にもかけなかった。

 「なら、どうしようか。このまま不様に死んでいくのもなんだか悔しいじゃないか。」

 そして智也はあることを思いついた。それは智也にとって今まで感じたことのないくらい面白いもののように思えた。それは―

 「この壁に傷をつけてやろう。」

 そうだ。智也の周りにある壁はずっと智也を取り囲み、圧迫してきた。だから一回ぐらい反撃に出てもいいではないか。うん。そうだ。

 けどそんなことをしても何も意味はないだろう。そんなことは智也にだって分かっている。決してこの壁からは逃げられない。

 だから、今智也が考えていることはひどく無意味なものに違いないのだ。

 間違いなく世間は嘲笑い、頭のおかしい奴だと非難するであろう。

 ―だが、構わなかった。

 

 あの一之瀬のように智也はなれない。

 それは涙が出るくらい智也にとっては悔しいことだった。

 一之瀬はすごい奴だった。彼はしっかりと答えを示し、実行し、完遂した。

 あの自殺はきっと意味のない行為だったのだろう。

そして恐らくは、一之瀬にもわかっていたに違いない。智也はそう確信できる。

 だがその一之瀬の行為は、本当に尊敬に値することだと智也は信じて疑わなかった。

智也にはできないことだった。

けど智也もこのままではいられなかった。このままこの壁の中で窒息するように死んでいくのは嫌だった。

一矢報いてやりたかった。

この壁を、今まで嘘で塗りたくられた壁を。この憎たらしいくらいの青い壁を。

 

ここで智也は決心がついた。

頭が軽くなった。智也はベンチから立ち上がり、公園を後にした。

 

 

 

 智也は学校にいた。もう授業開始からずいぶん時間が経っていた。校庭には体育の時間であろう生徒たちがジャージ姿でソフトボールを行っていた。

 智也は校庭にいる生徒らに目立たぬように、校庭のはずれにある体育館倉庫に向かった。

 そこで智也は目当てのものを見つけた。それは少し年季の入った金属バットだった。智也は軽く素振りをした。少し冷えた金属の感触や、振り具合に満足し、智也はこそこそと体育館倉庫を後にした。

その後智也は校内へ入っていった。バットを片手に持ち智也は誰にも見つからないように校内を歩いて行った。今、学校は授業中であるので、教室や職員室などに近寄らなければ、他人と遭遇することもなかった。

向かった先は閉じられた屋上だった。智也は周りに十分注意を払い、周りに人がいないことを確認して、屋上の扉に向かった。扉は前に来た時と同じように、鍵がかかっていて、一之瀬からもらった鍵では扉は開かないようになっていた。

智也は数回ドアのノブをいじった後、一歩後ろに下がった。いやな汗が背中にへばりつく。智也はもう一度深く呼吸をした。

そして智也はバットをドアに向け、叩き付けた。

すさまじい音が鳴り響いた。智也は扉が壊れるまで何度もバットを叩き付けた。

何回か叩き付けた後、何かが外れるような音がした。智也はバットを振り下ろすことをやめ、片足で思いっきり、扉をけった。

そして、扉が開いた。

 

そこにはいつもと変わらない空があった。

智也は屋上の中心へ向かった。

そして空を眺める。

もう何も感じない。

いや、むしろ憎く感じた。

いつもそうだ。この空さえ。

この空も同じだ。

壁となんら変わりがない。

いつだって閉じ込めている。

どこにもいけない。

死ぬことも、生きることもできない。

どうしようもない。

それなのに空も変わらない。

ずるい。

そこに行きたかった。

救い出してほしかった。

この気持ち悪いところから。

でも、確認した。

それで十分だ。

だからもう終わりにしようと思う。

僕なりの方法で。

 ようやくたどり着いた。

 

 「はははははははははははははっ!」

 智也は笑った。気持ちよかった。

 そして、少し落ち着いてから智也は最後の決心をすました。

 「じゃあ、行ってくるよ、一之瀬。無駄だけど、やってみる。」

 智也はそう空に言い残し、屋上を去った。

 

 扉を壊した時にすさまじい音が出たが、周りに無関心なのか、ただ単に何があったのか確認することが面倒なのか、誰かが様子を見てきてくれるだろうという、他力本願の精神からか、屋上にやってくる教師は一人もいなかった。それは智也にとっては非常に都合がよいことであった。

 智也は階段を下りていった。頭はこれまでにないほどさえていた。すでに考えはまとまっていた。智也はこれからその考えを実行することが、とても楽しみだった。

 ようやく智也は目的の場所にたどり着いた。

 智也のクラスの教室だった。

 智也は教室の扉を開けた。

 教室にいる連中が一斉に智也のほうを向いた。

 とても驚いているようだった。

 その驚いた様子も智也にはなんだか可笑しくて仕方なかった。

 教師らしき人物が智也に向かって何か喋っている。

 何とも不快な音だと智也は感じた。

 智也はとりあえず持っていたバットを扉に叩き付けた。

 今度は屋上の扉を壊した時とはわけが違かった。

 悲鳴や金切り声が教室に渦巻いていた。

 その悲鳴の嵐が上がった瞬間、智也はこれまでにないほどの快感を得た。

 ―やってやった。この不快な壁に。やってやった。

 「ははははははっ。」

 智也は笑い声をあげた。

 今度はバットを壁に叩き付けた。

 悲鳴はより激しさを増した。

 間髪入れずに、次は近くの机にバットを振り下ろした。

 完全に連中はパニックになった。

 教室の隅に殺到する。

智也も連中の近くに近づくと、連中は智也が入ってきた扉の反対のほうに殺到した。

智也は追いかけるのも面倒になり、近くの窓ガラスをバットで割った。

そしたら、教師らしきものが何人か教室に入ってきた。

それらが何か言っているのか智也はよく聞こえなかった。どうでもよかった。

逃げ惑う連中に目を向けると、パニックで転んでいる者もいた。

教師たちはどうしていいのやらわからず、中々踏み出せないようだった。よく見たら担任である滝もとの姿も見えた。

一方では生徒の誘導している怒鳴り声が聞こえる。

同時に、自分に問いかけるような声も聞こえてくる。

―無視して破壊を続ける。

ガラスが壊れる音や、叫び声がひどくおかしい。

それもそのはずであった。

今までずっと自分を閉じ込めていたもの。

無意味で何の価値もないもの。

そんな中で平気で息をして、くだらないことを言う連中。

どうしてだ。

どうしてお前たちはそんなに鈍感でいられる?

どうしてお前たちは平気で生きていられる?

どうして毎日に耐えられる?

どうしてこの空虚な壁の中で平気でいられる?

破壊を続ける。

この行為にも何か意味があるわけではない。そんなことは智也にもわかっていた。

でもやめられない。

なぜなら不愉快だからだ。

この風景も。この連中も。目に映るものすべて。

体力が続く限り傷つけてやろう。

智也はそう思った。

そのあとは―、

そうだな―、

できれば殺してほしいかな―。

智也は微笑んでいる。

楽しい―。

ほんとに馬鹿らしくて―。

もう何度バットを振るっただろうか。休みなく振り下ろしてきたから、腕が疲れてきていた。もう腕が動きそうにない。

だが、今バットを振るのをやめたら、あの教師どもにたやすく捕えられてしまう。

どうすればいいのか。

智也は考えてみたが良い案考えは、浮かんでこなかった。

とりあえず彼らとの距離をとる。大した考えなど一つもなかった。

そうして腕が限界にきてバットを振るのをやめた。

そうすると、教師たちが見計らっていたように、智也に迫ってきた。

やはりこの瞬間を狙っていたのだろう。

―やっぱりだめか。

智也はそう思った。

でももう一振りくらいはできる。

せめて彼らにも一発当ててやろう。

智也はそう決意し、迫ってくる教師にたいして身構えた。

その瞬間、不意に後ろから誰かに、飛び掛かられた。

「―⁉」

誰か隠れていたのか?

この学校の教室にはベランダがある。

そのベランダは隣の教室につながっていることを智也は今さら思い出した。

「くそっ。」

智也は何とかして飛び掛かってきた人物を払おうとして、バットを振るった。

そして、鈍い音が聞こえた。

それはいままで壁やガラスを壊した時に聞こえる音ではなかった。

組み敷かれた腕がズルズルと落ちていく―。

気が付くと教室は静寂に包まれていた。

重く、鈍い音が智也の背後でした。

智也はゆっくりと後ろを振り返った。

智也の足元にはよく知った人物の頭があった。

そして、その頭から赤いものが広がっていくのを智也は見た。

―翔太だった。

「あっ……。」

智也はバットを落とした。

無機質な音が教室にこだまする。

どうして。

 どうしてお前なんだ。

 半分見える翔太の顔はずいぶん久しぶりに見るような気がした。

 途端に逆らえない力が智也の後ろからふりかかる。

 智也の目線が翔太と同じ高さになった。

 翔太は目を閉じている。

 その横顔はよく眠っていて、心地よそうに見えた。

 久しぶりだなぁと、智也は思った。

周りはがやがやとひどくやかましかった。

 「ごめん、翔太。」

 智也はそう呟き、目を閉じた。

 最後に割れたガラスの窓から見慣れた空が見えた。

 智也の無意味な抵抗は終わった―。

 

 学校という建物の一番高いところにある屋上より遥か彼方にある青い空。

 人々の声がざわざわと騒いでいる地上よりも遥か彼方の空。

 曇天の日や雨の日もあるがいつもそこにあり、かわらずある奇麗な空。

 牢獄に閉じ込められている鈍感で愚かなもの。

 空に焦がれ、飛ぼうとするもの。

 悶々とするもの。

 絶望するもの。

 そんな人たちをこの青い壁が覆っている。

 過去現在変わることなく―。

 憎たらしいほど青く奇麗な空は、今日も僕たちを見下ろしている。

 

                           〈了〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あとかぎ

ここまで読んでくださった皆様に心から感謝の気持ちを申し上げます。

もしよろしければ感想やコメントをいただければこちらも大変嬉しいです。

 

それでは、また次回作でもよろしくお願いします。

ありがとうございました。

 

                           著タコヤキ


この本の内容は以上です。


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