閉じる


<<最初から読む

13 / 15ページ

青い壁 十月十二日

十月十二日

 

智也は家を出た。家を出て少し学校に向かうふりをしたら、河原に向かう道に戻った。途中で昨日の夜にメモしておいた、学校の番号に携帯電話で掛けた。その電話で今日は欠席するということを滝本に伝えた。智也の生まれて初めてのずる休みだった。思ったよりも後ろめたい気持ちはなく、智也は不思議と気分が高揚していくのを感じていた。

こんな朝早くから河原に行くのは初めてのことだった。智也は歩きながら、河原のことに思いをはせた。

あの河原にはじめていたのはもう年齢も覚えていないような年頃だった。定かではないが多分小学生の頃だった気がした。

普通、小学生ぐらいの子供があのような誰もやってこないような場所なら、最初に見つけた子供が友達に教えて、秘密の遊び場か、秘密基地の拠点となるのが恐らく普通であろう。だが智也は違った。智也はこの場所を見つけた時は、誰にも教えないようにしようと思った。友達にも親にも教えたくはなかった。それは子供が大切な玩具などを宝物にし、他の人に触らせないようにするのと同じような感覚であった。

智也はこの河原を自分だけの場所にしておきたかった。そして智也は子供のころからこの河原に智也以外の人間が出入りしているところを見たことがなかった。そのことから完全智也だけの場所だと、智也は思い込むようになっていった。

そして、小学生のころから現在に至るまで、河原にはいつも智也ひとりで行き、誰にも悟られないように智也は務めてきた。何故こんなにも秘密にしておきたかったのかは智也自身にもはっきりと答えられないことだった。

しばらくそんなことを考えていると、いつの間にか、智也は河原にたどり着いていた。

今日も涼しい風が河原に拭いていた。川のせせらぎが心地よく聞こえてくる。智也は、ほっとした気持ちになり草むらに腰をおろした。

ここに来ると嫌なものをきれいさっぱり風が持って行ってくれるような気がした。朝の時間帯だからだろうか。水面がいつもよりキラキラ輝いていて眩しいくらいだった。十分に景色を眺めたら、智也は草むらに背中を預け、仰向きになった。

自分の部屋にいる時よりもずっと心地よく感じた。もうすぐ寒い季節になっていくのだが、今日は雲も少なく太陽の日差しを余すととこなく浴びることができた。

 暖かい日差しに誘われたのか、昨夜あまり眠れなかったせいなのか、智也に気持ちのいい睡魔が誘ってきた。

 智也はその誘いに簡単にのってしまった。瞼が重くなる。智也は微睡に堕ちていく。今日はもう昨日の夢のような夢は見ないだろうと何故だか確信できた。だがその確信もすぐに微睡の中に溶けていった―。

 

 目を覚ますと少しばかり汗をかいていた。だが部屋の中で寝た時にかく汗とは違いなんとなく心地のいい汗だった。ぼやけている智也の頭を覚醒させたのは太陽の日差しだった。太陽はもう智也の真上に昇っていた。

 智也は体を起き上がらせ、目元をごしごしとこすった。どれくらい眠っていたのだろうか、携帯で時間を確認するともう少しで十二時になるところだった。そういえば少し空腹のような気もする。昼はどうしようかなど智也はぼんやり考えることにした。

 だが、そんな考えはすぐに吹き飛んでしまった。その原因は足音である。この静かな河原では、川のせせらぎ以外聞こえてくるものはほとんどなかった。たまに車のエンジン音らしい音が聞こえてくるくらいである。

 草と土を踏む音だった。河原は静かなので簡単に智也は分かった。しかもその音は徐々に大きくなり、智也の場所に近づいてきているようだった。ここからでは草が茂っていて周りがよく見えなかった。

「ど、どうしよう……。」

 智也はすっかり目が覚めてしまった。人が来るなんてことは今迄なく、智也はひどく動揺した。この場所に自分以外の人間が来ることが智也には受け入れがたいことだった。それは智也に生理的嫌悪感を抱かせた。右往左往しかけている智也だが、ここで有り得ないことを呟いた。

「もしかして、一之瀬……?」

そんなことはありえないことだった。だが、何故だかは分からないが智也は一之瀬がきたかと思ってしまったのだ。なぜならこの場所は、ほんの一か月くらい前から、智也だけの場所ではなくなっていたからだ。一之瀬もこの河原の場所が好きだった。あの屋上と同じように。だからここに来るのは一之瀬なのではないのかと智也は思ってしまったのだった。それが有り得ないことだったとしても。

 だがそんな妄想に近いものは簡単に打ち破られてしまった。足音の主が智也の目の前に現れたからだった。

 足跡の主は無精ひげを生やした大柄の男の人だった。首に手拭いをかけていた。シャツは黒く汚れているところが点々とあり、すぐに智也は土木関係、または工事か何かの人だということを悟った。

 大柄の男は智也を見て驚いているようだった。当然この二人は面識があるわけではなく、二人ともこんなところで人に出くわすとは思ってもみなかったからである。先に口を開いたのは大柄な男の方であった。

「兄ちゃん、こんなところで何やっているんだ?」

智也は返事に困ったが、別に嘘をつく必要もないので素直に答えることにした。それに突然現れた大男に、智也は少し委縮していた。

「えーと、その……、昼寝をしていました。」

嘘偽りのない真実であった。大男はそれを聞き、きょとんとしていた。

「昼寝?今日は平日だろ、学校はどうした?」

智也はここで自分が制服姿だということに初めて気が付いた。そして目の前の大男の迫力に智也は動揺していた。

「あー、えっと、その……学校はあったんですけど……。」

智也が口ごもる。

「なんだ。さぼりか。いまどき珍しいな。」

大男は少しだけ笑って言った。大男に智也のことをとがめる気はないようだった。思っていたよりも怖い人ではないようであった。

「そうか、そうか、確かにここで昼寝でもしたら気持ちいいかもな。」

大男は大きくうなずいている。

「でも悪いな、兄ちゃん。今すぐここから立ち去ってほしいんだ。」

智也は動揺した。

「えっ……、な、なぜですか?」

「あー、会社の偉い人がだな、観光やらなんやらで、この河原を開発してバーベキュ場にしちまおうって言って、ここ一面を工事することになったんだ。んで、俺はその工事の下見に来たってわけだ。まぁ、お前さんが昼寝しちまうほど奇麗で静かなところだからな。それなりに客にうけると、お偉いさんは思ったんだろ。」

智也はぼんやりと男の言うことを聞いていた。

「そうだな、だいたい、あと一週間もすればここは立ち入り禁止になっちまうな。悪いな」

「……。」

智也の頭は真っ白になっていた。ただある事実だけはしっかりと頭の中に浮かび上がっていた。

―この場所がなくなる。

智也は呆然となった。大男が少し不思議そうに呆然とした智也を大きな目で見ていた。

「どうした?そんなにショックだったか?まぁ、分からねえでもないけどよ。」

―ここがなくなる。屋上に続き、この場所も。

智也は地面から川のほうに目を向けた。そうするとさっきまで綺麗だと思っていたこの景色が途端に無味乾燥なものに智也は思えてきた。

「そうですか……。すいません。すぐにここから離れます。ご迷惑おかけしてすいませんでした。」

智也はそう言って、大男にお辞儀をした。大男は智也の丁寧な態度にきょとんとしていた。

「えっ、いや、別にかまわねぇよ。こっちこそ悪かったな、昼寝中に。」

「いえ。すいませんでした。失礼します。」

そうして智也は足早に河原から出て行った。その様子を大男は不思議そうに眺めていた。

「あんな真面目そうなやつがサボりねぇ……。」

 

 

 河原から離れた智也は今更学校や自宅にも帰るわけにもいかないので、行く当てもなく町のはずれを彷徨っていた。途中に智也は空腹に気が付いた。いつの間にかもう午後二時を回っていた。智也は適当に見つけたコンビニで適当にパンと水を買って空腹を満たした。その後は相も変わらず、町を彷徨っていた。ずっと町を彷徨っていたせいか足が棒のようになっていることに気が付き、途中で見つけた公園のベンチで一休みすることにした。

 智也はただ道行く人々を眺めていた。そんな中で虚ろながらに考え事をし始めた。

 

 もう、屋上も河原にも行けない。なら自分はどこに行けばいいのだろう。

 明日からも当然学校はある。またあの億劫な空間の中に身を置かなければならない。

 自分がこんなにも変わってしまったのだからって、世界は変わってくれるわけではないのだ。世界は自分に無関心で、欲しているのはいい大人になれるだけの人間だ。

だからどこにも行けない。自分は壁に閉じ込められているのだ。

いつからこんなことを思うようになってしまったのだろう。いつからこんな風になってしまったのだろう。

 智也はだらしなくベンチに身を預けて、空を見上げた。

 ―いや、きっと、ずっと前からそうだった。自分が変わったわけではない。ただ勉強をして、両親や教師たちのためにふりをしていただけなのである。だってそのほうが楽だった。

 でも気づいてしまった。きっかけは一之瀬であったけれどもこれは自分の問題だった。一之瀬は行き場のない気持ちを屋上で満たそうとしていた。自分も同じだった。でもそれはその場しのぎであるだけで、逃げられるわけではなかった。

 自分はずっと目をそらしていた。死んでいるように生きていた。そして何かを忘れ、何物にもなれなくなってしまった。

「ははは、なんだ。僕はなんだ。」

 智也が乾いた笑い声をだす。智也の叫びをきいてくれるものなどどこにもいなかった。

 そして智也は一之瀬のことを考えた。

 一之瀬は空に行くって言っていたけど、実際は行けるわけがない。今思えばあまりにも馬鹿げている。

 

 でも僕にはそんな馬鹿なこともできない。

 一之瀬は立派だった。彼はきっと何かになれたはずだ。でなければ最後にあんな笑顔ができるはずがない。僕なんかよりもずっとましだ。

 クラスの連中もみんな同じに見えて、くだらないものに感じた。翔太も鬱陶しかった。自分はもっとくだらない人間なのに。彼らのほうがまだましだ。何かになれなくても気が付いていなければいいのだから。

 「ははっ。ほんとに最低だな、僕は。」

 智也は空を見るのをやめて、地面を見た。小さな虫がそこにはいた。何かはわからない。だけど一生懸命に地面を張っていた。

 ―僕は虫けら以下だな。

智也はそう思って目を閉じていると、疲れたのか少しばかり眠ってしまった。

 

 目覚めても特に変わったことは何もなかった。当然である。智也の死んでいるような心も変わっていなかった。

「……帰ろう。ここに居ても意味ない。」

智也はベンチから立ち上がり、少しふらつく足取りで家路についた。あたりはもう暗くなりかけていた。

家に帰っても、母親は智也が普通に学校に行っていたと思っているので、特別に何か言われることはなかった。智也は水を飲んで、早々に部屋に戻った。

部屋に戻ると、出かける前と何も変わらない風景がそこにあった。智也は立っているのも気怠く、すぐにベッドへ体を沈めた。

智也には見慣れている天井がひどく歪なものに見えた。しばらくぼーっとしているとなんだかすべてがどうでもよくなっていた。明日の学校も行きたくないし、家にも居たくはなかった。

だけどもう河原も屋上にも行けない。どこにも行きたいところなどもう智也には無かった。そこで智也はふと思った。

「僕も一之瀬の所に行けるかな……。」

そうつぶやくと智也は重い体を起こし、机に向かった。そしておもむろに引き出しを引っ張った。普段はそんなに使うものではないのですぐにはしまってある場所が思い出せなかった。少し引き出しの奥を手探りであさってみると智也の手に目当てのものが触れた。智也はそれをつかんで、引き出しから手を引いた。

目の前にあるのは金属の鈍い輝き、その金属部分には智也の虚ろな瞳を映していた。智也の手に持っている者はカッターナイフだった。もうすでに刃は出ている。

智也はベッドに戻って腰をおろした。そしてカッターナイフの刃を手首に押し当てた。

―これを強く縦にひいたら全部終わる。もう苦しまなくて済む。嫌なものを見なくて済む。ここから抜け出せる。

智也は目を強くつぶった。

 

「………………。」

智也の体が震える。目には涙がたまっていた。智也はカッターナイフを壁に投げつけた。カッターナイフは無様に壁に当たり、音を立てて落ちていった。

「だめだ……。僕には無理なんだ。」

智也の目から涙がしたたり落ちる。智也は慟哭する。

「もう何かになることもできない……。死ぬことも、生きることもできない。どうしようもない。」

 その晩智也はずっとベッドに突っ伏していた。もう、なにもかもどうでもよくなっていた。自分を覆う壁なんて、全て無くなってほしかった。だがそんなことは有り得ず、虚しく時だけが過ぎていく。

もうどれくらい時間が経ったのか分からなくなったあと、智也は自然と睡魔という闇の中に堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


青い壁 十月十三日

十月十三日

 

 智也は目覚めた。智也は気づいていなかったが、赤く目を腫らしており、目が血走っていた。智也は自分が制服のまま眠ってしまったことに気が付いたが、そんなことはどうでもよかった。ふと目に昨夜のカッターナイフが昨日のまま床に落ちていた。しばらくそれを見つめていたが、すぐに昨日と同じ鞄を持ち、部屋を出た。

 どうやら起きた時間はいつもより少し遅く、母親もパートでもう家を出ていったようであった。テーブルには書置きがあった。朝食は冷蔵庫にあるということだったが、智也は食欲もわかなかったので、すぐに家を出た。

 いつも通っている道がひどく無機質なものに見えた。足取りもひどく重く感じる。ふと、智也は足を止めた。足が前に進まない。どこにも行きたくない。

 智也は元来た道を少し戻って、通学とは違う道に入っていった。

 目的などなく智也は彷徨っていた。学校のことなんて頭の中になかった。

 どれほど歩いただろうか。気がついたら昨日来た公園に智也はいた。特にすることもなく、少し疲れてしまったので、昨日と同じようにベンチに腰をおろした。

 風が少し冷たい。気がついたら夏が終わっていた。

「……。」

 季節は移ろっていく。気が付く暇もないほどに早く時が過ぎるのは思っているよりもずっと早い。最近少しさぼり気味だが、智也もあと一年半で高校を卒業する。進路はどうなるかわからないし、今は何の関心もないが、恐らくはどこかの大学に行く。日本では珍しくもなんともない、ありふれた進路。もちろんそうでない人もたくさんいるだろうが、智也には分からないことだった。

 だが、特別に何かが変わるわけでもない。高校の教室が大学の教室に変わるだけだ。自分自身は何も変わらないだろう。そんな確信が今は智也にはあった。

 そしてやがては大学も終わり、どこかの会社か何かに就職する。まだ見たこともないが大学の教室が、会社のオフィスに変わる。そして働く。想像もつかないが結婚なんかして、子供なんてものもできる日が来るのだろうか。そして年を取り、やがては死ぬ。

 それのどれも今の智也には無意味で、つまらないものに思えた。そんな人生を歩むために膨大な時間を消費していく。そんなことがなんだか智也には滑稽に思えた。

 だが、やがては智也もそのレールを懸命に歩かなくてはいけない。もうそうするしかないのだ。どこかに楽園のような人生が待っているわけでもないし、望むものもない。

 ―虚しい。

 ただ虚しかった。

 世界はどこまで行っても灰色で、無意味なものに思えた。

 どうしてこんな風になってしまったのだろう。なぜあの河原や屋上の空にあんなにも心をときめかせたのだろう。智也には分からなかった。

 今日の空は青く奇麗だ。智也はあんなに好きだった空がなぜか急に憎たらしいものに思えてきた。

 どうしてそんな奇麗くせに自分をいつまでも見下ろしているのか。智也は空がせせら笑っているように感じた。

 ―見上げると一面の空。智也は青い壁に閉じ込められていた。

 この壁の中で自分は死んでいるように生き、やがては本当に死ぬ。それだけは嫌だった。

 あぁ、本当にどうしてこんな風になってしまったのだろう。智也は虚ろな目で青い壁を見上げながら、思いをはせていた。

 

 そして、智也はふと気が付いた。

「そうかこの町や、風景がこんな僕を作ったんじゃないか。」

智也の口元が歪む。

それは偽物とはわかっていても一つの答えのように思えた。

「僕を取り囲むものが、僕を作った。この胸の虚しさもそうだ。なんだ、簡単な事じゃないか。」

 智也は不気味に笑っていた。道行く主婦らしき人が智也ベンチに座っている智也を気味悪そうに見ていた。智也はそんなことには気にもかけなかった。

 「なら、どうしようか。このまま不様に死んでいくのもなんだか悔しいじゃないか。」

 そして智也はあることを思いついた。それは智也にとって今まで感じたことのないくらい面白いもののように思えた。それは―

 「この壁に傷をつけてやろう。」

 そうだ。智也の周りにある壁はずっと智也を取り囲み、圧迫してきた。だから一回ぐらい反撃に出てもいいではないか。うん。そうだ。

 けどそんなことをしても何も意味はないだろう。そんなことは智也にだって分かっている。決してこの壁からは逃げられない。

 だから、今智也が考えていることはひどく無意味なものに違いないのだ。

 間違いなく世間は嘲笑い、頭のおかしい奴だと非難するであろう。

 ―だが、構わなかった。

 

 あの一之瀬のように智也はなれない。

 それは涙が出るくらい智也にとっては悔しいことだった。

 一之瀬はすごい奴だった。彼はしっかりと答えを示し、実行し、完遂した。

 あの自殺はきっと意味のない行為だったのだろう。

そして恐らくは、一之瀬にもわかっていたに違いない。智也はそう確信できる。

 だがその一之瀬の行為は、本当に尊敬に値することだと智也は信じて疑わなかった。

智也にはできないことだった。

けど智也もこのままではいられなかった。このままこの壁の中で窒息するように死んでいくのは嫌だった。

一矢報いてやりたかった。

この壁を、今まで嘘で塗りたくられた壁を。この憎たらしいくらいの青い壁を。

 

ここで智也は決心がついた。

頭が軽くなった。智也はベンチから立ち上がり、公園を後にした。

 

 

 

 智也は学校にいた。もう授業開始からずいぶん時間が経っていた。校庭には体育の時間であろう生徒たちがジャージ姿でソフトボールを行っていた。

 智也は校庭にいる生徒らに目立たぬように、校庭のはずれにある体育館倉庫に向かった。

 そこで智也は目当てのものを見つけた。それは少し年季の入った金属バットだった。智也は軽く素振りをした。少し冷えた金属の感触や、振り具合に満足し、智也はこそこそと体育館倉庫を後にした。

その後智也は校内へ入っていった。バットを片手に持ち智也は誰にも見つからないように校内を歩いて行った。今、学校は授業中であるので、教室や職員室などに近寄らなければ、他人と遭遇することもなかった。

向かった先は閉じられた屋上だった。智也は周りに十分注意を払い、周りに人がいないことを確認して、屋上の扉に向かった。扉は前に来た時と同じように、鍵がかかっていて、一之瀬からもらった鍵では扉は開かないようになっていた。

智也は数回ドアのノブをいじった後、一歩後ろに下がった。いやな汗が背中にへばりつく。智也はもう一度深く呼吸をした。

そして智也はバットをドアに向け、叩き付けた。

すさまじい音が鳴り響いた。智也は扉が壊れるまで何度もバットを叩き付けた。

何回か叩き付けた後、何かが外れるような音がした。智也はバットを振り下ろすことをやめ、片足で思いっきり、扉をけった。

そして、扉が開いた。

 

そこにはいつもと変わらない空があった。

智也は屋上の中心へ向かった。

そして空を眺める。

もう何も感じない。

いや、むしろ憎く感じた。

いつもそうだ。この空さえ。

この空も同じだ。

壁となんら変わりがない。

いつだって閉じ込めている。

どこにもいけない。

死ぬことも、生きることもできない。

どうしようもない。

それなのに空も変わらない。

ずるい。

そこに行きたかった。

救い出してほしかった。

この気持ち悪いところから。

でも、確認した。

それで十分だ。

だからもう終わりにしようと思う。

僕なりの方法で。

 ようやくたどり着いた。

 

 「はははははははははははははっ!」

 智也は笑った。気持ちよかった。

 そして、少し落ち着いてから智也は最後の決心をすました。

 「じゃあ、行ってくるよ、一之瀬。無駄だけど、やってみる。」

 智也はそう空に言い残し、屋上を去った。

 

 扉を壊した時にすさまじい音が出たが、周りに無関心なのか、ただ単に何があったのか確認することが面倒なのか、誰かが様子を見てきてくれるだろうという、他力本願の精神からか、屋上にやってくる教師は一人もいなかった。それは智也にとっては非常に都合がよいことであった。

 智也は階段を下りていった。頭はこれまでにないほどさえていた。すでに考えはまとまっていた。智也はこれからその考えを実行することが、とても楽しみだった。

 ようやく智也は目的の場所にたどり着いた。

 智也のクラスの教室だった。

 智也は教室の扉を開けた。

 教室にいる連中が一斉に智也のほうを向いた。

 とても驚いているようだった。

 その驚いた様子も智也にはなんだか可笑しくて仕方なかった。

 教師らしき人物が智也に向かって何か喋っている。

 何とも不快な音だと智也は感じた。

 智也はとりあえず持っていたバットを扉に叩き付けた。

 今度は屋上の扉を壊した時とはわけが違かった。

 悲鳴や金切り声が教室に渦巻いていた。

 その悲鳴の嵐が上がった瞬間、智也はこれまでにないほどの快感を得た。

 ―やってやった。この不快な壁に。やってやった。

 「ははははははっ。」

 智也は笑い声をあげた。

 今度はバットを壁に叩き付けた。

 悲鳴はより激しさを増した。

 間髪入れずに、次は近くの机にバットを振り下ろした。

 完全に連中はパニックになった。

 教室の隅に殺到する。

智也も連中の近くに近づくと、連中は智也が入ってきた扉の反対のほうに殺到した。

智也は追いかけるのも面倒になり、近くの窓ガラスをバットで割った。

そしたら、教師らしきものが何人か教室に入ってきた。

それらが何か言っているのか智也はよく聞こえなかった。どうでもよかった。

逃げ惑う連中に目を向けると、パニックで転んでいる者もいた。

教師たちはどうしていいのやらわからず、中々踏み出せないようだった。よく見たら担任である滝もとの姿も見えた。

一方では生徒の誘導している怒鳴り声が聞こえる。

同時に、自分に問いかけるような声も聞こえてくる。

―無視して破壊を続ける。

ガラスが壊れる音や、叫び声がひどくおかしい。

それもそのはずであった。

今までずっと自分を閉じ込めていたもの。

無意味で何の価値もないもの。

そんな中で平気で息をして、くだらないことを言う連中。

どうしてだ。

どうしてお前たちはそんなに鈍感でいられる?

どうしてお前たちは平気で生きていられる?

どうして毎日に耐えられる?

どうしてこの空虚な壁の中で平気でいられる?

破壊を続ける。

この行為にも何か意味があるわけではない。そんなことは智也にもわかっていた。

でもやめられない。

なぜなら不愉快だからだ。

この風景も。この連中も。目に映るものすべて。

体力が続く限り傷つけてやろう。

智也はそう思った。

そのあとは―、

そうだな―、

できれば殺してほしいかな―。

智也は微笑んでいる。

楽しい―。

ほんとに馬鹿らしくて―。

もう何度バットを振るっただろうか。休みなく振り下ろしてきたから、腕が疲れてきていた。もう腕が動きそうにない。

だが、今バットを振るのをやめたら、あの教師どもにたやすく捕えられてしまう。

どうすればいいのか。

智也は考えてみたが良い案考えは、浮かんでこなかった。

とりあえず彼らとの距離をとる。大した考えなど一つもなかった。

そうして腕が限界にきてバットを振るのをやめた。

そうすると、教師たちが見計らっていたように、智也に迫ってきた。

やはりこの瞬間を狙っていたのだろう。

―やっぱりだめか。

智也はそう思った。

でももう一振りくらいはできる。

せめて彼らにも一発当ててやろう。

智也はそう決意し、迫ってくる教師にたいして身構えた。

その瞬間、不意に後ろから誰かに、飛び掛かられた。

「―⁉」

誰か隠れていたのか?

この学校の教室にはベランダがある。

そのベランダは隣の教室につながっていることを智也は今さら思い出した。

「くそっ。」

智也は何とかして飛び掛かってきた人物を払おうとして、バットを振るった。

そして、鈍い音が聞こえた。

それはいままで壁やガラスを壊した時に聞こえる音ではなかった。

組み敷かれた腕がズルズルと落ちていく―。

気が付くと教室は静寂に包まれていた。

重く、鈍い音が智也の背後でした。

智也はゆっくりと後ろを振り返った。

智也の足元にはよく知った人物の頭があった。

そして、その頭から赤いものが広がっていくのを智也は見た。

―翔太だった。

「あっ……。」

智也はバットを落とした。

無機質な音が教室にこだまする。

どうして。

 どうしてお前なんだ。

 半分見える翔太の顔はずいぶん久しぶりに見るような気がした。

 途端に逆らえない力が智也の後ろからふりかかる。

 智也の目線が翔太と同じ高さになった。

 翔太は目を閉じている。

 その横顔はよく眠っていて、心地よそうに見えた。

 久しぶりだなぁと、智也は思った。

周りはがやがやとひどくやかましかった。

 「ごめん、翔太。」

 智也はそう呟き、目を閉じた。

 最後に割れたガラスの窓から見慣れた空が見えた。

 智也の無意味な抵抗は終わった―。

 

 学校という建物の一番高いところにある屋上より遥か彼方にある青い空。

 人々の声がざわざわと騒いでいる地上よりも遥か彼方の空。

 曇天の日や雨の日もあるがいつもそこにあり、かわらずある奇麗な空。

 牢獄に閉じ込められている鈍感で愚かなもの。

 空に焦がれ、飛ぼうとするもの。

 悶々とするもの。

 絶望するもの。

 そんな人たちをこの青い壁が覆っている。

 過去現在変わることなく―。

 憎たらしいほど青く奇麗な空は、今日も僕たちを見下ろしている。

 

                           〈了〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あとかぎ

ここまで読んでくださった皆様に心から感謝の気持ちを申し上げます。

もしよろしければ感想やコメントをいただければこちらも大変嬉しいです。

 

それでは、また次回作でもよろしくお願いします。

ありがとうございました。

 

                           著タコヤキ


この本の内容は以上です。


読者登録

タコヤキさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について