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1:依頼

「あいつに、うちの息子から手を引かさせて下さい。」

 それが開口一番、汗くさいおばさんの口から飛び出してきた依頼内容だった。
おばさんの人間離れしてどこか動物を思わせる金壷眼と、ノースリーブから突き出てる水太りした腕がやけに毛深いのが気になった。しかもその体毛はきつい茶色味を帯びている。
 最近は、このご時世のせいなのか、いい年をした「いじめられっ子」が多い。
依頼者の一人息子、足利優から大金を巻き上げているのは、ちょっと風変わりなチンピラだった。
 緒羅竜児、通称「オラ竜」と呼ばれている。依頼者が持ち込んできた隠し撮り写真のオラ竜は、目がくらむほど見事なプラチナブロンド色の髪を、ヤンキー軍艦頭にした上、更にド派手なアロハを素肌に付けていた。
 オラ竜は、そんな異次元のファッションセンスに身を固めたキッチュなチンピラだった。

 写真の中の視線が、振り返りながらこちらを睨み付けている所を見ると、このおばさんの隠し撮りは、オラ竜にきっちり発見されているのだろう。
 こんな事をして、よくもまぁ無事でいられたものだ。
 その他の印象としては、オラ竜のガタイは、大男というわけじゃないが、骨太でいかにもはしこいゴロをまきそうな身体つきをしていた。

 現時点での調査結果では、オラ竜に暴力団などのバックはなく、オラ竜を直接こっぴどく締め上げ、足利優から手を引かせるという方法が考えられた。
 が、いかんせん探偵目川には、そうするための「暴力」の元手がなかった。
 一般的な基準から言えば、目川はそう弱くはないが、暴力の世界に身を置く人間としては、さほど強くもない男だったからだ。
 おまけに間の悪いことに、目川探偵事務所の助手であるバイト君は(こんなケースでは何かと便利な存在なのだが、、)高校の期末テストということで今回はあてに出来ない。
 つまりは今回の依頼は、オカルト探偵の異名を持つ文系探偵が最も苦手とする汗を流さなきゃ仕上げられない仕事だということになる。
 目川としても、この梅雨空の下、街中をあくせくと歩き回らず、事務所でクーラーに当たっていたいものだったが、その電気代すら滞納の気配が漂っていたのだ。
 まあ、そんなこんなで目川は、たった一人、ぐうたらの気を押さえ込みながらハードボイルドモードで、この依頼に取り組まざるを得ない状況にあった。


 路地の奥から嫌な音が聞こえ始めた。
目川の経験から判断すると、それは人の身体にケリを入れている音だった。
 それも頭部への攻撃。
 そろそろ止めに入るタイミングだろう。勿論、そんなことをすれば、これからのオラ竜に対する尾行調査は格段にやりにくくなるだろうが仕方がない。
 目川に対する事務所のバイト君による彼へのマイナス評価とは大きくズレるが、目川は結構、標準的な倫理観の持ち主なのである。
 それに目川が、オラ竜の尾行を続けてもう二日目だ、しかるに成果は何も出てはいない。追跡調査にも、いい加減飽きた頃である。

 オラ竜はダンスを踊るように、先ほど繁華街で釣り上げた餌食にケリを入れていた。タックの入ったズボンをはいていても脚の長いのが判った。
 見惚れるほどその動作が決まっている。要するに何をやっても格好良いのだ。
 強いて欠点を挙げるなら、オラ竜がのべつまもなくガムを噛み続けている事ぐらいだろうか。
 目川は生まれてこの方、ガムをスマートに噛んでいる奴を見たことがない。
「もうやめときな。それ以上やると死んじまうぜ。」
 今まで潜んでいた物陰から姿を現した目川は、ポケットに手を突っ込み、身体を斜めに開きながら投げやりに言った。
 オラ竜を刺激したくなかったし、それにこういった輩には、最初ぐらい格好をつけておかないと後で悔やむ事になる。サシでやり合う事になれば、6:4で目川の方が分が悪い。
 目川も商売柄、暴力沙汰の経験値は決して少なくはないが、元来攻撃的なタチでもないし、第一、オラ竜とは年齢が離れすぎていた。
 目川は三十代、オラ竜は二十代前半、、、体力差であろうが実力差であろうが、喧嘩に負けてから、その相手に格好をつけるのは難しいモノである。
 何度も言うが喧嘩もせずに、相手に格好をつけられるのは最初の内だけだ。

「おにいさん。このあたりが辰巳組のシマだってこと知ってるよな。実は辰巳組、今ちょっとしたトラブルを抱えていてな、彼ら神経質になってる。シマ内でけが人や人死にが出れば、組としてはあまり気持ち良くないんじゃないか?」
 ここが辰巳組のシマだというのは本当だ。しかし「トラブル」の方は知らない。この際、事実はどうでも良いことだ。
 オラ竜が足下のサラリーマンを加減してポツリと蹴り付ける。それが「この攻撃はもう止めた」という彼なりの合図らしい。
「おっさん、名前は、、?そこまで言ったんだ。こっちは、あんたをただの通りすがりで済ますつもりはないからな。」
 しきりとガムを噛み続ける間に、ドスの利いた低い声が流れ出る。
 オラ竜、見栄えとは違ってそれなりに頭はまわるようだ。
どのみちオラ竜とは、こちらの身分を明かして接触する機会が来る。今、偽名を使った所で、後が難しくなるだけだ。
「、、目川だ。兄さんあんたは。」
 目川は頭の上にのせていた白いパナマ帽の鍔を、挨拶代わりに少し上下させてそういった。
 オラ竜が少し躊躇する、彼も後々の計算をしているのだ。その間も形の良い顎を激しく動かしてガムを噛み続けている。
 オラ竜の少年じみたそのくせ精悍な顔で、それをやられると、まるでガムで牙を研いでいるように見えるから不思議だ。
「オラリュウジ。覚えるのは勝手だが、あんた俺の名前を覚えて後悔するかもな。」
 緒羅竜児、何もかも気取った若造だった、、。
だが、せめてガムをせわしく噛むのは止めてくれ。
 それが探偵目川と、緒羅竜児ことオラ竜の初めての出会いだった。


 目川は事務所に帰ってから、今日の出来事を整理してみた。ハンガーに掛けた白い上着もパナマ帽も今日の暑さでくたびれて見えた。特に上着の袖には、拭いきれなかった小さな血痕の跡が微かに残っている。オラ竜が立ち去った後、奴に叩きのめされたビジネスマンを助け起こした時に付いたものだ。
 オラ竜の過剰な暴力の餌食となったこの哀れな犠牲者は、オラ竜と道ですれ違った時に肩をぶつけ、その直後、何か一言二言の短い会話をしている。
 それから犠牲者は、お定まりのように路地に連れ込まれて、、だが、、肩がぶつかったぐらいで、あれほどの攻撃を加える必要があったのだろうか。
 それに目川が辰巳組の名前を口にした時のオラ竜の反応が妙に複雑だった。
 目川は、街のチンピラなら「辰巳」の名前を出しただけでビビるか、それを口にした自分の事を都合良く組関係者だと勘違いしてくれれば儲けモノだと思ってふっかけてみただけの話なのだが、、。

 まあいい。ようやく汗で身体に張り付いたシャツが気にならなくなったのだ。今日はもう出歩くつもりはない。
 明日あたりに、足利の坊やの方を調査するのがいいかも知れない。得てしてこういった依頼の場合は、依頼者側の事情を深く知る方が、仕事を効率よく片づけられるものなのだ。

 目川は事務所の冷蔵庫から出してきた氷をグラスに放り込んで水道水を注ぐ。ウィスキーにはまだまだ早すぎる。
 それを一口で飲み干して、背もたれ付きの椅子に座り込むと、再び頭の整理を続けた。
 まず判らないのが、足利とオラ竜の接点だった。困った事に依頼者である母親は、彼ら二人に関する事情に触れる事を一切拒否していたのだ。
 第一、足利の母親は、目川探偵社を「そういったことを気にせずに依頼できる」と誰かに紹介されて、他と比べて若干割高の調査費を支払っているのだった。
 「余計なことは見聞きせず、頼んだ事だけをやってくれればいい」と暗に言っているような依頼の中には、結果的に犯罪の片棒を担ぐようなものさえあるが、そこは目川なりに依頼を選んでいるつもりだ。
 今回、その点は大丈夫だろう。
 ただしその性格は同じで、守秘義務も何も、元から依頼主のプライバシーには、一切首を突っ込むなという事だ。
 そういうことだから、目川自身が依頼先の探偵だというのに、母親からの情報も、当然、その息子である当人からの協力もとりつけられていない。ただ「何も聞かずに、いじめを止めさせて」と言われているだけだ。

 で、現在判っている足利と緒羅の情報。
 まずは学校関係、これは比較的簡単に調べる事が出来た。本人の名前、年齢、おまけに母親の名前と現住所が判っていれば、足利の学歴や出身学校くらい調べるのは簡単だ。
 更に足利らの学校の卒業生を装って、卒業者名簿を調べるのも容易い。こういった時の目川の演技力はずば抜けている。個人情報保護のガードも「人情」の前にはまだまだ脆さを持っているものだ。ただしさすがの目川も、オラ竜の調査には若干手こずったが。
 足利と緒羅、二人は三つ年が離れており小学校も中学校も全く違う。足利の方が年上だ。第一、高校を中退したオラ竜と、それなりのエリートコースに乗った足利との間に学歴上の接点があろう筈がなかった。
 京都の街を徘徊しているチンピラと、外資系大手企業支社のシステムエンジニアの接点。
 しかし学歴上の接点はなくても、一人の男と一人の男の出会いの機会などは、京都の街には何処にでも無限大に広がっている。
 、、が、多いときには一回、百万以上の金を脅し取られる付き合いとなれば、事情は少し変わってくる。
 足利が緒羅になんらかの「弱み」を握られているなら、今回の依頼を完了させるには、その「弱み」を解消してやるしか方法がないはずなのだが。
 やはり直接、足利優にあたるしかない。契約条項違反だが、それは書面で交わしたものではないし、結果が全てをちゃらにするだろう。
 世界には無料のサービスなど金輪際、存在しないように、依頼する人間の痛みが伴わない「探偵」も存在しない。そんなものを鵜呑みにしている人間は、ただのお人好しだ。
 目川は、明日にでも緒羅の名前を詐称して、足利本人を会社から呼び出す事を心の中で再確認して、クーラーのダイヤルを「最強」にした。
 これからは事務所の中でもプライベートタイムだ。
 最近、除湿をしてあまり室温を下げないのが流行らしいが、そんなのは根性なしの人間のする事だ。
 目川は身体が冷え切ってしまうような冷房が好きなのだ。
 もっとも目川の事務所のクーラーには除湿機能なんて軟弱なものは元から付いてはいないのだったが、、。


「貴男。たつこ、いや緒羅さんと、貴男どいう関係の人なんです?」
 足利は「優」という名前の通り、どちらかと言えば女性的な顔立ちの色白の青年だった。喫茶店のテーブルの上に置かれたアイスコーヒー用のガムシロップをいじる指先も細い。
 事務所に尋ねてきた彼の母親の面影とはおおよそかけ離れていた。
 目が大きく睫毛が長い。うちの事務所のバイト君と良い勝負だった。
 だがうちのバイト君の目が、「可愛い」とか「綺麗」とかの人間的なイメージに繋がっていくのに対して、足利の場合のそれは何故か動物を連想させた。
 例えば草食動物の優しげで臆病な目、、鹿だ。
「どうでもいい事だろう。こうしてわざわざ出向いてきたんだ。こちらの用向きは言わんでも判るよな。」

 目川は緒羅の関係者を名乗って、足利が勤めている会社に直接電話をし、彼を呼びだしていた。
 あこぎなハッタリだが仕方がない。自分はあんたの過保護な母親に頼まれた探偵だと身分を明かした相手に、べらべら喋ってくれる息子などいるわけがない。
「もう金は無理だ。これ以上やるとばれる。空けた穴を水増し操作で埋めるのは限界だ。」
 何も言っていないのに足利は喋り始めた。確かに目川はワザと相手が警戒するような高圧的な物言いをしてきたが、それにしてもなんという無防備な、お人好しさ加減だ。いやそれだけ足利は追いつめられていると考えた方がいいのか。
「緒羅はあんたに期待してるんだがね、、。」
「僕だって別れたくはない。だがこれ以上やると捕まってしまう。そうなれば破滅するのは僕だけじゃない。」
「別れたくはないだって?あんた誰の、、。」
 思わずそう言いかけて目川は言葉を飲み込んだ。足利は彼の母親が思っているような、今流行の「いじめ」や、単純な恐喝にあっているのではないのだ。
 どうやらこの件の背後には女の影がある。確か最初、足利はタ・ツ・コと漏らしたはずだ。
 目川はもう少し彼から情報を引き出したかったが、後々のことを考えるとここらあたりが引き際と判断した。
 調査が完了した時の最終的な支払いの場面で、今日の事を引き合いに出されては、目川も強気ではいられなくなる。
「仕方ないな。今日の所はこれぐらいで終わっとこう。俺が会いに来たことは緒羅には言わない事だ。」
「あんた一体?」
 ここに来てようやく足利は目川を疑い始めたようだ。
「あんたは素直ないい男みたいだな。だから一つだけ教えといてやろう。世の中はあんたが思ってるほど単純じゃない。窮地に陥ったら下手に動かないことだ。下手に動けば動く程、物事は悪化する性質がある。それにどのみち、放置しておいてもその最悪野郎は向こうからやってくる。だから対処方法はその時に考えればいい。今日の事は忘れろ。酒でも飲んで寝れば黙ってても明日がやってくるさ。これは何にでも通用するぜ。また連絡する。」
 目川はテーブルの上の二人分の伝票を摘み上げた。安いモノだ。しかも必要経費で落とせる。出所は足利の母親だが、、。

 目川は、足利と別れた後、間を置かずに喫茶店の裏手に回り込むと、彼の務める会社に携帯から今日、二度目のTELを入れた。
 足利を呼び出す為だ。勿論、足利はまだ会社には戻れてはいない。
 目川は既に調査済みの、受付経由ではなく彼のセクションに直通する電話番号を使った。案の定、彼の同僚が受話器を取った。これで足利の周辺の気配が嗅ぎ取れるというものだ。
「こちらクラブマリージの高岡というんだが、金の事でシステムの足利さんをお願いしたい。」
電話が繋がった時点で間髪を入れずに目川が自分を押し出すように言う。
 受話器の向こうで息を潜める気配がした。
「足利はただいま所用があって社を出ておりますが。」
「なら、そっちで待たして貰って良いかな。その方が確実だしな。」
 しばらくの沈黙が流れる。
電話の相手は、口調からすると結構押しの強そうな男だった。技術畑の人間らしく口調が固い。
「こっちは会社なんだ、足利に関するプライベートな用件なら断る。」
 案の定だった。ビンゴというやつだ。こういう反応を目川は期待していたのだ。
「あんた、名前はなんてんだ、、。」
 やくざの口調をそっくり戴く、目川の職業は彼らとつき合いが浅いものではない。持ちつ持たれつとは言わないまでもそれなりの交流はある。さぞかし目川の脅し文句は、素人さん相手に堂に入って聞こえた事だろう。
「ふざけんな。脅しているつもりか。」
 先ほどから受話器の向こうから流れてくる背後のさざ波のような音がとぎれる。セクション中の人間が声を荒立てたこの男の動向に注目しているのだろう。
「おう、威勢がいいな、、まあいい。いずれ足利からあんたの名前を教えてもらうさ。じゃあな。」
 目川は通話終了のボタンを押さずにそう言った。
「足利の奴、様子が変だと思ったら、やっぱりおんな、、」
 そして不通の音。目川がその言葉の続きを最後まで聞かない内に、男は受話器を叩きつけたようだ。
 調査としては軽いジャブだが、このジャブがやがて後で効いてくるのだ。
そして足利のトラブルの根源は、「女」で間違いないことが判った。



 その日の夜、目川は辰巳組組員の一人と酒を飲んだ。
名前を「宗」という。宋は頭髪を剃り上げていたが別に宗教とはなんの関係もない男だ。
 彼と目川の仲は、お互いの職業上の接点ではなく、某大型書店のオカルト特集コーナーで偶然知り合った者同士というものだった。
 オカルトマニアのやくざがいては不思議かも知れないが、「趣味」は人を選ばない。
そして宋と付き合ってから判ったことだが、彼はオカルトマニアの中でもかなり重症の部類に入る人物だった。
 目川と彼とのつき合いは、趣味人同士としてのつき合いであり、今回の酒も、オラ竜のリサーチは二の次だった。
 二人でオカルト方面の情報交換をし、最近のマスコミが取り上げる「魔界京都」のでたらめぶりをつつき合って大いに飲んだ。
 そしてひとしきり話が盛り上がり一段落を経た後、目川は怖ず怖ずとオラ竜の件を切り出した。
 意外にもオラ竜は彼らの業界においても有名人だったようである。
宗はかなり詳しくオラ竜について知っていた。
「オラ竜ってあだ名な、単純に名前をつめただけじゃないんだよ。やることなすこと凶暴なんだな。恐竜みたいにな、こう神経が通っていないみたいな攻撃をするわけよ。俺も一度だけ奴が素人さんを痛めつけているのを見たことがあるがそりゃえげつない。な、これで飯食ってる俺が言うんだ、想像つくだろう。」
 宋の斜視の右目が飲み屋の蛍光灯の光にキラリとひかる。
「奴、年少に行った?」
 目川はコップに残った梅チューハイを飲み干す。オラ竜の出身高校名は突き止めたが、それだけだった。
「否。頭も相当に良いみたいだな。そんなヘマはしないようだ。」
「暴ヤン上がりか、それともチーマー?」
「いや、今時珍しいが一匹狼って奴だ。人と組めなかったという話もあるな。オラ竜、実はいじめられっ子説とかな、、。最初、そんなオラ竜を幾つかの組が兵隊として飼いたがっていた、、。」
「過去形かい。」
「ああ、ありゃ危なすぎて使えない。今、奴にご執心なのは美馬の糞だけだろう。」
「美馬組は武闘派で名前が通っているからな、今、あんたの所とまずいんだろう?」
「シャブが原因さ。」
 宗は眉を少し上げて相づち代わりにした。麻薬関連の話を、もうこれ以上、目川とはしたくないのだろう。
 勿論、目川は宗に従った。
目川達の付き合いはあくまで趣味人同士の付き合いなのだ。
「最近、オラ竜の金遣いが荒いとか、そんな話を聞いた事がないかな?」
 目川は話題をオラ竜に戻した。宗は何故そんな事を聞くのかとは問わなかった。宗も目川とのつき合いを損ねたくはなかったのだ。だから、ある程度の事なら情報を流してやる心積もりでいるようだった。
「そこまでは知らねえな。だがそんな派手な生活をしてんなら、こっちの耳にも届くんじゃないか?」
しかし宗は、すっかり白けてしまったようだった。
 目川は、再び場を盛り上げるため、宋に最近依頼を受けた「鰐詰め女」の話をしてやった。剥製の鰐の中に全裸の女性が詰め込まれていた話だ。オカルト探偵の異名を持つ目川の体験談が宋に受けないわけがない。
 目川達は、再び酒の精に攪乱され始めた。だが目川は、どこか一部冷えた意識の中で考え続けていたのだ。
 オラ竜が本当に組がらみでないとすると、どうやって食い扶持をかせいでいるんだ。
奴には仲間がいない。
 それに中途半端に悪名を売っているせいで、堅気のバイトも好きには出来ないだろう。
 ここ数日の目川の調査では奴は昼間、街を流しているだけだ。
それに結構いいマンションに住んでやがるが、かといって足利の金で豪遊している雰囲気もないのだ。
 本当にどうやって食ってる?まさか毎日、喝上げをしてる訳じゃあるまい。
それが不思議だった。


 白熱球を取り替える夢を見た。
熱さや破損に気を付けながら電球自身を手に包み込むようにしてネジを左に回していく。 問題なのはそれからだ。
電球が二人の男の頭にすり変わった。
オラ竜と足利だ。
二人は全裸で向かい合っており、お互いの頭部を外そうとしていた。

 目川には悪夢の先が読めた。
彼らはお互いの頭部を、取り替えては、はめ込み、再び取り替えるようなことを延々と続ける筈だ。
 なぜ判るかって?それは俺、つまりオカルト探偵が見る夢だからだ。
そしていつもは、たいがいこんな事を考えた時に目が覚めるものだが。
 二日酔いだった。
夕べの宗との酒が深すぎたのだ。


 目川は病院に向かっていた。その日は朝から雨だった。
無骨なランドクルーザーは京都の街には向いていない車だが、雨の日にたった一人分の贅沢な空間を用意してくれ、しかも多少は車族の巨人になったような錯覚を起こさせてくれるゴージャスな車だ。
 ワイパーが、雨をふき取り、カーステレオから流れるサティは酔いを薄める。
 決め手になったのは社用バッヂだった。あの社用バッヂのデザインを思い出さなければ、新京極の路地裏でオラ竜に叩きのめされた会社員の事など、オラ竜の過剰な暴力の謎とともに、目川の思考の闇の底に沈んだままの筈だった。
 目川は二日酔いで痛むこめかみを押さえながら、興信所専用の闇で出回っているえげつないデータベースを使って、問題の社用バッチのデザインから会社名を割り出し、更に電話攻勢で、最近事故で休んでいる社員の動向とその病院を探し出した。
 今度の問い合わせでは、目川の立場も出せる部分はしっかりアピールした。なんと言っても、目川が緒羅の暴行を止めにはいり、救急車を呼んだのだ。大げさに言えば、目川はあの会社員にとって命の恩人という事になる。
 そして今回は、あっけない程簡単に、彼の上司という人物からあの会社員の全てと言っていいほどの情報が引き出せた。
 いくら上司とはいえ、他人にこれほど自分の事を知られていては気持ちが悪かろうと思ったぐらいだ。古株の大手の会社の上下関係というものはそんなものなのだろう。
 第一、今時の社員が、外出先で社用バッチなど付けるのは、議員バッジの効用と同じような、それなりの旨味がバッジにあるからに違いない。
 軍司栄介はそんな会社の若手営業マンだった。


 105号室、個室だった。ただし、彼は入院にかこつけてゆっくり休養している風情ではなかった。そこいらじゅう包帯だらけ、正に重傷だった。包帯で半分覆われたその顔が団子っ鼻の愛嬌のある作りだったのが救いだった。
 こんな状態の男から事情を聞き出せるものかと目川が危ぶんだほどだ。
「大丈夫ですか。」
 話は前もって会社から通しておいてくれたようだ。遠回しな初対面の挨拶の時間は既に省けていた。
「目川さんが助けてくれていなければ、命が危なかったかも知れないと医者に言われて震え上がっている所です。」
 軍司は事情を正直に会社に話していた、その上で、あの事を刑事事件にはしていない。 体面が第一の彼の会社では、軍司の行為は賢明な処置と言えるのだろう。
「口が商売の仕事なんですよ。幸い喋りの方は無事だった。松葉杖やギブスだらけで復帰したらかえって同情票で成績が上がるかもしれない。、、あなたには時期を見て私から正式にお礼をするつもりでした。実は家族の者には今度の件は事故にしてあるんですよ。」
 ほんの軽い冗談と真摯なものいいを上手に混ぜる話しぶり、確かに営業の方では仕事が出来る男なのだろう。
「いや、礼なんてどうでもいい。、、ああ、あなた、私が訪ねて来た理由をお考えですね?実を言うとあなたを傷つけたあの男について、いろいろ情報を知っておく必要が出てきたんですよ。あれから後、私とあの男との間には、あまり好もしくない関係が生まれましてね。」
「私を助けた事で、因縁を吹っかけられている?」
 軍司が恐縮したようにいった。
「まぁそのようなものです、、。ですがご心配なく、なんとかあしらってみせますよ。ただその為には彼についての情報を沢山知っときたい。」
 目川は幾つか所持している名刺の中の「本物」を抜き出し、手が使えぬ軍司の為に、彼の目の前にそれをかざして見せた。
「ああ、探偵さん、、ですか。どおりで、、。」
 どおりでの次に何が来るのか考えたくなかった。
世間の探偵に対する勝手な思いこみがあるならそれはそれでいい。
 ただ、目川が探偵だから、たまたま通りすがった軍司の窮地を救えたわけではない。事実は逆だ。
 目川は最初から事の成り行きを見ていたわけだから、そうしようと思えばもっと前からオラ竜を止められていたのだ。
「あなた、奴とは知り合いだったんですか?やくざでも街のチンピラでも、肩をぶつけられたぐらいで、素人に対してあそこまではやらない筈なんだ。」
「僕には、一つだけ凄い特技がありましてね。仕事の方もこの特技のお陰で随分助かっているんです。一度見た顔は忘れないという特技なんですけどね。」
 軍司が照れたように言った。
「奴ともどこかで会っていた?」
「ええ。ゲイバーでね。かなり高級な店ですよ。」
 一瞬頭の中が混乱する。オラ竜とゲイバー、なかなか繋がらない。
「奴が客の中にいた?」
「まさかでしょう。いくら僕でも客の一人一人までは覚えられない。店の子ですよ。タツコと呼ばれていた。切れ長の目をしたぞっくとする色気のある子でSMの女王様みたいな雰囲気があって結構人気がありましたよ。」
 タツコ、、繋がった!、、足利を呼びだした時に彼が口走った名前だ。
「そのタツコと、あなたに暴行を加えた奴の関係は?」
「いやだな、、同一人物ですよ。」
 軍司が呆れたように言った。
しかし一度でもオラ竜の実物を見た人間なら、彼の女装姿など想像することは不可能な筈だ。その気持ちを察したのか、軍司が慌てたように付け加えた。
「いや。普通じゃ、わかんないでしょうね。あのチンピラが女に見える筈がない。でもさっき言ったでしょう。僕の特技は人の顔を覚える事だって、、だから肩にぶつかって相手の顔を見た時に瞬間的に思い出したんですよ。タツコの人をにらむ目つきと一緒なんでね。あの目つきは一度見たら忘れられない。それで思わず、やあタツコじゃないかって言ってしまったんですよ。」
「それが、あなたがこっぴどくやられた原因なのか、、。」
「そうかも知れませんね。奴は殴りながら、忘れろとか黙ってろとか言ってましたからね。」
 目川は暫く考え込んでしまった。
 確かに街をのして歩くチンピラの正体がオカマじゃ箔が付かないだろう。
だが、それにしてもあそこまでやる必要があったのだろうか。
 軍司が怯えるといけないので口にはしてはいないが、あの時のオラ竜は軍司を蹴り殺すつもりでいたのだ。
「その店でタツコと話した事は。」
「ええ結構、おしゃべりしましたよ。こっちもそんな経過があったからあの時も気安く声をかけてしまったんだけど、、。」
「主にどんな内容なんです?」
「タツコは普段あまり喋らないんですがね。僕が大学時代の友人の話を面白おかしく話していたら急に乗ってきたんですよ。なんとタツコの故郷と、僕の友人の故郷が同じだったんですね。故郷たって彼らの直接の出身地じゃないんですよ、それぞれの母方の里でね。今は廃村になっているそうで、昔だって地図に名前が乗ってないんじゃないかという程の山奥の村なんですがね。」
 軍司は自分の肋骨の上を撫でるようにして、少し言葉を句切った。痛みが思い出したようにぶり返すのかも知れない。
「、、獣谷。ジュウタニっていかにもおどろおどろしてるでしょう。」
「それは奥秩父の話?」
「ええ?」
 軍司は、目川の表情が変わったことと「獣谷」の所在地を知っていたので驚いたようだった。
「あなたの大学時代の友人って、酒の肴に他人に話すほどなんだから、よっぽど変わった人だったのかな。」
「普段は無口で大人しいんだけど、切れるともの凄くてね。そのせいで余り友達がいなかった。その他、生肉が好きだったりで彼の事を野人なんて陰口を叩いているやつが多かったな。でも本当はすごい淋しがり屋でね。僕なんかはお調子者だから、たまたま彼に声をかけただけなんだけど。僕は彼にしてみれば唯一の親友だったんじゃないかな。」
 奥秩父の「獣谷」の事は知っていた。
 狼男や熊人間、狐付きが村の住人であるという伝説の村だ。
目川もその伝説を辿って大学時代、村の周辺をさまよった覚えがある。
 勿論、「獣谷」なんて地名はない、近隣の村の住民達が、ある村をそう呼んでいたのに過ぎない。
「獣谷には夜行くな、特に満月の夜にはいっちゃならねぇ。」
 そう近隣の村の住民に忠告されたものだ。
 目川はふざけんな、今のこの時代にそんな事があってたまるかと、単身村に乗り込んでいった。
 と、いえば聞こえがいいが、実際は獣谷の側にテントを張って夜こっそり村に忍び込んだだけだが、、。
目川はそこであまり人には言いたくない体験をしていた。
 その村の名前が再び軍司の口から漏れ出たのだ。
「タツコはその獣谷の友人に興味を持ったんでしょう?」
「ええ。でもその話、長くは続けられなかった。村に伝わる獣憑きの伝説とかね、結構面白い話なんだが。女の子はこういう話好きでしょ。」
「続けられない?どうして。」
「その友人は、それ以上のエピソードを残す事無く、他界したからですよ。こちらもタツコには多少興味があったから、そのまま話を引っ張って盛り上げたかったんですがね。ははっ、これがホントの死人に口なし。」
「どんなふうにです?」
「え?」
「あなたの友人の死に様の方ですよ。」
「いやだなあ、今の聴き方、あの時のタツコと一緒ですよ。」
 先ほど会ったばかりだというのに、もうタメ口を叩き始めている。話しぶりだけだと、とても怪我人には思えない。
 少し苛立ったが我慢して「沈黙」で次の言葉を催促した。
「病気です。無責任な連中はエイズだとかと言ってたけどよくわからない。彼の様子を見てたら老衰だと言われたら納得するんだけど、あの若さじゃね。」
 軍治の話だと、彼がその友人が死んだ事を告げた後、思いもかけずタツコが饒舌になり自らの生い立ちを語り始めたらしい。長い間、自分自身で押さえ付けていた思いをぶちまけるような話ぶりだったと言う。

 緒羅は自分のルーツが「獣谷」にある事を知られたくなかったのではないか、、だからついうっかりタツコとして秘密を洩らしてしまった人物と街で偶然に再会して、、。
 かなり近づいて来ているはずだ。
だがまだ足りないかも知れない。

「、、タツコは、、、ゲイバーで働いている理由をその時言ってましたよ。美馬にばれたんだと、だからここで働かされていると、。」
 目川の物思いを突き破るような言葉が再び軍司から飛び出した。
「今、美馬と言ったのか?」
「いやだなあ。目川さん聞いてないんですか。こう見えても僕は重体なんですよ。恩返しのつもりで無理してしゃべってるんだけど、、。」
「いや失礼しました。その美馬って美馬組のことですよね。」
 実際、目川には時と場所を選ばずく夢想に入ってしまうような奇癖があった。
「ええ、うちの会社、表向きは四角四面清廉潔白って顔してますけど、美馬さんとことは結構関係があるんですよ。それで時々、美馬さんの息がかかった店も利用させてもらうんです。」
 それで軍司が今度の件を表沙汰にしなかった本当の理由の一つが判った。
「働かされているって、竜子は何をしでかしたか、言いましたか。」
「そこまでは喋りませんよ。本当なら自分の事など一言も喋るタイプじゃないと思いますよ。あの時は、獣谷の話が余りにも懐かしかったんじゃないですか。」
「でも、獣谷は竜子の母親の里で、今は廃村になったことまで聞き出せたんだろう?何でもいいからさ、もっと思い出せないかな。」
「、、タツコは一度小さい頃に、母親に連れられて祖母に会いに行ったと言ってました。そこで祖母に本当のふるさとに連れていってもらったと、、あの時のタツコの表情は、なんというか、別格でしたね。」
 目川は軍司がいう竜子の「別格の表情」が知りたくなった。
勿論、その為にはオラ竜ではなく、竜子の普段の顔を知る必要があったが、、。

 目川は、ある理由があって美馬組には関わりたくなかった。おまけに美馬組の息掛かりの高級ゲイバーに潜り込む為の軍資金もない。
 いつもなら事務所のバイト君をそそのかして、見習い生としてその店に潜入捜査をさせる所だが、その彼も今は期末考査とやらで狩り出す事ができないのだ。
 目川は軍司と別れてから、オラ竜について聞き忘れていた事が一つあった事を思い出した。
 それはオラ竜が「竜子」の時も、ガムを執拗に噛む癖があるのかという疑問だった。


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最終更新日 : 2010-11-13 09:40:59

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