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しかし、その各階層はスープの中と同じだ。そこまで、あの気狂いは秩序を持たせようとしている。教師の性格かもしれない。それを混乱させるのがモグラさ。いたずら坊主なんだよ。」
 「気狂い教師とは小林ですね?」
 「ああ、そうだ。まだ話したりないようだが、もう勘弁してくれ、これ以上はよく分からない。そんなに知りたいなら、ここへ行くといい。気が向けば役立ってくれるだろうが。そうでなければ、あなたは格好のおやつだ。」と言って、村長は名刺を差し出した。名刺の裏には地図があり、「ここからそう遠くはないよ」と、村長は付け足した。
 村長の家からマンホールに入り込み、下水道を歩き続け、下水道の煉瓦壁に「心理相談」と古いチラシが張り付けてあり、矢印のあるところにマンホールの出口が見えた。そこを出ると、植込みの中で、振り替えると、マンホールが地下鉄の排気口に変わり、地下鉄がヒステリックなレールとの摩擦音を立てて、風とともに走行しているのが分かった。植込みから出て、名刺を再び見ると、固定式ビルの10階に心理カウンセラーが事務所を開いていた。
 受付に行くと、チンパンジーのオモチャが置いてあり、私は頭を叩いた。「御用の方はどうぞ叩いてください」と書いてあったからだ。チンパンジーがシンバルを鳴らすと、奥から白衣を着た面長の、長い髪を頭の中央で分けている女が出てきた。
 「ここの梯子を上って、私が先に上がるから」といっても、白衣の下はスカートのため、恥ずかしくないのだろうか?とにかく上がっていく間、上をなるべく見ないようにしても、白いふくらはぎが見える。

 

 梯子を上る途中で老婆が泣き止まない男を背負って、ゆっくり空中を上から下降してすれ違った。老婆は、
「泣くな!男だろ!そんなに地獄は怖くないから!」といった。


 ピンクのイソギンチャクが梯子の裏の壁にいっぱい生えていて、中にはペニスの形のもあった。私が上りつづけると、それらは勢いよく壁に潜っていった。

 診察室に入ると、動物園の匂いがした。私は戻れない事情のほか、夢のこと、気狂い教師のこと、モグラのことをくわしく訊こうと、あらかじめ要点だけは伝えた。しかし、結果はおやつになったらしい。
 「深く息をして、背中が沈むような感じで」白衣の両性具有者が言った。
 「あたしのおっぱい舐めてもいいのよ」
 「何か、言いました?」
 「いいえ、そのまま、続けて…」
 「無意識の問題みたいね」
 「なんです?無意識って…」
 「いまにわかるわ」
 電気をつけると、「ハイご苦労様」と乾いた声でいった。部屋の隅のデスクを横にして足を組んで座っている。部屋の隅は薄暗く、何をしているのか、目だけがみえる。潤い、光る黒目だけの目だ。げっ歯目の目だ。
 「あたし裸、いま」
 「で、なんです、戻れないわけは解決したのでしょうか」


 「ハイ、解決しました。いまササキの体温計を中に入れたとこ…」
 「答えを知らせてください、それにあなたは村長からの紹介を知っているでしょ、早く服を着てください」
 「嫌よ・・・」小さいすぎる声でよくわからない。とても大きく膨張したペニスが見えた。
 「あの、ここにきたのは、何で夢を見ないか、っていうことなんですよ」
 「たぶん不足…」
 「なに?」
 「寝不足だと思う」
 村長からお金を払ってもらうことにして、事務所をでると、村長の馬小屋の中にでた。馬が荒い息をして眠っている。
 「どうだったね、不思議だろ、あの男女」
 「結局、分からずじまいでした。」

 「おやつかわりか。もう遅い。眠るんだ。ヒントが出ることがある。『ロレンツォのオイル』という映画を知っているか?」
 「知りません。いつか見るつもりです。」
 

 私は村長の自宅に一泊することになったが、私が眠る枕もとのちょうど上にお稲荷さんがあって、灯明の明かりでなかなか寝付けなかった。いつもランダムに回り続ける時計を見ると真夜中の3時で、それなのに村長の4歳になる孫がプレゼントを買ってもらいたいらしく「お稲荷さん、お稲荷さん、クリスマスに・・・」と拝みにくるため、「へへへ、お前を食ってやる!」と、布団の中から低い声を響かせると、孫が悲鳴を混ぜて泣きながら寝室を出ていった。

 

 ユキと私は大通りと呼ばれるリニアバスターミナルに繋がる道を歩いていた。勾配のある坂を上がっていると、浮上バイクや浮上ジャケットを着た人らがスピードを上げて上空を通過していった。それらは規則正しく、正確な軌跡を描いて飛んでいた。坂をあがると、前方、遠くにリニアビル群がせりあがってきた。通りを跨ぐように半円の緑色の表示板が掲げてあり、そこには青い古めかしい文字で「博愛協会通り」と書いてあり、その横に下手な小林の似顔絵が描かれていて、似顔絵の小林は笑っていた。
 ユキが盛んに空腹を訴えるので、固定式ビルの谷間に入っていった。路地を跨ぐように洗濯物が干してあったり、地面が陥没し、水がたまっていた。飲み屋はその狭い路地のさらに裏手にあり、路地から見ると、暗いじめじめした感じのところにビールケースを椅子代わりに酒を飲んでいる男たちが見えた。将棋を路地でさしている人だかりを抜け、路地を進むと、死体に見える老人が病院の払い下げのようなベッドを露天にさらし、眠っていた。女と腕を組み、寄り添って歩いている男は、恐らくその女を買った雰囲気だった。義手の銀色が鈍く光り、白い布を巻いたような傷痍軍人が地面に座り込み、アコーディオンを演奏していた。寂しい調べで世界が滅びる予兆みたいに聞こえた。
 「ここでいいかな」私はすっかり疲れていた。
 「いいわ、中華屋さんね、私チャーハンがいい」ユキは言った。
 路地から地下に伸びる人がやっと通れるくらいの狭い階段を下りていくと、中華なべで具材を炒めるせわしない、追い立てられるような音がした。換気設備が行き届いていないらしく、赤で統一された店内は油の蒸気で煙かった。隅の一席に私たちは座った。ひどく汚れた白衣を着た店員が来て、注文を訊いているのだが、腋臭らしくひどい異臭を放っていた。


 料理を食べていても、鼻にその異臭が残っていて、料理自体の臭いみたいで気分が悪くなった。
 「たべないの?」
 「ああ、胃が変だ。よかったら、食べてくれるかい?」
 結局ユキは2皿のチャーハンと野菜炒めを食べた。料金を払い店を後にすると、
 「お腹すかないの?」
 「ああ、あの店員の脇が臭ったんで、げんなりだよ、女の腋臭は嫌いじゃない」
 「すけべ」
 路地を引き返し、リニアバスに乗るつもりだった。
 「ねぇ、この辺自殺が多いのかしら」
 「なんで」
 「地面、見て。チョークで何か書いてある。」
 「浮上ジャケットの墜落だよ、これ」
 「そうかしら」
 たしかに言われるとおり、チョークで文字や図形が書かれていた。
 バスターミナルに着くと、職員が、もうリニアバスは明日以降です、地上バスしかありません、という。仕方なく地上バスに乗ることにした。
 「私の叔父さんが、地上バスはホフクバスだって言っていたの。のろいし、故障が多いし、ガラクタだって言っていた」
 「ヘコキバスって言う人もいる、プスープスーって空気を年がら年中出すからだろうね、叔父さんっていくつくらいの人なの?」
 「もう死んだ。とにかく文句屋。褒めたことなんかないの。皆に嫌われていたわ。そんな叔父は死ぬまで文句ばっかり言っていた。テレビをつけると叔父のコメントが始まって、耳が遠くて大声だから、テレビが聞こえないくらいでしょ、それに長いし、叔父のコメントは聞かないと怒るから、みんな黙って聞いているの。疲れちゃう」
 「すごいね」
 「強烈よ」
 地上バスに揺られて、30分くらいすると、日が沈み、森の中を走っていた。バスに灯りが点いた。終点で降り、運転手が
 「この先は徒歩になるよ、双六みたいなものだよ」といった。
 そのとおりで、終点の先の道を歩くと、地面に大きく「スタート」とあり、その先に切り株のようなものが埋まっていた。私たちはジャンケンをして、一歩進んだり、振り出しに戻ったりした。そんなことをしていたので、すっかり遅くなってしまった。
 旅行案内業と肩書きを持つ女は事務所で書類や本をダンボールに詰め、積んでいった。女が私たちを見て、
 「ああ、滝が来るのよ、大水。一日一回は来るの、だから忙しくって」
 女の話ではこの集落はどこから来るか分からないが、大水がうねって流れてきて、飲み込んで、干上がるという。そのため、大事な物はダンボールに入れて積んでおかないと、下流に流されると言うのだ。建物は無事らしい。建物の中だけが流されるそうだ。
 「で、旅館を探していらしたご夫婦ね」と女が言った。「もう温泉街みたいなもので、ほらごらんなさい」といって、事務所の窓をさす。


すると、干上がった川の中に私たちはいて、川岸は丸石で石垣になって、樹木の緑が見下ろす、砂利を敷き詰めた小道が川の両岸を走っていた。蛍が出そうな雰囲気だった。
 「私たちの旅館は?」
 「あそこの、ほら提灯があるでしょ、そこ」
 砂利道をユキと私は歩いていった。振り返って集落を見ると、まだ窓の中にはダンボールを積み上げる女の姿が見え、さらに他のビルの窓にも同じ作業をしているせわしない人々が見えた。
 部屋の明かりを消してみると、窓の向いが宴会場で、人々の騒ぐ声が聞こえた。
 「御銚子や皿の音がするわ」
 「楽しいんだろうね」
 「ね、こっちに来ない?何の音かしら、コーっていっている」
 「大水だよ、気が散るかい?」
 「平気」
 翌朝、旅館を出て、再び集落を見ると、人々は今度はダンボールから荷物を出していた。
 ユキと二人で川岸の砂利道を歩いていると、
 「ね、柳ってさ、よく幽霊が出るでしょ」
 「ああ」
 「わたし、なってみる」
 そうユキが言うと、彼女が川岸から川へ飛び込んでしまった。私はおどろいて、川を覗き込むと何もなく、大きな岩や葦が生い茂っているだけで、水が干上がっていた。私は、叫んで、彼女の名前を呼び続けた。足の悪い少年が通り過ぎると、光景は一変した。どこかのベージュ色の建物が見えた。近づいてみると、
 「社員寮なんですよ」支配人が言った。
 なるほど互いのプライバシーを守るためか、建物は斜めに各部屋が設けられており、一つの部屋からベランダに出てみても、隣の住人と顔を合わすことがない。一つ一つの部屋を外から見ると、誰も住んでおらず、一ヶ所だけから煙が立ち昇っている。
 「バーベキューなんですよ」再び支配人が言う。三人ほど男がいて、網を囲んで、イカを焼いている。社員は無言で、表情は死んでいる。ただたまたま居合わせた、電車の乗客のようだった。何か聞こうにも気が引ける。一人が
 「もうじきだよ」と言った。2人が肯く。背後の生い茂った椎の木が風に揺れ、音を立てた。煙が大きく揺れた。
 「たいへんだよ」私の近所にいる子供がやってきた。
 「おじさんとこ、怖い人がいっぱいいるから、知らせて来いっていうから来たんだよ」
 「怖い人って?」
 「しらない、とにかく怖い人」
 支配人に、この辺にタバコ屋はありますか、と訊いた。すると、支配人は電車で一駅すると大きなスーパーがあるから、そこならあるだろうといった。
 駅に着いて、こげ茶色をした木製の電車が入ってきた。線路の衝撃を直接受けるため、ひどく揺れ、乗客はつり革を持って項垂れていた。多くの死体がぶら下がっているようだった。駅に到着して、さっそくタバコ屋を探し始めた。


たしかに支配人のいうように大型スーパーがあった。しかし、そのスーパーではタバコは取り扱っておらず、二階から渡り廊下を使って、市場に出られるらしい。ギシギシいう狭い階段を上がると、小さな蛍光灯でたいへん薄暗かった。その弱々しい蛍光灯の下には呉服を着たマネキンが転がっていたり、自転車の古くてサドルもないものが錆び付いて倒れていた。
 「渡り廊下は?」と私がいうと、隅に寝転んだ店員が指をさした。不透明なビニールで仕切られた奥へと入っていくと、トンネルのような場所に小さな店が詰って営業していた。
 パイプがショーケースの中に乱雑に重なって置かれ、とても高い値段だった。
 「紙巻タバコはありますか」と訊くと
 「うちは扱っていない」とそっけなく答えが帰ってきた。

 仕方なく、外へ抜けると、住宅街に出て、日本家屋でも古びた杉板が雨ざらしで、傷んだ家があった。その家の二階の一角が軒こそあるものの奇妙な具合に削られており、そこには薄汚れた麻袋で作った人形が、詰め込みすぎた衣装ケースのようにぎっしりと垂れ下がっていた。自動車の黒いファンベルトのようなものが人形の首に繋がり、上で吊るされている。この家には近づかないほうがいい気配が漂っていた。
 「止めときな、あすこだけは」と誰から聞いたのか知らない文句が頭に浮かんだ。
 自分の家に行くと、家の周りに近所の人が棒立ちに見学していた。二階の曇りガラスからユキの泣く声が聞こえたので、玄関に入った。すると、2階に続く階段にはひな壇のようにして、任侠が大勢で記念写真をとっているところだった。目つきは鋭く、顔も精悍であったが、皆一様に痩せていた。とても通れそうもないため、いったん外に出て、家の脇から裏庭に出ようとした。家の脇には大きな物置があって、二階のトイレを増築したため物置の上の空間は這って進む感じだ。クモが巣をいっぱい作っていた。夕焼けのオレンジ色の中、裏庭の木のシルエットが揺れていた。物置の上を這い、どうにか裏庭に出た。裏のサッシの前にユキの運動靴が置いてあった。このサッシは開けにくいため、網戸を引っかけてしまい、今では剥がれた選挙ポスターのように半分垂れている。梯子をとなりの裏庭から借りて、二階へ向け、立てかけた。まだ、ユキの泣き声がする。どうにか二階に行くと、スーツを着た会社員や学生服を着た男が4畳半の部屋にたくさんいて、机の下でユキが体を丸めて泣いていた。私はすごんで、
 「出て行くんだ!」と叫んだ。
 男たちは言葉を発せず、表情も変えず、階段を軋む音を立てながら下りていった。男たちが出払ってから、ユキに何をされたのか訊くのだが、何も答えが返ってこなかった。
 私が階段を恐る恐る降りようとすると、任侠の集団はなく、かといって振り返ると、見知らぬ街の坂の途中で、またしてもユキがいなくなってしまった。私はユキを探していた。
 

 雑貨店があった。中に入ると、コーヒーショップと処方薬局を兼ねた店であった。カウンターの奥に40歳くらいのエプロンをつけた女が一人で切り盛りをしており、カウンターの前には、大きな本棚が斜めにせり出していて、その本棚の周りを囲むようにして安っぽいソファーが置かれていた。店内には薬局の待合室のように処方箋を持った老人がいっぱいいた。ソファーが一ヶ所空いているので、私はそこに座り、コーヒーを注文した。カップに入れたコーヒーを受け取り、飲もうとすると老女が隣に腰掛け、カウンター奥の女と世間話を始めた。しばらくして話が萎むようにして、その老女は一人呟き始めた。「この処方箋、何も書いていないのよ」わたしが横から処方箋を見ると、



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