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遮断された空間の中で男は生きていく。閉鎖された空間に陥れられ、慣れを生じる話ではなく、すすんで世間との接触を切り離した男がどうなるのかというのが大筋だった。ヨウコが読んでいるのはそんな話だ。

 

 ヨウコは読書を止めて、私に話し掛けてきた。
 「村長は、ヨウコっていうの、昔の奥さんのことなのよ、ほんとは、わたしユキっていうんだけれどね」ユキは少し上を向いて笑った。
 村長の家に4歳になる男の子がいた。村長の孫だという。四角い顔をして、赤い頬をしていた。髪は伸びて後ろで束ねている。さかんにユキに機関車トーマスを買ってくれるように頼んでいる。このうるさい子供が始終、私とユキの間に入ってくる。
 「クリスマスに買ってもらいなさいよ」
 「なんで?」
 「サンタさんが貧乏な子供におもちゃを買うからよ」
 「うちって貧乏なの」
 「知らない」
 「なんで?」
 「知らないわよ、サンタが来たら、貧乏だし、おじいちゃんが買ってくれたら、サンタは来ないのよ」
 その子供が歯を食いしばって怒っている。そしてユキの足を蹴っ飛ばして逃げてしまった。
 「痛い!なんなのよ!うるさいんだ。あいつ」
 「カメムシみたいな顔して怒ったよ」
 「村長が甘やかすからなのよ」
 ユキのイライラが収まり、彼女に促されて、廊下に出て、書斎の隣の物置に入った。彼女が隙をついて誘惑したのだ。とても狭い空間なので腕を回そうとすると棚からママレモンが落ちてきたり、ダスキンのモップがユキの足に絡んだりしたため、うまくいかない。
 「外にしない?」ユキが言った。
 私たちは指定公園に深夜、忍び込んだ。芝生の上に転がり、腕をまわし、抱擁をした。ユキの髪が夜露で濡れ、うっすら開けた目が月の光で見えた。吐息が漏れ、しばらく仰向けになって空を見ながらじっとしていた。
 「アリが耳の中に入らないかしら」
 私は空を見て、
 「空であの光が横切るのは人だろうか」
 「そう、家に帰るんだわ」

 

 おはぎをぼとぼとと、村長の孫は口からこぼしていた。ユキは、「ちゃんとお口に入れなさいよ、だらしない!」と叱りつけると、孫は、「ジイジイに言いつけてやる」と、あくまでもこの二人は敵対関係にあるようだ。
 「そうやって喧嘩ばかりしているのかい?」と私が尋ねると、子供はぼとぼとまた小豆をこぼして、


「今食事中だよ」と口をとがらせて答えると、ユキが、子供を睨みつけ、頭上から手を叩き落とす真似をして、
「答えなさいよ、だいたい生意気なんだよ」と言いかけた瞬間、子供は首をすくめた。それは手から頭部を守るための格好かと思ったが、テーブルの上に、男が天井から落ちてきたのだ。皿はひっくり返り、子供は目を大きく開き、掌をいっぱいに広げて、それはあんこで汚れてはいたが、一方ユキは身を引き、顎を引き、状況をつかもうと目を見開いて、落ちてきた男をじっと見つめた。そして、天井から男が落ちてきたことが分かりかけるころになると、意外に冷静に、誰なのかを考えて、
 「ジャンクじゃない?」と、問いかけた。
 「ああ」ジャンクは、ひっくり返ったコップの水が顔の左側を銀色に濡らしてはいたが、落ち着いて答えた。
 私はテーブルから離れていたので、ジャンクが紹介される前に、何かこの男は見たことがあり、それは夢の中だったのか、現実だったのかははっきりと割り切れなかったのだが、ひょっとすると大昔の子供の頃の親友だったのじゃないかと思わせる節があった。しかし、いつの間にか、その認識は確信に変わった。すると、不思議なことに、ジャンクは、テーブルから身を持ち上げ、正座をし、親しく私に、「ああ、お兄ちゃん」と答えた。その時、村長のドアをノックする者がいて、聞き耳を立てていると、
 「いないみたいだ」
 「出直そうか」
 「いいや、やつはいるよ」
 ジャンクは追ってきたと判断をし、黄色の帽子をかぶると、「あとで後程」と言い残して、床に飛び込んだ。外では、「反応がある」「ここにはいない」とあわただしく村長の家の訪問を諦め、おそらく急ぎ足で探しに出かけたに違いない。

 

 「村長、この世界はなんでしょうか」
 「夢の中なんだよ」
 「夢ってなんでしょう」
 「羽を伸ばすところさ」
 「しかし、悪夢というものもあります」
 「昔どこかで見たことがある。眠る30分まえに好きな俳優の写真を見つづけるんだ、そうすると夢にその俳優が現れてデートができるらしい。」
 「ですが、村長、いま現に私は夢の世界にいることを悟っている、あるいは気付いているわけですよね。そうしたら、起きません?ふつう。それが見続けている。」
 「抜け殻を考えると言い、元にまだ戻れないんだよ、あなたは。何かの理由で。」
 「となると、ここは全人類が共通している夢、夢の世界地図はあるのでしょうか。そうとしか考えようがありません。それとモグラの役割はなんなのでしょうか。」
 「なに、やつらは気まぐれさ。統一しようとしている気狂い教師がいるんだ。ソイツは、おそらく悪夢の源泉を知っているに違いない。悪夢の力がなくては、あの行いはできない。ふつう、我々は正常な夢を見る。これはどの階層か知らんが入り込むんだ。また、悪夢やら淫夢を見る、これもある階層に入り込む。たしかに秩序だってはいる。  


しかし、その各階層はスープの中と同じだ。そこまで、あの気狂いは秩序を持たせようとしている。教師の性格かもしれない。それを混乱させるのがモグラさ。いたずら坊主なんだよ。」
 「気狂い教師とは小林ですね?」
 「ああ、そうだ。まだ話したりないようだが、もう勘弁してくれ、これ以上はよく分からない。そんなに知りたいなら、ここへ行くといい。気が向けば役立ってくれるだろうが。そうでなければ、あなたは格好のおやつだ。」と言って、村長は名刺を差し出した。名刺の裏には地図があり、「ここからそう遠くはないよ」と、村長は付け足した。
 村長の家からマンホールに入り込み、下水道を歩き続け、下水道の煉瓦壁に「心理相談」と古いチラシが張り付けてあり、矢印のあるところにマンホールの出口が見えた。そこを出ると、植込みの中で、振り替えると、マンホールが地下鉄の排気口に変わり、地下鉄がヒステリックなレールとの摩擦音を立てて、風とともに走行しているのが分かった。植込みから出て、名刺を再び見ると、固定式ビルの10階に心理カウンセラーが事務所を開いていた。
 受付に行くと、チンパンジーのオモチャが置いてあり、私は頭を叩いた。「御用の方はどうぞ叩いてください」と書いてあったからだ。チンパンジーがシンバルを鳴らすと、奥から白衣を着た面長の、長い髪を頭の中央で分けている女が出てきた。
 「ここの梯子を上って、私が先に上がるから」といっても、白衣の下はスカートのため、恥ずかしくないのだろうか?とにかく上がっていく間、上をなるべく見ないようにしても、白いふくらはぎが見える。

 

 梯子を上る途中で老婆が泣き止まない男を背負って、ゆっくり空中を上から下降してすれ違った。老婆は、
「泣くな!男だろ!そんなに地獄は怖くないから!」といった。


 ピンクのイソギンチャクが梯子の裏の壁にいっぱい生えていて、中にはペニスの形のもあった。私が上りつづけると、それらは勢いよく壁に潜っていった。

 診察室に入ると、動物園の匂いがした。私は戻れない事情のほか、夢のこと、気狂い教師のこと、モグラのことをくわしく訊こうと、あらかじめ要点だけは伝えた。しかし、結果はおやつになったらしい。
 「深く息をして、背中が沈むような感じで」白衣の両性具有者が言った。
 「あたしのおっぱい舐めてもいいのよ」
 「何か、言いました?」
 「いいえ、そのまま、続けて…」
 「無意識の問題みたいね」
 「なんです?無意識って…」
 「いまにわかるわ」
 電気をつけると、「ハイご苦労様」と乾いた声でいった。部屋の隅のデスクを横にして足を組んで座っている。部屋の隅は薄暗く、何をしているのか、目だけがみえる。潤い、光る黒目だけの目だ。げっ歯目の目だ。
 「あたし裸、いま」
 「で、なんです、戻れないわけは解決したのでしょうか」


 「ハイ、解決しました。いまササキの体温計を中に入れたとこ…」
 「答えを知らせてください、それにあなたは村長からの紹介を知っているでしょ、早く服を着てください」
 「嫌よ・・・」小さいすぎる声でよくわからない。とても大きく膨張したペニスが見えた。
 「あの、ここにきたのは、何で夢を見ないか、っていうことなんですよ」
 「たぶん不足…」
 「なに?」
 「寝不足だと思う」
 村長からお金を払ってもらうことにして、事務所をでると、村長の馬小屋の中にでた。馬が荒い息をして眠っている。
 「どうだったね、不思議だろ、あの男女」
 「結局、分からずじまいでした。」

 「おやつかわりか。もう遅い。眠るんだ。ヒントが出ることがある。『ロレンツォのオイル』という映画を知っているか?」
 「知りません。いつか見るつもりです。」
 

 私は村長の自宅に一泊することになったが、私が眠る枕もとのちょうど上にお稲荷さんがあって、灯明の明かりでなかなか寝付けなかった。いつもランダムに回り続ける時計を見ると真夜中の3時で、それなのに村長の4歳になる孫がプレゼントを買ってもらいたいらしく「お稲荷さん、お稲荷さん、クリスマスに・・・」と拝みにくるため、「へへへ、お前を食ってやる!」と、布団の中から低い声を響かせると、孫が悲鳴を混ぜて泣きながら寝室を出ていった。

 

 ユキと私は大通りと呼ばれるリニアバスターミナルに繋がる道を歩いていた。勾配のある坂を上がっていると、浮上バイクや浮上ジャケットを着た人らがスピードを上げて上空を通過していった。それらは規則正しく、正確な軌跡を描いて飛んでいた。坂をあがると、前方、遠くにリニアビル群がせりあがってきた。通りを跨ぐように半円の緑色の表示板が掲げてあり、そこには青い古めかしい文字で「博愛協会通り」と書いてあり、その横に下手な小林の似顔絵が描かれていて、似顔絵の小林は笑っていた。
 ユキが盛んに空腹を訴えるので、固定式ビルの谷間に入っていった。路地を跨ぐように洗濯物が干してあったり、地面が陥没し、水がたまっていた。飲み屋はその狭い路地のさらに裏手にあり、路地から見ると、暗いじめじめした感じのところにビールケースを椅子代わりに酒を飲んでいる男たちが見えた。将棋を路地でさしている人だかりを抜け、路地を進むと、死体に見える老人が病院の払い下げのようなベッドを露天にさらし、眠っていた。女と腕を組み、寄り添って歩いている男は、恐らくその女を買った雰囲気だった。義手の銀色が鈍く光り、白い布を巻いたような傷痍軍人が地面に座り込み、アコーディオンを演奏していた。寂しい調べで世界が滅びる予兆みたいに聞こえた。
 「ここでいいかな」私はすっかり疲れていた。
 「いいわ、中華屋さんね、私チャーハンがいい」ユキは言った。
 路地から地下に伸びる人がやっと通れるくらいの狭い階段を下りていくと、中華なべで具材を炒めるせわしない、追い立てられるような音がした。換気設備が行き届いていないらしく、赤で統一された店内は油の蒸気で煙かった。隅の一席に私たちは座った。ひどく汚れた白衣を着た店員が来て、注文を訊いているのだが、腋臭らしくひどい異臭を放っていた。


 料理を食べていても、鼻にその異臭が残っていて、料理自体の臭いみたいで気分が悪くなった。
 「たべないの?」
 「ああ、胃が変だ。よかったら、食べてくれるかい?」
 結局ユキは2皿のチャーハンと野菜炒めを食べた。料金を払い店を後にすると、
 「お腹すかないの?」
 「ああ、あの店員の脇が臭ったんで、げんなりだよ、女の腋臭は嫌いじゃない」
 「すけべ」
 路地を引き返し、リニアバスに乗るつもりだった。
 「ねぇ、この辺自殺が多いのかしら」
 「なんで」
 「地面、見て。チョークで何か書いてある。」
 「浮上ジャケットの墜落だよ、これ」
 「そうかしら」
 たしかに言われるとおり、チョークで文字や図形が書かれていた。
 バスターミナルに着くと、職員が、もうリニアバスは明日以降です、地上バスしかありません、という。仕方なく地上バスに乗ることにした。
 「私の叔父さんが、地上バスはホフクバスだって言っていたの。のろいし、故障が多いし、ガラクタだって言っていた」
 「ヘコキバスって言う人もいる、プスープスーって空気を年がら年中出すからだろうね、叔父さんっていくつくらいの人なの?」
 「もう死んだ。とにかく文句屋。褒めたことなんかないの。皆に嫌われていたわ。そんな叔父は死ぬまで文句ばっかり言っていた。テレビをつけると叔父のコメントが始まって、耳が遠くて大声だから、テレビが聞こえないくらいでしょ、それに長いし、叔父のコメントは聞かないと怒るから、みんな黙って聞いているの。疲れちゃう」
 「すごいね」
 「強烈よ」
 地上バスに揺られて、30分くらいすると、日が沈み、森の中を走っていた。バスに灯りが点いた。終点で降り、運転手が
 「この先は徒歩になるよ、双六みたいなものだよ」といった。
 そのとおりで、終点の先の道を歩くと、地面に大きく「スタート」とあり、その先に切り株のようなものが埋まっていた。私たちはジャンケンをして、一歩進んだり、振り出しに戻ったりした。そんなことをしていたので、すっかり遅くなってしまった。
 旅行案内業と肩書きを持つ女は事務所で書類や本をダンボールに詰め、積んでいった。女が私たちを見て、
 「ああ、滝が来るのよ、大水。一日一回は来るの、だから忙しくって」
 女の話ではこの集落はどこから来るか分からないが、大水がうねって流れてきて、飲み込んで、干上がるという。そのため、大事な物はダンボールに入れて積んでおかないと、下流に流されると言うのだ。建物は無事らしい。建物の中だけが流されるそうだ。
 「で、旅館を探していらしたご夫婦ね」と女が言った。「もう温泉街みたいなもので、ほらごらんなさい」といって、事務所の窓をさす。



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