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 最後に小林を囲む多くの子供たちが「ありがとう」と叫ぶと、小林が一人だけ芝生の上に立ち、「皆様に真心込めて博愛協会はご安心をお約束いたします」と言って終わった。
 「なんだこれ?」と私が言うと女は退屈そうに
 「小林。ペテンとキリストが混じった変な奴」
 「何している人なの?」
 「力があるっていうだけ、金を持っているんだって」女がうんざりして言った。
 押入れから音がする。誰かが入っているようだった。私が立ち上がって、押入れをあけると、シンくんが汗をかいて正座をしていた。
 「シンくん、何してんのこんなところで?」
 「知らないよ」
 女が立ち上がって、シンくんを仰向けにして、上に体を乗せた。シンくんは抵抗したが、女はシンくんの両手を抑え込んだ。
 「あなた焼いてるの?」と女が私に言った。
 「べつに」
 シンくんはお経を唱えた。死体と性交しているみたいだった。
 シンくんは素早く動いて、暗い部屋の隅で膝を抱えて座っている、そんなシンくんを女は笑って、私に振り向いた。
 「わたしのこと好きかしら、あのね、シンくんをダシにカマかけてみたのよ」
 それから女と私はぎこちない付き合いを始めた。
 「この黄色い帽子を持っていると、モグラの兵隊なのかい?で、モグラの兵隊って何をするの」
 「追っかけまわされるのよ、食事しに、植物園に行かない?」女が誘った。そして部屋の隅で沈んでいるシンくんに女は黄色い帽子を投げつけた。女は、シンくんに向って
 「あんたも兵隊の一員にしとくわ、役に立ちそうもないけど」と捨て台詞を言った。

 

 植物園の中に東南アジアのある国があった。軍事政権の支配下にある国だった。私はそこで兵隊の行進にもまれながら、一軒のレストランに入った。主人は色黒で、カンボジア風の顔立ちをしていた。
 「どうです、この料理、おいしくありませんか?」と主人が一口も口にしない私に言った。
 女が雰囲気を壊さないで、という感じで
 「いいから、騙されたと思って食べてごらんなさいよ」といった。
 魚と野菜に香辛料と香菜が一枚の皿に盛られている。女は平気で食べている。私たちの後ろは大きな棚になっていて、グラスや酒瓶が並び、店には主人しかいない。ウエイトレスがいない。床は黒光りしたかなり使い込んだ木でできている。午後の静かな植物園の木々の間に割り込むように優しい陽射しが店を明るくしていた。
 「ね、食べなよ」女が言った。
 私は異国の食事に抵抗を感じながら一口食べた。口の中に不思議な香りが満ち、勝手に舌が動くような気がした。急に腹が空き始め、次々に平らげていった。
 「ね、おいしいでしょ」
 「ああ、うまい」


 「だから言ったじゃない、あなた食わず嫌いなのよ」
 主人が逆光の中で微笑んで、白い歯だけが目立った。主人に礼を言ってビールを飲んで店を出た。最後まで主人の微笑みは変わらなかった。女がお堂があるはず、といって植物園の奥に手を引っ張った。迷彩服を着た多くの軍人の行進とすれ違い、だんだん奥に入っていった。足場が悪く、ごろごろとした石を用心して見晴らしのいい小山へ出ると、一面鮮やかな緑の芝生が広がり、そこに座った。遠くに煙突があり、煙が風で右に傾いていた。薄ら禿の体育教師が風で残り少ない長めの髪が耳の上でひらひら棚引いていたのを思い出した。浮上バイクや浮上ジャケットを着た人が空を横切っていく。リニアビルがどこまでも連なっていた。
 「納得いかないんだけど、モグラの…」
 「しつこいわ」さらに女は次のような話をした。

 

 シケモクと呼ばれた男の子だった。知的遅滞があって、いつも涎掛けをしていた。年齢は小学6年生ぐらいだった。タバコの吸殻を拾っては吹かしていつも公衆便所の横に飴色の椅子に座っていた。その椅子は近所の葉巻バーで用がなくなったスツールだった。大人用なのでいつも足をシケモクは揺らし老人のようにくゆらせていた。
 「この子は馬鹿な子」とシケモクは人が横切るたびに言った。
 夕方になると母親が手入れをしていない色の抜け落ちた長い髪をシニヨンにして迎えに来る。そして家の前に括りつけられる。長い黒い綿のロープで足、手、胸、頭を柱に結わく。シケモクは最初は泣いているが、しばらくすると小便を漏らし、ぐったりとする。口を尖らせ、「この子は馬鹿な子」と呟く。前の村長は施設に預けるよう母親に言ったが、聞き入れない。母親は売春で稼いでいた。母親が食事を終えると、家に入れる。黄色く変色した米にお湯をかけ、シケモクの口に運ぶ。いやいやをすると殴った。数年して、一ヶ月で、身長が一気に伸び、筋肉が盛り上がり、大きな体に成長した。「馬鹿は大きくなるもんだ」前の村長はそう言って笑った。性欲が芽生え、村の女の子に抱きつくようになるころ、シケモクは警戒され、治安取締局が乗り出した。村長の娘が襲われたためだ。その後何年かして、村に帰ってきた。母親の押す車椅子に乗っていた。村長がにこにこして、「いい子になったじゃないか、どうだね、この子を相撲取りにしてみては」「もう駄目なんですよ、この子」シケモクは母親としばらく暮らしていたが、家の前に雨風にさらされた車椅子は長いこと使われていないのがわかった。家からドンドンという音が昼夜問わず聞こえてきた。シケモクが壁に頭を打ち付けている音だった。苦情が出て、車椅子に固定されたまま雨ざらしのシケモクは死んだ。

 

 女がそんな話をして、
 私は「誰も助けないの?」と訊いた。
 「そう、お堂に行きましょ」
 私たちはお堂に向った。左右に羽を広げたような真っ赤な屋根で、その本堂の前に黒い大型地上バイクがあり、荷台に黄色の大きな箱を乗せていた。私たちが本堂の階段に腰を降ろすと、バイクの持ち主が現れた。
 「危ないからはなれて!」男はバイクのエンジンをかけると、苦痛を覚える轟音を響かせた。

 少し離れたところで見ていると、男は黄色の箱を開いた。中から黒飴に羽が生えたような肥えた熊蜂が一斉に飛び立った。
 「何をしているんです?養蜂ですか?」
 「冗談言っちゃいけない、おれは人に迷惑をかけるのが大好きなんだよ」

 


 熊蜂が全て飛び立つと、男は笑いながらバイクに乗り、ものすごいスピードで去っていった。バイク音が消えるころ、寺の中は静かになった。
 「孔雀明王を祀っているんだ」
 「何?孔雀明王って?」
 「孔雀は毒蛇を食らうんだ。災いを追い払うらしいよ。」
 女は身動きせず、孔雀明王を見つめていた。そして、顔をしかめた。
 「なんか臭うわね」
 私はあたりを調べた。ちょうど私たちの後ろに何かが転がっており、人形か、紙細工かと思い、じっくりと見た。
 「こんなところに猫のミイラがあるわ」
 「どおりで臭うわけだ。薄気味悪いから帰ろう」


 機関区のようなところで、鉄道路線が何本も走っている。電車はもう来ない。空は日が沈んで青黒くなったり、夜空のようになったり、めまぐるしく変化した。遠くで大火事があり、空が赤くなっていたりもした。ライトをつけた一機のヘリコプターが列車の電線に引っかかりそうな低空飛行を続けている。何本もの線路の中央に倉庫があった。その倉庫は馬小屋のようなつくりであった。一箇所は粘液が詰ったプールが倉庫内にあり、もう一つの倉庫は血液にまみれた肉や切断された腕や足、手首などが山になっていた。小林はその血まみれの倉庫に身を埋め、自ら性行為をはじめ射精した。泡のような精液を全身に塗り続けた。この光景を小林は好んでいた。
 あの処刑部屋から帰った小林はうたた寝をした後、小林はお酒を飲んだときの後味を確かめるようにして、布団の中でゆっくり瞼を開き、足元に昨夜撲殺した腫上がった女を見て、足蹴にした。女は少し傾いたがダルマ起しのように、もとの仰向けになった。
 小林はピンクのウサギが描かれた学習机に向かい本棚から「児童心理学」とウイスキーを取り出し、ストレートで飲み、水色の低い椅子にもたれて首を回した。ばねが軋んだ。壁にはアルファベットが大文字小文字で印刷されたポスターが一枚、そのとなりには同じくポスターに50音と小学生が学習する漢字が100個並んでいた。
 昨夜撲殺した女のことなどもう忘れていた。
 児童心理学の背表紙にディスクが貼り付けられていた。それを机に置いてある再生機にセットした。画面には教職についていたときに撮影した「のんびり和尚」という演劇が映った。画質はかなり悪い。染色体について、メンデルの遺伝についてしつこく聞いてきて、イライラさせる男子児童がいた。その子が和尚役で出ている。中盤に差し掛かり、和尚役の子がきょとんとした。せりふが出てこない。助けを求めるように上を向いた。小林はこのシーンが好きだった。満足するまで何回もそのシーンを再生した。
 満足した小林は妻の部屋に入った。そして妻を傍らに立たせた。小林とその妻の間には子供はいない。小林の妻は醜かった。色黒でたいていの男は振り向かない様子であった。小林は妻にしゃがませ、視姦をするのが好きだった。一切妻には触れない。
 「きみは素敵だ」小林は言った。


 妻が俯いて紅潮した。立とうとすると、
 「まだ、駄目だよ、その姿勢でいて」
 再びしゃがんだ。小林は、大きな照明ランプを持って、そこを照らした。

 孔雀明王を見た後、女は煙草を吸うらしく、シガレットケースから両切りの煙草を一本取ると、火をつけ、口についたタバコの葉を指でとり、遠くへ飛ばした。その飛ばした先に目を凝らすと、一軒の家があった。というのも、女はハスキーな声で「この先よ」と言いつつ指をそのまま指示して腕をあげていたのだった。「村長の家。前の村長は腸が破裂して死んだのよ。かわいい子もいるわよ。じゃ、あたしはシンゲンのとこへ行くわ。じゃ」
 私は手を伸ばして女をつかんだ。
 「何よ、痛いし、それにそういうことってもう少ししてから触らないかしら」
 「ここはどこなんだ」
 「夢んなか」
 「現実に戻れないのか」
 「帽子を持った以上はね。あとは、モグラが脱出させるらしいけど、あたし起きても昏睡が三年続く植物人間だから帰っても仕方ないのよ」
 「そうだったのか。すまなかった。行ってみる。」
 「いい仲間になるよ」
 「そうだといいけどね」
 村長の家は、屋根が大きな、おそらくクジラの骨だろうか、あばら骨に油紙を張り付けた屋根で、茶色く屋根が濁って光っていた。周りは漆喰で、左官屋さんを呼ばないらしく、ところどころが修繕が必要であり、剥がれ落ち、中の竹の骨が見えているざまだった。ノックして、「今いる空間はどこかを知りたいと言ったら、ここを紹介されました。」というと、気持ちよく入れてくれた。
 村長の家には「ヨウコ」と呼ぶ若い女がいて、「世界平和」という文字が剥げかかってプリントされた、よれよれのティーシャツに細身のデニムをはいていた。裸足だった。
 そのとき、その若い女は村長の家の窓辺で本を読んでいた。日の光が窓枠を輝かせ、彼女の顔を光が包んでいた。庭に生えている樹木の風に揺れるごとに窓は音をたて、そのたびに読書を中断して、彼女は視線を窓から庭の樹木に移した。
 村長が呼ぶたび、半身を起こさなくてはならず、そのたびに赤ん坊のような裸足の指がちょこっと曲がる。
 「なに読んでいるの」私は隣に腰を屈めて尋ねた。
 「トイレで自給自足をする男の話し」
 「妙な話だね」
 「こんな話なの」

 若い男が便所の中で稲を育てている。便器を取り外した下水管の穴で用を足す。それが肥料となって稲が育つ。わずかの稲で食料にするには乏しい。それでも男は稲を育てつづける。誰も住んでいない家にいて、台所から洗面器に水を張って、稲に与える。自給自足の生活だ。男は便所で眠り、食事は稲からとる米だけだ。誰とも交流をしない。外部から


遮断された空間の中で男は生きていく。閉鎖された空間に陥れられ、慣れを生じる話ではなく、すすんで世間との接触を切り離した男がどうなるのかというのが大筋だった。ヨウコが読んでいるのはそんな話だ。

 

 ヨウコは読書を止めて、私に話し掛けてきた。
 「村長は、ヨウコっていうの、昔の奥さんのことなのよ、ほんとは、わたしユキっていうんだけれどね」ユキは少し上を向いて笑った。
 村長の家に4歳になる男の子がいた。村長の孫だという。四角い顔をして、赤い頬をしていた。髪は伸びて後ろで束ねている。さかんにユキに機関車トーマスを買ってくれるように頼んでいる。このうるさい子供が始終、私とユキの間に入ってくる。
 「クリスマスに買ってもらいなさいよ」
 「なんで?」
 「サンタさんが貧乏な子供におもちゃを買うからよ」
 「うちって貧乏なの」
 「知らない」
 「なんで?」
 「知らないわよ、サンタが来たら、貧乏だし、おじいちゃんが買ってくれたら、サンタは来ないのよ」
 その子供が歯を食いしばって怒っている。そしてユキの足を蹴っ飛ばして逃げてしまった。
 「痛い!なんなのよ!うるさいんだ。あいつ」
 「カメムシみたいな顔して怒ったよ」
 「村長が甘やかすからなのよ」
 ユキのイライラが収まり、彼女に促されて、廊下に出て、書斎の隣の物置に入った。彼女が隙をついて誘惑したのだ。とても狭い空間なので腕を回そうとすると棚からママレモンが落ちてきたり、ダスキンのモップがユキの足に絡んだりしたため、うまくいかない。
 「外にしない?」ユキが言った。
 私たちは指定公園に深夜、忍び込んだ。芝生の上に転がり、腕をまわし、抱擁をした。ユキの髪が夜露で濡れ、うっすら開けた目が月の光で見えた。吐息が漏れ、しばらく仰向けになって空を見ながらじっとしていた。
 「アリが耳の中に入らないかしら」
 私は空を見て、
 「空であの光が横切るのは人だろうか」
 「そう、家に帰るんだわ」

 

 おはぎをぼとぼとと、村長の孫は口からこぼしていた。ユキは、「ちゃんとお口に入れなさいよ、だらしない!」と叱りつけると、孫は、「ジイジイに言いつけてやる」と、あくまでもこの二人は敵対関係にあるようだ。
 「そうやって喧嘩ばかりしているのかい?」と私が尋ねると、子供はぼとぼとまた小豆をこぼして、



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