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 シンくんのママは教育熱心で、シンくんはあまり勉強が得意ではなかった。
 シンくんのママへの依存は大人になっても直らなかったし、大学受験のときにママは鬼のようになってシンくんを叩き上げ、合格させたが、シンくんは変調をきたし、薬物療法と精神科のカウンセリングで、現在なんとか住職として生活している。
 親として嫁が来ないとなると、あととりがいなくなり、寺を明渡すことになると考えたママは、お見合いをさせた。ところが、お見合い当日にシン君はもじもじしていると、ママが話し始めて、ちょっとした拍子に子供のことを話し出した。
ママの言うには、子供は必ず男の子で、シンくんのような性格で、寺のあととりとなってもらう。それから大学に行かないとだめ、それには、初夜にマジナイをかけるから、私は側にいます、こういうのもシンも年をとると精子の数は少なくなり、それだけ繁殖能力が落ちるためです、と言い、相手の父親は怒り出した。
 お見合いが駄目なって、友人からノーマン・ベイツみたいだ、といわれ、やけを起こしたシン君は、友人から止めておけといわれたのに、街頭で女を5000円で買って、ママに連れられ、泌尿器科に行った。すると、単なる尿道炎で、性病ではないことが分かり、ママはすごく安心して、すごく怒った。ところが、この出来事で、相手の女が、怖い人とつながりがあったため、シンくんをゆすろうと考えたらしく、怖い人が寺に来ることになった。ママは少しも動揺はしなかったものの、シンくんはベルの音、電話の音、車の音を聞くとびくびくして、薬の分量が多くなったが、それでも現実に起こっているわけで、治らず、シンくんはあるとき家出をした。2,3年ほどして、寺に戻ったシンくんは、見違えるほど精神的にも進歩した姿だったが、あるときママが、あなたは一度ママを捨てたのね、と、ことあるごとに言われ、再びなよなよした元のシンくんになってしまった。ママには逆らえないよ、と、こぼすことが多くなった。
 ママがそこまでシンくんを縛り付けるのは、ママの夫で、前の住職であったシンくんのパパが樹海で心中をしたためであった。相手が檀家であったために、ママはこっぴどく攻め立てられて、いまの寺に移ったときに、5歳のシンくんを間違いがないよう管理しだしたのであった。シンくんには罪がない、とんだとばっちりを受けたのだ。住職としてシンくんがボランティア活動をするときでも、ママは女の人に根回しをして、シンを誘惑したら、ただじゃおかないわよ、と脅かし、そうこうしているうちに、シンくんの所作が女のようなっていったため、オカマが寺にいる、オカマが寺にいる、という悪口が流れだし、シンくんはますます悩んだ。やけを起こしたシンくんは再び危ない町へ向って、けがをしたところを私と会ったのだという。話し終えたシンくんが、眠ると言うので、面接に向った。

 

 面接場所は新宿で、30分前に着いたため、バッグからi-podを取り出し、聞いていた。すると、一人の男が近づいてきて、
 「そんなイヤフォンをしていて、聞こえるんですか」と尋ねた。
 「時間を見ているんですよ」


 「あの、ここから徒歩で品川に行くにはどうしたらいいですか」と訊いてきた。
 どう考えたって新宿からは遠すぎるので、
 「電車で行ったほうがいいです、徒歩じゃ無理ですよ」と答えた。
 「お金がないんですよ、それより、ぼく日本人じゃないんですよ」
 「言葉たいへんでしょ」
 「三ヶ国語話します、中国語、英語、フランス語です」
 「すごいですね」
 「ヤ、ヤ、ヤ」盛んに「ヤ」と繰り返した。
 こういう人を私は嫌うし、薬物でもやってそうな目つきなので面接時間なので行かなくては、とガードレールから道路に出ると、自動車に跳ね飛ばされた。私は頭をフロントグラスにぶつけて意識を失った。
 意識が戻ると、母が傍らで本を読んでいた。
 「何の本を読んでるの」
 「赤い鬼」
 「知らないよ」
 「部屋に赤い金魚を見る男の話し。誰も信じてくれないの。」
 「誰が書いたの」
 「同級生、それより眠りなさいな」
 「今、何時」
 「3時よ、昼の」
 「こつこつ音しない?」
 「近くで工事してんのよ」
 長く深い眠りが訪れ、私は夢の世界の入口に吸い込まれた。

 

 私は紺碧の空の下に一面広がる赤い砂漠にいた。しばらく砂に足を奪われつつも歩いていくと、レールが見え、そこに古い都電がやってきた。都電に乗り込み、市場の雑踏の中を都電はゆっくり進んだ。人々は都電を迷惑そうによけ、走る都電から私は降りた。アナウンスで、この都電は事故になると伝えられたからだ。市場には赤い、青い、黄色い、薄いグリーンの魚が並べてあり、その店では見たことのない文字で書かれた紙がぶら下がっていた。恰幅のいい女が主人であった。見慣れない形のジャガイモ、トマトも売っていた。市場を歩いていると、オイルで汚れた垂れ幕の細い路地があり、覗いてみた。通信機があり、男がアラビア語で通信している。その垂れ幕が揺れ、その路地から女が出てきた。
 「ちょっと来て」そう女が言った。
 私は女とともに市場を歩いた。大きなスチール製のごみバケツを子供が抱えて横切った。
 「こっちよ」と女が言い、再び路地裏に入った。その路地にはアラビア語で書かれた古新聞が液体に濡れて敷き詰められていた。新聞を踏む音を立てながら路地を抜けると、
 「さっきの人はスパイなのよ」と女が言った。
 「ここはアラビアですか?」
 「違うわ、アフリカよ」


 どう見ても私の家の近所であった。石垣の上には白い網がムベに絡まれ、アケビのような実をつけていて、その外壁の中は上に向かって、三段に作られている庭である。小さいころこの庭によく入っておじいさんに怒られた。その最上段は日の光で薄ぼんやり輝く白い母屋になっていて、光を取り入れるサンルームが見える。ぼんやりしているのは庭で焚き火をしているためだ。その焚き火の煙のせいで庭に植えた樹木の上に鳩が巣を拵えているのだが、鳩はもう耐え切れず、飛び立っていた。ここが彼女は「アフリカ」だと言うのだ。
 「わたし、モグラの兵隊なの」女は言った。
 「なに?モグラの兵隊って?」
 「ああ、あのね、これ持っているはずよ」と女はいって、懐から黄色いキャップを出した。
 「これね、被ると地面に潜れるのよ、持っているはず。」
 ポケットから出すと寺から来た手紙で法話の案内だった。女が見せて、というので渡すと、
 「これ、シンゲンって読むのかな?」
 「あ、そうだよ、シンゲン、頼りないお坊さんだよ」
 私はさらに女に引きつられて、団地に入った。子供の背丈くらいの大人が5,6人車座になって花札をやっていた。
 「一言も声をかけないで」女が注意した。
 エレベーターに乗って、降りると、公園があり、その隣に2階建ての消防小屋が見えた。誰も住んでおらず、赤い三輪車がガラス戸の内側に見えた。
 「この建物誰も住んでいないのよ」と言って鍵をあけている。狭い階段を上がると、畳の部屋になっていた。埃っぽい臭いがした。昼の暖かな陽射しが窓から部屋を照らし、開け放たれた便所の白い便器が影を作って目に入った。
 「ちょっと来て」というので付いていくと風呂場に案内した。青い小さなタイルの風呂場で、ここも部屋と同じく陽射しで鈍く光っていた。時間が止まったかのようだった。女は風呂場の水道から洗面器に水を張った。
 「さっきの手紙くれる?」女に手渡すと、洗い場の排水溝に詰めた。
 「詰っちゃうよ」
 「大丈夫、溶けるから」と言って、洗面器の水を流した。手紙は渦を巻いて流されていった。
 「さてと、今度はトイレに来て」
 女がトイレのレバーを動かすと水が乾いた便器に流れた。タンクの裏を手探りで女が探っている。
 「あった…」黄色いキャップを引きずり出し、私の頭にかぶせた。
 「いま、潜っちゃダメよ」
 女が畳に寝っころがって、足先でテレビのスイッチを入れた。使われていないブラウン管に電気が流れる音がして、映像が浮かんだ。とても背の低いジェームス・ブラウンがバイクのゴリラに跨り、走り去る、ジーンズの宣伝であった。
 「これからワイドショーを見るけど、いいかしら?」
 「かまわないよ」
 しばらく見ていると、博愛協会の宣伝が始まった。内容は貧困問題に対して博愛協会は援助をしているということと、特別施設での教育に力を入れているということが長閑な音楽と自然風景を映し訴えている。


 最後に小林を囲む多くの子供たちが「ありがとう」と叫ぶと、小林が一人だけ芝生の上に立ち、「皆様に真心込めて博愛協会はご安心をお約束いたします」と言って終わった。
 「なんだこれ?」と私が言うと女は退屈そうに
 「小林。ペテンとキリストが混じった変な奴」
 「何している人なの?」
 「力があるっていうだけ、金を持っているんだって」女がうんざりして言った。
 押入れから音がする。誰かが入っているようだった。私が立ち上がって、押入れをあけると、シンくんが汗をかいて正座をしていた。
 「シンくん、何してんのこんなところで?」
 「知らないよ」
 女が立ち上がって、シンくんを仰向けにして、上に体を乗せた。シンくんは抵抗したが、女はシンくんの両手を抑え込んだ。
 「あなた焼いてるの?」と女が私に言った。
 「べつに」
 シンくんはお経を唱えた。死体と性交しているみたいだった。
 シンくんは素早く動いて、暗い部屋の隅で膝を抱えて座っている、そんなシンくんを女は笑って、私に振り向いた。
 「わたしのこと好きかしら、あのね、シンくんをダシにカマかけてみたのよ」
 それから女と私はぎこちない付き合いを始めた。
 「この黄色い帽子を持っていると、モグラの兵隊なのかい?で、モグラの兵隊って何をするの」
 「追っかけまわされるのよ、食事しに、植物園に行かない?」女が誘った。そして部屋の隅で沈んでいるシンくんに女は黄色い帽子を投げつけた。女は、シンくんに向って
 「あんたも兵隊の一員にしとくわ、役に立ちそうもないけど」と捨て台詞を言った。

 

 植物園の中に東南アジアのある国があった。軍事政権の支配下にある国だった。私はそこで兵隊の行進にもまれながら、一軒のレストランに入った。主人は色黒で、カンボジア風の顔立ちをしていた。
 「どうです、この料理、おいしくありませんか?」と主人が一口も口にしない私に言った。
 女が雰囲気を壊さないで、という感じで
 「いいから、騙されたと思って食べてごらんなさいよ」といった。
 魚と野菜に香辛料と香菜が一枚の皿に盛られている。女は平気で食べている。私たちの後ろは大きな棚になっていて、グラスや酒瓶が並び、店には主人しかいない。ウエイトレスがいない。床は黒光りしたかなり使い込んだ木でできている。午後の静かな植物園の木々の間に割り込むように優しい陽射しが店を明るくしていた。
 「ね、食べなよ」女が言った。
 私は異国の食事に抵抗を感じながら一口食べた。口の中に不思議な香りが満ち、勝手に舌が動くような気がした。急に腹が空き始め、次々に平らげていった。
 「ね、おいしいでしょ」
 「ああ、うまい」


 「だから言ったじゃない、あなた食わず嫌いなのよ」
 主人が逆光の中で微笑んで、白い歯だけが目立った。主人に礼を言ってビールを飲んで店を出た。最後まで主人の微笑みは変わらなかった。女がお堂があるはず、といって植物園の奥に手を引っ張った。迷彩服を着た多くの軍人の行進とすれ違い、だんだん奥に入っていった。足場が悪く、ごろごろとした石を用心して見晴らしのいい小山へ出ると、一面鮮やかな緑の芝生が広がり、そこに座った。遠くに煙突があり、煙が風で右に傾いていた。薄ら禿の体育教師が風で残り少ない長めの髪が耳の上でひらひら棚引いていたのを思い出した。浮上バイクや浮上ジャケットを着た人が空を横切っていく。リニアビルがどこまでも連なっていた。
 「納得いかないんだけど、モグラの…」
 「しつこいわ」さらに女は次のような話をした。

 

 シケモクと呼ばれた男の子だった。知的遅滞があって、いつも涎掛けをしていた。年齢は小学6年生ぐらいだった。タバコの吸殻を拾っては吹かしていつも公衆便所の横に飴色の椅子に座っていた。その椅子は近所の葉巻バーで用がなくなったスツールだった。大人用なのでいつも足をシケモクは揺らし老人のようにくゆらせていた。
 「この子は馬鹿な子」とシケモクは人が横切るたびに言った。
 夕方になると母親が手入れをしていない色の抜け落ちた長い髪をシニヨンにして迎えに来る。そして家の前に括りつけられる。長い黒い綿のロープで足、手、胸、頭を柱に結わく。シケモクは最初は泣いているが、しばらくすると小便を漏らし、ぐったりとする。口を尖らせ、「この子は馬鹿な子」と呟く。前の村長は施設に預けるよう母親に言ったが、聞き入れない。母親は売春で稼いでいた。母親が食事を終えると、家に入れる。黄色く変色した米にお湯をかけ、シケモクの口に運ぶ。いやいやをすると殴った。数年して、一ヶ月で、身長が一気に伸び、筋肉が盛り上がり、大きな体に成長した。「馬鹿は大きくなるもんだ」前の村長はそう言って笑った。性欲が芽生え、村の女の子に抱きつくようになるころ、シケモクは警戒され、治安取締局が乗り出した。村長の娘が襲われたためだ。その後何年かして、村に帰ってきた。母親の押す車椅子に乗っていた。村長がにこにこして、「いい子になったじゃないか、どうだね、この子を相撲取りにしてみては」「もう駄目なんですよ、この子」シケモクは母親としばらく暮らしていたが、家の前に雨風にさらされた車椅子は長いこと使われていないのがわかった。家からドンドンという音が昼夜問わず聞こえてきた。シケモクが壁に頭を打ち付けている音だった。苦情が出て、車椅子に固定されたまま雨ざらしのシケモクは死んだ。

 

 女がそんな話をして、
 私は「誰も助けないの?」と訊いた。
 「そう、お堂に行きましょ」
 私たちはお堂に向った。左右に羽を広げたような真っ赤な屋根で、その本堂の前に黒い大型地上バイクがあり、荷台に黄色の大きな箱を乗せていた。私たちが本堂の階段に腰を降ろすと、バイクの持ち主が現れた。
 「危ないからはなれて!」男はバイクのエンジンをかけると、苦痛を覚える轟音を響かせた。

 少し離れたところで見ていると、男は黄色の箱を開いた。中から黒飴に羽が生えたような肥えた熊蜂が一斉に飛び立った。
 「何をしているんです?養蜂ですか?」
 「冗談言っちゃいけない、おれは人に迷惑をかけるのが大好きなんだよ」

 



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