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「ツカマエロ!」治安取締局の男が流行おくれのライダースジャケット、エンジニアブーツの格好で、走っている。小作りの顔だちは少し頼りなげだ。前方には、懸命に走り、汗をかいた乞食風の男が追われている。ごみ箱を蹴飛ばし、自転車を倒して、逃げている。汗は脂と体臭を吸って、嫌な臭いをさせている。髪は固まり、垢にまみれている。逃亡の極意はないが、ただ捕まらない逃げ方は乞食になることだった。乞食であれば、市民は顔を覚えてなんかいない。ただ、取締局の人間は鼻がきく。治安取締局の男は4人いて、局員2人が男を追っている。もう2人は先回りをしている。男の先にある小学校の裏門脇から仲間が出てきて、男をなぎ倒す。そして連れて行く。それだけだ。いわないことはない。局員が乞食の胸座を掴んで脚払いをした。乞食は倒れ、立たせようとする。乞食が懐から取り出した帽子をかぶった。黄色い野球帽のようなものだった。すると、乞食は地面に向って飛び込んだ。地面が確かに水のような波紋を浮かばせると、乞食は消えた。脳信号を使って、本部に連絡をした。帽子だとは気づかなかった。
 夕方近くになって、当局の一室にいる別の乞食は薄汚れた帽子を取り出し、被った。そして、監禁されていた床に飛び込んだ。一階にたどり着くまで4回くらい飛び込み、そして地面深くに姿を消した。

 

 カワサキとスバルの浮上バイクがリニアビル群の上空を飛んでいくと、そこには鋭い刃のような飛行機雲が流れ残った。陽射しは強烈で、ジャンクの爪の先には黒い垢がつまり、安タバコで焼けた肺からは何ともいえないガスがこみあげ、二日もろくに物を食べていないため、喉は渇きですっかり干上がっていた。その飛行機雲を彼は手で庇をつくって、しばらく見つめていた。ジャンクは今年で30になる。生まれながらの物乞いと売春で生き長らえてきた。かれは自分の尻に興味をもつ奴らがいないと知ると、すっかり食べていけなくなり、喫煙バーの吸殻を集めてはタバコを確保し、同じ乞食仲間でまだ体を求めるものから傷んだミルクパンと引き換えに体を投げ出した。すっかり身を落とした彼は臓器や手足を売り払うか、博愛協会の手先になるか、迷いながらここ数ヶ月過ごした。ポケットからすっかり擦り切れた博愛協会代表の小林の写真を見つめた。小林は女にスパンキングを行うのを性癖としていて、市場に出回るディスクには顔こそデジタル処理された小林らしき人物が女を殴り殺す場面が映っている。そのディスクは販売禁止の動きを見せはしたが、人形と判断され、流通しつづけている。あれは本物の女を使っていると、人々は口々に言う。
 小林は昨夜殴り殺した女の処理を側近に命令すると、風呂に入った。

 

 ジャンクが水のような便に血が混じり、医者に行くため村長の家を訪問しようと考えていた。金を借りて、民間の医療機関を受診するか、潜りの医者を探すか迷っていたが、村長に相談をしてみることにした。村長の家に行くには、日露側溝と名前のついた川から舟に乗る必要があった。
 「おい、運賃を支払え」舟漕ぎ人が横柄に言った。
 「金がないんだ」
 「名前は」
 名前を言うと、舟漕ぎ人が桟橋から繋がる石段を上がっていった。石段の上には煙管を吹かす老人が座っており、舟漕ぎ人が伝えている。老人は聞き終わると、煙を遠くに糸のようにして吹き、ゆっくり降りてきた。その後を舟漕ぎ人がついてきた。


 「やぁ、ジャンク。お前の親父をよく知っている。どこに行くんだね?」
 「村長に会うのです」
 「何の用件で?」
 「医者を紹介してもらうためです」
 「どこか具合が悪いのか」
 この老人は老人の顔というものをしたままで、表情は固定し、マスクを被っているかのようだった。
 「医者はやめとけ、妖術師のほうがいい」
 「科学しか信用しません」
 「駄々をこねるな、年が勝手に増えたわけではない、占い師か妖術師にしておけ、悪いことは言わない」
 そのとき老人の口調も感情が固定したままの声でしかなかった。やさしい物言いだった。老人は舟漕ぎ人に乗せるよう伝えると、再び腰を庇うようにして、石段の上に行き、再び腰を降ろした。頭を左右に動かしていた。
 舟は静かに上流をめざした。舟に付けている風鈴が風に揺られチロチロと鳴り響く。リニアバスが通る電車通りの下を潜り抜けると、桟橋が見えた。そこには頭頂部にパンのような小さい帽子を乗せ、夏だというのに黒いトレンチコートの男が立っていた。舟が桟橋についた。その男が乗り込んできた。舟漕ぎ人が疑り深い目をした。
 「旦那、近頃ニセ金が多いんですよ、ちょっと調べてもいいですか?」舟漕ぎ人は男から受け取った金貨をスキャンし、画像を警察に送った。同時に着信した。
 「旦那、一回降りてくれませんかね」
 「金がどうかしたのか?」
 「ニセ金みたいでして」
 「そうか、ということは連中は来るね」
 「ええ、そのようで…」
 空中警察の女が三人、水蒸気を噴出する浮上ジャケットを着て上空に現れた。すると、男はトレンチコートを広げ、上空に一気に飛び立った。空中警察が「止まりなさい!」と脳信号を一斉に送った。銃で上昇していく男に照準を合わせるが、男は乱雑に旋回した。追尾手錠を投げつけた。それは男のコートに絡んだ。男がコートをナイフで切ると、その後上空に消え去った。空中警察は脳信号で応援を要請した。
 「舟漕ぎ、時間だよ」舟から声がかかった。
 舟漕ぎ人は額の汗を拭うと舟を動かした。

 

 村役場にジャンクが着いたときには日は暮れていて、舟漕ぎ人は、もう舟は来ないから、泊めてもらうんだね、と言った。
 役場の裏に大きな家があって、そこが村長の家だった。ブザーを鳴らすと、ショートカットの若い女が[世界平和]とプリントされた、よれよれの大きなティーシャツを着てドアを開け、出てきた。
 「どうしました?」
 「医者を紹介してもらいたいのです」


 女は村長を大きな声で呼んだ。村長が奥から出てきた。
 「沖縄から来ていた婆さんに頼むか…そうだ、昨年死んだんだ。えーっと、占い師ならねぇ、…もうだんだん数が減って、インチキが多くなってね、なにせこの技術進歩でしょ、ねぇ…えーっと、…近所にいるノンノン様にお願いしよう、占い師なんだけど、あんたの具合を見てくれるよ、おーい、ヨウ…、いや、彼女が案内する」そういうと追い出されてしまった。
 「ご案内します」といって、ジャンクは先ほどの世界平和のティーシャツの女に付いていった。
 「夏でいっぱい汗をかくでしょ、するとお水を飲むじゃない?ちょっと、ごめんなさいね、茂みに入るわ」
 「ええ、構いません、ここで待っています」
 女の小便の音だけが辺りに響いた。
 「来てもいいのよ」と茂みから声がした。
 「え?」
 「いらっしゃいよ」
 「あの、下血しているんですよ」
 「そうなんだ」女がジーンズを上げて茂みから出てきた。「もう少しで着くわよ」
 門前町のようなところに出た。明かりの少ない淋しいところだった。雷鳴のような音がした。空軍の飛行機だ。
 「今ごろ飛行機ですか」とジャンクは言った。
 「ええ、この辺はよく通るの、いまどきジェットエンジンなの、うるさいわ、村長ってスケベだから『怖いよ』といって抱きつくのよ」
 女がじっとジャンクを覗き込むようにして見つめた。
 「あなた独り者ね」
 「ええ」
 「いや、そうじゃなくて、孤児だったのね」
 「あ、そうですよ」
 「私もそうなの」

 「ノンノンさーん、信者さんをつれてきたのよー!開けて‐!」
 「信者じゃない」
 「いいから、耳が遠いの」といって、女が引き戸を乱暴に叩く。
 「壊れるじゃないか!やめてよ、もう!」
 引き戸が開いて、寝巻きを着た80くらいの老女が補聴器を調整しながら立っていた。
 「信者!信者!信者!」
 「うるさいのよ!あんたは!」とノンノン様は怒りながらガマグチから銀貨を渡した。
 「ありがと、じゃーね」といって、女が帰っていった。
 「あがんなさい」ジャンクはノンノン様からいわれると、中に入った。
 「今日は遅いから、泊っていきなさい」
 「悪いんですが、下着がすごく汚れていて、…」


 「そうか、そうだったね、風呂に入りなさい、夏でもこの辺りは草木が多いからけっこう冷える」
風呂に入っていると、
 「ここに下着を入れなさい」とノンノン様は言って、白い麻袋を置いた。ジャンクが風呂から出ると、その麻袋には大きく丸にかこまれた「念」という印が書いてあった。別室で鐘が鳴り、読経が始まった。ジャンクはそのまま布団に入って、眠った。
 次の朝ジャンクはノンノン様の自宅を出て、改めて家を見た。上空を浮上ジャケットを着た人が通過した。朝日は眩しく2階に赤い柄のついた厚手の冬布団が数多く干してあり、日光が布団でさえぎられ、ジャンクの顔に陰をつくった。1階の軒下には紙でできたショッキングピンクの自転車が置いてあった。乗れるのだろうかと触れてみると、案外頑丈なつくりであった。
 朝食は麦飯とタクアンと青菜のおすましだった。ノンノン様が、
 「ここでしばらく静養するといいでしょう」かしこまって座り麦飯を口の運ぶジャンクにいった。「こうしていろいろな人に接するだろ、すると“もらっちゃうん“だよ、だからそれと引きかえに体がぼろぼろになる。これも運命だと諦めている。それに近頃はツンボにもなってしまった。これは年のせいだろうね」
 ジャンクはまだ下血が続いていることを大声で言った。
 「いままでやってきたことのせいだよ、あまり体を粗末にしちゃいけない」ジャンクは自分が食べるために体を売っていたことだと気がついた。さらに、ノンノン様は
 「食べるためには労働することだ、ここから遠くないところでアルバイトを募集しているよ」
 「将来はどうなるんでしょうか」
 「そうやって手相を見ても役には立たないよ、何事も予兆というものがある、今日はなんだか気が引けると思って出かけると事故になったとか、これを渡しておきましょう」とノンノン様はいい、お香の匂いがする黄色い帽子を手渡した。「なに?という顔しているわね、これを被ると、地面に飛び込めるんだよ、脱出できる、このさきとても頭のおかしい男があなたの前に現れる、用心することだ。」
 「誰ですか?」
 「小林、そう、あの博愛協会の小林だよ、協会に入ることを一時期考えたね、だめだよ、あれはジョーカーだ、奴は頭がいかれている、人を殺しもしている、あなたのところに近寄る小林の象が見えたんだよ、とても優しい顔をしているが、私が見つめると、顔が溶け出して、そして腐った。死臭が強かった。たぶん殺された人びとの怨念だろう。博愛協会なんて嘘だよ。」
 「両親はどこにいますか?」
 「お父様は死んでいる。冥土にいるよ。この世界にはいない。お母様はいきていらっしゃるが、たぶんこの先会えないだろう。一人ぼっちとはいえ、仲間が近く現れるよ。もう古い殻を捨て去る時期だよジャンク。この帽子をけして乱用しないように。」
 しばらくすると、ジャンクの下血が治まった。ノンノン様の祈祷と食事のおかげだと考えた。


 「さぁ、ジャンク、わたしは体を休めないといけない、いろいろな人が来るから力を奪われてしまうんだ。私は少し静養しなくてはならない。」そう言って、ノンノン様は布団を被った。

 

 ジャンクはノンノン様の家を出て、船に乗り込んで、町に出たころ、市場に入る入口の前に人が大勢行列を作っていた。ジャンクは炊き出しではないかと、列に並ばずに、様子を見るため、先頭に行ってみた。すると、手荷物検査をしている治安当局が人びとの列の原因だと分かった。治安当局の局員による検査は、かなり粗かった。バッグをひっくり返し、黄色い帽子を探して、無いと分かれば、そのトレーを左に寄せ、持ち主が自らバッグに中身を戻していた。検査台の上にバッグを乗せると、優しいひくい声で、「こんにちは。奥さま。申し訳ないですね」と声をかけるのが小林だった。後ろに手を回し、鳩が歩くように円を描いて歩いていた。行列の中には熱心な信者がいるらしく、「お声を聞かせてくださいまして、感無量です」と拝む者もいた。ジャンクは、行列からはみ出しているため、局員が身元を調べたいと言って、両脇に手を入れられ、つるされるようにして、護送車に放り込まれた。
 護送車の中は、オレンジ色のランプが頼りなく光り、周りは黒いカーテンで覆われているのかと思ったら、窓自体がなく、間隔を置いて縦に明り取りというべきか空気孔というべきか、切れ込みが入っていた。異臭がひどく、皆がどうも宿無しらしく、浮浪者を一斉に集めているらしい。ジャンクは、隣に座っている男に声をかけた。「これからどこへ行くんだろうか」「知らん、ただ噂じゃ、殺されるらしい、問答無用で」外で、ドイツ語のような感じに「シュタッツ」と叫ぶと、護送車のドアが曲がるほどの感じで引かれた。長いこと揺られていたら、異臭と空腹で吐きそうになった。左右に大きく揺れるところを見ると、町を出たのだな、とジャンクは想像した。ブレーキが軋んで止まった。すると、護送車から一人ずつ下ろされ、手錠と腰縄が施された。どこかのあばら家だろうか、倉庫だろうか、厩舎のようにもみえる建物の一階に全員が運ばれ、長い列を作った、丸椅子の上に皆は腰かけた。一人が上の階で呼ばれると、口の中にマウスピースを入れられ、引きづられて真鍮でできたノブ、厚い木の板でできたドアから一室の中に入った。もう一人は、ちょうど入口の前に待機をしていたが、泣き叫ぶ声が室内から漏れてくる。それとともにコンプレッサーの音も聞こえてくる。「次、次、ストップ」合計三名が室内に入った。室内には、処刑台が一つ大きなランプの下に置かれており、頭を剃りあげ、入れ墨を施した男が処刑台に浮浪者を座らせ、首を腕を回して押さえていると、同じ顔をした男が皮ベルトで固定をした。コンプレッサーは餌に飢えた獣のような声に聞こえる。浮浪者の両こめかみに、鈍く光る黒ずんだ銀色をした万力のような装置がかぶせられ、処刑台の下からは、銀色の蛇腹のケーブルが伸び、黄色い名刺入れほどのコントローラに白いボタンがついていて、それを押す前に固定具の具合を調べるように怒鳴っていた。「大丈夫です」と頭に入れ墨を入れた男が言った。すると、ボタンを押した。コンコンコンとコンプレッサーが圧を増す回転を続け、次に低い空気の破裂音がすると、浮浪者の両こめかみに金属の槌がめり込んで、白目を出し死亡した。頭蓋骨破壊装置だった。残りの二人に顔から血の気が失せた。
 やがてジャンクの番になると、手錠と腰縄が外された瞬間は、あの装置が自分の前で空になった後だと考え、次に男どもがジャンクを捕まえ、手錠と腰縄を外しにかかった時、ジャンクは、両膝を曲げたまま飛び上がると、両方の男の顎に音を立ててあたり、男たちはのけぞって、倒れこんだ、ジャンクは懐から黄色の帽子を素早く取り出すと、それを被り、地面に飛び込んだ。



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