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 返事が無いとわかっているのに、家に帰るとつい、「ただいま」と言ってしまうのは、何故なのだろう。とにかく自分のテリトリーに戻ってきた、という安心感のせいだろうか。特に今日は、多分それを欲している。
 理由はともかく、今日も私はドアの鍵を閉めながら無人の部屋に向かい、「ただいま」と呼びかけた。靴を脱ぎながら、いつもよりほんの少し深めのため息をつく。無意識に強張っていた肩から、フッと力が抜けた。

 いつもどおり、買い物から帰るとダイニングテーブルへ直行してノートパソコンを起動、荷物を持ってキッチンへ移動する。荷物を置いたら手洗いなどを済ませ、大ぶりの耐熱グラスにティーバッグを放り込みポットのお湯を注ぐ。
 お茶が出来るのを待つ間に、買ってきた物を整理する。今日はいつもよりたくさん買い物をしたのだ。ごく普通の、ありふれた日常的な行為にしがみつくみたいに。
 食品を棚や冷蔵庫へと仕分け、雑貨類を所定の場所へ。新しいものは奥へ、古いものを手前に。こういった作業の間は、ひたすら無心になれる。


 作業を終え、熱いグラスを持ってダイニングへ戻ってみると………ソレが、あった。

 電源を入れて開いたままだったはずのパソコンがわざわざ閉じられており、その白い蓋の上にソレは鎮座していた。


 現在、この部屋には私ひとりである筈だ。
 夫とふたり暮らしで彼は勤務中、来客も無い。ペットも飼っていない。今この部屋にいる生物といえば、私自身と、ダイニングテーブルの側に置いた水槽に棲む小さなヤマトヌマエビ達だけ。
 私はすぐさま、部屋中の戸締りを確認した。もちろん玄関の鍵はかかっていたし、全ての窓も施錠されていた。




 ならば、誰がソレを、ここへ置いたのか。


 私では、ない。断じて、私ではない。

 だってだって、いつものようにパソコンの電源を入れてすぐにキッチンへ移動したもの。パソコンが立ち上がるまでほんの1分ちょっと、わざわざ蓋を閉じることんなんて、まずしない。
なおかつ、キッチンからこちらへ戻る際には、熱々のグラスを両手で持っていた。火傷しないよう、グラスの縁と底に指を添え、えっちらおっちらと。(あまつさえ私は、動揺のあまりグラスを持ったまま部屋中を回り施錠確認をしたものだ)

 だから、無意識のうちに私がソレを置いたなんてことは、まず考えられない。確かに私は自他共に認めるうっかりものだけれど、今回は間違いない。


 いや………もしかして、やはり私の頭がおかしくなったのだろうか。
 また、いつもの懸念が首を持ち上げる。

 昔から、夢見がちな子供ではあった。
学生、社会人生活を経て結婚してもその傾向は治まらず、それどころか悪化している気さえする。恙無く(つつがなく)日常生活を送りながらも、絶えず脳内スクリーンには妄想映像が流れている、そんな日々を送っている昨今だ。
 時には、なんでもない生活音が人の話す声に聞こえてきて恐ろしくなることもある。
幻聴の類ではないことは、わかっていた。人の声が聞こえるのではなく、物音が人の声みたいに聞こえるだけなのだ。
だが、それが異常でないとは言い切れなかった。何かの病気の兆候ではないかと、密かに恐れていた。


 とうとう、私は狂ったのだろうか。

……いや、違う。だってさっき、コイツ自身がそう言ったんだもの。


 それではあれは、夢ではなかったのだ。
買い物をしているあいだ必死でそう思い込もうとしていたように、春を思わせる陽射しにうっかり微睡んでしまい公園のベンチでみた白昼夢……では、なかったのだ。


 年季の入った白いノートパソコンの蓋上、仄かな淡い光に浮び上がるソレに、私は呼びかけた。



「……ペン太?」


 上質なエメラルドのような透明感のある深い緑と、僅かに白濁した青磁色、そして高貴に輝く金色の細工を施された美しい万年筆は、もちろん応えることなく沈黙している。




 私は熱いグラスを静かにテーブルへ置くと、力なく目を閉じた。

 判断を、迫られている。
 私は選択しなければならない。よく考えなければ。

 椅子を引いて腰かけ、意識して緊張に固まった体を緩める。痺れたようになっている脳みそを、奮い立たせて………深呼吸。

 もう一度、ことの始まりから思い返してみよう。


 

 

 


 今朝もいつものスーパーへ、お買い物に行った。
その前にちょっと寄り道して、大きな公園をゆっくりと散策するのが楽しみだった。退屈な家事の合間の、ひと時の息抜き。

 たくさんの鯉や水鳥が泳ぐ大きな池に沿って歩き、たまに家から持ってきたパンくず等を放ってやる。ペット飼育禁止のマンションに住む私が動物と触れ合える、数少ない機会だ。
 時には小道に入り、鬱蒼と茂る木々や木漏れ日、湿り気を帯びた濃い土の匂いを楽しみ、丁寧に手入れされた植え込みや、手入れの隙をついて凛々しくも慎ましく咲いている花を愛でたりもする。


 太陽は頭上に近く、あと30分も経てば近隣の会社の勤め人達がお昼の休憩に繰り出してくるだろう。
でも今は、広い公園には小さな子供やその親がポツポツと見受けられるばかりで、池の周りのベンチに座る人はほとんど無い。
 
 私はいつもの背もたれのないベンチに腰掛けた。
ぼんやりと水鳥を愛で、キラキラと反射する水面を眺め、穏やかな風とその匂いに浸る。

 頭の中には………もちろん、物語がフルスクリーンで上映されていた。

 何度も上映を重ねるたび、少しずつ丁寧に複雑に、作り込まれていくストーリー。
この前とは少し、ここの表情が違う。あ、台詞の語尾が変わった。そうか、後であの展開に繋がるから……わあ、新しいシーンだ。本筋には関係ないけど、登場人物の印象が膨らむ良いエピソードかも。え、あれ? 本筋に関係してる……? これってまさかの伏線じゃーん! そっか。あの言葉の裏には、これがあったのね………


 新たな物語を思いつく時、たいてい骨子は出来上がっている。
普段ほわほわと頭に浮かんでは消えるエピソードの数々が、何かをきっかけとして一つの形を成し、頭の中に、大体の映像とストーリがドン! とひとかたまりで現れるのだ。

 例えて言うなら、DVDのパッケージが近いと思う。
表紙には印象的なカットとキャッチコピーに、主要キャスト。裏面には興味を煽るあらすじと、見せ場となる場面の写真がいくつか。
 中には再生されるのを待つ、本編DVD。その本編は再生を繰り返す度、いくつものエピソードが盛り込まれ表現の修正を加えられ描写の精度を上げ、密かな伏線を散りばめては回収し、ボリュームアップしていく。

 何度繰り返しても飽くことの無い楽しいその作業は、子供の頃から続く数少ない趣味と言っていいだろう。旧くは母親に読んでもらった絵本から、長年かけて買い込んで溜まりに溜まった小説に至るまで、読書に没頭しながら脳内にその映像を繰り広げるという、至福の時間。
脳内の映像をそのままダビング出来たらどんなに素敵だろう。そんな秘密道具出してよドラえも~ん! と何度妄想したことか。


 ただ、その楽しい趣味にも弊害はある。
脳内で生々しく臨場感溢れる映像を流し続けているせいか、睡眠中にみる夢が途方もなく現実的なのだ。
実際にありそうなことも、例えば空を飛んだり水の上を歩いたりといった非現実的なことも、圧倒的なリアリティを伴うため実体験同様に感じてしまう。水の温度や風、臭いから味までも感じ取れる。
 そのせいで、夢でみたことなのか現実に起きたことなのか、混同してしまうことがよくある。
さすがに空を飛んだりというのは混同しないが、ふとした会話や交わした約束、読みかけの本に挟んだメモ、作り置いたはずの料理が………といった日常的なことが、夢か現実かの判断がつかなくなってしまうのだ。

 有り難いことに周囲の人間はもう慣れたもので、私が持ち出したとんちんかんな発言で「はて?」となっても、「ごめん、夢でみたことと勘違いしたみたい」の一言で笑って済ませてくれるのだが………私としては、記憶が曖昧なので幾分心許ない。


 そして、あの時も。
 楽しい妄想が一段落して、ベンチの片隅に転がったその万年筆を見たときも、その弊害が頭を掠めた。

 これは夢か、現実か? ……こういう時は、まず現実だと仮定することにしている。その方が無難だからだ。では、検証開始。


 確か、私が座ったときにはこんなものは無かった筈。
だってこんなに美しい万年筆、見たことないもの。ただでさえ文房具マニアの私が、見逃すわけがない。

 誰かがこっそり置いていったのだろうか。周囲を見回したけれど、近くに人影はない。
何気なく手を伸ばしその万年筆に触れた瞬間、頭の中に声が響いた。


「ーー お話を、書いて。世界を救って」

 




「―― お話を、書いて。世界を救って」


 慌てて手を離し再び周囲を窺ったが、やはり誰も居ない。

(……あ、こういうの、テレビで見たことある! 一般人を騙す、ドッキリとかいうやつ。きっとそうに違いない)


 私はまた、そろりと手を伸ばし、指先でソレに触れた。瞬間、また声が響く。


「ドッキリじゃないよー。耳じゃなく、頭の中で聞こえるでしょ~?」


 ヒッ! と声が漏れそうな勢いで手を引っ込め、顎の下で両手を握った。様々な可能性が、目まぐるしく頭の中を巡る。

(いやいやいや、ほら、骨伝導イヤホンとかスピーカーとかあるし。あ、でもあれは頭に着けなきゃか。いやでも最先端の技術で指先からでも聞こえるとか)

 わずかな可能性に縋ろうとする私の祈りを遮断するみたいに、また声が響いた。

「触ってなくても聞こえるでしょ~ぉ? 諦めなって。ボクが話しかけてるんだよ~」



 思わず、目を閉じた。

 とうとう、来た。この時が、来た。
妄想癖をこじらせ過ぎて、ついに私は、気が狂ってしまった………



「ねえ、助けてよ。君に頼みがあるんだってばぁ。世界を、」
「ちょっと待って!」

 思わず、声が出た。
世界を救って、なんて壮大な言葉を再び聞くのが怖くて、遮りたかったのだ。

 素早く辺りを見回し、誰も居ないことを再び確認する。両手で口元を覆い咳き込んだふりなどして、なんとか取り繕ったりもした。


「わあ、よかった。やっぱ聞こえてたんだぁ。まあ、わかってたけどね~」

(ちょっとやめてよ、もうやめて。私に話しかけないで)

 今度は親指でこめかみを強く押さえながら、両目を覆う。自分の視界を遮断し、怯え混乱している表情を世間の視界から隠すために。


「君は狂ったりしてないよ、安心してよ。ツムギ」

(どうして?! ……私の名前を! あなたは誰?! どこにいるの?! いややっぱり、私の頭は)


「頭の心配はしなくていいってば。僕はここだよ、このペンだよ」

(……ペン? この、綺麗な万年筆……?)


 そろそろと目を開け、指の隙間から横に転がっている万年筆を盗み見る。木漏れ日を受けて、金色に飾られた縁がキラリと光った。


「そうだよー。これが見えるってことは、君には能力がある。資格持ちだよー」


 能力、と聞いて、心の片隅がざわめく。
特殊能力や超能力、魔法の力など……何度となく夢想し憧れた言葉、垂涎のシチュエーションだ。でも………

(待って、勘弁してよ。そんな急に言われても心の準備が)


 幾度も妄想した、もしくは映画やテレビ、小説、漫画で見た登場人物は、或る日突然能力を手にすると一様に、こんな風に慌てふためいていたものだ。
 本当にそうなるんだなー……などと、ほんの少し冷静な考えが頭を過る。

(だいたい、どんな能力が? 天才でもイケメンでも美少女でもない、よりによって、平凡な主婦のこの私に? それに普通こういうのって、年端もいかない少年少女とか、せいぜい高校生ぐらいまでってのが定番で)
「まあ、そういうのよくあるけどぉー」

(私なんかじゃ絵面が弱いんじゃないかな。やっぱこういう展開は、見目麗しき)
「ちょっとちょっとー、いいから一回聞いて? 脳内語りはその辺にしてさ、ボクと話してくれない?」

(あ、ごめん……じゃないって! えっと、待ってよいいのかなこれ、会話しちゃって……私、騙されてない? っていうかアンタ、何者?)

「おお、やっと対話できるー。もう、普段独り言が多い人って、こういうとき面倒だよねー」

(……悪かったわね)

「でも、妄想慣れしてるだけあって、こんな特殊な状況でも受け入れるのが早いから、それは楽かなぁ」

(まだ受け入れたわけじゃないんですけど! ……でもまあ、順応はし始めてるかも)

「はいはい、そうね。ジュンノージュンノー」
(イラっとしたわ!今なんかイラっと!)

 頭の中に直接語りかけてくるその声は、妙に気軽で能天気な響きを持っている。なんなら少しふざけているような口調だった。

「まあ聞いてよ。ボクは、物語の精霊……的な? えっとぉ……概念を具象化とかなんとか? 象徴? なんか、そういう感じのヤツでぇす」

(ざっくりだな! 自己紹介ざっくりだな! ザルの目が粗すぎて、なんにも情報が掬えないんだけど)

「だって、自分でもよくわかんない。前の人らにそう言われただけだから~。ってわけで、とりあえず名前つけてよ」

(前の人……? えっと、名前って、君の?)

「そう。ボクの名前」

(え、どうしよう……物に名前つけるの好きだけど………急に言われると焦るな。っていうか、物に話しかけられたの自体初めてだし………)

「早く、早くぅ」

(あ、ごめん。そうだね、じゃあ……ペン太で)

「オッケー!」


美しい翠と金の万年筆が滲んだかと思うと姿を変え、そこには小さなペンギンのぬいぐるみが立っていた。

「あっれえ? カタチ変わったぁ! ボク、初めて筆記具以外の形になったよ!」

(あー、ペン太って言った瞬間、ペンギンの絵が浮かんじゃったんだ。ごめん)

「別にボクはどっちでもいいよー。ボクの外見は、資格持ちによってその都度、羽ペンとか筆とかにも変わるから~」

(へえ、そうなんだ……)

少し毛羽立ったペンギンのぬいぐるみは、ぴょこぴょこと跳ねたり羽をばたつかせたりしながら愛嬌を振りまいている。

「たぶん、ツムギの好きな姿にだってなれると思うよ。芸能人とか……」
(えっ)

「……へえ、オダ◯リジョー? 西島◯俊? ◯浦春馬? ……ツムギ、メンクイなんだねぇ」

(ちょっと! 人の心を読むのやめてよ! そんで何よ! ぬいぐるみのくせにその目つき!)

「……変わろうか?」

ペンギンのぬいぐるみの、輪郭が僅かに滲んだ。

(いい、いい、いい! どうかそのままで! なんか恥ずかしいから! 平静を保てる自信が皆無! 絶対キョドるから!)

「女子でもいいよ? ……ガ⚪︎キー? 石原◯とみ? 長澤ま◯み?」
(……一瞬心が動いたけど、それもパス。どっちみち照れるし新たな扉が開きそうで……)

「新たな扉って?」
(なんでも無いです。掘り下げないで)

「よくわかんないけど、このままでいいんだね。じゃあ、ボクはペン太。よろしくね、ツムギ」

 



(よ、よろしく……? って、待ってよ! 私は何も)

「えー、頼むよぉ。ツムギがお話書いてくれないと、世界が終わっちゃうんだからぁ」

(……ハァッ?!)

「原動力が落ちてきてるんだよぉ。はやく活性させないと、世界が止まってほどけて分解しちゃう~」



 あまりのことに何故だか急に冷静になった私は、両手を膝に置き背筋を伸ばしてペン太を見下ろした。

(意味が全くわかりませんが)

「だからぁ、この世界は想像力で成り立ってるデショ?」
(いや、デショって言われても)

「むか~しからそうだからぁ。能力者の作ったお話がみんなの想像力を刺激して、この世界は成り立ってるからぁ」

(え、そうなの? なにそれ初耳どういうことよ)


「でもこの世界ってぇ、結構しっかり出来上がっちゃってるからぁ、想像の余地? 余白? そういうのが少なくなってきててぇ」

(ほうほう……)

「それでみんなの想像力が落ちてきてるからぁ、世界がほころび始めてる~。最近の異常気象、すごいでしょぉ? このままだと太陽は冷えるし地球の自転も止まるかもぉ」

(嘘でしょナニそのシステム)

「嘘じゃなぁ~いぃ! だからさツグミ、お話作ってみんなをワクワクさせたり恐怖のどん底に突き落としたりしてよぉ」

(なんか今怖いこと言った! 後半サラッと怖いこと言った!)

「なんでもいいんだぁ。このペンで書くことはホントになるから、それでみんなの想像力を掻き立てるようなコトを起こしちゃってよ~」

(ちょっと待て、聞き捨てならん。今また凄いコト言ったよね)

「だからぁ、さっきから言ってるじゃん。能力者がお話作ってぇ、みんなの想像力を」

(それは聞いた。でもさ、小説なんて世界中に溢れてるじゃない。小説じゃなくても、漫画やアニメ、映画とか。想像力を刺激するなら、それで充分じゃないの?)

「だってそんなの、みんな作り物じゃ~ん。作り物って知ってて見てるんだから、そこからの想像力なんてたかがしれてるよぉ。まぁ、無いよりはマシだけどね~」

(なるほど……現実の事件の方が、確かに興味惹かれるかも。でもさ、それならプロの作家とかに頼めばいいじゃない?)

「無理無理ぃ。あの人たち、忙しいも~ん。こっちの創作はお金稼げないからねェ、同じ書くなら原稿料やら印税収入がある方を選ぶよね~」

(急にせちがらいな! でもさ、書いたことがホントになるって、さっき言ったよね? なら、自分がお金持ちになるストーリーを書けばいいじゃない)

「そうだね~。でもそれって、結構大変みたいだしぃ」

(なんで? 作家ならそれくらい)

「ツムギ……もしかして、ちょっとアタマ悪い? むごっ! 」

(調子に乗るなよペンギン野郎。綿をほじくり出されたいか?)

「ボベンダサイボベンダサイ! ボーリョク反対」

顔面を鷲掴みにした手を離し、歪んだアタマの形を整えてやる。ベン太はホッと息をついた。

「真面目に説明致します。この世界が出来て長い歳月が過ぎ、その間幾人もの能力者が世界を補完してきました。ペンの力で事を起こし、その度に民衆は畏れ、敬い、心を沸かせて奮いたち、世界を知り未来を夢見たのです。皆は知らぬ間に、そうして世界を作り上げて来たのです」

(なんだ、普通にしゃべれるんじゃない)

「疲れるんだよぉ。それにキャラ付け欲しかったから~」

(キャラ付けとかいいから。普通バージョンで続けて)

「ケチ……うぅ、睨まないでよぉ。で、えっとぉ……そうして築いてきたこの世界の中で現実を動かそうと思うと、破綻のない緻密な構成が必要になるんだ。過去は変えられないからね」

(なるほど。現状を踏まえた上でストーリー構成しなきゃなのか。自分を主人公にするなら、周囲の人間もうまく動かさなきゃならない)

「そういうこと。目立つ綻びがあれば、そこからじわじわ破綻して狂ってく。いきなり全部壊れることも」

(……壊れたら、どうなるの?)

「整合性が強い方、つまり現行の現実に、ストーリーが引っ張られる。自分の作ったものとは違った結末になっちゃう」

(いきなり地球が割れる、とか、そういうんじゃないんだ)

「当然。だって辻褄が合わないもの。それだけ、この世界の成り立ちは強くなってるんだ」

(ふぅん……じゃあもし、『いきなり地球が割れる』とかって書いても……)

「まだ完成度が低かった初期の頃なら、出来ただろうね。実際、今回以前には、世界は何度も崩壊してるよ。でも今は、そうはならない。ただもし、そうなるための破綻の無い設定や流れを作れれば、可能だと思うよ」

(ふん、なるほど、面倒だ………確かにそれじゃ、職業作家はやらないかもね。自分で稼いだほうが手っ取り早いもん)

「そう。それに、これでどんな素晴らしいお話作っても、名前はクレジットされないからねぇ」

(ああ、ものすごい納得した。発表出来ない……っていうか、発表した時点でフィクションの扱いになっちゃうもんね。みんなの想像力をそれほど喚起できない)

「その通り。それじゃぁ、ペンを渡す意味がない」

(………ってことは、『能力者』っていうのは、名も無きストーリーテラーってとこか……)

「あ、ツムギ、今ちょっと良いなと思ったね?」
(おおお思ってないよ! 大変そうだし! ただちょっと、『名も無きストーリーテラー』って響きがね、カッコイイかなって……)

「でもさぁ、自分の書いたことが現実になるんだよ? 面白くない?」

(そりゃぁ………でも私、妄想力はあるけど専門知識とか無いし。専門知識どころか、どっちかっていうと物知らずだし。緻密な物語とか、作る自信無い)

「その辺は大丈夫。さっきも言ったでしょ。この世界は、すでに強く確立してる。大筋と、そのための設定さえきちんと作れば、現実がいろいろ補ってそれを叶えてくれる。小さなほころびを見つけたら、その都度補足、補完していけばいい」

(そんな泥縄式でいいの? さっき言ってた、緻密な構成ってのと矛盾するじゃん)

「いや、最初から補完が要らないくらいカッチリ書ければいいんだけど、難しいからね。いくら腕の立つ職業作家でも。だから、たっぷり時間かけて書けて、ちょこちょこ直す時間のある人に……」

(……そうだね。職業作家は忙しいもんね。私みたいな暇人と違って)

「そうなんだよね~」
(オイコラ、暇人否定しろや)

「だってボク、選任専門だから、想像力は付与されてないし。存在意義的に、嘘はつけない設定になってるから~」

(……設定? って、アンタも……能力者が生み出したものなの?)
「えー……今更なに~? 最初から、何度もそう言ってるじゃ~ん」

 存在、とは。その意味は? 理由は?
 大昔から、様々な分野で何度も繰り返し提示されてきた、この命題。私だって、幼い頃から度々考えてきた。その答えが今、唐突に明かされた………?

(………私も? じゃあ、じゃあ、私の送ってきた人生は、誰かの手によってつくられた……)

 頭の芯が冷えていく。心臓が小刻みに震え始める。


「ツムギさぁ、やっぱりバカなんじゃん?」

(だって………だって……)

 呼吸が浅くなり、思わず膝の上でスカートを握りしめた。

「例えばぁ、小説なんかでさ、『薄暗い階段を降りて狭い裏通りへ出てみると、予想外に人通りは多く、深夜だというのに道は混み合っていた』とかあるじゃん?」

(ちょっとソレ、いま書きかけの小説……」

「その中でさ、その『人通り』のひとりひとりの出生から現在まで、書く? 書かないデショ?」

(うん……書かない。きりがないもん、書けるわけない)

「そう。でも、そのモブ的な、取るに足らない登場人物にだって人生はあるわけデショ? 書かれてはいないけど、生きてきた道のりがちゃんとある。デショ?」

(それは、そうだけど……)

「ツムギも、そう。ボクも、そう。みんな、そう」

(………人を指差して、取るに足らないモブ呼ばわりか……)

「自分の人生では、誰でも自分が主人公。それ以外はみんなモブ!」

(なるほど、それもそうか……え、ちょっと待って。私は誰かにとっては、モブ。確立したこの世界で、ストーリー上の必要に迫られて誕生し今に至る、と」

 ペン太はひょこひょことうなづき、肯定の意を示した。

「なら、この世界の、主人公は……? 確かさっき、『前の人』がどうとか言ってたよね? それって、前の『能力者』ってこと?)



「前の人はね……能力を、放棄した。能力者であることを辞めて、作家になったんだ。職業作家に」

(えええええ?!)

「能力者がお話を作り続けるとね、腕が磨かれるんだ。それはもう、格段に。だってさ、自分が書いたことがどうなるのか、実際に見られるんだからね。悪いとこ直しながら、試行錯誤して結果を見届けられる。筆力爆上がりっすよ。そうなるとさ……さっきも言ったデショ? 名前を、名乗りたくなるんだよ。世間に認められたい、って」

(ああ………そうか)

「作家をやりながら、能力者であり続けることも出来る。資格、ということだけならね。でも、フィクションと、世界の創造は、そうそう両立出来るもんじゃない」

(世界の、創造……)

「能力者の看板だけぶら下げられても困るんだ。たくさんの想像力を紡いでいかなきゃ、この世界は終わるんだから」

(この世界は、想像力で成り立っている……)

「だから、どちらかを選んでもらうことになる。作家か、能力者か。それで彼は、ペンを折った」

(ペンを、折る?)

「そう。それが契約終了の儀式。比喩的な表現じゃなく、物理的に、ポキっとね。いかれたよね」

(い……痛かった?)
「いや、痛くはないよ。ペンだし。でもやっぱ、お別れはさみしいよね」

(そう……そうよね)
「自分が能力者だった記憶も消えるからね。もちろん僕が存在した記憶も」

(そうなんだ……)

「うん。能力を手放すって、そういうことだから。でも、磨かれた文章作成スキルは残るから、大丈夫。創作意欲を失わない限りはね」

(創作意欲を、失わない、限り……)

 妙に、心に刺さる言葉だ。胸の奥に小さな痛みが生じ、じわりと滲んだ。


「そういうわけだからさ、気楽にやってみない?  小説形式はもちろん、箇条書きや殴り書きでも大丈夫。ペンのキャップを外して物語を書き、署名する。それだけで物語は現実になっていく。ほら、無理だと思ったらポキっといけば良いわけだし……あ、最近はね、時代のニーズに合わせて、パソコンで出力した原稿に署名するだけでもオッケーでぇす」

(気楽に、って……そうは言っても……)

「大丈夫だってぇ。君以外にも能力者はいるから、責任を背負うのは君だけじゃない。ネタが被ったら筆力バトルになるだろうけど、そうそう被らないし」

(能力者、他にも居るんだ)

「うん。世界各地にね。最初はさ、小さなことから書けば良いよ。この世界だって、最初に決まってたのは初期設定だけだったんだから」

(この世界の、初期設定?)

「そう。まず天や地や水を作って、昼と夜って現象を決めて、植物やら動物、人間を少しずつ作って……確か、設定決めるだけで一週間ぐらいかかったらしい。今となってみればさ、昼と夜って概念は特に秀逸だよねぇ~。この概念から、どれだけのドラマが派生したか考えるとさ~」

愕然として声も出ない私をよそに、ペン太はうっとりと目を閉じ、それでもペラペラと話し続ける。

「とにかく、最初から世界を作るなら、それくらい丁寧に、ゆっくりで良いんだよ。大体さ、最近の能力者って異世界作りすぎなんだよね。なにあれ、ブームなの? 魔王だの不思議生物だの、冒険だ召喚だと妙に世界観作り込んだ割にはすぐ破綻して、より強固な異世界に引きずられちゃってさぁ」

(ちょ……)
「挙句、自分の作った世界に飛び込んじゃって戻れなくなってさ。ペンぽきー、ですよ。そのたんびにこっちは新しい能力者を」

(ちょっと! 待ってってば!!)

憤慨した様子でまくし立てるのをやっとの思いで制すると、ペン太は我に返ったようにこちらへ向き直った。

「ん? あ、ツムギも異世界書きたいなら、別にいいんだよ? ただね、ただでさえ異世界乱立してるから、また作り込みの甘い世界が参入しちゃうと、また向こうが混乱するんで。それに、こっちの世界の補完にならないから、出来れば」

(そうじゃなくて! ちょっと前に言った、この世界の初期設定って……一週間って……………それってもしかして、創世記?!)

「うー、国や宗教によって色んな呼び方されてるけど、要はそんなやつ。まあ、当時は筆記具とか無かったからね、頭の中でのことだったし口伝えだったけど」


 <光あれ> 
 有名なフレーズが、頭の中をぐるぐる回る。ずっと昔に読んだ古事記や日本書記をはじめ、天地開闢、ギリシャ神話に北欧神話、エジプト神話……様々な国に伝わる神話の数々が現れては、消える。
 創造神話というのはどこか共通するものがあって、私は昔からそのことを不思議に思っていたのだ。
 

(やっぱ無理!! 出来ないよ! そんな、大それた……)

「え、今更その反応? さっきからずっと、そう言ってるのに」

(神だよ?! 創造主だよ?! 末端とはいえその系譜に並び立つなんて畏れ多いこと、私ごときに……!)

「待って! 行かないでよぉ~!」

(嫌だ! 私に話しかけないで! ついて来ないで! もう、元の姿に戻って!!)


 よちよち走り出したペン太は、美しい緑色の万年筆に姿を変えた。コトリと倒れたそれがそのまま動かないことを確認すると、今まで座っていたベンチに背を向ける。
その途端、いつの間にかオフィスビルから溢れ出てきた人々の姿が目に入った。そのうちの幾人かは、飛び上がるように立って足早にベンチを離れたかと思うといきなり立ち止まった私のことを、訝しげに振り返り眺めていた。

 私は顔を伏せ、小走りにその場を去った………


 






 そして、今。

 もうじき春へ向かう冬の午後、レース越しの柔らかな日差しが斜めに射し込む部屋で。若干古びてはいるが程よいクッションの効いたダイニングの椅子に座り、私はひとり、思案していた。

 透明な耐熱グラスの紅茶はすっかり冷めてしまっているだろう。とうに湯気も消え、テーブルの上に美しい琥珀色の影を落とすばかりだ。
 視界の隅で幽かな音を立てる水槽では、若草色の藻が小さな水泡を吐き出し半透明の小さな甲殻類達が忙しげに苔を啄んでいる。

 いつもの平和な、平和過ぎて退屈に思うぐらいの、普段通りの平日………だった、はずだ。ほんの、数時間前までは。


 なのに今、変わらぬ部屋の光景の中、目の前にはひときわ異彩を放つものが目を逸らせないほどの存在感を発揮している。
 激しい動揺ののち深く困惑しながら、私はどれだけの時間、ソレを眺めているだろう。少なくとも、淹れたての紅茶に一度も口をつけぬまま冷めてしまうくらいの時間であることは確かだ。

 思わず、額に手を当てた。乾いた指先が、前髪を通して額にひやりとした感触をもたらす。

 パソコンが起動中であることを示す小さな灯に照らされながら、ソレは今までの平穏な日常を覆すであろう大きな可能性を孕み、いかにも妖しく美しく、輝いている。


 額に触れている指を、そっと眉間まで下ろす。おそらく刻まれているであろう淡い縦じわを指で均しながら、目を閉じた。考え事をするときの、私の癖だ。


 長年かけて妄想してきたたくさんのエピソードを、次々に思い起こす。


 様々な物語の断片が、ふわふわと空中を巡る。あれとあれを繋げて、あのエピソードも織り交ぜて、あの設定をこっちへ持ってきて………キャラ設定を少し変更、そっちの流れを膨らませつつ別の視点も組み込んで。始まりはどうする? 流れに破綻は? 動機は、感情の動きは、行動のつながりに不自然さは無いか? 何より、結末は……?

 考えるのは、ほんの一瞬。あとは物語が勝手に形作られていく。
点が繋がり線になり、映像になり立体になり……数々のピースがぐるぐると回りながら融合し、離れては別のピースと組み替え、めまぐるしく形を変えながら完成へ近づいていく。色がつき音がつき、香りや手触り、高揚感と可能性を瞬かせながら、いくつもの物語が並行して流れ出す。


 気持ちが、沸き立つ。腰かけている椅子から気持ちだけが浮かび上がり、今にも幽体離脱しそう。





 ………書きたい。

 …………でも、待って。やっぱり怖い。


 書きたい。

 怖い。

 試してみたい。

 でももし、世界を壊してしまったら。





  スマホのアラームが鳴った。振動が、16時を知らせている。午後の家事を始める時間。今日は夫の帰りが早いので、今から夕食の片付けまで、食事を摂る時間以外ノンストップで立ち働かなければならない。


 急に日常に引き戻され、私は緑色の美しい万年筆をを見つめた。

 世界の崩壊を前に、手をこまねいている暇はない。選ばなければ。



 受けるのならまず、タイトルを書き記そう。
ペン太の話を思い出して。設定は最小限、シンプルに。タイトルも同様に、変に捻らず………うん、決まった。

 タイトルは、「私の紡ぐ物語」。

 そして、署名。『東野 紡希』



 断るのなら、ぐずぐず引き伸さずすぐに断るべきだ。目の前のペンを折るだけでいい。そうすれば、ペン太はまた、新しい能力者を見つけるだろう。



 伸るか、反るか。

 書くか、折るか。



 長時間同じ姿勢でいたためか、身体が少し軋んだ。手のひらが、少し汗ばんでいる。

 そろそろと、震える指を伸ばす。





 私は、ペンをとった。



 

( 終 )   

 




さて、ツムギさん。
ペンを ”執った” のか、”取った”のか。どちらなんでしょう。



この本の内容は以上です。


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