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「そうですか。最初に病室に飛び込んできたのは、誰でしたか?」美緒は、一度うなずき答えた。「主治医です。後を追うように、すぐに、婦長がやってきました」刑事は、腕組みをして、窓から国道を流れる車を眺めた。振り向くと、さらに尋ねた。「美緒さんは、お父さんの体を拭いているときに、何か、ちょっとしたことでもいいんですが、気になるようなことは、なかったですか?どんな、ささいなことでもいいんです。どうです?」

 

 

 

 美緒は、しばらく黙っていた。ちょっと気になったことがあったが、口に出して言うのが恥ずかしくて、言い出せなかった。刑事は、紅潮した顔から、何かを思い出したに違いないと直感した。「美緒さん、何か、気になることが、あったんじゃないですか?何でもいいんです、話してください」美緒は、うつむいて黙っていたが、思い切って話すことにした。顔を紅潮させた美緒は、恥ずかしそうに話し始めた。「あります。いつもと、あの時だけは、ちょっと違いました」

 

 

 

 刑事は、固唾を呑んでじっと美緒の顔を見つめた。そして、大きく目を見開き尋ねた。「思い切って話してください。その、違ったことを」美緒は、一度うなずき、話し始めた。「あの、それが、あそこの先から白いものが出ていました。それで、ウェットティッシュでふき取りました」美緒の顔は真っ赤になっていた。刑事は、眉間にしわを寄せ、質問した。「きっと、それは精液だと思います。そうだとすれば、浴衣にもついていたでしょう」

 


 

 美緒は、顔を左右に振った。「いいえ、浴衣には、ついていませんでした。私も、ゆかたについていると思い、手のひらで確かめてみました。でも、浴衣に濡れたところはありませんでした」刑事は、首をかしげた。そして、しばらく、考え込んだ。メモ帳をパチンと閉じると、話し始めた。「とても、参考になりました。ご協力ありがとうございました。お腹がすいたでしょう。好きなものを食べてください。遠慮なく」

 

 

 

不自然

 

 

 

 2月22日()、いつもの屋台で沢富刑事は、伊達刑事に美緒から聞いた話で気になる点について相談していた。「先輩、例の覚せい剤取引にかかわっていたと思われる栗原隆治には、娘がいましてね、何か、手がかりがつかめないかと思って、先日、その娘、美緒ちゃんに会って来ました。それとなく、父親が亡くなった日のことについて話を聞いてみたんですが、ちょっと、気になる点がありました」

 

 

 

伊達刑事は、芋焼酎のお湯割をおいしそうに飲みながら、適当に返事した。「ああ、あの病死の件か。俺たちには関係ない。ほって置けばいいんだ。サワは、ちょっとでも気になると、クビを突っ込む悪い癖がある。余計なことはしないほうが、身のためだぞ」沢富刑事もできればかかわりたくなかったが、ちょっとでも気になることがあると、考え込んでしまう癖があった。

 


 

 「そうなんですけど、どうも気になることがあるんです。ちょっと、聞いてもらえますか?」酔いが回っていた伊達刑事は、聞き流すつもりで、何だ、と返事した。「先日、美緒ちゃんから、あの日のことを事細かに話してもらったんですが、どう考えても不自然な点が、一つあるんです。それは、精液のことなんです」大きく目を見開いた伊達刑事は、左横に腰掛けている沢富刑事の顔をギョロッと見つめた。

 

 

 

 「おい、精液だと、いったいどういうことだ」沢富刑事は、疑問点を話し始めた。「美緒ちゃんの話では、先日のバレンタインデーにお父さんの面会に行ったそうです。面会に行ったときは、必ずお父さんの体を拭いてあげるそうなんですが、そのとき、ペニスの先から精液が少しこぼれていたそうです。それで、ウェットティッシュで精液をふき取ってあげたそうなんですが、浴衣にも精液がついていると思って、手のひらで確かめながら、何度も浴衣の内側を見たそうです。でも、浴衣には、まったく、ついていなかったそうなんです。これって、ちょっと、変じゃないですか?」

 

 

 

 伊達刑事は、何が変なのかよくわからなかった。「そうだな~、植物人間になっても、夢精はするってことか。別に、気にするようなことじゃないと思うがな。どこが変なんだ」沢富刑事は、疑問点を具体的に話し始めた。「植物人間でも夢精するとしますよ。もし、そうであれば、浴衣にも精液がついていなくては、おかしいじゃないですか?ほんの少し、精液がペニスの先からこぼれるものでしょうか?このことが気になって、眠れないんです」

 


 

 伊達刑事は、ワハハと笑い、答えた。「植物人間の射精なんだから、精液はほんの少しってことじゃないか。気にするようなことじゃないさ。それは、ゲスの勘繰りってもんだ」沢富刑事は、考えすぎのように思えたが、浴衣が濡れてないことが不自然で、気持がすっきりしなかった。「考えすぎだと思うんですが、ほんの少しの射精がどうしても気になるんです。植物人間でも、夢精したとすれば、浴衣に精液が飛んでいると思うんです」

 

 

 

 伊達刑事は、精液にこだわる沢富刑事に質問した。「それじゃ、どんなことが考えられると言うんだ。具体的な推理を言ってみな。秀才の推理ってものを聞いてやるから」沢富刑事は、大きくうなずき、伊達刑事を見つめ話し始めた。「それでは、僕の推理を話します。夢精したときに、成人男性の平均的精液量が射精されたとします。そうであれば、浴衣にも精液が付着します。ところが、浴衣には、付着していなかった。そこで考えられることは、その射精は、夢精ではなく、故意に射精させられたものであり、その放出された精液は何者かによって持ち去られたと言うことになります」

 

 

 

 伊達刑事は、なるほど、なるほど、とうなずき、話を促した。「確かに、そうだ。それで」沢富刑事は、ゆっくりとした口調で話し始めた。「もし、誰かが故意に勃起をさせて、射精させたのであれば、心臓に、急激かつ強度の負担がかかると思います。患者は、心臓が弱っていたわけです。と言うことは、強度の刺激を与えられて勃起させられ、射精させられたならば、かなり高い確率での心不全による心停止が予測されたわけです。つまり、これは、心停止を予測した殺人行為じゃないでしょうか?」

 


 

伊達刑事は、右手のグラスをカウンターに置いて、ゆっくり腕組みをした。そして、カウンターケースに並べてある焼き鳥のネタをぼんやり見つめた。何度かうなずき考えがまとまったとき、隣のお客に聞こえないように小さな声で話し始めた。「ほ~、そういうことも考えられるのか。あれは、単なる病死じゃなく、計画的で巧妙な主治医による殺人だ、と言いたいんだな。

 

 

 

つまり、クモ膜下出血で倒れ、生死をさまよった栗原隆治は、脳外科手術の成功によって、意識が戻った。栗原隆治は、植物人間となり、話すことができなくなったが、視力は正常に働いていた。目を覚ました栗原隆治の目の前には、見覚えのある白衣を着た医者がいた。そのとき、一瞬、栗原隆治の表情に変化が起きた。その表情の変化を見逃さなかった主治医は、栗原隆治は自分の顔を記憶している、と即座に判断した。さらに、度々、一緒にバナナタクシーに乗車した覚せい剤取引相手のYのことも記憶していると推測した。

 

 

 

当面は、面会謝絶で事情聴取を断り続けることができるが、いずれ、ベッドの上で栗原隆治は尋問を受けることになる。たとえ、声は出なくとも正常に機能している視覚があるため写真確認が行われるのは必至だ。そうなれば、主治医とYとの関係が発覚する可能性がある。そう考えた主治医は、そのことが発覚する前に、心不全による病死に見せかけて、栗原隆治の息の根を止めた」

 



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