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私は、この組織の者どもは、宝の山ではないだろうか、と考えている。人事部長が言っていたね、そのとおりだ。なぜ宝の山というのかは、天才というものが、精神を病むか病まないかの瀬戸際で登場してくることに似通っているんだ。社会が受け入れない、あるいは、社会から逸脱したもの、それは社会的な適合に対しての能力が病んでいるか、病んでいないかの瀬戸際にあると考えられ、とどのつまり、社会的天才とも言える、だから、私は宝の山だ、といっているのである。こうした連中はある方向付けをしてあげれば、私の思い描くままの世界を展開してくれる。これが、待てば海路の日和あり、というものだ。きみはその辺を気にしていたか?それともなければ、俺は違うと思っていたか?だとするならば、私と専務ときみであの団地で話し合ったときに渡そうとした手紙の送り主が、この組織だということを理解できるだろうな。できない!きみには失望した。さぁ、専務、こいつを追っ払ってしまえ!もう私の部屋にはつれてくるな、私の機嫌が治ったら連れに誰かを遣ろう、それまでは、仕事を叩き込み、そして、この組織に順応させ、ものにしておけ。」と、会長は不機嫌な顔をして、回転イスを回し、背を向け、社訓をカッカと音読をして、専務が団扇を机において、ドアを開けた。専務に促される前に俺は既に外に出ていた。事務員の中にどう見ても小学生の女の子がいた。どこかで見たように思えたが、思い出そうとすると専務が、
 「会長さんを怒らしたら駄目です、どういうことか説明、一生懸命あなたのいい方向に導こうとしているんですから、すっかりあなたのことをお考えになられて、やつれていらっしゃるんですよ、それをあなたときたら、聞いているんですか?」
 「俺、あの女の子知っているよ」
 「え、誰です?」と訊いてきたので、俺は指を差して、コピー機の操作を背伸びしてがんばっている女の子を教えた。その女の子の足元にはウサギのぬいぐるみがあった。
 「あの子は万引きの常習犯で、もう処女じゃないものです。」と、言ったので、俺は瞬く間に怒り狂い、専務を無惨にも殴り殺すところだった。女の事務員が、数人で押さえ込み、俺はしばらく気を失った。というのも、その事務員の中に柔道をやっている奴がいたらしく、俺はそいつに絞め技をかけられたのだった。

 

地下鉄の終着駅に向かう列車の中で、乗客は誰一人としていない。俺一人だけだった。窓はツララが垂れ下がっていた。凍てつく寒さか、というとそうでもない。暖房のあたたかさも感じない。アナウンスもなく到着した駅名は「南極」。看板も駅名もみな凍り果てていた。列車も凍っていた。だのに、俺は寒さも、暑さも感じなかった。

 

 起き上がろうとしても酸欠状態だったらしく、体はしばらく動かなかった。がやがや人の声がした。誰かが覗き込んだ。
 「おい、起きたぞ!」と叫んだ。人々は俺の周りに集まりだした。ソファーの上だったらしく、体を捻じ曲げると落ちてしまった。そして、生まれて間もない牛か馬のように俺はよろよろと起き上がるが、くらくらしてまた倒れた。誰かが、支えてくれた。ありがとう、と俺は礼を言った。そうすると、社宅のロビーだということが知れた。支えてくれた人が、
 「ガス会社、その社宅ですよ」と教えた。
 「なんだって!まだ俺はガス会社にいるのか?ということは、俺はまだ…」、といって言葉を濁した。人殺しのままだと、言いたかったのだが、口を滑らすところだった。俺は急に泣き出した。そして、
 「誰か、警察を呼んでくれ!」と大きな声でヒステリックに叫んだらしく、一同はしんと静まり返った。涙は止まらなかった。こうして何年、いや一生ここにいるのかと考えるだけで気が狂いそうだった。


 まだ、人殺しで、数年で出てきたほうがましだと思った。向こうは犯罪者でも、その外にはきちんとした社会がある。ここはどう見ても、ガス会社を偽った裏の世界だ。最果ての、俺が夢うつつで見た「南極」の世界だ。
 ロビーのテレビには、エベレスト登山隊のドキュメントをやっていた。皆が見ていた。俺は涙で情けないくらいにくしゃくしゃに崩れた顔をして、滲んだ画面を見ていた。
 「リュックサックと竹ざお、これは植村直己さんのアイディアなんですよ…クレバスに落ちないように…」画面は次第に吹雪で白一色になる。雪崩だ、と誰かが言った。すると、画面の映像にひびと、壊れるビデオの狂った電気信号が入り、しばらく黒一色になってしまった。次の場面になったとき、俺は諦めた。テレビでは、霊安室が映し出されていた。そこには、黒いビニールでできた遺体を包む袋がクローズ・アップされた。ナレーションが入った。

 

 〈常識から逸脱したとき、そうエベレスト登山隊のAのように…人間はネズミとのあいの子になる。〉

 

 遺体袋のチャックを開いた。そうすると、中は傷を何度もこすりすけたような、真っ黒な毛のような、樹脂でできた全身、真っ赤な引きつった細長い目、そして、前歯が肥大化した、ネズミと人間のあいの子が、テレビ画面に大きく映し出された。
 俺は大声で半ば、きちがいじみて笑い叫んだ。誰かが、俺に何かを言っていたようだ、そんなことはまた先のことだ、これからじっくり話し合おうではないか。そうだ、これからなのだ、これから俺は一仕事するのだ。さ、見ていろ、俺は意気地なしでも、日陰者でもない、だから他人がどう言おうが俺は気にしない。俺はただ、今映っている画面がなにやら、俺の行き着く先を暗示しているようにしか思えない。そこで、俺は大声で神経がぷつりと千切れたように笑う。それでいい、それでいい。もうこの世には未練などない。どうなっても構わん。所詮ネズミ魚は人間社会でも拒絶されるのであり、俺はまんまとそのどつぼに嵌まった、滑稽な魚、歯科医がこの世の案内者、フォッグライト。その娑婆の味を堪能したネズミ魚は最果ての地で死を迎えるしかないのだろう。だとするのならば、この就職の決まったガス会社、犯罪者であろうと、倒錯した異常者でもなんでも遣って来ては、仕事を与える、あの寛大な八百屋である会長のもと、俺以外のものでも似たりよったりの社員、新入社員、皆が精を出し、そして、会長が思うところに皆を運んでいき、俺も間違いなく運ばれ、そして、世界が変わる。この革命じみた、荒唐無稽な会長の論理を覆す者達はいまだにこの世には存在しない。ここで、俺が一役かって、外界にこうした危険な機関があることを知らしめたところで、世の人々はネズミ魚の話などは少しも信じてはくれないだろう。先にも言ったように、この世では社会から拒絶されるのがおちというものなのだから。


この本の内容は以上です。


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