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 やっとのことで、会長室に着くころには、俺は情けないことに息切れをしてしまっていた。息を切らして、禿げた男に、
 「分かりませんか、俺はもう息切れをしているんです、そいつがここで働けるとでもいえますか、それも訊かないとわからないですって!」
 禿げた男が、会長室のドアを叩いた。中で、曇った声をして、会長がどうぞ、と言った。
 会長室は暗く、暖色系の明かりをつけていたためにはっきりと会長を見ることはできなかったが、その発声がどこかで聞いたことのある声であり、そしてタキシードを着ていることで、会長があの八百屋そのものであったことに、男は驚いた。会長は、二人だけにしてくれるか、と禿げた男に言うと、禿げた男はそんな滅相もないことです、お邪魔いたしました。といい会長室を後にした。
 「なかなか、ユニークな格好ではないかね」といって、男の容姿を誉めた。
 「あんた、八百屋じゃないか、こんなところで何しているんだ」
 「八百屋は兼業、アルバイト的なものだよ、それに…」といって、暗がりからもう一人出てきた。あの糖尿病の男であった。「専務だよ」と改めて紹介されると、男はかしこまってしまい、それが変だったので、怒った口調で、二人に食って掛かった。
 「おまえらのせいで、とんでもないことになってしまったんだ。人を一人殺してしまったのだ。それで、今度はガス会社の強引な勧誘だ、何だあの紹介所は、おまえたちが拵えたのにしては都合が良すぎるじゃないか!」
 「言いたいことは大体分かる、こう言いたいんだろ、私らの監視下にあるのだと!」
 「そうだ、俺はお前らの手のひらの上で生きているようだ」
 そんな時に専務が割り込んでくるのだ、
 「だが、監視にしてはあなたが生きて、体験したことはまるで万華鏡のように不思議で、自然だという気がしないか?そうだとしたら、やはり、会長の言うとおりにこれは監視下なのだ、といえる。だが、少しでもあなたが楽しんだのならば計画のもとであっても、少しは協力してもらわなくてはならない」
 「協力だと、ふざけるな、あの変な歯科医もおまえたちが用意していたものなのか?」
と、彼が突き詰めると二人は寄り添って首を振り、否定するのである。会長は、少し落ち着きたまえ、といった。しかし、男はそうおいそれとは落ち着いてられなかった、というのもこれから新入社員の入社説明会を開くという事務の者からの伝言をドア越しに聞いてしまったからだ。それでは何もかもがこの会長と専務が拵えた雛型の中でみなが動かされている気がし、動揺を隠せなかったからだ。
 「いま、これからテストをする、簡単なものだ、知恵の輪を知っているか?そうか、知っているんだな、じゃ、これを解きたまえ」と、会長は専務に顎をしゃくりあげると、専務が赤い布の包みを開き、それを男に渡した。そこには、銀の知恵の輪があり、恐ろしいくらいに単純なものであった。さっと男は解いて、はずれた知恵の輪を赤い包みにくるんで、会長に渡した。すると、会長は赤い包みを開いてまだ知恵の輪が解けていないことを示した。そうすると、男は怒って、今、解いたのを見ていたじゃないか、と怒鳴った。そうすると、会長はこう切り出した。
 「ま、人を殺めたことを考慮し、解けないのだろう、しかし、安心しなさい、ここでは警察もこなければ、マスコミも来ない、出たいと思ったときには出られ、出たくないと思ったら出なくて良い、いいところだ、ここを安住の地としなさい。それが一番あなたのためだ。」
 「俺はいったい何者なのだ?それとおまえたちはなんなんだ!」
 「おとといきやがれ、このうすらばか」と言う声がした。二人のものではなかった。
 「今、なんていった?」


 「何も言っていないが…」と専務と会長、なぜだかこの二人は似ていないのだが、思考方法といい、発音といい、喋り方といい瓜二つだ。確かにそう言っているのを彼らは聞いているはずなのだが、聞こえていて聞かない振りをしているのか、聞こえないかのどちらかだ。ドアが開いた。歯科医院の女だった。
 「なんできみがここに出てくるんだ」
 「あんたもバカよ、この人たちが協力しさえすれば、助けてくれるといっているんですもの、でも、それは法治国家の論理でいうと罪になるんだけどね、でも、もうあなたと会えないって言ったけど、こうして会えた、それをあなたったら、馬鹿もほどほどにしなさいな、あなた私の大切なクラスメートを殺しちゃうんですもの」
 「本当にすまなかった…」と言いかけると、ドアが閉まってしまい、また薄ら明かりの中で会長と専務が相談しているのである。
 「ま、入社式に参加しなさいな」と、二人はハモーニーのように同時に言った。これでは、割った卵に黄身が2つあるようだ。
 いきなり社歌を歌いだした。これでもオープニングなのだろう。伴奏にはすかすか音の出ないオルガン演奏者がいて、調子はずれな曲を流していた。
 ガスタンクに合わせて奇怪なヘビのように社員は並んでいた。会長は一つのガスタンクに向かってマイクがハウリングを起こし、音が割れようが関係が無く、この音割れ現象はこの会社の特長みたいなものだ。あのガス会社の車が来たときもスピーカーが割れていたんだ。なぜよりにもよって、一つのガスタンクに向かって会長が言葉を述べるのかというと、このヘビのようにクネクネと整列している社員たちに通じるように計算をして言葉、音声がガスタンクに反響し、捻じ曲がり、屈折していくことを考えているからであろう。社員はこの退屈であまり意味をなさない朝礼を黙って聞いていた。
「えー、これから新入社員を紹介いたします。それでは人事部長のきみ、そうきみよろしく頼む。」そうすると、演壇に俺のほか、精気のなくなった人々が整列して、人事部長が挨拶をした。
「これから、実に精鋭なる人事の匙加減によってこの世の中で一番のもぎたて一番の新入社員をわが社は受け入れることができた。このことは実に喜ばしいことなのである。実にいいことなのである。というのも、会長と専務がテストをした結果、実に滑稽な話をここで披露するとするのならば、それはあの君達も知ってのとおり、知恵の輪――この部分だけはなぜかマイクのスウィッチを切って地声で話し――、あの実に単純なテストを通過できなかった連中いや、諸君だったのだ。実にこのことは滑稽である。――すると、てんぷらを揚げるような爆ぜる拍手が響いた―ーしかし、逆説的に言うのならば、会長と専務は――なぜか会長と専務はいっしょにされているのであった――こうした単純な昔の遊び道具を知らない者の中にこそ、秘密の宝が埋蔵されており、その埋蔵されている宝を確かなものとするのは、実に人事の部長である私の役目だと、会長と専務は語ったのである。そこで、私はいろいろ試行錯誤しいし、宝を探り出したのであった。」
 一同が一斉に拍手したので、俺は他の新入社員を見たら、俺のような格好をしているのであった。一人は、デッキシューズに黒い紳士もののソックスを履き、極端に丈の詰まった、というよりも中学時代に着ていた詰襟の服を大事にとって置いたかのようにして、それを身に纏い、俺と同様短いズボンを穿いていた。


 もうひとりは、まるで西部時代にタイムスリップしたかのようにカーボーイの服を着ていたが、シルクハットを被っていた。どうかしている、と俺は思ったのだが、俺もおかしな格好をしているので、また紹介途中であるので何もいえなかった。
「そこで、新入社員の諸君をこれから紹介していく、まず、一番端のものは、学生時代にマクドナルドのビック・マック・ハンバーガーを毎日毎日諸君の仕事そのものだね、一週間で、60個食べた結果体重が十キログラム上がり、その他に、甘いペットボトルの、なぜ清涼飲料水だなどと言うのか知らないが、――ここで人事部長は妖しくにたにた笑った顔を社員に振りまくのであるが、誰一人して笑わなかった――それを毎日毎日飲んでとうとう糖尿病になってしまい、そのことを医者に告げると医者は匙を投げた…次の者であるが、彼は、もとは寺の出である。坊主を志そうと思わずに悪さを散々働いたものである。しかし、彼には独特の能力があった。彼の記憶力である。そこで、会長と専務はお経を知っているか、というが、彼は夜の店の住所と女の名を全て暗記しているのだけであった。そして、路上で捕獲…次のものは、」
 結局のところ、ここにいる連中は俺と同じくこの世の中で必要としないもの達だったのである。次々に紹介していくが、全て人生の落伍者であった。女と心中を図り、自分だけ助かった者、犬の尻を噛んでけがさせた者、マスコミを偽って轢断死体の写真を収集している者、中学校の教師で生徒にSM調教を放課後強要して首になったもの、スカトロジー、障害者を性的対象としていた者、ロリコンで捕まった阿呆、浮浪者、露出狂、出歯亀、獣姦者、そして、俺は人殺しということを会長と専務は伏せておくことにしていたらしく、魚から変身したもの、として紹介された。俺は紹介が終わって、皆が一斉に歓迎の歌を歌いだし、寒気がした。そして、会長である八百屋が俺に小さな声で、歌が終わったら会長室に来ること、といわれた。
 俺は正直いって、あの息切れのする、異様に長く感じる、会長室に辿り着くまでの事務所、巨大な事務所が嫌いだった。だが、こうして、組織に所属した限りではどうにもわがままはとおらない。そこで、俺は疲れた体で、どうにか会長室に辿り着いた。ノックしたら、会長と専務がまたハモるように、どうぞ中へ、といった。
 「いったいどんな連中がここには集まっているんだ!みな日陰者ではないか。」
 「まぁ、まぁ、その辺で、差別になりますよ、こう言ってはなんだか、君は自分の事を棚上げにしているようだ。自分もじゅうぶん日陰者ですとも。人殺しはね。」しばらく、会長は黙っていた。そして、その間、専務は団扇で会長を扇いであげているのである。そして、会長が、口を開いた。
 「いやね、この組織にはきちんとした目的があるのだよ、その目的というのはだね、ガス会社という都市のライフラインを握るものをこの世で必要としないものによって制御し、都市を壊滅することができるという考えのもとで活動している危険な機関なのだ、ということだ。公安も気付いちゃいない。しかし、まとめるのがこれは厄介なんだ、つわものぞろいだからな、だが、組織というものは、目的をいちいち説明し、納得させた上で何事も行なうこと、これはあたりまえのように見えて、実は難しい。さっきも言ったように、この組織は危険なものだが、まとめるまでに時間がかかるんだ、まとまったときを夢見て、私と専務は日夜努力を重ねている。日々努力。さっき、きみは彼ら、ま、うちの連中、社員も含めてか知らないが、日陰者といっていたが、仕事に関しては、鍛えてやれば普通にこなす。だが、趣向までは制御できない。


私は、この組織の者どもは、宝の山ではないだろうか、と考えている。人事部長が言っていたね、そのとおりだ。なぜ宝の山というのかは、天才というものが、精神を病むか病まないかの瀬戸際で登場してくることに似通っているんだ。社会が受け入れない、あるいは、社会から逸脱したもの、それは社会的な適合に対しての能力が病んでいるか、病んでいないかの瀬戸際にあると考えられ、とどのつまり、社会的天才とも言える、だから、私は宝の山だ、といっているのである。こうした連中はある方向付けをしてあげれば、私の思い描くままの世界を展開してくれる。これが、待てば海路の日和あり、というものだ。きみはその辺を気にしていたか?それともなければ、俺は違うと思っていたか?だとするならば、私と専務ときみであの団地で話し合ったときに渡そうとした手紙の送り主が、この組織だということを理解できるだろうな。できない!きみには失望した。さぁ、専務、こいつを追っ払ってしまえ!もう私の部屋にはつれてくるな、私の機嫌が治ったら連れに誰かを遣ろう、それまでは、仕事を叩き込み、そして、この組織に順応させ、ものにしておけ。」と、会長は不機嫌な顔をして、回転イスを回し、背を向け、社訓をカッカと音読をして、専務が団扇を机において、ドアを開けた。専務に促される前に俺は既に外に出ていた。事務員の中にどう見ても小学生の女の子がいた。どこかで見たように思えたが、思い出そうとすると専務が、
 「会長さんを怒らしたら駄目です、どういうことか説明、一生懸命あなたのいい方向に導こうとしているんですから、すっかりあなたのことをお考えになられて、やつれていらっしゃるんですよ、それをあなたときたら、聞いているんですか?」
 「俺、あの女の子知っているよ」
 「え、誰です?」と訊いてきたので、俺は指を差して、コピー機の操作を背伸びしてがんばっている女の子を教えた。その女の子の足元にはウサギのぬいぐるみがあった。
 「あの子は万引きの常習犯で、もう処女じゃないものです。」と、言ったので、俺は瞬く間に怒り狂い、専務を無惨にも殴り殺すところだった。女の事務員が、数人で押さえ込み、俺はしばらく気を失った。というのも、その事務員の中に柔道をやっている奴がいたらしく、俺はそいつに絞め技をかけられたのだった。

 

地下鉄の終着駅に向かう列車の中で、乗客は誰一人としていない。俺一人だけだった。窓はツララが垂れ下がっていた。凍てつく寒さか、というとそうでもない。暖房のあたたかさも感じない。アナウンスもなく到着した駅名は「南極」。看板も駅名もみな凍り果てていた。列車も凍っていた。だのに、俺は寒さも、暑さも感じなかった。

 

 起き上がろうとしても酸欠状態だったらしく、体はしばらく動かなかった。がやがや人の声がした。誰かが覗き込んだ。
 「おい、起きたぞ!」と叫んだ。人々は俺の周りに集まりだした。ソファーの上だったらしく、体を捻じ曲げると落ちてしまった。そして、生まれて間もない牛か馬のように俺はよろよろと起き上がるが、くらくらしてまた倒れた。誰かが、支えてくれた。ありがとう、と俺は礼を言った。そうすると、社宅のロビーだということが知れた。支えてくれた人が、
 「ガス会社、その社宅ですよ」と教えた。
 「なんだって!まだ俺はガス会社にいるのか?ということは、俺はまだ…」、といって言葉を濁した。人殺しのままだと、言いたかったのだが、口を滑らすところだった。俺は急に泣き出した。そして、
 「誰か、警察を呼んでくれ!」と大きな声でヒステリックに叫んだらしく、一同はしんと静まり返った。涙は止まらなかった。こうして何年、いや一生ここにいるのかと考えるだけで気が狂いそうだった。


 まだ、人殺しで、数年で出てきたほうがましだと思った。向こうは犯罪者でも、その外にはきちんとした社会がある。ここはどう見ても、ガス会社を偽った裏の世界だ。最果ての、俺が夢うつつで見た「南極」の世界だ。
 ロビーのテレビには、エベレスト登山隊のドキュメントをやっていた。皆が見ていた。俺は涙で情けないくらいにくしゃくしゃに崩れた顔をして、滲んだ画面を見ていた。
 「リュックサックと竹ざお、これは植村直己さんのアイディアなんですよ…クレバスに落ちないように…」画面は次第に吹雪で白一色になる。雪崩だ、と誰かが言った。すると、画面の映像にひびと、壊れるビデオの狂った電気信号が入り、しばらく黒一色になってしまった。次の場面になったとき、俺は諦めた。テレビでは、霊安室が映し出されていた。そこには、黒いビニールでできた遺体を包む袋がクローズ・アップされた。ナレーションが入った。

 

 〈常識から逸脱したとき、そうエベレスト登山隊のAのように…人間はネズミとのあいの子になる。〉

 

 遺体袋のチャックを開いた。そうすると、中は傷を何度もこすりすけたような、真っ黒な毛のような、樹脂でできた全身、真っ赤な引きつった細長い目、そして、前歯が肥大化した、ネズミと人間のあいの子が、テレビ画面に大きく映し出された。
 俺は大声で半ば、きちがいじみて笑い叫んだ。誰かが、俺に何かを言っていたようだ、そんなことはまた先のことだ、これからじっくり話し合おうではないか。そうだ、これからなのだ、これから俺は一仕事するのだ。さ、見ていろ、俺は意気地なしでも、日陰者でもない、だから他人がどう言おうが俺は気にしない。俺はただ、今映っている画面がなにやら、俺の行き着く先を暗示しているようにしか思えない。そこで、俺は大声で神経がぷつりと千切れたように笑う。それでいい、それでいい。もうこの世には未練などない。どうなっても構わん。所詮ネズミ魚は人間社会でも拒絶されるのであり、俺はまんまとそのどつぼに嵌まった、滑稽な魚、歯科医がこの世の案内者、フォッグライト。その娑婆の味を堪能したネズミ魚は最果ての地で死を迎えるしかないのだろう。だとするのならば、この就職の決まったガス会社、犯罪者であろうと、倒錯した異常者でもなんでも遣って来ては、仕事を与える、あの寛大な八百屋である会長のもと、俺以外のものでも似たりよったりの社員、新入社員、皆が精を出し、そして、会長が思うところに皆を運んでいき、俺も間違いなく運ばれ、そして、世界が変わる。この革命じみた、荒唐無稽な会長の論理を覆す者達はいまだにこの世には存在しない。ここで、俺が一役かって、外界にこうした危険な機関があることを知らしめたところで、世の人々はネズミ魚の話などは少しも信じてはくれないだろう。先にも言ったように、この世では社会から拒絶されるのがおちというものなのだから。


この本の内容は以上です。


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