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「もっと言い方があると思うのだが、今のところ、すごく不安定な立場に置かれているんだ。それに、二階のMさんのように、きみにちょうどケージの中のペットのように扱われるのではないだろうか、そんな不安も抱いている」
「そんなことはないわよ、心配しないで、あの人はわたしにとってちょっとした火遊び…それ、認めてくれない?…それから、Mのようにあなたを扱ったりはしないわ。それだけは信じて」
「火遊びか…」と、男は項垂れた。
「火遊び、っていうのは浮気とは違うわ、あの男をここにおいて、あなたを放り投げるということはしないっていうことよ、あなたはわたしとつながりがあるし、それにタイプだわ…」

 彼女は、おそらく俺を見ているのだろうが、おれは新聞紙の一面のコラムを見てその中の文字、目に飛び込んでくる活字を追いかけていた。生物、学会、理科系、繁殖、猿、女性。
「いや、あれは浮気だ」
「違うわよ」女はむきになって続けたが、男にとってそれらの言葉は全て言い訳でしかなかった。「あなたはわたしの前にも付き合っていた人がいるはずよ、それに関係だって結んだと思うわ、それを認めないで、わたしがつい、うっかり、ちょっとした弾みで、遊んだからって、そんなに言われたくないわ、それに、私はあなたのことを忘れたりもしなかった、だから、完全に体を許したわけではないのよ、…」
「いいや、きみはそう言うが、俺がもし、きみとこうした生活を営んでいて、その一方で他の女に体を使ったともなれば、やはりいい気分じゃないと思うがね、そうは思わないのだろうか」
「それはいい気分じゃないわよ、正直に言って、ただ…」
「ただ、わたしの場合は特別で“下の口が疼くと”でもいいたいのか!」と怒鳴ると、女は、
「もうやめて、そんな言い方よしてよ、あなたってなんだか酷い人に見えてきたわ、どこでそんな言葉を使っていたのか知らないけれども、酷いわ。なんていう言い方をするの!」女は泣き出してしまったが、男は相当怒っていたため、
「きみは今おれが言ったこと以上のことをおれにしたんだ、その辺を弁えてくれ」と言い残して、自分の部屋に向かった。女は後かたづけを済ませると、同じく自分の部屋に足を引きずるかのように向かった。二人とも言い争ったためか、食堂には取り残された、冷め切ったフライド・チキンのような雰囲気がぽつんと、ぼんやり立ち込めた。
 男は自室――この部屋は自分の稼いだ金で買った家の部屋でもないのだが――そこで怒りを静めようと躍起になっていた。言い方がまずかったことは自分でも認める。だが、どうしても彼女を許せなかった。それは、彼女と同棲をしていたからだろうともいえるし、その同棲をしていたことを彼女は初診の男と関係をもたないまでも、性的遊戯に酔いしれていたことで足蹴にされたためであろう。その足蹴にしたことが仮に自分がそうであったならばどうだろうか、彼女は許してくれるだろうか?これはおそらく主導権を彼女が完全に握っていることを露呈していたから、というのが真相だ。そこで自分が惨めであった、情けなくなったことの反動で怒ったのであろう。この怒りは当然である、と男は怒ることで彼女がどういうわけだか悲しむ――これは男にとっては謎であったのであるが、というのも浮気をしていたことを罪深いこととして認めないからであるが、――それがわからなかった。ただ、彼女のほうから譲歩してこないかぎりは…と考えを進めると、ここ、つまりこの家に自分がいることは彼女の許可をもらっているからなのだ、ということに突き当たり、やはり自分が折れるしかないのだろうと、半身を食堂に持っていき、彼女を手招きしている姿が目に浮かぶ。浮気などというのは関係の底の底に繋がりがある限りは許されるのかもしれない。それを自分は情け容赦なく怒り、彼女に当たった。そのために彼女は悲しんだ。


だが、どうしても怒りは収まらなかった。ただ、言えることはこうした冷めた関係はいずれは溶解し、和解し、元の鞘に収まるのだろう、という希望が僅かではあるが、男に生じていた。それにはきっかけが必要だ。そのきっかけというのは笑いだろうか。そんな考えを男は持ち静かにふとんを敷き、横になった。
 彼女の場合であれ、付き合っている異性に対して過去の異性との付き合いを喋りだしたとしたら、途端に関係などといったものは破綻する。ましてや、今現在そんなことをしたとしたなら、関係などというものはぎくしゃくしだし、喧嘩になり、冬にアイスクリームを震えながら食べるようなものに成り果てることだろう。男はもう忘れようとした。それが男がとれる技量であり、寛容さだろうと思ったからである。しかし、彼女の悲しみは波がひくようになるのだろうか。それはわからなかった。そして、彼女の悪癖である。それは染み渡り、そうおいそれとは治らないだろう。拾われたものの不自由さ、それに男は気付きだした。
 昼になり、食事の時間となった。男は空腹を感じ、食堂に向かった。そこに彼女がいた。まるでこれから責めを受けてもかまわない、ともとれるし、反撃をしよう、ともとれた。化粧をし、きれいになっていた。男は別に化粧などしなくとも一向にかまわなかった。ただ、これから彼女が出かけるのではあるまいか、と思った。
 「どこかに出かけるのかい?」と、男はもうすでに怒りは乾きもののように鎮まっていたのであり、彼女の返事を待った。彼女は別に…といった。これは出かけるのは気まぐれであり、その決定は俺にあるといった返事だ。
「もう怒っていない。きみを悲しませたことは詫びるよ。ただ、きみが、これはおそらく老婆が言ったことなんだが、それが心の中にあって…」
「もういいの。私が悪かったんだから」と言いつつも、男を見なかった。
「こういっちゃ何だが、一緒に食事に行かないかい?」
「今買い物に行って来る、料理の本を見ていたの…」
「食事を作ってくれるんだ…」
 返事はなかった。

 

子供のころ、小学生のころだろう、女の子のクラスメートを家に遊びに来させた。ゲームをしたり、もう忘れた。ただ、こんなことがあった。彼女は空腹のために、パンを無断で食べたのであった。それを許せなかった。これから、パンを食べ、出かけなくてはならなかったからだ。そのときの彼女は悲しそうで、おびえるような表情をしていた。

 

 彼女は出かけ、なかなか帰ってこなかった。そこで水で空っぽの胃から分泌してくる胃酸を薄めた。二階で音がしたので、俺は二階に行った。あの老婆の言っていた、部屋のドアが少し開いていた。中からはくうくうといった人間の口から発生する音が聞こえた。思い切ってドアを開けた。すると、奴隷Mがケージの中にいて猿轡をしていた。彼がいる中には黄色い小便が池を作っていた。男はケージを開けるにはどうしたらいいのか、Mに訊こうとするのだが、猿轡をしており、訊きだすことができなかった。そして、彼に手招きをして、ケージから猿轡を取るから、といい近付くようにいった。すると彼は傍によってきたため猿轡をはずすことができた。彼には独特の臭いがつき、鼻が曲がりそうだった。おそらく、風呂にも入れてもらえないのかもしれない。仮面を取ろうと同意を求めたが、彼は拒否した。そこで、男は、
「またなんだってこんなとこに閉じ込められているんですか、この前は食事できたのでしょうか?」と言い、部屋を見回すと、鞭と浣腸器、それから張り方があった。


床は水色のタイル張りで、汚水を流せるようにか、責めに使うのか水道が備えられており、汚水口の周りには黴が生えていた。壁には皮の相当分厚い音漏れを防ぐ設備が施されており、映画館でもこうまでしないが、劇場入口のドアのようになっていて、
「この部屋にどのくらい閉じ込められているんですか?」と、返答を待った。しかし、彼はなかなか話そうとせず、始終鼻詰まりのような奇妙な音を口からか、鼻からか分からないが発していた。そして、こっちが何か話題になりそうなことを探そうが、そのようなことはお構いなしであり、じっと男の自由な体を、特に目を見ていた。そして、他に誰も来ないことが分かったのだろうか、自己紹介をし始めた。
「わたくしは、このお嬢様と出会いましたのは、もうかれこれ三年前になります。わたくしは当時患者として、う歯がございまして、治療を受けに、このオキアミ歯科医院様を受診したのでございます。まず初めにお嬢様が先生でございまして、わたくしが患者であった頃のことから話をさせてくださいませ。先生は親切でありました。わたくしが痛がってもなお歯科を受診しなかった恐怖感をお嬢様は、いや先生は、全てお見通しのようでありまして、まるでわたくし、このようなわたくしの下種な心をお読みになられますことを非常にわたくしは、不思議に思いました。そこで、お嬢様は診察をすばやくして、わたくしにこれからゆっくり時間をかけて治しましょうと言いました。金銭的に問題はなかったのですが、わたくしはお嬢様のあどけないお顔を拝見してからというものの、このオキアミ歯科医院を受診するのが、う歯の治療でなのか、それともお嬢様目当てなのか、分からなくなっておりました。家庭内にも、職場にも問題を抱えておりまして、いっそのことお嬢様と生活をはじめたく心のそこで考えておりました。その点をお嬢様がはじめに感じたときは、わたくしが麻酔をかけられる時に白衣の裾をぐっと握り締めたときにお嬢様が白衣の下に何も身に纏っていなかったときでありまして、そのことをなんとなしに訊いたところ、私露出狂に興味があるの、というのであります。わたくしはそんなことは考えずにお嬢様を、今から考えるとそれが引き金になったのでしょうが、押し倒し、抱いてしまったのでした。そうすると、お嬢様はえんえん泣き出したので、わたくしがどうして泣くのです、と問いましたところ、私今、一人で生活しているの誰も私のことを思ってくれていないと思ったの、で、つい、などと言われました。しかし、それは真っ赤な嘘でありまして、わたくしはお嬢様とだんだん妙な関係になっていきました。それからというもの治療していくうちにお嬢様はあちらも、ここも、と、いたずらをする少女のような顔をしてう歯を探り出してわたくしは歯の半分を削られてしまいました。」
 「それ」といってMは口を開くと、確かに言うとおりに、歯は、普通の半分だということが前歯から分かり、そして奥歯にいたっては、十文字に削られて、それを見るために男は Mの口の中に顔を突っ込むようにしなくてはならなかった。
「神経が出て痛くないのですか?」
「それが不思議と痛くないのです。わたくしは、多量の麻酔――多量といっても通常の量よりも少し強めたもので、致死量には達しないわけでありまして、――それを打たれ、口の中は痺れてしまい、感覚がなくなってしまいました。麻酔の中を泳ぐおたまじゃくしのような私の舌は、あさっての方向を向いてだらりと、垂れ下がって、涎をたらしつづけたのでありました。そのときの麻酔が覚めていないのでしょう」
「いや、違う、全ての歯の神経を取られたんだ!」
「そういえば、お嬢様はピンセットを使って糸くずのようなものを捨てておりました…」
Mは、横目で首の座らない赤ん坊のように震えていた。


それが、真相を知ったためか、それとも永い監禁生活の障害なのか、判断できなかった。しかし、彼は彼女以外の人間にまるで生まれて初めて会うかのようにして、喜んでいたのだろうが、それは男にとって不愉快なことであった。それは、Mが手淫をしだしたからであった。彼は、男に注意を受けてもやめず、喋りだした。
「歯のことはもう申し上げることはございませんが、わたくしには教育哲学のようなものがありまして、それから分析させていただきますと、お嬢様は少女時代にかなり、衝撃的な暴行を受けたのであるまいか、と思われる節がございまして、わたくしとプレーをしていただきましている間に、心の中でお嬢様にこう問い掛けるのであります。『なぜそのように異性であるわたくしを責めるのでしょうか?』と。そうしますと、それに呼応するかのように鞭やらエネマを多めに与えられるのであります。学校にいたときに、この子はおそらくサディストになるだろう、という子…」と言う、Mの言葉を遮って、男は尋ねるのであった。
「じゃあ、もとは学校の先生だったんだね」
「そうであります。教師をしておりました。当時はまるで時代錯誤のような管理教育がなされておりまして、学校長は入学式、ことある毎に教育勅語をお読みになるなど管理教育というよりも、その仮面を被った軍国主義色の強い教育を施しておりました。わたくしは国語の教師をしており、大学時代には空手をしていました。そこで、体罰を容認するべく、その方針を現場で施行いたしたわけであります。学生に対しては痛みを持って物事を知るべし、とした考えでございます。手で鼻血が垂れるくらいに叩くことはそれは!、それは!――と言って、かなりの興奮をしたのだろうか、精液の代りに小便を垂らして――け、け、・・・・その頃に育った子供たちはやがて親となり、現在のすさまじい世の中が到来する訳であります。これは目にも鮮やかなりとも言えましょう。完全な帰結であったのであります。わたくしもその責を負うべきなのでしょう。」
「しかし、なぜだろうか?あなたはマゾヒストのように思えたりしている一方で、サディストのようでもあるようだが…」
「それが真正マゾヒストの性とも言えるのです。よくサディストはマゾあがりがいい、とおっしゃいます。それと同じく、マゾヒストにもサディストの要素がなくてはこうしたことはできないのでしょう…。これからはわたくしなどのことはどうかお構いなしにしてくださいませ。わたくしなどといったものは本当に、鯖の生腐れと申しますように、精神が腐りきっておりまして、その臭気が、汚臭がお嬢様の気に障りなどいたしましたら快楽の鞭が飛び交うのでありまして、わたくしはその鞭に打たれながらも、勃起をしてしまうのです。それから、エネマであります。これは妻にも要求していたのでありましたが、なかなか同意を得られずにいた、わたくしの快楽の極値でありました。これらが、マゾヒストの一種の傾向なのだと、お嬢様は分析なされました。」
「俺にはちんぷんかんぷんだ、逃げ出したらいいじゃないか!」
「いいえ、わたくしは忠誠を誓うことをいたしました。一種の儀礼、儀式でございます。そのために、それに背くことは微塵も考えたことなどございません」
「だけど、食べ物も与えられないで…すごく痩せているじゃないですか」
「しかし、これから栄養分をしばし与えられ、肥えさせるのでございます。そうしてまた痩せての繰り返しであります。これもひとえにお嬢様のお考えでありまして、わたくしはお嬢様に足蹴にされてもなお、ついていく所存でございます。」


「どうかしているとも、あなたは人間だ、それに元教師だ、なんでこんな真似をしているんですか、やめにしたらいい!」
 しかし、Mは倒錯した性関係を否定する言葉には一切耳をかさなかった。男はこのことを理解できず、どうにかこの駄目になってしまった人間が、少しでも立ち直れるようになれないものかと、もどかしい思いで話をするのであった。
「わたくしの役目ももう終わりのようであります。これはお嬢様が奴隷二頭を飼うか、ということです。もちろんあなた様を奴隷にするにはわたくしのように一年も必要がないでしょう。既に、あなた様は虜になっていらっしゃるようなので。」いつの間にやら、手淫を止めていた。
「その辺のことを少し詳しく話してくれないか?」と言って、「このケージはどうやって開けるんだね?」男はケージをこじ開けようと手を動かした。
「その、壁に、赤い壁にかかっています鍵がそうであります。」
 男は奴隷Mを解放してあげたのであるが、階下の廊下で話をするしかなかった。というのも、あまりにも汚れていたため、他の部屋を汚すおそれがあったからである。
「お嬢様ははじめわたくしを普通の男性として扱ってくれたのですが、教師という職柄どうしても、性癖が変わっているものがままございまして、わたくしの同僚などは覗きで興奮するのでありました。いつだったか、養護の先生がトイレに入っていったのを追いかけていって女便所に入り、その養護の先生のちろちろというお小水の音を聴いてマス…そんなことよりもわたくしの場合ですが、わたくしはどうも奴隷として扱われ、散々責め苦をあじわったところにどうやら性的な絶頂感があるようであり、それを妻は気付いてくれなかったんですが、お嬢様はそれはものの見事に見抜いて、とうとう今年で二年になりますが、ずっとあの部屋に監禁されております。なぜ、あなたを奴隷にできるのかは分かりませんが、わたくし、極限的に言うのであるならば、わたくしの心の底には、そうしたものが微かにあったということでありました。だから、あなたにある要素があるとするのならば、その要素をお嬢様は見事に見抜いて、あなたを奴隷にすることができるということであります。集合の問題とおんなしです。で、銀行員の話はいたしましたでしょうか?」といってMがそろそろ調子付いてきたときに、
「二リットルだよ!」と、背後から、彼女は凄んで言った。
「ああ、お嬢様!」と、Mは恍惚とした表情を仮面の下に浮かべて、拝むようにして、女の前にひれ伏した。
 俺は、トイレ、と言って向かった。すると、不鮮明な二人の声がやり取りされていた。二階へ向かう階段で、二人の声がいっそう狂ったようにこだまして、重い猿を麻袋に入れて階段をずるずると引き上げていくような音が耳に届いた。


 何の事はない。ちょっとした行き違いだ。彼女が男を連れてきたのであった。それが、あのバカ鴉でなかったことが唯一男にとって救いであった。奴隷Mは彼女の話では処分するらしく、そのために、部屋を改造すると言う。その大工かと俺は思ったのであるが、どうも様子が可笑しい。
「紹介するわ、Kさん。大学時代のクラスメートなの。なんだっけ?何のクラスだったけ?」
 Kは照れ隠しをするようにして、俺の前に出てきて、彼女とまるでこれからベッドに向かうかのような仕草をして、低い声で、不鮮明でこう言った。
「確か、フランス語、第二外国語は苦手だったんで、忘れちゃいました。フランス語でいいんだよね?」と、今度は彼女にふった。そこで、俺は少し頭にきて、



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