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「興奮する?」
「そう」

と、言って、女は男のされるままになっていた。男は、頭の中で、普通こうしてくれ、という要望は男のほうからするものだと考えて、そして、このことが、この女相手では全く逆の立場になってしまっている。これではまたしても、彼女が主導権を握っていることになり、少し強めに腰を動かした。すると二階で、どん、という音がして、彼女が絞まった。
「なんか、いるのか?二階に」
 男は彼女から出てくる。
「本当のことを言ってくれ」
 つとめて冷静に言った。すると、彼女は上を向いて、目をはっきりと開け、また俺を招きいれようとする。
「秘密でもあるのか?」といって、男は少し抵抗する。

 彼女はまた俯いて、ぼそぼそ言い始めた。彼女はスカートの皺を伸ばすようにして、足を崩して座った。そして、ズボンを上げている男の手を抑えて、そのままでいてくれない?と小さな声で言った。
「どう見てもフェアじゃない、きみは服を整えて、俺は下半身剥き出しだ、こんな変な状態は嫌だ」
「そうね、でもあなたが好きだから…」
「好き、って言うなら、君も裸になったらどうだい?」
「あのね、二階にはね、そう、二階には…いるの…」
「旦那さんかい?それとも、恋人かね?」
 彼女は視線を一定にしないで、ズボンをまたしても下ろしにかかる。まるで、性欲の虜のようだ。
「違う…」
女は呟いた。二階には、誰かがいることには違うらしいが、亭主でも、恋人でもないらしい。老婆の話からすると、この女の母親かもしれない。
「お母さんが、二階にいるのか?」
男が、くすぐったく感じて、避けるように、枕もとから逃げるようにすると、彼女は口元に笑みを浮かべて、
「母なら死んだわ…」と言った。


 女は朝食にまたしてもバナナを調達してきて、男と女はバナナとミネラルウォーターで、一日を、女は男を口に含み、擦り、男は女の中に入り、そうして過ごした。
 男は二階が気になっていたらしく、集中がときおり途切れたりしたものの、快楽を男も女も、盛んに求めた。
「離れの老婆、いやお手伝いさんは何にも食べないで平気なのか?きみは用意をしないけど、俺の見たかぎりでは、あれでは町に出て、買い物をして、自炊をできるようには思えないが」
 女にキスをしながら言った。女はしばらく黙っていたが、頭を動かすのを名残惜しいようにして口を離し、
「糠みそでどうにか…」と男を下から覗き見て、「おしんこうで食べるの…魚…ごめんなさい、あなたオサカナだったのよね…食べないのよ、あの人私をひどく嫌っているの、話を聞かないから」
 また口に含んだ。


「また訊くけど、二階にはお母さんでなく、何がいるんだい?俺は、それがひどく気になる。それを教えてくれたら、もっと興奮する…」
 女の髪を撫でながら言った。
「今度、…案内するわよ。でも、今はこうしていたいの。でも、もしあなたが二階を知ったときのことを考えると、私とても怖いの…」
 女は腰をくねらせて言った。
 三度目のひきつけ………四度目のひきつけはなく、女が、脚を蟷螂のようにして男の腰に絡み付け、その強さはかなりのものであった。

 男は、こうした関係にはいずれは飽和が訪れ、俺か彼女か、いずれかが離れることであろう、一人芝居はしたくないと少し考えた。
 昼になり、女はエアコンを切って、外気を入れるため障子を開けた。むっとした空気が入り込んで、二酸化炭素と、粘液の入り混じった部屋の空気が、しばらくの間動くこともなく停滞してはいたものの、広い部屋であったため、そうひどくは感じなかった。女は汚れたシーツを持って、洗濯機に向かった。男は女の許可をもらい、居間を案内され、そこのソファーで腰をおろした。首を捻って、関節をほぐす。コキコキ、という音がした。腰がしばらく痛みを感じていた。生温いミネラルウォーターをいったん冷蔵庫に入れた。男が知っているのは風呂場と居間、食堂、宛がわれた自分の部屋、そして彼女の部屋。しばらくソファーに横になって静かな、弛緩した体、痺れを少し感じる体を休めた。汗をかかなかったため、体はべとつかなかったが、この居間では、エアコンをかけていないらしく、次第に外気の暑さで男は少し汗が、背中、太もも、腕に、うっすらと浮かびだした。汗ばんだ関係もそう悪くはないだろう、と頭を過ぎった。
 洗濯機の中に、汚れたシーツのほか、下着、などを入れて、女は居間にやってきた。二槽式の洗濯機で、今は全自動だから、それが欲しいわ、と男の傍らに座り言った。男は、現金は冷凍倉庫にあるし、それに今はきみの家で一文なしで過ごしている、いずれは仕事を見つけてきみに全自動の洗濯機を買う、と約束をした。
「まさか、昼もバナナかい?」と男は少しは彼女の手料理を食べたく、「できれば、君が記憶しているレシピで何かこしらえてくれないか?」

 すると、女が照れくさそうにして、
「私、あまり料理得意じゃないの、この前のしし唐を炒めたのが料理って言えばそうなのかもしれないけど…そうね、…カレーライスくらいかな、できるのは…」と言い、首を傾げて、「外食しない?」と誘った。

 男は手料理にこだわり、「それもいいが、それには、こんな格好じゃ行けないだろう、分かるよね、…だから、何か服を貸してくれないか?」と、上着をはたつかせた。
「服ね…父のはもうほとんど残っていないの、処分して、それに今あなたが着ているスウェットスーツは私が時々着ているものなの」と、いった。
「そうか…ならば、カレーライスでいいから作ってくれないか?」
「じゃ、さっそく、下手よ、食べられたものじゃないかもしれないけれど…」と言い残して、買い物に出かけた。
 男はしばらく、ソファーで横になって、疲れた体を休めていたが、ふと彼女が買い物に行っている間に、この家を調べよう、それも二階を知りたい、と思い、体を起こした。
 静かで、金持ちが集合している、この一帯は、外に家の音が漏れない工夫をしているのであろうか、それとも、この家自体が、外界の音を遮断する工夫をしているのだろうか、それにしては、古風な作りの家だから、そんな工夫を施すことは、何かしら違和感がある。疑問に思っていた。誰もいないことは分かっていたものの、誰かがおれを観察しているのではないだろうか、というおどおどした感じで、居間を出た。


 食堂を通り過ぎ、二階に通じる階段を探したところ、庭に面した廊下の左側に階段があった。暗く、日の光を浴びない静物画のような木の階段であった。そこを静かに上がって二階に上がった。
 二階には四つのドアがあった。一つずつ調べてみよう、それに、ここで彼女に見つかるどじを踏むことは許されない。もし、この二階を見て回ることが発覚した場合には、今朝の彼女のあの怒りからして、俺は彼女に放り出されてしまうだろう、そう考え、男は階下の様子を耳をそばだてて聞き、その一方で、部屋を見て回るというかなり疲れることをした。
 一つ目のドアノブを回すと、寝室のようであり、ベッドがひとつ、その部屋の窓にはレースのカーテンがかかっていた。明るく、南に面した快適な部屋であり、またなぜ彼女はここに寝ないのかが、不思議であった。もうひとつのドアノブを回すが開かない、そして、もうひとつのドアは開いた。そこは北側に面した部屋であり、狭かった。冬はさぞかし寒いだろう、おそらくこの部屋は納戸であり、かつては彼女の父親がオーディオ製品やらを置いておいたに違いない、今は何もなく、フローリングの部屋であった。もうひとつの部屋を見た時に階下で物音がした。そこで、その部屋のドアを閉めて、階段を下りていった。
 あの部屋は、広くたぶん二世帯になったときに居間と食堂を兼ね備えたものにしようとしていたに違いない。階段下には、老婆が待ち構えていて、手招きをしていた。その表情はまるで、くだらないゴシップを手にしたマスコミの人間のようであった。
「何なんだね、婆さん、あんたがこの前に言っていたことは全て出たら目じゃないか」
 彼女でないことが分かって、安心して、階段下に降りた。すると、老婆は、赤い風船を破裂したように舌をぺろぺろ出しながら話し始めた。なぜ、この老婆は、話の前に、舌が口から出て、動き回ったのか分からなかった。
「おまえさんは、あの女と、ずっとこんな感じでいるのかい?だとしたら、私からのそれこそ老婆心で言うんだがね、今のうちが逃げ時だよ、これからは、もっと逃げ出せにくくなるだろうからね。ところで、二階には行ってどう思ったんだい、私も不思議だから案内してくれないだろうか。知っているんだろう?知っている顔をしておる。ふふふ、分かっているんだろ、二階に何があるか、私はこのとおり、足腰いかれちまったから、階段を上る気力も体力もないがね、おおよその見当はつくんさ、何を見たんだね?ほーら、言いたくなる顔をしている」

と老婆は、男の顎を――ちょうど、髭がうっすらと伸びてカビのようになっていたのであった――撫でて、ふざけた感じで首を左右に振った。
「何にも知らないさ、あんたこそこの家についちゃよく知っているんじゃないのかい、『お嬢様』の生い立ちについてさ、二階には何がいるんだい、ペットかい?」

と、男は、顎を執拗に撫でる、この鬱陶しい老婆の手をどけながら言った。
「それは知らないさ、ただ分かっていることは、あの女は二階に人を閉じ込めているらしい、ということさ」
「恋人か?」
「いや違うよ、お嬢様のおもちゃだよ」
「おもちゃ?」


「そうとも、そいつはもっぱらお嬢様の張りかたの役割をしているわけで、おまえさんが連れられてから、お嬢様は二階の人には声すらかけない、私は離れで聞き耳を立てているんだがね、聞こえてくるのは、お嬢様の喘ぎ声とおまえさんの汚いうめき声さ、その汚さったらありゃしないよ、どうして、おまえさんのような駄目な人間を、うちに連れてきたのか、お嬢様の気が知れない。よりにもよって、こんな薄汚い乞食を連れてくるとは」

と、老婆は笑い、

「それから、おまえさんはどうして、こう、こ汚いんだね?生まれはどこだね?お嬢様の趣味はそれはよかった、次々にいい男を母屋に連れこんで、…」
「この前は駄目な人間だとか、とっかえひっかえ、って言ったじゃないか」

と、男は老婆を罵倒するように話し出した。

「まだ、二日しかたっていないわけだから、何も分からない、ただ言えることは婆さんと彼女とは仲が悪い、そして彼女が色情狂というのも嘘、それからあの暑苦しいそれこそこ汚い離れであんたが話したことは全て婆さん、あんたの妄想、ということだ」と言って、少し様子を見た。
 すると、老婆は、それでなくても萎びた花のようになっている顔に落ち込んだ表情を覗かせて、急に元気を無くしたのだろうか、返答をしてこなかった。次第に、気の毒に感じてきた。
「遅くなると思うが、これから彼女と食事をする、もしよかったら、あとで彼女がトイレにでも行っているときか、何か別の用事で俺と接触しない場合に、遅くになるかもしれないが、食べ物を離れに持っていくつもりだ」
 その言葉を聞いて、老婆は少しは男に対して見下すような素振り、言動はみせないだろうと思ったが、男は浅はかであったのだろう、男に向かって老婆は、
「そんな手で私の口を塞ごうという魂胆かい?だとしたら、私の見たとおりにおまえさんはほんとうの乞食さ」と言った。
 そして、口を真一文字に結んで、冷蔵庫の前に立ち、天井を見上げて、冷蔵庫の扉を開け、ミネラルウォーターのペットボトル――これは先ほど男が入れて冷やしておいたものであるが、老婆はそのふたが開き、量が減っていることに気付かないらしく――を取り出すと、一口飲んで、こそこそと母屋から離れに向かって歩いていったが、ほんとうに信じられないのは、庭先に出るときの老婆の身軽さであった。
 男はしばらくソファーでくつろいでいた。日が昇り、外界を照りつける日光に比べて、この居間はもう熱気でとてもではないがじっとしていられなかった。そこで、冷たくなったミネラルウォーターを冷蔵庫に取りに行き、そこで冷蔵庫から流れてくる冷気で火照った体を慰めていどに冷やしていた。エアコンをつければいい、と居間のリモコンを探すが見つからない。しかたなく、エアコンの本体にあるボタンで冷房にした。機械にはそれほど不器用ではない。

 

 父がラジオを玄関に叩きつけた。ラジオは無惨にも中身の部品をちょうど車に轢かれ、内臓が飛び出した猫のように玄関のコンクリートの地面の上でばらばらになってしまった。中学のときだろう、母が浮気をし始め父が腐っていたときのことだ。父は苛立つ毎日を送っていた。そんな折、俺がラジオの調子がおかしい、と父に言って修理を頼んだのだ。父は始め分解をして、どこだろう、どこだろう、と独り言を言っていた。そこで、俺も悪いのだが、お母さんはどこにいるんだろう、といったのを皮切りに父は怒り出し、何だが知らないが、このラジオは壊れている、おまえか?壊したのは、と言い出した。


 俺は、父の怒りがラジオで生じたのではなく、母に関することを口走ったからだと、その当時感じた。そこで、俺はラジオを父から取り上げようとした。そうすると、父はまたぐっと怒りをこらえて、俺の差し出した手を無視した。しかたなく、自室に行こうとすると、父が、「おまえ母さんのことなど口にするな、それでなくとも仕事がうまくいかないんだ、」といい怒りを表すため息を強くすると、ラジオを持って玄関に向かった。「お父さん、いいよ、修理に出すから」というのも無視をし、ラジオは壊された…なんだか自分が玄関にたたきつけられた気がした。

 

 診察室のドアが開き、ビニール袋ひとつに詰め込んだ食料が来た。居間に入ってきた彼女は、はーっと息をすると、笑顔を男に送った。それに答えて、男は、「ご苦労かけたね、わるいね、楽しみだよ、手伝おうか」と言うと、彼女はいいの、挑戦してみる、といって台所に向かった。
「暑いのよ外」
「ここを開けておくと冷気が入るだろう、真夏日だから火を使っているとしんどいだろう」
居間と食堂を仕切っているドアを引いた。
「そんなに気にしないで、エアコンなら、この食堂にもあるから」
 男は、冷えてきた居間のソファーで横になった。そのうち、スパイスの香りが、漂いだした。男は立ち上がって、台所に向かい、圧力鍋が、この家にはないようで、作りのいい鍋を使って、カレーライスをこしらえているのを、目にした。

 そして、彼女の肩を掴んだ。彼女は、調理を止めてじっと男の顔を見た。その表情には、この台所でも関係を持ってもかまわないという合図のように、男は受け取った。
 男は女の髪を撫でて、「きれいな髪だね」と言い、微笑した。なぜか気まずい雰囲気に男は飲み込まれ、なぜ気まずいのか分からずに、こう言うのであった。
「包丁を研ぐのは得意なんだ」
「今度お願い、研いでもらって、ずいぶん経つの。ほとんど使わないけど」
 カレーライスができるまで少し時間がかかった。彼女の野菜を刻む、慣れない、中断したり、勢いよくなったりする音。当たり前のことでも、スーツを着て、エプロンをし、ひざ上のスカートをはいてそこから、剥き出しになる彼女の脹脛を見ていると、あの脹脛を擦りたくなる。

 擦って、彼女はくすくす笑いながら、ニンジンを切る。ニンジンの皮は皮むき機で削ぐ。ニンジンの皮を削ぐのと同じように、彼女の脹脛の美しさを削いでうっとりとする。肉を切るときに、彼女の脹脛は、硬くなり、やわらかい、淑やかな筋肉が浮かぶ。シンクから、ガス台に動くときも脹脛に目玉が張り付く。踵の正確な造型の計算。スーパーコンピューターでも弾き出せない彼女の踵から脹脛。それを見て、彼女の足の虜に成り果てる。スパイスの香り、男は食欲などどうでもよくなった。
「もう少しでできるからね、ちょっと待っていて…今何時?…三時か…昼にしては遅すぎるし、夜にしては早すぎるわね。おやつにカレーライス…」
 彼女が男を見て、あどけない表情で微笑んだ。



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