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 うたたねしたらしい。目が覚めて、呼吸を整えると、食堂に女が来た。裸の俺を別室に案内した。彼女は、裸であることを気にも留めないらしい。それはそうだろう、彼女にとって、俺は裸であるべきなのだから…露出狂の俺と服を着た彼女はある一定の距離がある。その距離というものは、今のところ固定されている。その固定されている距離というものを、少し不快に感じながらも、従っていた。
 「夢を見たんだ。老婆の夢さ、あの老婆と俺が結婚するという夢さ」
 彼女はそれには答えず、ただ不思議ね、としか言わなかった。俺はその夢を歯科医である彼女に分析を求めていたのかもしれない。そして、その分析は安心できるものであり、慰めてくれることを期待しすぎたのかもしれない。それは甘かった。なぜか、シャワーを浴びた彼女、上階から降りてきた彼女は別人のように冷たかった。それは俺の思い過ごしかもしれない。俺を誘惑するシャンプーの匂い。彼女の髪をいやというほど鼻を近づけて嗅ぎたかった。服装はこれからストレッチでもするかのような黒の綿のスポーツウェアであった。埃のたぐいは付いてはおらず、きちんと洗濯をし、新品のように思えた。また、彼女に接近しづらくなった。
 別室は一階だった。和室で、八畳ほどの広さだ。既に布団が敷かれてあった。彼女は枕元にあるパジャマを持って近づいてきた。含み笑い。
「これも父のものなの…あなたって、父の体型にそっくり、何でもあってしまうんだもの」
 少し意地悪く、俺は彼女に言った。
「そんなにお父さんのことを憎んでいたのか?」
「憎む?」
「そう、きみと俺には何か、距離がある、その距離っていうのは、きみは服をきちんと着て、俺は裸だ、これは俺を裸にしておき、露出狂の枠に閉じ込めていることと同じさ」
「そうかしら。でもスウェットは乾燥機の中、今乾かしているところなの…あなた、露出狂じゃないって言ったじゃない?…それに、さっき庭先で…」彼女の顔が赤くなった。どう見ても老婆の話が気になる。
「お父さんはきみを可愛がっていたはずさ、叱られつづけたとか、俺はその辺のことは分からない。ただ、俺を露出狂の枠に入れておくことは全てきみの計算で、そうすることで俺をお父さんに見立てて、復讐している気がするんだ」
「復讐なんかしないわよ、だって父を私は憎んでもいないし、それにあなたに関心を持ったのは、確かにあなたが露出狂じゃないかって、感じたからかもしれないけど、違うって言ったから、私は、あなたを普通の男性として接してきたつもりよ、食事を作らなかったから、そう意地悪を言うの?」
 いつの間にか、彼女の語尾を濁す喋り方がなおっていた。それが、アルコールのせいなのか、それとも違う要因なのかはっきりしない。
 二人の間に、少し隙間風が吹いたように感じた。上階にあがってから彼女が変わった。
「ごめんなさい。少し疲れたみたい。あなた疲れない?私、少し休むわ…」
 パジャマを着る間、彼女は俺を見ていた。彼女は俺のこの軟な肉体を見て、どう思うのだろうか?もっと筋骨隆々とした男を彼女は知っているはずだ。それとも彼女は、何を見て、男を好くのだろうか。雨音が一段と増し、男は女にキスをして眠った。
 翌朝、いったん起きた男は、この家をぐるりと一巡りしてみようかと考えた。時刻は六時半である。食堂に行って、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、はじめて気付いたが、この冷蔵庫には、あの糖尿病の男と同じく、ミネラルウォーターしか入っていない。卵も牛乳も、バターもジャムの無ければ、生活感を漂わせるその他の品々が無いのだ。


 昨日でビールはきれたようだ。そして、冷蔵庫前のバナナ。不思議に思って、テーブルについて一飲みして、女はどこにいるかを捜してみた。庭先に通じる廊下を右に行ってみた。すると、和室が二つあり、どちらも障子戸が閉められており、手前の和室の戸を少し引いてみた。すると暗がりのなか布団が敷かれ、彼女の乱れた髪が寝相の悪さを示しており、黒のスポーツウェアのパンツから細長い小さな足の裏が見えた。男はその足を手にとり、この足を昨日は口にしたのだ、と思い、少し引っ張ってみたところ、彼女が起きた。
「どうしたの?こんな早くに起きて…」
「いや、部屋を見て回ろうとしたんだがね、その一番目が、きみの部屋だったんだ、今六時半だ。起こしてすまなかった」
 その時、彼女は、すごい驚きをあらわす顔をして、化粧を落とした素顔で、
「部屋を見て回ったの?ね!ほんとに!」と叫んだ。
「なぜそんなに驚くんだ、別に盗んだりなどするわけがないとも。そうだ、ちょっとした好奇心だよ」と、彼女の動揺を鎮めようと冷静に言った。
「なんで、そんなことするのよ!」
「別に見ていないよ、そんなに怒るなよ」
「冗談でしょ?」
 しかし、男は否定しなかった。女はしばらくの間、怒りが静まらなかったようだが、寝起きが悪いのと重なったようで、俯いた状態で、聞き取れないくらいの声で、ぼそぼそ言っていた。男はそんなに部屋を見て回ることが、女にとって嫌なことなのかが、分からなかった。女は何かを隠しているのだろうか。
 乱れたショートカットの髪を手櫛で後ろにかきあげて、あくびをした。男は女の布団の枕もとで髪の残り香を嗅ぎながら、寝そべって、女の機嫌がなおるのを待ちつづけた。

 

 何もかもが二次元の世界での出来事であった。ポルノビデオ、雑誌、おもちゃ、こんにゃく、…それから本物を得るようになってきた。だが、小道を迷い込んできた知らない女を襲うなどといったことは嫌いであった。また、レイプ物のビデオは嫌いであった。好んで見るものを蔑んだ。本物でなくては快楽は得られなくなってきた。

 

 ひょっとすると、彼女が色情狂ではなく、俺のほうがそうなのかもしれない。それにしても、この女の行動は不審だ。しばらく、横になっていると、彼女は目がさめたのか、いつのまにか着替えを済ませ、俺の寝巻きのズボンを下げてきた。この女は昨日も俺との関係になると必ず、自分はきちんとした格好をする。今日は淡いグレーの夏物のスーツであった。
「なぜ、きみは俺を相手にするときにきちんとした格好をするのか不思議だ」
 男が下半身を剥き出しにした状態で、朝のため、部分は、すっかり、いつもより大きくなっているのを、含み笑いで擦っている、女の耳を見ながら言うと、女はその行為を止めずに、言った。
「なぜって…知らない…でも、…」
「でも?」

 と男は腰を少し動かして、彼女に手が伸びる。そうして、男は女のスカートを捲り上げ、女の中に入っていった。朝食を抜いているため、男は空腹と性欲のいずれが人間にとって強い欲求なのかを考えている。
「なぜかしら、…でも、こうしているほうが、私にとっては…」


「興奮する?」
「そう」

と、言って、女は男のされるままになっていた。男は、頭の中で、普通こうしてくれ、という要望は男のほうからするものだと考えて、そして、このことが、この女相手では全く逆の立場になってしまっている。これではまたしても、彼女が主導権を握っていることになり、少し強めに腰を動かした。すると二階で、どん、という音がして、彼女が絞まった。
「なんか、いるのか?二階に」
 男は彼女から出てくる。
「本当のことを言ってくれ」
 つとめて冷静に言った。すると、彼女は上を向いて、目をはっきりと開け、また俺を招きいれようとする。
「秘密でもあるのか?」といって、男は少し抵抗する。

 彼女はまた俯いて、ぼそぼそ言い始めた。彼女はスカートの皺を伸ばすようにして、足を崩して座った。そして、ズボンを上げている男の手を抑えて、そのままでいてくれない?と小さな声で言った。
「どう見てもフェアじゃない、きみは服を整えて、俺は下半身剥き出しだ、こんな変な状態は嫌だ」
「そうね、でもあなたが好きだから…」
「好き、って言うなら、君も裸になったらどうだい?」
「あのね、二階にはね、そう、二階には…いるの…」
「旦那さんかい?それとも、恋人かね?」
 彼女は視線を一定にしないで、ズボンをまたしても下ろしにかかる。まるで、性欲の虜のようだ。
「違う…」
女は呟いた。二階には、誰かがいることには違うらしいが、亭主でも、恋人でもないらしい。老婆の話からすると、この女の母親かもしれない。
「お母さんが、二階にいるのか?」
男が、くすぐったく感じて、避けるように、枕もとから逃げるようにすると、彼女は口元に笑みを浮かべて、
「母なら死んだわ…」と言った。


 女は朝食にまたしてもバナナを調達してきて、男と女はバナナとミネラルウォーターで、一日を、女は男を口に含み、擦り、男は女の中に入り、そうして過ごした。
 男は二階が気になっていたらしく、集中がときおり途切れたりしたものの、快楽を男も女も、盛んに求めた。
「離れの老婆、いやお手伝いさんは何にも食べないで平気なのか?きみは用意をしないけど、俺の見たかぎりでは、あれでは町に出て、買い物をして、自炊をできるようには思えないが」
 女にキスをしながら言った。女はしばらく黙っていたが、頭を動かすのを名残惜しいようにして口を離し、
「糠みそでどうにか…」と男を下から覗き見て、「おしんこうで食べるの…魚…ごめんなさい、あなたオサカナだったのよね…食べないのよ、あの人私をひどく嫌っているの、話を聞かないから」
 また口に含んだ。


「また訊くけど、二階にはお母さんでなく、何がいるんだい?俺は、それがひどく気になる。それを教えてくれたら、もっと興奮する…」
 女の髪を撫でながら言った。
「今度、…案内するわよ。でも、今はこうしていたいの。でも、もしあなたが二階を知ったときのことを考えると、私とても怖いの…」
 女は腰をくねらせて言った。
 三度目のひきつけ………四度目のひきつけはなく、女が、脚を蟷螂のようにして男の腰に絡み付け、その強さはかなりのものであった。

 男は、こうした関係にはいずれは飽和が訪れ、俺か彼女か、いずれかが離れることであろう、一人芝居はしたくないと少し考えた。
 昼になり、女はエアコンを切って、外気を入れるため障子を開けた。むっとした空気が入り込んで、二酸化炭素と、粘液の入り混じった部屋の空気が、しばらくの間動くこともなく停滞してはいたものの、広い部屋であったため、そうひどくは感じなかった。女は汚れたシーツを持って、洗濯機に向かった。男は女の許可をもらい、居間を案内され、そこのソファーで腰をおろした。首を捻って、関節をほぐす。コキコキ、という音がした。腰がしばらく痛みを感じていた。生温いミネラルウォーターをいったん冷蔵庫に入れた。男が知っているのは風呂場と居間、食堂、宛がわれた自分の部屋、そして彼女の部屋。しばらくソファーに横になって静かな、弛緩した体、痺れを少し感じる体を休めた。汗をかかなかったため、体はべとつかなかったが、この居間では、エアコンをかけていないらしく、次第に外気の暑さで男は少し汗が、背中、太もも、腕に、うっすらと浮かびだした。汗ばんだ関係もそう悪くはないだろう、と頭を過ぎった。
 洗濯機の中に、汚れたシーツのほか、下着、などを入れて、女は居間にやってきた。二槽式の洗濯機で、今は全自動だから、それが欲しいわ、と男の傍らに座り言った。男は、現金は冷凍倉庫にあるし、それに今はきみの家で一文なしで過ごしている、いずれは仕事を見つけてきみに全自動の洗濯機を買う、と約束をした。
「まさか、昼もバナナかい?」と男は少しは彼女の手料理を食べたく、「できれば、君が記憶しているレシピで何かこしらえてくれないか?」

 すると、女が照れくさそうにして、
「私、あまり料理得意じゃないの、この前のしし唐を炒めたのが料理って言えばそうなのかもしれないけど…そうね、…カレーライスくらいかな、できるのは…」と言い、首を傾げて、「外食しない?」と誘った。

 男は手料理にこだわり、「それもいいが、それには、こんな格好じゃ行けないだろう、分かるよね、…だから、何か服を貸してくれないか?」と、上着をはたつかせた。
「服ね…父のはもうほとんど残っていないの、処分して、それに今あなたが着ているスウェットスーツは私が時々着ているものなの」と、いった。
「そうか…ならば、カレーライスでいいから作ってくれないか?」
「じゃ、さっそく、下手よ、食べられたものじゃないかもしれないけれど…」と言い残して、買い物に出かけた。
 男はしばらく、ソファーで横になって、疲れた体を休めていたが、ふと彼女が買い物に行っている間に、この家を調べよう、それも二階を知りたい、と思い、体を起こした。
 静かで、金持ちが集合している、この一帯は、外に家の音が漏れない工夫をしているのであろうか、それとも、この家自体が、外界の音を遮断する工夫をしているのだろうか、それにしては、古風な作りの家だから、そんな工夫を施すことは、何かしら違和感がある。疑問に思っていた。誰もいないことは分かっていたものの、誰かがおれを観察しているのではないだろうか、というおどおどした感じで、居間を出た。


 食堂を通り過ぎ、二階に通じる階段を探したところ、庭に面した廊下の左側に階段があった。暗く、日の光を浴びない静物画のような木の階段であった。そこを静かに上がって二階に上がった。
 二階には四つのドアがあった。一つずつ調べてみよう、それに、ここで彼女に見つかるどじを踏むことは許されない。もし、この二階を見て回ることが発覚した場合には、今朝の彼女のあの怒りからして、俺は彼女に放り出されてしまうだろう、そう考え、男は階下の様子を耳をそばだてて聞き、その一方で、部屋を見て回るというかなり疲れることをした。
 一つ目のドアノブを回すと、寝室のようであり、ベッドがひとつ、その部屋の窓にはレースのカーテンがかかっていた。明るく、南に面した快適な部屋であり、またなぜ彼女はここに寝ないのかが、不思議であった。もうひとつのドアノブを回すが開かない、そして、もうひとつのドアは開いた。そこは北側に面した部屋であり、狭かった。冬はさぞかし寒いだろう、おそらくこの部屋は納戸であり、かつては彼女の父親がオーディオ製品やらを置いておいたに違いない、今は何もなく、フローリングの部屋であった。もうひとつの部屋を見た時に階下で物音がした。そこで、その部屋のドアを閉めて、階段を下りていった。
 あの部屋は、広くたぶん二世帯になったときに居間と食堂を兼ね備えたものにしようとしていたに違いない。階段下には、老婆が待ち構えていて、手招きをしていた。その表情はまるで、くだらないゴシップを手にしたマスコミの人間のようであった。
「何なんだね、婆さん、あんたがこの前に言っていたことは全て出たら目じゃないか」
 彼女でないことが分かって、安心して、階段下に降りた。すると、老婆は、赤い風船を破裂したように舌をぺろぺろ出しながら話し始めた。なぜ、この老婆は、話の前に、舌が口から出て、動き回ったのか分からなかった。
「おまえさんは、あの女と、ずっとこんな感じでいるのかい?だとしたら、私からのそれこそ老婆心で言うんだがね、今のうちが逃げ時だよ、これからは、もっと逃げ出せにくくなるだろうからね。ところで、二階には行ってどう思ったんだい、私も不思議だから案内してくれないだろうか。知っているんだろう?知っている顔をしておる。ふふふ、分かっているんだろ、二階に何があるか、私はこのとおり、足腰いかれちまったから、階段を上る気力も体力もないがね、おおよその見当はつくんさ、何を見たんだね?ほーら、言いたくなる顔をしている」

と老婆は、男の顎を――ちょうど、髭がうっすらと伸びてカビのようになっていたのであった――撫でて、ふざけた感じで首を左右に振った。
「何にも知らないさ、あんたこそこの家についちゃよく知っているんじゃないのかい、『お嬢様』の生い立ちについてさ、二階には何がいるんだい、ペットかい?」

と、男は、顎を執拗に撫でる、この鬱陶しい老婆の手をどけながら言った。
「それは知らないさ、ただ分かっていることは、あの女は二階に人を閉じ込めているらしい、ということさ」
「恋人か?」
「いや違うよ、お嬢様のおもちゃだよ」
「おもちゃ?」



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