閉じる


<<最初から読む

5 / 26ページ

 彼女は余裕のある微笑を顔に浮かべた。これは明らかに老婆の言ったことが出たら目であることを示しており、俺は、頭に渦巻いていた、毒々しい偏見を払拭するには十分な言葉であった。強姦されたこと、誰かまわず交渉をするという彼女への言葉、イメージはやはり老婆のあの暑苦しい離での妄想でしかなかったのだ、ということに確信を抱いた。そして、彼女に近づいて傍らに椅子を持っていき、腰掛けた。彼女の顔を一瞬見た。
 
 俺が男色だという噂が学生時代に流れた。とんでもない噂を俺は調べていって馬鹿でかい陰険な顔をした男に突き当たった。そいつはぶるぶる震えながら詰問する俺に恐れをなして謝った。陰険な人間は数え切れないほどいる。あいつにもっと接近して、逆にあいつが男色家だということを仄めかしたほうがよかったのかもしれない。あの糖尿病の男に少し似ていた。

 

 彼女は、「髪をドライヤーで乾かすから、少しここにいて?あら、びしょ濡れじゃない、スウェットを乾燥機に入れて乾かすわ」と、言って、俺を裸にしてどこかに行ってしまった。裸で椅子に腰掛けてバナナを齧った。時刻は七時を回っている。庭のほうに目を向けると低木やら、伸びきった雑草の類で離れの窓はすぐには見えず、これでは庭先で彼女を抱いた際に回りに気を取られないのはあたりまえだと気付いた。
 バナナは本当に甘い。上階があるのだろうか。上で何か動く音がする。ネズミ…俺は笑い、それにしては軽やかな音ではない、もっとずっしりとした音だ。そのことにはあまり気にはしなかった。
 彼女はどこか別の部屋を回ったようで、この食堂に来るまで少し時間がかかった。俺は次第に酔いから醒めはじめ、眠たくなってきた。

 

 桜吹雪が春を示していたのだろう。それは度を越しており、あたりは桜の花で白くなってしまっていた。俺は漆黒の所々金で飾られた台に乗せられ、顔は判別できないが何人かで運ばれていた。結婚式なのだ。お城が見え、不思議なことに桜の花びらは誰一人として頭髪に付着しなかった。俺は先頭を行く台の上の女に目をやった。後姿で誰であるか分からない。日本髪をしていて、それが地毛であった。しばらくのあいだ台を担いだ人々は何も文句を言わず黙々と進んだ。父が囁く。「年の差などは関係が無い。いま幸せだったらそれでいい。」
 真昼ののんびりとした時刻で、陽光が二人を包み込んでいた。俺は父に披露宴は彼女がやりたいといったらやってくれ、俺は正直言って好きじゃない、と小さな声でいった。父は分かったようだ。桜並木を長いこと進んだ。台を担ぐ人々を除いて誰もいなかった。城は俺と女の行進が続くにつれはっきりしてきた。城の窓から人が覗いていた。カメラを腹のところにぶら下げているから観光客のようだ。彼は盛んにカメラを背中に回し、撮るまいとしていた。その男を俺は見ていると、傍にその男のつれだろうか、女と子供が狭い窓に顔を出した。女はその男の服を引っ張っている。まるで見てはいけないような素振りだ。子供は、窓枠には届かないらしく、女が抱えて、俺と女の結婚式を見物していた。カメラをぶら下げた男が、カメラで、俺の行進を撮ろうとした。女はその男の手を叩き、カメラは再び腹のところを振り子のように揺れていた。男は何か文句を女に言ったのであろうか、口論をしている様子だった。
先頭を行く女が振り返ると、離れの老婆であった。俺は、その老婆と結婚することになることをはじめて知った。


 うたたねしたらしい。目が覚めて、呼吸を整えると、食堂に女が来た。裸の俺を別室に案内した。彼女は、裸であることを気にも留めないらしい。それはそうだろう、彼女にとって、俺は裸であるべきなのだから…露出狂の俺と服を着た彼女はある一定の距離がある。その距離というものは、今のところ固定されている。その固定されている距離というものを、少し不快に感じながらも、従っていた。
 「夢を見たんだ。老婆の夢さ、あの老婆と俺が結婚するという夢さ」
 彼女はそれには答えず、ただ不思議ね、としか言わなかった。俺はその夢を歯科医である彼女に分析を求めていたのかもしれない。そして、その分析は安心できるものであり、慰めてくれることを期待しすぎたのかもしれない。それは甘かった。なぜか、シャワーを浴びた彼女、上階から降りてきた彼女は別人のように冷たかった。それは俺の思い過ごしかもしれない。俺を誘惑するシャンプーの匂い。彼女の髪をいやというほど鼻を近づけて嗅ぎたかった。服装はこれからストレッチでもするかのような黒の綿のスポーツウェアであった。埃のたぐいは付いてはおらず、きちんと洗濯をし、新品のように思えた。また、彼女に接近しづらくなった。
 別室は一階だった。和室で、八畳ほどの広さだ。既に布団が敷かれてあった。彼女は枕元にあるパジャマを持って近づいてきた。含み笑い。
「これも父のものなの…あなたって、父の体型にそっくり、何でもあってしまうんだもの」
 少し意地悪く、俺は彼女に言った。
「そんなにお父さんのことを憎んでいたのか?」
「憎む?」
「そう、きみと俺には何か、距離がある、その距離っていうのは、きみは服をきちんと着て、俺は裸だ、これは俺を裸にしておき、露出狂の枠に閉じ込めていることと同じさ」
「そうかしら。でもスウェットは乾燥機の中、今乾かしているところなの…あなた、露出狂じゃないって言ったじゃない?…それに、さっき庭先で…」彼女の顔が赤くなった。どう見ても老婆の話が気になる。
「お父さんはきみを可愛がっていたはずさ、叱られつづけたとか、俺はその辺のことは分からない。ただ、俺を露出狂の枠に入れておくことは全てきみの計算で、そうすることで俺をお父さんに見立てて、復讐している気がするんだ」
「復讐なんかしないわよ、だって父を私は憎んでもいないし、それにあなたに関心を持ったのは、確かにあなたが露出狂じゃないかって、感じたからかもしれないけど、違うって言ったから、私は、あなたを普通の男性として接してきたつもりよ、食事を作らなかったから、そう意地悪を言うの?」
 いつの間にか、彼女の語尾を濁す喋り方がなおっていた。それが、アルコールのせいなのか、それとも違う要因なのかはっきりしない。
 二人の間に、少し隙間風が吹いたように感じた。上階にあがってから彼女が変わった。
「ごめんなさい。少し疲れたみたい。あなた疲れない?私、少し休むわ…」
 パジャマを着る間、彼女は俺を見ていた。彼女は俺のこの軟な肉体を見て、どう思うのだろうか?もっと筋骨隆々とした男を彼女は知っているはずだ。それとも彼女は、何を見て、男を好くのだろうか。雨音が一段と増し、男は女にキスをして眠った。
 翌朝、いったん起きた男は、この家をぐるりと一巡りしてみようかと考えた。時刻は六時半である。食堂に行って、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、はじめて気付いたが、この冷蔵庫には、あの糖尿病の男と同じく、ミネラルウォーターしか入っていない。卵も牛乳も、バターもジャムの無ければ、生活感を漂わせるその他の品々が無いのだ。


 昨日でビールはきれたようだ。そして、冷蔵庫前のバナナ。不思議に思って、テーブルについて一飲みして、女はどこにいるかを捜してみた。庭先に通じる廊下を右に行ってみた。すると、和室が二つあり、どちらも障子戸が閉められており、手前の和室の戸を少し引いてみた。すると暗がりのなか布団が敷かれ、彼女の乱れた髪が寝相の悪さを示しており、黒のスポーツウェアのパンツから細長い小さな足の裏が見えた。男はその足を手にとり、この足を昨日は口にしたのだ、と思い、少し引っ張ってみたところ、彼女が起きた。
「どうしたの?こんな早くに起きて…」
「いや、部屋を見て回ろうとしたんだがね、その一番目が、きみの部屋だったんだ、今六時半だ。起こしてすまなかった」
 その時、彼女は、すごい驚きをあらわす顔をして、化粧を落とした素顔で、
「部屋を見て回ったの?ね!ほんとに!」と叫んだ。
「なぜそんなに驚くんだ、別に盗んだりなどするわけがないとも。そうだ、ちょっとした好奇心だよ」と、彼女の動揺を鎮めようと冷静に言った。
「なんで、そんなことするのよ!」
「別に見ていないよ、そんなに怒るなよ」
「冗談でしょ?」
 しかし、男は否定しなかった。女はしばらくの間、怒りが静まらなかったようだが、寝起きが悪いのと重なったようで、俯いた状態で、聞き取れないくらいの声で、ぼそぼそ言っていた。男はそんなに部屋を見て回ることが、女にとって嫌なことなのかが、分からなかった。女は何かを隠しているのだろうか。
 乱れたショートカットの髪を手櫛で後ろにかきあげて、あくびをした。男は女の布団の枕もとで髪の残り香を嗅ぎながら、寝そべって、女の機嫌がなおるのを待ちつづけた。

 

 何もかもが二次元の世界での出来事であった。ポルノビデオ、雑誌、おもちゃ、こんにゃく、…それから本物を得るようになってきた。だが、小道を迷い込んできた知らない女を襲うなどといったことは嫌いであった。また、レイプ物のビデオは嫌いであった。好んで見るものを蔑んだ。本物でなくては快楽は得られなくなってきた。

 

 ひょっとすると、彼女が色情狂ではなく、俺のほうがそうなのかもしれない。それにしても、この女の行動は不審だ。しばらく、横になっていると、彼女は目がさめたのか、いつのまにか着替えを済ませ、俺の寝巻きのズボンを下げてきた。この女は昨日も俺との関係になると必ず、自分はきちんとした格好をする。今日は淡いグレーの夏物のスーツであった。
「なぜ、きみは俺を相手にするときにきちんとした格好をするのか不思議だ」
 男が下半身を剥き出しにした状態で、朝のため、部分は、すっかり、いつもより大きくなっているのを、含み笑いで擦っている、女の耳を見ながら言うと、女はその行為を止めずに、言った。
「なぜって…知らない…でも、…」
「でも?」

 と男は腰を少し動かして、彼女に手が伸びる。そうして、男は女のスカートを捲り上げ、女の中に入っていった。朝食を抜いているため、男は空腹と性欲のいずれが人間にとって強い欲求なのかを考えている。
「なぜかしら、…でも、こうしているほうが、私にとっては…」


「興奮する?」
「そう」

と、言って、女は男のされるままになっていた。男は、頭の中で、普通こうしてくれ、という要望は男のほうからするものだと考えて、そして、このことが、この女相手では全く逆の立場になってしまっている。これではまたしても、彼女が主導権を握っていることになり、少し強めに腰を動かした。すると二階で、どん、という音がして、彼女が絞まった。
「なんか、いるのか?二階に」
 男は彼女から出てくる。
「本当のことを言ってくれ」
 つとめて冷静に言った。すると、彼女は上を向いて、目をはっきりと開け、また俺を招きいれようとする。
「秘密でもあるのか?」といって、男は少し抵抗する。

 彼女はまた俯いて、ぼそぼそ言い始めた。彼女はスカートの皺を伸ばすようにして、足を崩して座った。そして、ズボンを上げている男の手を抑えて、そのままでいてくれない?と小さな声で言った。
「どう見てもフェアじゃない、きみは服を整えて、俺は下半身剥き出しだ、こんな変な状態は嫌だ」
「そうね、でもあなたが好きだから…」
「好き、って言うなら、君も裸になったらどうだい?」
「あのね、二階にはね、そう、二階には…いるの…」
「旦那さんかい?それとも、恋人かね?」
 彼女は視線を一定にしないで、ズボンをまたしても下ろしにかかる。まるで、性欲の虜のようだ。
「違う…」
女は呟いた。二階には、誰かがいることには違うらしいが、亭主でも、恋人でもないらしい。老婆の話からすると、この女の母親かもしれない。
「お母さんが、二階にいるのか?」
男が、くすぐったく感じて、避けるように、枕もとから逃げるようにすると、彼女は口元に笑みを浮かべて、
「母なら死んだわ…」と言った。


 女は朝食にまたしてもバナナを調達してきて、男と女はバナナとミネラルウォーターで、一日を、女は男を口に含み、擦り、男は女の中に入り、そうして過ごした。
 男は二階が気になっていたらしく、集中がときおり途切れたりしたものの、快楽を男も女も、盛んに求めた。
「離れの老婆、いやお手伝いさんは何にも食べないで平気なのか?きみは用意をしないけど、俺の見たかぎりでは、あれでは町に出て、買い物をして、自炊をできるようには思えないが」
 女にキスをしながら言った。女はしばらく黙っていたが、頭を動かすのを名残惜しいようにして口を離し、
「糠みそでどうにか…」と男を下から覗き見て、「おしんこうで食べるの…魚…ごめんなさい、あなたオサカナだったのよね…食べないのよ、あの人私をひどく嫌っているの、話を聞かないから」
 また口に含んだ。


「また訊くけど、二階にはお母さんでなく、何がいるんだい?俺は、それがひどく気になる。それを教えてくれたら、もっと興奮する…」
 女の髪を撫でながら言った。
「今度、…案内するわよ。でも、今はこうしていたいの。でも、もしあなたが二階を知ったときのことを考えると、私とても怖いの…」
 女は腰をくねらせて言った。
 三度目のひきつけ………四度目のひきつけはなく、女が、脚を蟷螂のようにして男の腰に絡み付け、その強さはかなりのものであった。

 男は、こうした関係にはいずれは飽和が訪れ、俺か彼女か、いずれかが離れることであろう、一人芝居はしたくないと少し考えた。
 昼になり、女はエアコンを切って、外気を入れるため障子を開けた。むっとした空気が入り込んで、二酸化炭素と、粘液の入り混じった部屋の空気が、しばらくの間動くこともなく停滞してはいたものの、広い部屋であったため、そうひどくは感じなかった。女は汚れたシーツを持って、洗濯機に向かった。男は女の許可をもらい、居間を案内され、そこのソファーで腰をおろした。首を捻って、関節をほぐす。コキコキ、という音がした。腰がしばらく痛みを感じていた。生温いミネラルウォーターをいったん冷蔵庫に入れた。男が知っているのは風呂場と居間、食堂、宛がわれた自分の部屋、そして彼女の部屋。しばらくソファーに横になって静かな、弛緩した体、痺れを少し感じる体を休めた。汗をかかなかったため、体はべとつかなかったが、この居間では、エアコンをかけていないらしく、次第に外気の暑さで男は少し汗が、背中、太もも、腕に、うっすらと浮かびだした。汗ばんだ関係もそう悪くはないだろう、と頭を過ぎった。
 洗濯機の中に、汚れたシーツのほか、下着、などを入れて、女は居間にやってきた。二槽式の洗濯機で、今は全自動だから、それが欲しいわ、と男の傍らに座り言った。男は、現金は冷凍倉庫にあるし、それに今はきみの家で一文なしで過ごしている、いずれは仕事を見つけてきみに全自動の洗濯機を買う、と約束をした。
「まさか、昼もバナナかい?」と男は少しは彼女の手料理を食べたく、「できれば、君が記憶しているレシピで何かこしらえてくれないか?」

 すると、女が照れくさそうにして、
「私、あまり料理得意じゃないの、この前のしし唐を炒めたのが料理って言えばそうなのかもしれないけど…そうね、…カレーライスくらいかな、できるのは…」と言い、首を傾げて、「外食しない?」と誘った。

 男は手料理にこだわり、「それもいいが、それには、こんな格好じゃ行けないだろう、分かるよね、…だから、何か服を貸してくれないか?」と、上着をはたつかせた。
「服ね…父のはもうほとんど残っていないの、処分して、それに今あなたが着ているスウェットスーツは私が時々着ているものなの」と、いった。
「そうか…ならば、カレーライスでいいから作ってくれないか?」
「じゃ、さっそく、下手よ、食べられたものじゃないかもしれないけれど…」と言い残して、買い物に出かけた。
 男はしばらく、ソファーで横になって、疲れた体を休めていたが、ふと彼女が買い物に行っている間に、この家を調べよう、それも二階を知りたい、と思い、体を起こした。
 静かで、金持ちが集合している、この一帯は、外に家の音が漏れない工夫をしているのであろうか、それとも、この家自体が、外界の音を遮断する工夫をしているのだろうか、それにしては、古風な作りの家だから、そんな工夫を施すことは、何かしら違和感がある。疑問に思っていた。誰もいないことは分かっていたものの、誰かがおれを観察しているのではないだろうか、というおどおどした感じで、居間を出た。



読者登録

カナタ ムメイさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について