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祖母が死にかけていること、その祖母の病室の嫌な臭いがなぜかその光景を強化したようだった。俺は時ある毎にその光景を飽きるほど記憶の中で再現していた。そして祖母は死を迎え、母が学校にやってきたのであった。母に連れられて、俺は通夜に出席した。そこでも喪服から覗く足にやけに執着した。このことは普通であろう。誰しもそんな性に関するきっかけらしきものの一つや二つはあることだろう。ただ、俺の場合女の乳房や性器にはたいした興奮を示さず、足だけで興奮してしまい、その後の女との関係でも足に拘り、どんなきれいな女でも足に目がいき、そこで品定めをしてしまった。

 

「すっかり冷えっちゃったじゃない、私先にシャワーを浴びるわ…」と女は言い、庭を後にした。男は女の後を視線で追った。
庭先に面した茶色の木の艶やかな廊下に女の足跡が湿って続いていた。庭にいる男は、しばらく雨に打たれていた。というのも庭の奥には透明のガラスを嵌めてある離れがあり、そこに老婆が庭にいる男を眺めていたのであったからだ。
その老婆は顔をガラスに押し当てて鼻先のところが、息で、曇ったり、透明になったりして、それが興奮を意味するのか、怒りを意味するのか、無表情のため判断がつきかねていた。老婆は醜く曲がった指先をガラスに押し当て何か文字を書いていたが、水蒸気で曇ったガラスでないために文字は分からなかった。ただ、その老婆が女の身内の者なのか知りたく、また男と関係を結んでいた庭の光景を見てしまったのかを知りたかった。そこで男は離れに行ってみることにした。老婆から何か聞きだし、場合によっては脅かしてせめて関係を持ったことについて公言しないことを誓わせようとした。
 離れのドアをノックした。すると、部屋から意外と鮮明で、しっかりとした老婆の声が聞こえてきた。
「お入んなさいな、誰か知らんがね、まさか私をも襲おうという魂胆じゃないだろうね、私はもうお婆さんだからね、お婆さんを襲うなどといったら、それこそお化けだからね、…とにかくお入んなさいな、ドアは鍵なぞかかとらんよ」
老婆は夏だというのにストーブをつけていた。そして、男がドアを静かに開けると、ちゃぶ台を前に正座していた。長袖で、紺の模様の入った割烹着を着ていた。
「ばあさん暑すぎやしまいかい?」
男は、額の汗をぬぐって、スウェットの上着を脱ぎ、Tシャツ姿になった。
「お母さんかい?あの女の」
口をへの字型にして目をつむっている奇妙な表情の老婆に言った。
「なんだい、お母さんじゃまずいことでもあの女にしたのかい?」
「見ていたとしたら、黙って知らない振りをしてくれないかい」
「嫌だね、これだけを言っておきたいね、私はあの女のかかあでもなきゃ親戚でもないさ、だがね、白の服を着た女と、寝巻きを着たようなおまえさんが、乳繰り合っている姿はとても滑稽だったね。なんだね、あの腰つきは、下手だね。おまえさんは女を楽しませたことはあるのかい?ひどくぶきっちょそうだね、あの女は、色情狂なのさ、私は懇々と説教をしたって、少しも聴いたためしがない、子宮の話し、命の話し、恋愛の話し、私のようにお婆さんともなりゃ若い子なぞ聴くわけがないがね、懇々と説教したもんさ…あの女はね、最初は歯科医のお嬢様だったんだ、なに不自由なく育ったんだがね、見たんだよ、まだ小さな子供のころにあそこを擦っているのを、それを注意したんだ、ばい菌がつくからってね、そうしたことを旦那さまに伝えたら、旦那さまが怒って、私を叱ったんだ、おまえが教えたんだろうってね、


私はいいえとしか言えなかったんだがね、お暇を出されちゃって、私は一人じゃ、どうしようもなかったんだ、田舎は遠かったからね、そうして、病院の家政婦をしたりしてそのことを忘れようとしていた矢先に旦那さまが亡くなったっていう知らせがきたんだ、それは不思議だったんだよ、なんでかって、私の居所を知っているということがだよ、かなり離れてはいたんだ、奥様はその頃元気だったんだ、そしてお嬢様が跡を受け継ぐって話になって、私は何も知らない奥様の頼みで、ここに住み込むことになったんだ。お嬢様はそれは親の七光りもあってか、最初は順調だったんだ、だがね、歯科大学に行っていたときに、悪党がお嬢様に付きまとい始めて、それから、なに不自由なく育ったお嬢様はだんだん変な癖がついてしまってそれが普通で…あとのことは、私はすべて見てきたんだ、その悪党はきちんと大学を出て行ったんだが、残したもの、お嬢様に残していった爪あとはそれは気の毒なくらいお嬢様に沁み込んでしまった、私は、それを何度も何度も、くどいほど説明しても、お嬢様は聞いちゃくれなかった…それからというもの、もうひどいものさ、とっかえひっかえで、患者にまで手を出して、全てあの悪党のせいなのさ、普通の身なり、顔立ちした悪党のせいさ…」
老婆は、話し終えると、目を閉じて上を向いて、念仏のようなものを唱え始めた。そして、男がなぜ夏なのにストーブをつけて、その上、厚着をしているのを不思議に思って、滴る汗を拭きながら、女のことをもう少し聞き出そうとした。老婆はしばらく念仏のようなものを唱えたかと思うと話し始めた。
「それで、悪党はどっかに行っちまったんだがね、お嬢様は結婚もせず、町に出歩いてはおまえさんのような駄目な人間を連れてきては母屋やおまえさんのように庭で交接したんさ、ただ、それだけで終わんないんだ、ひどいことにここの歯医者がすぐにやらせてくれるという評判がたちはじめ、それ目当てにまだニキビのある中高生まで来て、噂はものすごく広まった。強姦もされたんだ。お嬢様は私に泣きついてきたね。お嬢様は、自分がふしだらだからいけないんだ、って泣き泣き言っていたがね、しばらくすると私にだよ、この私に強姦されたときのことを話し始めたんだ。聞くまいとして、お嬢様に、もうお忘れなさい、といっていたにもかかわらず、お嬢様はみほとって何?っていうんだ、だからそういうことは忘れなさいといったんだ、そうしたらお嬢様があれのことかもしれない、って泣き顔で言うんだ、私は黙って聞いていたんだがね、小さな声で独り言のように言うんだ、そのみほとに穴を開けてピアスするぞ、ここには都合よくドリルがあるからな、って声色を使って泣き顔で言うんだ、それを聞いて私は警察に相談したほうがいいですよ、って言ったんだ、でも翌日にはもう忘れてしまったらしく、高校生の男の子を母屋に連れ込んでいたさ」と、言って、ちゃぶ台の上に俯いて寝息を立てて、それがいびきになって寝込んでしまった。
「ばあさん、そんな毒々しい話ほんとかよ」
 男はそう言ったが、老婆はひどいいびきをかいて眠ったままだった。
 ここはやたらに暑い、どうかしている、この老婆の言っていることは自分自身のことかもしれない。そうだ、多分そうだ。
 男はそんな老婆のいいかげんな作り話など信用すまいと思っていると、老婆は、いびきを中断し、俯いたまま言った。
「もって半年、ほんとにおまえは間抜けだね。まずここ一週間はおまえさんをここにおいて置くが、その後はおまえは違う男をここで見かけることだろうよ」
「下女め!」
 そう言い捨てると、男は母屋に向かって歩き出した。


 女はシャワーを浴びて髪を乾かしているところだった。食堂のテーブルの椅子に腰掛けていた。
 男は、濡れたスウェットの上下を着たまま、しばらく女を見ていた。老婆の言葉が頭をよぎり、そう見てはいけない、彼女は違うのだ、あの言葉は老婆の願望なのだ、自分が長年手伝いをしていて同等の立場をおそらく得られず、欲求不満のあの老婆がこしらえた彼女への偏見なのだ、そうに違いない。

 

 フランス人が住んでいた家に当時では物珍しいメガネと海外でしか手に入らないと思われる服装をしたお手伝いさんが子供だった俺の近所に住んでいた。彼女はよく俺に犬の話をし、あるときフランス人の住む屋敷に連れて行こうとした。彼女のことは両親も知っていたし、俺も知っていたから、顔なじみで誘拐などといった大それたことなどは当時考えには無かった。だから、知っている人に素直について行ったというのが正しいだろう。屋敷の庭にはアジサイが草薮に紛れて大きな鮮やかな群青色した花を咲かせていた。雨の降りつづける六月だったと思う。空は白く輝いてあたりは静まり返り、大きな樹が庭には植えられており、枝は、自由に伸びやかに手を広げて、その輝く空から降り注ぐ雨と光の中、俺は放尿した。お手伝いさんは、その間、しゃがんでいた。硬くなって、まっすぐに伸びたそれを、うっとり見つめていた。彼女は視姦をしていたのだろう。そして視姦という行為がまだ小さな子供だった俺に芽生えさせたことに今考えればそうなる。放尿をし終えて、俺は半ズボンのチャックを閉めて、彼女に手を引かれて、屋敷に上がりチーズサンドと甘いカルピスを与えられ上機嫌だった。

 

 タオルで髪を拭き、乾かしているとき女は首を俺のほうに向けて頭をこんこん動かしながら、
「あなたさっきもそうだったわ、なぜじっと私のことを見つめたり、喋んなかったりしているのかしら…どうしてなの?」
「いいや、俺は喋るのが下手で、昔友人の結婚式に出席したときにスピーチを頼まれたんだ。その時スピーチなんか知らなくて、図書館にはじめて行って…いや、本代を惜しんだわけじゃないんだ、ただそんなことは稀だし、使い古す本でもなさそうだったから…」
「それは本代を惜しんだっていうことと同じよ」
「なぜ?」
「だってそうじゃない?代金を支払う価値がその本には無いと考えていたからよ」
「なぜ、そう責めるように話すんだ」
 男は少し不機嫌そうにはしていたものの、女に対して怒りを見せるようなことはしたくなかったため、静かに話し出した。
「だから、分かった、俺は本代を惜しんだんだ。そうしよう」
「私…別にそんな責めるように言ったかしら?…」
「そう聞こえたんだ、たぶんはなれに住んでいる老婆に会ったからだろう」
「ロウバ?」
「そう、老婆さ、お手伝いさんみたいだ、話を聞いていたら」
「あの人のことね、そう、お手伝いさんよ、でも…私の悪口を言っていなかった?」
「色情狂だって…」
「また、その手か…」


 彼女は余裕のある微笑を顔に浮かべた。これは明らかに老婆の言ったことが出たら目であることを示しており、俺は、頭に渦巻いていた、毒々しい偏見を払拭するには十分な言葉であった。強姦されたこと、誰かまわず交渉をするという彼女への言葉、イメージはやはり老婆のあの暑苦しい離での妄想でしかなかったのだ、ということに確信を抱いた。そして、彼女に近づいて傍らに椅子を持っていき、腰掛けた。彼女の顔を一瞬見た。
 
 俺が男色だという噂が学生時代に流れた。とんでもない噂を俺は調べていって馬鹿でかい陰険な顔をした男に突き当たった。そいつはぶるぶる震えながら詰問する俺に恐れをなして謝った。陰険な人間は数え切れないほどいる。あいつにもっと接近して、逆にあいつが男色家だということを仄めかしたほうがよかったのかもしれない。あの糖尿病の男に少し似ていた。

 

 彼女は、「髪をドライヤーで乾かすから、少しここにいて?あら、びしょ濡れじゃない、スウェットを乾燥機に入れて乾かすわ」と、言って、俺を裸にしてどこかに行ってしまった。裸で椅子に腰掛けてバナナを齧った。時刻は七時を回っている。庭のほうに目を向けると低木やら、伸びきった雑草の類で離れの窓はすぐには見えず、これでは庭先で彼女を抱いた際に回りに気を取られないのはあたりまえだと気付いた。
 バナナは本当に甘い。上階があるのだろうか。上で何か動く音がする。ネズミ…俺は笑い、それにしては軽やかな音ではない、もっとずっしりとした音だ。そのことにはあまり気にはしなかった。
 彼女はどこか別の部屋を回ったようで、この食堂に来るまで少し時間がかかった。俺は次第に酔いから醒めはじめ、眠たくなってきた。

 

 桜吹雪が春を示していたのだろう。それは度を越しており、あたりは桜の花で白くなってしまっていた。俺は漆黒の所々金で飾られた台に乗せられ、顔は判別できないが何人かで運ばれていた。結婚式なのだ。お城が見え、不思議なことに桜の花びらは誰一人として頭髪に付着しなかった。俺は先頭を行く台の上の女に目をやった。後姿で誰であるか分からない。日本髪をしていて、それが地毛であった。しばらくのあいだ台を担いだ人々は何も文句を言わず黙々と進んだ。父が囁く。「年の差などは関係が無い。いま幸せだったらそれでいい。」
 真昼ののんびりとした時刻で、陽光が二人を包み込んでいた。俺は父に披露宴は彼女がやりたいといったらやってくれ、俺は正直言って好きじゃない、と小さな声でいった。父は分かったようだ。桜並木を長いこと進んだ。台を担ぐ人々を除いて誰もいなかった。城は俺と女の行進が続くにつれはっきりしてきた。城の窓から人が覗いていた。カメラを腹のところにぶら下げているから観光客のようだ。彼は盛んにカメラを背中に回し、撮るまいとしていた。その男を俺は見ていると、傍にその男のつれだろうか、女と子供が狭い窓に顔を出した。女はその男の服を引っ張っている。まるで見てはいけないような素振りだ。子供は、窓枠には届かないらしく、女が抱えて、俺と女の結婚式を見物していた。カメラをぶら下げた男が、カメラで、俺の行進を撮ろうとした。女はその男の手を叩き、カメラは再び腹のところを振り子のように揺れていた。男は何か文句を女に言ったのであろうか、口論をしている様子だった。
先頭を行く女が振り返ると、離れの老婆であった。俺は、その老婆と結婚することになることをはじめて知った。


 うたたねしたらしい。目が覚めて、呼吸を整えると、食堂に女が来た。裸の俺を別室に案内した。彼女は、裸であることを気にも留めないらしい。それはそうだろう、彼女にとって、俺は裸であるべきなのだから…露出狂の俺と服を着た彼女はある一定の距離がある。その距離というものは、今のところ固定されている。その固定されている距離というものを、少し不快に感じながらも、従っていた。
 「夢を見たんだ。老婆の夢さ、あの老婆と俺が結婚するという夢さ」
 彼女はそれには答えず、ただ不思議ね、としか言わなかった。俺はその夢を歯科医である彼女に分析を求めていたのかもしれない。そして、その分析は安心できるものであり、慰めてくれることを期待しすぎたのかもしれない。それは甘かった。なぜか、シャワーを浴びた彼女、上階から降りてきた彼女は別人のように冷たかった。それは俺の思い過ごしかもしれない。俺を誘惑するシャンプーの匂い。彼女の髪をいやというほど鼻を近づけて嗅ぎたかった。服装はこれからストレッチでもするかのような黒の綿のスポーツウェアであった。埃のたぐいは付いてはおらず、きちんと洗濯をし、新品のように思えた。また、彼女に接近しづらくなった。
 別室は一階だった。和室で、八畳ほどの広さだ。既に布団が敷かれてあった。彼女は枕元にあるパジャマを持って近づいてきた。含み笑い。
「これも父のものなの…あなたって、父の体型にそっくり、何でもあってしまうんだもの」
 少し意地悪く、俺は彼女に言った。
「そんなにお父さんのことを憎んでいたのか?」
「憎む?」
「そう、きみと俺には何か、距離がある、その距離っていうのは、きみは服をきちんと着て、俺は裸だ、これは俺を裸にしておき、露出狂の枠に閉じ込めていることと同じさ」
「そうかしら。でもスウェットは乾燥機の中、今乾かしているところなの…あなた、露出狂じゃないって言ったじゃない?…それに、さっき庭先で…」彼女の顔が赤くなった。どう見ても老婆の話が気になる。
「お父さんはきみを可愛がっていたはずさ、叱られつづけたとか、俺はその辺のことは分からない。ただ、俺を露出狂の枠に入れておくことは全てきみの計算で、そうすることで俺をお父さんに見立てて、復讐している気がするんだ」
「復讐なんかしないわよ、だって父を私は憎んでもいないし、それにあなたに関心を持ったのは、確かにあなたが露出狂じゃないかって、感じたからかもしれないけど、違うって言ったから、私は、あなたを普通の男性として接してきたつもりよ、食事を作らなかったから、そう意地悪を言うの?」
 いつの間にか、彼女の語尾を濁す喋り方がなおっていた。それが、アルコールのせいなのか、それとも違う要因なのかはっきりしない。
 二人の間に、少し隙間風が吹いたように感じた。上階にあがってから彼女が変わった。
「ごめんなさい。少し疲れたみたい。あなた疲れない?私、少し休むわ…」
 パジャマを着る間、彼女は俺を見ていた。彼女は俺のこの軟な肉体を見て、どう思うのだろうか?もっと筋骨隆々とした男を彼女は知っているはずだ。それとも彼女は、何を見て、男を好くのだろうか。雨音が一段と増し、男は女にキスをして眠った。
 翌朝、いったん起きた男は、この家をぐるりと一巡りしてみようかと考えた。時刻は六時半である。食堂に行って、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、はじめて気付いたが、この冷蔵庫には、あの糖尿病の男と同じく、ミネラルウォーターしか入っていない。卵も牛乳も、バターもジャムの無ければ、生活感を漂わせるその他の品々が無いのだ。



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