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 寺へ続く参道は坂道だが、階段は一つもない。これは車が入れなくなるためだろう。寺は山の裾にあるのだが、参道は結構長い。左右に土産物屋が並んでいるが、平日だと人が来ないのか、シャッターや雨戸がずらりと並んでいる。
 人が住むような家はなく、すべて店屋だ。便が悪いのだろう。毎日買い物で、この坂を上り下りしないといけないと思うとぞっとするほど。車は通れるが道が狭すぎる。バイクや電動アシスト自転車があれば便利だろうが、意外と見かけない。年々参拝客も減り続け、土日でも閉まっている店がある。もう永眠したのだろう。
 店屋は参道沿いにしかなく、その背後は崖や山林だ。その店屋と店屋の間に隙間があり、そこから色目のものが目に入る。紅葉ではない。人がすれ違えないほど狭い通路だが、奥に建物がもう一つある。その通路はゴミ箱やプロバンガスや廃材のようなものが積まれており、店へ続く道とは思えない。ただの隙間なのだ。
 色目のものとは絵の具だった。建物に塗られている。ツタのように見えていたが、書いたものらしい。そこに大きな文字で美と書かれている。それがドアの上に看板のように飾られている。美という店だとしても、何を売っているのだろう。美を売っているのかもしれないが、ドアや窓、そして板壁から見て、アトリエのように見える。
 物好きな前衛画家のアトリエかもしれない。一見したところ大学のキャンパス内にある美術部のようにも見える。ドア前に段ボールや、板の箱や、何に使うのか棒切れが立てかけられたり、昔の釜や洗濯板、たたくと音がしそうな金たらいなどが散乱している。ゴミ屋敷のようにも見える。
 犬田は腰掛け程度だが美術部にいたことがあり、それに似ているので、妙に懐かしくなり、その狭い通路を物を避けながら通り抜け、ドアをノックした。一応ドア前のゴミは開閉には支障がないようだ。
「どうぞ」
 と、中から声。
 犬田が見たのは、まだ若い人で、窓辺にカンバスを立て、具象画を描いていた。絵の具はアクリル。
 犬田はきっと爆発したような白髪に絵の具が付いたような前衛芸術家が目の玉をまん丸にして抽象画を塗り倒していると思ったのだが、普通の服を着て、普通の髪型の青年なので、逆に違和感を覚えた。
「行きましたか。裏奥の院へ」
 いきなり、そんな話題を画家は切り出した。犬田は上の寺へ行くのも初めてで、奥の院があることも知らない。こういった山寺巡りをしている人なら、山寺には必ず裏山に奥の院があることを知っているかもしれないが。
「奥の院ではなく、裏奥の院です。ここの奥の院は寺の裏から見えます。裏奥の院は、その奥の院とは、その山の裏側の斜面にあります」
「その裏奥の院がどうかしましたか」
「いや、知らないと思い、教えてあげました」
「それより、ここはアトリエですね」
「そうです。インスピレーションが沸くと聞いて、ここで絵を描いているのですが、効きません」
 そのアトリエ、土産物屋の物置だった場所で、青年がアトリエ風に改造した。
「裏奥の院からの霊気が、ここに伝わってくるはずなんですが、来ません」
 犬田は自分も絵を描いたことがあるので、それなりに分かるのだが、この青年の絵は何でもない風景画で、中学生が美術の時間に嫌々描いたものに近い」
「これは何かの療養なのですか」
「いえ、今度個展を開くために描く絵の一枚です。七枚の連作の四作目に当たります」
「あ、はい」
 犬田は失礼に当たるので、その絵の感想は一切口にしなかった。
 当然、何か得体の知れないものを感じたため、犬田はすぐにいとまごいした。冬は日が短い、だから暗くならないうちに参拝し、戻ってきたいと。
 再び狭い通路を抜け、参道に戻り、寺の山門に辿り着いた。その前に案内板があり、絵地図もあるので、それを見たが、裏奥の院どころか、奥の院そのものも書かれていなかった。
 山門を潜ると、お札などが売られている。そこで番をしている真っ白なお婆さんに聞いても、やはり奥の院はこの寺にはないらしい。
「寺の裏は渓谷でしてねえ。奥の院はありませんが、崖のところに龍神さんが祭られていますよ」
 奥がないので、裏もない。
 では、あの画家はそれをインスピレーションとやらで見たのだろうか。
 そういう感性の画家にしては、絵にそれが何も現れていないのは惜しい話だ。
 
   了

 

 

 


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